平成十四年五月七日(火曜日)
○瓦委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
質疑を続行いたします。藤井裕久君。
○藤井(裕)委員 私は、激動の昭和という真っただ中に生まれました。そして、濁流の中で何とか生き長らえてきた。そして、自由党の安全保障政策の基本は、第二次大戦の反省の上にすべてができています。ですから、第二次大戦の反省の上に立った自由党の政策を私自身の経験とオーバーラップさせながら私どもの考えを申し上げますので、総理におかれては、その我々の考えに対して御意見をいただければありがたいと思っています。
私が生まれた一カ月前に五・一五事件があったんです。それは、総理が今いらっしゃる公邸の一隅で、時の総理大臣犬養毅は、海軍の少壮士官によって、話せばわかるというのに対して、問答無用ということで命を失われました。これをもって戦前の政党政治は終わったと言われております。
また、官邸で、加えて申しますと、二・二六事件、昭和十一年二月二十六日のあの事件の銃弾の弾痕がございますね。これは、陸軍の少壮士官が陸軍の一部を使って反乱を起こし、当時の平和を求めていた高橋是清、斎藤実、この二人の命を奪い、終戦のときの総理大臣をやられた鈴木貫太郎に重傷を負わせた、こういうことですね。
私は、そういうのを見てまいりまして、軍というものは、日本の本当の国民の生命を守り、日本の平和を守るという組織であることは間違いなく事実でありますが、もし一たん指導者が誤れば、国民を塗炭の苦しみに陥れる集団であることも否定できないと思っております。
今総理は、政治の最高責任者であるとともに、三軍の長なんですね。明治憲法においては、統帥権の独立という形で総理のところをバイパスしていたんですね、軍事問題は。それについて、けしからぬ、それを侵犯したぞということでやったのが五・一五事件ですよね。勝手に政治が中に入ってきて、ロンドン軍縮条約を勝手にやった、こういう話ですよね。
今、そういうことは全くありません。全くありませんから、総理におかれては、特にこういう法律を出されて、総理の役割というのはますます大きくなるというこの原案なんですよね。ひとつ、どうか総理、三軍の長としての覚悟を述べていただきたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 まず、政治として、総理大臣として一番留意しなきゃならない点、それは、二度と戦争を起こしてはならないことだと思っております。そういう過去の忌まわしい、避けなければならなかった戦争事態に突入して、国民は悲惨な苦しみに直面した。こういうことから、戦後、いろいろな反省の上に立って、今日、日本はこのような平和のうちに先進国の仲間入りを果たすことができたと思うのであります。
今後、総理大臣としては、戦争を起こさないということと同時に、もし不慮の事態が起こったならば、未然に防ぐ、あるいは被害を最小限にとどめる、緊急事態に対しては常に備えておくということが大きな責任ではないかと思っております。
○藤井(裕)委員 私は、総理にもう一つ言っていただきたいことがあるのですが、それはきょうのメーンテーマでありますから、徐々に申し上げます。
私は、小学校六年から中学一年にかけて、東京直下の大爆撃の真下にいました。もう高射砲も撃てなくなっちゃっていたですね。そしてサーチライトだけが爆撃機のパイロットの顔をよく映していたんです。そのくらい低空飛行で爆撃が行われました。私は防空ごうの中で、もし生あれば、こういう社会に絶対してはいけないということを幼心に誓ったんです。今、不思議に命長らえてこういう場に立っているというのが実感なんですよ。そして、戦争の悲惨さというものを後世に訴え伝えることも非常に大事ですが、なぜこのような悲惨な事態が起こってきたのかということをもう一度はっきりさせて、これからの世代につないでいくということが我々の役目なんじゃないかと私は思っているんです。
そして、それは、はっきり言いますと、政治があるいは指導者が原則というものを全く無視して、安全保障の基本はどうあるべきかとか、自衛権というのはここまでだとか、そういうものは全くなかったんですね。あるものは国威発揚の閣議決定だけなんですよ。国威発揚というのは、どんどん出ていけという話です。それしかありませんでした。
そこで、簡単に昭和のことを申しますが、昭和二年、三年の山東出兵は邦人保護なんですよ。邦人保護の名においてよその国に土足で入るということは、国際法上許されていないのです。これをやりました。昭和六年の東北地方、満州でもいいですが、その地域における軍事行動によって、昭和七年には満州国をつくりました。それは国際的な常識からいえば全く反するということで、結局国際連盟から離脱せざるを得なくなった。
そしてその同じころ、熱河作戦といって、これはまたどういう理由があるのか、全く理由がないけれども、山海関を南下して、そして河北省だとかあるいは蒙古、内蒙古、こういうところに出ていっちゃった。これも全く理由がない。
さらに、盧溝橋事件を機として、昭和十二年には中シナ、今の言葉じゃないけれども、昔は中シナですよね、それへ上陸して、揚子江をさかのぼって南京まで占領しちゃったんですね。これだって全く大義名分がありませんね。全くありません。
