江田五月 活動日誌 2001年7月(1〜5) >>日程表 ホーム総目次7月目次前へ次へ


7月1日(日) 県北、武道祭、母子寡婦、街頭演説、地方切り捨て

今日は、7時に宣伝カーで自宅を発って県北へ。10時から、津山市で「第5回津山武道祭」。武道7団体のちびっこ選手(弓道だけは大人)が一堂に会しました。「私は、9段で範士です。ただし陸の上でなく、古式泳法の神伝流。始めたのは皆さんと同じ小学校低学年。頑張って!」と激励しました。「武道はスポーツとは違う。」と強調して檄を飛ばす来賓もいて、考えさせられました。

10時40分から「母子寡婦福祉研究集会」。県下各地から350人が集合。「戦後、幼子を抱えた戦争未亡人が、絶望の淵から立ち上がって皆さんの組織を作りました。今、企業戦士の自殺などで、同じ悲劇が続いています。しかし、にこにこ離婚やシングルマザーといった 選択肢も登場。『痛みを分かち合おう』ということが強調されていますが、皆さんが運命に翻弄されず、ご自分の人生選択が社会によってしっかり支えられるよう、全力で取り組みます。」と挨拶。
街頭演説
久世町の公民館行事

ここまで石田みえさんと一緒。後は別行動で、私は宣伝カーで真庭郡を走り回り、昼食後は津山市に入り、要所で街頭演説。久世町では、公民館行事に出会い、おいしい柏餅を頂き、記念写真をとりました。途中、石田さんとも合流。

地方は小泉改革に浮かれてはおらず、むしろ逆に、地方交付税削減では地方切り捨てられるとの危機感さえあります。都市と地方との離反を作り出しています。「小泉さんを応援するつもりで自民党を元気づけると、小泉さんの足を引っ張ることになるだけで、逆効果です。民主党にはしがらみがないから、改革を実現します。さらに、小泉改革には、地方や雇用のことはなく、改革の向こうに弱肉強食が待っています。私たちの改革では、分権や自治、セーフティーネットの構築などで、未来のゆとりと豊かさが待っています。石田さんをはじめ、女性の元気で日本を変えましょう。」

22時過ぎ、やっと自宅に到着。



7月2日(月) 駅前演説、鳥取・佐藤誠さん、日米首脳会談

今日は、恒例の7時半からの駅前演説に、ちょっと遅れて参加。石田みえさん、一井淳治さん、草苅県議羽場市議などが一緒で、15分ほど話して、8時半の伯備線で米子へ。

2時間ほどで米子に着き、参院選の民主党公認予定候補の佐藤誠さん、山内おさむ衆議院議員、鍵谷、福間両県議らと、米子市内を17時まで6カ所で街頭演説。小泉人気は必ずしも浸透しているようには見えないのですが、果たしてどうなのでしょうか。

その後、皆生温泉でお湯につかり、夕食を取って、20時から山内さんの地元で演説会。

小泉首相の日米首脳会談は、私は大失敗だと思います。「聖域なき改革」と言いますが、アメリカの言い分だけは聖域のようです。経済については、細かな具体的検証のないまま不良債権処理を約束。アメリカの常識に従えば、日本の信組や信金が零細企業に対して行っている与信行為も問題にされるでしょう。NMDや京都議定書についても、アメリカの立場に理解を示し、欧州と立場を異にしました。国会決議もあるのですから、まず日本は議定書を批准することを、時期も示して明確に言い切ること。その上でアメリカの譲歩を誘い出す道を探ること。私ならそうします。靖国参拝のことも考えると、日米が手を携えて、世界から孤立する道を歩んでいるように見えます。



7月3日(火) 長島愛生園、邑久光明園、石田選対

今日は、8時半過ぎのJRで米子を発ち、岡山駅から2つの国立ハンセン病療養所のある長島へ。3月31日以来です。「人間回復の証しを」を旗印にした架橋運動で、80年代に邑久長島大橋が架かった島です。5月11日の判決から6月15日の補償立法成立までのひと月は、世界の「ハンセン病闘争史」の中でもゴシックで書かれる金字塔だと思います。

13時前、長島愛生園へ。園長さんたちに挨拶し、慰霊塔に献花。自治会の呼びかけで、自治会館に元患者さんが大勢集まってくれており、13時15分から1時間半ほど懇談会。まず私から、4月5日の国会議員懇談会の結成と会長就任から、判決、控訴断念決定、国会決議、補償立法成立、最後に6月29日の第1回ハンセン病対策協議会の様子までを、1時間にわたって報告。次いで意見交換。最後に園内放送で簡単な報告をさせてもらいました。

