江田五月活動日誌 2014年6月 | >>日程表 | ホーム/総目次/6月目次/前へ|次へ |
今日は、昼前に議員宿舎を出て昼食を取り、東京・有明の臨海副都心へ。予定より早く着き過ぎ、埠頭をちょっと散歩しました。
有明臨海副都心 同 - 銀河丸13時半から30分ほど、全療協(全国ハンセン病療養所入所者協議会)の神美知宏会長と全原協(ハンセン病国賠訴訟全国原告団協議会)の谺雄二会長を偲ぶ会に出席しました。開会後、20分ほど、私の地元のRSKテレビ局が制作したお二人のドキュメンタリーが流され、在りし日の数々の業績を偲びました。
続いて、私が冒頭に、「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」の初代会長で「ハンセン病対策議員懇談会」の顧問と紹介されて弔辞を述べることになり、即席でしたが思い出を語りました。神さんと最後にお会いしたのは、昨年12月25日の厚労大臣室での田村厚労相との面会の場面で、あの理路整然・迫力満点の話しぶりで定員問題を訴えられ、谺さんも一生懸命に思いのこもった訴えをされました。田村大臣のお答えも紹介しました。次は4月30日の重監房資料館開館式で、神さんはご病気出会えず、谺さんはストレッチャーでご出席でしたが言葉を発せられませんでした。5月10日の市民学会の前日に神さんが、翌日で熊本地裁国賠違憲判決の記念日に谺さんが、それぞれ他界されたことに話を進め、熊本判決の前年に私が会長になり国賠訴訟支援の議員懇談会を立ち上げたこと、判決内容と控訴断念への働きかけ、その後の数々の立法などに記憶の糸を手繰り寄せ、将来構想の実現など最終解決までまだ課題山積であり、お二人の遺志を引き継ぎ頑張る決意を述べて、締め括りました。その後、最終解決議懇の平沼赳夫会長が指名されたところで、中座して羽田空港へ。
神・谺両会長を偲ぶ会 - 弔辞 同 - 同15時過ぎの便で、帰岡。16時半に着き、事務所で暫時デスクワーク。18時半から2時間半ほど、赤磐市の友實市長、岡山市議会の羽場副議長らと夕食懇談しました。
友實市長と懇談