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第2回「憲法と集団的自衛権について考える会」

2000年11月22日
講師 横路 孝弘

T 集団的自衛権について

T−1 集団的安全保障と集団的自衛権

鳩山代表は、今まで次の4点を主張していると思う。
それは、

  1. 集団的自衛権の行使を憲法に明記すべき。

  2. 台湾有事の際には、米軍への支援は後方支援だけでよいのか。

  3. PKO五原則は改めるべきで、東ティモールには派遣すべきだった。PKOの派遣に際しては国益も考えるべき。

  4. 自衛隊を国軍にすべき。

の4点です。

これはいずれも党大会で決定した党の方針とは異なる点も多く、民主党支持者の中には不安な気持ちを持っている人も多いので、この点について今日は触れていきたい。

戦争の違法化の歴史的経過を見ると国際紛争解決のための戦争や国家の政策の手段としての戦争。例えば資源を確保するとか、領土を拡大するという戦争は、不戦条約(1928年)によって違法化されるに至った。

そして国際連合憲章(1945年)は、さらに広く武力行使を禁止する一方(国連憲章第2条4項)、違法な武力行使に対する制裁を行う集団的安全保障体制を構築した。そして国連憲章第7章は、その制裁の手続き、手段について規定している。

こうして戦争が違法化されるなかで自衛は、違法な武力行使を受けた国が、国連の集団的安全保障が機能するまでの間(安全保障理事会が、必要な措置をとるまでの間)対抗措置として取りうる権利として決められている。

国連憲章の第51条がその権利を個別的又は集団的自衛の権利を有すると規定している。

従って集団的安全保障は、すべての関係国が参加する集団において相互に戦争その他武力行使を禁止する取極めを締結し、紛争の平和的解決を義務づけ取極めに違反した国に対しては集団的な制裁を行う仕組みであり、多数の国がその相互内において共同として全体としての安全を保障することを本質としているのに対し、個別的安全保障は個々の国家あるいは一定数の国家が共同して他の国家あるいは国家集団に対して自己の安全を保障することを本質とするものであって、個別的、集団的自衛権はこの個別的安全保障として理解される。

T−2 実際の国際関係における集団的自衛権 

実際の条約は、NATOやワルシャワ条約機構、米比、米韓、ANZUS(アンザス)条約などがあり、例えば米比相互防衛条約では、次のような条約の規定になっている。

第4条で「各締約国は、太平洋地域におけるいずれか一方の締約国に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」としている。

そして、第5条で「第4条の規定の適用上、いずれか一方の締約国に対する武力攻撃は、いずれか一方の締約国の本国領域又は太平洋地域にある同国の管轄下にある島又は太平洋地域に置ける同国の軍隊、公船若しくは航空機に対する武力攻撃を含むものとみなされる」となっている。

つまり集団的自衛権は、自国と密接な関係にある他国が武力攻撃を受けた場合、被攻撃国を援助し共同して防衛に当たる権利であるとされている。

ところで集団的自衛権を援用したケースは次のようなものがある。

  ハンガリー動乱(1956年 ソ連)
  レバノンへの派兵(1958年 アメリカ)
  ヨルダンへの派兵(1958年 イギリス)
  チェコスロバキア「プラハの春」(1968年 ソ連)
  ドミニカへの軍事介入(1965年 アメリカ)
  ベトナム戦争(1965年 アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド等)
  アフガニスタンへの軍事介入(1979年 ソ連)
  チャドへの派兵(1983年 フランス)
  ニカラグアへの軍事介入(1985年 アメリカ)

これらのケースを見ると、ハンガリー動乱の場合1956年反ソ運動の起こったハンガリーへの武力干渉に対し、ソ連は国連においてハンガリー政府(カダル第一書記)の要請に基づき、集団的自衛権を行使したと説明したが、しかし実際にはハンガリー政府(ナジ首相)はソ連からの防衛を国連に要請していたというのが実態であるし、ベトナム戦争の際、トンキン湾事件(1964年8月)のときアメリカ連邦議会はSEATO(東南アジア諸国防衛条約)に基づく条約に従って、当事国を援助するため武力行使を含めた手段をとるように決議し、アメリカ国防省は北ベトナムに対して軍事行動をとったことについては、集団的自衛権の行使であり空爆は北ベトナムの侵略を阻止するために必要だと説明したケースなどがある(あとでトンキン湾事件はアメリカの謀略であったことが判明)。