15時15分、邑久光明園へ。園長さんたちに挨拶し、慰霊塔に献花をし、自治会の執行部の皆さんと原告の方と、1時間ほど懇談。園内放送をさせてもらいました。

岡山、広島、山口、鳥取、愛媛の各県と大阪府の知事さんを初め、各県の職員さんがひっきりなしに訪れるそうで、今日も三重県の職員が三重県出身の皆さんと懇談をしておられました。また、岡山県内で使われていた副読本の関係で、県教委からもお詫びに来られたそうです。大騒動の後、潮が引くように誰も来なくなることのないように願いたいものです。

16時45分、長島を発ち、JRを乗り継いで笠岡へ。18時半から、石田みえさんの事務所開きで挨拶。次第に体制が整ってきています。20時から、選対会議で挨拶。その後石田さんと遅い夕食。



7月4日(水) 講演(放送人)、石田選挙情勢、北橋さん、国のかたち

今日は、9時過ぎの新幹線で上京。

13時半から放送人政治懇話会で1時間の講演と30分の質疑応答。宮崎吉政さんらマスコミ界の大先輩の集まりです。民主党が、小泉台風にたじろぎ揺れた印象を持たれており、しっかりしろと激励されました。私は、「小泉改革は、自民党では無理。その上、小泉改革のメニューには、地方のことや雇用を初めとするセーフティーネットのことはなく、その行き着く先は不公正と弱肉強食の社会。私たち民主党の改革メニューには、地方も雇用ももちろん用意されており、その先に広がるのは、公正と安心の未来です。外交も、京都議定書や靖国参拝のことなどを見れば、小泉船長だと日本はアジアともヨーロッパとも仲違い。危うい限りです。参院選後の臨時国会は、会期3日で院の構成のみではダメ。お盆返上で本格論戦をすべきです。」と、強調しました。

17時、党本部の選対職員と、石田情勢につき検討。知名度では石田さんは決して相手に大して負けていません。相手の拒否度(投票したくない度)は結構高く、逆に石田さんは十分受け入れられています。しかしまだ、総合的には向こうがかなり上とのこと。だいたい予想どおりです。人事を尽くさず、天命を待つことは許されません。許されたなし得ることは全て、やり尽くすことが大切です。

18時半、福岡9区の北橋健治さんを励ます会。19時半、国のかたち研究会の懇親会。



7月5日(木) 改革者、足立教授、精神医療、JSD、夢ネット、加計さん

今日は、10時から月刊誌「改革者」のインタビュー。もともと、旧民社系の理論誌でしたが、今は民主党の応援団の一つです。今の政治状況についてと司法制度改革について、言いたいことを言わせて貰いました。

11時半から、関東学院大学の足立昌勝教授。東ティモールへの支援についての提言を聞き、危険運転致死傷と触法精神障害につき意見交換をしました。

12時半から、「司法と精神医療の連携に関するPT」の勉強会。山上皓教授と池原毅和弁護士からヒアリング。精神医療から当てる光と司法から当てる光が、すれ違ったり交錯したり。まとめるのは大変です。

14時、比例区に出馬する高比良正司さんの支援要請。15時、商業労連と2労働団体が一緒になり、「日本サービス・流通労働組合連合」(JSD)が誕生し、結成記念レセプションに参加しました。構成員18万3000人の産業別組織で、岡山では全天満屋、天満屋ストア、高島屋の労組が加入しています。私は友好議員です。

高比良正司さん決起集会

17時過ぎのフライトで岡山へ。19時過ぎにやっと、「高比良正司NPO夢ネット七夕イブイブ決起集会inOKAYAMA」へ。東京での中央集会を軸に、全国の1000の夢ネットをインタネットで結んだ企画です。こうした試みが、新しい政治文化、選挙文化を生み出すと良いですね。

21時過ぎ、加計学園の理事長宅の懇親会へ。本当に久しぶりに、私の書道の師の師である上田桑鳩先生の書をたくさん見せて頂きました。


沖縄について

京都議定書、NMD、米兵暴行。共通しているのは、小泉首相のアメリカ聖域感覚です。やばいと思いませんか? 腹が立ちませんか?


江田五月 活動日誌 2001年7月(1〜5) >>日程表 ホーム総目次7月目次前へ次へ