某裁判所某重大事件
最近の報道によりますと、とある裁判所の法廷で、とある書記官がとある弁護士に向かって「先生」と呼びかけたところ、その裁判相手ご本人(弁護士を依頼せずに自分で裁判をしていた)が、「裁判の敵方だけに対して敬称を使われたことにより精神的損害を被った」と主張され、国を相手どって慰謝料を請求する裁判を起こされた、とのこと。
思うに、この件については、様々な問題が含まれております。
1.法律的問題
国家賠償法第1条第1項にはこうあります。
「国又は公共団体の公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」さて、
(1)
この場合の「故意又は過失」とは、片方の弁護士を「先生」と呼ぶという認識だけで足りるか、あるいは、そうすることによって反対側の当事者の心を傷つけるという認識、又は認識可能性を要するか?
(2)
裁判所の法廷で、事件の当事者の片方にだけ弁護士がついている場合に、裁判所書記官が(相手方本人の見ている前で)その弁護士を「先生」という敬称で呼ぶことに、違法性ありと認め得るか否か?
(3)
書記官の行為と当事者の受けた精神的打撃とは、相当因果関係の範囲内にあるといえるか否か?等々ですが、目下裁判中の事件ですので、私的見解は差し控えます。
2.弁護士会的問題
わが岡山弁護士会の某会員は、日頃、「弁護士どうしで互いに『先生』と呼ぶのは良くない。オール『さん』づけに統一すべきだ」と主張しています。その論拠は二つ。
(1)
同業者どうしが互いに「先生」「先生」と呼び交わすのは、外部の目から見た場合、きわめて奇怪かつみっともない。
(2)
弁護士は、ひとりひとりが一弁護士であって、かつ一弁護士でしかないのであるから、互いの間に目上も目下もハチの頭もない。
この主張は、それ自体の理論的説得力、及びその先生‥もとい、主唱者の個人的説得力により、ときおりわが業界内で流行します。それにつけ思いおこすのはかのヘミングウェイの名言で、『タバコをやめることくらい簡単だ。私はもう何度もやめた。』
3.わたくし的問題
(1)
弁護士になりたてのころ、何が落ちつかないといって、この若僧が人生の先輩というべきお客さん方から、「先生、先生」と呼ばれる、これくらい気の落ちつかないことはありませんでした。ところが慣れるというのは恐ろしいもので、1年もすると何も感じなくなってしまいました。
(2) 弁護士会的問題とのカンケイでいうと、私自身は、
- 司法研修所同期生に対してはすべて「さん」付け、
- 岡山弁護士会内では、年齢に関係なく、自分より司法修習の期の古い人には「先生」、新しい人には「さん」付け、
- 岡山以外の弁護士には、原則的に全部「先生」、特殊事情によりよほど親しい人には「さん」付け、で、おおむね通しています。その理由は、一番無難そうに思われるという、きわめて情緒的なもので、理論的に攻撃されるとひとたまりもありません。
(3) あるとき、「さん」付け主義の先生‥‥もとい、主唱者と差し向かいで飲み、双方相当量のアルコールを摂取したあげく、「さん」以外の呼び方(「先生」「君」または呼び捨て)をしたら1回につき罰金1000円、というカケをしました。途中経過は私が圧倒的に不利でしたが、そのうち双方ともアルコールの摂取量が相当量以上に達し、つまりはぐでんぐでんになって、カケはそのままウヤムヤになってしまいました。ラッキー☆
4.文学的問題
『 先生と 呼ばれるほどの 馬鹿でなし 』
(1999/11/05) |