2003/04 |
「イラク戦争について」 投稿集 |
日本政府社は「国際貢献業」に特化 きくがわ考房
2003年4月6日(日)08時13分
◆ 小泉総理 イラク戦後の復興支援で欧州5カ国訪問へ
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/poli_news.html?now=20030405262159
◇ 日本国政府は国際貢献業に特化したらしい。わざわざ現在ある国を壊して、復興事業に金を出すのがいかなる国益になるのか、皆目見当がつかない。国際的テロに狙われているのは主(殆どと言って良い)としてアメリカであろう。それに付合って日本も狙ってくれと頼み込む如き振舞いも理解し難い。
それにもまして理解できないのは、国内のホームレス(路上、車上を合わせると30万人といわれている)は支援しないのに、外国で発生する難民にはたちどころに何百億円と援助する。家無き者の何処でこんな差が生まれるのか。
国際貢献というと野党までが賛成している。それほどこの国にはゆとりがあるのか。世界一の自殺者を出して居る国が、国際社会で好い格好しいをしているのをマザーテレサが見てたらなんと言うだろうか。彼女なら「先ず、身近なところからやりなさい」と言うに違いない。
今の日本の最大の危機は「経済問題」であるはずだが、それから逃げる様に国際問題にうつつを抜かして居る。自国においては「貧民は死に絶えろ」、貧乏人が居なくなれば景気は良くなると時間稼ぎの経済無策の貧困政治がまかり通る。
世界一の自殺者を誇る国に、「安全」を錦の御旗にする資格などないだろう。
きくがわ考房 さんへ 猿
2003年4月7日(月)07時22分
貴「日本政府社は国際貢献業に特化 」はまだ突っ込みが足りませんね。国内のホームレスとイラク復興を掛け合わせたところまでは良いのですが、表題に対する評論内容は通俗的で、中学生程度の政治理解レベルに留まっています。
民主党には年齢層に関係なく、12才的発想に終始する人が多いおんが気になりますが、もしこういう人たちによる政権ができたとしたら、恐らく12才による12才の為の政治になるのでしょうか。半世紀前のマッカーサーの日本人観が正しかったという証拠ですね。
猿殿 きくがわ考房
2003年4月7日(月)12時11分
批判は承知した。
マック・アーサーの「日本人12才論」を民主党に当てはめる貴殿の持論を開陳されたし。
序でながら、マック・アーサーの「日本人12才論」はいささか納得し難い。占領直後の日本にやって来たジャーナリストのマーク・ゲインの「ニッポン日記」には、日本人のしたたかさ(悪く言えば面従腹背ぶりの狡猾さ)が描かれている。あれを読めばとても「日本人12才論」に納得するわけにはいかないだろう。
それに復員軍人にしろ、戦時下の窮乏生活に堪えて来た庶民にしろ、ホンネとタテマエの使い分けには凄みがあった。あれだけ見事に使い分けた人々を「12才」と呼べるものではない。そんなことを目の当たりにして来たものとしては、とても「日本人12才論」に納得するわけにはいかない。
そのようなわけで、今インターネットの掲示板に流行り言葉のようにマック・アーサーの「日本人12才論」が踊っているのは、いささか軽薄な風潮ではなかろうかと眺めている。
きくがわ考房 さんへ 猿
2003年4月7日(月)17時17分
「今の日本の最大の危機は経済問題であるはずだが、それから逃げる様に国際問題にうつつを抜かして居る」(きくがわ考房)
その通りなんですが、エール大学のケネディー教授のヒット作「大国の興亡」以来、戦争は経済行為以外の何ものでもないことは、歴史の通説になりつつあるようです。今回のイラク戦争も、これまでの戦争の歴史の流れから逸脱したものではないのではないでしょうか。ブッシュ大統領は就任前から急速に冷え始めた経済に怯えていたところへ、いきなり911の悲劇が重なり、米国の経済は一気に奈落の底に引きずりこまれてしまった。いかに世界一権力を持つ大統領でも、経済は政治の力で何ともなるものではありませんからね。逆に、911はブッシュにとってまたとない機会だったのではないかと思います。
