江田五月活動日誌 2015年3月 | >>日程表 | ホーム/総目次/3月目次/前へ|次へ |
今日は、10時半過ぎに議員宿舎を出て会館事務所に入り、デスクワークや来客応対。11時から20分ほど、前川清成さんと、民主党憲法調査会の運営方針につき協議しました。私は調査会の会長、前川さんは事務局長です。その後、ハンセン病国賠訴訟原告団の竪山勲さんが来られ、議員懇談会の開催につき相談しました。12時から30分ほど、国対・筆頭理事合同会議に出席。
前川さんと 竪山さんと13時から1時間強、「改憲問題対策法律家6団体連絡会」主催の「安全保障法制に関する意見交換会」に出席しました。連絡会の構成団体は、社会文化法律センター、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本国際法律家協会、日本反核法律家協会、自由法曹団と日本民主法律家協会で、立憲フォーラムに呼びかけられたのですが、参議院の予算委員会が質疑中で、連絡会の皆さんのご出席と比べて議員の出席が少なく残念でした。大江京子弁護士の司会で、予想される安保法制の法律的問題点につき4人の方から細かく説明いただき、若干の意見交換をしました。
法律家6団体連絡会の皆さんとその後、事務所に戻って、来客対応。地元の大切な支援者の医療法人創和会の竹田芳昭専務理事が亡くなられ、明日の葬儀と法務委員会の開催日程が重なってしまい、15時過ぎからの憲政記念館での巣箱架けを急遽キャンセルして、15時半の新幹線で帰岡。
19時前に岡山駅に着き、倉敷市の葬儀場に直行。20時前に着くと、お通夜は終わっていましたが、ご親族の皆さんが居られ、お悔やみを言ってご霊前に線香を手向けました。創和会は、重井病院などの開設者で、竹田さんは1980年から専務理事を務められ、現役のまま逝かれました。享年89歳。合掌。現在の重井文博理事長の祖父・重井鹿治さは、私の父と戦前の農民運動時代の同志で、1947年の総選挙で旧岡山2区で当選されました。そのご子息、つまり現理事長のご尊父の重井博さんが、1960年代に病院を設立され、博さんは腎臓を患っていたこともあり、腎臓病の研究所も開き、患者団体の県腎協のお世話もしていました。竹田専務はご親族に当たられます。
竹田専務のご霊前で自宅に帰り着いたのは21時前で、妻と2人江田鍋で遅い夕食を取りました。