大亀幸雄 50年の足跡

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大亀さんの思い出    河原昭文

 私が大亀さんと知り合いになったのは、江田五月君が裁判官から政治家に転じたのがきっかけである。

 私は昭和四十五年四月、岡山で弁護士になったが、それから数年間は政治の世界とは無関係だった。ところが昭和五十二年、江田君が父君三郎氏のあとをついで参議院に出ることになり、同年六月十一日、旭中の同期生を中心に江田五月後援会発起人会が開かれた。覚えてはいないが、多分この時、大亀さんと会い、はじめて言葉を交したのではないかと思う。

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 江田君は既にご存知のとおり、この参院選挙全国区で圧倒的な勝利をおさめた。この時から、私もいや応なしに政治の世界、特に選挙にかかわるようになった。

 数えてみれば、江田君の衆院選四回、寺田明生君の市議選四回、橘民義君の県議選三回、高原勝哉君の参院選二回、安宅敬祐君の岡山市長選二回、その他にも江田光子さんの衆院選、金谷光夫さんの倉敷市議選挙等がある。

 それらの選挙戦のすべてを大亀さんと一緒に闘った。個人演説会では絶妙のコンビを誇った。私が 「有権者の皆さんの反応は素晴しく、多くの人が手を振ってくれます。」というと、すかさず大亀さんが 「河原君は素人だから何でもすぐ喜ぶ。私ぐらいの選挙のプロになると、手の振り方で、本当に支持してくれるのか、単なるおあいそかがわかる。」 とまぜかえす。このやりとり、何回したことか。

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 大亀さんは政治生活五〇年という。その間、ご本人が「社会党県本部書記長を十五年、岡山社民連書記長を十八年、日本新党岡山幹事長、新進党岡山副幹事長と、約三十五年間、責任あるポストで政治活動に参加してきた」と書かれているとおりで、それだけにいろいろと悪口もいわれてきたようだ。

 しかし、私は大亀さんは正直で純情な人だと思う。少年のような純真さを失っていないと思う。江田三郎さんのことを話す度に、涙を流しておられた。

 政治に対する感覚、洞察力も、もちろん優れている。政治にかける夢、ロマンは私も同感だった。江田君の四回の衆院選、「自民党政権に代わる新しい政権を」をモットーに、大亀さんも私も奮闘した。特に平成五年七月の選挙は、江田君は政治改革四天王の一人、自民党政権打倒も目前ということで燃えに燃えた。果たして、四回連続のトップ当選。得票もはじめて一〇万票を越えて一二一、四〇〇票。細川政権が誕生し、江田君も大臣になった。

 しかし、翌年、社民連を解散し、日本新党と合併したのは間違いだったと思う。その延長線上で新進党に入ったのはさらに間違いだったと思う。この選択はさすがの大亀さんも誤ったと、私は思う。

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 大亀さんは今後について、「新しい政治・新しい政党とは何か」をたえず考えながら、一市民として、気楽に、自由に参加したいといわれる。その 「新しい政治・新しい政党」が、あのキラキラと輝いた社民連時代に追い求めたものと同じであることを信じたい。

    (かわら・あきぶみ 弁護士、江田五月会会長)


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