2006年4月 | 戻る/ホーム/民主党文書目次 |
民主党の未熟さ、そして再生への道
菅 直人 衆議院議員・民主党元代表
今回、永田寿康衆議院議員の送金メール問題に関して、民主党の未熟さが厳しく指摘されている。未熟さを生み出した大きな責任は民主党創立メンバーである私自身にもある。国会運営のノウハウや知識、政界の常識などをしっかり新人、若手議員に伝える「教育」を怠ったことが、今回の失敗の大きな背景であるからだ。
昨年の総選挙での大敗と今回の大失敗によって、民主党は結党以来、最大の危機にある。そればかりか、定着しつつあった2大政党制そのものが、崩壊しかねない危機にあると受け止めている。民主党がもう一度、国民から政権交代の担い手として期待されるためには、本質的な改革が必要だ。民主党の創立に参加し、主要な役割を担ってきた一人として、反省も込めて党を再生させる道を提案したい。
「自信過剰」の民主党若手議員
民主党の未熟さの背景について、今後の立て直しのためにも少し詳しく述べておきたい。私が初当選した1980年当時、自民党や社会党では当選回数による上下関係がかなり厳しかった。新人議員は先輩議員や派閥の幹部から国会の「しきたり」を教えられ、2、3回当選するまでは 「雑巾がけ」と称して、忙しい幹部の代わりに委員会に出席するなど下働きをさせられるのが普通であった。
国会質問もベテラン中心で、特に予算委員会など花形委員会では、各分野でかなり経験を積んだ議員が質問に立っていた。新人議員は下働きの期間を通して国会運営のノウハウや国会質問の仕方を学んだ。古い政治体質まで引き継ぐといった問題もあったが、少なくとも対立する政党の体質や行動パターンを知ることで、今回のような失敗を避けるしたたかさや知恵を自然に身につけた。
これに対して93年以降、古い政治体質を打破することを旗印に新しい政党がいくつも生まれた。民主党もそのひとつである。96年に鳩山由紀夫さんと私の2人代表制でスタートした旧民主党は、2年後、新進党から分党した人たちと合併して野党第1党の民主党となった。
こうして生まれた民主党では当初から、当選回数による上下関係にうるさくなく、派閥的親分子分の関係も希薄であった。1期生や2期生でも自由に意見が言え、国会質問でも当選回数に関係なく重要な役割が与えられた。党務においても、政党助成金の使い方は基本的に平等でガラス張り、候補者の選定も公募が中心で、ベテラン議員と新人議員の権限に大きな差はなかった。
権威主義的でない透明性の高い民主党の党運営は、私や鳩山さんなど当初指導部を形成した団塊世代の性格が影響したように思う。自民党の長老からは生徒会のようだと揶揄されたが、一般社会からは評価された。
しかし民主党が結成されて10年近く経過し、この間当選してきた若手議員の中には、社会の矛盾を感じて政治を志すというより、最初から「政治家」になりたいというタイプが増えてきた。経歴はすばらしいが、会社勤めや子育てといった社会経験の比較的少ない若手議員が、数の上でも多くなっている。その中で次第に、「ベテラン議員何するものぞ」という下克上的な雰囲気が強くなり、永田議員を始め多くの若手議員が自信過剰に陥っていたように思う。
傷口広げた前原執行部
昨年秋、総選挙で惨敗した民主党の立て直しを若いリーダーに託そうと前原代表が誕生した。発足した前原執行部は、鳩山幹事長を除くと代表と同様、若くして当選した30代、40代の3〜5期生が中心を固めた。こうした中で、メール問題が発生した。
自民党をよく知っているベテラン議員からすれば、裏金を銀行送金することなどあり得ないと言うが、こうした声は執行部には届かなかった。また、国会では質問の行き過ぎなどよくあることだ。大事なのは、執行部が現場の失敗を最小限の被害で収拾することができるかどうかである。しかし今回は逆に、党首討論という最も注目される大舞台で失敗を繰り返し、傷を広げてしまった。
