2004年5月26日 >>江田発言 戻るホーム憲法目次

平成十六年五月二十六日(水曜日)  午後二時十三分開会
   参考人
      國學院大学神道文化学部教授   阪本 是丸君
      国際基督教大学教養学部教授   笹川 紀勝君
      元最高裁判所判事           園部 逸夫君

  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (総論 ―天皇)
 (小委員長の報告)

○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「総論」のうち、「天皇」について、國學院大学神道文化学部教授の阪本是丸参考人、国際基督教大学教養学部教授の笹川紀勝参考人及び元最高裁判所判事の園部逸夫参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。また、本院の都合により開会時刻を変更したにもかかわらず、快く御出席をいただき、調査会を代表いたしまして、本当に有り難く、厚く御礼を申し上げます。
 忌憚のない御意見を承り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、阪本参考人、笹川参考人、園部参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず阪本参考人にお願いいたします。阪本参考人。

○参考人(阪本是丸君) 阪本でございます。
 本日は、憲法調査会、当院の、「総論」で「天皇」ということで参考になるかどうか分かりませんが、天皇というものをめぐって、憲法あるいは現行の皇室典範あるいは歴史的なことということで、総論にふさわしいかどうか分かりませんが、天皇の地位、皇位の源泉と歴史的文化的伝統及び皇室典範との関係ということで二十分ほどお話をさせていただきます。
 まず、第一番目でありますが、レジュメにもお書きしましたが、もちろん、大日本帝国憲法はもちろんのことでありますが、今の日本国憲法におきましても、第一章、つまり第一条から第八条まで天皇というもので始まっているということの意味するものと。つまり、必ずしも憲法において天皇条項が最初からあるかないかというのは、もちろん、先般、読売新聞が憲法改正の試案を出しましたが、一章から始まっているというわけではない、何章かに置いてあるということでありますけれども、私自身は、今の憲法においても、「第一章 天皇」ということで始まっている、これはやはり歴史的背景を無視しては語れないというふうに考えております。
 そこで、今日、本日参考人でもおいでいただいております、後ほど御意見陳述される園部先生が、「天皇」という出だしは既に存在する天皇を確認したものであると、天皇という制度を作って、これを象徴とする意味ではなくて、天皇を当然のごとく国民が認識しておる、それは日本国の象徴であるという規定になっているというふうに、これは衆議院の方の委員会でございますが、このような発言をなされております。
 そういうことを受けまして、天皇がこの憲法によって新たに制度として創出されたものではないという意味、あるいは象徴天皇制ということが言われておりますが、この象徴ということも、必ずしもこの憲法によって、もちろん言葉、文言としては使われておりますけれども、普通言われるところの象徴という意味では、次にも書いてありますように、天皇が日本国家及び日本国民統合の象徴であるということは国史に明らかなる事実であって、何もこの憲法をもって初めて定められたことではないんだと、このような意見がありますし、私も基本的にはそのように考えております。
 それはもっと、明治時代ではなくて近世以前にさかのぼっても、歴史学者の藤田という東大の先生は、私的な主従関係を基本とする江戸時代の領主階級の組織というものを、ここでは大事なことは国家ということですが、国家あるいは国家公権に高め、国家権力に編成し秩序化するという、そういう中で天皇、朝廷の存在は不可欠であったと。これは、最近の歴史学の方では、やはり天皇の精神的な権威のみならず、政治的な権威ということも含めて、やはり古来歴史を通じてやはり天皇というものがいろんな意味での政治的あるいは精神的、文化的象徴であったというふうなことを含意していると私は思っております。
 ですから、そういった意味で、今申し上げましたように、やはり天皇というものを第一章に持ってきたというのは、現実にそういった歴史的背景があるんだというふうに考える次第であります。
 しかし、そうはいいましても、Aに書きましたように、天皇の地位というのは、そうではなくて、国民の総意が基礎であって、皇位というもの、天皇の地位といったものはその結果にすぎない、あるいは結果なんだと。すぎないとまで言うと言い過ぎかもしれませんが、という説もございます。
 これは天皇機関説で有名な美濃部達吉博士が、敗戦直後、新憲法ができて、その解説を書かれたときにおっしゃっていることでありますが、天皇の地位は神から授けられたものでもない、いわゆる西洋流の王権神授説でありますが、それとも、建国から、以前から既に定まっていたものでもないと。そうではなくて、「国民の総意に基く。」とありますように、国民が天皇として仰ぎ奉るによりその結果として天皇の地位が定まるのであって、国民の総意が基礎なんだと、で、皇位はその結果たるのであると、このようにおっしゃっております。
 ですから、美濃部先生のお考えは後ほどちょっと申し上げますが、大きく分ければ、国民の総意というものによって初めて、この憲法によって象徴天皇制という制度が定まったという説と、そうではなくて、既に所与のものとして、歴史的、文化的あるいは政治的な背景として国民が天皇の存在、天皇の制度というものを確認していて、その確認した結果、象徴であるかあるいは元首であるかは別として、象徴とされたんだと、このような説があるわけです。
 そうしますと、当然、帝国憲法は別としまして、元首というふうに明確に規定しておったわけでありますから、今の憲法が問題になるわけでありますが、この二番目に書きましたように、ローマ数字のですね、第一条に規定する「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、」という、この日本国の象徴あるいは日本国民統合の象徴であると、この象徴というもの、それの意味するものについてやはり考えなければならないと。これも、もちろんもう制憲議会のときから様々な論議があったわけでございますが、それから五十数年たった後、また改めてその当時の人々の一種の苦渋というもの、こういった象徴という言葉を生み出した苦渋を私はちょっと察するのでありますので、それを述べてみたいと。
 と申しますのは、次に、Uの@で書きました、ちょっと読み上げますが、国民は天皇を国家の姿として国民統合の現れとして仰ぎ見るべきことが要求せらるるのである。憲法の正文、正しい文ですね、憲法の正文をもって定められているのであるから、必然的に法律的観念たるもので、すなわち国民は法律上に天皇の御一身に対し国家及び国民統合の現れとして尊崇すべき義務を負う。国家の尊厳が天皇の御一身により表現せられ、国民は何人もその尊厳を冒涜すべからざる義務を負うのである。
 これは非常に、つまり象徴というものを今まで言われているようなものではなくて、非常に重々しいものということでとらえた文言でありますが、これは何を隠しましょう、先ほど述べた美濃部達吉先生と同じところに書かれているわけです。その同じ美濃部先生が、一方では、今のこの天皇、象徴天皇制ですな、国民の総意に基づくと、しかし、単なる象徴ではなくてこのような強い、今の人が聞いたらびっくりするようなことを、これは昭和二十三年の時点でありますけれども、おっしゃっているという。これは、当然、当時、美濃部先生も枢密顧問としてこの憲法にかかわられたわけですけれども、そういった意味で、中には、単なる象徴というのはそれこそシンボル、信号にすぎない、あるいは法律的な意味は持たないというふうな、Aに書きましたように九州大学名誉教授の横田耕一先生などはそのようなお考えで、衆議院の憲法調査会でもこのようなお話をされておるわけでありますが、なお、象徴に法的意味はないと、日本国民統合の象徴とは、日本民族の統合ではなく、多民族国家日本の諸民族の統合と理解されるべきであると。
 これはお説でありますから結構なんですが、このような説に対して当時最もリベラルであった美濃部先生がこのようにお考えになっているということのそれこそ歴史的な意味というもの、これももう一度敗戦直後に立ち返って考えてみるべきではないかというのが私の考えであります。
 というのは、三番目にも書きましたが、これはある固有名詞の、議員さんのをお出しして申し訳ないんですが、斉藤鉄夫という衆議院の方も、やはり衆議院の憲法調査会において、第一義的には権威の源泉、つまり象徴天皇があるという、皇位があるということは、主権の存する日本国民であって、そこから第二義的な位置付けとしての象徴という感じになっていると、確かにそうであると。しかし、けれども、実態としてはこの天皇制度そのものに権威の源泉があるのではないかというふうなことをおっしゃっている。
 私は、いろんな政治的立場はあると思いますが、むしろこのような、何かやはり歴史的、伝統的、文化的な背景、それもついこの間できたようなものではなくて、少なくとも千数百年にわたって続いてきた制度あるいは天皇という存在というものを抜きにして、このような感じ、考えは生まれ得ないのではないかと。やはりこれももっと大事にすべきだろうと。あるいはもっとその源泉、あるいは一体天皇というのはどういうものなんだろうかということを考える、ごく普通の日本人の国民感情から発しているのではないかと、このように思います。
 そうした意味で、時間も限られておりますが、あと七、八分になりましたが、そういった天皇の地位あるいは権威の源泉というものが何なのかといいますと、私は、やはり様々な文化的あるいは歴史的要素があると思いますけれども、憲法の問題に関して申し上げるならば、やはり皇室におけるお祭り、祭祀というもの、これがずっと古来一貫して今も続いているということですね。
 例えば、これは日本の古代法の憲法ともいうべき律令の令でありますが、その中で儀制令というのがございますが、そこで、天皇がお祭りをするときに称する言葉は天子と、それから天皇という言葉は外国に対して使うというような、そのような形で、まず、何はともあれ祭祀、お祭りということを持ってきておる。という意味からいっても、祭りを中心とした様々な皇室の伝統文化あるいは儀式、それが政治的権威あるいは精神的権威の源になっている。
 ちなみに、先ほど申し上げました藤田覚先生も、かの江戸時代の日光東照宮あるいは東照大権現といった政治権力を一身に担った徳川幕府においても、そのような東照大権現あるいは日光東照宮があり得たのも天皇のそうした権威があったからなんだということをおっしゃっているわけですね。
 ですから、これはある意味じゃささいなことかもしれませんが、やはりお考えになるべき大事な問題だというふうに私は考えておりまして、今日参った次第であります。
 そうしますと、そうしたことで、天皇の祭祀、お祭りを考える場合に、かつての大日本帝国憲法にも、実は、天皇がお祭りをする存在である、あるいは国事行為としてお祭りがあるんだということは一言も書いていない。じゃ、それをどこに書いてあるかといいますと、皇室典範あるいは皇室典範に附属する皇室諸令、具体的には皇室祭祀令ということでありまして、そのことを美濃部先生は祭祀大権と、憲法には書かれていないけれども、憲法上の不文の大権なんだということをおっしゃっています。ですから、しかし、そういう意味で、帝国憲法においてもそのような、憲法そのものにはこういった文化的、あるいは精神的、あるいはお祭りに関するようなことは書かれていない。そういった、何といいますか、知恵が存在したということでございます。
 そういう意味において、やはり大日本帝国憲法と旧皇室典範との関係を考えるときに、現憲法下においても、けだし皇室のことは皇室自らこれを決定すべくといったこの自立性、自ら立つあるいは自ら律する、両方の意味を含有しておりますけれども、そういった重みの再確認をやはりされることは必要なんではないだろうかと。
 しかし、他方では、美濃部先生は、これも専門的になりますが、神道指令というものによって不文の大権たる祭祀大権が廃止されて、したがって、皇室祭祀も皇室の家長たる天皇の私ごと、私事となったというふうになっておりますけれども、今日参考人で来ておられる園部先生もおっしゃいますが、昔のように国事か私事かと、あるいは公か私かという二者択一ではなくて、それでもって皇室祭祀は論じられてはいけないだろうと。
 そういう意味で、むしろ公私に二分する考えではなくて、皇室の祭祀というものをどのように国が、あるいは国民が位置付けるかといったこと。これも憲法そのものの条文とはかかわりは持たないわけでありますが、天皇の制度あるいは天皇の、象徴たる天皇としての御行為ということを考える上で、やはり看過できない問題ではないだろうかというふうに思っております。
 ですから、最後になりますが、国及び国民統合の象徴としての行為である、一つである皇室祭祀の、あるいはそれに含まれる、代表される儀式の制度的、法的位置付けはどうあるべきかと、皇室典範等の皇室関係法の見直しも含めて、天皇条項というものは総合的かつ慎重に調査していただかなければならないと、私はこの憲法調査会の委員、先生方にこのような御提言を申し上げて、そろそろ結論でございますが、私が一番感じておりますのが、あの明治時代において福沢諭吉が、帝室というものは政治的圏外にある社会的な存在であると申しましたが、これは少なくとも世のいわゆる政争と言われるものに巻き込まれる存在であってはならないと。しかし、国と皇室と国民とが一体のものとして帝室もあると。ですから、彼は遺稿となりました亡くなる直前に書かれたとされます帝室の財産においても、天皇とあるいは皇室と国民が利益が対立するようなことがあってはならないと、そのような制度を作ってはならないということを言って亡くなっておるわけでありますが、まさしく、しかし、今この憲法をめぐりまして、例えば天皇の祭りである大嘗祭、あるいは先帝昭和天皇の大喪の礼のときのように、それが政教分離原則をめぐって、裁判、訴訟ざたになるというふうなことが私はやはりあってはならないと。そうではないような、国民の英知を集めて天皇の制度と、福沢諭吉の言った国及び皇室、そして国民が一体となるような皇室の制度の在り方、これを国民の選良たる先生方に是非いろんな見地からお考えいただきたいと、こういうのが私の趣旨でございます。
 御参考になったかどうかは分かりませんが、私の今の考えを述べさせていただきました。ちょっと時間が三十五分までということですが、これで終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、笹川参考人にお願いいたします。笹川参考人。