「復興事業に金を出すのがいかなる国益になるのか、皆目見当がつかない」(きくがわ考房)と、野党のフアンには珍しく国益と言う言葉がとびだしてきました。国益=経済的利益です。イラクに復興協力をすることは、日本の国際企業群が復興事業から膨大な利益をあげること、すなわち国益です。利益見返りの無い国内の公共投資よりもうまみがあるでしょう。イラクには公共建物、橋、港湾、石油施設など過去日本の資金で建設されたものが数多くあり、今回の爆撃でそれらが相当壊されたとみれば、イラク復興により日本は再び、かなりの見返りを期待できるはずです。こういう意見を論ずることが、貴兄の言う本来の日本人のしたたかさではないでしょうか。でなければ、12才の枠から抜け出ることはできないのではないでしょうか。
ドイツ、フランス、ロシアは今回の経緯からすると簡単には経済復興に参加できないでしょうが、米大統領府では、今度の日本の協力には大変感謝していて、日本の参加は可能性があります。となれば、日本は「国連によるイラク経済復興」等と間違っても言うべきではないと思います。
国連安保理で最も国益優先主義をごり押しできたのはフランス、これはダントツです。次に露と中です。国連は安保理中心であり、その安保理が空中分解した今日、日本は国連との関連を、冷静に国益の点から見直すべき時でしょう。イラク復興について、この際民主党は現実的視野に立って「米英と協調する方針を維持すべき」と主張すべきではないでしょうか。小泉自民党が今頃になって国益なき「国連中心主義」を唱えるのなら、これこそ危険な政策になるかもしれません。
冷たいことを言うようですが、国内のホームレス対策とイラク復興政策は経済波及効果の規模が違います。誰でもホームレスは可哀想と思うでしょうが、しかし一方で、ホームレスにとっては「個人の尊厳と自由」の問題なのかもしれません。ホームレス達本人の労働意欲がどの程度なのかもわかりません。乞食は三日やれば止められないと言うではありませんか。独仏露伊あたりに比べまだ失業率も低く、今のところ国が直接関与するほどの問題ではないでしょう。
それは自殺者についても同じことが言えるかと思います。もし自殺が経済の破局からもたらされる結果であるのなら、それは「個人の尊厳と自由」の問題であり、本人自身に帰する問題です。世界中どこを見ても、日本人ほど経済的に恵まれている人種はありません。いずれにしても自殺を選ぶ日本人は「過保護下に育てられた純粋培養菌」のように環境変化に極端に弱い人種というべきでしょう。死にたい人は死なせてあげれば良い、それ以上でも以下でも無いと思います。
猿殿 きくがわ考房
2003年4月7日(月)21時02分
【野党のフアンには珍しく国益と言う言葉がとびだしてきました。国益=経済的利益です。】
これは小泉首相がアメリカを支持することは国益に適うと言ったわけですから、それならば復興資金を出すことにより、具体的にどのような国益が生まれのか、説明されないものにとっては皆目見当がつかないということです。
【イラクに復興協力をすることは、日本の国際企業群が復興事業から膨大な利益をあげること、すなわち国益です。利益見返りの無い国内の公共投資よりもうまみがあるでしょう。】
このような説を初めて聞きました。日本が拠出するであろう、復興資金はいくらになるのでしょうか。膨大な国費を出費して、それを上回る利益が日本の国際企業群に齎されると考えているのは、日本の中では貴方ぐらいでしょう(もしかした、ゼネコンと輸出関連業界でそう言ってるかも)。これは詭弁と言うものです。もし、詭弁でないと言うなら具体的に数字を上げて説明して頂きたい。よって、その説明がない限り、その後のイラクの経済復興と絡めた、国益の話は意味を為しません。
【冷たいことを言うようですが、国内のホームレス対策とイラク復興政策は経済波及効果の規模が違います。】
ここは話をすり替えないで頂きたい。私はこう言いました。
「国内のホームレス(路上、車上を合わせると30万人といわれている)は支援しないのに、外国で発生する難民にはたちどころに何百億円と援助する。」
これでお分かりのように、日本のホームレスと外国での難民を対比してのであって、イラクの復興資金とは関わりのないことです。
【しかし一方で、ホームレスにとっては「個人の尊厳と自由」の問題なのかもしれません。ホームレス達本人の労働意欲がどの程度なのかもわかりません。】
ここまで読んで来て、ふと頭を過ぎったのは、貴方はもしかしたら与党の国会議員ではないかと。前に別の掲示板で与党の国会議員との議論の時の出て来た主張と同じなので。
それは別にして、この考えは古典的と言うべきでしょう。椅子が余っていた時代と絶対数が不足してきた今の時代の変わりようを認識されてない人の論です。
それと西欧諸国と日本の失業率を単純比較しても意味がない、ということを今では誰でもが知っています(西欧諸国と同じ条件で失業率を測ってもらいたいが)。
