2003/06/04 >>江田発言 戻るホーム憲法目次

第156回国会 憲法調査会公聴会
平成十五年六月四日(水曜日)  午前九時四分開会

  公述人
   東京大学学生    大井 赤亥君 >>
   横浜国立大学教授  北川 善英君 >>
   開倫塾塾長     林  明夫君 >>
   主婦        藤井富美子君 >>
   法政大学名誉教授
   テロ特措法・海外派兵違憲訴訟原告団長 尾形 憲君 >>
   自営業       加藤 正之君 >>
   駒沢女子大学学生  田中夢優美君 >>
   学習院女子大学教授 畠山 圭一君 >>

  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査 (平和主義と安全保障)

○会長(野沢太三君) ただいまから憲法調査会公聴会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「平和主義と安全保障」につきまして、お手元の名簿の八名の公述人の方々から御意見を伺います。
 午前は、東京大学学生大井赤亥君、横浜国立大学教授北川善英君、開倫塾塾長林明夫君及び主婦藤井富美子君、以上四名の公述人の方々に御出席をいただいております。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本調査会は、本年五月から「平和主義と安全保障」について調査を開始したところでございますが、本日は、「国民とともに議論する」という本調査会の基本方針を踏まえ、我が国の平和主義と安全保障の在り方について、特に憲法とのかかわりを中心に公述人の方々から幅広く忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の調査に反映させてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず公述人の方々からお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきます。
 なお、公述人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず大井公述人、お願いいたします。大井公述人。

○公述人(大井赤亥君) おはようございます。東京大学の学生の大井と申します。今日はこのような場で話す機会を与えてもらって大変感謝しています。
 私の意見なんですけれども、レジュメがお手元に配られているかと思いますので、レジュメに沿って話をしたいと思いますので、よければごらんください。
 レジュメですけれども、大きく三つのことを話したいと思っています。
 一つは、一つ一番初めに話したいことは、私は、基本的には日米安保の体制に対して、それが今与えている、日本の安全保障に寄与しているということは認めるんですけれども、長期的には懐疑的な立場です。と同時に、じゃ、どういう日本の安全保障の在り方が長期的に望ましいのかということを、ちょっと抽象的な話になってしまうかもしれませんけれども、意見を述べたいと思います。
 二つ目に、イラク戦争の後の国連の役割、それから、その国連と日本が今後どういう関係を結んでいくかということについても自分の考えを述べたいと思います。
 最後に、時間があったら、この三月に一か月、アイルランドに行ってきまして、向こうのナショナリズムとか、その歴史に接する機会がありましたもので、そのことについて若干、日本のナショナリズムと比較の中でお話しできたらと思っています。
 基本的には、一番と二番を中心に述べたいと思っています。
 早速、一番なんですけれども、日米安保が日本の安全保障に寄与しているという議論は、もちろん国民の世論もあるし、一定程度説得力はあるかもしれないと思っています。ただ、イラク戦争が終わった後で、じゃ、この日米同盟の在り方を今後どうやってするのかということに関しては懐疑的な立場に立っています。
 簡単に理由を述べますと、一つはアメリカの単独行動主義と言われる、イラク戦争で顕著に見られた動きですけれども、これにずっと心中的に付いていくということが多くの犠牲を伴うものだと思っています。
 一つは、国連中心主義的な外交とアジアの一員ということが長らく建前的には日本の外交の立場だったと聞いておりますけれども、一つは、国連を全く無視するアメリカに付いていくということは、国連中心主義ということとは矛盾せざるを得ないわけです。
 もう一つは、アジアの一員として世界にその立場や利益を代表していくということも不可能にすると思います。今度、サミットに中国が参加するということがありましたけれども、それも、日本だとアジアの声が代弁できないという批判の一つの表れだというふうに解釈しています。
 もう一つは、日米安保一辺倒による日本の安全保障が本当に現実的なのかということについても疑問があるわけです。アジアの問題については、それはアジアの国同士で解決するという問題もありますし、アメリカの国益と全く関係しないという部分もありますので、そういうところで主体的な外交で解決しなくちゃならない部分があるんじゃないかと思っています。
 もう一つは、今言われている北朝鮮に関する問題です。自分自身の問題意識としては、北朝鮮の問題が戦争になるということは、これは日本でも韓国でも中国でもどうしても避けなきゃいけない事態だという真剣な問題意識を持っています。
 そこで、例えば日本と韓国の対応とアメリカの対応の余りの違いや温度差というものが報道されていますので、そこでも、この北朝鮮有事といったことに関しても決して現実的な同盟じゃないだろうという側面があるんではないかというふうに思っています。
 自分が言いたいことの一番大きなのは、レジュメの一のスモールな数字の四番ですけれども、もちろん一時的には日米同盟が日本の安全保障に寄与しているということは分かるんですけれども、ただ、それが長期的にはどうなのかということを考えているわけです。
 それはどういうことかというと、本来、例えばアジアの国、例えば日本や韓国や中国といったアジアの国同士でそれぞれの国の安全保障を考えるとか、地域的に連携して考えるとか、そういう外交的な努力を東アジアのアメリカ軍のプレゼンスが結果的に遅らせている側面があるんじゃないかということです。つまり、そういう努力をしなくても安全保障が、目の前の安全保障だけは保たれるということですね。ただ、それは、目の前の安全保障はあっても、長期的な安全保障にならないんじゃないかということです。長期的な安全保障は地域的な国々の努力自体によってしか生まれないんじゃないかということです。
 じゃ、そう考えると、例えば日米安保、もし、ある状態でも、ない状態でもいいんですけれども、アジアの国の独自の安全保障ということを考える場合には、やっぱりその国同士の主体的な努力が必要だと思っています。
 例えば、ここから先はまだまだ抽象的な議論になるかと思いますけれども、ただ、アジアの諸国の間で、例えば日本や韓国や中国それから台湾といった地域も含めて考える場合、多国間の平和条約とかあるいは経済的な機構を作るということは一つ考えられると思います。今の段階では、そういう、それを達成するような現実的な条件はなかなか見いだせないかと思いますけれども、ただ、この考えは歴史的にも昔からあるもので、今でも日本の学者の方、例えば東北アジア共同の家の構想とかいうことを述べられる政治学者の方もおられます。ですから、決してとっぴな発想ではないということが、一つ申し上げたいと思います。
 例えば、歴史的に見ましても、中国や韓国の方から日本にそういう言わば地域的な独自の平和なり経済の構想を立てようという呼び掛けは過去にもあったわけです。例えば、中国で言えば孫文とか、あるいは韓国の安重根という、日本では評判の悪い人ですけれども、あの人なんかも東アジアの平和構想を真剣に考えた論文があるはずです。ですから、歴史的に見てもとっぴなことではないということです。
 もう一つ申し上げたいのは、例えば東アジアにおける平和条約網、あるいは何らかの平和機構、友好機構を作るということに関して、例えば共通の価値がないとか、経済体制も異なる国で果たしてできるのかという疑念はよく聞かれます。
 確かに、考えてみると、日本と韓国は非常に近い市場経済と政治的な民主主義も達成している。ただ、北朝鮮や中国に関しては、経済体制も違えば政治体制も違うし、それから人権に対する考え方も大きな隔たりがあるということは認めざるを得ないと思います。
 では、しかし、同時に、そういうことが友好善隣関係の国際的な機構あるいは条約、非常にバイラテラルな条約網を作るということが果たしてそれでできないかといったら、そうではないと思うわけです。
 例えば、一つ例として挙げたいのはASEANの例なんですけれども、ASEANの中は、それこそ歴史的には、反共国家もあれば中立国家もあれば内政がやや混乱している国家もあって、到底共通の価値観とか人権意識の中でもコンセンサスは得られていない地域連合だと思いますけれども、ただ、それがASEANの歴史を見ると、非常に友好的に実効性を持って機能しているということが一つ挙げられると思います。
 ですから、必ずしも共通の価値観や人権意識を持っていない、あるいは文化が違うとか、いろいろな理由がありますけれども、そういうことで友好善隣の地域機構を作ることはできないというわけにはならないと思います。何よりも、主体的にそういう地域的な平和機構あるいは友好機構を作るというその過程自体が、相互の信頼やあるいは共通認識が生まれていく過程になるというふうに考えています。
 ですから、長期的に見れば、東アジアの平和機構なり、あるいはASEANのような地域機構を作るということが正にリアリティー、一番現実的のある日本の安全保障の在り方じゃないかというふうに思っています。
 以上が一番です。
 次に、二番なんですが、日本と国際連合の関係についてです。
 もし、例えば日米安保を維持するかしないかにかかわらず、日本の安全保障若しくは日本外交の軸足を国連に置いていくということは、一つ、イラク戦争の後の至急な課題として求められることだと思います。
 どうしてそう考えるかというと、イラク戦争で果たした国連の役割ということで、一般的には国際連合がうまく機能しなかった若しくは国連の権威が地に落ちたという報道もあります。それは、アメリカが既成事実的に国連の承認なしに戦争を起こしたからそういう報道がありますけれども、自分自身の考えとしては、それだけではないと思っているわけです。
 というのも、戦争自体は、イラク戦争自体は国連の承認なしに行われましたけれども、その開戦前の数週間にわたって国連安保理の場で激しい外交的なせめぎ合いが続いていましたよね、つまり国連の決議をめぐってですけれども。そのことが示している国連の意義ということがあると思うんです。
 つまり、今回のイラク戦争の開戦前の国連安保理の場の外交的なせめぎ合いで明らかになったことの一つに、つまり国連の決議のない戦争、若しくは国連の決議、承認のない武力行使は違法だということは、これは国際的にはっきり認められたわけだと思います。そのことは、アメリカ政府自身が最後まで国連安保理の場で、つまり国連決議を取るための多数派工作をしていたわけですよね。ですから、アメリカ自身の動きによってもそのことは明らかだと思います。
 つまり、それは世界的にもはっきり認められたし、つまり国際の場で、国連決議のない若しくは国連の承認のない武力行使は違法なんだということは、一つの共通認識として、一つの到達点だというふうに思っています。これは、イラク戦争に特徴的なことだと思います。
 従来から国際政治の場というのは、力が正義だとか、いわゆるホッブス的な世界とか言われておりますよね。例えば、既成事実的な力の行使が正当性を生み出したり、既成事実的にどこかの国に侵攻することがそこに駐留する正当性を生み出したりとか、正に力によって正義が生み出されてきた、あるいは正当性が生み出されてきた場所だったと思いますけれども、今回のイラク戦争で明らかになったのは、イラク戦争は、既成事実的な戦争はあったけれども、それと正義とかあるいは正当性の問題は別問題だという認識が達成されたところだと思います。ですから、力は力であるけれども、正当性はまた別にあるんだということ、これが認識されただけでも大きな成果じゃなかったかと思います。
 と同時に、今回のイラク戦争でいろんな国連の限界が見えてきたのも事実です。ですから、もっと実効性のある組織にするとか、あるいは国連の内部をもっと民主化するとかという課題は大きく残ったと思いますけれども、そこはひとつ、今後の国連の可能性として、つまり武力行使を正当化する機関は国際の場では国連しかないということを、その可能性を重視して、そこに、それを育てる立場に立つべきだというふうに考えています。
 そういった国連と日本との関係ですけれども、日米安保があるなしにかかわらず、国連中心の外交をするということは日本の安全保障にとっても重要な面だと思います。ただ、日米安保と違って、国連中心ということがすぐ日本の安全保障に寄与するとは言えないと思います。そこは現実的に考える必要があると思うんですが、少なくとも、アメリカの単独行動主義にずっと付いていくというよりも、国連中心のより法規的な、法を媒介にした、あるいは中立的な、国際的にも正当性を持った外交の要求をしていくということは日本の安全保障にとっても重要なことだと思います。
 最後になりますけれども、国連と日本との間の相違点が幾つかございます。
 日本国憲法は国連憲章と非常に大きな類似性があると思っています。ただ、紛争の最終的な解決ということに関してはやっぱり大きな隔たりがあるわけです。それについてどういう立場を日本が取るのかということは、国連の中心に軸足を置いた場合に問われることだと思います。
 ただ、例えば人権問題や、特に人権問題だと思いますけれども、そういうことで国連が妥当で正当な武力行使をするということは論理的にはあり得ると思います。その場合に日本がどうするかということに関してですけれども、日本はやっぱり憲法九条を持っているということ、それから、国際連合の活動はその国の特殊な条件に応じて、その条件に応じた働きぶりを求められるということが前提です。ですから、そういう場合は、日本の憲法九条が世界的にも普遍性を持っていると、それから同時に、国連憲章とも共通した精神なんだということを国際の場で理解してもらう、それしかひとつ道がないだろうと思っています。
 つまり、そういう側面からも日本が国連の場でイニシアチブを取って活躍できる国になるんじゃないかというふうに思っています。
 最後に三番の、今、政治家の人たちに言いたいことということですけれども、この三月にアイルランドに行ってきまして、いろいろアイルランドのナショナリズムについて、若しくはその歴史について触れる機会があったんですけれども、日本のナショナリズムと大きく違って、大国イギリスに対してちゃんと自分たちの文化的な独自性の尊重とか、あるいは生活の改善を歴史を通じて言ってきたわけです。その中でナショナリズムが育ってきた。だから、アイルランドのナショナリズムというのは、ある種正統性を持っているわけです。下から突き上げられるようなナショナリズムで、全く日本のとは違う印象を持ちました。
 日本のはどうかというと、どうも、いつもいつも中国とかあるいは朝鮮とかに向かって、つまり何か弱い者いじめのナショナリズムのような、そういう狭隘さがどうしてもイメージとして付きまとうもので、それとは全く違うナショナリズムの在り方もあるんだなと実感した次第です。
 ですから、今、有事法制とかあるいは北朝鮮に関連した議論が国会の場でも行われていると思いますけれども、そういう議論がこういう日本のナショナリズムというような狭隘なナショナリズムがベースになって行われているとしたら大きな危惧を感じざるを得ないということを申し上げて、ちょっと言葉足らずでしたけれども、発言を終わらせてもらいます。
 どうもありがとうございました。

