菅直人 日本再生プラン

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『 救国的自立外交私案 』 − タブーなき外交論

衆議院議員 菅 直人


なぜ日本外交は貧困なのか

サミットや首脳会談での小泉首相の外交姿勢を、多くの識者やマスコミが指摘するように「対米追随」「官僚任せ」と切って捨てることはたやすい。しかし、それは小泉首相に限ったことではなく、戦後の日本の外交は、冷戦構造の中で、一貫して基軸である日米両国の良好な関係を維持することを最優先課題としてきた。「米国のイエスマン」と世界中から笑われようが、冷戦構造が崩壊した後も、政権が変われば新しい首相は真っ先に首相官邸のホットラインで米国大統領に電話し、日米首脳会談の予定を入れるという「現代の参勤交代」ともいうべき慣行が続いている。

日米関係さえうまくやっていれば、外交は及第点という意識が、歴代自民党の政権では強かった。そこには、長い目で見た国益や、宗教や言語も違う近隣諸国との間に敵対関係を作らないための外交戦略といった観点は希薄だった。まして、地球温暖化対策など各国がそれぞれの国益を抑えてでも、共同行動をとらなければいけない課題について、より高い次元の外交戦略を構築し、世界に対してリーダーシップを発揮することは、日本は最も不得手にしてきたといえる。

それに加えて日本外交の貧困を深めてきたのが、官僚による外交の事実上の独占である。憲法第七十三条は、外交関係の処理や条約の締結を「内閣の事務」と定めている。内閣はあくまで閣僚の合議体のはずだが、これが内閣法などの規定でいつのまにか「外交は外務省の外交官の専権事項」であるかのごとく扱われてきた。各国駐在の大使は天皇陛下の認証官で、米国で行なわれるように議会の公聴会で赴任前に人事の適正をチェックされることもない。外国に出れば、外交機密費などは使い放題。外交機密という高い壁を作って、外交交渉の過程はおろか、合意事項でさえも機微に触れるものは「密約」として、国民の目に晒されないようにしてきた。

「依らしむべし、知らしむべからず」という主権者、国民を軽視した外交風土が形成され、政治家も票にならない外交は官僚任せにしてきた。その結果、「外交は金のなる木」だと考えた一部の政治家と外務官僚が「社会通念上あってはならない関係」にまで及んで、外交予算を私し、外交を捻じ曲げたのが、逮捕された鈴木宗男議員の事件ではなかったか。

私は、もはや小泉首相が掲げるような中途半端な外務省改革や、いざという時に役に立ちそうにもない政府提案の有事法制の審議に時間を空費するよりも、民主主義国家にふさわしい外交や安全保障の議論の基盤を確立する方が先決だと考える。まずは議論の前提となる外交や安全保障の根幹の情報を国民にガラス張りにして、日本の国益に関する国民の共通認識を醸成し、いざという時に自国の安全を守るための覚悟を国民の側に作り上げることこそ、どんな法律や兵器よりもこの国を守る武器になると、私は信じている。

「密約外交」の清算

外交の観点から見ると、日本は世界の中でかなり特異な歴史を持った国である。世界の歴史は国や民族、宗教間の戦争の歴史であり、その中から現代においても傾聴に値する戦争や外交戦略に関する多くの著作も生まれた。ところが日本では、源義経や織田信長といった武将を中心にした戦記物は多いが、外交戦略に関する著作はほとんど残されていない。

日本は地政学的に大陸からかなり離れた島国であり、太平洋戦争までは蒙古襲来などを除いて大陸の異民族の国々と戦争をせずにすんだために、本格的な外交を経験せずにきた。しかも日本における戦争は、主に同一民族の中の内戦、徳川家と豊臣家といった「一族」の間の戦いであり、カルタゴとローマの戦いのようにその支配地の住民全員の生死をかけた戦いでもなかった。日本外交に戦略性が不足している背景には、こうした日本という国の特異な生い立ちにも原因があるように思う。