○参考人(笹川紀勝君) ただいま御紹介いただきました笹川です。私は、大体発表は原稿を読む癖がありますので、お手元に届けています原稿を時間内でできるだけ読みます。早口で読みますのでお許しください。
 最初に、なぜ「総論―天皇」かということをお話しいたします。
 天皇を総論に入れるべきかどうか。もし総論と各論の関係で天皇が総論に入れられるのなら、国民主権は各論に位置付けられているのかどうか。調査会の従来の議論では、以上の疑問に直接答えるものはない。しかしながら、私の判断では、調査会における天皇と国民主権の関係をめぐる優勢な議論は、象徴としての天皇の地位が憲法第一条の「主権の存する日本国民の総意」に基づくというものである。この議論からすれば、国民こそ総論の事項にふさわしく、天皇の事項は国民主権の下位の事項に属する。すなわち、前者は後者の特別な制度にほかならない。もしそうでなければ、天皇の事項も国民主権の事項も、どちらも総論に属すると無意識に前提されているのかもしれない。すなわち、天皇と国民主権とは言わば並び立つ。そうすると、下位の特別な制度か並び立つものかは区別される。
 既に調査会で言及された公法研究会憲法改正意見は、上述の並び立つ発想に近い。というのは、それは憲法第一章について次のように言っているからである。第一章に天皇の章を設けているのは、人民主権を表明する憲法としては妥当ではなく、別に人民主権を宣言する章を設ける。こうして公法研究会は、主権は日本人民にあるという条文を新たに第一条とする。そして、現行の第一条を第二条に格下げして、象徴に代えて儀章という文字を新造語する。
 そうすると、新しい第一条は人民主権の事項を扱い、新しい第二条は天皇の事項を扱うこととなる。これによって、今日の読売新聞憲法改正試案の第一章国民主権、第二章天皇は公法研究会に倣った筋を示している。
 しかしながら、注意すべきことに、公法研究会と読売新聞とは大きく異なる。すなわち、公法研究会は、現行の第三条から第八条までを削除し、第四条を改正して、天皇は、国政に関する権能を有しない、ただ儀礼的行為のみ行うことができるとし、輔弼と紛らわしい内閣の助言と承認をその儀礼的行為には不必要として付けない。それゆえに、公法研究会の用いた付随概念は、前述した下位概念に等しい意味を持つ。
 他方、読売新聞は、現行の第二条から第八条までをほとんど維持しつつ、従来元首の行為の一部に相当すると政府に解釈運用されてきた外国の大使の接受などを国を代表して行うべき天皇の諸国事行為の筆頭に位置付ける。それゆえに、学説史的に言えば、読売新聞は、公法研究会の主たる線に沿いつつ国民主権論と天皇制との理論的整理、整合性を図り、しかも、公法研究会とは違って天皇制の強化をも意図している。その結果、国民主権と天皇制の位置付けに関して、公法研究会と読売新聞とは似て非なる構想を提示している。そうすると、読売新聞は天皇制を国民主権から独立させる方向を示唆していると言える。
 こうして見るなら、総論として天皇を論じる場合、現行の第一条の解釈運用にかかわって比較すべきは、現行の第一条と読売新聞の第一章、第二章である。とするならば、総論で扱われるべき問題は、現行の第一条の国民主権の下位に属する天皇制でどんな問題があるかを解明することになるのではないか。
 次、行きます。
 国民主権の下位に属する天皇制を検討する上で不可避な問いは、国民主権とは何か、また主権とは何かである。
 幾つか述べてみたい。
 主権を現代的用語として定義したのはジャン・ボダン、一五三〇から一五九六であり、彼は、フランス語のスブレニテがラテン語ではマエスタス云々と解説する。彼は、主権を、国家の絶対的で永続的な権力、フランス版、であると定義した。
 中世でも主権論はあったと主張したのはオットー・フォン・ギールケである。参照、オットー・フォン・ギールケ、「ヨハネス・アルトジウス―自然法的国家論の展開並びに法体系学説史研究」、一八七九から一八八〇。なお、「共生と人民主権」、笹川紀勝監訳、国際基督教大学社会科学研究所、二〇〇三年は主要な第一部の翻訳。
 そこで、ギールケその他を参照しつつ簡略に以下述べる。
 英独仏語に共通する実定法の実定を英語で言えばポジティブであり、その語源はラテン語にさかのぼるが、置かれた、所与の、ポシトゥスという古代のラテン語動詞過去分詞形に突き当たる。そこでは、実定法とは自然法ではなく、具体的に存在する法令、レックス、すなわち市民法、言い換えますと国家法にほかならない。古代ではだれが実定法を定めたかは議論にならなかった。法の源泉を問うようになったのはヨーロッパ中世のカノン法学においてである。すなわち、教皇ボニファティウス八世は支配者だと言い、マルシリウス・フォン・パドゥアは人民だと主張した。
 ボダンは、だれが実定法を定めたかについて次のように言った。すなわち、市民法、言い換えると国家法は、主権を持つ者の命令であると。つまり、ボダンは初めて実定法と主権論のかかわりを述べた。
 ではボダンは、主権者はだれだというのか。彼は、君主制と民主制を分類し、君主主権と人民主権を割り振る。そして、彼自身は君主主権に即して考察を加える。彼の思想全体を見ると、人民主権論も成立の余地が認められている。
 ボダンの主権論を批判したのは、ギールケがヨーロッパ世界に再発見させたヨハネス・アルトジウス、一五五七から一六三八である。アルトジウスは、普通の人々、人民、ポプルスが自発的な意思を持って相互の必要性と合意によって社会契約を結ぶと言う。小は家族、ギルド、様々の諸団体、都市、地方、諸地方の連合体の国家をかかる契約概念で説明する。
 次に、彼は、だれが主権を持つかと、だれが主権者から与えられた執行権を持つかは別だと主張した。ボダンには主権者と執行者の間でかかる区別がない。そして、アルトジウスは、主権者が人民だと言い、その人民が主権的諸権利を持つと言う。そして、最高執政官に協力し助言し、時にいさめる複数のエフォル、古代の護民官に相当、の存在と活躍をアルトジウスは指摘する。エフォルは最高執政官に抵抗権を持つ。抵抗権は人民にはない。
 なお、第二次大戦後のドイツ公法学界でアルトジウスに関する文献目録全二巻が公刊されたことは、その今日的意義を表明するものである。
 そうすると、最高執政官やエフォルは、人民との関係ではどうか。手続的に彼らも人民から直接選挙されるわけでなく、彼らの地位は世襲制度と身分制議会における選挙に基づいている。しかし、人民の人格を心に抱くのでなければならない。あくまで彼らは人民の代表でしかない。しかし、火事になったとき人々が駆け付け水をくみ火消しするように、国家が暴君によって困難になったとき、エフォルを人民は助けなければならない。それゆえに、人民自体には抵抗権はないが、彼らの意向は徐々に歴史の中で、支配階級を制約するだけでなく、人民主権の実現に向けて変化する。つまり、代表制論は常に民主化の方向性を持っている。
 近代立憲主義は、日本ではしばしばイギリス、フランス、アメリカの市民革命によって始められたと説明されるが、この主張は全面的にそうであるわけではない。というのは、アルトジウスに見られたように、中世から近代にかけて人民主権論や議会制度の存在があり、その上で近代的立憲主義が展開されたからである。すなわち、アルトジウスの後、ホッブズはボダンを継承し、その社会契約論によって絶対的な主権者を創造した。実定法は主権者の命令であると言った。そして、人民には何らの権利も残っていなかった。ロックはアルトジウスに倣って、人民主権と立法権、執行権の相違と関連を継承し、人民の抵抗権と権利を肯定した。そして、フランス革命の人民主権論はしばしばルソーに遡及されるが、ギールケは、ルソーがアルトジウスの社会契約論と人民主権論を具体的に展開したと指摘し、ルソーが継承しなかったものは人民の抵抗権と権利であると論じた。ギールケの主張は日本では正確に認識されていない。
 こうして見ると、アルトジウス流の人民主権論の特徴は、人民が不可譲渡の主権を持つこと、それによって立法権、執行権を民主的に根拠付け、かつ統制すること、その人民が権利主体であることとにある。大胆に言えば、ルソー流の社会契約論で一七八九年のフランス革命に現れた人民主権論を論じ得ない。まして、ルソー流の人民主権論で日本国憲法の国民主権を論じ得ないことも明らかである。
 とすれば、日本国憲法第一条の国民主権の理解は次のようになる。
 一、国民主権は人民主権と同じであるが、かかる国民すなわち人民は、主権、主権的諸権利を持っていて、その行使を諸権限として、立法権、行政権、司法権、会計検査院、地方公共団体、天皇にゆだねている。
 二、憲法第一条の趣旨は、国民主権を根拠付けようとしたわけではなく、通説の指摘するように国民主権の下に天皇を位置付けることにある。それゆえに、第一条は、公法研究会のように、付随して国民主権を述べることを眼目とはしていない。したがって、第一条は、明治憲法とは異なる新しい国民と天皇の歴史的関係を規範的に反映したものである。
 三、第一条にある「主権の存する日本国民の総意」のアクセントは「主権の存する」にあるのであって、もし、この文言、すなわち「主権の存する」を読売新聞のように削除すれば、天皇の権限を制限する主体の国民は不透明になるであろう。
 その次へ行きます。
 国民主権の下位に属する天皇制の展開に対立する論点。
 以下、項目的に論点を示します。
 一、本質論として。
 一、天皇像は三面ある。「自由と天皇制」、私の本を御参照いただきたいと思います。制度的天皇像、政治的天皇像、尊永演劇的天皇像。この立場からすれば、しらす論は歴史的な実在の天皇の諸活動の一面を強調する。丸山真男のしらすとまつる論は権威の正統性と権力の所在の区別をいうものだが、これも歴史的な実在の天皇の諸活動の一面を強調する。
 二、天皇が国家、国民の幸福を祈ることの重要性を主張する意見もある。これは、個人の信条、信仰なら問題はない。しかし、この祈りが象徴天皇の性格とかかわって論じられるなら大問題である。なぜなら、国民は自らの権利に基づいて立っているのであって、国民によって制限されている国家機関の担い手によって支えられているわけではないからである。
 三、井上毅にかかわって次のような意見がある。五か条の誓文の趣旨は、政治が国民の国民による国民のためにあることを表すと。確かに、五か条の誓文の第一項は、「万機公論ニ決スベシ」と言っている。大久保利通は「至当之筋を得天下万民御尤」と言う。岩倉具視は「天下億兆安泰」と言っていた。しかしながら、かかる「公」とか「天下」とかの文脈は人民が民主主義的に物事を決める意味を持っていない。なぜなら、大久保も岩倉も自分たちの主張するところが「公」であり、「天下」であったからである。国民、人民自身が政治に参加し、主体的に判断する余地は全くなかった。
 四、確かに、フランス革命では君主主権か人民主権かの選択が課題であり、主権論は闘争的、カール・シュミットの言葉、であった。それゆえに、人民主権、すなわち国民主権が勝利してからは、日本でももはや主権をめぐる闘争はないから、主権論は不要だと言われることがある。しかし、アルトジウス流に考えると、人民主権論は君主主権論と闘争的な関係にはない。つまり、人民が人民から託された権限を持つ機関、人間に立ち向かうためには人民主権が不可欠なのである。
 その次、解釈論とかかわって。
 一、第一条の「象徴」から何かを引き出せるという説とそれを否定する説がある。象徴から様々の運用実態を引き出すのは根拠がない。
 二、実在の人間を象徴としたために、かつての君主である天皇を君主に類似して扱うのは憲法第一条の国民主権に反する。天皇は国事行為のみをなし得るのであって、それ以外は私的行為である、二分説。三分説、五分説は現実の運用の追随にすぎない。
 三、現行憲法が制定施行されたとき、新憲法の規定に反する旧皇室典範及び皇室令はすべて廃止された。ところが、廃止された旧皇室典範及び皇室令は慣習法として存続している。これは、最高法規としての憲法の入り込めない、機能しない国家機関の領域を主張するものであって、二元的法体系をもたらしている。旧憲法時代、憲法体系と皇室令体系と二つの法体系があったが、それに近い状況が生まれている。
 四、二元的法体系の存在は、昭和天皇の葬儀の際に国民の権利侵害をするように機能した。例えば、多摩陵の地区の人々の自由権、生活権、安全を侵害したし、平成の天皇の即位大嘗祭の皇室神道の儀式の政教分離原則違反などをもたらした。そして、昭和天皇の重体のときの自粛ムードは、いかに天皇制が国民の心理を抑圧するかを具体的に示した。しかし、これら国民の権利に関する事項は憲法調査会によって正面から再検討されていない。
 五、憲法第一条は、国民の主権者としての権威とそれに基づく権威の、天皇の権威の二重性を表すと主張する学説があるが、これは二元的法体系に即応するものである。通説的には伝統は何ら法源にならない。
 六、権利保障の例外規定として世襲や特別待遇の中身を安易に正当化したり、政治的な利用はできない。例えば、平成の天皇の憲法擁護の誓いの声明には問題がありますし、皇室外交も同じです。
 七、天皇及び皇族の権利保障の問題として、女性天皇について触れておこう。
 a、皇室典範は、天皇と皇族に関して憲法の権利保障の様々の例外を定めている。そのために、権利保障の観点では原則と例外の関係が主張され、例外は必要最小限度であるべきだと主張されることがある。しかし、原則と例外の関係は合理性に支配されるから、何が必要最小限度かは容易に分からず、立法権と執行権の裁量が働く。
 例えば、第一子をもって皇位継承者とするという意見がある。しかし、なぜ第二子以下は排除されるか。平等原則に立つと、事は容易には説明できないであろう。
 b、そもそも、夫婦から子供が生まれるかどうかは分からない。そして、生まれたとき、女児であった場合、今度は女性天皇の是非が議論になる。なぜ男児でないのかと。こうした議論は、お家大事と同じだと思う。古くは、うまずめは去るべし、男児を産まなければ去るべしと言われた。今度は国家のために、果たして古い時代と同じように言えるものか。自分に引き付けて考えてほしい。自分の娘が結婚してなかなか妊娠しないとき、娘が周囲からどう見られ、妊娠しないことにどんなに苦しむか。また、娘が女児を産んだら、なぜ男児を産めないかと言われたら、どんなに苦しむか。女性天皇の是非の議論は、それゆえに平等原則の適用以上に人間の尊厳や個人の尊重の問題に出会っているのではないか。皇室典範の改正によって女性天皇に道を開くことは確かに平等原則の適用拡大になるが、しかしそのような立法をする議員は自らに要求できないことを他者に要求することにならないだろうか。
 ドイツ憲法第一条は次のように言う。人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することがすべての国家権力の責務である。
 どうすることが人間の尊厳を尊重し保護することになるかを考えることが最も重要である。それは原則と例外の問題ではなく、具体的な事柄に即して国民主権として権利保障を貫くことにあるのではないか。
 結びに代えて。
 「総論―天皇」は、国家と憲法の実に根本的なテーマにかかわる。そして、個別具体的な論点を列挙し考察すると、そこにはこの国の人々への深い洞察が求められる。
 大変早口で申し訳ありませんでした。
 以上で終わります。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、園部参考人にお願いいたします。園部参考人。