また、1979年12月アフガニスタンに侵攻したソ連は国連安保理事会で国連憲章51条の二国間友好条約に基づく行動であると説明している。こうした過去のケースはアメリカやソ連という大国の都合や利益で行動しているケースが多く、いずれも外国からの攻撃に対して、その国を支援するという形ではなく、支援国の中の内乱・内戦や反政府活動に対する抑止・抑圧という形をとっていることに注目すべきである。

T−3 日本の課題 

いずれにしろ今日本が集団的自衛権を行使できるようにするとすれば、アメリカと相互防衛条約を結んで、米韓相互防衛条約やアンザス安全保障条約のような規定をすることになる。しかし、先述の集団的自衛権を援用したケースや安全保障条約をみればわかるように、これは冷戦時代に拒否権が濫用されて、国連が機能しなかったために、集団的自衛権に基づく安全保障体制が強化されたという経緯がある。

集団的自衛権自体が、冷戦時代の産物ともいえる。冷戦が崩壊して各国の紛争の形態も変わってきている中でこれからのテーマは「個別的安全保障から集団的安全保障へ」にある。集団的自衛権は個別的な安全保障の仕組みであり、そこから集団的な安全保障の仕組みへ課題は移ってきている。その集団的安全保障の仕組みをどう作るのか、ということが大きな課題ではないかと思う。

T−4 日米の集団的自衛権の妥当性 

アメリカはグローバルな展開をしているパワーであり、そのようなパワーと日本が集団的自衛権の行使を相互に取極めること、いわば日米安全保障条約から日米相互防衛条約に変わってくることは、一つはやはり仮想敵国をもつことになる。相互防衛条約はどこを相手にどの国、どの集団が結ぶかということが問題になる。アンザスも米比も米韓もやはりソビエトを中心とした東西冷戦構造の中でできあがった西側の対抗手段の仕組みの一つだ。いま日本がアメリカとの間に安全保障の相互防衛条約を結んで集団的自衛権を行使できるとしたときに、アジア特に中国には相当な警戒心が強まって、軍備拡大競争になってくる可能性がある。個別的な安全保障というのはやはり両岸の堤防みたいなところがあって力の均衡・バランス論にどうしてもなってしまう。そうするとこちらが強まるとその相手方も力を強めていくということになって新たな軍拡を引き起こしかねないと思う(注1) 。また、アメリカはグローバルに展開しアジア諸国の間にも様々な二国間条約をもち、台湾への国内法などもある。

アメリカがこれらの国との間で自衛権を発動したとき日本も同じように自衛権を発動する仕組みができるということは、本当に日本はそれでよいのか、アジアの戦争に参加することになる。さらに中国と再び戦争を行う可能性が生まれることが、21世紀の日本の選択なのだろうか。さらにアメリカと日本との今までの関係をみれば日本がアメリカの下請けの仕事をさせられるのもはっきりしている。

アメリカが日本の経済政策の基本について、やれ公共事業を増やせとか、減税しろとか、不良債権をはやく処理しろとか言ってきていることを考えると(他の国にそんな発言を米国は行っているだろうか)、今の日米関係の中で相互防衛条約を結ぶことは、ますますアメリカの下請けになるのではないだろうか。われわれは基地を提供して思いやり予算を出して、さらにガイドライン法ができて、周辺事態については後方支援をするということになっているのだから、日本の義務とアメリカの義務とで充分バランスがとれていると思うから、私は集団的自衛権の行使を可能にすることには賛成できない。