○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、北川公述人、お願いいたします。北川公述人。

○公述人(北川善英君) 北川でございます。本日は、貴重な機会を与えていただきまして、感謝申し上げます。
 早速、三つの意見の要旨のうちの第一番目、国際社会における平和主義の歴史というところから話をさせていただきます。
 まず、十九世紀までの国際法においては無差別戦争観が採用されていました。そこでは、戦争の原因についても、戦争の決定あるいは開始についても各主権国家の自由であったわけです。したがって、そこで専ら問題になったのは、著しく残虐な行為あるいは中立国の権利侵害だけを規制する交戦ルールの制定ということであったわけです。その意味では、戦争を一部に囲い込む、あるいは戦争の、これは括弧付きなんですが、合理化あるいは人道化というのが目指されたわけです。
 このような十九世紀までの国際法においては、現在私たちが議論しているような国家の自衛権という概念は登場の余地がなかったわけです。
 次に、二十世紀の国際法は、戦争の違法化、更に武力行使禁止へと大きく進みました。
 周知のように、第一次大戦における大量殺りく兵器の登場、そして軍備拡大、この下で国際連盟が軍備縮小、紛争の平和的解決、集団安全保障、この三つの柱を立てて一時的な部分的な戦争の違法化に一歩を踏み出したわけです。
 続く一九二八年の不戦条約では、国際紛争解決の手段として戦争を禁止すること、国家政策の手段として戦争を放棄すること、これを日本、当時の日本を含む調印国に義務付けたわけであります。ただし、この段階では、禁止される対象としての戦争は、あくまでも宣戦布告あるいは最後通牒という戦意表明があったものだけが戦争とみなされたわけです。したがって、宣戦布告もなく、最後通牒もないものは、言わば事変という形で戦争扱いはされなかったわけです。
 そういう抜け道があったわけですが、他方で、ここで初めて例外的な正当化原因として自衛権概念が登場したということが注目されます。
 第二次大戦後は、国連憲章が戦争という言葉を基本的には使わない、実態的な武力行使と武力による威嚇の禁止という原則を打ち出しました。例外的には二つの場合の武力行使が認められることになりました。一つは、非常に厳しい条件を付せられた下での個別的・集団的自衛権の行使です。このことは先制的な自衛権行使は認められないということを意味しております。他方で、安全保障理事会が決定した軍事的制裁、この二つであります。
 いずれも、平和に対する脅威、破壊・侵略行為の存在が前提条件になっておりますが、問題となるのは侵略の定義をいかにするかであります。一九七五年の国連総会決議は、侵略の定義を攻撃と侵入という点に求めました。しかしながら、この国連総会決議は、あくまでも安保理事会の決定に対しては一つのガイドラインにとどまるという限界を持っています。
 最後に、二十一世紀の国際社会と平和という問題を考える際、アフガニスタンとイラク、特にイラクに対するアメリカの攻撃というところで現代的な二十一世紀の問題は先鋭化した形で表れております。
 これまでの十九世紀、二十世紀を通じての国際的な戦争と平和の流れ、ここから出てくることは、一方では先制的自衛権行使、他方で集団安全保障ということであったわけですが、アメリカの行動においては、先制的自衛権行使という点でも、一国単独行動主義という点でも、人類が二度の世界大戦に代表される膨大な犠牲の下で築き上げてきた二十世紀までの平和主義の流れにさお差すものである、むしろ十九世紀の無差別戦争観への先祖帰りであるというふうに言わざるを得ません。
 他方で、膨大な戦略核、戦術核やクラスター爆弾を始めとする非人道的大量殺りく兵器を有し、かつ唯一実戦で使用してきた、そして今またイランや北朝鮮で使用している世界最強の軍事大国、それはアメリカ合衆国だけであるということです。
 誤解を恐れずに申し上げますと、二十一世紀初頭の国際社会の冷厳なる現実、それはブッシュ政権こそが国際社会の平和にとって最大の脅威であるということです。人権と民主主義のためにアメリカの、正確にはブッシュ政権の武力行使が必要であるという議論もありますが、しかしそれは冷戦下に存在した社会主義陣営は平和的であり、資本主義陣営は侵略的であるというドグマの裏返しでしかないと言えます。
 ところで、アメリカによるイラク先制攻撃は日米安保条約の観点からも問題があります。私自身は日米安保条約に対しては否定的な立場でありますが、日米安保条約を前提とした場合にさえ大きな問題をはらんでいます。
 すなわち、日米安保条約の第一条は、平和的手段による国際紛争の解決、領土保全、政治的独立に対する武力行使の禁止、国際連合の目的と両立しない方法を慎むという国連憲章の規定を当事国である日本とアメリカ合衆国に対して義務付けています。このような日米安保条約の観点から申し上げましても、日米同盟関係の維持、そして国連中心主義というのは必ずしも両立できないものではなかった。すなわち、小泉首相のアメリカに対する支持表明は、必ずしも日米安保同盟という観点からいっても唯一の選択肢ではなかった、むしろ避けるべき選択肢ではなかったかと思われます。
 さて、今回のイラク攻撃をめぐるヨーロッパ大陸諸国とアメリカ合衆国との間の対立は、ヨーロッパ諸国の政府首脳レベルを超えた市民の平和主義の表れという点で、また新たな平和主義の動向といった点で画期的なものです。
 すなわち、戦後ヨーロッパでは、平和主義という言葉にはナチス・ヒトラーの侵略を許した腰抜けという消極的なニュアンスが与えられてきました。しかしながら、一九九九年のNATO軍、米軍も含みますが、NATO軍による旧ユーゴ空爆を機会として、平和主義には非軍事的な人道的介入という積極的なニュアンスが与えられつつあります。これは特にヨーロッパの国際法学者あるいはヨーロッパを中心とする国際的なNGO、例えば国境なき医師団など、こうしたところでコンセンサスを得つつある、そういう動向であります。
 このような動向は、二十世紀までの国際社会における平和主義の流れと、旧ユーゴ空爆の結果という現実とを踏まえた二十一世紀の国際社会における平和主義の新たな動向であると言えます。それは次に述べます日本国憲法の平和主義に相通ずるものであると言えます。
 次に、二番目の柱に移らせていただきます。
 日本国憲法の平和主義の理解については、本調査会第六回会議の上田勝美、渡辺治両参考人の見解と私の見解、ほぼ同じくしています。ここでは、お二人の参考人の見解の中で触れられなかった点について述べさせていただきます。
 それは、憲法前文で述べられている平和的生存権が持つ意味ということです。
 第一に、平和的生存権の持つ意味は、国家の安全と市民の安全と自由とを峻別したというところにあります。すなわち、人類の歴史は両者の不一致を表しています。むしろ、前者が後者を犠牲にしてきた。言い換えますと、武力は国家の安全にとって有効であっても、それを構成する市民の安全にとっては必ずしも有効ではなかったということを表しています。それは沖縄戦という私たちの経験でも言えます。また、現にアフガニスタン、パレスチナ、イラクなどで起きている現象は正にそのことを指し示しています。
 このことを自衛隊の陸幕の幹部、これは朝日新聞で引用されていますが、端的に表現されています。すなわち、自衛隊の任務は国家を守ることだ、それが国民の生命や財産の安全につながる、自衛隊は国民を守るためにあると考えるのは間違っている。正に軍隊というのは、正にそれを組織した抽象的な人工物としての国家を守ることはできても、個々の市民の安全を守ることは必ずしも任務としていない、こういう言い方をしています。
 第二に、このような国家の安全と市民の安全との峻別ということは、日本国憲法全体の構造を非軍事的構造として成立させました。すなわち、戦争放棄、武力不保持、交戦権否認、このように国家の軍事作用を憲法から一切排除することによって市民の安全を確保している、確保しようとしているということが言えます。言い換えれば、非軍事的、平和的手段による市民の安全の確保が国家の義務であるとしていることです。
 第三に、これは最も現在において重要なポイントであるわけですが、人類普遍の価値、理念の憲法化ということです。
 すなわち、殺すな殺されるなということは人間が人間社会を作るに当たっての最初にして最大の基本的な価値であり理念であります。そのような理念を国内政治だけではなく国際関係においても適用しようとした、そのような国が我々の国の形である、そのように明示したものであると考えます。
 別な言い方をしますと、我々は果たして子供や若者に対して人を殺すなと責任と自信を持って言えるであろうかということです。国内では犯罪である、しかしながら国外では、国際関係では殺人は許される、そのようなダブルスタンダードで果たして子供や若者に人を殺すなと言えるであろうかということであります。
 この点に関連しまして非常に参考にすべき材料があります。すなわち、欧米の研究では日本の若者の殺人犯罪率は極めて低いということが話題になっております。すなわち、五分の一から八分の一の発生率です。この原因として、アメリカの研究者は日本国憲法の平和主義と戦争への不参加による心理的影響というものに注目しております。
 このように、私たちは半世紀以上一人の戦死者も出してこなかった。そのような九条を維持してきたことにやはり自信と誇りを世界に対して持つべきではないであろうかということであります。
 最後に、三番目の柱に移りますが、二十一世紀の我が国の平和主義と安全保障。
 ここで申し上げたいのは、第一に日本の地政学上の位置とそこから来る現実的脅威の可能性です。
 中国、ロシアという核保有大国があり、他方で核保有を断念した韓国、台湾、そして世界最大の軍事大国の精鋭部隊を日本、韓国に駐留させるアメリカ、このような地政学的な状況の下で現実的な脅威というのは、極めてせっぱ詰まった暴発以外にはあり得ないだろう、あるいはミサイル、爆撃機による威嚇しか存在しないだろうということです。しかも、そのような威嚇あるいはせっぱ詰まった暴発というのは、アメリカの戦争シナリオの発動におびえた形で行われる確率は極めて高いということであります。
 そうしますと、第二で言えることは、最も現実の可能性として高い脅威というのは、アメリカの戦争シナリオの実施、そこに日本が関与していく、それによって日本の有事が生まれる、このようなものが恐らく唯一であろうということであります。すなわち、日米安保同盟、周辺事態法、テロ対策特別措置法による自衛隊の兵たん支援活動が、武力攻撃事態法案が定める武力攻撃予測事態、そして武力攻撃事態と連動することによって日本の有事は生まれるのではないのかということです。
 最後に、そのような日本の地政学上の位置、現実のあり得る脅威、その下で日本は何をなすべきか。基本的には、世界の大多数の人々が普通に生き、生を終えるということを至上価値とする点から、大国中心の武力による平和ではなく、武力によらない平和、大国の独走に歯止めを掛ける平和構想、それが目下の急務ではないでしょうか。
 以上で終わらせていただきます。