本来スキャンダルのような個別問題の追及では、反撃されても代表に直接被害が及ばないように、ファイアーウオールを設けておくのが原則だ。政策問題ではないのだから、代表は具体的な内容を聞かれても「現場を信頼している」と言っていれば十分である。
また、失敗を認めで撤退する時には、責任問題を含めてトータルな収拾案を立て、迅速に実行することが肝心だ。あの織田信長でも、浅井、朝倉に敗れた時には京都まで一目散で逃げ帰った。今回のメール問題では失敗を認めた後も、誰がどういう形で責任を取り、どの線まで撤退するかが決められず、マスコミや自民党の要求に逐次対応したために、収束に手間取ってしまった。
老、壮、青を適材適所に
では、どのように改革すべきか。まず人材の面から述べてみたい。
今回、野田国対委員長の辞任を受け、55年体制下で自民党の国対委員長を経験された超ベテランの渡部恒三さんが国対委員長を引き受けられた。渡部さんは政治家として懐が深く、国民に安心感を与えることのできる人柄で、こうした危機の収拾には最適な人選だと思う。
渡部国対委員長のほかにも、民主党には羽田孜元総理や「爆弾男」と呼ばれた楢崎弥之助さんなど、経験豊かな先輩が何人もおられる。近年、小泉総理になってから自民党も長老議員を排除する傾向が強まっているが、政治には長老、ベテランの知恵が必要なことも多く、老、壮、青の人材が適材適所に配置されてこそ全体として力が発揮される。今回の反省を込めて、若手議員は一度新人に戻り、「雑巾がけ」をやる覚悟で民主党再建に臨んでもらいたい。
候補者選びについては、民主党の外の識者に参加してもらうことを提案したい。国民の公共財という観点から見て民主党に必要な人材、例えば福祉分野、国際的活動など、いろいろな分野から候補者が選ばれるようなルール作りを検討してもらい、公募の場合にも参考にすべきだ。
定年制についでも見直しが必要だ。民主党は、衆議院小選挙区の新人候補は60歳以下と公認基準を決めているが、これでは「民主党は60歳以上の人を必要としていない」と国民から誤解される。新人候補が小選挙区選挙で勝ち抜くことはかなり大変なので、結果的に60歳を超える新人は少ないことが予想されるが、年齢だけを理由に公認しないという「定年制」は年齢差別になるだろう。
弱肉強食型社会か最小不幸型社会か
2大政党の持つ最大の意味は、選挙において国民に政治的選択肢を提供することである。最近の民主党は自民党との違いが分からないという声が多い。民主党と自民党の対立軸を明確にすべきだ。
ただ小泉自民党が従来の自民党から大きく変質してきているだけに、対立軸も従来型では通用しなくなっている。民主党は、日本政治の再建のためにはまず「税金の無駄遣い」をやめさせることが必要で、そのために官僚主導政治の打破、行政情報の徹底公開などの改革政策を提示しできた。この主張は、今も生きている。
しかし小泉政権になってから、道路公団改革に見られるように大半はいんちき改革にもかかわらず、「自民党をぶっ壊す」といった発言などを通して総理自らが「改革」イメージを振りまいてきたため、民主党との差別化が難しくなってきた。両党間で「改革競争」をするのはいいが、改革の結果生まれる社会のあり方については、対立軸が明確にできるはずだ。
小泉自民党が目指すのは「弱肉強食」による経済活性化であり、格差の拡大は必要という立場だ。これに対して民主党は、規制緩和などによる経済の活性化には賛成だが、それが格差を拡大し、二極化を進めることには賛成できない。成功者がさらに成功するのを邪魔はしないが、失敗した人がホームレスや自殺に追い込まれないようにセーフティーネットを用意し、不幸を最小化するのが政治の役割、というのが私の政治哲学である。
