江田五月 活動日誌 2000年6月(21〜30) | >>日程表 |
今日は、新幹線で広島へ。10時過ぎに呉市の佐々木修一さん(広島5区)の事務所に着き、街頭演説2ヶ所。本隊車にも乗り、昼食後は、連合本部の笹森事務局長、吉田之久参議院議員と一緒に、街頭演説会。
その後、西尾政英さん(同1区)の事務所へ。笹森さんと一緒に、街頭演説会と連合広島を中心とした個人演説会。「2000年、2000人集会」と銘打って、色々趣向を凝らし盛り上げていました。私のHPでおなじみの栗原君も来てくれていました。ボランティアで手伝ってくれているとのこと。多謝。
夜、久しぶりに自宅で遅い夕食。鍋をつつきました。明日から最後の3日間です。
昨日と今日、各紙一斉に世論調査の結果を報じています。自民が安定多数の勢いで、民主は伸び悩みだとか。各社も練り上げた手法で調査しているので、根拠のあることだと思いますが、選挙はマスコミが決めるのではありません。あくまで有権者の投票が結果を決めるのです。前回の参院選の例もあります。たなぼたはありません。最後まで努力するのみです。全力を尽くします。
今日は、朝7時半からJR高島の駅頭で中桐伸五さん(岡山2区)と乗降客に朝の挨拶。8時から本隊車に乗り込み、スポット演説8ヶ所。そぼ降る雨の中ですが、みな張りきっています。
JR西大寺から米子市へ。山内功(おさむ)さん(鳥取2区)とともに、雨中の街頭演説4ヶ所。山内さんは、傘もささずびしょぬれ。6時半から「燃えて、動いて、変えよう日本!鳥取集会」と銘打った個人演説会。通路には座り客、後ろには立ち見客と、1800人が会場に溢れて大盛況でした。連合鳥取の重田会長の大号令につられ、私も20分弱、挨拶に力が入りました。山内さんもコンパクトに力のこもったお礼とお願い。勝てるんじゃないかな。
岡山まで2時間半、車で送ってもらいました。
森首相が、「このまま寝てしまってくれれば…」と失言。「神の国」失言といい、やはり森さんは民主主義があまりお好きじゃないようですね。
「森内閣不信任案」は、国会では少数派でしたが、国民では多数派。森内閣支持率は2割弱、不支持が6割ですから。
有権者の出番なのです。この総選挙の国民投票で、内閣不信任案に決着をつけるのも、今回の選挙の課題です。いよいよ最終盤です。頑張ります。
今日は、朝8時から樽井良和さん(岡山3区)の本隊車で、備前市内をスポット演説7ヵ所。樽井さんが元気いっぱい。初日の津山市だけしか応援に行けておらず、ずっと気になっていたので、まず一安心。反応は、確かにみんなが言うとおり、なかなかいいです。
昼からJRと新幹線で大阪へ。山本孝志さん(大阪14区)の本隊車で、八尾市内を街頭演説5ヵ所。JRで新大阪へ。淡路で、稲見哲男さん(同5区)と街頭演説。どちらもつばぜり合いを演じています。
新幹線で新神戸へ。石井一さん(兵庫1区)の個人演説会2ヵ所。2ヵ所目は木造の古い小学校の講堂。懐かしい床の油のにおいがして、びっくりしました。聴衆は600人。老若男女さまざまで、石井さんの支持層の厚さを示しているのでしょう。しかし状況は予断を許しません。頑張れ。
心配した雨には遭いませんでしたが、暑かったですね。夜は、明日に備えて、総社市泊。
今日は、いよいよ総選挙最終日。泣いても笑っても、今日でおしまい。朝8時から、はたともこさん(岡山5区)の本隊車に乗って、総社市内を5ヶ所スポット演説。爆発的とはいかないものの、なかなか良い反応です。はたさんは元気一杯。声がかれないのです。若さでしょうか。結果が楽しみです。
10時半から、熊谷裕人さん(同4区)の本隊車に乗って、倉敷市児島と水島を走り、街頭演説2ヶ所。確かな手応えを頂きました。これを結果にどう繋げるかです。さすがの熊谷さんも声がかれていました。
新幹線で岡山へ。2時半から、河田英正さん(同1区)の応援。スポット演説の後、河田さんが歩いてお願い。私は本隊車でマイクを持って併走。その後本隊車に乗って、岡山市内をスポット演説6ヶ所。河田さんはがらがら声になっていました。
最後は6時から最終まで、中桐伸五さん(同2区)の本隊車に乗って、スポット演説5ヶ所。7時過ぎからバケツをひっくり返したような土砂降り。エイッと、泳いだつもりで覚悟を決めたら、本当に財布や手帳までびしょぬれになりました。打ち上げの後、風呂に直行。
岡山県は5選挙区とも、非常に厳しい選挙状況です。最後まで手を緩めません。
今日はいよいよ投票日。10時ごろ起きたら、かなりの雨でした。投票率を心配しながら、昼過ぎから、宿題になっていた書道展の作品作り。恒例の玉龍会展は、私の高校書道部関係の同人の会で、恩師の河田一臼先生は引退され、高校1年上級の曽我英丘先生が会長。政治状況がこれから困難を極めるのではないかとの予感から、「穿つ」という意味の古い字を書きました。道文会展は、小野桂華先生の会で、今回初めての出品です。「道」を草書で。