○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、林公述人、お願いいたします。林公述人。

○公述人(林明夫君) おはようございます。栃木県で開倫塾という学習塾をやらせていただいております林明夫と申します。
 今日は、これからの憲法を考えるということでこのような貴重な場所で発言の機会を与えていただきましてありがとうございました。心から感謝申し上げます。
 私の主張は二つであります。安全保障を考える場合に大事なことは、国の安全保障という考え方と人間の安全保障という考え方、二つあるということを今日は皆さんに是非御理解していただきたいと思います。
 国の安全保障を考える上で一番大事なことは、国家緊急権の規定が日本国憲法にありませんので、是非この規定を作っていただきたいと。それから、人間の安全保障を考える上でこれまた大事なことは、もしここにいらっしゃる参議院の先生方が憲法についてお考えになる場合に、是非、前文の中に、憲法の前文の中に人間の安全保障という最も新しい、これから五十年ぐらい、半世紀にわたって恐らく使用に堪えられるであろう安全保障の概念を入れていただきたいというふうに思いまして、この場に来させていただきました。
 私は、日本国憲法に限らず、あらゆる国の基本法である憲法は憲法制定権者の時代認識を強烈に反映したものであるというふうに考えます。日本国は、憲法制定当時に恒久の平和を念願したがゆえに、軍隊も持たず、国の交戦権をも否定した形で徹底した平和主義を憲法の前文と第九条に明記をいたしました。敗戦直後の憲法制定権者の時代認識の表れとして、これは日本国民からも、それから世界の有識者の方々からも高い評価を得たことは皆さん御承知のとおりであります。しかし、憲法制定後半世紀が経過した今日、果たして前文と現在の第九条の内容でこれから半世紀の日本国の安全を担保できるか、日本国民の生命、財産、生活を守り切れるかというふうに問われれば、大半の国民が不安に陥っているのが現状ではないかというふうに思います。
 今、国会では有事に関する立法が検討され、参議院でも何日か先にこれが通過するというふうな新聞報道があります。私は、国の安全保障については、国の在り方を含めて日本国憲法の中でどのように考えるべきか議論をまずは深めるべきことが先決であるというふうに考えます。憲法の中に明記すべきものは明記し、しかる後に、法令にゆだねるべきものはゆだね、法律として立法の処置を取るということが適切な手順ではないかというふうに考えます。
 すなわち、私は、日本国憲法に国家緊急権の規定を明確に置き、憲法の規定の下に有事に関する立法をなすべきものというふうに考えます。なぜなら、国民の基本的人権を一時期にせよ制約せざるを得ない国家の緊急時についての立法を、たとえ国会であろうと憲法の規定なしに行うことは不適切であるというふうに考えるからであります。
 さらに、もしこれからの平和や安全保障を本質のところで考えるならば、国家の安全保障を補うものとして日本国憲法の前文に人間の安全保障、ヒューマンセキュリティーの促進を明記すべきものというふうに考えます。これからの半世紀、日本国が国際社会になすべき貢献というのは、一人一人がどのような状況であっても人間として生き抜く力を身に付けること、エンパワーメントというふうに言うそうですけれども、このエンパワーメントを人間の安全保障という観点から支援することが大事であるというふうに考えるからであります。
 本年の五月一日に、緒方貞子氏、それからアマルティア・セン両氏が共同議長になられ、日本国政府の強力なイニシアチブの下に人間の安全保障委員会が最終報告書を出されました。故小渕首相の遺志も相当受け継いでいるというふうにお聞きし、私も国連大学の方で小渕元首相の演説を聞いて非常に感銘を受けた覚えがあります。その最終報告書が国連に、国際連合に提出をされました。
 人間の安全保障という見地から人々を守り、人々に力を付けること、プロテクティング・アンド・エンパワーリング・ピープルという、人々を守り、人々に力を付けるということを日本国の国是とし、憲法前文に明記することを提言したいというふうに思います。
 前文というのは、日本の個性、日本の国際的秩序、日本の個性を生かしながら世界の国際的秩序構築に向けた主体性を持った新しいものにしなければいけないと思います。国際的な平和構築の主体的な参画者となるべき信念に基づく考え方が必要だというふうに思います。私は、日本国が今一生懸命に人間の安全保障ということを外交の基本政策の一つとして取っているのであれば、是非これを入れていただきたいというふうに思います。
 私は、過去半世紀、日本国憲法が日本の平和と安全に果たした役割を高く評価するものであります。しかし、近隣諸国の軍備拡張という現実や日本国に宣戦布告に近い主権侵害行為を継続する国家の存在を目の当たりにすると、これからの半世紀、現在の日本国憲法で日本国の平和と安全保障が保障できるのかと極めて疑問に感ずる今日このごろであります。
 五月の三日の日に「二十一世紀の日本と憲法」有識者懇談会、通称民間憲法臨調が開かれ、そこで北朝鮮から拉致をされた家族の代表であられる蓮池さんのお兄さんのお話を聞き、日本国民の一人として深く考えさせられました。この公聴会に出させていただいたのも、そこで蓮池さんのお兄さんのお話を聞いて、何か私もしなければというふうな思いをして出させていただいた次第であります。
 是非、これからの半世紀の使用に堪えられるだけの国の基本法を目指し、日本国憲法の全面的改正を提言したいというふうに思います。
 ただし、憲法改正のための国民投票法等の手続法が不備なために、実際には憲法改正は不可能となっています。日本国憲法に改正条項が存在するのに、改正のための手続法の整備を怠ることは、たとえどのような理由があろうと、憲法尊重義務に反し、憲法秩序に反するものというふうに私は考えます。立法の不作為というふうに言っても言い過ぎではないと思います。これは、公正さ、フェアネスに欠けるものであります。是非、国会においては、憲法改正手続法制を早急に整備し、憲法秩序を整合性あるものにしていただきたいというふうに思います。
 憲法の担い手は、選挙で選ばれた議員の皆様だけではなく、日本国民の一人一人であるというふうに考えます。
 これからの半世紀のあるべき姿、国民の生命、財産、生活を守るための平和と安全保障のあるべき姿を、国際社会の現状を直視しながら、是非直視してください、直視しながら、本音で議論をし、国の基本法である憲法秩序を考え、憲法においてこそ国家戦略的思考を持って改めるべきことは改めることが重要であるというふうに考えます。
 インターネットのホームページを私も活用させていただきまして、この憲法調査会の公聴会を知りました。このように、インターネットのホームページを活用して、国や地方の議会や、国や地方の行政での意思決定過程の情報を開示し、国民からの意見を聞く仕組みを作り上げ、民主政治を促進することを私はe―デモクラシーというふうに呼びたいというふうに思います。
 この参議院で、憲法調査会、このように開かれ、また衆議院の憲法調査会が開かれ、その議事録や提出資料がインターネットのホームページで次々に公開されていることも、国の基本法である日本国憲法の再検討過程、再検討プロセスの透明性を増し、国民への説明責任、アカウンタビリティーを果たす上で意義深く、e―デモクラシーの推進に役立っているというふうに思います。
 野沢太三憲法調査会会長様、それからここにいらっしゃる委員の皆様始め、熱心に御議論なさっていることはよく分かります。事務局の皆様の御努力に対して、国民の一人として心からお礼を申し上げます。
 私は、一九九八年に世界銀行のセミナーがありまして、たまたま私は公共部門の民営化の勉強をしに行ったんですけれども、その手前でたまたまNATOの、北大西洋条約機構の五十周年を控えてセミナーがありまして、そこに参加しました。バージニア州のノーフォークで開かれた、オールド・ドミニオン大学で開かれたセミナーに参加しましたら、そこに数多くのNATO軍の最高司令官とかNATOの参加者、NATO参加各国の責任者がいらっしゃいました。これからどのように安全保障について考えるか、熱心に議論をしていました。
 日本人が行ったのは私と通信関係者の方一人だったんですけれども、そこで言われたことは、北朝鮮からミサイルが飛んできたのに、なぜ日本の人々は静かにしているのか、何十人もの方が質問を受けに来ました。非常に衝撃を受けました。
 日本の国内では歴史学者とか政治学者の方々が随分いらっしゃいますけれども、戦争の歴史の研究、それから現在の軍備状況を踏まえて戦争の抑止のための研究ということをなさっている方が余りにも少ないというふうに思います。是非、これからは日本の学者の方も、それから一般市民の方も、自衛隊やアメリカ軍の視察やセミナーにもっと参加をし、実情を踏まえた議論をする必要があるというふうに思います。
 それから、中国軍や韓国軍、北朝鮮軍ともどんどん交流を深めて、現実を踏まえた上でどうしたらいいか、お互いの国にとっての平和が達成できるのかについて考えることが日本にとって大事であるというふうに思います。戦争は猜疑心から生まれます。どんな国も戦争を望む国はありません。率直にお互いの立場を話し合い、認め合うことが大事だというふうに思います。
 私は、国際連合教育科学文化機構、ユネスコというのがありますけれども、たまたま民間企業でもユネスコ協会ができるということで、開倫ユネスコ協会というふうなものを設立させていただきまして、その会長を務めるものでありますけれども、子供たち、それから地域の方々と一緒に、どうやったら人間の安全保障というふうなものが促進できるかということを一生懸命考えて、この六月の十七日にも人間の安全保障を考えるという、そういうふうな勉強をさしていただきたいというふうに思っています。市民の一員ですけれども、こんなことを皆さんとともに考えていきたいというふうに思っています。
 それから、国の安全保障についてはどんなふうにだれが考えるかについてですけれども、是非、参議院の先生方は、お願いしたいのは、皆さんは国の、これから日本国憲法を考える上での憲法制定権者の中で一番大事な方々であります。ですから、是非御自由に議論をしていただいて、これからの日本の五十年後、百年後を考えていただいて、どうしたらいいか、日本国の安全保障をどうしたらいいか、根本のところから考えていただければ有り難いと思います。是非、御熱心な議論をしていただくことによって、日本国国民の信託にこたえていただければ有り難いと思います。
 大変僣越な話をさしていただきましたけれども、私も社団法人の経済同友会の憲法問題調査会というところで一生懸命、日本国憲法をどうするか、それから日本の国のありようをどうするか、仲間たちと、仲間の経営者の方たちと一生懸命考えていますので、どうか皆さんも国の代表として熱心に御議論していただくことを期待いたしまして、ごあいさつとさしていただきます。
 どうもありがとうございました。

○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 次に、藤井公述人お願いいたします。藤井公述人。

○公述人(藤井富美子君) おはようございます。私は、五歳と三歳の子供がいる主婦で、藤井と申します。子供を持つ立場から今回お話しさせていただきたいと思います。
 このたびは公述する機会を与えていただいてどうもありがとうございます。では、早速ですけれども私見を述べさせていただきたいと思います。
 憲法、日本国憲法と今次有事法制の意味するものを考えてみますと、憲法制定時は日本が侵略国家であったのであり、周りは善であるという前提で作られているように思います。ですから、敵はいないんだと、作らないんだということで今までやってきたように思います。今回、有事法制が成立する見通しみたいですけれども、これは、今までならば超法規的に政治家が戦争を選択できないシステムであったものが、政治家が戦争を決断できる体制になることを意味しているというふうに思います。私は、憲法九条は、自衛も含めてあらゆる戦争を否定してきたと、否定しているというふうに解釈してきました。戦争を政治決断できなかった今までは、自衛の範囲まで事細かに定義する必要もなかったかもしれません。しかし、あらゆる戦争が自衛の目的で行われてきたことを考えるとき、戦争をできる国になろうとしている日本にとって、現実問題として自衛の定義付けは極めて重要な意味を持っていると思います。
 先日、新聞を見ますと、ミサイル攻撃を受ける場合を想定し、自衛隊が敵基地攻撃能力を持つことを検討に値すると石破防衛庁長官が国会で答弁したようですけれども、これは果たして自衛なのかということが問われるべきだと思います。
 現代は国家の安全保障の時代から個の人間の安全保障が重要視される時代になったとの認識を私は持っております。私たち人間は国家を選んで生まれてくることはできません。生まれてきたところに国家があったのであって、国家があったから我々が生まれてきたわけではないわけです。とすると、生物として生きるために生まれてきたわけですから、その生きる権利はだれにも侵されてはならないものであって、たとえそれが敵対国の人間だから殺していいということで、向こうの人間、例えば小さな子供を殺すというようなことは絶対に許されないというふうに考えます。
 現在、交戦時の条件として、意図せざる非戦闘員の殺傷が許容されているようですけれども、しかしながら、人間の安全保障が叫ばれる現在、これはもはや許されないというふうに考えます。攻めてこられたらそれをはね返すというのは正当な防衛権であると、これは当然の正当防衛権であるというふうに考えます。しかしながら、これが本当に正当であるためには、民間人を巻き込む誤爆というものは絶対に許されてはならないと思います。
 ですから、今この九条を、二項を削除するという案が出ているようですけれども、私は憲法を改正する、その部分で改正する必要はないとは思っていますけれども、もし二項を削除して自衛戦争が認められるというふうな解釈でいくならば、相手国領土に反撃しない範囲の自衛に限定すべきであるということを憲法に明記すべきだと思います。
 自衛権に関連することですけれども、自民党の憲法改正素案というのを新聞で見さしてもらいましたけれども、これは国民に国家防衛義務を課すということですけれども、これは国家は間違ったことをしないという前提に立っているように思います。間違ったことをしているか否かは各個人が判断すべきで、国家防衛義務によって、国家に不都合な情報が流されなくなるようなメディア統制や、個人の知る権利や思想や良心の自由を侵す危険が生じてくるので、私は反対です。
 民主主義社会とはいえ、政治に反映されない意見を持つ少数派にまで、戦争という生死を懸けた場面で、国家が国民一人一人に国家防衛に命を懸けなさいと言う権利はないと思います。どのように生き残りを懸けるかは最終的に各個人にゆだねられるべきものであって、強制すべきものではありません。ただし、本当に正しいことをしていれば、国民は義務など課されなくても政府を支持するはずです。
 集団的自衛権についてですけれども、現在の日米同盟は、日本は個別的自衛権、そして米国は集団的自衛権ということになっています。これは不平等だと。日本にとっては、アメリカに守ってもらっていて、日本はアメリカを守らない、何か悪いことをしているような負い目があるということで、同盟を確固としたものにするために集団的自衛権を行使すべきだという声があります。
 しかしながら、米国は予防的先制攻撃を是とする国になっています、今。その国と集団的自衛をするということは、米国と同様の立場を取ることを意味しています。私たち国民の命も危険にさらすということになるわけです。国民を守るための安保が、国民の命を危険にさらすという本末転倒になるわけです。国防方針を異にする国との集団的自衛権は認められないと解するのが妥当であると思います。
 その代わりに、極東アジア地域安全保障機構というようなものを創設して、この地域の安全保障をアジアの国々で定期的に協議する場を設けて、日本の安全保障が米国一国に左右されることがないようにしながら独自外交を持つようにしていけばいいというふうに思います。
 世界の集団安全保障についてですけれども、現在の世界の状況を見ますと、国家間の対立に対して国際社会は必ず戦争を回避できるシステムを持っていません。つまり、国連は必ず助けてくれるわけではないわけです。最後は軍事力の強大な者が勝利を収めて発言力を強めるというふうになっているわけで、今回、超大国米国の独走に歯止めを掛けれず、イラク戦争を止められなかったことがそのことを物語っていると思います。これでは自国を防衛するために軍拡を進める国は後を絶たないだろうと思います。
 こういった状況の下、日本も大国なんだから平和創造に尽力すべきであり、自衛隊の派遣は国際スタンダードに合わせるべきだという声があります。しかし、その前にちょっと考えてほしいわけです。この場合の平和創造は、現在の段階で米国の世界支配にくみすることを意味すると思うんです。それに対して日本も協力していくんだということになりますと、日本国民に対するテロの危険性も増してくると思われます。
 そもそも自衛と平和創造というのは、自分を、自分の身を守るという点から見れば対極に立つものだと思います。自衛というのは、命を保つため、守るために行うわけであって、戦争にならなければ最善である。ところが、平和創造というのは、自らの命をわざわざ危険にさらしに行って平和を作っていくという作業をするわけです。この場合、戦争に加担する可能性も出てくるわけです。そうすると、この国防というものと平和創造というものを両立させるためには、平和創造に国益とか国籍とか、そういったものを持ち込まないことが大事だと思います。
 ですから、今の、現在の世界の状況に合わせるというだけではなくて、日本は世界に積極的に提案をしていくべきであると考えます。
 国連憲章五十一条が有効に機能し、安保理が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を必ず取ることができるように、自衛の範囲を、先ほど私が言ったような、他国の領土内に攻撃しない、反撃しないという範囲で明確に定義していくこと。そして、その自衛を超えた武力攻撃事態に対しては、国益を代表しない国際警察軍というようなものが必ず派遣され、各国の独立と安全を守るというようなシステムを作ることによって、国連は必ず助けてくれるんだ、じゃ自分たちの軍備はそんなに必要ないなということで、軍備は縮小に向かうだろうと思うんです。一応この国際警察軍というのは、元首相であった石橋湛山氏が昭和四十三年に「日本防衛論」という論文で述べておられるのをちょっと拝借したわけですけれども、こういった国際警察軍というようなものができれば、それは日米安全保障条約十条にもかなうことだと思います。
 安保条約十条には、この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本政府及びアメリカ合衆国政府が認めるときまで効力を有するというふうにあります。友好国でもあり同盟国でもある米国とともに、各国が同意できる国際ルール作りに取り組んではどうかというふうに思います。
 国益を代表しない国際警察軍ができれば、米国は超大国として世界ににらみを利かすことはできなくなりますけれども、浮き立たない分、米国もテロの危険性が低くなるという利益を得ることになります。
 最後にちょっとまとめたいんですけれども、憲法九条は、戦争では国際紛争解決しない、有事を想定しないことで、話合いによってのみ国家間の問題を解決する方途を示し、戦後五十有余年、私たち国民を戦争から守ってきました。残念ながら、有事が想定される時代に入ってきました。有事を想定し、国民を守るというふうに言うのならば、国民全員分の核シェルターの建設であるとか、危険な原発を廃棄して新しい発電手段を構築するとか、迎撃ミサイルの配備など、いろいろ求められますが、そんな財政的余裕はないでしょうし、北朝鮮問題には間に合っていません。では、敵基地攻撃を、攻撃すればいいんだという理論が出てくるわけですけれども、誤爆のない攻撃なんてあり得ないことを思えば、正当防衛とも思えません。
 私は、この九条が古いとか、理想であって現実的でないとか、そういうふうには思いません。これは将来の世界のあるべき姿を示していると思います。
 私は、現在の超大国アメリカの世界の警察的な行動を否定するものではありません。現在、世界平和のための警察があるわけではないので、世界に平和を築こうとしている米国の行動は一定の評価がなされてよいと思います。しかし、米国自身の財政負担と兵士の命を懸けて行うこの警察的行動は米国自身の国益に沿ってなされるがために、必ずしも世界に正当性を示すものにはなっていません。そこに米国に対するテロが生じる遠因があるのであって、国際社会はいよいよ米国の世界警察による世界の安定というものから、もっと公正な組織による警察的行動を構築していかなければならないと思います。
 以上です。ありがとうございました。

