政治家秘書業のすべて (2000/01/20) 松田隆之 戻るホーム

秘書とは?

 秘書にもいろいろな役割があり、それぞれの議員によってその性格も大きく異なる。僕が経験した秘書は県議会議員の秘書と、衆議院議員の地元秘書。

 国会議員には通常公務員扱いとなり、政策秘書などの議員会館にいる3名ほどの秘書と各自の地元で任意で採用している地元秘書がいる。東京の秘書の人数は公的に決っているが、地元秘書は何人いても構わない。大きな財力のある議員秘書はそれこそ何人いるかわからない。その秘書の数をいえば、その議員の財力がわかるということで、秘書の数を公表しない自民党議員は多い。仕事内容は幅広く、東京では政策立案、スケジュール取りや確認、国会や政党の動向を視野にいれながら臨機応変に様々なことをやっている。

 一方地元秘書は、ひとことで言えば、衆議院の場合、いつ解散総選挙が実施されてもいいように、選挙臨戦対応が常時可能なように、後援会活動を活発に実施拡大していくことが求められている。

 僕はもっぱら地元秘書業をしていた。以下、主な具体的業務内容とそれに関するコメントを記しておきたい。

イベントへの代理出席

 地元では町内会や市町村、そして民間レベルまで日々多くのイベントが実施されている。当然議員本人はすべてに参加できるわけでないから、その重要度と関係性の上で、メッセージを送ったり、代理出席をしたりしている。そのために秘書にとっては、どこで何がいつ行なわれるのか、そして当日はそこに誰が来ていたのか…という情報はとても意味が重い。

 国会議員秘書になって、何度か代理出席というものに出た。赤い大きなバラを胸につけて、壇上で紹介をされる。内容はよくわからないけど、代理で参加者の方よりも上座にいるというのは、とても心苦しい。後輩の秘書で、突然コメントを求められて支離滅裂な挨拶をした人もいる。他人の話は笑えるが当事者だけにはなりたくないと日々思っていた。

 体育館レベルの会場での代理出席では、参加者が把握できないため、後日知人から「来てたね」といわれると冷や汗がでる。いつも長くてダラダラしたイベントが多くて、本気で壇上で寝てしまいそうになるからだ。基本的に代理出席は本当は意味がないと思う。

 議員の姿や他の秘書を見ていると思うが、日々のそうした実益につながらない時間がどれほど多いことだろう。みんなそう思いながら、有効な打開策がないまま、その時間を犠牲にしている。今後は、中身の重要性と参加することによる情報交流のメリットなどを踏まえてますます慎重に判断しなければならないだろう。

冠婚葬祭

 結婚式は仲人をはじめ、議員の方々は呼ばれることが多い。それはすでに特定の人間関係があり、しかもその数が半端でないから、回数も多くなる。伝え聞いた話では、やはり挨拶もいくつかパターンを用意しておかなければ、しゃべる本人がマンネリ化してしまうらしい。大変な気苦労が陰ながらあるものである。

 一方呼ばれてないのに参加できる?のがお葬式である。これは突然起きるものだからよほどでなければタイミングが合わないが、わざわざ来ていただいたと喜ばれることは多い。僕のいた事務所では弔電もしくは代理対応した上で、夏に初盆のお参りとしてまとめて訪問することがあった。

 夏の盛り、汗だくになりながら、田舎の込み入った道を訪ね歩くのも本当に大変なことなのだ。秘書は事務担当の方々の協力を仰ぎながら、事前に地域別のリストを手にし、各一軒ごとに住宅地図で場所を確認し、スケジュール化しなければならない。もちろん昼食はどこで食べるか、あらかじめ複数ピックアップしておく必要もある。どこに行こうかとぐるぐるとさまよい続けることは、議員本人の貴重な時間を著しく奪うことになる。