(注1)特に中国との関係を十分に考えるべきであると思う。鳩山さんが台湾海峡の問題に触れられたが、微妙な地域の問題(日本とアメリカもふれないようにしている、あるいは日本もアメリカも台湾は中国の領土の不可分のひとつである、という中国側の主張を理解している)であり、その地域について、政治家がこれほど発言されたことは多分ないだろう。そこまで踏み込んだ発言というのは政治家としていかがかと私は疑問に思っているし、何を考えて発言されたのかわからない。

U PKOについて

U−1 国際社会におけるPKO 

それからもうひとつ、PKOの問題がある。国際社会の平和的秩序を維持する活動に日本がどのような協力ができるかという問題であり、集団的安全保障をどうするか、という話である。

従来の国連PKO活動は、国家間の紛争が落ち着いて、停戦が合意された後に紛争が再発しないように監視団を送るという形式が一般的であったが、冷戦が終わってから今の状況というのは、それぞれの国の内部問題、つまり国の中で内戦が起きている。虐殺が行われていたり、国の中が飢餓状態になって難民が流出していたりという問題がほとんどです。

内政不干渉というのが国連憲章の大きな柱でありますが(第2条7項)、しかし内政だからといって虐殺が行われていたり餓死者が出ていたりするのを放置していいのかという問題意識から、やはり国際社会はそれを放っておくことはできませんということで、今までいろいろなかたちのPKOを出してきた。もちろん失敗したケースもある。たとえばソマリアの第二次派遣のように、いったん停戦が合意された後に大きな二つの勢力・集団が争っていた中で、結局ひとつの集団と派遣したPKOが全面的な戦闘というか武力紛争に突入し最後は撤退したというケースもある。このソマリアやルワンダなどの場合、原因は貧困である。部族間の紛争や民族間の紛争などさまざまなかたちをとっているが、ベースになっているのは貧困。ですから貧困を抜本的に解消しない限り紛争は終わらない。その貧困をどう解決するのかが一番大きな課題です。軍事力が貧困を解決することにはならない。国内の統治組織が崩壊しているケースが多く、PKOの任務も警察や消防や司法、行政など様々な分野に広がっていることを認識しなければならない。

PKOも国によって派遣にかかる状況や条件がそれぞれ全く違う。日本のPKO五原則は日本の特殊な原則ではなく国連PKOの原則である。国連PKOの原則と日本の五原則との違いは武力行使のところにある。集団的安全保障の枠組みの中で日本が参加する場合に問題になるのは、海外の紛争を解決するための武力行使を禁止している日本国憲法の規定との関係である。そこで武力行使をどこまで認めるのかということで日本のPKO五原則はいわば正当防衛と同じような、自分を守るための武力を行使することは認められる。国連の場合はそれにもう一つ、国連PKO活動を妨害するものを排除するのに使っていい、というのが付け加えられている (注2)。なおその他の要件での停戦や合意などは相変わらずPKOの原則であることを忘れてはならない。特にソマリアなどへPKOを派遣した結果、やはりその地域が受け入れる体制がなければいけないことや、停戦が合意されていないと片方に肩入れして国連が敵を作って武力行使することになることなど、国際社会も経験を積んで学んできている。

つまり日本のPKO五原則を全面的に変えてしまおう、というのは国連の原則にも反することになり妥当ではない。問題はその武力行使をどの範囲まで認めるのか、ということではないか。PKOの活動のうち何が必要なのか、どこに重点を置くべきかなど、その国によって判断して派遣するということが必要になってくる。たとえば東ティモールの場合では新しい統治機構をつくろうと大変な努力をしているので、そのための人の派遣をもっと行うべきだと私は思う。

PKOを派遣して行うことは多岐にわたる中で、自衛隊の派遣だけがPKOの全てであるかのような議論というのは考え直す必要があろう。

(注2)なお最近も事務総長の要請に応じて提出されたパネル報告書の中では、現地当事者の同意、不偏不当の姿勢ならびに自衛手段に限定した武力行使は平和維持の基本原則であり、続けるべきということで一致している。しかし、和平合意を守っているもの、違反しているものを平等には扱えないとして、武力行使のあり方の議論をしている。