それから、蒋介石政権が重慶に移ったら、蒋援ルートと称して、重慶の蒋介石を助けるということで、昔の言葉で言いますが、北部仏印に出ていっちゃった。その明くる年には、南方から来る石油を確保するために、南部仏印まで出ていっちゃった。そしてついに日米開戦のきっかけになった。こういう歴史を持っているわけですね。そこにあるのは無原則ですよ。単なる国威発揚だけなんですよ。
だから、私たちはそこのところが一番大事だと思っています。物事は原則を持って、これは絶対やっちゃいかぬということをはっきりさせることによって、どうか国の最高責任者は軍という最大の力を持ったグループをリードしていただきたい。このことについて、御意見があったら伺います。
○小泉内閣総理大臣 一国の軍隊、日本は自衛隊を軍隊とは呼んでおりませんが、外国に例をとりますと、一国の軍隊というのは自国の独立と平和と安全を確保するために存在するんだということで、各国が軍隊を保持しているんだと思います。
日本におきましては、自衛隊も独立と平和を守る大事な組織として、現在いろいろな点から、国民の支持のもとに、国民とともにある自衛隊として、国民を守るための訓練や装備の拡充や、あるいは有事に対してそれぞれ対処していかなきゃならない、いわば国民の安全を確保するための重要な組織であるということから、日々国民とともにある自衛隊という意識を持ちながら精進、訓練にいそしむべきだと思っております。
○藤井(裕)委員 どうか今申し上げたような歴史観を正確に持っていただきたいと思うんです。
あえて伺いますが、私が申し上げたような歴史観について御印象をおっしゃっていただければありがたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 それは、いろいろ日本が、当時の政治状況として、日本の生きる道を探った中で国際社会から孤立していった、それを断じて避けなきゃいけなかったと私は思っております。
そういうことから、日本は戦後、国際社会から孤立してはならない、国際協調を大きな外交政策の柱としてやってきたわけでありまして、今藤井議員が指摘されたような、戦争突入に至る間、国際社会から孤立したという、国際社会の非難に耳をかさずに国際連盟から脱退したというようなことは、今後もしてはならないと思っております。
○藤井(裕)委員 政治家の背骨は歴史観だと思いますから、どうか正しい歴史観を持って軍をリードしていただきたいと思います。私は軍隊とあえて申しますが、自衛隊で結構です。
そこで、そういう時期には、確かに日本にあったのは熱狂的ムードだったんですね。そして、その熱狂的ムードを、はっきり言えば、あおったのが指導者だったと思いますよ。反面において、冷静に世界における日本の立場、そして、日本はいかにあるべきかとちゃんと冷静に理解していた方もあるんですね。これは指導者にもあります。軍の関係の方にもあります。そして、一般国民の中にはそういう方がいっぱいいらっしゃる。ところが、そういう一つのムードの中に流れた。
余り冷静に見られた方のことを一々申しませんが、例えば総理の選挙区におられた井上大将ですよ。井上大将は最後の海軍大将ですね。この方が海軍兵学校の校長をしておられたときに、英語を最後まで教えられたでしょう。教えられたんですよ。そして、どうせ敵性語を、しかも海軍兵学校という軍の中枢の若いやつを育てるところで何をやっているんだという物すごい非難があった。そのとき井上大将は、いずれ戦争は終わる、そのときにこれからの日本の中枢をなすのはこういう若い人だ、そしてその人たちは英語を知らなきゃいかぬと言って頑張り通されたんですね。今総理の選挙区のことだけ申しましたが、そういう方もいっぱいいらっしゃったんですよ。もちろん一般の方の中に随分冷静に見ていらっしゃる方がいらっしゃったんですね。
ところが、何でこんなことになったかというと、さっき申し上げたように、私は、基本的なルールがなくて、それがために熱狂的なムードにあおられるような社会がどんどんできていってしまったということじゃないかと思うんですね。
ですから、はっきり言って、この基本原則というものをつくった上でこの緊急事態法制というのを考えるのは私は正しいと思う。緊急事態法制がなぜ正しいかといえば、これはだれも言うことですが、政治家として国民の生命と日本の平和を守るためにはこれがなきゃいけないという意味においてもそうですし、もう一つ、これをやらないでおいたら必ず超法規になるんです。超法規というのは民主主義の根幹に一番反することになるんだと思うんです。民主主義というのは、法の支配、法治国家というのが民主主義の一番の基本なんであって、これはどうしてもやらなきゃいけないと私は思っているんです。
ところが、そこだけが突出しているんですよ、今のは。要するに、自衛隊の行動だけが突出して、その自衛隊の行動に対して国民がどれだけの制限を受けなければならないということだけが突出しているということは否めないんですね。
日本の中で、これから安全保障、安全保障というのは、日本の平和、そして国民の生命を守るのは、こういうこととこういうこととこういうことがあって、その中の自衛隊行動だというまず位置づけをしなきゃいけないと思うんですね。さらに、自衛隊行動は、戦前の例からいえば、全く自衛権という限界を超していろいろな行動をしたことなどを考えれば、これはどうしてもそういう基準が必要だと思うんですよ。