【それは自殺者についても同じことが言えるかと思います。もし自殺が経済の破局からもたらされる結果であるのなら、それは「個人の尊厳と自由」の問題であり、本人自身に帰する問題です。】
経済的問題でいくら自殺者が出ようがこの論法でいけば、放っておいてもよいと言うことになります。仮にそれでよしとした時、上限のない自殺者が出ても、この社会は持ち堪えられると言うわけですか。私はにはとても理解できない話です。人間としても。
この国は国民の福利厚生を国家経営の主柱にしていると思ってましたが。違ってましたっけ。
このレスから、肝心の「マック・アーサーの「日本人12才論」を民主党に当てはめる貴殿の持論を開陳されたし。」が抜けてます。
このレスを読んで、貴方が政治家でないことを祈るのみです。
猿様 弥次喜多
2003年4月8日(火)21時36分
「イラクに復興協力をすることは、日本の国際企業群が復興事業から膨大な利益をあげること、すなわち国益です。利益見返りの無い国内の公共投資よりもうまみがあるでしょう。イラクには公共建物、橋、港湾、石油施設など過去日本の資金で建設されたものが数多くあり、今回の爆撃でそれらが相当壊されたとみれば、イラク復興により日本は再び、かなりの見返りを期待できるはずです。こういう意見を論ずることが、貴兄の言う本来の日本人のしたたかさではないでしょうか。でなければ、12才の枠から抜け出ることはできないのではないでしょうか。
ドイツ、フランス、ロシアは今回の経緯からすると簡単には経済復興に参加できないでしょうが、米大統領府では、今度の日本の協力には大変感謝していて、日本の参加は可能性があります。となれば、日本は「国連によるイラク経済復興」等と間違っても言うべきではないと思います。」
報道ではアメリカはイラク復興事業にはアメリカ企業以外は参加させない方針と言われています。(もう入札も終わっているものもあるという報道もあります)その点はどうお考えですか?
大資産家を援助する理由は何なのか? きくがわ考房
2003年4月8日(火)23時47分
イラクという国は世界第二位の石油埋蔵量があるといわれている。いわば大資産家といえる。埋蔵原油を担保にすれは、幾らでも金を貸してくれるところがあるだろう。その国の復興事業になぜ日本が膨大な額の寄進をする必要があるのか、さっぱり分からない。
政府から、大資産家を援助する理由を聞くべきである。このようなことは前例もないだろう。国際貢献とは大資産家をもっと金持ちにすることでもあるのか。
きくがわ考房 sannhe 猿
2003年4月9日(水)03時17分
前回の投稿は、貴兄への返答の形をとりながら、その中に幾つかの伏線を用意しています。この際、重箱の隅を突付くような議論を避け、限られた紙面と時間のなかで、正面から日本の国益の究明に近づきたいと思います。
伏線の一つは国連との付き合い方です。
山本参院議員(自民)はかつて国連の職員として勤務したことがあり内部に詳しい人ですが、「国連とは実体の無い機構」だと述べています。私もNYの国連村に10数年生活し、日本を含む各国の代表者たちとパーティーの席上で面談した経験があり、国連の内情についてはかなり詳しいと思います。その経験からすると、国連はセレモニーの場所であるということです。もっと酷い言い方をすれば、飢えたハイエナ達のパーティー場です。そこでは、貧乏国が経済大国に如何にうまく取り入り、票をどのくらい大金で買わせることができたかとか、できそうだとか言う、形而下的話題が中心です。環境問題も金の問題にすり替えてしまうのが国連の内幕なんです。
一方で小沢氏(自由)は、国連常備軍をつくれば自衛隊をその指揮下に配備させ、イラク戦争にも戦闘参加させると述べていますが、これは国連を良く知る小沢氏の詭弁以外の何ものでもない。実体の無い国連が常備軍を作ることはあり得ないことを、小沢氏は知っているはずですからね。小沢クラスの政治家が、国民を欺くようなことを言っては世もおしまいです。あの人の政治使命はとっくに終わっているからこその無責任発言なんでしょう。
日本が外から力を借りたいのは軍事だけなんです。 日本が軍事的危機に陥ったとき、国連は助けてくれますか。この質問に自信をもって答えられる日本人は誰もいないでしょう。
アメリカは助けてくれますか。80%以上の日本人は助けてくれると答えるでしょう。この点では誰もアメリカと軍事同盟を結んだ吉田元首相の選択は正しかったと評価しているはずです。アメリカと日本は、アメリカとヨーロッパ以上に複合的に合体していますから、国益を考えるなら、この絆を更に強くするように努力すべきであって、弱くするようなことは避けるべきだとかんがえますが。