○参考人(園部逸夫君) 御紹介いただきました園部でございます。
 本日は、参議院憲法調査会のお招きにより、参考人として意見陳述の機会を与えられましたことを誠に光栄に存じます。
 レジュメはもう実に簡単なものでございますが、これに沿いましてお話を申し上げます。
 本日は天皇制度についてお話しするようにとのことでございますが、私は、この天皇制度につきまして憲法が定めている二つの基本となる制度、すなわち第一条が定めている象徴制と第二条が定めている世襲制の観点からお話を申し上げます。具体的には、天皇の象徴たる地位と関連する国事行為と、皇位が世襲のものであることに関連する皇位継承制度についてお話を申し上げたく考えております。
 レジュメで「憲法と皇室典範」というところに「憲法」の次に「象徴性」という、セイの字が性質の性になっておりますが、これはこれでもよろしいのですが、制度の制でございますので、そのように御理解をいただきたいと思います。
 天皇、皇室の制度を定めているものとしましては、この憲法のほかに、法律である皇室典範がございますが、最初に憲法と皇室典範との関係を簡単に申し上げておきます。
 憲法では皇室の諸制度の基本となる制度を定めておりますが、更に具体的な制度を定める法律が皇室典範であります。本日の課題の一つである皇位継承制度について憲法は皇室典範に何をゆだねているかということが問題になることもありますが、私は、憲法が定めているのは世襲であるということであって、その具体的な制度は皇室典範が定めることになっていると考えます。したがって、仮に今後女性に皇位継承資格を認めるということになりましても、皇室典範の改正を行えばよく、憲法改正を要しないということになります。また、皇室典範は、国事行為に関連する制度として摂政制度について定めておりますが、天皇の御活動を直接定めたものはありません。これは今後の天皇の国事行為やそれ以外の行為をどのような法形式によって定めることが適当かという議論の際には考えるべき事柄かもしれませんが、その問題は本日は省略いたします。
 そこで、まず天皇の行為の問題からお話をいたします。
 天皇の行為と申しましても、これは極めて多彩な御活動が現になされております。そうした行為の中で、どのような行為をどのような考え方で憲法が定める行為とすべきであるということが、この国事行為についての問題を考えるに当たって必要であろうと考えます。
 現行憲法は、制定当時の議論でございますが、国事行為に関しまして、金森国務大臣は、ただ象徴であるというだけではこれは永続的に象徴であらせられるに不適当であり、そこでこの象徴たる御地位に伴って、だれが見てもそれこそ天皇のお働きであり、それがこの主として第六条、第七条等において生まるるものでありますと述べております。
 国事行為としてどのような行為を憲法で定めるべきかということは、天皇の象徴という地位、存在をどう考えるかということと密接な関係にあると言えると思いますが、私は、天皇の行為は、国事行為に限らず、そのほとんどが天皇が象徴であることと無関係ではあり得ず、さらに、あえて申せば、天皇の様々な行為を通して象徴制度とは何かが明らかになる面もあると考えておりますので、天皇の行為を考えるに当たりまして、私は天皇の行為と象徴との関係という観点から五つに分けておりますが、これについては詳しくは述べません。
 レジュメに国事行為、公人行為、社会的行為、皇室行為、私的単独行為と書いておきましたが、このうち国事行為は憲法で定められております。あとは公人行為でございますが、そのほかの社会的行為、皇室行為、私的単独行為は、いずれもすべて私人としての行為をこのように分けているわけでございます。
 さて、この行為分類の中で、私は、国事行為とは、天皇が象徴という地位に基づき国家機関として行う憲法が定めた行為であると解しております。天皇は国及び国民統合の象徴でありますので、このことから、その地位に基づいて行う国事行為は、国家に関するものであって、国家的意義を有する行為であるべきであり、同時に、その行為は、象徴の中立性が守られるよう、その内容に天皇が責任を負うことのない行為でなければならないということが導き出されます。憲法は、このような象徴という制度に期待される意義を実現するために国事行為を定め、同時に、そうした行為が象徴にふさわしく維持できるよう、内閣がその責任を負う行為として位置付けているものと解しております。
 また、私は、天皇の象徴たる地位は、我が国の歴史を背景とした地位であると考えており、国事行為のうち、伝統を尊重することになじむ行為については、伝統への配慮を行うことが適当と考えております。ただ、この伝統との関係で、象徴と政教分離原則との関係について十分な考察が必要なことも言うまでもなく、伝統の内容について丁寧な議論を行わなければならないと思います。
 こうした意義を持つ国事行為の今後を考えるに当たりまして、私は二つのことを申し上げておきたいと思います。
 一つは、国事行為の儀礼的性格についてであります。国事行為は儀礼的な行為であるから実質的な意味を持たない行為であるというようなことが言われますが、私はこれは正しくないと思います。儀礼や形式というものは、社会秩序の維持や構築、またその属する国家、社会の歴史の確認に大きな意義を持つものであると考えます。そして、それだからこそ、儀礼や形式的行為についてもその運用には十分な配慮と細心の注意が必要になると考えます。
 もう一つは、現在憲法に列挙されている国事行為の内容をどう評価するかということと関連します。先ほども申しましたが、国事行為は象徴制度の維持において重要な意義を持つと考えますが、現在憲法が定めている行為は、どちらかといえば国家の言わば中枢部分に係る行為であり、国民との直接の接点を持つような国民的な広がりのある行為は必ずしも多いとは言えないと感じております。
 そうした点から見ますと、現在憲法が定めている国事行為は、象徴制の維持には必要な行為でありますが、これで十分とは言えないのではないかと私は思います。ただ、だからといって、私は現行憲法が定める行為に直ちに追加すべき行為があるとは考えておりません。そうではなく、先ほど申しましたように、天皇の行為における儀式の重要性ということから、儀式を行うことの内容を充実できないかと考えております。
 従来、この国事行為たる儀式として即位の礼や大喪の礼のほかに、新年祝賀の儀や皇太子の結婚式などがありますが、例えば国賓関係の諸儀式を国事行為たる儀式と位置付けることは意味があるかどうか、あるいは国家的な意味を有する行幸を全体として国事行為として位置付けることは可能かどうか、これはそうした位置付けをする場合の手続面からの問題も含め考えてみる価値はあるかと思います。
 さらに、国民との接点となる儀礼的行為を国事行為とすることができないかとも考えます。もちろん、こういったことは安易に行うべきことではなく、様々な角度から慎重に検討すべきでありますが、国事行為の充実という方向は、これからの象徴天皇制度と国事行為の関係を考える上で大切なことではないかと考えます。
 次に、もう一つの課題であります皇位継承制度に移ることといたします。
 先ほど申しましたように、女性天皇論は憲法それ自体についての議論ではありませんが、憲法が定める象徴天皇制度の維持に関する重要な問題でありますので、この問題の背景と今後につきまして、現在私の考える点を簡単に申し上げようと思います。
 まず、現行制度がどのような制度であるか、その特徴のみを簡単に申し上げておきます。
 まず第一は、皇位継承資格者を男系の男子に限定する制度であるということであります。ここで言う男系という意味を簡単に申せば、男性のみで血縁上つながる関係を男系と称し、この意味での男系以外の関係を女系と称すると考えていただければよろしいかと存じます。現行制度がなぜ男系に限っているのかにつきましては、これを明確に説明したものは私の知る限りでは見当たりません。専門的見地からの御見解もあるかと思いますけれども、皇室典範制定時の帝国議会で金森大臣も述べられたように、男系に限定している理由を説明することは相当難しいことではないかと思っております。
 次に、二番目として、皇位継承資格を嫡出子に限っていることもこの制度を考える上で大事な点であると思います。皇位継承資格について、旧皇室典範では非嫡出子を認めておりましたが、戦後定められた現行の皇室典範では、道義的な判断によりまして制度を改め、皇位継承資格を嫡出子に限る制度としております。
 三番目に、皇位継承順序はその時々の天皇の直系を優先しているということです。皇室典範は、継承資格を男系の男子に限った上で、継承順序については、皇位は基本的には親から子へ、すなわち天皇から皇太子へ、またその子へ、すなわち皇太子からその子へというように系統を尊重して伝えられるような仕組みになっております。
 この点に関しまして、この後に申します女性天皇制度の問題と関連しますが、皇位継承資格を女性に認めた場合の順序は、第一位皇太子殿下、第二位敬宮愛子内親王殿下、それから第三位秋篠宮殿下となります。
 中には、第一位が皇太子で、第二位が秋篠宮で、第三位が愛子内親王であるということがちょっと資料の中にもうかがえるのでありますが、この点につきましては、現行の皇位継承順序の考え方からしますと皇太子の子孫を皇太子の兄弟よりも優先すべきでありますので、皇太子殿下の次は愛子内親王殿下となり、皇太子殿下の子孫の系統が仮に尽きることとなれば、そのときに初めて次の順位が秋篠宮殿下になると考えるべきであろうかと思います。つまり、その天皇の直系の子孫となる愛子内親王殿下を、天皇の兄弟として傍系となる皇族、すなわち秋篠宮殿下より優先すべきであるということになります。
 以上、皇位継承制度の特徴だけを述べましたが、果たしてこの皇位継承制度のままで象徴天皇制度を維持できるかということが近年議論になっております。
 女性天皇制度の問題は、主として二つの観点からその要否が論ぜられてきました。一つは、女性にも皇位継承資格を認め皇統の維持を確実にしようとする議論であり、他の一つは、男女平等論からの女性天皇論であります。
 こうした二つの観点がありますが、現在の皇室の構成を考えました場合に、現行の皇位継承制度のままでは将来皇位継承資格者が不在になるということが現実的な問題となってきており、こうしたことから、近年、現行制度を見直すべきではないかという議論が高まってきているのではないかと思います。
 そこで、次に、この皇位継承制度の改正論について私の考えるところを述べることといたします。
 こういう皇位継承制度を考える基準といいますか観点でありますが、憲法が定める世襲による象徴天皇制度を維持するために皇室典範の改正は避けられない重要な課題であり、また早急に検討を始めなければならない問題であると考えておりますが、この問題について憲法が定める天皇制度の考え方に沿って考えてみようと思います。
 すなわち、今後の皇位継承制度は、第一に、国民が考える象徴制度にふさわしい制度であるべきであるということであります。第二には、世襲の背景にある我が国の歴史や伝統に配慮した制度であるべきであるということであります。そして、仮にこの二つの点から導き出される制度のあるべき姿に一致しない点がある場合には、最終的には国民の支持が得られる制度を今後選択すべきであると考えます。
 今後、皇室に男子の御誕生があればともかく、現在の皇室の構成のままでは男系男子に皇位継承資格を限定する現行制度ではいずれ継承資格者がいなくなります。こうした事態に対応するためには継承資格を女性にも認めることが必要になると考えます。こうした女性天皇論につきましては、先ほど述べました男系、女系ということが論点になってまいります。
 すなわち、女性に皇位継承資格を認めることは過去に例がありますが、女系は伝統には一致しないという議論がこれです。この問題は、皇位継承の伝統とは何かであり、その伝統と法制度との関係をどう考えるかということになるわけですが、私は、皇位は代々の天皇の血統に属する方が継承することが制度にとって最も重要なことであると考えます。天皇の血統を維持するために女系を認めることは皇位継承制度のこれまでの伝統とは異なるという考えもあるかもしれませんが、皇位継承の在り方はこれまでも推移がございます。また、男系ではないということをもって、それが象徴天皇制度にふさわしくないとか象徴天皇という地位に反するというようなことはないと考えております。
 皇位継承制度について、象徴という地位の在り方、世襲制の内容という観点からの法制度を考えました場合に、何が本当に守るべき価値なのかということを考えますと、私は女性天皇を認めることが最もふさわしく、また必要なことと考えます。
 女性に皇位を認めるとして、皇位の継承を認めるとして、それでは継承の順序をどうするかということになりますが、これについては諸外国には二つの考え方があります。一つは、英国のように天皇の子供の中では兄弟姉妹のうち男子を優先する型、すなわち第一子が女性で第二子が男性の場合は第二子の男性を優先する型であります。もう一つは、オランダのように男女の区別なく長子を優先する型であります。
 今後、女性天皇制度が議論になれば、どちらの継承順序の考え方が我が国の制度にふさわしいかが問題になると思われます。天皇の制度は諸外国の君主制度とは異なる面を多く持っておりますが、一方では共通する点もあり、この継承順序については世襲の合理的な在り方から考えましてもそのいずれかではないかと考えます。
 それでは、そのどちらを取るべきかということになりますが、これはまだそうした議論が具体的になされているわけでもありませんので私の考え方を申し上げることはいかがかと思いますが、最終的にどうしても二つになる。一つは、兄弟姉妹の間では男子を優先する型の方が現時点での国民意識に沿っているのではないかという考え方でございます。もう一つは、将来皇位に就かれる方はできるだけ早く決めた方がよく、男女の区別なく長子を優先する方がよいのではないかということでございます。これらの点は極めて具体的な問題になりますので、余りどちらを選択するというようなことはここで申し上げるのは差し控えたいと思います。
 限られた時間ですので話が断片的になりまして誠に恐縮でございましたが、以上で憲法が定める象徴天皇制度を維持していくために重要と私が考える二つの問題、すなわち国事行為制度と皇位継承制度につき、それぞれの今後の在り方を簡単に御説明いたした次第であります。不十分な点は質疑等で補うことができれば幸いと考えております。
 どうもありがとうございました。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 松村龍二君。