後援会活動

 選挙活動というのは、選挙期間中しか認められていない。ではそれ以外のとき、地元秘書および事務所は何をしているのか。それは後援会活動である。事務所はいわゆる政治団体として登録されており、秘書は後援会を通じて政治活動をしているといえる。

 後援会といっても、もともと自然発生的に生まれるものはそれほど多くなく、そのほとんどは小学校区、もしくは中学校区を単位とした地域後援会が占める。それ以外には同級生を中心としたグループ、所属団体を中心としたグループなどが挙げられる。

 いずれも特別難しいことを日頃しているわけではなく、国会報告会や、政談演説会の案内、忘年会や新年会、クリスマスパーティといった行事を行なって、活動を維持活発化している。地域の方々から見ると、年に1度の忘年会となるが、主催する事務所側となると議員のいる日程にあわせて、週末に掛け持ちでセッティングすることになる。

 したがって会の前半に本人が出席するか、中盤か、最後の方にかけつけるかによって、その会合のスケジュールは大きく変わることになる。国政報告会は時々のテーマにあわせて設定するが、始めから期待大で参加してくれる人は年々減少してきているように思える。人間関係ありきで、無理を言ってきてもらうのが日常になっている。そこに大きな問題があると思うのだが、やはり日常の中ではその大きな流れを変えるには至っていない。選挙中には、その地域後援会が各地域選挙事務所となり、エリア一帯へのビラの配布や、様々なツールを使って支持の拡大を目的とした活動をする。

選挙活動

 いつの選挙でも思うが、主催者ほど有権者は盛り上がることはそうない。選挙の始まる数ヶ月前には実質的に激しい選挙活動および準備作業が始まっている。実質公示(地方選挙では告示とよぶ)が始まった時点で、できることというとほとんどないといっても過言ではない。

 準備期間には、法定ビラや掲示用のポスターの手配、政見放送の原稿作成、演説会の日程調整、準備物・事務所の手配、電話かけ用の電話回線の手配、ボランティアスタッフの募集、何もかもが、すべて一斉に行なわれる。細やかな役割分担と、業務内容の確認がないとそこら中で、期間中ずっーと喧嘩をしなければならなくなる。

 どの仕事も本当に大変ではあるが、街宣車といわれる選挙カーの進行表は、多くのノウハウがなければ作成できない。地理に詳しく、実際にその時間帯にその道路を何分くらいで走ることができるかわかっていなければできない作業である。選挙やマスコミ関係以外で、こんな仕事があることを知っている人は皆無ではないだろうか。

 できあがった行程表を見るのと、作る場所に立ち会うとではその見方は180度以上違ってくる。選挙カーは8:00〜20:00までしか、音を出せないルールとなっているが、実際には「朝立ち」と呼ばれる企業の玄関前で出勤する社員の皆さんへの挨拶などを行なったり、夜は個人演説会を開催したりして、とにかくできることをすべてやる、非常に緊迫した空気に包まれる。

 個人演説会は、それこそ一晩に3ヶ所で行なうことも珍しくない。そうなると秘書は各会場からのタイムスケジュール状況を携帯電話で確認しながら、綱渡りの気分で担当会場の進行を行なう。議員や応援弁士と呼ばれるゲストの方々のための駐車場を確保した上で、どこからどうやって入るか、会の中身によっては「しゃべっていいこと、悪いこと」を事前に耳打ち。その後の退出経路と目標時間の連絡…。一歩間違えば、他の会場に来てくださった数百人の人たちに迷惑をかけるためにそれこそ、必死である。

 とにかく1日が72時間くらいあるような密度の濃い24時間が、何日も押し寄せてくる。選挙戦前半はとてもじゃないが、こんなスケジュールこなせないと確信してしまうが、終ってみるとあっという間のことになる。