実は日本が本当に仲良くしなければならないのは、国連ではなくてアメリカなんだということは、日本人ならみんなわかっていることなんです。 強すぎる者にたいする反抗気分が、時として反米にさせるのでしょうが。個々の心象は別にして、国益を第一に考えるならば、国連とアメリカを秤にかけるようなことは意味がないと思います。ただアメリカとの関わり方がこれまで一方的にアメリカの言いなりに終わっていることは、見直さねばなりません。
これはアメリカが必ずしも悪いんじゃなくて、日本の交渉態度が下手だからなんです。 日本はなめられてますね。日本人はいつも相手の立場を考慮しますが、これが弱腰ととられるようです。国際交渉に日本の麗しき文化である「謙譲の美徳」は通じません。交渉技術として、国益一本の線で突っ張るべきなんですね。どうしても、にっちもさっちもいかなくなったら、相手が譲る分だけこちらも譲る、と言う風にしなけりゃ駄目なんです。強きに弱く、弱きに強い日本の官僚にとって、一番苦手とするところでしょう。政治家にしても、志も無く就職するつもりで政治家になった2世3世の多い昨今では、大きなことは期待できないというのが現実でしょうか。これもあれも、有権者である我々の政治判断能力が最後には問われるわけです。
それともう一つ。交渉のときに官僚や政治家は下手な英語を使いたがる、という問題があります。特に相手が英語を母国語にしている人だったら尚更これは問題です。アメリカに着任する大使公使領事を大勢知っていますが、総じて彼らの英語のお粗末さは恥ずかしい限りだってこと、あまり日本人は知らないんではないでしょうか。あの英語力で国際交渉などやられては、日本は浮かぶ瀬もありません。同時通訳を介して徹底的に日本語でやりぬくことが肝心なんです。
日本一国で国連通常経費の20%を負担しています。その上に特別臨時経費がさらに加算されます。その莫大な投資の見返りは過去どのくらいあったでしょうか。見返りどころか常任理事国にもなれず、政治的影響力も20%もの投資に見合うだけのものは皆無に近いのが現実ではありませんか。こんな状態を何十年も繰り返していれば、当然国民の間から批判が出るはずだし、国会でも与党は攻撃を浴びる筈なのですが、これもない。誰かが言ってましたね、オリンピックは参加することに意義があるって。ここまで来ると、日本人はお人好しを通り越して馬鹿なんじゃないかと、つくづく思うときがあります。
こういうことを書くと、「金の問題ではない!」と見得を切る日本人を見受けますが、あれは嘘です。国連への無駄な出費をやめるようにしようではありませんか。その代わり出すからには、仏露中のように、いたむしろ彼ら以上に、堂々と国益を要求したらいいんです。他の国に見習うならば、国連は国益を推し通す場所。海千山千の各国代表部にとって、さして要求してもいないのに大金をくれる日本は、鴨がネギをしょって近づいてくるようなものなんです。油が乗ってるんですよ、この鴨には。
長くなりましたので他の伏線については後記したいと思います。
真の国益とは? はぐれ雲
2003年4月9日(水)16時05分
猿さんの言っている事は、ごく当たり前のことです。国連(United Nations)はWW2の戦勝国の集まりです。ですから、現在でも日本もドイツも敵国条項をはずしてもらっていないのです。国連分担金を20%も払いながら、敵国条項すらはずすことを要求できない日本政府及び外務省の外交こそが問われなければならないのです。
同時に国連の実態が大国と開発途上国の利権争いという形而下的かけひきに終始しているのも事実でしょう。わたしは国連とか外交の場は経験したことはありませんが、人間の集団というものはそんなに変わるものではないと思います。まして、国家を背中に背負った人たちの集合体です。【国のため】という言葉一つでどんな汚い手を使っても、倫理的な痛みは解消できます。その意味では、大使とか外務大臣とか各国大使館員などより、はるかに国連に勤務している職員の方が純粋に物事を考えているはずです。国内で言えば、評判は悪いが、公務員のほうがはるかに純粋に国のことや政策を考えている、といってよいのと同義です。
しかし、山本議員のように【国連の実態はめちゃめちゃ】だから、そんなものに重きを置かなくても良い、と言わんばかりの発言は、公務員が「政治家は利権争いばかりしているのだから、内閣や国会など無視してよいのだ」という発言と同じです。彼がこのような発言をするということは「天に向かってつば」するようなものであるという認識が感じられない、という一点でまったく評価できません。