それでも列強のアジア侵略に対抗しようとした明治維新から太平洋戦争の敗戦までの間は、日本が自ら外交戦略を考え自立的外交を展開した時期であった。開国、明治の中央集権政府の樹立、不平等条約の改正、日英同盟、日露戦争と米国の仲介による終結など明治・大正の時期の日本外交は、戦略性と国際性を持った見事なものであった。しかし昭和期に入り「神国日本」というスローガンの下、国中に偏狭な国粋主義がはびこるに連れて日本外交も失敗の道を歩み、ついには太平洋戦争での無条件降伏という悲劇的な形で自立外交の幕は閉じてしまった。

米国に敗れた太平洋戦争以降、米軍占領下の新憲法制定、日米安全保障条約の締結など戦後の日本外交にとって米国の存在は圧倒的である。今日に至るも日本と米国の関係は、大人同士の付き合いというより、学生と指導教官の関係のように見える。重要な判断は米国に依存し、その代わり責任は半減してもらうという関係だ。

戦後、日本では形式的には国民主権を軸とする民主政治が実現したが、実質的には戦前から存在した官僚と官僚にコントロールされた政治家に政策判断を依存し続けた。このため、日米安保条約をはじめ多くの外交政策について、国民は自らが選択したという確かな感覚を今なお持ち得ないでいる。国民の理解が得にくいといった理由で重要な合意事項を「密約」として国民に隠してきた“つけ”が今、日本外交の弱さとして表れているのだ。

日本外交を国民主権の国にふさわしい自主的自立的なものにしていくには、その前提として、何よりまず過去の「密約外交」を精算する必要がある。そのうえで、国民に政策選択をゆだねる代わりに、その結果のリスクや覚悟を求める姿勢がなくてはならない。自民党には過去のしがらみがありすぎてこれができない。政権交代によって民主党中心の政権ができたときがそのチャンスだ。

寄港は非核三原則の対象外に

例えば、一九六〇年の安保改定で「事前協議」の規定が盛り込まれたが、「核持ち込み」に関して密約があったとされる。核兵器を積んだ艦船が日本に立ち寄ること(transit)は事前協議の対象にしないという密約だ。歴代政府は核兵器を日本に持ち込む場合は日米安保条約で事前協議が必要だから、米国から事前協議の要請がない以上、日本に寄港する米国の艦船には核兵器は積まれていないと繰り返し主張してきた。しかし、核兵器を装備した艦船が日本に寄港するためにあらかじめどこかで核兵器を降ろすことはないというのが軍事常識である。米国が「核兵器に関してはいかなる場合もその存在を確認しない」という核兵器の運用政策を持っている以上、核兵器を積んだ艦船が、自ら核兵器の存在を認めて事前協議を求める事などありえないのである。

虚構の上に国民主権の外交は成り立たない。「密約」を公表すれば、従来の政府答弁なども改める必要が出てくる。特に、非核三原則のうち「核の持ち込み」については、日本の国土への導入・配備(introduction)と寄港とを区別して、導入・配備は事前協議の対象だが、寄港は対象外であることをはっきりさせるべきだ。

かつてニュージーランドは核兵器を装備した米艦船の寄港を拒否し、米国との間の軍事同盟が空洞化した時期がある。もし日本が、核兵器を装備していないことを確認できなければ米戦艦の寄港を拒否するとなれば、日米安保は機能を失ってしまう。

しかし同時に「密約」をそのままにして、事実と異なる嘘の答弁を国会で繰り返すことの弊害はより大きいと考えるべきだ。過度の秘密主義によって日本外交が国民から遊離していたのでは、外交に関する国民の責任感や覚悟も育たない。外交の主役は官僚でも政治家でもなく、国民一人一人だ。この国のあり方について、国民に共通の覚悟がなければ、国の防衛も外交交渉も脆弱にならざるを得ない。

日米間には核の持ち込み以外にも様々な外交上の密約があるといわれる。民主党が政権を獲得すれば、外交機密費にメスを入れるだけでなく、戦後の外交機密文書の機密指定を全面的に見直し、少なくとも半年後までには一九六〇年の安保改定や一九七一年の沖縄返還に伴う全ての合意事項に関する文書を公開したい。国民が外交上の基礎的な事実関係の認識を共有することが民主的外交を実現する必須の条件だ。「密約外交」を精算することから日本外交の新時代が始まると私は信じる。

