河田英正の主張 |
2000/12/09 米大統領選挙にみる「法の支配」
米大統領選挙の投票の疑問票の扱いをめぐって連邦最高裁、州最高裁での判断があいついでなされ、わずかにフロリダ州における150票ほどの差がこれからの命運を決しようとしている。一部世論は、互いの訴訟合戦に嫌気を示し始めだしているとも伝えられている。しかし、これほどまでに投票の重みを連邦最高裁までいって真剣に主張しあい、民主主義とはなにかを法的場で国民的議論ができるアメリカの民主主義の成熟と強さに感銘をうける。憲法秩序が、最高裁を頂点としてその国のあり方にまできちんと確立できる制度(「法の支配」)が生きているのである。
日本の最高裁にもアメリカと同様に違憲立法審査権がある。戦後半世紀以上を経過しても最高栽が違憲判断をしたのは10件にも満たない。著しい定数の不公正な選挙(1票の重みの差)であってもいままで違憲とされたことはない。多くの行政訴訟もほとんど原告側が勝訴することはない。行政と立法への追認と服従の繰り返しである。憲法の理念が国のありかたを規制していくという「法の支配」が日本にはまだ確立していないのである。
司法改革審議会で司法改革の方向性が審議されている。今、もっともしなければならない司法改革は、こうした「法の支配」が確立する方向でなければならない。弁護士の数を増加させて、行政、企業に弁護士が介入することによって「法の支配」が実現するとの考えは基本的に誤りである。違憲立法審査権がなぜ行使されない裁判所となってしまったのか、その原因を取り除く改革こそが今必要とされている。わかりにくいかも知れないが、法曹一元と陪審制度の実現が「法の支配」の確立のための唯一の方策であると思っている。
大統領選挙に関する報道をみながら、日本の司法制度改革の行く末を案じた次第である。
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