国連だけではなく、日本社会で生活している人間は、みな同じようなことで悩んでいるのです。訳の分からない上司で悩んだり、組織の論理の非人間性に悩んだり、みな日常生活の具体的な場で経験があることなのです。「構造改革」が必要だということは、ある程度までは必要悪と我慢できるそれらの弊害が、もはや看過できない状態まで達しているということでしょう。
つまり、国連の役割をもう一度見直そうということは、山本議員や猿さんのいう「国連という組織の金属疲労」がある意味で限界に達していることなのでしょう。構造改革でもそうですが、肥大化した組織・硬直化した組織の改変は、膨大なエネルギーと時間がかかります。アメリカ流にデイジイ カッターでも落として、更地にしてから新しく立て直すのが簡単だという誘惑に駆られます。
しかし、そうするにはあまりにも問題点や危険がありすぎるというのが、世界の国の大半の意見でしょう。それならば、どうするのか。ここから、21世紀の世界での日本外交の枠組みを構築すべきなのだと思います。
その場合、どんなに現実が汚れていても、「人の心を捉える理念」が最後には勝利するのです。現在の日本の外交論議は現実優先・現状追認論議ばかりで、日本が世界に訴ったえかける【理念】がなさすぎます。現実主義とは、たとえ見果てぬ夢であろうと確固とした理念があり、それに照らして現実的な妥協をすることをいいます。外交の場では、たとえほんのかすかなかすり傷でも良い、日本が持つ理念の痕跡を残すべきだと思います。
たとえどんなに時間がかかろうと、どんなに絶望的な努力であろうと、その努力を傾けるのが、【世界に尊敬される国家】への道だろうと思います。結局、それが真の国益につながるのだと思います。
猿殿 きくがわ考房
2003年4月9日(水)20時34分
【一方で小沢氏(自由)は、国連常備軍をつくれば自衛隊をその指揮下に配備させ、イラク戦争にも戦闘参加させると述べていますが、これは国連を良く知る小沢氏の詭弁以外の何ものでもない。】
今はどうあれ、将来の国連の方向性としては小沢氏の言うことは評価できる。むしろ、米国が自国の軍事力を行使したいが為に、その方向へ国連が向うことを妨害しているのではないのかと想っています。
【日本が軍事的危機に陥ったとき、国連は助けてくれますか。この質問に自信をもって答えられる日本人は誰もいないでしょう。】
それならば、クエートが侵略された時の国連の対応をどう説明されるのか。
【アメリカと日本は、アメリカとヨーロッパ以上に複合的に合体していますから、国益を考えるなら、この絆を更に強くするように努力すべきであって、弱くするようなことは避けるべきだとかんがえますが。】
軍事同盟だけに関して言えば、安保条約は「攻守同盟」ではなく、「防衛同盟」です。それも日本国だけを防衛するという片務条約です。同盟国の絆な云々がどうあれ、条約は文面で交わされている約束事を相互が誠実に履行することが義務付けられています。ですから、米国がイラクを攻撃することと安保条約はなんの関わりもありません。イラク攻撃に関して安保条約による日本国の義務も生じません。
私の考える日本の国益は「平和の維持」です。戦後の日本がなぜこれほどの経済力を持つに至ったかといえば、平和が維持されたからです。貿易立国としての日本にとっては平和こそが、命綱です。
これから米国が引き起こすであろう、紛争に係わり合いになって行けば(貴方が言うところの)国益は阻害され、経済の衰退は免れなくなって行くだろうと考えます。貿易立国の国が敵を作るのは愚の骨頂でしょう。今回の米国支持はアラブ・イスラム世界に少なからず敵を作ったようです。これも(貴方が言うところの)国益は損なわれることになると想います。
この論争はこれで最後にしたいと思います。多分平行線でしょうから。序でに申し上げておきます。持論を展開したいのであれば、他人にぶら下がって難癖をつけるような振舞いはご遠慮願いたい。主張したいことがあるなら、最初から堂々とスレを立てて主張すべきです。
無題 トモ
2003年4月9日(水)22時29分
猿さんやきくがわ考房さんのご意見は最もです。国連の実態は有名無実です。しかし国連に将来を委ねるべきだとも思います。
私は概ね、はぐれ雲さんのご意見に賛同致します。今回のイラク戦争が改めて「国連」の意義を、私達に見つめ直す機会を与えたと思います。