「見事に死ぬ」覚悟はあるか

太平洋戦争の敗戦からすでに半世紀が経過した。この間の国内での外交・安全保障の議論は、一方で平和憲法に基づく「平和主義」の理想論と、他方で日米同盟を基軸とする現実論に両極化し、かみ合わない議論が繰り返されてきた。しかし考えてみると平和主義憲法も、日米安保条約も、元々は米国が「指導教官」として日本に持ち込んだものだ。

米国は、占領下の一九五〇年に勃発した朝鮮戦争の激化にともない、日本を中立的な非武装国家でなく、米国の同盟国として自衛のための軍隊を持たせるという方針に転換した。それ以来米国は、(1)日本の自衛力の強化、(2)ただし核武装は認めない、(3)在日米軍基地のできる限りの自由な使用、(4)米国の海外での軍事行動に対する協力、を一貫して日本に要求し続けている。これに対して歴代政府は平和憲法の制約を理由に抵抗しつつも、その都度解釈を拡大して米国の要求をなし崩し的に容認してきたのがこの半世紀であった。

日本国憲法第二章には「戦争の放棄」の柱書きのもと、第九条のみが規定されている。マッカーサー占領軍司令官が原案を作ったとされる平和憲法は、広島・長崎の被爆を含む悲惨な戦争体験を踏まえて国民の間に短時間に広く深く浸透し、長年左翼陣営の政策の柱となってきた。戦争のない世界は、人類始まって以来の理想である。しかし同時に、そのことがいかに困難かも歴史は教えている。

かつて日本社会党は戦後長い間、「非武装・中立」政策を唱えた。これは世界の全ての国が武器を捨てれば戦争がなくなり、軍事同盟も必要ないという理想に根ざしている。この理想は崇高で、それ自体に反対する人はいない。しかし本当に「非武装」の理想を日本が単独で実現させようとするなら、他国が攻めてきた時には「日本人全員が見事に死んでみせる」という国民全体の覚悟が必要だ。そこまでの覚悟を持てるだろうか。

個人がそれぞれの立場で理想のために命を捨てる覚悟を持つのは尊いことだが、多くの国民にそうした覚悟を強いることが政治の責任として許されるのかは、また別問題だ。現実を無視した空想的な平和論で国民を過大な危険にさらすわけにはいかない。憲法九条は、固有の自衛権までは否定していない。いざという時に慌てるぐらいなら、あらかじめ最低限の備えをしておくのは当然のことだ。民主党が結党以来、専守防衛のための自衛隊を積極的に認めてきたのも、国民の生命財産の安全を確保することが、政治の第一の役割と考えるからである。

独自の偵察衛星を持つべき

日本への直接の武力侵略に対する防衛は、自衛隊と日米安保による米軍支援によって対処するというのが現在の政府の方針で、私も基本的には賛成である。しかし具体的には、米国に依存するのは核抑止と情報提供を中心とし、通常兵力による想定し得る侵攻に対しては、自衛隊自らの力で対処できるようにするべきだ。そのことが後に述べる在日米軍の位置づけにも関係してくるからである。

冷戦下ではソ連の大規模な上陸作戦などを想定した防衛大綱が作られたが、今日そうした大規模な上陸作戦の可能性はほとんど考えられない。あるとすればテロやゲリラなどの予告無き紛争である。日本は周囲が海によって囲まれた島国で、一般的には地域紛争が波及しにくいが、不審船やテポドンの日本列島横断など北朝鮮の軍事的脅威は無視できない。特に航空機を使った自爆テロが現実化した今日、海岸沿いの原子力発電所に対する警戒は欠かせない。少なくとも航空機が通過できない間隔で周囲を鉄塔で取り囲むといった最低限の対策は、早急に講じるべきだろう。