○会長(野沢太三君) ありがとうございました。
 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。
 速記を止めてください。
   〔速記中止〕
○会長(野沢太三君) 速記を起こしてください。
 これより公述人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 福島啓史郎君。

○福島啓史郎君 まず、大井公述人にお聞きしたいと思います。
 今回のいわゆる有事法と言われます武力攻撃等の事態に対処した国の安全確保、国民と国の安全を確保する法案でございますが、その中では国防、国を守る手段として三つの方策を定義しているわけでございます。一つは、要するに自衛隊によります武力でもって武力を排除する、終結させると、武力攻撃事態等を終結させるということ、それから二番目は日米安保条約に基づきます米軍との、米軍の行動でもって排除するということ、それに対する支援措置を講ずるということ、三番目には外交措置という、三つの手段を組み合わせることによって武力攻撃事態等を早期に終結させるというのがこの今回の法案の国の武力攻撃事態、つまり国防の基本的な手段として位置付けているわけでございます。
 それで、そうした考え方につきまして、その三つの手段でもって我が国の安全、国の安全を守っていこうという考え方を法案では意図しているわけでございますが、それについての大井公述人の考え方をお聞かせください。

○公述人(大井赤亥君) 今議論になっている有事法制の件ですけれども、例えば国家のいわゆる緊急時に自衛隊あるいは警察が超法規的に行動するということは望ましくないことだと思います。
 ただ、ほかの公述人の方の発言もありましたけれども、例えば、じゃ、有事法制が今までなかったわけですよね。つまり、そういう場合の法制がなかったわけですけれども、でも客観的な事実として、そういう法制がなかったこの五十年間は少なくとも日本が戦争に巻き込まれることはなかったという事実が一つあります。そこについてもしっかり評価される必要があるだろうと思っています。もちろん、北朝鮮のことがあるので脅威は、まあメディアの問題もあると思いますけれども、それが有事法制が必要だという議論に追い風になっているかと思いますけれども、ただ、冷戦のときだってそれは脅威、潜在的な脅威というのはたくさんあったわけで、ただ、その時代でも有事法制がない五十年間は日本は戦争に巻き込まれることはなかったということは一つ評価される必要があると思います。
 やっぱり、今おっしゃられたアメリカの支援や自衛隊の活動を定める法制ですけれども、今、国会で議論されている有事法制に関して言えば、例えばイラク戦争におけるアメリカのあの行動を見ても、これから北朝鮮とか台湾のことに関して、この有事法制を通すということは、やはり日本は戦争に巻き込まれる可能性というのは有事法制がない五十年間に比べれば高くなるという危惧を私自身は持っています。

○福島啓史郎君 私が申し上げたのは、今回の有事法でもって、有事法制でもって三つの方策によって国を守っていこうということを決めているわけじゃないんです。今までそうやってやってきた措置を更に円滑にしていこうということなんですね。公述人も、大井公述人に対する質問なんですが、も言われましたように、正に五十年以上にわたって日本の国に対します武力攻撃事態等がなかったということは、正にそうした三つの方策によって国が守られてきたということを意味するんじゃないかと思うわけでございます。
 それじゃ、その次に、二番目の質問を大井公述人にしたいわけでございますけれども、公述人は東アジアにおきます多国間の平和条項、これは平和・経済機構の創設に向けた外交努力が必要だというふうに述べておられます。私もこうしたものが望ましいと思っております。それで、現実的な対応としましては、まず経済的な諸国間の取決めをやっていこうと。基本的にはFTAという形でもって東アジアに今広げていこうと。御案内のように、FTAといいますのは、各国ともいろんなセンシティブな品目につきまして現実的な対応をしながら、できる範囲でもって貿易を、関税等をゼロにしていこうということなわけでございます。そのことによって貿易を促進しようということでございます。その上に立って、信頼醸成のための軍事当局による話合い等を積み重ねることによって東アジアの経済あるいは安全保障機構というのができていくんだろうと思います。
 そうした努力をしていかなけりゃならないと思うんですが、そのことと日米安保条約が矛盾するということを言っておられるようでございますけれども、私は、そういうことはない、むしろ、先ほど申しましたように、日本の安全を守る三つの方策を維持しながら、そうした東アジアの経済、安全保障機構を作っていくという考え方は矛盾しないと思うんですが、その点についてはいかがですか。

○公述人(大井赤亥君) 日米安保と矛盾するという、はっきり矛盾するというふうには思っていません。
 ただ、というのは、例えば韓国や中国などにも、日本が日米安保を維持して、日本の独自の軍事力、また軍事大国化するという懸念があるということは承知しています。ですから、日米安保が一部そういう不安を取り除くということで果たしている役割は現実的にはあるかと思います。
 ただ、同時に、その日米安保を結ぶということが、じゃ、例えば北朝鮮の問題に関して、今、日本と韓国の連携が非常に重要だと思っています。というのは、アジアの当事者で戦争が起きれば多大な被害を受けるのは韓国のみならず、日本も受けるわけですから、この日本と韓国。それから、今政治のレベルのみならず、若者とか民間の、韓国に私自身も友だちが何人かいますけれども、そういうレベルでつながりもできているわけで、日本と韓国の連携はすごい重要だと思っています。
 ですから、日米安保を結んでアメリカの軍事力によって極東地域をすべて……

○福島啓史郎君 済みません、ちょっと簡単にしてください。

○公述人(大井赤亥君) はい。まとめるということが、日本の主体的な努力をなしに済ませているという現実があるということを指摘したわけです。

○福島啓史郎君 次に、北川公述人にお聞きしたいわけでございますが、公述人は、国際社会における平和主義の歴史を振り返られて、第一次世界大戦後の不戦条約等の戦争の違法化等が進められたと。しかしながら、歴史を振り返ってみますと、間もなく、そうした動きから十年少しの間に、たつかたたないかの間に第二次世界大戦というのが勃発したわけでございます。そのことをどういうふうに考えておられるかということと、やはり自衛権、その内容として、武力を持たなければ、例えば戦後にもありましたですね、ソ連によりますハンガリー動乱あるいはプラハの春といったような事態をどうやって防ぐのか、その点についても併せてお聞きをしたいと思います。
 なぜ第二次世界大戦が起きたということと、そうしたソ連の侵入等の事態をどうやって排除するかということでございます。

○公述人(北川善英君) まず、前者の点ですが、国際連盟の問題も、そして国際連合の問題、やはり基本的なポイントは、大国を規制する具体的な方策が、実は大国の不参加、これは国際連盟の場合です、国際連合の場合には大国のみに拒否権を与えている安全保障理事会、こういったところにあるのであって、一般的にとにかくいいことは言っていたけれども駄目だったというとらえ方はできないと思います。それが第一点です。
 もう一点は、武力による平和ということなんですが、ハンガリー動乱、これは非常に特殊なケースですね。すなわち、ソビエトにとっては勢力圏であり、ハンガリーの、当時社会主義国であったわけですが、その場合、どういう経緯で社会主義国になったか、これは明らかにソビエトの衛星国としてなったという側面があります。その問題と、もう少し一般的に日本が武力ないままに平和を維持できるかという問題はやはり区別した方がよろしいかと思います。
 私が強調したのは、日本という地政学的な位置あるいは現実の東アジアの在り方、こういった点から見ますと、日本が武力を持って平和を維持するというときには、藤井公述人がいみじくもおっしゃったように、核ミサイル防衛しかないということなんですね。じゃ、核ミサイル防衛が本当に市民の安全を保障するか。
 核ミサイル防衛というのは、これは単純明快です。確実なミサイルを、相手方の弾道ミサイルを発射直後の空域に爆発させる。すなわち核爆発を起こさせ、そこに敵方の弾道ミサイルを突入させて蒸発する、これしか現時点では技術的には不可能であるわけですね。ところが、問題は偏西風が吹いております。偏西風に乗って死の灰はすべて日本列島に舞い降りるわけですね。しかも、それだけの問題ではなく、日本が核武装をすれば、周りの国はどうなのかということです。
 このように考えていきますと、実は最も非現実的であるような武力なき平和、あるいはそのための様々な努力が、実は最も現実的かつ有効ではないかというふうに私は考えております。

○福島啓史郎君 今回の有事法制、今参議院で審議しているわけでございますが、衆議院では九割を超える議員の賛成を得たと。
 私は、民主主義といいますのは、国民が議員を選ぶ、その議員が国会という場を通じて意思決定をしていく、その仕組みは世界の人間の歴史の中で達成された私は最善のシステムだと思います。そのシステムの下に我々は、自衛隊の運用にいたしましても、この民主主義に基づきますシビリアンコントロールでもって運用していく、運営していく、これもまた人類の英知だと思うわけでございます。
 そうした観点に立ったときに、北川公述人にお聞きしたいわけでございますが、なおかつ民主主義というものを、先ほどのソ連のハンガリー、あるいはハンガリー侵入、あるいはプラハの春と違うと言われましたけれども、そうした事態に市民が抵抗しても、それを排除していったわけでございますね、ソ連は。したがって、そうしたときに、それを排除する自衛権の代用としての武力を持つことは私は当然のことだと思いますが、そうした民主主義、シビリアンコントロール、それに基づく軍事力の行使、これについてはどういうふうにお考えですか。

○公述人(北川善英君) 私たち憲法学者の作る学会のここ数年のテーマは、民主主義と立憲主義というテーマを掲げています。それはどういうことかといいますと、簡単に申し上げますと、民主主義は過ちを犯すこともあり得るという前提に立っております。
 その根拠は極めて単純明快です。人間は神ではありませんから、幾ら多数決であっても、九割の人間で間違うことは十分あり得るわけです。民主主義というのは、近代の民主主義はそういうことを想定しまして、一方では三権分立というシステムを導入しております。他方で、近代の当初は、一人一人の個人の抵抗権という権利を宣言しておりました。それは、現代の憲法の下では表現の自由あるいは参政権、いろんな形で具体化されております。
 したがって、第一点の民主主義、すなわち九割の賛成で通したというふうにおっしゃいますが、しかしそのことからしますと、実はアメリカは九割以上の、ほとんど九十何%の支持でこの間のイラク攻撃あるいはアフガニスタンの空爆というのを通していますが、しかしヨーロッパ諸国を、代表的であるわけですが、中近東あるいはアフリカ諸国からも多くの反対が出ております。このことは決して九割以上で賛成したから常に正しいということは言えないということを示していると思います。
 以上です。

○福島啓史郎君 私は、司法的な審査、あるいは個人の権利をそういう表現の自由によって表明するのは構わないと、もちろんそれは権利でございますから。ただ、民主主義というのはそういったものによって国家として意思決定をしていくんだということは、私はそれを否定しますと国家として成り立たなくなるというふうに思っております。
 次に、林公述人にお聞きしたいわけでございますが、公述人は日本国憲法の中に人間の安全保障を明記すべきだというふうに言っておられます。このことは個別の、憲法の個別条文におきまして現在基本的人権というのが規定されているわけでございますが、それでは不十分だということなのか。したがって、その個別条文をこういう形でこういうものを設けるべきだという特別なお考えを持っておられるかどうか、お聞きしたいと思います。

○公述人(林明夫君) 福島議員には、質問をしていただいてありがとうございますと感謝申し上げます。
 日本国憲法の本文に規定してあるのは、日本国国民に対する国内における恐らく憲法の規定だと思うんですね、人権に関する。私がここで言っているのは、もちろん日本国民に対する人間の安全保障ももちろん大事だと思います。それはそれで徹底してやっていただきたいと思うんですけれども、ただ、国際貢献としての人間の安全保障、それから国際社会における日本の役割というのがありますけれども、これから果たすべき役割というのは、一人一人の人々に注目をしていただいて、その一人一人の人たちが、特に紛争前ですね、紛争前、特に女性の権利であるとか、それから貧困の絶滅であるとか、そういうことで戦争の原因になる、紛争の原因になるものを除去していただきたいと。それから、戦争の途中、紛争の途中、それから紛争の後、そういうプロセスに応じて、紛争のプロセスに応じて一人一人の個人に注目をしていただいて、力を付けていただくような、そういうふうな形で考えております。
 ですから、できれば憲法の前文が一番私はいいと思うんです、規定していただくんであれば、考えるのなら。ですから、先生おっしゃるのは、日本国民に対する文章が恐らく憲法の条文の本文の中であると思うんです。ですから、それはそれでまた日本国民に対する人間の安全保障をそこでやっていただきたいと、そういうことであります。よろしくお願いいたします。

○福島啓史郎君 林公述人の言われました点、十分考えていかなきゃいけない点だと思います。ただ、それと同時に、日本国憲法を、正に公述人も言われました、国の基本法を目指して、半世紀あるいは一世紀、更なる使用に堪えられるような基本法というものを作っていかなきゃいけない。そのために、自由民主党といたしましては憲法改正手続法制の検討をしております。既に法案という形でもまとまっておりますので、是非この手続法の制定を各派との話合いを経まして成立させていきたいというふうに思っております。
 ちょっと時間の関係で、次に藤井公述人にお聞きしたいと思います。
 藤井公述人は国連の役割を非常に高く評価されておられます。私も国連の役割は重要だと思うわけでございますが、その国連憲章の中で、現在、敵国条項があるというのを御存じでしょうか。

○公述人(藤井富美子君) はい。

○福島啓史郎君 それについてはどういうふうにお考えでしょうか。

○公述人(藤井富美子君) それは撤廃していく方がいいと思います。撤廃していく方がいいと思います。

○福島啓史郎君 要するに、国連憲章といいますのは、そうした時代的背景の下に生まれたということだと思います。それで、日本としましても、この五十三条の敵国条項はできるだけ早く撤廃、廃止をすべく国際社会に働き掛けていかなければならないと思っているわけでございますが、その関係で、公述人は国際警察軍というのを主張しておられます。石橋湛山元首相の言を引用されながら国際警察軍について言及されておりますが、これと、現在の国連憲章四十二条に基づきます、安全保障理事会によります武力行使との違いはどういうふうに考えておられますか。

○公述人(藤井富美子君) 安全保障理事会で行う国連軍というのは、結局安全保障理事会のメンバー、特に拒否権を持つ五大国の国益に沿わなければ、例えばこれは武力行使、武力行使というか、割って入らなあかんと思うところでも、まあまあまあという感じで、結局そこに仲介しに行かない可能性もあるということです。今のシステムのままであれば大国の利害で左右されるから、そうではなくて、もっと国際的にきちっとした、こういう場合には必ず部隊を派遣しますということをルールとして、それで、それに基づいた派遣がされるようにすべきであるという考え方です、私は。

○福島啓史郎君 しかし、国際警察軍というのは、仮に生まれたとしても、何らかの意思決定はしていかなきゃいけないと思うんですね。多分それを構成する国際警察軍も各国から派遣される、供出されるということになると思うんですが、その点はどういうふうに考えておられますか。

