活動日誌 2006年3月 | >>日程表 | ホーム/総目次/3月目次/ 前へ|次へ |
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今日は、午前中は議員宿舎でゆっくり。
13時から党本部で、全国幹事長・選挙責任者会議が開催され、全国の都道府県連から代表が各2名ずつ出席されました。私は参議院の議員会長として、他の常任幹事会メンバーとともに、執行部席に座りました。平野総合調整局長の司会で、まず、前原代表が挨拶でメール問題につきお詫びをされ、チェック体制がなかったことを反省して態勢を立て直すことを誓われました。次いで鳩山幹事長が、メール問題の経過と渡部国対委員長などの人選の報告をされ、安住選対委員長が国政選挙の候補者選定の現状と公募などの方針、地方選挙方針につき報告をされました。
続いて質疑・討論に入りました。まずメール問題にテーマを絞り、14人が発言。最前線で頑張ってくれている皆さんですから、国民の声を直接聞いており、なぜガセメールを信用してしまったのか、「楽しみに」「確証がある」などの言葉をなぜ使ったのか、永田議員の処分は適切だったかなど、厳しいご批判が続きました。答弁では、鳩山幹事長が永田議員の処分の考え方などを説明され、前原代表は、辞任も考えたが、自分の美学に反しても党のために踏みとどまる決断をしたことを説明され、出席者のご納得をいただきました。
さらにメール問題以外の質疑・討論に移り、9人が教育政策、米軍再編と基地問題、候補者選考方針などにつき発言。松本政調会長、安住選対委員長、鳩山幹事長の答弁があって、渡部国対委員長が「辛抱と我慢をお願いします。必ず報われるときが来ます。」と挨拶。前原代表が、「自分も足りないところがあり、熟壮青の協力で乗り切りたい」と決意表明。
最後に私が閉会挨拶で、「このピンチを見事に乗り切れば、逆に国民に政権担当能力を示すことが出来ます。参議院ではメール問題を引きずらず、4点セットをはじめすべての問題を捉えて論戦を挑みます。楽しみにしていて下さい。」と締めくくりました。厳しい情勢ですが、全党をあげた意識合わせが出来たと思います。終了は16時でした。18時からの加藤六月さんの通夜に、ちょっと前に伺って、ご夫人の睦子さんやご親族の皆さんにご挨拶しました。岡山県出身の存在感のある政治家で、自民党時代は私の父と岡山県第2区で争っていましたが、1993年に自民党を離党されて新進党に加わり、私と行を共にされた時代もありました。合掌。
最終便で空路、帰岡。21時過ぎから1時間強、岡山県連の幹部で、県連新体制構築と候補者選考につき協議しました。津村代表、柚木幹事長態勢が次第に出来上がってきています。