力があってもそこに大義名分を作りださなければ、一時的な勝利を得ても本当の勝利を得ることはできないでしょう。アメリカもイラク戦争では必死になって大義名分を作り、国連の支持を取り付けようとしていました。それだけでも国連にはなんらかの未来があるように思えます。
はぐれ雲さんへ 猿
2003年4月10日(木)10時59分
最後の2行には、ぐっときました。アメリカで32年、肉食獣的のアメリカ人社会で事業を展開している中に、知らずのうちに彼らと同じような感覚を身に着けてしまったのだと思いますが、貴兄のような文章に触れると、希望という明るい2字が浮かび上がってきます。有難う。
国連平和主義者は似非平和主義者か? 猿
2003年4月19日(土)05時18分
きくがわ考房さんのお勧め、森田実記「時代を斬る」のなかに、次のような部分があります。”小泉首相は日米同盟と国際協調(国連中心主義)を対立概念のように扱い、日米同盟を優先させる。これは、日米安保条約の条文から見ると、大変大きな過ちである”
私の見解では「大きな過ち」という森田氏の表現は、ある種の人々が好んで使う「大げさな表現」だと思います。一方で、それでは国連中心主義は日米同盟を優先するのか、という疑問が同時におきてしかるべきです。この両方の議論を相互的に研究解釈することが、政治に身をおく者にとって正しい姿勢であると思います。
それでは国連憲章は法律なのでしょうか?国連憲章は法律とは認めないと言うのが国際法学者の通説です。責任体制のない社会では法律は無意味になるからです。
国連は実行力を持たないのに、持っているかのように振る舞うのは大きな問題なのですが、西洋社会ではこの種のダマシ行為は日常的であり、一方で見ているほうもそれを信じるかのように振舞います。島国で純粋培養された日本人には、西洋的処世術が理解できないために、空想を現実と見間違う危険性があります。素直過ぎるんですね。
私は国連憲章の「胡散臭さ」に問題があるとみています。憲章は人類究極の理想といいながら、実は空想なんですね。それじゃー理想と空想はどう違うんだと聞かれるとちょっと困りますが。
戦後50数年におきた大規模な国際紛争の現実の前では、この国際憲章と国連の責任ある行動は殆ど皆無でした。国連は無力な侭今日に至っています。かろうじて朝鮮戦争終焉のときにだけ、国連は役を果たしたと言えるかもしれません。
話が飛ぶようですが、旧社会党や一部民主党にはまだまだ現実に立脚しないまま空想論を説く政治家がいます。彼らは国連憲章を常に持ち出し、政府攻撃の道具に用います。その道具には何の効力も無いことを知りながらやっているのだとしたら、これは大きな問題でしょうし、知らずにやっているとしたらこれも問題です。実は、彼らこそが日本をこれまで何度も窮地に陥れてきた、と申し上げても過言ではないでしょう。
情けないフランス 猿
2003年4月20日(日)05時05分
今、フランスの経済はどん尻です。米国人の仏製品不買運動が広まって以来、輸出額は40%近く落ちました。フランス製の洋酒、香水、食物、衣類などがたちまちアメリカ中の店頭から姿を消し、NYやLAなどの大都会では高級フランス料理店が次々と消えています。
イラク戦争の前に、フランスで行われた調査では70%が戦争反対、ところが戦争が米英の勝利に終わると、手のひらを返すように55%は賛成派に変りました。戦争が要した期間はたった27日。
フランスというのは平和愛好者国家なのかと尊敬していたのですが、お金のことになると、直ぐひっくり返るみっともない国なんですね。私もワインはカリフォルニア産に変えました。
戦後の人間 はぐれ雲
2003年4月21日(月)01時44分
わたしの好きな戦後を代表する詩人に鮎川信夫という人がいる。彼の代表作というより戦後詩の代表作といえるものに【繋船ホテルの朝の歌】という詩がある。
ここには、詩人の鋭敏な感性に捉えられた戦後日本の現実が切り取られている。アメリカの占領政策の優等生と言われる日本の【戦後民主主義】が、詩人の感性では次のように歌われる。
ひどく降り始めた雨の中を おれたちの夜明けには
お前はただ遠くへいこうとしていた 疾走する鋼鉄の船が
死のガードをもとめて 青い海の中に二人の運命を浮かべているはずだった
悲しみの街から遠ざかろうとしていた ところがおれたちは
おまえの濡れた肩を抱きしめたとき 何処へもいきはしなかった
なまぐさい夜風の街が おれは明け方の街に向かって唾をはいた
おれには街のように思えたのだ ・・・・(後略)・・・
・・(中略)・・・