改革後にどのような社会を実現するのか。ホリエモンとホームレスに両極化する「弱肉強食型社会」か、それともホームレスや自殺者をこれ以上増やさない「最小不幸型社会」なのか。
日本は米国の属国にあらず
外交は小泉政権のアキレス腱である。小泉外交はアメリカ一辺倒外交で、中国や韓国との関係は政冷経熱から政冷経冷になりつつある。頼りのブッシュ大統領との関係も、BSE対策が不十分な米国産牛肉の輸入問題、米軍の再編問題など日本国民が納得しないまま強行しようとして完全に行き詰まっている。
日本にとって日米関係は最も重要な2国関係であることは言をまたないが、日本は米国の属国であってはならない。EU諸国はアメリカとの良好な関係の維持に配慮しつつ、EUを中心にした自立外交を展開している。日本もアメリカと同時にアジアにも軸足を置き、東アジアでの経済、安全保障面での協力関係を深める努力が必要である。
また戦争責任の議論では、読売新開の主筆の渡辺恒雄氏も「日本の当時の政治指導者の責任を明確にすべき」と論陣を張っている。戦争責任に対するけじめのなさが、今日の日本外交の弱点になっていることを考えると、日本自身で戦争責任の議論に決着をつけることが望ましい。
「寄り合い所帯」をどう克服するか
民主党は、「寄り合い所帯で、政策がばらばらである」という指摘がよくなされる。しかし自民党でも、政策上の意見の違いは決して小さくない。問題は、必要な時に意見の集約ができるかどうかだ。有事法制など難しい法案対応においても意見集約をしてきた民主党の歴史から見て、落としどころを間違わなければどんな問題でも意見集約は十分可能だ。
よく指摘される外交防衛問題でも、(1)自衛隊は戦争のため海外には出さない (2)その範囲内で国連の平和活動には主体的判断のもとで協力する、という二つの原則で十分まとまると思う。
代表をはじめ執行部は、持論で党を引っ張っていくことも時には必要だが、国民的観点から党内外が納得できる「落としどころ」を見つけて、党としての主張を集約していく技術も必要だ。特に野党である民主党にとっては、自民党との対立軸となる論点を明確にし、政権交代への期待を国民からもたれることが、何よりも重要だろう。
現場とつながりを持つ政党へ
私は、民主党を国民に信頼される政党へと再生させるには、国民が感じている矛盾や怒り、悲しみを共有できる政党、一言でいえば「社会の現場や運動とつながりを持つ政党」への脱皮が必要と考える。
戦前には農民運動、戦後も労働運動、学生運動、反公害の市民運動など多くの国民が参加する社会運動が存在した。しかし今日、社会の矛盾を自らの主張として国民に直接訴えかける社会運動は少なくなり、テレビのキャスターが国民の怒りを代弁する“擬似社会運動”に代わってきた。しかし、こうした擬似社会運動は、本当に国民の声を汲み取る運動にはなりえず、逆にマスコミを利用した大衆操作になりがちだ。
民主党の政策と社会的連動との連携がうまくいっている例では、農業再生プランがある。2004年1月の党大会で、私は代表として「農山村の再生なくして日本の再生はない」という考えを提示した。そして農山村で子育てができる地域社会を再生することと、自給率を高めることを目標とする農業再生プランを作成するように関係者に指示した。そして私自身、農業再生本部長として農業政策に詳しい議員とともに、農山漁村を積極的に回り、車座集会を繰り返した。こうした運動の中から大規模な「直接支払い」を軸とする民主党の農業再生プランが生まれ、農業関係者に反響を呼び、農村地域で民主党支持を広げる大きな力になっている。
年金制度一元化を進める運動も国民的支持を受け、04年の参院選での勝利の原動力となった。しかし昨年の総選挙では、郵政民営化一本で解散を仕掛けた小泉自民党に大きく敗れた。惨敗した大都市部での敗因と、巻き返すための社会運動戦略を次に示したい。