だから、私たちは、こういう緊急事態法制は絶対に必要だと思う。しかし、その土台がないんですね。突然この自衛隊の話だけが出てくる。そうじゃなくて、土台、基礎というのは何かといえば、安全保障政策の全体像である。この全体像をしっかりやっていただきたいというのが私どもの強い期待なんです。
そうでございますから、私たちは別の法律を出します。それは緊急事態に対する対策を否定している法律ではありません。緊急事態に対する法制は絶対必要だけれども、その基礎の中に、今の土台がない。それではだめだということをあらわした法律を出しますので、ひとつ、今のような物の考え方について御理解をいただきたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 政党政治、このあるべき姿というのは、批判も大事ですけれども、対案を出すということから考えると歓迎すべきことだと思っております。そういう対案があってこそ建設的な議論ができると思いますので、この緊急事態に対してどのような備えをすべきかという点につきましては、藤井議員の考え方あるいは自由党の考え方、大いに展開していただきまして、これからあるべき有事態勢はどういうものかという議論を深めていきたいと思っております。
○藤井(裕)委員 実はきょうのメーンテーマじゃないんですけれども、去年、テロ対策法がありましたね。我々はあれに反対しましたね。それはどういうことかというと、もちろん総理には総理のお考えがあると思うんだけれども、僕らから見ると、今の基本的国際ルールに反しているというふうに考えて反対をしたんです。
なぜかというと、これはアメリカの自衛権だということになっているわけですね。これは国際的に認められているわけです。それに対してヨーロッパが一緒に共同行動をとることは当たり前なんです。これはNATO条約五条によって、集団自衛権といいましょうか、一国が攻撃を受けたら、それは全体が攻撃を受けたこととみなして行動するんだということですから、ヨーロッパが出るのはいいんです。
ところが、日本は、安保条約にはそういうことがありません。また、憲法の解釈でもそれがありません。そして、といって、国連の平和活動への決議もありません。あのときの御議論は、後方支援だという話になっているわけですね。後方支援というものが、一体、武力行動かどうかという議論はあったんですね。しかし、これは、国際司法裁判所では、後方支援は武力攻撃ではない、コンバットという言葉を使っていますね、コンバットじゃない、しかし、これが武力による威圧とか武力行使であるという考えについては否定できないということも言っているんですね。
そういうことですから、私は、きょうのメーンテーマじゃないけれども、そういうことがあったわけでして、よりやはり国際ルール、そして秩序というものに慎重に取り組んでいただきたいというのが私たちの気持ちなんですが、それはメーンテーマじゃございませんので、きょうはこれ以上申しませんが、もう一つここで申し上げておきたいことは、平成十年から十一年にかけまして、自自連立あるいは自自公連立というのがあったわけです。そのとき第一にやったのが国会議員の削減でありましたので、そのために少しおくれましたが、この両合意書には、今私が申し上げたような形の緊急事態法制をつくるべきだということがどっちにも明記されていたんです。そして、その中で、プロジェクトチームはまじめに勉強されたと思います。
ところが、平成十二年の四月になりまして、これは亡くなった方で大変恐縮ですが、小渕総理が私どもの党首に、君たちとの合意は正しいと思っている、日本の将来のために正しいと思っている、しかし自民党が動かないんだ、勘弁してくれ、こういうことを言われたんですよ。これは間違いない事実なんです。ですから、今の小泉総理がこう言っておられるということとは別に、二年間のうちにそんなに変わってしまったんだろうかという奇異の感じも持っています。
そこで、どうか総理が、一々このときはこうだったなんというのは結構なんでして、思いのままを、今のこれは事実でございますから、おっしゃって、感想を述べていただければありがたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 本来、緊急事態に対してどのような備えをしておくべきか、あるいは有事に対してどのような対応を考えておくべきかというのは、もっと早くやってしかるべきだったと思います。そういう状況だったからこそ当時の自由党も、自民党の小渕総裁に対してそのような有事態勢の整備を進言したのではないかと思っております。
しかし、政治課題というのは、いろいろその時々によって山積しております。恐らく、小渕総理にとってみれば、小渕総理自身の当時の判断によって、自分としてはほかのこともやらなきゃならない、自由党の提案なり提言は正しい認識だと思うけれども、その当時の政治課題に上げるのは時期がまだ早いといいますか、熟していないと思ったのかもしれません。それは私の憶測ですから、今、小渕総理がどう言っているかわかりませんが。