4時ごろ投票。雨があがったので、行列ができていました。しかし投票率は思わしくなさそうです。
今8時。これから5つの選挙事務所廻りに出かけます。帰りは午前3時ごろでしょうか。
完敗
ただ今午前3時半。やっと帰ってきました。
岡山県は、完敗。最後に、中桐さんの比例区復活なしで、惜しくも落選が決まりました。
しかし岡山県は、5つの選挙区に全て候補を立て、他の県での比例復活について、縁の下の力持ちの役割を果たしました。
決して自らを卑下することなく、これを土台に次の飛躍を果たしたいと思います。21世紀は民主党です。
今日は、午前4時就寝、7時前起床。7時半から恒例の駅前街頭演説。1区の河田英正さん、5区のはたともこさんも駆けつけてくれました。
私は、総選挙の結果につき、取りあえず気の付くことを40分ほど話しました。自民党を軸とした政権に対し、もう一つの政権の軸として民主党があるということが、国民によって認められました。やっと本格的2大政党時代の到来です。しかし民主党も、政権を託される所までは、まだ行きませんでした。候補者を見ると、自民党は下り坂、民主党は登り坂であることは明らか。これからが大切です。岡山県でも、同じことがいえます。
9時半から事務局会議。マスコミ用コメント作成。HPの表紙にも掲載しました。河田さん、はたさんが、お礼の挨拶に見えました。11時過ぎからテレビの短いインタビュー。
昼前、連合岡山などに伺ってお礼の挨拶をし、新幹線で上京。車中爆睡。
夜、商業労連の結成30周年レセプション。連合の鷲尾会長、笹森事務局長、もちろん商業労連の南雲会長と挨拶。その後、菅政調会長と久しぶりにゆっくり、夕食を共にしながら話しました。
今日は、新記録達成。400ヒット/1日に届くか。
みごと栃木1区で船田元氏を破った水島さんから以下のようなメールが届きました。
From: 水島広子
Sent: Tuesday, June 27, 2000 3:53 AM
Subject: 当選御礼
皆様こんにちは。水島広子です。
このたびの衆議院議員選挙におきましては、皆様方から並々ならぬご支援をいただきまして本当にありがとうございました。おかげさまで栃木1区小選挙区にて当選することができました。これもひとえに皆様方一人一人の暖かく、そして力強いご支援のたまものと心より感謝を申し上げます。
思えば昨年10月、民主党の公募候補として、栃木1区で活動を開始した当初は、「この地では絶対に勝てませんよ」などと言われることもしばしばでした。
しかし、8カ月にわたり、街頭演説、ミニ集会などで政策を訴え続け、また、数多くの方々と直接会話を重ねることにより、徐々にご理解とご支援をいただけるようになりました。選挙戦では、常に「子供たちに希望を与えられるような選挙」ということを念頭に置き、政策のみを訴え、一般市民、県内外のボランティア、連合栃木、簗瀬進後援会の方々の力を結集して正々堂々と戦ってまいりました。そして、みなさま方の昼夜を問わぬ精力的な活動やご支援の結果、盤石の地盤を誇る現職候補を破って勝利するという信じられない快挙を成し遂げることができたのです。
これもひとえに、みなさまの深い見識と、「何としても政治を変えたい」という熱い思いの結果だと思います。心より敬意と感謝の意を表したいと思います。
みなさま方からいただいた10万7千634票の重みと1票1票に込められた熱い思いを全身で受け止め、「全ての国民が生きる喜びと誇りを感じられる、明るくモラルの高い社会」の実現のために、全力で国会内外における活動を行っていきたいと思います。どうか、これまで以上のご支援・ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
2000年6月26日
民主党栃木1区支部代表 水島広子
今日は、久しぶりにゆっくりと朝寝。とろとろまどろみながら、10時まで惰眠をむさぼっていました。部屋の片づけ、風呂の掃除などの家事をしたり、新聞を読んだりして、昼過ぎまでのんびり過ごし、1時半頃、議員会館の事務所へ。
メールや郵便の整理や来客の応対。応援のお礼の電話など。結構応接も忙しいのです。体がだるく、まだ声も復調せず、岡山の皆さんはお礼の挨拶まわりで忙しくしているのに、申し訳ないことです。
落選した自民有力者の秘書さんの話。「途中で危ないとの情報が入りましたが、もう遅かったです。本人も顔をひきつらせて、必死のお願いをしましたが、どうにも成りませんでした。そういえば、最近全然地元に帰っていませんでした。自民党に復党した上、応援団に公明党まで加わったのですし、相手は民主の無名新人ですから、安心しきっていました。」
