江田五月活動日誌 2015年7月 | >>日程表 | ホーム/総目次/7月目次/前へ|次へ |
朝の東京駅今日は、10時に議員宿舎を出て、10時半前の新幹線で高崎へ。東京駅で「鱒押寿し」を買って、車中で食べました。美味しかったのですが、てっきり容器の形は違っても、富山の「ますのすし」だと思ったら、鎌倉製で驚きました。11時15分に着き、11時半のJR上毛線で前橋へ。車中で政策集団シリウスのメンバーで現在は山口県平田町長の山田健一さんに出会い、びっくりしました。今朝1番のフライトで岩国から飛んで来たとのこと。行き先はもちろん、田邊誠さんの葬儀です。若い頃の仲間が上州に結集で、もう一旗上げたい気分になりました。
鱒の押し寿司13時から、田邊誠さんの葬儀に出席しました。7月2日に逝去されました。享年93歳の大往生でした。合掌。葬儀はキリスト教式で、牧師の進行で前奏の後に聖書の一節の朗読があり、讃美歌「いつくしみ深き」を歌い、さらに聖書の一節の朗読と祈祷、牧師による式辞、祈祷と進んで、故人が愛唱した讃美歌「主よ、み手もて」を歌い、直ちに頌栄「父・子・聖霊の」を「栄えと力はただ主にあれ、とこしえまで」と歌い上げ、終祷となりました。
そこから告別式となり、まず葬儀委員長の角田義一さんが献花して式辞を述べました。角田さんらしく、時代の大きな曲がり角に、闘いの決意を込めて民主党を鼓舞する内容でした。次に弔辞となって、それぞれ献花の後、故人が理事長を務めた社会福祉法人恵風会の常務理事さん、民主党を代表して参議院副議長の輿石東さん、日本郵政グループ労働組合の代表の方、長く縁故のあった友人を代表して私、最後に朝日友好親善協会会長から届いた弔辞を朝鮮総連の方が代読し、弔電披露に続いてご長男の田邊潔さんのご挨拶とご親族の献花があって、私たちが退席しました。この後、代表献花と参列のみなさんの献花があるのですが、そこで失礼してJR上毛線と新幹線を乗り継ぎ、16時半の新幹線で帰岡しました。
田邊誠さん葬儀告別式 - 全景 同 - 弔辞車中で、讃美歌「主のみ手もて」の曲で子どものころに習った歌詞を、一生懸命に思い出してみました。「秋の夜半」で、「秋の夜半の み空澄みて」と「雁の群の 近く来るよ 一つ二つ 五つ七つ」まで思い出したのですが、あとは忘却の彼方でした。ウェーバーの「魔弾の射手」の序曲で、佐々木信綱作詞でした