○公述人(藤井富美子君) 具体的な過程というのは各国で、それこそ国連の場できっちり話し合っていただきたいとは思うんですけれども、ただ、私が言いたいのは、そういうシステムを構築しない限りは、例えば今北朝鮮と日本との関係が不安定で、日本には例えばアメリカが、それから北朝鮮には中国が付くか分かりませんけれども、例えば大国中国が付くとして考えて、例えば戦争になったとした場合に、これはどっちが正しい間違いというのがなく、単なるけんかになるわけですよ。

 それが、例えば日本と北朝鮮が例えばもめて戦争になるというような事態に、どっちが手を出したというようなことをきちっと判断する場、例えば北朝鮮は先に手を出していないとかいう場合であれば北朝鮮側に国連のそういう国際警察軍みたいなんが付いて守ってやると、日本が悪くないんであれば日本の方にそれが付くというような公正な立場のものが必要じゃないかと。それは今国際社会には存在し得ないものだというふうな解釈なんです。

○福島啓史郎君 国際社会の中で……

○会長(野沢太三君) 福島啓史郎君、時間来ています。

○福島啓史郎君 はい。これを最後にします。
 ないものを前提に考えるわけにはいけない。したがって、今の仕組み、あるいは今あるものをできるだけ改善をしていく方向で日本の国の安全を確保する、そうした観点から、私は今回の有事立法は非常に意味あるものというふうに考えております。それを申し述べまして、私の質問を終わります。

○会長(野沢太三君) 江田五月君。

○江田五月君 四人の公述人の皆さん、今日は本当にありがとうございました。

 いや、本当に大変レベルの高い話、皆さんそれぞれ聞かせていただいて、感銘を受けて、非常に面白かったですね。しかも四人とも、いろんな違いはもちろんありますけれども、それぞれ個性があって、そして大体同じ方向を向いておると。午後はちょっとトーンの違う人も来るようですけれども、午前中は本当に皆同じ方向を向いていらっしゃるというんで、国民の意見の大きな方向を示しておるのかなという感じがしました。

 それと同時に、人の意見というのはよく聞いてみないと分からないと。藤井公述人が、憲法作ったときは日本だけが悪くてほかは全部善だと思っていたら、案外世界はそうでもなかったと、こう話を始められて、そこで、これは日本のオオカミの群の中における安全の保持のためにという議論に行くのかとちょっと思ったら、そうじゃなくて、本当に国際社会の共同の対処ということを非常に重視されると。面白かったです。

 四人に共通しているのは、まず、恐らく共通していると私は判断したんですが、個人の尊重が一番大切だと。これも藤井参考人の言葉によると、生まれてきたらこの国だったんで、国家があったから生まれたんじゃないというのは、本当にそのとおりですね。そして同時に、主権というものの相対性、相対化。主権というものが絶対的なものからだんだん相対化していく。同時に、それとの兼ね合いで国際社会というのが非常に重要になってくる。その国際社会をしっかりしたものに作り上げていくために日本はやっぱり果たさなきゃならぬと。大体そのような共通項があったと思うんで、これは私も大賛成で、その点についていろいろ議論をするということはもう大賛成ですから、みんな意見同じですからやめます。

 そこで、まず大井公述人に伺いますが、大井公述人の御意見ずっと伺っていて非常に面白いと思ったのは、これは御自身でお気付きになっているかどうか、プロセスというのを重視される、プロセスに大変な意味を置かれるというところがあると。

 例えば、アジア太平洋に一つの共通の国際秩序の機構を作っていこうと。そういう議論をすることがその地域の安全に寄与するんだということを言われましたね。あるいはまた、今度のイラクの戦争前の国連の議論についても、その議論の中で戦争の予防化というのがますますみんなの共通の認識になっていったんだというようなことをおっしゃったんですが、このプロセスの重視ということについて、もうちょっとそのことをとらえてお話ししていただけることがあれば、話してみてください。

○公述人(大井赤亥君) じゃ、簡単に二つだけお話ししたいと思います。いずれもすごい抽象的で、ちょっと学生にしては生意気なんですが、御容赦ください。

 一つは、プロセスのことなんですけれども、東アジアの問題でいえば、藤井公述人もそのようなことを少しおっしゃっていたと思いますけれども、つまり対話のチャンネルがないと相互不信が続くということですね。北朝鮮に対して今メディアの状況は非常に危惧していますけれども、それは、北朝鮮に対する正確な情報なり、あるいは政治の場でも民間の場でも対話のチャンネルがないからだというふうに思っています。

 ですから、民主主義もそうだし、信頼を作っていくという作業も、実際していく中で作っていくわけですよね。ですから、民主主義だってそうだと思うんです。うちの国はまだそういう素地もないし、情報も経済発展も低いし、国土も広いから民主主義はまだ早いんですというような理由で民主主義を受け入れていない国もありますけれども、そうじゃなくて、実際そういう中でもちゃんとそういうふうに踏み出していく、その中で育っていくものだと思うし、国際関係もそうだと思っています。ですから、対話をしていくそのプロセスの中で本当の目的が達成できるんじゃないかというふうに思っています。

 それからもう一つは、国連の場でのプロセスの重視ですけれども、これは、国際連合という、国連の場でそういう法規に基づいた組織が曲がりなりにもあるわけですから、そういう力の既成事実じゃなくて、法なり、そういう人間の法規がちゃんと支配しているんだ、そういうことを対外的には建前の上だけでもしっかり示すということは、今後の可能性ということでもすごい重要だと思っています。

○江田五月君 もう少し大井さんに伺いますが、国連の下での軍事行動が行われると、今はなかなか国連での軍事行動となっていないんですが、これから国連改革が進んで国連での軍事行動が行われるというシステムまで到達した場合に、日本はこれに参加をすべきか参加すべきでないのか、この点は大井さんはどうお考えになります。

○公述人(大井赤亥君) 難しい問題だと思いますけれども、だけれども、問い詰めて考えなきゃいけない問題だと思っています。

 一つは、国連の場でちゃんと、レジュメにも書きましたけれども、プロセスとしても正当性を持って、かつ、例えば一国の主権の中で多大な人権侵害が行われているとか、あるいは無法な国際的な侵略があった場合に、妥当若しくは正当、どうしても必要だという軍事行動がある場合はあるかもしれません。私自身としても、例えば一国内の人権侵害だとかあるいは不法な国際侵略に対してはちゃんとした態度を取るべきだと思います。

 ただ、同時に、国連憲章と日本国憲法は非常に類似性があると思いますけれども、これは価値判断になるかと思いますけれども、日本憲法の方が進んでいる点はあると思います。もちろんそれは実効性がないということで批判されるかもしれませんけれども、国連憲章も行く行くは憲法の、日本国憲法の方向に沿って改善の余地もある部分はあると思うので、そこはやはり憲法が普遍性を持っているんだということを国際社会に認知してもらって、その上で日本は非軍事的な、あるいは警察力の派遣とかはいろいろ議論があるところかと思いますけれども、そういうところで活躍していく。それでも十分国際社会の主要な構成員として名誉ある地位を果たせる役割できると思っております。

○江田五月君 そこのところは、最後、もう少し多分詰めた考察が必要なのかなという気がします。

 私自身は、日本国憲法と国連憲章、確かに違いがあるという立場もあるわけですけれども、しかし、むしろ二十一世紀ということで考えてみると、これからの世界全体の秩序、地球憲法を考えてみたらどうだろうかと。それもまあ国連憲章ですよね。その地球憲法と整合性のある各国の憲法ということで、世界の秩序やそれぞれの国の安全保障といったことは考察をしていった方がいいんじゃないか。そういうことから、各国の憲法と世界の憲法の実情とを考えたら、この二つのものは当然整合性を持ってこなきゃならぬし、日本国憲法の場合もそういう形で国連憲章と整合性があるという考え方は成り立ち得ると思っているんですが、時間の方が過ぎていきますので、次に北川公述人に伺います。

 この大多数の人間が普通に生き、生を終える、これは非常にいい言葉で、そうした方向に向けて人類普遍の価値、つまり殺すな殺されるな、これをそれぞれの個人の価値から国の価値へと変えていく、これが日本国憲法であって、これが日本の国の形だということは大変感銘を受ける言葉ですが、しかし、これはもう北川参考人御自身がそうおっしゃりながら恐らくお分かりだと思うんですけれども、現実の世界はなかなかそうではないぞという反論がすぐ出るわけですね。この現実の世界をどう作っていくかというのが実は現実の政治の大課題であると。

 北川公述人は、国連の集団的安全保障体制、これはどういうものができるかにもよりますし、百点満点ができるかどうかはなかなか難しいと思いますが、百点満点のものができたとして、日本はその集団安全保障体制に参加するということについてはどういうふうにお考えですか。

○公述人(北川善英君) 私は、国連中心主義というふうに一般的によく言われるんですが、必ずしも国連そのものを集団安全保障として日本が具体的にどうするかという段階ではまだないと思います。

 それよりも、むしろ日本にとって急務なのは、やはり東アジア地域で、例えば核兵器をなくすという意味での非核地域構想あるいはアジア集団安全保障、そういったものをやはり、先ほどの江田議員あるいは大井公述人からも出ていましたような正にプロセス的な思考ですね、そういう段階を踏まえた、今のところやはり東アジア地域でまず手を付けるべきではないのか。

 その際に、やはり問題になるのは軍事的な形で日本が参加していくのか、非軍事的な形で参加するのか、そういう重要な論点があると思われます。少なくとも、地球規模といいましてもまだ早い、取りあえず共通の文化圏という意味では東アジアでは可能ですから。そうしますと、やはりそこで問題になるのは、戦前の我が国の国家犯罪の問題が浮かび上がってきます。そのような記憶は、日本では忘れたいと思っても、被害を受けた国にとってはなかなかこれは忘れられるものではありません。

 そういった面からも、また最も有効に非核地域構想あるいは集団安全保障構想を実現するには、私はあえて日本は、憲法に書かれているからではなく、我々が現時点では平和的な形でそこに関与するんだという選択を行って、そしてリーダーシップを取るということが実は必要であると同時に最も有効ではないかと思われます。よろしいでしょうか。

○江田五月君 東アジアの集団安全保障体制、東アジアの信頼関係の構築、これを制度化していく、これは大変大切なことで、私もそこから始めなきゃいけないと思います。

 ただ、私が言っているのは、その先に更に地球的といいますか、国際社会全体についての一つの展望というのを持っておいた方が地域的な安全保障体制を構築するときに先が見えて説得力が出てくるのじゃないかということなんですが、分かりました。ありがとうございます。

 林公述人に伺いますが、日本国憲法前文に人間の安全保障の促進を明記すべきだということですが、憲法の前文に書くんだ、教育論と別に憲法の前文に書くんだということをもう少し掘り下げて説明をしていただくとどうなりますか。

○公述人(林明夫君) 日本国憲法の制定過程を少し勉強させていただきますと、やはり前文についてもGHQの影響は相当あったと思うんですね。もしこの際、参議院でも、それから是非議論していただきたいのは、日本国は一体どんなふうな国の形を目指すのか、それから世界に対して、国際社会に対してどのような役割を果たすことを目指すのかということを是非御議論いただきたい。そのときに私の考えでは、恐らくこれから先半世紀、五十年ぐらいの使用に堪え得るのは人間の安全保障というふうな概念ではないかと思います。そういうことで、私は人間の安全保障を前文にというふうな主張をさせていただきました。
 以上です。

○江田五月君 憲法前文というものが持っている法律論的な意味とか、あるいは法律論を超えた国の形としての意味とかという辺りを重視されるということなんだろうと思いますが、分かりました。

 最後に、藤井公述人に伺います。

 本当に大変に魅力的な議論で、もう共感し、ある意味では平伏いたしました。いや、本当に面白かったです。

 そこで、今回のイラク戦争、小泉首相はブッシュ大統領を全面的に支持したわけですが、これをどう思われますか。

○公述人(藤井富美子君) 日米同盟というもの、現実にあるわけで、アメリカ、お友達がそういうことをするのに、あんた、それはあかんやろって、そういうふうにはそうそう言われないと思うんです。ただ、気持ちを聞いて、分かるけどな程度で止めておいてほしかったなというふうに思います。

○江田五月君 そうですよね。支持というと、これはもう、その気持ちは分かるけれどもちょっとなとかいうんじゃなくて、もうそれがいいんだという話ですから、そこはちょっと違うという感じですよね。おまえ、それは間違っているぞというのが本当の友達だと言う人もいるんですけれどもね。

 それで、藤井さんは、私も、集団的自衛権はやばいよというあなたの説明は非常に興味もあるし、共感も呼ぶんですが、しかし一方で、集団安全保障はまた別の、集団的自衛権はまた別の観点からノーだということだと思いますけれども、日本にとってこの日米同盟が、日本は個別的自衛権だと、米国は集団的自衛権だと、これは不平等だとおっしゃるんですが、そして日本の負い目になっているんだとおっしゃるんですが──あ、そうかそうか、ごめんなさい、ちょっと言い換えましょうか。

 今の二つの日米の関係が日本にとって負い目になっていて、不平等で、だから集団的自衛権を行使すべきだという声があるということに対して、あなたは批判をされた。その批判の前提なんですが、日本にとって負い目ということになっているのかどうか、あるいは日本とアメリカと不平等なのかどうか。別に負い目でも何でもないんじゃないか。

 というのは、日本はアメリカに対して膨大な、しかも極めて重要な基地の提供あるいはいろんな経費の負担、これをやっているわけですよね。これほどやっているということが一方であるわけですから、日本は何もただ乗りしているとかなんとかじゃないので、そういうことを考えたら、これはお互い違った性質のものを提供し合っているということであって、てんびんに掛ければちゃんと両方は釣り合っていると。釣り合っているといったって、それはいろいろ多少の違いはあるでしょうけれども、というそういう見方もあると思うんですけれども、藤井さんはどう思われますか。

○公述人(藤井富美子君) 私もそう思います。

 基地の提供とか、もう資金的に随分出しているわけですし、もっと日本は堂々としていいんだろうと思うんですけれども、私、主婦で、テレビから流れてくる感じでいえば、何か日本はちょっとアメリカに対して後ろめたいというか、何かやらなければならないことをやっていないようなニュアンスでニュースからは伝えられてくる気がするんですよ。

 そういう意味で書いているだけで、私自身としては、もっと日本は堂々としていいと思いますし、そういう意味でも集団的自衛権というところまで踏み込んで、全く何もかも対等にいくんだと、お金も軍事も全部対等にいくんだとかいう、極論で言えば、そういうところまで行く必要はないというふうに考えているという点で書いているんですけれども。

