大亀幸雄 50年の足跡 |
保守・革新を乗り越えた新党を
●新しい政治・政党をめざして
昨年は衆議院選挙、細川内閣の誕生、江田五月国務大臣の就任……と変化の連続でありました。本当にお世話さまになりました。
すでに皆さんご承知のとおり、世界も日本も大激動の時代です。
世界では、あれほど激しく対立・抗争を続けていたアメリカとソ連が握手・握手・握手の関係に変わりました。ベルリンの壁が崩れ、東ヨーロッパの共産党政権はことごとくつぶれ、ソ連共産党もアッと言う間になくなりました。ソビエト連邦までが解体してしまったのです。
歴史の変化は恐ろしい勢いです。さらに加えて、アメリカも、イタリアも、カナダも韓国も、政権交代となりました。もちろん日本も例外ではありません。
日本では、遂に四十年続いた自民党一党支配政権が倒れ細川連立政権が誕生しました。さらに細川・河野トップ会談によって与野党の妥協が成立し政治改革四法案が可決されました。
いよいよこれからが本番です。日本の政治は否応なく、しかも確実に、政界再編成の嵐の中に突入することは必至です。
そこでこの際、岡山社民連のこれからの政治方向、政治路線について率直に申し上げておきたいと思います。
まず第一に、岡山社民連は細川連立政権の維持・発展のためにあらゆる努力をいたします。できるだけ早い機会に、各党に呼びかけて 「細川連立与党岡山県連絡会議」(仮称)を設置します。
第二に、来たる衆議院選挙をめざして、自民党と「一対一の勝負をするために、細川連立与党の統一候補の実現に努力します。
そのためにも従来の社会・公明・民社・社民連による「4党書記長会談」を発展させて、日本新党と新生党にも参加ねがって 「6党書記長会談」を頻繁に開き提携の強化をはかります。
第三に、来年四月に統一地方選挙が行われますので、衆議院選挙の統一候補方式をさらに発展させて、県会議員選挙においても統一候補を実現するようあらゆる努力をします。そうすることによって岡山県議会における自民党一党支配体制をつきくずし、地方から細川政権を支える土台を築いていきたいと思います。
第四に、「保守か革新か」 「資本主義か社会主義か」と言った古いイデオロギーと決別し、それを乗り越えた、新しい政治理念による新しい政党づくりに努力いたします。
新しい政党作りが軌道にのれば、岡山社民連の歴史的任務は終わりますので、何時でも解散する方針です。
皆さまのご理解とご支援を心からお願いいたします。(一九九四年、江田五月会新春パーティでの挨拶より)
●歴史の大きな転機にあたって
私が政治に参加したのは一九四六年(昭和二一年)の秋だった。当時の日本は日米戦争に敗れ苦悩のどん底にあった。だが一方では、平和と民主主義をもとめる大衆運動が燎原の火のように燃え広がっていた。
思えばあれからもう四十七年になる。
その間には、忘れがたい想い出が数限りなくある。中でも昨年の出来事は歴史的であり、感動的である。戦後四十数年続いた自民党一党支配政権が崩壊し、細川連立内閣が実現、江田五月国務大臣の誕生…。私は故江田三郎先生の苦闘の足跡をよく知っているだけにその思いは人一倍強い。
◇
さて問題はこれからだ。たしかに細川内閣の支持率は七〇%前後で史上空前といえる。しかし自民党政権から引き継いだ、(1)政治・選挙制度の改革、(2)異常ともいえる不景気、(3)コメ、高齢化社会への対応、さらに加えて所得税減税と消費税―など、難問は山積している。
一歩取扱いを誤れば総辞職・解散の危険すらある。たしかに政権交代によってさまざまな変化が表れてはいる。(1)大手ゼネコンの逮捕者はついに三四名、(2)政・官・財の癒着構造にメス、(3)利権の温床である規制の緩和、(4)料亭政治の廃止、(5)政治家への政治献金の禁止など、だが道は険しい。
選挙制度の改革が実現すると否応なしに政界再編の嵐が吹きまくる。新党結成も本格化することは間違いない。
このような激動する政局にたいして江田五月はどう対応するのか。すべての江田支持者がその動向に注目している。まさに江田五月の正念場である。
◇
新しい政治の方向とその大枠の方針は明確である。
第一は、細川内閣の継続・発展につとめること、小選挙区選挙に勝ち抜くために細川与党勢力の統一候補を実現すること、そのためには、何よりも細川連立政治勢力の統一と団結に努めることである。
第二は、古いイデオロギーにこだわらないで、既成政党の枠を越えた新しい政党を結成することである。新しい政党の理念と政策は保守・革新論、資本主義・社会主義論をのりこえた、新しい時代にふさわしいものにすることが大切である。ひと言でいえば 「平和・人権・環境」 「自由・民主・公正・平等・共生・軍縮・連帯」などの理念と政策が生かされることが重要である。(岡山社民連二ユース一九九四年一月号より)
1994年、年頭のメッセージ |