江田五月活動日誌 2016年1月 | >>日程表 | ホーム/総目次/1月目次/前へ|次へ |
今日は、9時に自宅を出て、9時半から1時間強、夏の参院選岡山県選挙区で、私の不出馬と黒石健太郎さんの民主党公認での立候補上申の記者会見を行いました。高橋徹県議の司会で、柚木道義県連代表が経過報告をし、私が所感を述べ、黒石さんが力強く決意表明をしました。質疑に移り、私にもいくつかの質問がありました。長い政治活動の中で特に印象に残っていることについては、今日の後継決定会見を上げました。初出馬、細川内閣、議長、民主党政権、法相など、どれも忘れがたいことですが、やはり今が一番大切です。不出馬決断に至る心境については、1977年の父の憤死と私の出馬を上げて、政治が人を殺す事態を避けて、順調に世代間のバトンタッチをしたい思いを述べました。その後、3人でがっちり握手をし、さらに黒石さんの写真撮影が続きました。
記者会見 - 全景 同 - 不出馬
同 - 黒石さん出馬 同 - 握手11時前から30分強、同じメンバーでイオン前で街頭演説を行いました。私が安保法制など安倍政権の憲法無視を糺し、柚木さんがアベノミクスによる生活破壊を指摘し、黒石さんが力強く、人生初の街頭でのマイクで、良く通る若々しい声で紺碧の空まで届けと、若者の雇用の話をしました。通行中の車の中から、びっくりするほど多くの人が手を振ってくれました。
初街宣 - 全景 同 - 黒石さん12時前に街宣を終わって通行中の人々に声を掛けて回りました。関心を持ってくれる人が多く、報道の皆さんもカメラを回し、黒石さんに街頭インタビューをしていました。
昼食後、13時前に岡山駅東口で行われる安保関連法廃止の街頭演説の場所に行き、お集まりの皆さんに挨拶して回りました。やがて街宣が始まり、奥津亘弁護士が違憲訴訟の話をした後に、私が話をしました。父が県議に初当選した1937年は、今から考えると戦前ですが、当時の人でその時に戦前だと思っていた人は僅かだった筈です。果たして現在は、戦前なのか戦後なのか、どちらでしょうか? 昨年は戦後70年でしたが、未来から遡って見ると今は戦前なのかもしれません。私たちは、20世紀の戦争は止められませんでした。しかし今は違います。今夏の参院選による民意の動き次第で、安倍政治の暴走を参議院が止めることが出来ます。そのような話をして柚木さんと黒石さんにバトンタッチし、私は次の街宣会場に移って同じように街頭演説をしました。やがて柚木さんと黒石さんも移ってきて、同様の話をしました。その後、3人で若干の挨拶回りをしました。
安保法制廃止の街宣 - 私 同 - 黒石さん 安保街宣2 - 私その後、私一人で若干の事業所の挨拶回りをしました。ある事業所では、土曜日は会議日で、会議中の従業員の皆さんに挨拶させてくれ、社長さんが温かい労いの言葉を掛けてくれました。
事業所で17時から1時間強、岡山県医師会の新年祝賀会に出席しました。高校2年下の松山正春庶務担当理事の司会で、石川紘会長のエスプリの効いた挨拶で始まり、日医の横倉義武会長、伊原木隆太県知事、小野泰弘県議会議長、大森雅夫岡山市長が挨拶し、私も壇上に上がって鏡開きをし、乾杯から懇談になりました。その後、国会議員の挨拶になり、夏の参院選不出馬と黒石健太郎さんの後継の件を話し、これまでのご交誼にお礼を言いました。
県医師会新年会 - 乾杯 同 - 挨拶国会議員の挨拶が終わったところで新年会を中座し、事務所で行っている黒石健太郎さんの当面の活動に関する事務方の会合に顔を出し、すぐに中座して妻と外で夕食を食べました。忙しい一日でした。
選対事務局会議