江田五月 活動日誌 2001年6月(1〜5) >>日程表 ホーム総目次6月目次前へ次へ


6月1日(金) 議員総会、本会議、ハン議懇総会、法務、弾劾、取材s

今日は、9時半から議員総会。鳩山代表が出席し、檄を飛ばされました。議員から、クエスチョンタイムで頑張るよう、激励が相次ぎました。

10時から本会議。弁護士法などの採決の後、山下八洲夫さんがJR法につき代表質問。清算事業団の負債増加を見ると、国鉄改革に疑問が残ります。

11時から1時間、「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」の第3回総会。判決確定後は初めてで、原告団、弁護団、全療協、取材陣などで大盛会でした。金田誠一さんの司会で、私が会長挨拶。控訴断念に向けた議員の皆さんの協力に感謝し、国会決議と支援立法のため、一層のご努力をお願いしました。各代表の発言の後、議員から国会決議を求める発言が続きました。橋本龍太郎さんが終始ご出席で、初当選以来のかかわり、長島架橋の苦労などを話され、国会に立法不作為の責任はあり、決議はすべきだと強調されました。「江田さんとは、よく喧嘩もするが、この問題では同じ意見です。」と言われ、恐縮しました。最後に私が、まとめの挨拶をしました。

12時半から、法務理事懇談会。中間法人法案ですが、社民党が委員会への付託を認めず、来週の審議日程が不透明です。

夕方、裁判官弾劾裁判所事務局の皆さんが来室。谷川訴追委員長の記者会見の報告です。今日の訴追委員会で、最高裁の主張のとおりなら訴追事由があるということで、委員の意見が一致し、証拠集めを始めることになったとのこと。弾劾裁判所は、刑事裁判並みの裁判をするので、証拠集めは予断を持たず、慎重且つ入念にして欲しいものです。

昨夜の懇親会は、民主党から私ほか3人、相手は自由党の小沢一郎さんほか3人でした。今朝のNHKニュースで流され、取材が相次ぎました。河村たかしさんの努力で実現したもので、全く私的な一杯会です。民主党は一番大きいのだから、しっかりしてくれないと、中がごたごたすると困ると言われ、私たちも同じ思いで、鳩山代表を支えると言いました。鳩山さんにも、その趣旨を伝えました。

原稿書きなどして、19時前の新幹線で帰岡。



6月2日(土) 幹部協議、さつき展、倉敷五月会、選挙方針

今日は、8時50分から民主党県連内の取り組みにつき幹部間で協議。9時半から関係団体の挨拶まわり。

さらに引き続き、幹部間協議。その間を縫って、12時から岡山市内の愛好家によるさつき展へ。今年で22回目だそうで、見事なさつきをたくさん咲かせておられました。

18時から、倉敷市で「江田五月会」。質疑も含めて1時間ばかり、最近の政治状況と私の活動について、話しました。出席者の話。「郵政OB会がありました。幹部が言うのに、総務大臣は、小泉内閣の閣僚だから苦労しているが、本当は郵政民営化反対で、必ず頼りになるから、是非支援して欲しいとのこと。それはおかしい、ごまかしてはいけない、小泉首相に手紙を書いて聞いてみると、私が詰めたら、何も言えなくなりました。彼らは大いんちきなのです。民主党は、小泉首相の頭を引っ張って欲しい。」

20時前、親族の通夜。20時過ぎから、更に幹部間の協議。

小泉首相の解散否定の言明、国会閉会後の首相の外交日程、衆院定数是正についての首相方針に照らせば、同時選挙の可能性はなくなったと思います。そこを割り切って、県連、総支部の全てのエネルギーを、参院選の取り組みに集中します。総選挙の取り組みは、参院選後に開始します。



6月3日(日) 京都・前原企画(懇親会s、NPO、街頭、松井、高見、錦織)

今日は、10時過ぎの新幹線で京都へ。前原誠司さん企画の一日でした。

まず、11時半から山科区の後援会の「水無月まつり」で挨拶。「小泉人気は、改革への期待ですから、決してうろたえることはありません。帆の張り方次第では、民主党への推進力にもなります。前原さんは、それが出来る人です。」大盛会の立食パーティーで、300人ぐらいかな。参院選で走り回っている予定候補では、選挙区の松井孝治さん、比例区の高見裕一さん、錦織淳さんの奥さんが参加。それぞれ挨拶がありました。父・江田三郎を支持していたという人も多く、最後は抽選のくじ引き役もしました。