○松村龍二君 大変貴重なお話を三先生から伺いまして、ありがとうございました。自由民主党の松村でございます。
 この天皇の問題は、千年、二千年という大変歴史のある、重みのある話でございますし、私も昭和十三年生まれで、終戦のときが小学校二年生というようなことで、戦前の天皇の権威といいましょうか威力、終戦時のあの混乱が、天皇が行幸されましたり、あるいは今イラクで問題になっておりますように、日本国民が天皇の権威に従うというような中で非常に平和裏にいったというふうなこととか、あるいは私もタイで反日運動の真っただ中にいたことがありますが、皇太子殿下がタイの皇室を訪問されますとたちまち反日運動が薄れるというふうな威力も実感したこともございます。そういうようなことと、また、今の天皇が即位したときの何か今まで触れたことのない神秘的な宗教儀式というふうなことにも触れて、天皇の本質がそこにあるのかなといったようなことも感ずるわけです。
 正直、私ども、そういう戦後民主教育を受けた者といたしますと、国会議員になりまして、いつも開会式のときに天皇陛下が一段と議長よりも高いところからごあいさつをされるということに対して、若干の違和感を正直言って感じたこともございます。しかし、非常に憲法と憲法的慣習は日本人にぴったりしているんではないかな、今変えることは、先ほどからお話の出ておりますような皇室典範で女系天皇を認めるというようなところしかないのかなといったことも感じます。
 我々、日常の政治の中では大臣等が任命されるときに皇居へ行って任命される、また国民の間に、勲章をもらうということに対して、そしてその際に皇居へ行って天皇陛下からお言葉を賜るということが今の天皇制度を支えている大きな理由だなと。しかし一面、宮内庁の役人が平民出身の人だけですと果たして天皇制が支えられるのかなといった心配もされるわけでございますが、そのようなことを率直に述べさしていただいたわけですが。
 各三人の先生に、具体的に今憲法はここを変えるべきだというような御意見があれば、もう先ほど述べたからその話で理解してくれと言われるんであればそれでも結構ですが、三人の先生に、現在の憲法について具体的にここは変えた方がいいという点がありましたらお聞かせいただきたいと思います。

○参考人(阪本是丸君) 先ほども申し上げましたように、具体的に今ここでこのように変えろというふうなことを考える前に、いろんな歴史的なことあるいは様々な現実の問題を考えて変えるべきものなら変えるべきということでありまして、即座に私は、例えば象徴というのを取って元首にしろであるとか、そのような意味での具体的な提言というのは持ち合わせておりません。ただし、国民の一人として考えてはおります。
 以上です。

○参考人(笹川紀勝君) 結論から申しますと、特に改正、先ほどの意見申し上げましたように、規定上特に変える部分というのはないと思っています。問題はその運用にあると、こういうふうに仕分して考えております。

○参考人(園部逸夫君) 私も先ほどこの問題を少し触れたんですが、国事行為の点は七条に規定されておりますので、これは私が申し上げましたように、もう少し外に見える国事行為というのがあっていいんじゃないか。何か宮殿の中とか部屋の中で行われていることを、私もそれは経験しておりますけれども、天皇がもし国事行為というものを象徴としての行為として重要な行為であるというふうにお考えになり、周りの人もそう考えておるのであれば、かなり国民との接触のある分野での天皇の活動を何とか国事行為として決める、そういう改正もあっていいのではないかと思います。
 あと、皇位継承等については、これは皇室典範の問題でございますから、憲法については何ら改正の必要がないと、このように考えます。

○松村龍二君 あと一問だけ。
 笹川先生、国際基督教大学ということで、偏見を持って聞くわけですけれども、キリスト教、私もよく知りませんが、キリストの場合は神あるいはキリストというものの権威が一番上にいないといかぬと。そういう中にありまして、天皇というのはそういう考え方からしますとちょっと異質な感じがするというふうにも考えられると思います。
 やはりクリスチャンの方がいろいろ天皇制のことに関しまして違和感のあるような反応をされることもあるわけですが、そういうキリスト教というような、先生に聞くのがふさわしいかどうか分かりませんが、キリスト教の欧米の考えとこの天皇制とは全く関係がないといいましょうか、どんなふうに理解したらよろしいのか、できたらお聞かせいただきたいと思います。

○参考人(笹川紀勝君) キリスト教と天皇制の関係については、戦争中あるいは一九四五年までは極めて深刻な問いでした。この点は、私はまだそのときにはとてもそんなの、年齢は達していませんので分かりませんけれども、戦前のキリスト教会にとってはどちらが上なのかというのは本当に深刻なことだということを繰り返し聞かされてきました。
 それは日本の状況のお話ですが、今、先生のお尋ねの件で私がちょっと思い付く、私の研究の関係で思い付くのは、イギリスの例をちょっと申し上げようと思います。
 イギリスでは、エリザベス一世のときですが、三十九か条という条文を作りました。三十九の条文です。その中でイギリスの国教会と王様、女王との関係がどうであるかということを定めたわけです。一六〇〇年の初めの話です。
 この中で大変興味深いことは、女王はもちろん国の言わば統治者としては最高の権威を、地位にあるわけですけれども、事、宗教的な、国教会の中の宗教的な行為、例えば説教をしたり、それから聖礼典といいますが、洗礼を授けたり、いわゆるそういうたぐいの宗教的な行為ですね、これはできないというふうに一六〇〇年の初めに決めました。このために、そこにたどり着くまでにイギリスの国教会の大司教といいますか、何人も殺されています。命を懸けて教会の側はそれに抵抗した。それを結局王様の側が認めるようになって、言わばイギリス型の政教分離がそこで生まれました。
 そういう意味では、女王は決してキリスト教会の中で宗教的な地位は持っておりません。この点は、キリスト教、イギリスの国教会の中の特にハイチャーチと言われる側はそれを非常に固執します。保守派です。リベラルな方は議会の多数でもって教会の在り方を決めるという、こういうことになっていますので、ローチャーチとハイチャーチでは違いがありますけれども、女王に関しては今申し上げたことに尽きると思っています。
 この点が、最後に、日本の天皇制との根本的な違い。イギリスの場合にはそういう意味では政教分離が、国家の一番大事な部分において政教分離が実現していますけれども、日本の場合は、明治以来、そこが正に、統治者が同時に宗教的な祭祀大権を持っている、そういう構造が見えてくる、そういうふうに理解しています。

○松村龍二君 どうもありがとうございました。

○会長(上杉光弘君) ツルネンマルテイ君。

○ツルネンマルテイ君 民主党のツルネンマルテイです。
 私は、個人の意見ですけれども、日本の象徴天皇制について、私も賛成です。ただし、その中で、もちろん今も、参考人のいろんな発言の中では、その地位と国事行為に対するいろんな問題があると思います。それを、参考人の皆様の話を聞いて、私にもそれも非常に参考になりました。その中で、幾つかの質問をさせていただきます。
 まず一つは、園部参考人と阪本参考人には同じ質問をお願いしたいと思います。
 これは、直接今日は出ていませんけれども、園部参考人のこの参考資料の中では、天皇には私はあるかどうかの問題ですね。こういうふうに書いてあります、定義されていますね。天皇は基本的人権を有しない非享有主体であると定義されていますね。天皇は、御存じのように、お生まれになったときから天皇という運命を義務付けられていますし、それで自らの意思で辞めることもできないし、自由な意思表示もできない。そして、長い間の皇室の伝統の中ではいろんな儀式とか祭祀も義務付けられています。それは、もちろんほとんどは神道に基づく儀式ではありますけれども。これは、全く国民と明らかに異なる特別な立場であるということ、これは特に、天皇は私であるかどうかということ、私はこれは当然そうだと思いますけれども、そこでお聞きしたいのは、これはどの程度皇族のほかのメンバーに当てることができるか。
 今、よく話題になっているのは、皇太子様と皇太子妃雅子様の悩みが今話題になっていますね。もちろん、雅子様は元々は皇族の一員ではないんですけれども、やはり皇太子様と結婚した後は皇族員になっていて、そしてその中では個人的な、私的な生活はほとんどできなくなったという、言わば二十四時間もう公的な人間であって、ひょっとしたらその悩みで健康までも崩れているということ。それで、それを今思いやって皇太子様がそれについて記者会見までやりました。
 こういうことについて、もちろん天皇の私であるということも含めてですけれども、雅子様の悩みに対して、まず園部参考人、そしてその後、阪本参考人からコメントをお願いしたいと思います。やれる範囲で、もちろんですけれども。

○参考人(園部逸夫君) 非常に微妙な問題でございまして、非常に具体的な問題にかかわるものですから発言は非常に慎重にしなければなりませんが、せっかくの御質問ですので申し上げます。
 それは、一つは、戦前はたくさんの皇族がおられました。ところが、戦後、これが非常に限られた数の皇族になっております。しかも、この皇族は要するにどういう、何のために皇族というのを維持しているかというと、結局は皇位継承順位がございまして、いざというときに天皇の皇位をだれが引き継ぐかという、そのために皇族がいるということになっているわけであります。そういう世襲制度とかあるいは皇室、皇族を中心とした天皇の地位の継続ということがなければ、特に皇族を特別の地位に置く必要はないわけであります。
 したがいまして、それでは皇太子あるいは皇太子妃、その他の皇位継承をする可能性のある人たちはどういう状況に置かれているかというと、結局、いつかは天皇の代わりをしなきゃならない、いつかは天皇を引き継がなきゃならないと、そういう前提で存在しておられるわけですから、かなり天皇と同じように、この基本的人権の享有等についても不自由な状況にある。
 これは、そういう点では、はたから見て、どうしてあそこだけああいう具合な状態になるのかということになりますけれども、皇室制度を維持する限りはこれはもうやむを得ない、そしてまた、皇族ないし昔の華族等々から入ってこられた方であればそれなりに経験もあり、また、そういう覚悟も十分おありなわけですけれども、何しろ民間から入ってこられるということになると、恐らく大変な窮屈な思いをしておられるのではないかと思います。
 これはちょっと、それだから、それじゃできるだけ自由にするようにしようと申しましても、それでは皇室制度を維持するということは非常に難しくなってくる。そういう点で、ある意味ではジレンマでございまして、皇室の民主化ということを一方言いながら、一方では皇室の伝統というものを守らなきゃならない。このジレンマをどういう具合に何とか解いていくかということは、これから、具体的な問題がいろいろ出るに及びましたから、それを前提にして、とにかく早急に、かつかなり丁寧にこの議論をしていかなければならないのではないかと、このように思っております。

○参考人(阪本是丸君) 今、園部参考人もおっしゃいましたように、非常に微妙といいますか、私、少なくとも私にはうかがい知れない内容でございますし、そして、一言だけ、これじゃ余りにもそっけない応答になりますので、あのような形で皇太子殿下が皇太子殿下として、決して私的にお漏らしになったわけではないんですね。公の場でお漏らしになったと、そういうこと、御存在であるということだけは確かであります。
 ですから、付随した質問、あるいは直接の質問にもなるかもしれませんが、御質問に、そのような方として、皇族、天皇、あられるということですね。スクープではないということ、私的に語られたことではないということ。しかし、そこから何を国民が読み取るか、お気持ちはと、それこそ本当に考えなきゃならないことだろうと思いますので、私的か公的かといった単純な分け方ではないというふうに思っております。
 以上です。

○ツルネンマルテイ君 ありがとうございます。
 次にも阪本参考人に質問させていただきます。
 少しさっきも触れましたけれども、天皇と宗教との関係について、御存じのように、今も天皇の国事に関する行為の中には儀式というのもあります、祭祀というのもありますね。それで、その中では、例えば春秋恒例祭というのがありますね。そのときは、天皇は今は私事、私ごととしてそういうのを行われていると書いてありますけれども、これも園部参考人の資料の中にも書いてありましたけれども、かといって、その中に、例えば参加する、参列する方の中には三権の長、総理大臣とか衆議院、参議院議長とかも参加していますし、その費用が全部国費で賄っています。それでもこれは完全に天皇から見れば私事であるかどうかということ。
 ついでに、もう時間が非常に短いんですけれども、それに加えてもう一つの例えたという質問ですけれども、今はこういう儀式というのは、日本では昔からは神道教によって行われていますね。しかし、もし仮に、これはまあできるとしたら、別の宗教、例えば天皇がどういうわけかキリスト教の式によってやろうとしたら、これは問題が出てくるか。これは神道教であるんだから、こういうふうに昔からの伝統があるんだから、キリスト教だったらこれはどうなるか。この、ちょっと二つ質問が入っていますけれども、お願いします。

○参考人(阪本是丸君) 私は、今、ツルネン委員、あるいはいろんな方が皇室の祭祀、宮内庁では宮中祭祀と言っていますが、それをいわゆる宗教あるいは神道というふうには考えておりませんので、いわゆる意味での神道としての宗教というのは存在します。しかし、皇室においてはあくまで皇室祭祀として行われておるということで、しかもそれは私事ということではなくて、これももう法理論から解釈がありますが、私は、戦前においても、いわゆる宮中と府中を分けた、宮中における公のこととしてしておられる、つまり内廷において内廷費でもって賄ってやられると。
 ということは、それはポケットマネーであるとか私事ということではないと思いますし、事実、宮内庁のホームページをごらんになっても、「宮中のご公務など」ということで、十一番目に「宮中祭祀」、私は皇室祭祀と呼んでおりますが、出てまいりますから、決して私事、私的な、プライベートなということではないだろうというふうに思っています。
 それから、後段の御質問ですが、これは、実は歴史的なことを見ますと、仏教信者であられた天皇もたくさんいらっしゃいました。しかし、今私が申し上げた皇室の祭事、祭祀は、仏教信者であられた天皇も神事と仏事を分けて、祭祀と仏事を分けてきっちりとされておった、これが皇室の伝統といいますか、歴史の事実であります。
 以上、お答えいたします。

○ツルネンマルテイ君 あと四分しかありませんから、最後には園部参考人に、ちょっとこれと関連する質問ですけれども。
 憲法の方では宗教的な活動というか、宗教的行為と宗教的活動と区別されていますね。そして、国がやっているのは、もちろん憲法では宗教的活動は禁止されていますけれども、今のような例では、行為というか、強制されてないんですから、そういう行為というのはあり得るということですけれども、この宗教的行為、国が行われている宗教的行為というのはどういうふうに定義しているんですか。