ともかく私は、いつの時代においても、平和のときにこそ、いざ乱が起こったとき、一朝事が起きたときに、冷静に考えておくべきものだと思っておりますので、今回も、むしろ今までそういう備えをしてこなかったという反省の上に立ち、国民的な議論の中で有事に対してどのような態勢をとっていくべきかということを議論する、また、法整備をしていくということは大変重要なことだと認識しております。
○藤井(裕)委員 もう一度念を押しますけれども、私どもは、この緊急事態法の基礎にある安全保障政策の根幹とか、あるいは自衛権の限界というものを明確にした上でこれをやっていただきたいということがあることをもう一度ここで申し上げておきたいと思います。後で、時間の範囲でこの問題に触れます。
とにかくきょうは、この具体的な法の内容は同僚の議員に任せまして、そのことは申しません。申しませんが、いろいろ問題があることは事実ですね。
きょうも午前中に出ていたように、「予測される」というのは、もしかするとアメリカとの協力関係の法律じゃないのという意見もありますね。それから、新しい緊急事態であるのをどうして先送りにしているのとか、それからもう一つ、国民の皆様にいろいろなことをお願いするのに今の憲法の公共福祉という抽象的な概念だけでいいのとか、いろいろあります。しかし、きょうはそのことは申しません。私どもの同僚が次の機会に必ずこれを申し上げますので、きょうは申し上げることは差し控えまして、次の問題は安全保障の基本方針の問題なんです。
私どもは、安全保障の基本方針は少なくとも法律をつくって書くべきだということを言っておりまして、おおむね三つ。
一つは、何といったって自衛権でございますよね。みずからの国をみずからが守らないようでいて、これは独立国家ではないわけでありますから、最大のものは自衛権です。
そして、しかしそれは日本の自衛権だけで事を運ぶということになれば、自主独立、何というんですかな、自分だけで防衛をやるということになりまして、これは世界の大勢から見てもおかしいことの上に、有権者、なかんずく納税者の方にこれはやはりいかぬことだと思うんですよ。やはり防衛力というのは簡素にして精緻であるということが大変大事なことであり、納税者の方に過重な負担を強いるということはやはり問題があるのであって、そういうときにこれを補完する形でほかの施策を考えていかなければならないということだと思います。
しかし、基本は自衛権です。みずからの国はみずからで守るというこの気概ですね。これが一番ですね。そこで補完的にあるのが、やはり日米共同防衛体制です。これも大事なことです。きょうはそこの話に余り入りませんが。そして、日米共同防衛体制の根幹をなすのは日米安保条約でございますが、その日米安保条約の第十条には、国連の機能がこの日本の地域に充実した場合にはこの効力はそれまでだよということまで書いてあるわけです。
ということは、国連の平和活動というものを日米安保においても想定しているわけです。そして、国連の平和活動というのは国連憲章の中の物すごい重要なファクターだと私は思っています。なぜならば、第一次大戦後の国際連盟の中では、これはなかったわけですね。経済制裁しかなかった。
そこで、どういうことが起きたかというと、昭和十年のムソリーニ・イタリーのファシズムがエチオピアを侵略した。何にもできなかった。それを黙って見ていた。昭和十三年にはナチス・ドイツがチェコ、ズデーテン、これに侵略に入った。その年の早くにはオーストリーも併合しちゃった。これに対しても何にもできなかった。何にもできなかったわけですね。
そして、言われているミュンヘン会談というのがありますね。あれは結局、ヒトラーとムソリーニに、イギリスの総理はチェンバレンですね、それからフランスの総理がダラディエですね、これは言いくるめられちゃったわけですね。ところが、その総理大臣たちが、イギリスやフランスに帰ったら、平和の天使として迎えられているんですね。これなんですよ。これは大変な歴史の教訓なんですね。
だから、そこに生まれたのが第二次大戦後の国際連合であり、そこの中核をなすのが私は国連憲章だと思うんです。このことはやはり今の平和秩序の中に十分組み込まれていて、それを日本としても三つ目の重要な柱として考えていかなければならないと思っておりますが、私どもの安保基本政策三つについての御意見と、私が法律をつくらなきゃいけないと申していることについての御所見を伺います。
○小泉内閣総理大臣 今藤井議員が言われました三つのこと、いわば、自衛権、みずからの国はみずからの力で守るというその重要性、しかしそれには限度がある、日米協力して安全保障体制、日本の独立と平和を守る、さらにもう一歩進んで、それは国際社会と協調していくべきだ、この点については私ももっともだと思っております。
これからの安全保障政策におきましても、日本としては専守防衛、第二次大戦の反省を生かして、どのようにこれから平和と安全を確保していくかということで、今まで努力されてきたのは先輩方であり、またその先輩方の努力を我々もしていかなきゃならないと思っております。