イラク戦争を見てもすぐ分かるのだが、作者がくぐってきた戦争がいわば【強者の論理】に支配されていたものだとしたら、戦後世界は【強者の論理】が崩壊したいわば人間的なすばらしい世界が開けるはずだった。
「おまえの濡れた肩を抱いて」という言葉には、戦争の惨禍に巻き込まれた庶民に対する共感が示されており、上では省略したが【おれはずぶ濡れの悔恨を捨てて
とおい航海に出よう】というフレーズには、彼の戦争時代の過去に対する重いが凝縮されている。
そして二人の未来には、「疾走する鋼鉄の船が」「青い海の中に 二人を浮かべている」はずであった。
しかし、現実にできたことは「何処へもいけず」「安ホテルの窓から 明け方の街に向かって唾を吐いた」だけである。
吉本隆明は、ここには【不適応な魂の象徴】があると評しているが、鮎川信夫が戦後という時代に感じたなんとなく現実に溶け込めない【異邦人】の感覚は、今から見ればさすがというしかない。
つまり、戦後民主主義といっても一皮めくればやはり【強者の論理が支配する】体制に他ならず、そのことは現在の社会ではますます顕著になっている。
イラク戦争が終わり、アメリカは日本占領政策を研究して、イラクに民主主義的体制を移植するといっている。しかし、日本には戦後民主主義をこのような目で捉えることができる人間が多数存在しており、しかもこれだけの知性と感性の持ち主が、政治家でも官僚でもなく一介の市井の人間であるという人材の層の厚さがあった。
アメリカの占領政策の優等生である日本ですら、戦後の現実を醒めた目で眺めている多くの人が存在していたのである。まして、日本とは決定的に異なる国民性・宗教観・多民族国家のイラクでアメリカのいう【民主主義の移植】が簡単に成功するとは想像しにくい。
わたしには、ブッシュ政権内部の強硬派たちに決定的に欠落しているのが、人間とか文化に対する【畏敬の念】と【想像力】と【洞察力】であると思える。
イラクの人々の戦後が【不適応な魂】の集合体にならないことを祈るばかりである。
戦争否定か肯定か 猿
2003年4月22日(火)13時15分
【バグダッド】フセイン政権時代最大の政治犯刑務所として知られるイラク中部のアブグレブ刑務所内で21日、同政権崩壊直前の今月上旬にイラク当局に処刑されたと見られるイラク人政治犯の遺体約100体が発見された。
日本の友人から電話があり、この記事を読んだ感想を述べよということでしたので、やはり米英がイラク戦をやって良かったろうと述べたら、いや米英がイラク侵略したから政治犯は皆殺されたんだ、戦争はこういう結果を招くのだからやはりしない方が良かった、と言われました。
そういう論理もあるのかなと不思議に思いましたが、戦争反対の皆さんはどう思われますか?
戦争否定 せんぺい
2003年4月22日(火)22時03分
はじめて投稿いたします。
私は戦争反対派ですが、総理がアメリカ支持したことに対しては賛成です。矛盾しているように思えるかもしれませんが、日本が反対にまわったとすると、孤立してしまうのでないかと思うからです。資源のない国が孤立してしまうのは、大きな損失になると思います。しかし、世界は日本を平和国家という認識を持っていると思うので、世論は戦争反対のほうがいいと思います。攻撃が回避されていたほうが絶対いいとは思いますが。
猿さんの投稿を拝読しました。100人の政治犯の処刑は、イラク攻撃には関係ないと思われます。サダム・フセインは反逆者は処刑していましたから。攻撃開始前のバクダッドは報道で見た限り、食べ物は豊富で活気にあふれててフセインの悪口を言わない限り、平和に暮らせる町なんだと思いました。北朝鮮とはえらい違いです。米英の攻撃により民間人の犠牲者も多く、米英に本当に感謝している市民が何人いるかが問題です。復興の段階でアメリカ敵視となれば、攻撃したことは間違いになります。復興がうまくいくことを願うばかりです。
猿さんは経済についても投稿されていました。とても参考になります。私は今の日本のシステムでは公共事業をすればするほど、財政悪化するようになっているのだと思っています。下水道整備も信じられないくらい巨額の建設費になるそうです。おそらく1haあたりの下水道整備費を調べたら、日本がダントツに高いでしょう。その背景は、癒着や談合、丸投げなどがあるからです。ここにメスを入れないと、日本再生はないですね。
猿さんの投稿のなかで「質素で礼儀正しい日本人」を見かけなくなったというのはショックですね。教育現場もひどいし、家庭教育もひどいですからね。イギリスへ留学した友人が「中国人はマナーが悪いから嫌われてる」と言っていたが、日本人が海外で嫌われるようにならなければいいのですが・・・