○参考人(園部逸夫君) 宗教的行為と申しますのは、国が宗教的行為をするということは考えられないんですね。ただ、天皇家といいますか、これは先ほどのちょっと阪本参考人とは少し意見が違うかもしれませんが、天皇が私的な行為として祭祀をなさっておられるというのは私の解釈でございまして、だからこそ私的な祭祀の中で行われているいろんな行動について、国が、国の機関である最高裁の長官であるとか国会の両院の議長であるとかそういう方が参列されるとしても、それは言ってみれば皇室、すなわち天皇家の祭祀をしておられることについて、言ってみれば日本人でも、例えば神道のいろんな祭事をしているところへいろんな縁故者等々が行って参列する、しかし自分はその神道の信者ではないというようなことはあると思います。そういう形で参列をしているということでないとなかなか説明が付きません。
 それで、そういう場合に、そうはいっても歩いて行けとか、そういうわけにまいりませんから、公用車に乗って行くとか、そういうことはあると思います。それが宗教的行為かというと、私は必ずしも宗教的行為とは考えません。
 そういう意味では、国の宗教的行為というのは非常にあいまいなものでございまして、それは例えば大嘗祭等についても随分苦労してやりましたし、それからお代替わりのときのいろいろな宗教的な行事について国がどこまでかかわっていくかということも、随分丁寧に考えて行ったわけでございまして、国が積極的に宗教的行為をするということは、私はそれは考えられない、そういうふうに考えております。

○ツルネンマルテイ君 終わります。

○会長(上杉光弘君) 山本保君。

○山本保君 公明党の山本保です。
 大変、三人の先生方から広範なお話といいますか、深い話を伺いまして、どこをどう質問したらいいかちょっと迷っておりますので、最初に一つ、阪本先生、阪本参考人、ほかの先生は女性天皇について少し継承の問題触れられたんですが、私の聞き落としかもしれませんが、阪本参考人がそれに触れられなかったと思いますので、もしそれについてお考えがございましたら補足的に御説明いただけませんでしょうか。

○参考人(阪本是丸君) いわゆる女性天皇は、女帝の問題でありますけれども、現実論からいたしまして、男系の男子の後継の方がいらっしゃるんですが少ないということから、女性天皇あるいは女帝を認めるべきだと。
 これは憲法とは関係なく、皇室典範において、法律だから変えることができる、あるいはそれを追加することができるということが、これは法理論、技術的な問題と、それから現実の問題からだんだんそうやってお生まれになる方が少ないと、男の子が、ということ、それからあとは男女平等であるとか人権の問題というところ、この三点から来ておろうと思うんですが、私はいずれも、今はそのようなことをすること自体、それは国民の自由ですし、議院の活動の自由なんですが、私はそのようなことが、これは純粋な個人的な意見でありますが、皇太子様であるとか皇族の方々、あるいは、ひいては天皇皇后両陛下の一種の、何といいますか、言葉がちょっと窮するんですが、お悩みになるような状況をむしろ作ることがありはしまいかというふうに考えております。
 また、これは私の参考資料にも書きましたが、ある里見岸雄という人なんかも、日本の歴史ではその都度その都度対応してきた、そこで英知を働かせたと。そういう意味では、今、仮定の問題としてはいろんな私も考えておりますけれども、園部先生のようにこのように具体的に、もう女帝、男系、女系も含めて認めるべきだと、このように、もし改正するならこういう改正の仕方があるだろうというようなことまで私としては申し上げる立場でもございませんし、また差し控えさせていただきます。
 以上です。

○山本保君 ありがとうございます。結構でございます。ちょっと確認だけさせていただきました。
 それでは、ちょっと自分の問題意識をちょっと述べまして、どの先生にどうということが自分として分かりませんので、園部先生から順に私が申し上げることについて何か御意見があればコメントをいただくということで、そういう方法でちょっとお話をしたいと思います。
 今日、お話伺いまして、やはり単に日本国民の象徴であるという、統合の象徴ということの、法律的にその言葉だけでとらえるよりは、やはり文化的な伝統というのがあるのかなと。これは笹川先生は反論されるかもしれませんので、是非そこはまた教えていただきたいんですが、そう思いました。
 ただ、その場合に、文化とか伝統とか歴史というのは何をもって文化、伝統、歴史と言うのかということでございまして、今、祭祀というような非常に神秘的なものとかそういうもの、神秘的なことに非常にあこがれる人もいますし、また日本の文化の中にその分野があったこともこれは事実だと思いますけれども、今後、そういうことが天皇の意味といいますかの根本に来るというのは私はどうかなという気もします。
 逆に、憲法のことからいいましても、国民に愛されるといいますか、私どもがやはり天皇を慕うような、日本人の一つの在り方としてすばらしいなと、こう自然にお慕いできるような、そういうものとしてとらえたいなという気がしているんです。
 そこで、ちょっとエピソード的なことを申し上げます。
 この前、詳しい内容は忘れましたが、ある新聞に、見ましたら、有名な学者、文学者だったと思うんですが、歌会始の歌のことをちょっと書いておられました。もう先生方、御存じだと思うんですが、昔、歌会といいますか、もちろん源氏物語などを見てもそうですが、天皇も皆、恋の歌といいますか相聞歌を一杯書いていたのに、明治の時期になって、そんなものは、正に大元帥がそういうことを行うことはおかしいというようなことから、今、歌会始でもそんな歌は全然出ていない。実際にはそういう歌を歌われているはずなのに全く出てこない。こういうようなもので、だとすれば、そこに表れた文化というのは私たちがどうもなじみにくいような文化じゃないかななんてことを感じました。
 もう一つ、これは有名な学者ですが、お名前は言いませんが、私どもも感じますけれども、公式行事のときに、皇后陛下は和服を召されますけれども、召されるときありますが、天皇陛下は洋装しかされていないような気がします。着流しでとは申しませんし、紋付き羽織はかまというのは伝統じゃないのかもしれないとしたら、例えば宮中で着られている儀式のときのようなああいう形といいますか、そんなものを外国人に見せてもいいんじゃないか、それを主張したいんだというような有名な学者とちょっと話したこともあります。
 私どもがお慕いできるような文化というものは、今までちょっとお話があった、非常に難しい神秘的なもの以外にあるんじゃないかという気がしてならないんですけれども。
 ちょっと取り留めのない話で申し訳ありません。園部先生から順に、何かコメントをいただけますでしょうか。

○参考人(園部逸夫君) 私は、いろいろな伝統といいましても、いつからの伝統かといいますと、江戸時代、その前にもさかのぼるかというと、なかなかそこまではさかのぼらないだろうと思います。
 伝統といっても、結局は明治憲法以来の伝統、そのころの天皇制度はどうであったかということから来ているのでありまして、ただ、これが昔の皇室令のような制度がございませんから、なかなかいろいろな皇室の行動を決めようと思っても、それは何に基づいてそれが行われるのかという根拠が必ずしもはっきりしない。
 そういう場合には、皇室令やその他伝統と思われるものを明治以後の慣例に従ってそれを引き継いでいるというにすぎないといえばすぎないのでございまして、やっぱり今の時代にふさわしい皇室の在り方というものは国民の支持を得るものでなければならないということになると、やはりこれから新しいものをどんどん取り入れて、余り伝統というものにとらわれない新しい皇室制度、天皇制度というものを考えていくべきではないか。
 そのためには、皇室典範だけでは不十分でございまして、皇室を動かすための、まあ各省庁でいえば省令あるいは政令に当たるようなものがないと、なかなか憲法及び皇室典範を今の制度には、今の制度というか今の国民の感情に合ったものとして運用していくことは難しいということを考えます。
 それで、先ほどの、どうして洋式なのかとおっしゃいますが、これは明治時代に文明開化ということがございまして、皇室はもう一切服装はフランス風、洋西欧風でいく、それから宮中晩さんも皆フランス料理でいくと、フランスの大統領が来てもフランス料理を出すというようなことになっておりまして、これはそれの名残でございます。
 もちろん、おっしゃるように、ただ正式の場合には皇后陛下も着物は着ておられないと思うんですけれども、できればそういう形で国賓をお迎えするということがあってもよろしいわけでございまして、これもやっぱり従来の明治以来の慣例をどういう具合に今の国民の意識に合ったものにするかということはこれから考え直していかなければならないだろうと、このように思います。

○会長(上杉光弘君) ほか、お聞きしますか。

○山本保君 もし、もう時間もあれですから。

○参考人(笹川紀勝君) 私は、全く個人的なレベルにとどまる伝統文化だったら、それはそれでいいと思うんですが、国の在り方、あるいは国民にかかわりを持つ形での伝統文化になりますと、それはやっぱり憲法の第一条に、先ほど申しましたような国民主権の観点から、もう一度再検討される必要があると、こういうふうに思っています。それだけです。

○山本保君 阪本先生、いかがですか。

○参考人(阪本是丸君) もう園部先生がおっしゃいましたけれども、歌会始にしても講書始にしても、確かに制度化された皇室令等で明治二年以降から始まっておりますけれども、その前に、詳しいことは申し上げられませんが、もう平安時代あるいは孝明天皇のときなんかからもそういったものがきちっとございます。そういうものを改めてインスティチュートした、制度化したと。そのことに関しては宮内庁のホームページなんかにも出ておりますので、私は、すぐそこを広報活動で国民に知らせるということだと思っております。
○山本保君 ありがとうございました。終わります。

○会長(上杉光弘君) 吉岡吉典君。

○吉岡吉典君 日本共産党の吉岡です。
 まず、阪本先生にお伺いします。
 憲法の国民の総意によるという規定との関係ですが、私は、国民の総意が変わった場合には今の象徴天皇制というのも変わっていくであろうと。それはあくまで国民の総意が変わった場合ですけれども、その場合は憲法も今のままではそういうわけにもいかないでしょうけれども、そう思っていたんですけれども、先生のお話によると、そういうものではなく、もう歴史的な存在だということにお考えになっているのかどうなのかということが一点と。
 もう一つは、主権者が国民だけれども、しかし、一たび象徴天皇になると、国民はその尊厳を冒涜すべからざる義務が生ずるんだということとの関係ですね。仮に、これはそういう義務が生ずるということになると、義務に違反したらどうなるかという問題にもなってくると思うんですけれども、そういう点はどういうふうに考えたらいいのか。

○参考人(阪本是丸君) ちょっと後段の御質問は、恐らく私の発言といいますか、しゃべったことに対するちょっと違うことだと思うので、後段からお答えしますが、今、後段、議員がおっしゃったのは、これは美濃部達吉博士がこのように言っておられると。それは、一体その当時、そういった義務を負うといったぐらいの重さというのは一体何だろうかということを考えるべきであるということを申し上げたので、象徴天皇かあるいは国民主権どちらかを取ったというようなことを私は申し上げたつもりではございませんので、それは美濃部先生がどのようにお考えになったかというのは具体的には私には分かりませんが、そのような強い言葉でおっしゃっていたことも十分吟味すべきではないかということを御提言として申し上げただけであります。
 それから、前段の質問に関しましては、これはもういろんなところで、議会でも国会でも、あるいは当時の制憲議会でもその後でも、いろいろな政府関係者が答弁しておるんですが、国民の総意というのは一体一人一人の特定の、一億二千六百万のすべてをやったのか、アンケートを取ったのかといったらそうではなくて、つまり、その当時、制憲議会でこれは国民の総意として、その国民の総意というのは当時生きていた人間だけではなくて、当然亡くなられた、あるいはそういった御意思を、あるいは未来の、将来の子孫も含めての国民というふうに理解しておるのが大勢でおりますから、私としてはそこに伝統あるいは長い歴史というものを加味といいますか、それを基にして国民の総意というふうに考えるべきではないかということを申し上げて、ですから今は一億二千六百万が国民の総意だとして変えることはできるかもしれませんけれども、それは正に憲法改正の問題ですから、法的にはできないことはないでしょうけれども、私はそういう意味ではおっしゃるとおりだと思っています。変えることはできるでしょう、今の国民で、はい。

○吉岡吉典君 笹川先生にお伺いします。
 先生のお話にもありました政務法と宮務法の二元体制にかかわる問題ですけれども、明治憲法下の政務法体系というのは憲法改正とともに全体系として改正されたと。そして、もう一つのそれと並ぶ宮務法の方は、皇室典範は改正されてあるけれども、それ以外は廃止されて新しい法律はできていないと。私はその関係で、しかし実際は旧宮務法に従って行われているし、それのみならず、宮内庁から通達が出て、法律は廃止されたけれども、それに準拠せよということが指示されているということを知って驚きました。これ、そういうものなのかなと。
 それで、皇室行事というのも決して完全な私的なものではないということになると、その法律の在り方というのはそういうことでいいものかどうなのか、私は疑問を持ったまま答えなしに今までいましたので、先生ちょっと私の疑問、解明していただきたいと思いますけれども。

○参考人(笹川紀勝君) 今、先生が言われたような二元的な体系を明治憲法のとき持っていました。そして、おっしゃられるように廃止された旧皇室令、当時の、それから旧皇室典範もそうですけれども、どの点で問題があると人々に、国会でも認識されていたかというと、やはり政教分離の問題です。そういう意味では、そういうものは廃止されて皇室の中のルールがなくなっちゃった。そうしたら、通達でもって、言わば慣例あるいは慣習法という言葉を使っていますけれども、コモンローとさえ言われていますけれども、そういう形で実質それが執り行われた、それが現在にまで至っている、こういうことです。
 ですから、こういう事態を考えたときに、私たちは憲法第一条の「主権の存する」という観点から皇室の中の在り方を徹底的に検討するということを戦後してこなかった。この点が明瞭にそれが出たのが昭和天皇の葬儀、それから平成の天皇の即位、大嘗祭の問題です。この点は皇室の中にとどまらなくて、先ほど多摩陵の話など出したり自粛の話出しましたように、国民の生活にもろに影響を及ぼしている。そういう点で、私は、単なるそれは現実に行われていることは私的なことではないと、こういうふうに理解しています。
 それから、皇室経済法の関連で、宮廷費とか内廷費など、特に内廷費の取扱いは全くプライベートな私的のお金のはずなんですけれども、私が調べた、今は違っているかもしれませんけれども、多分違っていないと思いますが、公務員が行っている。天皇のプライベートな領域であるお金、個人のお金の使い方も、そこでは天皇も、例えば国会で言われたのでは、天皇一人ではできないからお助け申し上げていますという。ですから、そこの部分で正に公私の区別ができなくなっている。そういう意味で、公私の区別の、日本のもしそれが伝統文化であるならば、極めて情けない話です。自分が自律するということが皇室の中にないと、私はそういうふうに見ています。
 以上です。