そういう点において、まず日本の独立と平和と安全は我が国自身の力で確保しなきゃならないといういわゆる気概ですね。しかし、これについて、それには限界がありますから、今、日米安全保障条約ということによって、日本の足らざるところ、アメリカと協力しながら日本の安全の確保を図っていこうということでありますので、私は、今後、これらの日本の防衛政策の基本を踏まえながら、今言った、国際協調の中で、日本としては国力にふさわしい、平和活動にも、お金も出しますけれども人も出そうということで、今自衛隊の諸君は海外に出て平和活動に従事しているわけであります。私は、これも、藤井議員が指摘されたように、日本独自の力とアメリカとの協力と、一歩進んだ国際協調の一環だと思っております。
十年前に、自衛隊を海外に出すということは大反対だという、徹夜までして、牛歩までして反対された政党もありましたけれども、今うそのように、自衛隊が海外で平和活動をしていることによって、多くの国民は支持を与える。私も東ティモールに行って、あの暑さの中、各国の軍隊と共同して七百名近い自衛隊の諸君が、女性自衛官も交えて、汗を流しながらあの東ティモールの国づくり、いろいろな国土の整備に取り組んでいる姿を見まして、大変心強く感銘いたしました。
私どもは、今後、このような日本の平和と安全の重要性、それをいかに確保していくかという点からも、今言ったような、国際社会と協調しながら、経済大国になっても軍事大国にならないということを念頭に置きながら、国力にふさわしい国際社会の中での日本の役割は何かということを真剣に考えていくことが、また日本の平和と安全のためにも大変重要ではないかと思っております。
○藤井(裕)委員 私が国連の平和活動と申しましたのは、おっしゃるPKOはもちろんその中でございますが、もっと、国連の平和活動そのもの、武力行使というものまで入るということを今申し上げたつもりであります。
これは自衛権とは全く関係ありません。これは自衛権とは全く関係ない世界の問題であって、後でもう少し申し上げますが、九条とは関係ないという議論もあるわけですね。要するに、前文の、国際社会の一員として、自国のことのみ考えて云々という、いつも総理が言われているものですね。こういうことからいえば、九条というのは自衛権の話なんで、これは自衛権とは全く関係ない話なんだ、その武力行使は国連憲章上許されているんだということからくる議論なんでございますね。そのことを今申し上げたかったわけですよ。
ですから、PKOは結構です。私は、PKOでもまだおかしいと思っていますよ。国際基準に従って武器が使えないなんというのを、またこれ憲法九条の解釈だなんというのはおかしいです。おかしいですが、きょうはPKOの話はもういたしません。
もっとある国連の平和活動について私は伺ったつもりなんでございますが、もし御意見があったらお教えいただきたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 この国連の平和活動について、これは自衛権と別だから、もっと武力行使も認められるんじゃないかという考えもあるのは承知しております。
しかし、私どもとしては、自衛隊の武力行使あるいは戦闘行為については、いろいろ国民の気持ち、さらには世論の動向、そして海外における影響については非常に注意深く、また慎重でなくてはならないということもあり、そういう中で、憲法の範囲内でどこまで可能かということで、一歩一歩、国際社会の中で自衛隊の活動が、各国の軍隊の中で、極めて制約した中でも、日本の役割として果たしていかなきゃならないということでやってきたわけでありますので、今の時点で、国際社会、国連の中だったらば自衛隊も武力行使可能ではないか、あるいは戦闘行為が可能じゃないかということについては、私は、もう少し慎重であるべきじゃないかと、そこまでいきますと憲法の改正議論にも踏み込んでいきますので。これは、私は否定しません、議論は。しかし、今回の有事の関連法案につきましては、私は、憲法改正にまで踏み込んでおりませんし、従来の憲法解釈を変えるつもりはありませんので、その点についての議論については確かに御不満もあると思いますけれども、議論の中ではされるのは結構だと思います。
○藤井(裕)委員 昭和三十一年に日本は国連に正式に加入いたしましたね。一部の人の中には、あの加入したときに国連平和活動は適用除外だというふうに言ったんだという人もいますが、それは全く違いますね。全く違います。無条件で加入したことは間違いないわけでありまして、総理の口から、あれは無条件だったということをまず言っていただけますか。
○福田国務大臣 加盟したときに何らかの留保をした、そういう条件をつけていることはございません。
○藤井(裕)委員 そのとおりなんですよ。何の条件もついていないんですよ。
では、国連憲章に何て書いてあるかというと、さっきの柱は第七章ですよね。武力行使は例外ですよ、武力行使ができるのは国連が決議したときというこの例外があって、あとは自衛権の話と、この二つしかないわけですね。さっきのテロの問題はそれをちょっと踏み外しているということを言ったんですが、きょうのメーンテーマじゃないからそれは言いませんけれども、例外的にこれが認められているんですね。そして、それが国際連盟のときはなかった、しかし国際連合のときにはできたという非常に重要な規定なんですね、これは。非常に重要な規定なんです。そして日本は参加した。
