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9月27日(金) 外交官、役員人事、帰岡

今日は朝から、民主党の役員人事の協議や取材で、電話ラッシュでした。そのため、出掛けるのが遅くなり、11時の約束を30分遅刻して、ジャカルタの日本大使館に公使として赴任される佐藤重和さんと意見交換。私が、東ティモール議員連盟の代表なので、挨拶に来られたのです。その間にも電話がかかり、話が中断で失礼してしまいました。

午後も、電話と取材とデスクワーク。若手の一部から、中野幹事長を白紙に戻せば、鳩山代表の責任は問わないとの意見が出ました。気持ちはよく理解できますが、私たちは、鳩山代表を問責してはいません。人事権者の決定が、反対者の意向次第で覆るのでは、組織運営は出来ません。中野問題をどう乗り越えるかは、ひとえに代表の決断と責任で決めることです。

菅グループは、鳩山代表に一切協力しないなどと言ってはいません。鳩山代表が適切と考えられるポストを個別に提示されることに、依存はありません。グループとして、持ち寄って協議をします。一本釣りなどと非を唱えて、態度を硬化させることはありません。ただ、中野さんの起用に憤っている若手の皆さんとは、鳩山代表が直接話をされた方が良いと思います。菅さんは一兵卒として協力します。鳩山代表の電話での協力要請に、私は「お話しは伺います。」と答えました。

最終新幹線で帰岡。ホームでも車内でも、電話連絡は続きました。



9月28日(土) 労組大会s、RSK、役員人事、仲間たち
川鉄水島労組大会
NKK福山労組大会
若い仲間たち
竹馬の友

今日は9時から、川崎製鉄水島労組の定期大会に、はたともこさんと一緒に出席し、民主党を代表して挨拶。「小泉内閣は、日朝会談や拉致問題などで注目を集めて、支持率を上げています。しかしこれは手品で、国民の目を引きつけておいて、陰では、銀行丸ごと救済などの大出鱈目をやっています。しかし、民主党の現状は惨憺たるもの。もう少し時間を貸してください。必ず立て直します。」

11時半、日本鋼管福山労組の定期大会に、はたともこさんと一緒に出席し、川鉄労組と同趣旨の挨拶。川鉄と鋼管は昨日、持株会社「JFEホールディングス」を設立して合併し、新日鉄に次ぐ世界第4位の製鉄企業となりました。水島と福山の工場は、JFEスティールの西日本工場となり、事業を統合します。両労組ともJFE労働運動に統合するので、今日が最後の大会です。大規模な再編成が進んでいます。

14時から、地元テレビ「RSK」の国会報告の収録。民主党代表選につき、お礼とお詫びを述べ、その後の迷走につき、私の見方を話し、小泉マジックに負けない民主党を作るため、もう少し時間を貸してくれるようお願いしました。

朝から電話連絡が続きましたが、15時ころから人事が本格化し、電話連絡が集中しました。その後、やっと民主党の新体制の骨格が決まりました。岡山事務所では、若い仲間の皆さんがビラ作り。夕食は、竹馬の友とすき焼き。

鳩山代表による中野幹事長の起用については、その手順も人選も、適切とは思いません。大会から今日までの迷走により、鳩山代表の指導力に疑問も生じました。しかし、鳩山代表がご自身の決断と責任で進められる限り、これを前提としてその後の人事を決定していくほかありません。

15時前に私のところに、海江田万里さんを政調会長に起用したい旨の打診がありました。私は、菅グループは人事に対し、グループ対応をしないので、人事権者が直接、その決断と責任で進められるよう申し上げました。その上で、海江田さんは菅候補の推薦人ではありませんが、人選については好感できると付け加えました。

その後、海江田さんからご相談がありましたので、以上の経過もお話しし、引き受けることをお勧めし、バックアップをお約束しました。こうして海江田政調会長が決まり、国対委員長も選対委員長も決まりました。一日も早く、鳩山新体制が本格スタートを切ることを望みます。


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