○吉岡吉典君 園部参考人にお伺いします。
 皇族あるいは天皇の場合に、一般国民と権利が保障されていないというお話、どなたかからあったと思いますけれども、私も宮内庁に、呼んでそういう話を聞いたから、どういう違いがあるのかと。天皇及び皇族と一般国民と基本的人権のどういう点が保障されていないのか、整理して説明してもらいたいと言ったら、しばらく準備期間を経て説明を受けました。
 そうしたら、一般国民は天皇になる資格がないという根本問題があるけれども、それ以外にも六点ほど基本的人権の違いがあるというので、順序不同ですけれども、職業選択の自由がない、選挙権がない、海外渡航の自由がない、財産形成の自由がない、それから結婚の自由がない、もう一つ何かありましたね。そういうことをずっと並べてあれしましてね。
 それで、これ、国際的にも皇室というのはそういう自由の保障のない存在なのかどうなのか、私もこれ、それ以来疑問を持っておりますので、お分かりでしたらちょっと教えていただきたいんですけれども。

○参考人(園部逸夫君) 外国の王室がかなり自由な活動をしておられることは、今度のデンマークの皇太子の御結婚などからもうかがい知ることはできるわけでございますし、イギリス等についてもその例を見ることができます。
 我が皇室、日本の皇室は、明治以後の国威発揚ということに絡んで、皇室というものの権威を高めていかなければならなかったと。それで、しかも、大元帥として国軍を統帥をしなけりゃならないというようなこともございまして、かなり別個の存在として扱ってきたことは間違いのないことでございます。それを前提にして、今の憲法と皇室典範の規定があると。
 したがって、これは、まあ最初に天皇ありきということを私、申しておりますけれども、それよりも、最初に明治憲法以来のこの皇室に関する法制ありきということでございまして、それを新しい憲法に合わせてどのようにしていくかということは、先ほど笹川参考人もおっしゃったように、十分な検討がなされていない。これは、やはり、これからもう新しい時代にどんどん二十一世紀入っていくわけでございますから、この点は余り窮屈なかせを押し付けるようなことのないようにすべきではありますが、だからといって、これ全く国民と同じようにするということになると、もう皇室の存在意義がなくなってしまう。元々、天皇家は、皇室は社会的身分及び門地によって既に差別されておりまして、この十四条の規定を適用しますと皇室はなくなってしまうことになるんです。
 それで、まして、ですから基本的人権等々について随分不自由な思いをされておられることは間違いはない。だけれども、これを全部解放してしまうということは皇室制度そのものを否定することになるので、これがやっぱり国民としてそういう皇室をこれからも頂いていくのかということを、これからもいろいろなことがございましょう、そういうことを契機として考えていく必要があるのではないかと、このように思っております。

○吉岡吉典君 終わります。

○会長(上杉光弘君) 岩本荘太君。

○岩本荘太君 無所属の会の岩本荘太でございます。
 いろいろと勉強させてもらいまして、質問といいますか、質問というよりもむしろ、更にもう少し教えていただきたいなという、するつもりでございますが。
 まず、園部参考人にお願いしたいんですけれども、いわゆる国事行事、あるいは私人としての行為、いわゆる天皇の行為ですね。これ、天皇の行為と限らずに皇室の行為というふうに私、限って、という範囲でちょっと述べさせていただきたいんですけれども。
 先ほど来、国民的な広がりのある行為がまだ不十分だと、もっとおやりになるべきだというようなことをおっしゃいまして、私の認識がこれ全然違ったのかなという感じがするんですが、どうも庶民的な立場といいますか、いろいろと人と話しておりますと、どうもこの行事といいますか、我々が接触できる行事というのは例えば植樹祭とか育樹祭とかその手の国民的な行事になると思うんですけれども、それがちょっと多過ぎるんじゃないかというような感覚がありまして、これ、実は憲法調査会にちょっと調べてもらったんですけれど、なかなかその辺分からないんで、多過ぎるのかどうか分からないんですが、そういうことが多過ぎることによって今回のいろんな問題ですね、問題といいますか、やっぱり御自身で行事に参加されるということは決められるわけでないでしょうから、むしろ外部から決められるようなことがあれば、やはり皇室の立場としてはなかなかそれを拒否できないというようなこともございますでしょうし、そのことによって大変お疲れになっているんじゃないかなというような感覚を持たれる方もおるんですけれども、その辺についてもし何かお知りになっていることがございましたら、教えていただきたいんですけれども。

○参考人(園部逸夫君) とにかく、戦後の方が圧倒的に戦前に比べて、天皇皇后両陛下だけじゃなく、皇室のあるいは皇族の方々が表に出ていろいろな行為をなさっている割合は非常に高いわけでございます。そして、年々それはどうしても増えていく。例えば、ある大学の創立記念行事に出られれば、こちらの大学だけ出てあっちは出ないのかと、あっちは出ればこっちはどうなのかということになってまいります。また、あのときは天皇陛下も自ら出られたのに、どうして今度は皇太子なのかとか、今度は秋篠宮なのかという、そういうその受け手の側のいろいろな要求もございます。
 これはこのまま放置しておきますと、もうとにかく、先ほど申しましたように、こういうことを決めている法制度が全くないものですから、限りなく、天皇皇后両陛下が御健康である限りは限りなく続いていく、限りなく広がっていく。これを皇太子やその他の皇族とどのように分け合っていくかということも別に規定があるわけでも何でもない。
 ですから、私は、天皇が今公人行為としてなさっておられるような事柄は、ある程度法的ないし法的に近いものの根拠を持ってこれはなさっていただく、しかしこれ以外のことはできれば少しずつ減らしていくというふうに根拠を持ってやっていかないと、いつまでたっても広がる一方なんです。
 この点を私は非常に心配しておりまして、本来皇室はどういう仕事をすべきなのかということがはっきりしてないんです。これは誠にちょっと申し上げにくいんですけれども、戦前は、御承知のように、皇族は全部軍人でございました。ですから、本職として軍人としての活動をなさっておられればそれでよかったわけで、海軍の軍人もおられれば陸軍の軍人もおられる。今はそういうある意味の定職がございません。
 ですから、何をどういうことをすればいいのかということの基準が全くはっきりしないのでございまして、その点は、こういう席上だから申し上げますけれども、やはり余り規定もなくそのままに放置しておきますと、宮内庁としてももう収拾の付かないことになってくるし、天皇陛下の御意思は何とか成就したいけれども、しかしそれにも限度がある。この辺のところが大変なジレンマに陥っておられるのではないかと外から見ておりまして拝察する次第でございます。

○岩本荘太君 ありがとうございました。
 それから、笹川参考人に一つお願いしたいんですが、全く仮定の問題なんですけれども、例えばヨーロッパは今EUの下に、私も詳しいこと分かりませんけれども、統合されているというような格好で、いわゆる世界的な流れとしてそういうような流れというのはあり得るんだろうと思うんですね。
 そういうものが北東アジアといいますか、日本の周辺でも将来、どういう、形はどうあれ起こり得ることがあると思うんですが、そうした場合に、日本の天皇象徴制といいますか、こういう国の形というものがそういうものに進んだ場合に、連合的なものに進んだ場合に、何らかの障害があるのか、全然そういうことは関係ないのか、その辺もし御見解がございましたら教えていただきたいと思います。

○参考人(笹川紀勝君) 恐らく、今、先生の言われた言葉で言えば、連合の仕方の問題にかかわるんじゃないかと思うんです。そういう意味では、どういう仕方によるかによって天皇とのかかわり、天皇制とのかかわりも出てくる場面と出てこない場面、多分区別できるだろうと、私はそんなふうに思います。
 ただ、韓国の人たちから突然に聞かれる、言われる質問は、どうして日本は天皇がそんなに長く続くんですかと、突然そういう質問を受けることがあります。そういう意味では、戦前のやはり日本の植民地支配とのかかわりで違和感を持っている、違和感がどこかにあるということは私は否定できないというふうに思っています。
 しかし、日本国憲法の発想は、私は国際協調主義が憲法の原則だと思っていますので、そういう意味では、国際協調主義の観点を伸ばしていくという面で天皇制との折り合いを、制度として存在していますので、その折り合いを付けていくことは私は十分可能だと。そういう意味では、この北東アジアの中においての日本をめぐる違和感をどのようになくしていくかということが恐らく何らかの将来像にとっては不可欠な印象を持っております。
 その程度です。

○岩本荘太君 ありがとうございました。以上で終わります。

○会長(上杉光弘君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言申し上げます。
 参考人の方々には大変貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 速記を止めてください。
   〔速記中止〕
○会長(上杉光弘君) 速記を起こしてください。
 ただいまの参考人質疑を踏まえて、一時間程度、委員相互間の意見交換を行いたいと存じます。
 委員の一回の発言時間は五分以内でお願いいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は挙手をお願いいたします。
 岩井國臣君。

○岩井國臣君 私たちは歴史と伝統文化を生きています。過去と現在と未来というプロセスの中で、今私たちは現在を生きています。未来の人たちにとって今を生きている現在の私たちの諸活動そのものが歴史と伝統文化であるわけでありまして、そういう意味で私たちは歴史と伝統文化を生きているのであります。私たちは歴史と伝統文化に生きているわけではありません。歴史と伝統文化を生きているのであります。
 さて、御承知のように、イギリスの憲法はいわゆる不文律憲法でありますが、私たちはその意味するところを正しく認識しておく必要があるかと存じます。
 その思想の代表としてバークの哲学がありますが、ホワイトヘッドによれば、歴史と伝統文化を重視する哲学は全く正しいけれども、バークの哲学は必ずしも十分でない。現在を生きる私たちとしては、常に革新に努めなければならないのであって、バークの思想はその点が不十分であるとのことのようであります。すなわち、ホワイトヘッドによれば、プロセスという考え方が大事なのであって、バークの哲学はその点が不十分というのであります。
 なお、先ほど笹川参考人からロックの名前がちょっと出ておりましたけれども、私はロックとは対極にあるバークの哲学の側に立っていることを念のため申し上げておきます。バークは基本的に正しいけれども、ホワイトヘッドの考え方により一部修正が必要であると考えているのであります。
 私たちは、今、憲法論議に際し、ホワイトヘッドの象徴論を十分参照しながら天皇の象徴性を考える必要があると思います。
 再度申し上げますが、私たちは歴史と伝統文化に生きているのではありません。私たちはあくまで歴史と伝統文化を生きなければならないのであります。そういう意味で、天皇は我が国の歴史と伝統文化の象徴であります。それがゆえに、天皇は我が国の国民統合の象徴になり得るのであって、憲法改正にあってはそのことの論理が明確にされなければならないと私は考えております。
 本日、阪本参考人から天皇条項は総合的かつ慎重に調査しなければならないとの指摘がありましたが、今私の申し上げた点も含めて、上杉調査会長並びに理事の皆様方の御理解を賜り、この調査会において更に論議を深めていただくよう、切にお願いを申し上げる次第であります。
 ありがとうございました。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 若林秀樹君。

○若林秀樹君 民主党の若林でございます。
 天皇制については民主党の中でも余り深く議論はこれまで余りしていなかったんではないかなと思いますが、私の個人的な意見として、結論的には憲法における天皇制の位置付けを変える必要はないんではないか。正に国民統合のための象徴天皇でこれからもあり続けていいんではないかという印象を持っております。
 しかし、私も戦後生まれですけれども、かつての戦前の天皇の存在、その大きさは私は知りませんが、そこの反動という意味なのか、私はやっぱり戦後の教育の中で、象徴天皇とは何なのか、天皇は何をする人なのかという基本そのものが余り教えられてこなかったんではないかなというふうに思いますので、日々の生活の中で天皇の存在を感じることは余りなかったというふうに思います。
 私の経験なんですが、たまたまワシントンの大使館での仕事で天皇をお迎えしたことがありました。一か月ぐらいいたんでしょうか。私は、その数日間に一緒に天皇とともに活動を、一緒に行動をした。そのときの印象でいえば、何というんでしょうか、やっぱり皇室外交のすばらしさ、すごさというのをまじまじと感じたというんでしょうか、日本の首相が何回来るよりも、何年に一回の天皇の方がすごい外交、皇室外交の威力を発揮しているなというふうにつくづく思ったものでした。
 アメリカというのは、ある意味じゃロイヤルファミリーを、捨てると言うとちょっと語弊がありますけれども、そういうところから離れた人たちの集まりなんですが、実は逆にロイヤルファミリーに対するあこがれというんでしょうか、引き付けられる魅力というんでしょうか、そういうものを本当に感じるというんでしょうか、それはその場にいれば非常にそれが分かるわけで、クリントン大統領といえども、天皇のそばにいたときのあの雰囲気は何なんだろうか。もうこれは論理ではないんですよね。そこに醸し出される空気、オーラというか、そういうものが、私は目の前で感じたときに、これは正に日本のある意味での財産であり、日本国を表す伝統と文化の象徴的なものではないか、そういう意味ではあえてこれを捨て去る意味は何もないなというところを改めて感じたところでありますので、今後ともそういう天皇制というものをもう少し身近な中で感じつつ、こういうものをやっぱり大事にしていく必要があるのではないかなというふうに思っております。
 その中で、これからの天皇制を考えた場合に、もう少しやはり開かれた皇室というんでしょうか、天皇、ロイヤルファミリーにおいても、確かに守られた特殊性というのはありますけれども、一人の人間としての人格というのは私は基本的に守られるべきであろう。あの雅子さんの騒動を見ても、やはりとてつもないプレッシャーがあるのではないかと。好きで、自分の選択で選んだにせよ、基本的なやっぱりそういう部分は守られるべきではないかなというふうに思いますので、皇室典範の改正も含めて、女性の皇位継承というものもこれからの国民的な議論の中で、私は個人的には認められるべきではないかなというふうに思いますので、総意的な、そういう国民の総意に基づく天皇制の、象徴的な天皇制というものをこれから更に議論する必要があるんではないかなというふうに思います。
 以上です。