二条には何て書いてあるかというと、誠実に加盟国はこれを遵守しなければならないと書いてあるんです。もう一つ、日本国憲法九十八条二項には、日本が締結した条約、確立した国際慣例については誠実に遵守しなければならないと書いてあります。これとの関係は一体どうなんでしょうか。――待ってください。法制局長官が個人的に嫌だとかいうことではないんです。僕は津野さんはよく知っているんです。だけれども、そういうときに限って法制局長官が出てこられて、今、基本的な話なんですよ。基本的な話なので、そのときに法制局長官、これは官房長官の管下にあるわけなんです、少なくとも官房長官が答えていただかなければ、何で政治家議論になるんでしょうか。ひとつ、どうぞそういうふうに。
○福田国務大臣 これは、私が平成十三年に国会で答弁をしていることでございますので申し上げます。
PKF本体業務の凍結解除、これは我が国の国連加盟の際の条件に反し、憲法九条を否定するものではないかというお尋ねがあったときの言葉でございますけれども、「我が国は、昭和二十七年六月十六日付岡崎外務大臣発リー国連事務総長あて書簡をもって国連に対する加盟申請を行いましたが、加盟に当たって我が国が何らかの留保を付したとは考えておりません。」ということであります。
他方、我が国が憲法九条に禁ずる武力の行使または武力による威嚇を行い得ないことは当然でございます、いわゆるPKF本体業務の凍結が解除されても、自衛隊の部隊等は、我が国が国連平和維持隊に参加するに当たって憲法で禁じられた武力の行使をするとの評価を受けることがないことを担保する意味で策定されたPKO参加五原則に沿って制定された国際平和協力法に基づいてこのような業務を行うこととなりますので、憲法上問題にはならない、こういう答弁を実はしておるわけでございます。
○藤井(裕)委員 総理も官房長官も、話がPKOの話になっちゃうんだよね、ここになると。これ、今PKOの話をしているんじゃないんです。それから、PKFの話をしているわけでもないんです。PKFというのはPKOの本体業務の話ですから、要するにPKOの話ですよね。そうじゃなくて、国連の平和活動というのは、例外的に武力行使が認められている、特に国際連盟にはなかった仕組みなんですね。そして、それはナチやファシズムというものを退治するために絶対必要だということでできた仕組みなんですね。全然違うんですね。今、福田さん、もう一度言いますけれども、PKOの話とかPKFと称するものの話をしているんじゃありませんから。その点はもう一度お答えください。
○福田国務大臣 国連憲章四十二条及び四十三条に基づく国連軍につきましては、これまでの憲法九条の解釈、運用の積み重ねがございます。
すなわち、まず第一に、自衛隊については、我が国の自衛のための必要最小限度の実力組織であり、したがって、憲法第九条に違反するものではないこと。
第二、武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないことである。
第三、我が国が国際法上、集団的自衛権、すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止する権利を有しているということは、主権国家である以上、当然であるが、憲法九条のもとにおいて許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しておりまして、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないこと。
第四に、国連の平和維持隊への参加は、当該平和維持隊の目的、任務が武力行使を伴うものであれば、国際平和協力法におけるいわゆる五原則のような格別の前提を設けることなくこれに参加することは憲法上許されないこと。
以上のような憲法九条の解釈、運用の積み重ねから推論すると、我が国としてこれに参加することについては憲法上疑義がある、こういうふうに考えているわけであります。
○藤井(裕)委員 その話なんですよ。要するに、国際協調主義ということが非常に大きな原則になっているのに、九条というものを非常に曲げて解釈するがゆえに、今のような福田さんの話が出てくるんですよね。本当はもっと素直に考えて、国際協調主義というのは前文に書いてあるんですよ。総理がよく使われる言葉なんですよ。自国のことのみに専念して他国を無視してはならない、そして、国際社会において名誉ある地位を持ちたいと思う、これは総理がいつも言っておられることですよ。そして、九十八条二項というのには、はっきりとそういうものを遵守しなければならないと書いてある。国内法がまずそうです。国際法でどう書いてあるのか。入った以上は守りなさいと書いてあるのですよ。そこで、日本の九条というのを非常に曲げて解釈するから、今の福田さんのような話になっちゃうんだよね。
ですから、私は、総理も福田官房長官もわかっておられると思うんですよ。それが、今までの積み上げとおっしゃっているけれども、例えば、もしそれを踏み外したようなことを言うと、国会でやられちゃうんじゃないかという話ですが、それもあえて申し上げますよ。憲法九十九条には、総理大臣も一般大臣も国会議員も、平等に書いてあるんですよ。そして、それは職務を遵守するための義務なんですよ。改正の議論をするななんということはどこにも書いてないし、憲法九十六条には改正のことが書いてあるんですよ。だから、過去においてこれに関連していろいろな暴言を吐いた方もいますから、それはおやめいただくことはいいですよ、暴言吐いた人は。しかし、まじめに憲法の今の問題点を議論した人をけしからぬというのは、では、国会議員もみんなやめてもらわなければならないですよ。
