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マキャヴェッリ2世氏へのメッセージと次期選挙に向けて
2000年7月17日(月)  羽場頼三郎

 このような論争がおもしろいのか、何人かの方から「読ませていただきました」といった反応があった。そろそろ終わりにしないと物事が前に進まない。まず、氏へのメッセージと選挙に向けての提案を述べる。

 「頭上に湯気の見えるような」とはするどい表現で、正にそのとおりの気分で書いたもので、その洞察力には感心した。本人の意志の確認ということはいつでも必要で、それなしにつっぱしることは出来ないという意味で、敢えて強調しているのであって、民主党が組織作りをおろそかにしてよいとは思っていない。しかし、選挙の大きな要素が候補者にあることも事実であり、その動き次第で組織の拡大も現実化するのである。岡山市の得票にしても選挙区では8万4760票を取りながら、比例区では6万5758票しか取れない(私の市民リポートより)のだから、「党よりは人」という意識はまだ存在する。

 責任者への批判、非難についてはこれを充分にやるという点では意見が一致しているとしておこう。これをあいまいにすると同じ過ちを繰り返すことになる。

 『大本営』についての意味の取り方はそれぞれ考え方の違いがあろうから、蒸し返しを避ける。大本営発表という言葉の意味として捉えている私の立場だけを明らかにしておく。引用が適当でないという指摘は今でも変わらない。

 民主党に「党としての地域活動システムがない」というご指摘だが、民主党という存在が事実上ないのだから、地域活動もあるはずがない。今回の選挙で、その足掛かり(のようなもの)ができたというくらいのところだ。従って今の民主党に「恒常的な地域活動システム」を求めるのは、「木に拠りて魚を求む」の類といってよい。氏の言う「欠陥」以前の問題なのである。

 「河田氏に断られたら」という問いには、「しばらくは岡山1区の民主党の動きはないものと同じ」としかいいようがない。一部の組合や議員の動きは、「民主党の動き」と呼べるようなものではとても無い。

 「市民選挙」とは造語だから、その持つ意味はそれぞれに違うといっていいかもしれない。「草の根の選挙」とか「手作り選挙」とかいうが、結局は「市民が参加する選挙」というべきか。その意味でも「口先だけの素人は黙っておれ」と取るのは全くの間違い。私は氏に「『素人』だからこそ選挙に積極的に参加してほしい」と言っているのである。

 なお、「自分の意見についての批判にだけ反応している」のは当然である。それこそが気になる部分だからだ。

 「民主党の地域活動作りの方法論について意見をのべよ」ということだから、私なりの現実的な方法論をあげてみる。

 まず、今回の選挙で得ることが出来た「名簿」を民主党県連で統一整理する。地域的な調節をした上で、各区に渡せるよう準備する。各区の候補者が決定した時点で候補者(代表者)にお渡しする。民主党の支持者、個人的支持者に対してそれぞれがアプローチしていくが、候補者の決定が遅れているところには、県の事務局が直接アプローチして、できれば地区ごとの集会を企画・実行する。その時にこそ、江田五月代表をフルに活用して、地域集会、地域懇談会、ホームミーテイングを成功させる。それぞれの実情に合わせて、「民主党○○支部」か○○後援会(正規の後援会の支部)、○○を応援する会(勝手連的な後援会)を立ち上げる。

 この提案は、@名簿の統一的管理 A各区で動けないときは県が直接動く B民主党にこだわらず、広い意味での応援団を作る という内容である。

 最後になったが、この選挙において私は特に1区で「河田英正」という優秀な候補者を得ながら、当選をさせることが出来なかったことを最大の反省点としているのである。と同時に、次回には「あいさわ」に勝つという新しい目標と展望が出来たことを喜んでいる。

2000年7月17日 羽場頼三郎

百の議論より、一つの実践。鉄は熱い内にうて。継続は力。


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