今日は、穏やかな春の陽射しに誘われて、終日、街頭演説で過ごしました。10時過ぎに自宅を出て、19時前まで、岡山市の衆議院第2区の区域で9ヵ所、灘崎町で1ヵ所、玉野市で6ヵ所の計16ヵ所をまわり、流し街宣もしました。話の内容は、農業問題を除いて、昨日と同趣旨です。
その間、15時から、労組との政策協定に調印。15時半から、労組の高齢者退職者の会の幹事会で挨拶。
19時から、玉野・灘崎選挙区の住吉良久県議の後援会のボウリング大会に出席し、挨拶。その後、ゲームにも参加しましたが、成績は無惨で、ブービー賞を貰いました。球技は苦手な上、ボウリングは、20年以上、したことがなかったのです。表彰式で、若干の景品を渡しました。
21時半から、津村啓介さんの事務所の神田一恵さんが退職することになり、送別会。24時前まで、ワイワイガヤガヤと賑わいました。
その間、菅代表の去就につき、関係各方面と電話連絡。菅さんの厚生大臣時代の国民年金脱退と再加入の経過が、ほぼ分かりました。私も、科学技術庁長官の時代に、ほぼ似たようなことがありました。しかし、私の場合は、年金事務の担当者のミスだったので、追納させていただきました。従って、1966年4月に裁判所共済組合に加入し、1977年5月に国民年金に切り替え、2001年5月に60歳になるまで、年金が継続しており、未加入期間はありません。威張るつもりはありません。60歳になり年金受給資格を得たので、その手続きをして初めて分かったことです。
大臣、副大臣、政務官、それにかつての政務次官の経験者には、同じ落とし穴に落ちている人が、一杯いるはずです。それどころか、そうした政府の役職に着いていない国会議員にも、国民年金無加入者が一杯いることが判明してきています。厚生年金の3号被保険者になっているつもりが、そうなっていない奥さん方も、一杯いるはずです。やはり、制度の欠陥なのです。
しかし菅代表には、制度の欠陥に由来するものとは別の責任もあります。そうしたことにつき、私が活動日誌やメールマガジンのショートコメントで触れていないからといって、分かっていないと非難されるのは心外です。燕雀とは言いませんが。