今、憲法調査会では、憲法のここに問題があるという議論をどんどんしているじゃないですか、衆議院においても、参議院においても。それと総理のお立場は、憲法九十九条上、何の違いもありません。どうか、どちらでも結構ですから、そうだと、やはりおかしいと思っているということをおっしゃっていただきたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 憲法改正の議論は、するのに何らおかしいことはない、私は常々言っているんです。解釈を変えるんだったら憲法を改正した方がいいということも私ははっきり言っているんです。今の憲法のまま解釈を変えるのはかえっておかしくなるというのが私の立場です。解釈まで変えるのだったら憲法を改正すべきだと言っているのが前々、私の一つの主張でありますし、これが直ちに改正に結びつくものではない。
議論を封殺するのはおかしい、議論は大いに結構だ、しかし、今の時点で私は憲法改正を政治課題にのせる考えはないということを言っているのも事実であります。
○藤井(裕)委員 それでは、改正する気は、政治課題としてはないというのはわかりましたが、やはりおかしいなと思っておられるかどうかだけは言ってください。
○小泉内閣総理大臣 それはおかしい点がたくさんあります。例えて言えば、憲法九条もそうです。いまだに自衛隊について、解釈の点において、一切の戦力は保持してはならないということを言っていますけれども、果たして自衛隊が戦力でないと国民は思っているでしょうか。しかし、法律上の問題でこれは戦力じゃないと規定しているのであって、一般国民は、多くの国民は自衛隊は戦力だと思っているのは、常識的に考えてそうだと思いますね。
しかしながら、これは、この議論をするとほかの議論が、ほかの法案が課題になるぐらいいろいろな政治上の問題も出てきますから、いろいろな解釈の積み重ねで、日本の国際社会での役割、あるいは日本の平和と安全を確保するのはどういうことかということで先輩なり我々が今努力してきて、ようやく最近は、こうして憲法改正議論も堂々とできるような状態になってきたし、自衛隊も海外に出て平和活動に寄与している点においても、多くの国民が批判するような状況ではなくなってきた。やはり積み重ねというものもきいてきているわけですね。
私は、そういう点において、憲法改正論議はタブーじゃない。憲法を改正すべきでないという議論も結構、憲法を改正すべきだという議論も結構、大いにするのが国会議員の役割じゃないでしょうか。
○藤井(裕)委員 まず、すき間という言葉はやめてくださいよ、もう使わないでくださいよ。すき間というのは、人によっては、これは憲法違反のことをやっているととっている人はいっぱいいますよ。そうじゃなくて、今おっしゃったように、憲法はおかしいんだ、だけれども今直してないからしようがないんだということになれば、やっちゃいけないということなんですよ。それは守らなきゃいけないんですから、やっちゃいけないんですよ。だから、またテロ法の話になっちゃうけれども、あれはやっちゃいけないことをやったんだというふうに申し上げるわけですよね。
そこで、次の話は、自衛権の話に行きますけれども、今自衛権の話も出ましたから。
自衛権というのは、本当に、自衛権の名において何でもやってきたわけですね、過去の世界は。例えば十九世紀のヨーロッパ帝国主義というのは、宣教師が殺されたといっちゃ中国を侵略したんでしょう。これは自衛権でやっているわけですね。
私は日本でもいい例があると思うのは、山県有朋はこう言っているわけですよ。日本には生命線と利益線があると言っているわけでしょう。生命線というのは本当の意味の領域ですよね。利益線というのは、いや、そこまでとっておかないと危ないよという話でしょう。それから何が出たかということです。日韓併合はそれから出ているんですよ。そして、さっきちょっと言いましたが、熱河作戦と言ったけれども、満蒙がその生命線だと言ったのはそれから出ているんですよ。
つまり、自衛権というのは、本当に考えようによってはどんどん拡大していくんですね。そして、その弊害というのがあるんですね。ですから、自衛権というのは、我々は抑制的に考えなきゃいけない。今のようなことは一方にあると同時に、個別の自衛権というのは抑制的に考えなきゃいけないというのが我々の立場なんです。
けさの議論でも出ていましたが、何というんですか、必要最小限で他に方法がないとき、しかも日本が直接侵略されたとき、あるいは侵略されるおそれが極めて高いときということは、我々がずっと言ってきたことなんです。僕は、総理に、それだけおっしゃるならば、法律に書いてくださいよ。