テロやゲリラなどの小規模な通常兵器による侵略に対しては、基本的には自衛隊が独力で対処できるはずだ。情報の点では偵察衛星を持たない日本としては、現時点では米軍の協力は欠かせないが、将来は独自の偵察衛星を持つべきだろう。現在自衛隊は二十四万人の隊員を擁し、毎年五兆円程度の予算を持っている。その範囲内でテロやゲリラに対する対応能力を高める組織改革を行えば、在日米軍に頼らなくても十分対応できる。核兵器の脅威に対しては、わが国は核兵器を保有しないという国際公約を守る代わりに、日米安保条約に基づく米国の核抑止力に期待するという方針を変えるべきではない。

日米安保条約の位置付け

敗戦後の占領に始まり日米安保条約の締結を経て、強大な米軍の部隊がこの半世紀余り日本に居続けている。在日米軍基地は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などで米軍の出撃・補給基地として、常に極めて重要な後方支援の役割を果たしてきた。

冷戦終結後、米国は世界戦略の見直しを始め、「平和の配当」を求める米国民の声に応えて、米国内やヨーロッパの基地と兵力は大幅に削減された。しかしアジアでは、フィリピンのスービック基地の撤収はあったものの、全体として十万人の米軍の前方展開兵力は維持された。これはアジアが二十一世紀の米国の世界戦略上極めて重要な地域であることに加え、「思いやり予算」などの日本の協力によって基地経費が米本土よりも少なくてすむという理由も明らかに影響している。

アジアでの前方展開兵力十万人のうち在日米軍が約四万人、第七艦隊の洋上要員が約二万人、残りが韓国などに展開している。在日米軍の中心は横須賀を母港とする世界最強の第七艦隊、沖縄の嘉手納や三沢に展開する第五空軍、そして沖縄に基地を置く第三海兵隊。米国の海外基地の中では、規模、要員数ともに最大だ。

この強大な兵力は、アジア太平洋地域で軍事的ヘゲモニーを維持するという米国の世界戦略の要をなしている。日本に米軍が存在することにより、結果的に外国からの侵略を抑止する効果はあるが、在日米軍は日本の防衛を主目的にしているわけではない。

日本列島は米国にとって極めて高い戦略的位置にある。米国の西海岸からはアジアまで約一万キロ、中東地域までだと地球を半周以上しなくてはならない。スエズ運河やパナマ運河を通過したくない航空母艦にとって太平洋からインド洋、そして中東地域をにらむ第七艦隊の母港を、小泉首相の地元横須賀に置いている意味がそこにある。

米国にとって在日米軍基地は日米安保条約を結んでいる最大の利点であり、ある意味では日米関係を裏打ちしている最大の要素とも言える。日米安保は決して片務性の条約ではなく、米国に基地利用を認める代わりに米国は日本に対する核抑止などの防衛責任を持つという関係にあるのだ。米国側は日本の米軍基地は日米安保条約維持の必須の条件と見ている。

私も何度か折に触れて、沖縄の基地の削減について国防省や国務省のスタッフと話したが、そのたびに必ず「最終的に決めるのは日本です」という言葉が返ってくる。しかし同時に「もし日本がどこかの国から攻められたときに、一緒に戦ってくれる国が米国以外にありますか」という言葉も出る。日本が本気で基地の撤去を要求すれば米国は最終的には受け入れるだろう。しかし、全面的な基地の撤去要求には、日米安保条約の空洞化を覚悟しなくてはならない。

私は米国に対する基地提供や維持経費支援は、日本の防衛のためというよりもアジア太平洋地域の安全保障に対する我が国の貢献と捉えるべきだと考えている。つまり、日本は自国の防衛は原則的に自衛隊を中心に自力で行うが、アジア太平洋地域の国際的安全保障に資する米軍の活動についても、必要な協力はするという姿勢だ。その上で沖縄に集中した米軍基地の大幅削減を日米安保を空洞化させないで実現することが国民的課題だと考えている。

そのために、民主党中心の政権では、沖縄の基地の相当部分を占める海兵隊の沖縄からの撤退を真剣に検討するよう米国にはっきり求めていく。沖縄の海兵隊基地の大半は新兵の訓練基地として使用されており、ハワイやサイパンなどに移転してもアジアの軍事バランスには影響しないはずだ。同時に、基地利用に伴うルールを定めた地位協定を不平等条約と言われないような適切なものに改定する交渉にも速やかに着手する。

