2003/07/20 やはり違和感,辻本逮捕
辻本問題で問われたのはそもそも「政策秘書問題」であった。政策秘書という制度をもうけ,高額な給与の支払いを保証している。しかし,その資格自体があいまいなものであり,政策秘書の仕事も多くの場合従来の秘書と変わらない仕事をしている。言われないと誰が政策秘書かそうでないのかわからないことが多くの場合の実態だ。そのことが,辻本問題を発生させた背景にある重要な問題だ。国会は,この疑問にどう答えたか。結局何も変わっていない問題ではないか。辻本問題がどうしても違和感をもってしまうのは,問われていることが解決されないで,1個人1政党の問題としてのみとらえられているからである。一時はどのように解決されるべきか論議があったはずである。
そしてもう一つの違和感を覚える理由は,衆議院解散が政治日程にあがっている最中に,社民党にとって最もきびしい体制の中枢を狙ったものであるからである。辻本さんが,法的責任を追及されることは致し方がない。しかし,責任追及をするのであれば,もっと早い時期があったのではないか。そして逮捕の必要性があったのか。自白をとるためだけの逮捕であるとの日本特有の構造はこの場合も変わっていない。政治状況を冷酷に分析したうえでの政治的意図が働いている。辻本氏を失って,また社民党の勢力を徹底的失墜させて国会はまたまた自浄能力を減退させてしまうのかそのことが心配である。
辻本問題を契機として,いつも問題となる金と政治の関係を国会において,身内の犠牲者がでることを恐れることなく厳しくこれからも追及し,政治の信頼を取り戻して欲しい。