江田五月 活動日誌 2002年4月 (14〜15) | >>日程表 | ホーム/総目次/4月目次/ 前へ|次へ |
今日は、7時半に自宅を発って総社市へ。8時半から、市長選の出陣式です。昨日の勢いを受けて広場を立錐の余地がないほど埋め尽くした支持者の皆さんに、推薦した民主党を代表して私が激励の挨拶。候補者も元気に挨拶し、9時半に出発。私は確認団体の宣伝カーで、、はたともこさん、森本徹磨さんと一緒に、11時半まで各地でスポット演説。反応は上々です。
12時過ぎ、河田一臼先生の門下生で作った書道愛好家集団「玉龍会」の総会へ。挨拶の後、ちょっといただけで中座し、知人の葬儀へ。
14時から1時間、資格試験を目指す人たちの予備校、「LEC東京リーガルマインド」の岡山本校の統合オープンを記念して、「今後の資格社会」と題して講演しました。
15時過ぎから3時間、江田五月会の企画会議。今後の態勢立て直し策の協議です。終わって、有機・無農薬・無添加に努める「野菜食堂こやま」で夕食。たけのこ、つくし、自家製とうふなどに、ご飯は玄米の焼きおにぎりです。新幹線で上京。加茂町議選は、佐藤義朋候補が9位当選。ホッ!
今日は、法務部門会議の千葉景子さん、小川敏夫さんと、まず9時半から日本税理士会連合会を、次いで10時過ぎ、霞ヶ関の日本弁護士連合会を訪問し、いずれも役員の皆さんと意見交換。日弁連では、司法書士法改正案が審議の最中であり、本林会長もおられて、密度の濃い議論が出来ました。さらに11時過ぎ、霞ヶ関の日本弁理士会を訪問し、笹島会長をはじめ役員の皆さんと意見交換。弁理士法改正は終わったところですが、司法制度改革の中で、特に法科大学院の制度設計に関し、知的財産権について突っ込んだ議論が必要だと痛感しました。
13時から、デスクワークや来客、取材など。12日に共産党が公表した資料に、「江田五月パーティー50万円」との記載があり、同日私が発表したコメントを会派役員に説明したり、テレビの取材に応じたり、対応に追われました。
92年のシリウス立ち上げから翌年の政変に至る時代の前夜で、与野党を越えて再編が模索されていました。私たちも自民党に指を突っ込み、相手もいろいろやってきます。羽田孜さんたちが離党し、後に何人かが復党しました。共産党は再編の埒外だったわけですが、93年の宮澤内閣不信任案の可決で明らかなとおり、癒着とは全く無縁です。また私も、自民党の人に対しても冠婚葬祭などでお祝いを持っていくこともあります。
官房機密費から出たことがはっきりすれば、返還するかと聞かれました。仮定の話ですが、加藤さんに返還するのは変だし、国に返還する方法はありません。何か処置があるとすれば、加藤さんが国に返還することくらいですが、私が決めることではありません。
19時半から2時間強、大前研一さんの一新塾で講演。前半は、塾生の皆さんの政策発表を聞いてコメント。大胆な提言で、刺激を受けます。後半は、私が行政改革の基本理念、司法改革の方向、先日提言した衆参統合の一院制等につき講演し、塾生の皆さんと意見交換。私も楽しませて貰いました。
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