○江田五月君 最後に、藤井さんの明快な議論で言うと、ちょっとこれ難しいかな、藤井さんの考える北朝鮮問題解決策というのは何かありますか。

○公述人(藤井富美子君) 簡単に言いますと、日本がなぜ北朝鮮からミサイル攻撃をされる可能性があるかといえば、米軍基地があるからだと思うんです。

 だから、結局、米軍が今のように先制的な自衛攻撃に出るという可能性を秘めていることを非常に北朝鮮は怖がっているわけですよ。それで脅してくるという形になっていると思うので、言ってみたら、今の現段階でいったらもう無理だと思いますけれども、もうアメリカさん出ていってくださいと言って、日本は独自でやっていきますと言えば北朝鮮からはねらわれないけれども、今度はアメリカからねらわれますよね、そういうことになりますと、その辺が難しいなと非常に思うところなんですけれども。

 それで、どうしたらいいかということで言えば、そういうふうにしたら日本は北朝鮮からはねらわれへんようになるだろうけれども、アメリカと敵対するというのはもっと怖いことの話で、結局日本はそういう選択を迫られているような状況ですけれども。

○江田五月君 そうやって議論していればちょっと漫才みたいになるけれども、しかし面白いですよね、こういう議論をしていて、そこから何か結論を、解決を見付けていかなければいけないと思いますよね。

 いずれにしても、さっきの、今のあなたの議論で言えばブッシュ大統領頑張れと、こう小泉さんが言うのはちょっと北朝鮮との関係でやばいんじゃないのという感じでしょうね。
 終わります。

○会長(野沢太三君) 魚住裕一郎君。

○魚住裕一郎君 公明党の魚住裕一郎でございます。
 四人の公述人の皆様、朝早くから、また遠くから御苦労さまでございます。心から感謝申し上げます。
 早速ですが御質問させていただきたいと思います。まず、順不同になりますが、北川公述人にお聞きいたします。
 先ほど公述の中で、戦争観といいますか、戦争のとらえ方と国際法の中での動向ということをお示しをいただいたわけでございますが、今まで戦争というとどうしても国と国というのが常識的な感覚になるわけですが、例の九・一一のあのワールド・トレード・センターのあの状況、まだまぶたに浮かんできますが、やはりそこで戦争というものも新たな段階に入ったんだというようなことございますけれども、その戦争のとらえ方、あるいはこの大規模な殺りくも含めたテロというものに対して、国際法上といいますか、あるいは北川公述人としてどのようにとらえていくべきなのか、その辺についてちょっとお聞かせいただければ有り難いと思います。

○公述人(北川善英君) アメリカ的な考えですとテロも現代的な戦争だというふうに押さえて、で、その前提の上でアフガニスタン、イラクに攻撃をしているわけです。
 ただ、問題は、やはり国家組織の行う武力行使と、一定の規模であれ集団の行うテロはやはり区別する必要があると思います。この点、参考になりますのがヨーロッパの態度なんですが、フランス、ドイツ、これらの国は実はいろんな形でここ十年来テロに脅かされてきているわけです。しかし、いずれも新しい段階の戦争だという形で対抗しているわけではないんですね。やはり市民生活を直接脅かす治安の問題としてとらえられています。そうしますと、そこからやはり市民が積極的にテロについて何らかの姿勢を取るというふうになっていきます。
 このように、実は軍事的な国家的な対応をするということが、実は市民の主体的なテロに対する対応策あるいはテロ自体を根絶するための正に取り組みですね、そういったものを低下する危険性があるんではないのかというふうに私は考えております。よろしいでしょうか。

○魚住裕一郎君 おっしゃる意味分かりますし、私も国際刑事裁判所を、早くあれを批准してしっかりした機構を作っていくべきではないかというふうに考えておりますけれども、しかし、今までのテロと違うのは、やはり化学兵器であるとか、あるいは場合によっては東西冷戦構造崩壊後の核の問題、テロ組織が核を持つような場合、国家の戦争、ある意味ではそれ以上の惨状が考え得るというような事態も踏まえて、今、先生がおっしゃったような、公述人がおっしゃったような形でいいのかなというような気持ちを持ったものですから、ちょっとお聞きをした次第であります。
 次に、林参考人にお尋ねいたしますが、国家緊急権の規定をというふうにお話ございました。緊急事態には法はないというような法格言がございますけれども、ただ、それは超法規的な対応だけではそれはまずいよというようなことで今の有事法制等の議論をされているというふうに思いますけれども。
 ただ、このぎりぎりの段階まで本来きちっと法規にのっとった形で対応すべきというのが私の考えでありますが、憲法の中に明文のこのような国家緊急権の規定というものを入れてしまうということは、ある意味ではその部分、ぎりぎりの努力みたいな部分も放棄してしまうんではないのかなというふうな思いを持っているわけでございますが、公述人の考えている国家緊急権の規定という具体的な中身と、今の私の考えについてコメントをいただければと思います。

○公述人(林明夫君) 魚住先生には御質問していただいてありがとうございます。感謝申し上げます。
 私の基本的な考えは、今、有事法制について国会で議論していただくことは非常に国民としては有り難い話であります。今までは、三矢研究から始まって、そういうふうなものがほとんど研究すること自体がタブーとされていたというふうなことを覚えています。それから比べれば隔世の感で、国民の一人として本当に有り難いというふうに思います。
 ただ、もうあと何日かすると、もしかして参議院の方でも御審議が終わるようですけれども、今となっては遅いかもしれませんけれども、やはり法律論ですよね、国家の有事法制は。法律論で、果たして国民の権利義務を大幅に制約をする国家の緊急事態について実質的な憲法の状態を変えてしまっていいんだろうかというふうな思いがします。
 私の基本的な考えは、あくまでも基本的な人権を大幅に制約をするわけですね。最終的には、国家緊急時には、非常に言いにくい話でありますけれども、戒厳令まで引かなければいけないわけですね、ちょっと言いにくい話でありますが、最終的にはですね。そこまでどこの国でも規定があるわけです。戦争を、宣戦布告をするとか、講和を締結するとか、終戦をどんなふうにすること、それはどこの国でも国家緊急権の規定にはあると思うんですね、そういうふうなことに近いようなことを。
 それからあと、最終的には戒厳令に近いような形で国民の基本的人権を制約をするわけですから、そういうときには、もし可能であれば、有事法制がもう通ってしまえばそれは違う面で役割は非常に果たして有り難いとは思うんですけれども、もし可能であれば、この後、緊急事態はまだ来ていませんので、今平和のうちに本当にどうしたらいいかということをもう一回お考えいただいて、有事法制等も見直していただくことが私は一番大事だと思います。
 そういうことで、是非、国民の基本的人権を大幅に制約する、それが国家の緊急時ですから、それを世界の各国の憲法と比較をしながら、果たしてこの国はこんなふうなことでいいのかどうか。具体的に言いますと、近隣諸国で国家緊急権の規定のないところはないわけです。それから、ほとんどの国々で国家緊急権の規定があるわけですね。ですから、是非、何と言うとまた、済みません、私のところに投書が一杯来て生活ができないような状況になるので、なかなか言えないような、是非デモだけは掛けないでいただきたい、それをお願いしたいんですけれども。今は言論の自由がある代わりにいろんな形でプレッシャーを私も本当に感じている、こういうことで発言するのは。また、これが、ここで私が発言したことが原因でいろいろなことでまた責められるんじゃないかと非常におびえながら私は実際はここで発言しているわけですから、その辺、どこの国でも規定してあるような意味での国家緊急権という意味であります。それは御推察ください。

○魚住裕一郎君 身の安全も考えて、これ以上その部分については議論しないことにしますが。
 同じく林公述人にお願いしたいんですが、人間の安全保障という言葉ありました。江田委員からもありましたけれども、前文に入れるという、入れたいということは、それは理念として、その理念性が非常に強くなると僕は思っているわけですが、先ほどの事例として、例えば紛争の前、中、あるいはその後等についての対応を中心にお考えであるようでございますが、ただ人間の安全といいますと物すごく幅広いだろうと僕は思うんですね。今回、今騒いでいるSARSの問題にしてもそうかもしれませんし、あるいは拉致事件というのがありますけれども、それも本当にそのまま持っていかれるわけですから大変大きな問題かなと思っておりますが、この人間の安全保障という理念を掲げて、これをどういう具体的に具体化していくかという部分について、もうちょっとコメントいただけますか。

○公述人(林明夫君) もしかして皆さん御承知かもしれませんけれども、五月の一日に人間の安全保障委員会から報告がありまして、その中には、具体的なものとして、暴力を伴う紛争下にある人々を保護する、武器の拡散から人々を保護する、移動する人々の安全確保を進める、紛争後の状況下で人間の安全保障移行基金を設立する、極貧下の人々が恩恵を受けられる公正な貿易と市場を支援する、普遍的な生活最低限度の基準を実現するための努力を払う、基礎保健サービスの完全普及実現により高い優先度を与える、特許権に関する効率的かつ平衡な国際システムを構築する、基礎教育の完全普及によりすべての人々の能力を強化する、個々人が多様なアイデンティティーを有し多様な集団に属する自由を尊重すると同時に、この地球に生きる人間としてのアイデンティティーの必要を明確にする、このような報告が出ています。
 多分、これが一つのメルクマールにはなるかと思います。

○魚住裕一郎君 大井公述人それから藤井公述人、また御意見の中で北川公述人からもありましたが、北東アジア、藤井さんの方は極東というふうになっておるんですけれども、何らかの平和機構みたいなものを設置すべきではないか。私も全く同感で、そういう機構みたいなものができて、そしてそういう機構の中心点というか、本部といいますか、そういう機能は沖縄に置いたらいいなとか、いろいろ考えているわけでございますが、大井公述人はレジュメの中で平和・経済機構というふうな言い方をしていますね。
 そこで、大井公述人にお願いしたいんですが、時間がほとんどありませんが、あえて経済を入れているというのは特に理由があるんでしょうか。例えば、今EUになっておりますが、あれは出発点は石炭の連合体から出発をして、あえて平和の部分よりも先に経済のことから出発した、そういうお考えで入れたのか。ただ、それにしては経済体制がアジアの中では随分異なっている部分があるものですから、その点どのようにお考えなのか、大井公述人、お願いします。

○公述人(大井赤亥君) じゃ、短く申し上げます。
 まず初めに、この構想はまだ非常にユートピア的な要素が高いと思っています。なので、ただ大きな方向ではこういうのが望ましいのではないかということで提示したことです。
 一つ、ASEANの例を出しましたけれども、ASEANの例は、政治的な課題は余りタッチしないで、むしろ友好的な、テーブルの上では友好を演出するというようなことに傾いているというふうに理解しています。ただ、先生言われたヨーロッパの例だと、もう少しASEANよりもかなり共通した経済や政治のシステムなどもあるのが原因かと思いますけれども、もっと突っ込んだ政治や、EU憲法を作ろうという動きもありますよね、今現在。なので、そこでEU、ヨーロッパ統合の例も一つのイメージとなるんじゃないかと思って経済機構ということも入れたわけです。

○魚住裕一郎君 終わります。

○会長(野沢太三君) 平野貞夫君。

○平野貞夫君 私は、国会改革連絡会という会派が参議院にありまして、自由党と無所属の会で作っておるんですが、その自由党所属の国会議員でございます。本当は共産党の先生の順番でございますが、ちょっと所用がございまして、御配慮いただきまして先に質問させていただきます。
 最初に、大井公述人にお尋ねしますが、非常にいいお話を聞かせていただいたんですが、今度のイラク戦争で国連の限界と意義といいますか機能、ここで力と正当性は別の問題だということを世界に認識させたというお話がありました。これもう非常に、大変大事な判断だと思います。残念ながら、政治家にもそれから学者にもこういう発想をする人が少ない。大変高く評価しますが。
 私は、特に国連の安保理の今度の機能、安保理はもう崩壊しただとか、国連はもう機能を失ったというようなことを平気で評論家や新聞に載ったんですが、非常に残念なんですが、私は武力行使の決議を安保理がしなかったということが安保理の一つの機能だと思うんですよ。それから、安保理がああなったということは、安保理の機能の現象だと思ってむしろ前向きにとらえておるんですが、大井公述人のお話の観点からちょっと御意見、私の意見に対して御感想を言っていただければ有り難いんですが。

○公述人(大井赤亥君) つまり、結局採決に至らなかったわけですよね、安保理の場で。そのことがむしろ肯定的な意味を持っているということでしょうか。

○平野貞夫君 はい。

○公述人(大井赤亥君) いろんな立場から肯定面、否定面、とらえることができると思いますけれども、そうですね、僕自身の経験から言うと、実はちょうど三月にアイルランドに行っていまして、三番でも触れたんですけれども、そこでいつもテレビを見ると国連の安保理の場でせめぎ合いをやっている様子が二週間ぐらい続けてあったもので、それで非常にダイレクトに感じることができたんですけれども、いずれにせよ、私が考えているのは、国連安保理の場の承認がない武力行使は違法なんだということをアメリカ自身も認識していると思うんです。最後までそのお墨付きを得るという動きをしたわけだと思います。
 ですから、結局採決に至る至らないの問題もありますけれども、国際の場で軍事行動を正当化する機関は国連だけだということの認識についてすごい重要な関心を向けているということです。

○平野貞夫君 北川公述人にお尋ねしますが、実は昨日、武力攻撃事態特別委員会で、私、短時間でございましたが、周辺事態法、それからテロ特措法、それから今度の武力攻撃事態法、いずれも憲法違反だという議論をやりまして、自由党の党内から、おまえそんなことを言っていいのかといってしかられておるんですが。
 先生のお考え、ちょっとお聞かせしたいんですが、私は、日米安保条約それからPKO法までは日本国憲法の、まあ言葉にはかなりたがっていたんですが、前文も含めての精神を考慮して、まあまあ容認できるんですけれども、この周辺事態法から始まった現在の政権の有事法については非常に問題があると思っていますが、先ほどお話にあったんですけれども、安保条約も含めて、先生の違憲かどうかというお話を伺いたいと思います。