14時、お世話になった高坂正尭先生のお墓参りに、黒谷の光明寺へ。テレビでよくご一緒したほか、江田五月会の企画のパネリストとして岡山まで来てもらったこともあります。お墓が込み合った大墓地団地の中の小さなお墓で、庶民的な先生のお人柄をよく表していました。ご自宅へ伺いましたが、留守。

15時過ぎ、NPO政策フォーラム。少人数で税制の話をしました。山井和則さん、松井さんもご一緒です。パブリック・サポート・テストの話を試みましたが、やはり話が込み入ってむつかしいですね。

16時45分から1時間、山井さん、松井さんと一緒に街頭演説。皆、たいしたものです。私は、ハンセン病国会決議の話をしました。「せっかく小泉首相が決断しても、自民党と、その背後にいるお役人は、何とかギアを逆方向に入れようと粘っています。これが今の政治を象徴的に表しているのです。自民党を応援すると、小泉改革の足を引っ張ります。前へ進めようとしているのが民主党なのです。」

18時半から、前原さんの学区後援会の懇親会「水無月の夕べ」で挨拶。小学校区という狭い地域なのに、200人ほどで大盛況。感心しました。福山哲郎さん、松井さん、錦織夫人もご一緒でした。20時過ぎの新幹線で上京。おいしい弁当を持たせてくれ、車内で頂いた後は居眠り。充実した1日でした。



6月4日(月) ハンセン病決議、死刑廃止、筒井さん、朝生パーティー

今日は、1日中ハンセン病国会決議にかかりっきりで、最終的に暗礁に乗り上げ、がっくり来ています。

10時から、衆議院の民主党国対の部屋に入り、赤松国対委員長、伊藤忠治議運筆頭理事らと、文案の詰め。先週、ハンセン病問題議懇の野党の役員と詰めの協議を行い、与党の言うとおり最高裁判決への言及も加え、何とか原案をまとめたので、これをたたき台に、電話連絡などでぎりぎりの接点を探りました。

最高裁判決は、国会の立法活動で損害賠償責任が生ずる場合として、「…ごとき、容易に想定しがたい例外的な場合」が存在することを認めています。熊本判決は、本件が例外的な場合に当たるとして、立法不作為による賠償責任を認めました。だから国会が、最高裁判決に照らし、熊本判決を厳粛に受け止めれば、立法府の責任を自ら認めたことになります。ところが与党は、最高裁判決を立法府の責任を否定する判決だと解釈し、最高裁判決はあるけれども、今回は特殊事情で、熊本判決を受け止めるというのです。

「照らし」、「照らしつつも」、「照らしつつ」と変転し、壁を乗り越えられないので、言葉を変え、最後は「理解しつつ」で何とかならないかというところまで来ました。「(前略)ハンセン病患者に対する隔離政策により、多くの患者、元患者が人権上の制限、差別等により受けた苦痛と苦難に対し、深く反省し謝罪の意を表明するとともに、(中略)亡くなられた方々に哀悼の誠を捧げる」という文言が入り、次いで上のような文脈で国会の責任が織り込まれれば、ぎりぎりの接点を探り当てられたかなと思いました。

しかし、他の野党や弁護団の合意は得られませんでした。もともと国会の責任を認めない与党との接点を探ることに無理はありました。しかし国会は、意見の違うものが合意をする場ですから、無理を承知で合意形成の努力することも必要なのです。芸当のような文章でも「反省と謝罪」があれば、大局的見地から国会決議をした方がいいと思いました。私には、微妙な文言の違いは、永田町というコップの中の争いのような気もするのですが、これでは国会の責任を読み取ることは無理だといわれれば、反論はありません。無理なものは無理。合意が出来なければ仕方ありません。最大の障害は、立法不作為の責任を認めない自民党と、これを裏で操る官僚です。そのことははっきりさせておきます。