戦争肯定か否定かー猿さんへー はぐれ雲
2003年4月23日(水)00時31分
どうも最近は二項対立型論議が多くて辟易しますね。『戦争』か『平和』型の論議は不毛だと思います。問題の立て方を、『正義の戦争』はあるのかとすると、さまざまな意見が出るのではないでしょうか。
私自身は、絶対的な『正義の戦争』はない、と考えています。あるのは、より『正義に近い戦争』か、より『正義から遠い戦争』かだと思います。今回のイラク戦争は、より『正義から遠い戦争』の範疇にはいると思います。
イラクのフセイン大統領の圧制のひどさは、論議を待たないのですが、それに対するイラク国民の抵抗・解放戦争ならば、より『正義に近い戦争』だと思います。
しかし、イラク国民が頼みもしないのに、他国がそれを行うのは、『正義から遠い』と言わざるを得ませんね。たとえ、お話のような事実があったとしても、それを持って『正義の戦争』と強弁するのは、どう考えても正当ではないと思います。
ただ、ブッシュ政権内の強硬派(ネオコン派)の発想は、世界を自分たちのものと考えている節があります。その考えからすると、自国内の地方政府が中央政府の意向に反した政策を実行したり、反抗するのは放置できないと考えるのは理解できます。その場合、イラク戦争のアメリカの行為は、より『正義に近い戦争』と言えると思います。
しかし、この発想はウエストファリア条約以降の近代の『国民国家』という概念を完全に否定しなければなりたちません。戦争が正当化できるのは、@自衛戦争A国連安保理の決議だけという国際的通念(国際法と言っても良い)は、『国民国家』という概念が前提になっています。
だから、今回アメリカ支持を表明した国家は、国連決議678・687・1441などを取り上げて、アメリカの戦争には根拠があるという説明をしているのです。つまり、アメリカ支持を表明した国家も、『国民国家』という概念を前提にしているからそのように言わざるを得ないのです。
しかし、現実にはアメリカのネオコン派の連中は、『国民国家』という概念を認めていないのではないかと思います。だから、『国民国家』の集合体である国連の意味も認めていない、というより世界の中央政府(アメリカ政府)の行動の自由を理屈ばかりこねまわす地方政府が邪魔をする存在だと考えているはずです。
だから、アメリカ政府は自分についてくる国家を『有志連合』という形でまとめれば、もっと物事は簡単に進むと思っているはずです。
その意味で、今回のイラク戦争に対する支持か不支持かは、『国民国家』という概念を認めるか『世界はアメリカのもの』という概念を認めるか、というきわめて大きなパラダイムの転換を意味しているのだと思います。
ラムズヘルド国防長官が、ドイツ・フランスを『古いヨーロッパ』と呼んだのは、その意味で象徴的だったのです。ラムズヘルドの頭にあったのは、『国民国家』の時代は終焉した、これからはかってのローマ帝国をはるかに凌駕する『アメリカ帝国』が世界を支配する時代だというわけです。
わたしは、国民国家の時代はまだ終わっていないと考えているので、アメリカの戦争を『より、正義から遠い戦争』だと思います。
戦国時代、安国寺恵けい(漢字がでないのでご容赦)という僧が、信長を「高転びする人物」と評しましたが、この批評はアメリカにも当てはまるのではないかと思っています。
はぐれ雲さんへ 猿
2003年4月24日(木)16時49分
今度ほどアメリカ市民が興味を示さなかった戦争も珍しい。政府の情報管理が厳しいので、自由にニュースが入らないFOXやMSNBCは、懸命に政府に擦り寄って情報を得ようとしました。それですっかり政府の御用放送局化してしまい、却って市民からそっぽをむかれた感じですね。
そういう意味で、まともにブッシュの発言を受け止める者は非常に少なかったと思います。
貴兄が述べるように「アメリカの戦争を『より、正義から遠い戦争』だと思います」というご指摘は正鵠を得た意見だと思います。
アメリカが本当に人道主義に基づいてイラク解放戦争をしたというなら、また国連が本当に国連であろうとするなら、何故アフリカのコンゴをほっとくんでしょうね。もう10万人以上の市民が虐殺陵辱されたままなんです。
戦争は経済運動の一環なんだというエール大のケネディ教授の指摘があたっていると思います。もしイラクが唯の砂漠の国だったら、アメリカは90ビリオンドルを砂に捨てなかったでしょう。
なんか、真面目に戦争の是非を論じるのが馬鹿くさくありませんか。
2003/04 |