U−2 自衛隊とPKO 

自衛隊は国軍へという意見がある。自衛隊はもう既に世界有数の予算を使い、これほど大きな軍事力を持っている、従ってこの現実を正面から憲法で認めよう(そのために改正しよう)、という意見がある。問題は、そのときに今の憲法の前文と9条を前提として出来上がった日本の自衛隊についてのいくつかの原則がある。その原則が揺らぐことを私は心配している。

たとえば「専守防衛」や「自衛権発動の要件」、「非核三原則」、徴兵制度はとらないとか、攻撃的な兵器あるいは航空母艦や中距離ミサイルは持たない、武器輸出三原則で制限を大幅に加えているなど、いろいろな原則がある。これが9条を全くなくしてしまって新しく自衛権の存在を認めるという規定に変えたときに、今まで50年間議論してきたこれらの原則はどうなるのか。純粋に軍事論から言えば、例えば攻撃は最大の防御だから、航空母艦を持とう、中長距離ミサイルを持とう、あるいは場合によっては核を持たないと抑止力にならない、ということで核を保有しよう、とか純粋に軍事論だけで安全保障の議論をするといろいろな議論ができてしまう。いま日本の国が持っている「専守防衛」や「非核三原則」などこれら確立した原則が崩れ去るのではないか、と心配する。

日本の場合は日本の国が攻撃されたときにきちんと防衛できる程度の軍事力を持っていればいいわけで、アメリカのように世界の警察官だといってあちらこちらで軍事力を使うということを考える必要は私は全くないと思っている。

あとは国際的な集団安全保障の中で日本がどういう協力をしていくのか、ということについて、特にPKOへの協力の議論を進めればよい。それは憲法の9条や前文を変えるとか集団的自衛権を明記するとかという話とは違うのではないか。

V 最近の世論調査 

党の方針は「私たちの理念」というペーパーを参照されたい。これは現在の民主党結党の理念であり、一番議論したのは基本理念の外交安全保障のところである。これは結党することでいろいろな考えをもつ人々が一緒になったのでどういう政策をとっていくのか、分野ごとに基本的な柱をつくった。この防衛政策のところで、「専守防衛に徹し集団的自衛権を行使しないこと」「非核三原則を守ること」「海外における武力行使を行わないこと」など戦後の諸原則を今後も遵守すると決めた。というのは今までの議論の積み重ねを大事にしていこう、ということを意味する。これは結党大会のときに決めた基本方針であり、そしてこれをさらに具体化するための議論をおこない、安全保障政策で詳細について書かれている。

また毎日新聞の憲法についての世論調査ですが、憲法改正について賛成が43%、反対が13%という数字になっている。しかし、どこを改正するのか、今まで憲法がどういう役割を果たしてきたのかも合わせて考えねばならない。憲法の果たしてきた役割をみると、「平和国際維持」「基本的人権の尊重」「健康で文化的な生活」というのが憲法の果たしてきた役割とされている。どこを改憲するのかをみると、1番目が首相公選について、その次が国民投票、3番目が知る権利となっている。これは、どこで決まるかわからない総理大臣、数の力で強引に決まる法律など、今日の政治に対する国民の不信感の強い表れです。

そして第9条ですが、「自衛のための戦力明記」とか、「非武装中立をより明確に」「現在の条文をそのまま」「戦争放棄条項削除」と続きます。改憲賛成が4割で、反対が6割ぐらいである。自衛隊の海外派遣についてみると「海外での武力行使を認める」「海外での武力行使を認めない」両方とも民主党支持層のほうがはっきりと対立が現れている。これは大体3割が認め、7割が反対といったような数字になっている。

私は、いま国民が憲法改正を求めているとは思わない。わが党の代表の一番の仕事は政権交代をめざして党内の意見を結集して、国民が関心を持っていること、国民生活に関わること、あるいは構造改革といわれていることについて具体的に提起をすることではないだろうか。


2000年11月22日

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