○公述人(北川善英君) 日米安保条約と申しましても、実は、七八年のガイドライン、そして九六年の日米共同宣言ですね、新共同宣言といいますか、新ガイドラインを制定する直前の共同宣言ですが、実は実態的にはどんどんその役割が変化してきているわけですね。だから、今の御質問の趣旨からしますと、恐らく旧ガイドラインまでの日米安保まではいいというお話だと思うんです。
 私も、基本的には日米安保条約というのはやはり非常に危険だという点で反対なんですが、少なくとも、御質問の趣旨に即して申し上げますと、やはり日米の、しかも、日米安保条約、PKOの場合、それぞれ、日米安保条約の場合には建前としてはあくまでも日本の言わば専守防衛ということをうたっております。また、PKOはあくまでも平和的な協力ということを一応建前としておりますから、それと米軍の後方支援に日本から出ていって自衛隊が行うという周辺事態法、テロ特措法というのは、これは明らかに一線を画しているんじゃないかと思います。
 私の立場からしますと、いずれも極めて日本の、これは憲法を盾に取るわけではなく、やはり私の公述の内容でもあります日本の現実的な地政学的な位置あるいはアジアあるいは世界の現実的な脅威ということから考えますと、非武装というものがやはり現実的だと思うんですが、そういう点からいいますと、日米安保条約、周辺事態法というのは憲法違反だとは思っております。

○平野貞夫君 私も十年昔は自由民主党にいましたし、今も政治的スタンスは決して左の方じゃございませんが。
 私は、意見として申し上げたいのは、九条という憲法を持っていて、それを作った時代背景もあって、それからその精神の生かし方もこれは限界まで来ておるわけなんですが、私は、要するにそういう国家の基本である法体系に欺瞞な態度で、それをうそをつくような形で政治をやったりあるいはシステムを作ったりすることが世界の一番不信の元、世界各国からの不信の元になるという意見なんです。ですから、これまでの話は護憲派と思われるかも分かりませんが、私は極めて積極的な改憲論者なんでございます。しかし、今の憲法の精神は守らなきゃいかぬ、原理は守らにゃいかぬという立場でございます。
 そこで、理論的には実は林公述人と全く同じ意見なんですよ。しかし、現実に憲法を改正するということがなかなか難しい。
 それから、私は、今の国民の過半数が九条のこの精神を厳格に運用しろという判断でしたら、政治は守るべきだと思うんですよ、それは。それは国民に憲法の制定権がありますから。しかし、そうではない、この精神は生かしながら、ここまではやっぱり対応しなきゃ駄目だという国民が判断するなら、これはそれを生かすべきだと思う。そういう意味で、とにかくごまかしが一番悪いというのが私のその根底なんです。
 そこで、お話にありました憲法改正手続制度なんですが、私は自分自身で立案したこともありますし、ある意味で、それを作るために国会議員になったようなものでございます。ところが、現実は難しいんです。原因は、自民党がそれでまとまらないんですよ。自民党はさっき作ると言っていましたけれども、もう駄目だという大物が何人もいるんですよ。死ぬまで憲法改正やるなという現職長老だっておりますからね。
 それからもう一つは、私は、憲法学者、それから司法試験通った人は右でも左でも、やっぱりこれは、立憲政治というが、立憲でやるならば、憲法政治やるなら、この国民の憲法制定権をほったらかしにして、政治的、法的不作為行為を続けていることが一番のこの日本人が堕落していくもとだと思っています。これには御意見要りませんから。
 それから、林公述人にお聞きしたいのは、憲法改正できないならば、僕は少なくても憲法の精神の限界で解釈を発展させるといいますか、あるいは変更させる形で、それもやっぱり基本法が要ると思うんですよ、特に九条については。その上で、こういったものをその指針の範囲で作るべきだと思うんですが、それがやられていない。なぜ気休めの、その場限りのものしか作れないかというと、今の政権だって、自民党の中にだってそれに対しては異論がある。それから、公明党と連立していますから調整できない。また、野党第一党だって同じ悩み持っているわけですよ。こういう日本人の政治選択に僕は非常に根本的な問題があると思うんですが、その辺について御意見をいただきたいと思うんです。

○公述人(林明夫君) もう本当に先生のおっしゃることは私が考えていることと同じなんで、もうこれ以上言葉がないということなんですが。ただ、それでは何でこの憲法調査会が存在するのかという話です。存在意義が問われますよね。是非この憲法調査会で憲法改正の発議をやっていただきたい。国民、子供たちを含めて、やはりうそが一番いけないと思うんですよね。自衛隊というものはもう軍隊ですよね、小泉首相おっしゃるとおり。ですから、あれが軍隊でないと言う人はだれもいないと思うんですよね。ですから、果たしてそれが本当に日本国で必要か必要でないかということも、必要でないと言う人は恐らく現時点ではそんなにはいらっしゃらないと思うんですよね。
 ですから、是非、国民の意思を反映した憲法調査会をやっていただいて、いろんな立場立場あるでしょうけれども、それは大同団結していただいて、例えば、もしこの先、この国会の上に某国から核弾頭が来て爆破されたらどうでしょうかね。一瞬にして国家の存在がなくなるわけですよね。ですから、そういうことも想定していただきたいんですよね。実際に、核を持っていると言っているわけですから、日本に向けてどんどん打ってくるよと言っているわけですから。それはもう現実的に、今までのことは今までのこととして考えていただくと。すばらしいこと、日本国憲法もすばらしかった、九条のおかげで日本の平和を守れたことはこれはすばらしかったこと。これは私も本当に高く評価して、江田先生始め皆さんの御活躍は本当に有り難く思っています。ただ、これからはちょっと考えを少し変えた方がもしかしたらいいんじゃないかと思うんですね。
 そういうことで、現実は現実、本当に現実の立場に立って、国民の幸福は何か。上から原爆、水爆が落とされたら二、三千万がこれ亡くなるわけですから、そういうことをもしかしたらやるというふうに毎日のように言っているわけですから、某国は。そういうことも是非お考えになって、是非やっていただきたい。
 ただ、私は基本的に言っていますけれども、北朝鮮にも名古屋空港からピョンヤンまで直行便で行かせていただいて、非常に北朝鮮については国民の方もすばらしい方で、知っています。それで、できるだけ、そういう戦争という形じゃなくて、友好的な形で交流ができて経済交流するのはすばらしいと思っていますので、それだけは誤解なくお願いしたいんですけれども。
 ただ、それにしても、我々はそういうことに対して、実際緊急なときに対してどんなふうに備えておくかということをせっかくの憲法調査会ですから是非御議論していただいて、そのときどうするかということを本気になって皆さん話し合っていただいて、大同団結ですね、していただければ有り難いかと思いますね。何ともない、何ともないと、そういうことはもうそろそろ卒業していただいて、本当に日本の国民の五十年後のためにお考えいただければ有り難いと思います。
 先生のお考えには全く賛成ですね。何も言うことはありません。

○平野貞夫君 藤井公述人にお尋ねしますが、大阪的文化でずばりお話しされて、私、非常に感心したんですが、大体、日本の議会主義というのは大阪の人たちが平均的、あの文化が一番合うんですよ。経済外強制、大阪の人は受けませんから、そこでずばりお答えいただきたいんですが、日本にとってアメリカと北朝鮮とどっちが危険だと思いますか。

○公述人(藤井富美子君) 今のブッシュ政権の方が怖いですね。

○平野貞夫君 ありがとうございました。

○会長(野沢太三君) 宮本岳志君。

○宮本岳志君 今日は四人の公述人の皆さん、本当にありがとうございます。日本共産党の宮本岳志です。
 まず、北川公述人にお伺いしたいと思うんです。
 北川公述人は大きな歴史の流れについて公述をされて、そして、世界の大きな流れがやっぱり戦争の禁止といいますか、戦争の不法化という方向に進んできたということをお話しになりました。
 それで、今回のイラク戦争をめぐる動きをとらえて、一部に国連無力論というのを説く向きもあるわけですけれども、私はそういうふうには考えていないのです。先ほど大井公述人もちょっと触れられましたが、イラク戦争に至る経過の中で、少なくとも昨年九月から今年三月に掛けて国連安保理を舞台に激しい外交的な戦いが繰り広げられた、そして、超大国の戦争を半年にわたって食い止めたというのは非常に大きな歴史的意義を持つものだと考えます。
 例えば、ベトナム戦争などを振り返ってみますと、十数年に及ぶあの残虐な戦争において国連は正に無力だった、侵略を抑制する何らの効果的措置も取れなかったということに照らしても、今回の安保理の流れというのは大きな歴史の進歩を私たちはそこに見なければならない。結論がアメリカによる戦争という方向に行ったということとは別に、これはしっかり見る必要があるというふうに考えるわけですが、是非この点について北川公述人のお考えをお聞かせいただきたいと思います。

○公述人(北川善英君) 先ほどの平野議員、そして今の宮本議員のお二人とも共通されているのは、やはり国連の安保理事会がアメリカのイラクに対する武力行使に正当性を与えられなかったことは無力ではなく、むしろこれはこれで一定の役割を果たしたという点では私も同感いたします。しかも、私が付け加えたいのは、この武力行使に、アメリカの武力行使に対するお墨付きを与えないということが五大国の拒否権行使を伴わないで行われたというところに私は注目しております。
 これはどういうことかといいますと、もちろん五大国それぞれ政治的な思惑はあるんでしょうが、むしろ重要なことは、安保理事会自体が一種の公開のフォーラムで議論をきちっと検討したこと、そして、世界的な様々な反戦運動があり、それを背にして拒否権を使わないで武力行使の正当化も与えなかった。その意味では、実は冷戦下の安保理事会の在り方とやはり今回は非常に変わってきている、そういった点で私は高く評価したいと思います。
 以上です。

○宮本岳志君 ありがとうございます。
 大井公述人にお伺いしたいんです。
 大井公述人は、レジュメの最後に、「今、政治家の人たちに言いたいこと」というふうに書いてくださっております。若い学生、有能な学生である大井さんのような方々の御意見を率直に我々政治家が聞かせていただくというのは非常に有意義なことだと思っておりますけれども、同時に、ナショナリズムということについても触れられておられます。ナショナリズムという点では、政治家ももちろんですけれども、最近、学生の方々とお話をしておりますと、学生の中にもナショナリズムといいますか、様々な議論が少なくないということも私たち体験するところなんです。
 一つは、政治家に対する言いたいことを述べていただくと同時に、同世代の学生の中にもそのようなナショナリズムがあるということについて大井公述人はどのようにお考えになるか、お聞かせいただけますでしょうか。

○公述人(大井赤亥君) 今、宮本議員がおっしゃった二点目のことから。
 自分の経験なんですけれども、これは、僕は別に靖国神社とか、あの辺きれいなんで散歩することは好きなんですけれども、この前、九段の坂を下りているときに、隣に若い二人の僕と同年代の人が坂を上ってきたんですけれども、靖国神社も近いからいろいろそういう話をしていたのかとも思うんですけれども、北朝鮮うざいなと、本当、あんなところはとっこんでやるよと言っているんですよね。多分、特攻とそのとっこんでやるというのを掛けていると思うんですけれども、つまり、もう北朝鮮なんという国はとっこんで、本当、いざとなったらとっこんでやるよと言っているんですよね。そういう事実がある。
 だから、若い人の中には本当に、メディアの影響もありますけれども、北朝鮮に対して、つまり他国に対してあからさまにそういう分子的なことを言うのが許されるような雰囲気が、メディアの中にもあるし、それは若い人の中にも同時にあると思います。
 同時に、それ、例えば歴史教科書の問題もありますけれども、言わば歴史的な背景を知らないで今の例えば拉致事件とかそういうことを、ほぼそういうことで意識が独占していってそういう発言になるというのは、やっぱりこれは正にお互いの国の違いが広がっていくだけだというふうに思っています。
 だから、そういう意味で、日本のナショナリズムはおかしいということが言いたかったんです。
 それからもう一つ、アイルランドのことで言いますけれども、一か月いたんですけれども、例えば、イギリスからやっぱりすごい侵略の歴史を受けていて、十七世紀のクロムウェルの侵略以降ずっと従属しているわけですよね、経済的にも政治的にも。で、文化も違うのにイギリス王室に忠誠を誓わされたりすると。そういうことからナショナリズムが育っていくわけですけれども、やっぱり日本のナショナリズムと全然違って、独立闘争の歴史なんかを学ぶとすごいドラマチックだし、納得のいく背景があるんですけれども、日本のは、そうじゃなくて、やっぱり何というか、小さい方、弱い方、国内で言えば在日の人とか歴史教科書のこともありますけれども、それから、この前の東京大学の五月祭でも国会議員の方が発言をされたということもあります。ずっとそういう方向に視点が向いていって、そこで自分たちの優位性を何か保とうとするというような、有事法制の議論や北朝鮮の議論でも何かそのにおいが感じられて納得できないと思っているわけです。ですから、アイルランドのナショナリズムなんかもおもしろいなと思ったわけです。

○宮本岳志君 次に、藤井公述人にお伺いします。
 私も大阪の出身ですので、大変関西弁に、聞かせていただいて自分の感覚に合うわけですけれども、先ほど日米関係が釣り合っているかどうかという議論が交わされました。一方で米軍が日本を守る、もう一方で基地を提供する、あるいは経済的に日本が負担をする、釣り合っているじゃないかという、負い目を感じることはないという議論が交わされましたけれども、私は釣り合っているかどうかといえば釣り合っていないと。しかも、それは一方的に日本の側が基地を提供し、そして米軍というのは日本を守るために日本にいたことはないし、今でも海兵隊とか遠征軍とか殴り込みを目的にして日本の米軍基地に駐留している、さらにそこに膨大な駐留経費まで日本が負担しているというのは、極めてこの米軍基地の存在そのものが釣り合うどころか大きく日本の主権を損なうものだというふうに考えております。
 そういう点では、むしろ日本の米軍基地を使ってアメリカが正にああいう世界的な規模で様々な戦争に出掛けていくということをやり、それに日本は経済的負担までしているにもかかわらず、それを何か一層進めようと、そして日本の自衛隊まで参加させようというのは、極めて釣り合う釣り合わぬ以前の問題だというふうに思っているんですが、藤井公述人の日米安保条約そして米軍基地の役割についてのお考え、そしてこれはちょっと北川公述人にも付け加えてお話しいただければ有り難いと思っております。

○会長(野沢太三君) それでは、最初に藤井公述人。

○公述人(藤井富美子君) 私も将来的には日米同盟という軍事同盟というのから、先ほど私が公述しましたような東アジアあるいは極東アジアでの地域安全保障機構みたいなもの、それからもう更に遠い話になるかもしれませんけれども、世界全体での安全保障としての警察軍みたいなものができれば日米同盟自体は必要ないと思うんです。そういう方向に行ってほしいという将来像を一応私なりに、素人なので幾らでも言えるので提示したわけですけれども。
 ただ、今アメリカが日本に駐留していていろんな問題を起こしているということも、私もそれは非常に遺憾に思いますけれども、ただ、アメリカがいることによって何かしらこのアジア地域に安心感を生んでいるという側面もあると思うんですよね。それだけ日本がアジア諸国に信頼されていないんだなという裏返しだとは思うんですけれども、そういう意味でも今すぐ撤退とかそういうところまで私も言われませんし、またアメリカが自分を世界の警察と自称してやっている行動に対しても、ある程度のやはり抑えみたいなものは世界にあると思うんですよ。それはある程度やっぱり今の段階では、何というか、一定の評価をしていいと思うんですけれども。
 ただ、さっきも言ったように、アメリカ自身は自分の国益で動いていますので、警察的行動も、そういったところでやっぱりもっと世界の声を集めて、本当に公正な意味での何か世界での安全保障がもっともっと国連という場でも議論され、そしてまたそれが法制化されていくことによって地域地域それぞれの国々の安全保障を将来的に作っていかないといけないなというふうに思っています。