「小泉流」をまねてはいけない
民主党は発足からしばらくは、「都市型政党」と見られていた。事実、大都市部では自民党とほぼ互角に戦い、地方都市でも1区現象と呼ばれるように各県の県庁所在地にあたる1区では善戦してきた。
しかし昨年の総選挙では、大都市で惨敗した。東京圏の東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪圏の大阪、兵庫の6都府県で、小選挙区が102ある。03年の総選挙では、小選挙区での勝敗は48勝54敗でほぼ互角であったが、昨年の総選挙では7勝95敗、つまり東京圏、大阪圏の小選挙区で当選した民主党候補はわずかに7名にとどまった。
小泉自民党が大都市部で勝利したのはなぜか。ひとつには世襲以外には若手候補が出せなかった自民党が、民主党をまねて公募などを都市部で採用し、変身してきたことにある。
だが、それだけではない。大都市都の人間関係の薄さを逆手に取り、テレビを通した小泉流アピールが功を奏した結果なのだ。刺客騒動で改革の「本気さ」を演出し、公務員労働者を悪者に仕立ててフリーターの若者までも惹きつけた、まさに 「大衆操作」だ。
民主党が都市部で巻き返すには、小泉流をまねようという考えもある。しかし、それでは二番煎じで、本質的な対抗策とはいえない。もっと本質的に、大都市の「過剰流動化」 している薄い人間関係を結び直して、少しでも濃い関係に変えていくことだ。「論座」 の今年3月号で提起した団塊党構想の狙いもここにある。
いま、会社人間を卒業した団塊世代が地域でいろいろな形の社会活動に参加するのを支援する運動を起こそうと試みている。また、フリーターや少子化の当事者である団塊ジュニアに狙いを当てた社会運動も重要だ。引きこもりがちな団塊ジュニアには「お祭り的な運動への参加」を提案したい。
次期代表選に向けて――
私が厚生大臣になり、薬害エイズ問題に取り組み、旧民主党を鳩山さんとともに立ち上げてちょうど10年になる。政権交代の実現に全力を挙げてきたが、昨年の総選挙での大敗と今回のメール問題で、政権交代は遠のいた感すらする。しかし私は、小選挙区制の下での野党第1党にはいつでも政権交代のチャンスはあると考えている。
だからこそ、まずは民主党の本格的な再建を急がなくてはならない。民主党は過去の歴史において、代表の任期途中での辞任が相次いだため、メール問題があっても代表は任期いっぱい務めるべきとの意見が多い。この点、難しい判断だが、いずれにしても9月までには代表選があり、誰が次期代表になるにしても国民の信頼を回復する最後のチャンスであることは間違いない。
民主党が、国民から信頼できる政党と見られるには、老、壮、青、すべての議員が協力できる体制を実現することだ。間違っても「世代間対立」にしてはならない。渡部国対委員長や羽田元総理の長い経験と深い知恵、小沢一郎さん、鳩山由紀夫さん、岡田克也さんらと私も含めたベテラン、中堅メンバー、そして個人個人としては自民党の議員に負けない優秀な若手議員が適材適所で力をあわせれば、国民の信頼を取り戻し、政権を任せてもいい政党に再建することは可能だ。党に活力が戻れば今回失敗を経験した若手も、その経験を生かす場面が必ずやってくる。
次回の代表選で誰が代表に選ばれても、私は必要とされる役割をしっかり果たしたいと考えている。
かん・なおと 1946年、山口県生まれ。東京工業大学理学部卒。80年に社民連から衆議院議員に初当選。94年新党さきがけ入り。96年厚生大臣、民主党代表に就任。2005年衆議院議員に9選。
【緊急寄稿】民主党の未熟さ、そして再生への道
朝日新聞社月刊誌「論座」2006年5月号掲載
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