その間を縫って、11時から25分間、死刑廃止議員連盟の議員6名で、森山法相に会い、死刑執行しないこと、刑場を国会議員に見せることなどを申し入れ。凶悪犯罪多発ですが、私はやはり、寿命が尽きる時期は天に任せることとし、人が下す最高刑は終身刑とすべきだと思います。団藤重光先生の教えを大切にします。森山法相は、刑場視察には前向きの感じでした。

13時45分、筒井信隆さんの後援会の皆さんが大勢、国会見学に来られたので、挨拶。14時45分、遅れて法務部門会議に。会期末で緊張してきます。

17時から、ハンセン病議懇の野党関係者の協議。30分程度で、司法、行政にならって、立法もまず元患者の訴えをを直接聞いて、その上で決議のことを考えようということにし、今日の合意は無理との結論を出しました。その後は補償立法の野党案の検討。姿が見えてきました。19時、朝まで生テレビの15周年祝賀パーティーへ。懐かしい顔ぶれが揃って、大盛況でした。



6月5日(火) 芸術、法務委、常幹、司改議懇、高比良さん、ハンセン立法

今日は、8時からの芸術文化基本法WTに遅れて参加。芸能実演家の就業状況の実態につき、関係者からヒアリング。ドイツやフランスの例を参考に、日本でも、事故や失業についての共済制度、医療保険や年金の制度が必要です。

9時50分、法務理事会。10時、法務委員会。中間法人法案の趣旨説明。7日に、参考人聴取と質疑を行い、私が質問に立ちます。

10時10分、常任幹事会。参院選の比例区に、新たに5人の公認候補を擁立。第2院クラブの佐藤道夫さんのほか、女性4人です。これで比例区は、男性14人、女性10人となりました。「女性の元気が日本を変える」を実現しようと必死です。

12時から、「司法制度改革推進議員懇談会」の第1回総会。12日に政府の司法制度改革審議会が最終答申を出すのに先立ち、足を引っ張りそうな勢力を牽制しながら、政治の場で、「市民の司法」実現のために、超党派で活動しようというものです。会長は保岡興治さん。私は幹事で、中心的なメンバーの1人です。審議会の佐藤幸治会長から15分間ご挨拶を頂きました。

12時50分、常任役員会に駆けつけましたが、終了。小学校以来の竹馬の友、岡知範君が顔を見せに来ました。15時半、内閣法制局が明日の憲法調査会の打ち合わせ。16時から、NPO国会議員夢ネットの第2回会合。比例区の高比良正司さんを支援する会で、私は責任者です。公選はがき、ポスター、集会などの取り組みを相談しました。全国に夢ネットが、小さなのも含めて500以上、広がってきたようです。ポスターも良いのが出来ました。

17時過ぎ、自民党の大島国対委員長が民主党国対へ、ハンセン病補償立法の与党原案をお持ちになり、小沢国対副委員長と一緒に受け取りました。意見を容れて手直しする用意ありとのことですが、前文だけで、本文はダメ。直ちに議懇の野党役員が集まり、17時半から2時間、集中的に検討。やはりいろいろ、前文にも本文にも、問題が出てきました。明日、野党の意見をまとめます。


東ティモール難民の帰還について   藤田人

一昨年、江田議員と一緒に東ティモールを2回訪問しました。特に2回目に訪問したとき訪れた西ティモール(インドネシア領)クパンの難民キャンプは恐怖と憔悴でうめつくされ全く悲惨な状態でした。2年近くが経過しやっと難民帰還の道筋が検討され始めました。明日6月6日にインドネシア政府による東ティモール難民の「帰還希望者登録」が行われる予定です。

しかし、いくつか不安な点があります。民兵の解散と武装解除が行われていない。登録に関して適切な情報が難民に伝わるのか。登録と帰還の間があいている等々。

一番の問題は治安の維持が絶対的に保障されていないことです。外務省によると、オブザーバーを1名派遣する。治安維持については申し入れを行っている。武装解除については昨年の国連安保理での決議にそって、政府からもインドネシア政府に申し入れを行っているとのことでした。

一日も早く、難民のみなさんの気持ちにそった帰還が実現するよう心から祈っています。


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