○会長(上杉光弘君) 白浜一良君。

○白浜一良君 私の意見を三点ばかり述べさせていただきたいと思います。
 一つは、天皇制は本来の姿から見れば象徴天皇制がふさわしいということでございます。
 皆さんも御存じのように、日本において天皇制が形作られましたのは飛鳥時代から奈良時代にかけてでございます。天皇制が定着した以後の日本の歴史を考えますと、いわゆる政治権力に権威を与えた存在は一貫してあったとも言いますけれども、政治権力そのものであったことは極めて例外的なんです。極端に言いますと、後醍醐天皇といわゆる明治から戦前の昭和まで、その期間しかいわゆる直接的な政治権力を持った時代というのはなかったわけで、その後醍醐時代と明治から戦前の昭和までの歴史はある意味で日本の歴史の中では例外的でございましたし、結果的に国の形がいびつになりまして破綻したということも明らかであるわけで、天皇制そのものはもっと歴史的な、ある意味で日本の文化的な存在であると。そういう意味で、現代的にいいますと、象徴天皇というのがふさわしいんじゃないかということが一つの私の意見でございます。
 それから二点目には、天皇のいわゆる権威というものは、確かにそういう大嘗祭を始めとする祭祀に基づくものであるというのは歴史的な事実だろうと思いますが、しかし、今日的にいいますと、私は天皇家の祭祀というのは、園部先生もおっしゃっていましたように、あくまでも私的な祭祀だと、こう見るべきだと、このように思うわけでございまして、たとえそれが国の予算を使われていようといまいと、そういうことは関係ないわけで、あくまでも天皇家御自身の宗教であり、祭祀だというふうに限定すればいいというふうに私は思います。それ以上の国家的な、また社会的な力を持つということは当然政教分離の原則に反してくるわけでございますから、あくまでも天皇家御自身の宗教だと、こういうふうに認めればいいというのが私の意見でございます。
 それから三点目には、皇室典範を改正した方がいいということです。これも園部先生がおっしゃっておりましたけれども、憲法にいわゆる「日本国民統合の象徴」とあるわけでございます。ということは、日本国民統合の象徴ですから、国民から見て天皇家の継承制度が今日的にふさわしいと、ああ、そうあった方がいいと思えるような形態にすべきだというのが私の意見で、特に今日の皇室典範は明治以降のやっぱり極めて限定した形になり過ぎているわけでございますから、国民から見てふさわしいような内容に変えた方がいいと。当然、過去に八人、十代にわたって女性天皇がいたということはこれはもう当然のこととして、そういう女性天皇の存在だけではなしに、もう少し国民から見て今日的にふさわしいなと思えるような皇室典範に改正をした方がいいと、これが私の意見でございます。

○会長(上杉光弘君) 井上哲士君。

○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 戦前の明治憲法の下での天皇は統治権の総攬者として国家のすべての作用を統括する権限を握っておりました。その専制政治の下で国民の権利と自由が奪われ、あの悲惨な戦争に突入をいたしました。そのため、戦前、私たちの党の先輩は、この天皇による専制政治をなくさない限り国民主権の民主主義の実現も平和も実現できないとして、治安維持法などによって迫害、弾圧を受けても天皇制の打倒を訴えました。
 戦後、日本国憲法に天皇条項は残されましたけれども、国家制度として国民主権の原則が明確にされ、天皇制の性格と役割は大きく変わりました。現憲法の下で、天皇条項をなくさなければ日本社会が抱える様々な問題を解決することができないといったようなことではなくなっております。ですから、私たちは、戦前とは違い、現綱領において天皇制の廃止ということは掲げておりません。
 それでは、現天皇条項の下で、日本は国家制度として君主制の国に属するのかどうかという問題があります。
 天皇の機能、権能については、第四条で、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」ということをはっきり明記をしました。ここで言う国事行為とは、国家意思を左右するという力を含まない、全く形式的、儀礼的、栄誉的性質のものだということは一致した見解であると思います。
 このように、憲法が天皇のできる行為を形式的、儀礼的な国事行為に限定し、国の統治権には一切かかわれないことを厳格に定めております。国政に関する権能を持たない君主というものは世界に存在しませんので、日本は国家制度としては君主制の国には属さないことは明白だと思います。
 日本国憲法において天皇制が存続したことは、国民主権の原則を日本独特の形で政治制度に具体化をした現日本国憲法の特質であると言えると思います。
 では、この天皇条項を将来的にどうしていくのがよいのかという問題であります。
 日本共産党の立場は、一人の個人が世襲で国民統合の象徴となるという現制度は、民主主義及び人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則を今以上に花開かせるためには、将来の方向として、民主共和制の政治体制の実現を図るべきだと考えています。しかし、現在の天皇制は憲法に定められている制度であり、その廃止は、国民の間で情勢が熟し、国民の総意で解決されるべきだと思います。
 今大事なことは、天皇の権能を制限する憲法の条項を厳格に守って、その逸脱を許さないこと、そして天皇の政治利用などをさせないことだと思います。
 現在、私たちは、国会の開会式には参加しておりません。これは天皇制を認めないからではありません。戦前は、天皇が帝国議会を自分の補佐する機関として扱って、そこで事実上議会を指図する意味を持った勅語を述べたりしておりました。今の開会式は、戦後、政治制度が根本的に転換をして、国会が独立をした国権の最高機関に変わったのに、戦前のこのやり方を形を変えて引き継いできたものですから、私たちは憲法を守るという立場に立って、これには参加しないという態度を続けております。
 今、憲法の規定を無視をして様々な政治利用を企てるという動きも強まっておりますけれども、私たちは、今必要なことは、憲法の条項を厳格に守る、このことが日本の民主主義にとっても重要な意義を持つものだと思っております。
 以上です。

○会長(上杉光弘君) 吉田博美君。

○吉田博美君 自由民主党の吉田博美でございます。
 本日のテーマである天皇についての私の所感を述べさせていただきたいと思います。
 明治憲法での神格化された主権者から国民の総意に基づく象徴となられておよそ六十年、象徴という当初は耳慣れなかった言葉も今では国民の実感として定着していると思われます。戦後も一貫して天皇と皇室は国民から敬愛されており、現在の開かれた皇室は国民にとって民主的な望ましい姿であると思います。
 しかし、昨今、国民の間には、その敬愛の深さゆえに、天皇、皇族方のプライバシー保護を始め、御本人の意思による退位の自由に至るまで、天皇の基本的人権を強化すべきだとの意見が見られます。
 もちろん、天皇も国民の一人として基本的人権が尊重されるべきであることは言うまでもありませんが、憲法第二条では世襲である旨が規定されており、象徴としてのお立場を全うされるために様々な基本的人権が制限されており、この点において憲法上天皇の存在は特別である事実も否めません。その意味で、どのように折り合いを付けるかの問題だと考えます。そうとは申しましても、天皇、皇族方の人権、特にプライバシーなどについては、制限だけではなく、国民一人一人が思慮を持って臨むべきだと思います。
 さて、現在の憲法制定時から象徴天皇は元首かどうかの議論がなされてまいりました。この議論について、政府は、海外から見れば一部外交面で代表として形式的儀礼を担当しており、その意味では元首であろうが、統治にかかわらない点においては元首とは言えない、元首の定義いかんではその結論は変わってくるなどという旨の解釈がされております。
 翻ってみますと、現在の存在の在り方こそが日本の伝統と文化に深く根差す本来の天皇の在り方であり、明治憲法下の時代が例外であったのだろうと思います。日本国憲法を制定する際に、金森国務大臣は、天皇を中心に国民の心がつながる意味で国体は変わっておらず、変わったのは政体だという旨の国会答弁を繰り返して行っておりましたが、今になってみれば正に卓見であったと言えるのではないかと思います。
 元首であるか否かにかかわらず、権力と権威とが切り離され、しっかりと国民の意識の中に定着した象徴天皇制は極めて望ましい姿であり、このまま継続すべきだと考えます。
 ただ、公的行為の位置付けの問題について、憲法上の規定にあいまいさがあると思います。政府は、天皇の行為について、憲法が列挙する国事行為は機関としての天皇の行為であり、その他、象徴としての地位に基づく公的行為、これら以外の私人としての私的行為があるとしています。
 この公的行為については、その時々の社会政治状況に結び付けられ、天皇の国政関与あるいは天皇の政治利用等の憶測が起きてしまう可能性が否定できません。したがって、憲法でしっかりとその位置付けを条文化する必要があると思います。
 いずれにせよ、我々国民は、国民に根付き、日本をここまで支え続けた現在の天皇制をこれからも守っていくという確固たる自覚を持たねばならないと思います。
 以上でございます。

○会長(上杉光弘君) 江田五月君。

○江田五月君 今日は発言の準備をしていなかったんですが、皆さんの発言を聞いてちょっと触発されましたので、一言二言お話をしてみたいと思います。

 先ほどの白浜さんの御意見は私は全く賛成なんですね。昭和天皇が崩御されて、そしていろんな儀式があって、そして今の天皇が即位をされたと。その当時に、夜通しバトルを行うテレビの番組があって、あそこで出て大分議論をしたことがあるんですが、その中で一つの議論は、日本国というのはもう天皇制なんだ、これは何だかんだ言ったって天皇制そのものが日本国という、そういう議論があって、天皇とともにある日本国がそのときそのときのいろんな形を取って今日に来ているんだという、そういう主張が堂々となされた。まあそういう考え方もあるでしょう。しかし、私はやはりそれは違うと。

 やはり天皇というのがいろんな形でずっと続いてきていても、それは、戦後の新しい日本を我々がスタートするときに、正に憲法第一条で、天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する国民の総意に基づくという、正にその主権の存する国民の総意ということが天皇を日本の象徴にしている根拠なんですね。そこに権力の源泉があるわけですから、これはやはり大きく変わったわけで、これまでずっと続いてきた天皇制というものを象徴制ということで戦後の憲法の下で日本国民が位置付けたという、これはやはり踏み外してならないところだろうと私は思っておりまして、その意味で、国民主権というのが日本国の最大の原理で、その下に象徴天皇制というのがあるんだと。

 そういうことを踏まえながら、しかし、だからといって天皇の立場が悪くなるわけでも弱くなるわけでもない。みんなで天皇というものをひとつ私たちの統合の象徴として大切にしながら天皇家のいやさかを願おうと、それはそれでいいんだということだと思います。

 その当時に、その当時というのは、今の、昭和天皇崩御と現天皇の即位のころに大変な儀式をやりましたですよね。もうこれは本当にすごい儀式で、私も当時、ある政党の代表として、本当に震え上がるような寒さの中を儀式に参加をいたしましたけれども、あの儀式は一体何なんだと。これは日本国の儀式であるという、つまり、国の隅々にまでずうっと地域にはそれぞれ氏神様があって、そういう神道の根がずっと張っている、この一番の中心としての天皇家の神道儀式なんだ、したがってこれは国を挙げての国家の儀式だという、そういう主張があったんですが、私はそれも違うだろうと。

 庶民の氏神様の信仰というのは、もっと素朴で、もっと何かすぐそばに何かがあるというようなものですよ。あんなにすごい儀式というのは、やはりこれは天皇家の儀式で、私的な儀式で、だからといってこれを別に軽んずるわけでもないと。それはそういう儀式でもって天皇の崩御を悼み、そして即位をことほぐということであっていいんで、それ以上でも以下でもないというふうに思いました。今もそう思っております。

 そういうことで、今の象徴天皇制というものは、これが妙に政治利用されるようなことなく、節度を持って、私どものこの新しい憲法を構想するに当たっても、これを維持していけばいいんだと思っておりまして、ただ、やはり今変えなきゃいけないのは、この点も白浜さんはおっしゃいましたが、皇室典範ですね。やはり、それは、やれ男子が誕生するかどうかというのに大変心を痛めるというような、不必要なそういう、どういいますか、プレッシャーを天皇家に掛けるようなことは良くないと思いますよ。女性の天皇は今までもいたわけですし、なぜ第一子が天皇なのか。これはそういう制度だということにして、早く、早くです、女帝を認めるということにしないといけないと。これはある程度たってから、しようがないからということになるとますますおかしくなるんで、早く皇室典範を変えるべきだと思っております。