アジア外交に新しい枠組み

日本はアジアの中の一国である。今日、経済面では空洞化が心配されるほどに日本企業がアジアに進出し、アジアとの一体化が進んでいる。しかし、これまでは安全保障などの政治面では米国との関係が全てに優先し、アジアの中での日本の存在は必ずしも大きなものではなかった。同じ敗戦国のドイツが米国との関係を重視しつつも、ヨーロッパの一員としてNATOに加盟し、EUに参加したのに比べても、日本の米国一国依存は際立っている。

ヨーロッパでは連合国の米国の支援で勝ったとはいえ、戦勝国のイギリスとフランスが存在し、ドイツはそれら隣国との和解を進め、その結果EUの結成につながっていった。一方、アジアでは大戦後まもなく米ソ対立、米中対立が激化し、朝鮮戦争もあってアジアの国同士が東西に分かれて対立を深めた。そのため日本がアジアの国々とEUのような関係を築くことは不可能であった。その上日本は、歴史問題などアジア諸国の間の戦後処理に手間取り、今なお火種を残している。

冷戦が崩壊し、米中、米露の関係が安定化した今こそ、日本がアジア諸国との信頼関係を本格的に築く環境が生まれてきたといえる。民主党中心の政権ができれば、過去の歴史に関する近隣諸国との共同研究を進めつつ、速やかに戦没者の国立墓苑を作り、アジア諸国の首脳が訪日した際には、立ち寄って慰霊ができるようにして、信頼の礎を築いていきたいと考えている。

アジアの安定をはかるためには、経済と安全保障の両面からのアプローチが必要だ。中国も台湾もWTOに参加した今、韓国、中国、台湾などと日本との間のFTA(自由貿易協定)を検討すべきだろう。

安全保障面では、東アジアは今なお未解決の問題を多く抱えている。北朝鮮を巡る緊張状態は続いており、台湾海峡を挟んでの中国と台湾の関係も最終的な決着はついていない。これらの問題には米国の関与が不可欠だが、すべてを米国に委ねるべきではない。東アジアの安全保障問題を話し合うため、日本は韓国、中国、ロシアを含む「東アジア地域安全保障フォーラム」の形成に努力すべきだ。

中国は台湾の国連加盟容認を

中国は外交大国である。大国としての威厳を保ちつつ、その一方でしたたかな現実外交を展開する。中国と付き合うと、ややもすればその大人風の雰囲気に飲み込まれそうになる。しかし日本は民主主義国としての誇りを持って、中国と堂々と向かい合って付き合っていけばよい。

これから半世紀を展望しても、米国と中国と日本の関係がアジアの状況を左右する最大の要素だろう。二〇〇一年は、(1)米国の対外経済赤字相手国の首位が日本から中国に移った、(2)中国が世界貿易機構(WTO)に加盟した、という二つの大きな変化が起きた。世界貿易の三・八%を占めるようになった中国の経済発展には、目を見張るものがある。巨大な市場と人件費の安さの魅力から、日本からは大企業ばかりでなく中小企業の進出も盛んで、国内製造業の空洞化を招きつつあり、今後日中間の経済面での摩擦も激しさを増すであろう。

しかし、日本政府が付け焼刃的に繰り返している農産物など個別品目でのセーフガードの発動などは、誉められた政策ではない。マクロ面で国際経済の自動調整を促すためには、現在ドルに連動(ペッグ)している中国の人民元の切り上げを求め、将来的には変動相場制に移行させることが望ましい。

中国の経済発展が長期的に継続できるかどうかは、環境問題やエネルギー・水資源の不足など不安定要因も多い。すでに中国は石油の輸入国になっているが、十三億人を越す国民全体の生活水準を安定的に上げることは至難の業である。日本は将来起きうる経済摩擦に注意を払いつつも、中国経済の安定的発展を助けるという姿勢で臨むべきだ。

