河田英正の主張

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2001/07/03 公開講座 河田直子

6月の最終日、30日の午後、初めて岡山大学の公開講座に行って来ました。

転居した家が、岡大のすぐ近くであることから、こういう講座を受けるのはとても便利になっています。

文学部主催の「小説の多様性ー小説の解剖学」というシリーズで、9月までの毎月一回最終土曜日に約3時間、講義がなされます。昨年も同じシリーズでパート1があったようなのですが、忙しくて行けず残念でした。

今年はそのパート2ですが、第一回目の30日は岡山大学助教授の岩松先生でした。まず、Tシャツにジーンズの茶髪スタイルに好印象!こういう先生の授業は面白そう、とワクワクしながら聞き入りました。「小説はメカニズムである」という命題のもとで、近代小説がどのようにして確立してきたかを、ギリシャ・ローマ時代にさかのぼりながら、19世紀までの流れを解説されました。

絵画においても同じことを感じていましたが、今私たちが名作と見ているものが、様々な時代の名手たちの手によって、試行錯誤がくりかえされ、今のスタイルになっている、ということを非常にわかりやすく、なお新鮮な切り口で解説されて、居眠りするひまもなく、面白く聞きました。

「小説は役に立たない、くだらなさである」「小説を書くことは、常に自分を相対化し自分の考えで自家中毒してしまわないこと」「近代小説は他人の人生を客観的に描く。たとえ自伝であっても、それを小説化することで、自分が他人になっている。ゆえに他人の立場、自分と違う立場や、異文化に寛容になる」など、など。

そして、近代小説を何年もかかって確立した西欧から、一気に明治時代の日本にそれが入ってきて、未だに日本の小説はどこまでも青春小説でしかないものが多い、とか、大人にしか書けない「稚気」をうまく書いた小説が日本にはない、なども面白い解析でした。

岩松先生によると、一つの作品の特徴をとらえるためには、別の同時代の作品と比べなくてはとらえることはできない、ということですから、すでに一回目にたくさんの本が紹介されました。また最終回も岩松先生の講義で、それまでにできれば読んでおくこと、とされている参考作品の本の多いこと!しかし、それらはいずれも90年代の日本の作ですから、できるだけ読んでみたいと思っています。

来月は日本の近代以前の散文作品についてです。西鶴の作品が中心になるようです。これもまた楽しみです。


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