選挙当日

 実質選挙前日に、みんなで打上げをしたあと、翌日の開票後の準備にとりかかる。ビールのケースを土台に演壇をつくったり、飲物食べ物を集めたり、投票日は朝からスタッフがぞろぞろと集まってくる。大きなテレビが持ち込まれたり、紅白幕をセッティングしたり、その一方で最後のお願いの電話掛けをする。「もう投票はお済みでしょうか?」そんなこまめな連絡さえも、結果が出てしまえば、後に戻って再びできるわけではない。一瞬の連続が結果に直結する気もする。

 大きな選挙になると、信じられないことも続々と起こる。いわゆるマスコミの「出口調査」の結果が数時間ごとに漏れ伝わってくる。劣勢の事務所にとっては死活問題だけに、あの手この手を使って投票所への総動員が計られる。田舎のまちでは、足の不自由なお年寄りのために車を出して、投票所へ往復する人たちも出てくる。

 ひどい話では、事前の不在者投票で、意志のない病院の入院患者に署名してもらって、病院単位で選挙をしているところもある。飲み屋街では「1票1万円で買うよ」。そういう会話さえ聞こえてくる。同じ1票の価値に違いはない。いくら熱心な人でも、そういう人の1票でも結果は同じというのは、なんとかならないものかとさえ、むなしさも生まれる瞬間である。

 夕方にはほぼ、出口調査で結果はわかる。テレビの開票速報と同じことであるが、よほど接戦の地方選挙では、深夜でなければ結果は判明しないこともあるが、信頼性の乏しい即時性は意味がない。

当落結果

 在職中に関わった選挙は、市長選、県議選、市議選、参議院選、衆議院選、県知事選。その結果は、全体的には4勝2敗。直接関わった結果で言えば、4勝1敗。最後の最後の結果は今となってもやはり悔しい限りである。

 多くの当選シーンを見てきただけに、この敗戦のシーンは今でも映像としてしっかりと頭に焼き付いている。きっと一生わすれないだろう。

 選挙を否定的に語る人は多いが、たくさんの情熱とエネルギーに満たされた不思議な空間だと思う。異質な人間が混ざり合って、様々な感情が溶け合い、1つの結果に向かって進んでいく。価値観も、求めるベクトルも違うのに、そういう環境ができるというのは、選挙ならではないだろうか。

 候補者が勝てば「皆さんのおかげです」といい、負ければ「自分の力不足」というコメントは、おかしいという意見もよく耳にするが、普通の善意の志のある人であれば、当然そういう気持ちになると思う。また、ある意味においては、そういって納得しない限りは、その結論を受け入れることはできないのではないかと思う。

選挙終了後

 多くの人にとっては選挙は一過性のものである。しかし政治家にとっては、次の選挙へのステップであることも忘れてはならない。そのために、この業界では「後選挙」と呼ばれるものがある。すなわち、お世話になった多くの人たちにお礼をいってまわるのに、約一年かかると聞いたがそれでも足りないくらいという話もある。選挙の前にも最中にも、そして終った後でさえ、「感謝」の気持ちを忘れた瞬間に足元をすくわれる世界といっていいだろう。


●こんなことがありました。

反省すること(1)

 組合の応援をかりて行なった大型選挙。1本の電話応対で反省することがあった。とてもじゃないけど、ゆっくり話を聞いている余裕もないときに受けた電話が、クレームであり、それも延々と1人でしゃべっていた。しばらくは聞いていたが、途中からあいづちもやめて、スピーカーにして聞いていた。時折返答もしていたが、数分経過後、静かに電話をおいた。職業柄クレーム電話は多い。その一つ一つをすべてまともに受けとめていては、何もできない。そういう軽い気持ちからとった行動が大きなミスを生んだ。

 「今電話を切ったのは誰だ」という当人からの2度目の電話がかかってきた。必死で謝ったものの、手遅れ。「許さない。これから事務所に行くから責任者を出せ」といわれた。まさか本当に来るとは思わなかった。凄い剣幕と罵声で事務所に乗り込んで来た。事務所内にはそれほど人はいなかったが、あまりにも凄かったので、一瞬僕は逃げた。