安全保障面では、中国と台湾の関係を無視しては考えられない。中国政府は、台湾は中国の不可分な一部とする「一つの中国」を主張し、わが国もそれを尊重する立場をとっている。米国は中国の国連参加(台湾の追放)を認める一方で、台湾に対する防衛義務を定めた台湾関係法という国内法を持っている。もし中国が武力で台湾を「開放」しようとすれば、米国は日本を基地とする第七艦隊を中心に台湾支援に向かうことは過去の例からも間違いない。

今日、台湾から大陸への投資など中国と台湾の経済関係は深まり、台湾自身の防衛力も高いことから、中国政府が武力による台湾開放を試みる可能性は少ない。しかし、中国政府は台湾が独立しようとした場合は、武力侵攻の可能性を否定していない。いかなる場合も武力による開放は賛成できないという日本政府の立場は当然である。

しかし、実際に武力衝突が起きた時の日本の立場は極めて難しい。中国の国内問題とする立場を取るのか、それとも台湾を防衛するための米軍の行動を支援するため、「周辺事態法」に基づいて自衛隊を派遣するのか。私は、在日米軍の活動には制約を加えないが、こと中台問題に関しては自衛隊の関与は避けるべきだと考えている。日中戦争や台湾併合の過去のある日本が中台問題に軍事的に関与することは、事態をエスカレートさせ、かえって紛争解決を複雑にするからだ。

日本はむしろ中台問題を外交的に解決する枠組みを構築するために、アジアの隣国として外交的リーダーシップを発揮するべきだ。私は今年五月、民主党のインド・中国訪問団で上海を訪れた際に、上海国際問題研究所主催のシンポジウムで講演し、「台湾の国連加盟を中国が容認すべき」という意見を述べた。それも、この問題を単に中国と台湾の国内問題、あるいは米国と中国の二国間問題とするのではなく、国連加盟国同士の問題として国連の場で平和的解決を目指すべきと考えるからである。東西ドイツも過去には共に国連に加盟し、冷戦崩壊後東西ドイツが平和的に統一されたことは記憶に新しい。国連の加盟単位は、国だけではなく、「地域」という概念もある。さらに知恵を搾れば、中国と台湾の双方の面子が立つ道が開けるだろう。

国連平和協力部隊の設立

国連は、冷戦終結により新しい役割を期待される時代を迎えている。米国は唯一の超大国として世界への直接的影響力を増大させているが、同時に国連という場を活用することも多くなっている。湾岸戦争でもテロとの戦いでも、国連決議が正当性の根拠とされた。わが国は、従来から「国連中心主義」をうたってきたが、必ずしも国連に対する影響力が大きいとはいえない。

わが国外交の悲願といわれて久しい安保理常任理事国入りはいまだ調整がついていない。非核保有国が一カ国もいない常任理事国に被爆国であるわが国が入る意味は大きい。核兵器先制不使用条約の締結などを核保有国に直接働きかけられるからである。しかし同時に、常任理事国となった場合には国連主導の軍事行動にどのように対応するかが、今以上に大きな課題となる。

私は、国際警察機能としての国連軍やそれに準じる多国籍軍の活動は、日本国憲法が禁じている「国権の発動たる戦争」にはあたらないので、原理的には日本人が参加することは憲法には抵触しないと考えている。国際警察活動は、ちょうど国内の警察が刑法など法律に反する行動を取った人間に対して取締りを加えるのと同様に、国際ルールに反する行動を取った国に対し、国連が中心になって制裁を加える「普遍的安全保障(国際的安全保障)」だからである。

しかし、日本政府の指揮下にある自衛隊が国連の軍事行動に直接参加することは国権の発動と混同を招きやすい。したがって、北欧四国の国連待機軍などのように、自衛隊とは別に国連の指揮の下でPKO活動などにあたる特別の組織として「国連平和協力部隊(仮称)」を設けることを提案したい。現在の自衛隊は輸送能力や語学研修などの面で、基本的に海外での活動を予定していない。新設する国連平和協力部隊は、海外での活動を前提にした装備や訓練が必要だ。この場合、武器使用などどこまでの戦闘行為が認められるかという問題が残るが、少なくともPKO活動を進めるうえで合理的に必要な範囲については認められるべきだと考える。