 以上です。

○会長(上杉光弘君) 他に御発言はございませんか。他に御発言もないようですから、本日の意見交換はこの程度といたします。
    ─────────────
○会長(上杉光弘君) この際、二院制と参議院の在り方に関する小委員長から小委員会の活動経過について報告いたしたい旨の申出がございましたので、これを許します。保坂小委員長。
○保坂三蔵君 二院制と参議院の在り方に関する小委員会の経過について御報告申し上げます。
 本小委員会は、平成十六年二月十八日に設置され、三月十二日、四月十四日、五月十九日にそれぞれ参考人質疑をした後、小委員間で意見交換を行いました。その主な内容は以下のとおりであります。
 三月十二日の第一回小委員会では、国立国会図書館調査及び立法考査局政治議会調査室主任・北海道大学名誉教授高見勝利氏から、二院制と参議院の在り方をめぐる論点について意見を聴取いたしました。
 高見参考人からは、一院制についての問題点、参議院の意義・役割・権能・組織等についての憲法にかかわる問題点が述べられました。
 まず、一院制については、効率性を重視する観点から支持する意見もあるが、一院制を制度化する場合、少数派の権利を第二院において治癒・保障する可能性が奪われるという問題点、また、全議員の地位を奪う解散権の濫用を抑制する必要性等が指摘されました。また、「一・五院制」と言われるノルウェーの例を引かれ、強力な立法権を抑制する手段として立法府内で権限の分割を図る意義が示されました。なお、二院制と一院制との間の移行について、一院制への動きは北欧等歴史的背景がある国や新興の独立国家を中心とする話であり、民主制への移行、連邦制の導入に伴い、ロシア、フィリピン等、一院制から二院制へ移行する動きがあり、第二院の機能・役割が強くなってきているとのことでした。
 次に、参議院を強化し対等な両院制を採用した場合の問題点として、両院間の意思が不一致である場合の解決策に窮する点、一院のみが内閣不信任決議を行った場合の他院の解散可能性、信任関係等、両院と内閣との三者関係が複雑になる点が指摘されました。
 さらに、本年一月の最高裁大法廷判決を引きつつ、参議院の地域代表性は憲法上の要請ではないこと、もし地域を代表する院として構成するなら、同じ憲法の平面上で少なからず投票価値の平等との調整が求められることになるとの指摘がありました。
 今後の解決策としては、選挙制度については政党単位ではなく個人を選ぶ制度を工夫すること、法律案再議決要件を緩和し停止的拒否権や遅延権にとどめること、両院協議会の実質化等が提示されました。なお、党議拘束の緩和については法的規制になじむものか難しいとのことでした。
 小委員からは、効率性の観点のみからの一院制の採用に対する疑問、地方議会と国会を同一視した一院制の議論に対する疑問が呈され、また、参議院の独自性の発揮を阻害するものとして、衆議院と行うことが同じであること、衆参をまたがる党議拘束の存在等の問題点が指摘されました。また、衆参は対等であるが役割と権限は別にすべきである、衆参のめり張りを付けるべき等の見解が示され、さらに、この点について、参議院は必ず修正案や附帯決議を出すようにし、修正案提出のルールを整備し意見が結集するようにすべきであるという意見、首班指名・予算・条約等は参議院の議論で変わる要素がないことから審議の意義に疑問を呈する意見、参議院は予算審査を簡便にし政策評価、決算審査、条約審査を重視すべき、中長期的な視点に立つ調査会を重視する意見等が出されました。さらに、参議院選挙については、政党ではなく人を選べるものとすべき、参議院が政党化し衆議院と同じような選挙制度を取っているところが問題であるとの指摘がありました。
 四月十四日の第二回小委員会では、日本大学法学部教授岩井奉信氏、京都大学大学院法学研究科教授大石眞氏及び東京大学大学院法学政治学研究科教授蒲島郁夫氏から、参議院改革を中心に意見を聴取いたしました。
 岩井参考人からは、先進国で大国である国は安定性が高い二院制が主流でありこれを生かすには機能分担により参議院が独自の存在意義を国民に認められることが重要、政権の帰趨を左右するものには、政権創出・決定の院である衆議院の優越を広く認め、参議院は長期的な問題、政策の評価、調査、監視、決算等、チェックに重点を置く監視の院として権威を高めることが重要ではないか、両院にまたがる事前の党議拘束が日本の立法過程の最大の問題である、国会改革では無用論の危機感がある参議院の方が先進性を示してきたとの意見が出されました。また、個人の識見を生かすには全国的に優れた人材を集める旧全国区型と地方の識見を集めるドイツの連邦参議院型が考えられる、個人中心、地域代表の、各県二名、小規模でスタッフ・予算が充実した権威ある院を提案する、と述べられました。
 大石参考人からは、我が国では一億人を超える有権者の多様な意思を一院で集約できるか疑問、両院制、会期等マクロ的問題は両院が合同審査会等で議論しそれぞれ独自性を発揮できる体制を作る必要がある、国会法は各院の自律権を保障した憲法五十八条の趣旨に反し両院制採用の趣旨を損なう嫌いもあるため原則的に廃止すべき、会期制度・会期不継続の原則を改めて立法期・議会期制度を採用すべき、参議院改革は両院制の在り方の問題であり、五十九条を改正し衆議院による法律再議決要件を単純多数決に改める、総理指名にかかわる六十七条の改正も視野に入れるなど、一院制型両院制の考え方を推し進めることが望ましい、との意見が出されました。また、各国に共通する上院の組織原理はないが、両院選挙が類似していることは両院制の趣旨を損なう深刻な問題である、長期的展望に立つものは参議院に重心を置くことが望ましく、そのためには任期延長も一つの選択肢である、識見を持つ個人が当選し得る選挙制度が必要で、定数削減の方向には反対である、地方分権理念にのっとる地域代表院もあり得る、と述べられました。
 蒲島参考人からは、今日、強くなり過ぎた参議院が批判されるが、活性化は日本には良いことでありもっと弱くなれとはおかしい、両院の役割分担は政党内の運営により可能である、参議院議員の若年化・女性比率の増加・高学歴化はプラスの方向である、審議時間、党議拘束等に弾力性の確保が大事、与野党協調が信頼できれば党議拘束をある程度緩和することも可能である、との意見が出されました。また、参議院選挙は業績選挙、争点選挙になりやすく、有権者に選択肢を与える意義がある、全国完全比例代表なら一票が完全に平等となる、間接選挙制については結果は大差がなく、直接選挙の方がすっきりする、と述べられ、むしろアメリカ上院のような強く賢い参議院を目指してはどうか、との提案がありました。
 小委員からは、一院制について、現行の憲法改正手続が前提ならいわば自己否定する参議院議員が三分の二に達することはあり得ず一院制の論議は無意味、一院制は冷静な議論ができる国民性でないと混乱を招く、参議院の存在意義・果たしてきた役割については、党の部会では参議院議員のリードもあるが議事堂外の活動は国民に伝わっていない、国論を二分する問題で参議院が大きな役割を果たしてきている、参議院議員には女性が多く、多様な民意を反映する意義がある、等の意見が出されました。
 衆参の役割・機能分担として、参議院の決定にかかわらず衆議院が優越する条約も予算と同様に衆議院先議として憲法上の規定で自然成立させればよい、長期的テーマは参議院、短期的なものは衆議院という役割分担も考えられる、また、法案審議等の在り方として、参議院で部分的な修正をより活発に行ってもよいのではないか、議院内閣制下では議員立法は難しいが修正協議に対する弾力化、柔軟化が実質的審議活性化の突破口になる、フランス、ドイツ等の報告者制を導入し、法案の修正協議を実質的にしやすい制度を取り入れてはどうか、現場からの修正に柔軟に対応できる体制を作るべき、さらに、政党との関係について、衆参にまたがる党議拘束が参議院の独自性を阻害している、衆参の定数の較差により党派内の決定において参議院従属となる現状をどうするかの議論が必要、政党を憲法附属法としての議事法令でフォーマルに位置付ける必要がある、日程政治からの脱却にはより充実した議論とその結果が法案・予算に反映される制度的担保が必要である、等の意見が表明されました。
 選挙制度については、参議院らしい人材を選出するための個人本位、脱政党の選挙制度の採用に関する様々な意見が出され、また、年金問題等では若い世代に代表者が出せない問題があり、比例代表で世代別クオータを考えられないか等の提案もありました。
 これからの参議院のあるべき姿として、選挙で何十万人もの支持を得ており、政策形成において各政党内で重要な役割を果たしていること、並びに、官のポストを求めず一家言持つ議員の集まりというところに参議院の権威を求めるべき、また、参議院改革のキーワードである弾力性、熟慮、再考を反映して与野党の壁を超え改革を打ち出せないか、等の意見が表明されました。
 五月十九日の第三回小委員会では、政策研究大学院大学教授飯尾潤氏、駒澤大学法学部教授大山礼子氏、元日本経済新聞社論説顧問金指正雄氏から、選挙制度の在り方を中心に意見を聴取し、その後、第一回から第三回の小委員会の総括として委員間の自由討議を行いました。
 飯尾参考人からは、二院制が奥行きある政治をもたらすには第二院が政権から距離を置くことが前提であり、政権の帰趨にかかるものについては衆議院を尊重し、参議院は与野党対立・権力争いの場では抑制し、決定事項は衆議院に任せ、党派対立になじまぬ政策課題を処理することで国政に寄与できる、決算も含めた行政監視、人事、外交案件、さらに憲法改正を伴うが司法部との関係を考え直すのも一案である、両院協議会が機能しないのは残念であり、その使い方を工夫すべき、党議拘束は参議院では再考の余地がある、一方、再選されるためには政党の力が必要なので再選を制限するとともに、任期を長くするのも一案、との意見が述べられました。
 選挙制度については、これは最善という制度はない、衆議院は多数者の、参議院は少数者の意見が表れるのが望ましく、そのため、衆議院では国民の意思が一体となる単純な選挙制度が良いが、参議院は多様な民意を得られるような組み合わせを考えてもよい、任命制等については現に公選制であるものを非公選とするのは難しいし国民の理解が得にくい、一票の較差問題については憲法が国民代表とする以上は地方代表性よりも一人一票原則が優先する、選挙をすれば必ず政党の力が強くなるので緑風会の再来は難しい、とのことでした。
 大山参考人からは、理論的には二院制は自明のものではなく、多様化する社会の中で一院制とどう違いを発揮するかが重要、参議院調査会の立法などの成果は、女性議員の比率が高いなど衆議院では十分に代表されていない多様な意見が反映されていることや非党派的・客観的議論が存在していることを背景に実現したものであり、これらを強化する方向の改革を提言したい、北欧の一院制は、完全比例代表で少数者や女性も出やすいが人口規模はいずれの国も三百万人程度で国民と国会の距離が日本とは異なる、衆参の機能を分離するとしても法案審査まで否定しては枢密院になってしまい適当でない、委員会でより客観的、非党派的議論を行い立派な報告書を出すことと、修正案提出を活性化することを期待する、公聴会の議論を報告書にし国民に提供するなど、国会の情報発信を期待する、どの議員でも政府へ口頭質問できる時間を設けてはどうか、との意見が述べられました。
 選挙制度については、衆議院が小選挙区なら参議院はそれと違う比例代表制が良く、多様な民意を反映するため全国規模か大きな選挙区単位の拘束名簿式比例代表制も一案である、非拘束名簿式は個人本位のようだが実際には選挙に強い人が勝ち、衆議院と同様の人が当選する結果となる、拘束名簿式であれば政党が見識ある人を上位にしたり男女交互に掲載することも可能となる、議員定数を極端に減らせば権威は上がりそれなりの人が出るかもしれないが各県選挙ごとに一人では小選挙区と同じになってしまう、女性議員はまだまだ少ないからといってクオータ制を強制することは適当でなく、ドイツ基本法のように憲法により男女同権を全体的に促進していくのも一案である、との意見がありました。
 金指参考人からは、政治記者時代に参議院に接し、論客の見識に触れて感銘を受け、また二院制は良いと実感した、衆議院は権力に密着し、参議院は冷静に眺めるのが基本でいい、衆議院は同じ国益を踏まえても現実処理に追われるから、参議院の役割は再考の府として長期の任期を生かし社会益、人類益まで考えることであり、六年間を使い違った物差しで見えなかったものが見えてくることに値打ちがある、二院制は国の成り立ちにより異なり選挙制度はその象徴だが制度に手を入れても政治・政党の力が常に制度を超えようとするので制度変更ばかりしても仕方ない、参議院選挙は多党化や政党離れなど世の中の流れを先取りしており一種の先行指標となっている、かつての全国区は少数意見を反映していた、二票制は分割投票が可能であり有権者が政党に引きずられずに主体的に選択できる意義がある、との意見が述べられました。
 小委員からは、二院制について、最初に二院制ありきということではなく国民にとって一院制と二院制のどちらが望ましいかという立場からの議論が大事、一院制には効率性と円滑な政権交代が可能というメリットが、二院制にはダブルチェックと多様な意思の反映というメリットがあり、自己防御のため独自性論を主張するのではなく良識の府としての立場から考えるべき、二院制は民主制にとって必要でありこれまで十分に機能している、等の意見が出されました。
 参議院の存在意義・果たしてきた役割について、参議院の活動を見て国民が面白いと思うことが大事である、参議院は衆議院と違う長期、国家基本の問題を議論してはどうか、六年間の任期を生かし、DV防止法等ができるなど調査会活動の成果が上がっている、会派構成の異なる参議院が後に控えていることによって、「荷崩れ」を起こさないよう衆議院が修正するなどの意義もある、委員会では参考人を多く招くなど独自の専門性を出すよう努力している、等の意見がありました。
 衆参の機能分担については、一般的な法案は衆議院のみで成立させ、特別の法案や条約は参議院まで回してはどうか、参議院に違憲立法審査権的機能を持たせ、これが権威の根源になるようにしたい、いかに賢い熟慮の院にするか、衆議院との割り振りやルール作りが必要である、法案審議では成否の判断は衆議院に任せるとしても運営や修正の工夫によって参議院の独自性を発揮してはどうか、等の意見がありました。
 選挙制度については、上院として敬意を集めるには議員数を少なくし直接選挙で選出すべきで、全国単位と地方ブロックを併用し、定数是正はブロックごとに行えばよい、同じような選挙制度の二院制は混乱のもとであり、法律で候補者推薦審議会を作るなど、かなり思い切った改革が糸口になる、参議院選挙は定期的に行われバランスが保たれている、参議院議員は県又は全国の支持がある、任命制・推薦制については、今日の日本ではだれが有識者か選びにくく、選挙によるのが最も良い、参議院の投票価値の較差是正は喫緊の課題である、一票の較差の点からは比例代表制が最も優れているのではないか、等の意見がありました。
 これからの参議院の在り方については、任期延長、再選・三選禁止も一考に値する、参議院議員は行政に入らず議員としての職務に専念し、国民の側に立ち監視することで独自性が発揮できる、さらに、仮に一院制とするなら元老院を作るか、ノルウェーのように一回の選挙で小選挙区選出議員は衆議院に比例選出は参議院とすることも一考である、等の意見が出されました。
 以上、御報告申し上げます。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 以上で小委員長の報告は終了いたしました。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時五十三分散会


2004/05/26 戻るホーム憲法目次