地元紙の記者さんがみえたので、つい愚痴。「だいたい地元マスコミは…」などと、言ってはならぬことを口走り、反省。それにしても、記者さんは冷静ですね。議論をふっかけてみたのですが、冷笑されただけでした。
今日も終日、書類整理と来客応対。机の上の書類の山が、おおむねきれいになりました。返事のはがきを、40枚ほど書いたでしょう。昼過ぎ、衆議院に出向いたら、ちょうど記者会見直前の鳩山代表、羽田幹事長に会うことができ、岡山の敗北のお詫びを申し上げました。
衆議院会館は、落選した人の引っ越しで大わらわ。廊下に素晴らしい事務用機器が積まれています。拾ってもいいんだそうですが、窃盗になってはいけないので、やめておきました。
ところで、選挙が終わったら途端に、「国民の税金を銀行へ」という話が出てきました。
「日本長期信用銀行(長銀)」が破綻し、「特別公的管理」に付されて、「新生銀行」となるのはご承知ですね。この銀行が百貨店大手のそごうグループに対し、2000億円の債権を持っていました。そごうは、経営不振のため、その他の取引銀行に対してと共に、新生銀行に対しても、その内970億円の債権放棄を求めていたのです。
この2000億円の債権を、預金保険機構(国の機関)が、額面で買い取って、その内1030億円の返済を優先的に受ける約束と引き替えに、残りの970億円の債権放棄に応じるというのです。結局970億円は、国民の税金が新生銀行(またはそごう)につぎ込まれることになるわけで、さらに1030億円も、未払いになれば税金が使われます。
そごうが「債権放棄を求める」というと、そごうの方が偉いみたいですが、「債務免除をお願いする」こと、つまり「まけて下さい」ということです。「究極のモラルハザード(経営倫理の喪失)」ですね。選挙が終わるのを待っていたように出されるとは、国民もなめられたものです。なめているのは、官僚と自公保政権です。国会の議論は、秋の臨時国会までお預け。有権者は、それまでには忘れるだろうというわけです。
今日も、主として議員会館でデスクワーク。12時から、弁当付き会議。私などが応援した候補者で、落選した人の後始末のお手伝いや、当選した人のスタート台のお手伝いについて協議。後輩の面倒を見るのも仕事です。
副議長人事が問題になっています。議長は第1党からで、自民党の綿貫さん。副議長は第2党からで、民主党の石井一さん。と思いきや、野中広務自民党幹事長がいちゃもん。民主党からで良いが、人を変えろというのでしょうか。石井・野中バトルは記憶に新しいところですが、そんなことで文句を言われて降ろされるようなら、与野党の緊張した議論はできません。いつも与党の顔色を気にしながら、おざなりの八百長質問をするしかできなくなります。特別国会冒頭で、断固として筋を貫くべきだと、私は思います。
参議院補欠選挙に三重県選挙区で無所属で当選した高橋千秋君が、挨拶に来られました。彼は、現在四日市市長で私と司法研修所で同クラスだった元参議院議員、井上哲夫さんの秘書でした。そんな関係で仲良しで、民主党・新緑風会の会派に所属することになりました。
福岡5区で落選した松本惟子さんも。大変だった苦労話を聞きました。
午後、1時間ほど図書館にこもって、「市民が主役の司法へ」と題する民主党の司法制度改革の案を、検討しました。まだ、「はじめに」というところ止まりです。
夜は、東京から岡山に応援に行って貰った皆さんのご苦労さん会。浅草で牛鍋をつついて、一杯飲みました。
今日は、議員会館で来客応対。広島県選出の菅川健二参議院議員がご挨拶に。広島県民主党は、7区で山田敏雅さんが健闘し、比例区当選。私も応援に行きました。岡山県民主党としては、そのあおりで中桐さんが当選を逸しましたが、それはこちらの非力ゆえで、仕方がありません。
広島県はさらに、2区の粟屋さん、3区の増原さん、比例区で社民党の金子さん、自由党の佐藤さんが、非自民で当選しています。宮沢元首相を加えれば、衆議院議員11人中、自民6人、非自民5人。岡山県は衆議院議員全員が自民党になってしまいました。両者の違いは著しいものがあります。考え込んでしまいます。
総選挙の結果について、面白いHPを発見しました。東京24区で当選した阿久津幸彦さんのHPの掲示板に書き込みがあったもので、選挙情報専門サイト<ELECTION>です。特に、「第2回世論調査結果発表」の「集計結果の詳細」をクリックすると、全候補者の結果が出ており、年齢別と支持政党別が特に面白いです。ぜひ見てください。
昼から、国会議事堂の4階にある国会図書館の分室にこもって、司法制度改革の原稿書き。それでもまだ、半分ぐらいしかできていません。法曹人口の増大、法曹一元、陪・参審などを、大胆に提案したいと思っています。
夜、空路故郷。久しぶりに妻と食事。
江田五月 活動日誌 2000年6月(21〜30) | >>日程表 |