小泉外交一年三ヵ月の卑屈

小泉首相就任後の一年三ヵ月の外交の印象は、「場当り外交」そのものであり、対米追従ばかりが目立つ。昨年九月の米国における同時多発テロ後のアフガニスタンでの米軍の軍事行動に関する支援でも、「ショー・ザ・フラッグ」という言葉に舞い上がったのか、自衛隊を現地に派遣することばかり考えていた。米国が日本のことをどう見ているかを気にするあまり、小泉首相は卑屈になりすぎてはいないか。

私は、日本ほどこれまでも米軍に対し後方支援を行っている国は無いと世界に向かって小泉首相はもっとはっきり言うべきだったと思う。アフガニスタンの軍事作戦でも第七艦隊など在日米軍が大きな役割を果たしており、日米安保条約に基づく基地提供や費用負担により、日本は常時米軍に対し大きな後方支援を行っている事に自信を持つべきだ。それが、日米を大人の関係にする第一歩だ。

終戦記念日の靖国神社参拝を総裁選の公約にし、クリアーしつつあった歴史問題をわざわざ蒸し返し、日中、日韓関係に冷や水をかけたのも、とても外交的戦略性を持った言動とは思えない。遺族会など自民党支持組織向けのパフォーマンスを外交よりも優先する姿勢では、決してアジア諸国の信頼を得られないだろう。

自主外交論に潜む危険な兆候

長年にわたり外務省中心に国民をごまかしながらの外交・安保議論を続けてきた反省から、米国や中国に対してもはっきり物を言える自主的外交を求める気運が、近年高まっている。自主外交という言葉は簡単であるが、それにはそれを裏打ちするだけの責任と覚悟が必要だ。

今から十年ほど前、東チモールの独立運動を続けノーベル平和賞を受賞した作家のラモス・ホルタ氏が来日した。時の自民党政府はインドネシアに気兼ねをして、首相はもとより外務大臣も誰も会うことを拒否した。私を含む数名の野党議員が会って話を聞いたが、その時彼が言った「お金で物は買えても、お金で尊敬は買えません」という言葉が、ぐさりと私の胸に突き刺さった。ホルタ氏のような自主的外交を進めるには、それに耐えるリスクを国民全体が負う覚悟が必要なのだ。

また教科書問題で見られるように、排外的主張こそが自主的外交と勘違いした過激な傾向も強まっている。経済や社会全体の閉塞感が強まる中から、一つ間違うとヨーロッパのネオナチズムとも共通する危険な兆候さえ生まれてきている。何も自国の歴史を自虐的に見る必要もないが、昭和初頭のようにそれまでの国際協調を捨て「神の国日本」といった教条的で独善的な日本に戻してはならない。

その一方で、ワールドカップで日韓両国の若者が一緒にそれぞれの代表チームを応援し、喜び合い、世論調査の結果でも日韓両国民の相互信頼が高まったのは嬉しい傾向だ。こうしたスポーツや文化の交流を深めることこそ、「顔の見える外交」への確かな一歩につながるものだろう。

日本外交のお手本はある

二十一世紀の世界的問題の一つは間違いなく環境問題である。それに加えて人口問題、エイズ問題、そして貧困の問題が重要性を増している。さらに人類始まって以来尽きない戦争の問題がある。日本外交が軍事的な面での貢献が少ないからと言って、何も卑下する必要はない。日本ほど二十一世紀の世界をあるべき方向にリードできる可能性を持った国は少ないのだから。

例えば日本が燃料電池のような石油に代わる再生可能なクリーン・エネルギーの開発に成功すれば、それは宇宙船地球号への人類最大の貢献となる。エイズや貧困を克服するためのシステム作りにも、日本は貢献できる。アフガニスタンで井戸を掘りつづけているペシャワ−ル会の中村医師の働き、緒方貞子さんの国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)での働きこそ、日本外交の手本にすべきものなのだ。

NGOの代表をトップに据えるぐらいでなければ、「援助庁」など作ったところで日本外交は前進しない。NGOや国連と手を携えて、地に足のついた国際貢献の努力を積み重ねていくことこそが、長い目で見た日本外交の国際的な評価を高め、我が国の国益につながるのである。

月刊現代2002年8月号掲載


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