 しかし、それを受けとめて、しっかりと応対してくれていた組合の人の対応を見て、自分が恥ずかしくなり、一緒に並んでひたすら怒られた。その人は何度も電話をしてきていたようで、選挙カーがうるさいという苦情がそもそものきっかけだった。反抗もせず、謝りつづけるとなんとか帰ってくれたものの、一緒に貴重な時間を割いてしかられてくださった人たちは凄いと思った。2度とクレームからは逃げないと誓った。

反省すること(2)

 選挙中に、地域事務所を出していた。惜敗という結果を受けて、その事務所も急遽たたむことになった。負ければ何もかもが一気に失われる。その担当事務所の撤収において、応接セットを返却するためにトラックを借りてきて作業をしていた。

 借りていた方には夕方にはお届けすると言っていたものの、その前の仕事が長引き、約束の時間を大きく過ぎることが判明。それでもトラックの返却も頭にあったので、その日になんとか返そうと家の近くまで行って電話をかけた。「今日は遅いからまた明日返してくれ」そういわれたものの、家まではあと少し。「すぐに行きますから」といって電話を切った。

 大悲劇はそのあと、すぐに起きた。あせっていた僕は、その人の家に向かう最後の曲がり角で、スピードを落としきれず、荷台につんであった、大理石の一枚モノのテーブルを振り落としてしまった。カーブを曲がりきったあとには、粉々になった大理石のかけらしか残っていなかった。激怒されたのはいうまでもない。

 時間に遅れたこと。来るなといわれたのに自己都合で行ったこと。あと少しであせったこと。未熟さを補いきれない過ちは、空中に浮いたままとなった。そしてそれは今でも、この胸に貴重な体験として息づいている。

反省すること(3)

 選挙中、僕はかなり精神的に苦痛を感じていたようで、多くの人に顔色がよくないと言われた。自分では頑張っていたつもりが、知らず知らずに顔色にいろんな感情を表していたのかもしれない。あまり笑うことがなくなっていた時期でもあった。

 いろんなことに思い悩み、苦しんでいた時期であったというには、あまりにも自分を美化しすぎている。とにかく明るく前向きでいなければ、でもどうしたらそれができるのか、自分自身でもよくわからないときでもあった。


●これからの政治のあるべき姿

 人材不足はどの業界においても、いわれることで、こんな僕にさえ、再び政治を志してほしいといってくださる方もいる。それはそれで大変ありがたい話ではあるが、僕にはその器がない。

 あれだけ多くの業界や生活の大事な話が持ちこまれ、それをひとりでこなすなんで、きっとスーパーマンでも無理だろう。僕には僕にしかできないことがきっとあるはずで、それが確立できたとき、誰よりも政治的な発言を責任を持ってすることができると思う。それが見つかるまではサポーターの立場を貫きたい。

 考えてみると、政治の世界では必ず敵と味方がいて、そのどちらかの立場を強要されることが多い。自民VS非自民。ダム賛成VS反対…。日和見主義といわれるのは辛いが、僕はそのどちらでもない人たちをそれに興味を持ってもらえるような動きをしていきたい。

 多くの人は政治に興味すら持っていない。7割が無関心層といわれる現代で残りの3割で敵・味方に別れて罵り合うよりは、無関心な人たちに振り向いてもらう努力を僕は心掛けたい。そのためには、自民でも非自民でも構わない。

 僕にはポリシーよりも大切なものが存在しているような気がする。多くの価値観に目を向けたとき、僕は特定団体の枠の中で行動するよりは、(その政治的スタンスは持つにせよ)少しでも無関心であった人たちを関心の輪の中に入ってもらいたい。そしてできれば1人でも多くの人たちが、それに影響を与える「影響の輪」の中で活躍してもらいたいと思っている。

 そのためには、僕は政治的な場所からは離れて、でも誰よりも政治的でいようと思っている。

 僕が経験してわかったことは一言で言うと「政治は生活である」ということである。


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