○会長(野沢太三君) 続いて、北川公述人、お願いします。

○公述人(北川善英君) 私の公述の中で、冷厳なる現実を直視することを強調しましたが、実はその点からいいますと、北朝鮮もアメリカも韓国も台湾も中国もすべて仮想敵国であるわけです。このことをもう少し推し進めますと、これは藤井公述人が端的に表現されましたが、一人一人の私たち個人にとっては今度は国家が仮想敵国の可能性を十分秘めているわけですね。そういうふうに突き詰めた場合、というよりは、そこまでやはり私たちはいったん突き詰めて考える必要があるのではないのかということです。
 そうしますと、日米軍事同盟というのをどこまで信用し切れるのか。恐らく多くの政治家の方々は建前だけで信用しているというふうにおっしゃって、必ずしも本音はそうではないと思っておりますが、それならば、やはりもう少しそれを国民の前できちんと明らかにして、そして、日米軍事同盟を維持するならばどういうメリットが日本にとって、特に具体的には一人一人の個人にとってあるのかないのか、これをやはり説明する責任があるんではないかと思われます。
 他方で、多くの国民、特に財界の方々が強調されるのは、日本の経済が成り立つためにはアメリカとの密接な関係が大事だということを非常に強調されます。しかし、その強調は逆に言いますと、ますますアメリカとの関係が一方的に、良く言えば緊密ですが、悪く言いますと、アメリカが風邪を引けば日本は、SARSにはなりませんが、大きな肺炎になってしまう、そういう関係をいつまででも続けることになると思います。そういった経済の観点からいっても、やはり多極間外交、多極的な、多面的な形の国際関係を作る、そういう方向にやはり私は動くべきだと思っています。
 その意味では、日米軍事同盟を今すぐどうこうするということよりも、そういう方向性を定めた上で、そのためにできることは何なのか、それをやはりきちんと議論していく必要があると思っています。
 以上です。

○宮本岳志君 もう時間がなくなって恐縮なんですが、林公述人に最後一問だけお伺いしたい。
 国民の基本的人権をたとえ一時期にしろ制約せざるを得ない国家の緊急時についての有事立法を、国会であろうと憲法の規定なしに行うことは不適であると考えると。これは、憲法に対する評価は恐らく林さんと私どもとは違うと思うんですが、少なくとも、今やられているこの有事法制というものが憲法と、今の憲法と両立しないという点では全く一致するものなんですね。そういう点では、基本的人権を尊重する有事法制というのはあり得ないと私は思うんですが、最後にその点について林公述人のお考えをお聞かせください。

○公述人(林明夫君) 憲法の中に国民の幸福を追求する権利ってあると思うんですね。これが一番基本的な権利だ、それが一番大事だと思うんですね。
 そういうことを考えれば、戦争というのは何か、是非宮本先生も各国に行かれて、紛争の当事国、いろんなところに行かれて、アイルランド、いろんなところに行かれて、私も一生懸命頑張りますので、実際、国と国とがどんなふうな形で紛争になるのか、それを一生懸命調べ、私も調べますので先生も調べていただいて。
 それで、そのときに、本当にそんなことは、基本的人権の制約は本当はしない方がいいわけです、もちろんね。ですけれども、何らかの形で、例えば移動の自由とか、もしかしたら、ここからここは行かない方がいいよとか、そういうことはあるかもしれない。それも一つの基本的人権ですよね。あと、それから営業の自由ですね、こういうようなものは作らない方がいいとかと、いろんなことがあると思うんです。そういうことも含めて、緊急時におけるいろんな基本的人権の制約というようなことを、少なきゃ少ないほどいいんですけれども、そういうことも考えられます。ですから、そういう意味で、最小限どんなことが必要なのかということも考えておく、それも考えておくことが大事かなと思います。
 基本的には先生と同じ考えですので、それだけ誤解なきようお願いしたいと。よろしくお願いします。

○宮本岳志君 ありがとうございました。

○会長(野沢太三君) 大脇雅子君。

○大脇雅子君 今日は、四人の参考人の方々の貴重な御意見、ありがとうございました。
 御意見を聞きながら私は痛感をしたのですけれども、市民の生活や、そうした生活の目線からこうしたテーマへの切り込みということは、私たちが議員として国家とかあるいは国益とかという目線で抽象的に今議論をしていたという、そういう言ってみれば穴を鋭くえぐられたなということを痛感いたしました。
 私はまず、順次お尋ねをしたいのですが、大井さんの御意見の中で、多国間の平和機構のプロセスから、それを作っていく中から共通の価値が生まれるのではないかと、そしてアメリカのプレゼンスがそうした多国間協議の主体的な日本の努力を失わせているのではないかという御指摘には大変大きな示唆を受けました。
 アメリカの軍隊の駐留について、大井さんは、現在又は将来、どんなふうなイメージをお持ちなんでしょうか。

○公述人(大井赤亥君) 一つは、自分自身の希望と同時に、日本の国内の国民世論といいますか、その合意が一つは大きなかぎかなと思うんですけれども、例えば今の、例えば北朝鮮が核を持っていると宣言しているわけですけれども、そういう状況ですぐなくすということは国民的な合意は得られないし、かつそれはできないだろうと思います。
 ただ、将来的には、フィリピンはなくしたわけですよね、そうですね。そういうことを考えると、それは日本の主体的な外交を取り戻すという作業と同じだと思いますけれども、それと同時というか、その過程と同じ過程でやはりなくなっていくのが望ましいと思います。

○大脇雅子君 ありがとうございました。
 北川参考人にお尋ねしたいのですが、非人道的な武器が出現する中で、アメリカの国家の危機というものが基本的に大きい脅威となっているんだということについて、私も同意見でございます。
 北川参考人の場合、世界平和の維持をするための世界的ないしは国内的な機構のイメージ、こうあるべきではないかという御意見について伺わせていただけると有り難いんです。

○公述人(北川善英君) 最終的には、世界の平和機構としてやはり国連が現実にありますから、だから、場合によっては、国連が残念ながら機能麻痺した場合には、またその次の段階でいかなる機構を作るか、そういうことを考えなきゃならない段階も来るかもしれませんが、差し当たり、やはり国連が特に警察力を行使して、できる限りテロを始めとする様々な紛争を抑え込む。そして、先ほどの、たしか魚住議員からの質問もありましたが、化学兵器あるいは核兵器の拡散をどう考えるのか、これとの関係でも、やはり警察力による対応の方が実は軍事力による対応よりもはるかに勝っているわけですね。しかも、事前の対応ですから、大きな被害を出す前にそういう対応が可能です。
 そのような世界のやはり警察力を中心とした、ただし、装備をどの程度にするかというのは、やはりそのときの対応がどんなものが必要とされるのか、それによってある程度は装備は決まってくると思うんですが、やはりそういう世界的な警察力のレベルで紛争を解決する、あるいは平和を維持する、あるいは様々な大量破壊兵器の拡散を阻止する、そういったことをやはり着手すべきではないのかと思っています。
 ただ、先ほども申し上げましたように、世界規模という形では直ちには実現困難ですから、やはり東アジアの、しかもやはり戦前については少なくとも責任のある我が国が、やはり戦後もその尾を引かざるを得ない東アジア地域でどうそれを具体化するのかということが今問われていると思われます。

○大脇雅子君 ありがとうございました。
 次に、林参考人にお尋ねしたいのですが、林参考人は、二十一世紀は正に人間の安全保障という概念が基本になるべきであると、そして、一人一人のエンパワーメントということこそ重要だということをおっしゃいました。
 私ども、様々な女性の会議に出ましても、結局、物事の一番の根底は一人一人の人間のエンパワーメントだ、エンパワーメントなくしては本当の改革はないんだということを言い続けてきました。そして、それがまた憲法で言う国民の幸福追求権というものに基底を置くのだという点については私も大変大きな示唆を受けたものでございます。
 しかし、先生、参考人の方は、憲法を改正して緊急事態の法制を作るべきだと。しかし、我々は戦前の苦しい状況を持っているわけですから、そうした戦前と違ったきっとイメージを持っていらっしゃるんだと思うんです。
 私は今、だから人間の安全保障と先生が言われ、エンパワーメントと言われることと憲法の緊急事態法制というのはちょっと結び付かないんですが、ちょっと説明をしていただけるでしょうか。

○公述人(林明夫君) たまたま三十年ぐらい前に慶應大学の法学部で学生だったころ、一生懸命憲法の勉強をさせていただきまして、情報公開法とそれから個人のプライバシー保護について勉強しました。同じような思いがしました。情報公開を進めれば進めるほど個人のプライバシーの保護と抵触するわけですね。今回も同じような話だと思うんです。
 ですから、安全保障を考える場合に、国家の安全保障と人間の安全保障、二つあるということを少し勉強させてもらって気が付きまして、私がお話させてもらったのは、今、日本国で一番大事なことは、日本国民にとって一番大事なことは、今考えるべきことは、国家の安全保障についてのことをほとんど考えずに有事法制を考えてしまったと。それからあと、人間の安全保障、これは今外務省、それから大脇先生始め議員の皆様一生懸命やっていただいたおかげで大分周知は徹底しましたので有り難く思っているんですけれども、この二つの点が大事かと思うんです。
 ですから、安全保障の中には二点ありまして、国家の安全保障と人間の安全保障、二つあって、これは私は全然矛盾しないと思います。国家の緊急時における安全保障も考えることは大事、それからあとは、一人一人の人間というふうなものに焦点を当てて、エンパワーメント、力を付けるというふうな、どんな事態であっても力を付けるように、そういうふうなことを日本国を挙げて、日本国民のために、また世界の国際社会のために尽くすということも全然私にとっては矛盾しないと思っているんですけれども、先生、お考えはどうでしょうか。済みません、何かまたお教えいただければ有り難いと思うんですけれども。

○大脇雅子君 いや、私は、恐怖と欠乏から免れて、平和のうちに生きる権利というのをこそ二十一世紀の私たちが持つ人間の安全保障であり、それを国家の政策サイドでまとめたのがいわゆる人間の安全保障ということでなかろうかというふうに思うものですから、それは武力による国家の緊急事態法制とは次元をむしろ異にして、対話と信頼醸成と平和的な外交で行うということを考えるものですから、緊急事態としての、言ってみれば憲法上ですね、そういうものを作るという考え方とどうしてもなじまないものですからちょっとお尋ねしたんです。

○公述人(林明夫君) 発言させてもらっていいですか。

○大脇雅子君 はい、どうぞ。

○公述人(林明夫君) よろしいですか。何回も済みません。
 別に私は、戦争が好きとか、そういうんじゃありません。戦争をしないためにきちんとした方がいいということです。ですから、戦争は本当に何が何でもしないでいただきたいと思う。
 ただ、そういうふうなことを、国家の体裁といいますか、仕組みとして持っていると持っていないとは全然意味合いが違いますので、戦争をしないという意味で是非形を作っていただきたいと。そういうふうなことで御理解いただければ有り難いと思います。

○大脇雅子君 藤井参考人にお尋ねしたいんですが、藤井参考人は私たちは国家を選んで生まれてきたわけではないと言われました。私もその言葉になるほどと同感をいたしました。
 石橋湛山の国際警察軍の提唱をされまして、やはり私は警察と軍隊というのは違うというふうに思うわけですが、戦争回避のシステムというものがないではないかという御提言ですが、この戦争回避のシステムをもし日本で、あるいは世界で作るとすればどんなふうなことをお考えでしょうか。

○公述人(藤井富美子君) 今の段階で、今のこの極東アジアの地域を考えますと、北朝鮮対日本とかアメリカとかいうことであるわけですけれども、また戦中のことでいえばアメリカと日本が対立するというようなことで、どっちが正しかったというのは、勝てば官軍なところがあって、結局今でもあの戦争は正しかったと言う人もいれば、いや違う、あれは間違った戦争だったと言う人もいるというのは、結局戦争というものが正しい正しくないというどこか基軸になるものがあって行われるわけじゃなくて、何かこう子供のけんかのような形で行われて、結局勝った者が何か相手をひれ伏させるというような形である国際社会というのは、徐々には改善されてきているとは思うんですけれども、それはいまだにそういうところがあると思うんです。
 それはイラク戦争でも示されたと私は思っていて、イラクは特にアメリカを侵略したわけでもないのに攻撃されたわけですから、それはアメリカの自衛権の範囲を超えるものであったけれども、しかしアメリカがそこで裁かれるわけではないという、国際社会のどこか納得いかない不正義があると思うんです。そこにこれから、正義というんじゃないけれども、やっぱりこういうルールを立てましょうと私が提唱するのは、確かに日本国憲法のように、非武装で話合いによってのみだけ平和が達成されるといいと思いますし、それは将来的に可能だろうと私は思っています。ただ、今、現段階では、それをすると、それが、どの国にとってもそれが基準になっているわけではないというところに、日本も、日本の国民にとってもいつ攻められるか分からないという漠然とした不安というのはあると思うんです。
 そういったところに、国際的なルールとして自衛の範囲というのは、たとえ攻撃されたとしても敵国にまで攻撃しに行ってはいけませんよと、そこにはちっちゃい子供もいますよと、赤ちゃんもいますよと、そんな子を殺していいんですかというところに踏み込むことによって、じゃ、もう自衛というのは、とにかく自分の国に攻撃してくることだけを排除するという範囲の自衛を国際社会で合意して、それを超える範囲のものに対しては、やっぱり公正な、どこかの国益を代表しているというものではなくて、国際警察軍と一応言っていますけれども、私もその辺りで、警察と軍隊というものの違いをまだ明確にちょっと規定し切れていないのは申し訳ないんですけれども、そういったもので、その相手国に手を出した者が裁かれるという、そういうルールがあってほしいというふうに思っているんです。

○大脇雅子君 ありがとうございました。

○会長(野沢太三君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 公述人の方々には長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。お述べいただいた御意見につきましては、今後の調査に生かしてまいりたいと思います。(拍手)
 午後二時に再開することとし、休憩いたします。
   午前十一時四十九分休憩

>>午後


2003/06/04 戻るホーム憲法目次