というのは、近隣諸国は、さっき言ったように日本の過去の行状に対して非常な不信感があるんですよ。ですから、さっき話も出ていたけれども、武力行使事態というようなのが、それがどこまで入るかという議論も大事ですよ。しかし、根っこで本当に自衛権はここまでだということをはっきりさせるならば、ああいう問題は起きてこないんですよ。だから、まず、自衛権はここまでだということをはっきりさせていただきたいなと思っておりますが、いかがでしょうか。しかも、それを法律に書いていただきたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 今議論しております有事関連三法案は、自国が攻撃された場合なんですよ。(藤井(裕)委員「予測はどうですか」と呼ぶ)予測を含めて。自国が攻撃される、予測される事態、これを議論しているんですから、まさに日本の独立と平和と安全を守るというその議論ですから、私は憲法の中でも範囲内で当然これはできる問題ですし、また、やらなきゃならない問題だと思っております。
自衛隊を海外に派遣するという問題ではなくて、自国が攻撃を受けた場合にどうやってその安全を確保するかという話なんですから、そこを混同しないでいただきたいと思います。
○藤井(裕)委員 ちょっと逆の混同だと思うんですよ。
さっきいろいろ議論に出ていた中に予測というのがありましたね。予測は直接、攻撃じゃないのですね。私どもは周辺事態法のときに、私どもの党が言って直していただいたのはそれは何だというと、自国が直接攻撃されたのでなくても、そのまま放置すれば間違いなくやられてしまうというのをあえて入れていただいたわけですね。そこまでが私は個別自衛権のぎりぎりの範囲だと思っているんですよ。ところが、今度の予測というのは、きょうはその法律の中の議論はしないことにしていますからやりませんけれども、予測というのはもっと上の話なんですね。だから、その大前提として、自衛権はもうここまでだと言えば、予測がどうだとかおそれとどう違うかという話のもう一つ前なんです、本当は。それをしっかりやっていただかないと困るという意味で私は自衛権の話をあえてここで申し上げているわけなんですね。
日本だって戦争のとき、自衛権と言ったのですよ。しかし、僕らの小学校のときに軍歌がありまして、「断固膺懲堂々と」というのがあったのですよ。膺懲というのは懲らしめですよ。日本は、戦争を始めるときには自衛権と言って、僕ら子供にはこれは懲らしめで今やっているんだと教えているわけですよ。そういうのが現実なんです。だから、自衛権は本当に厳格に考えないといけないということをもう一度申し上げておきたいと思いますね。
それから次に、自衛権というのはそういう意味で、さっきちょっと総理も言われましたけれども、非常に限定的に解釈し、抑制的に解釈しなければいけない。そして、それは我々は法律をつくるべきだということを申し上げておりますが、もう一つ、自衛権そのものの定義がまだはっきりしていないのですよね。それは何から来ているか。日本の憲法の由来と、その憲法の文字がなかなか難しいというかわかりにくいから解釈をふらふらするんですね。この両方だと思いますよ。
きょうは憲法改正の議論を正面から言いませんけれども、マッカーサーというのかな、GHQが原案をつくったわけでしょう。GHQがつくった原案のうち、日本で変えてもらったのは二つしかないのです、大きなところで。一院制というのを二院制にしてもらったことと、土地及び天然資源は国有とすると書いてあるのを、余りにひどいじゃないかといってやめてもらったのがありますが、あとはほとんどそのままできているわけですね。
それで、マッカーサーの三原則の第二項目には、あれはイエローペーパーというんだね、イエローペーパーというのには何て書いてあるか。難しい言葉は使いません、自衛の戦争も侵略のための戦争も、ともにだめだとマッカーサーのイエローペーパーには書いてあるんですよ。それをケーディスという実際にこれを仕切った人間が、これはちゃんと日本の調査団が言っていますよ、ケーディスがそれは余りに非現実的だと言って、自己の責任で消しちゃったんですよ。
ですから、これまた本当は難しい言葉だけれども、日本の憲法九条には、学者ならわかるという、国際紛争解決の手段としての戦争は放棄すると書いてある。ところが、前文に何て書いてあるかというと、全然違うことが書いてあるわけでしょう。全然違うことが書いてありますね。これも総理の言葉で言えばすき間なんですけれども、すき間じゃなく、おかしいと言っていただきたいのですね。だって、諸国民の公正と信義を信頼しでしょう。前文というのは憲法の全体像を出すのですから、少なくともそこに一言、日本はまずみずから自分を守るんだ、その上に立って諸国民を信頼するんだ、これならわかるんですよ。一つも書いていない。ということは、マッカーサーの思想がそのまま出ているんですよ、これは。そのまま出ているんですね。
だから、あのときに、昭和二十二年、僕は中学三年なんですが、ニューヨーク・タイムズにはこう書いてあるんですよ。これはユートピアの社会だ、日本が悪いことをしなけりゃ世界は平和なんだねと皮肉たっぷりにニューヨーク・タイムズは言っているんですよ。
僕らは教わりましたよ。同じことに、もうこれからの世界の国々は日本を攻めてくるなんてあり得ないんだから、日本は無防備でいいんだと教わった。しかし、僕らの先生は立派な方ですから、本質はわかっていたと思いますよ。本質はわかっていたけれども、そう言わざるを得ないんです。だって教科書がみんなそうなっちゃったから。つまり、そこに物すごいギャップがあるんですよ。
九条の言葉だっておかしいでしょう。あれは普通の日本人じゃわからないんですよ、九条の言葉というのは。「国際紛争を解決する手段」というのは、どこから持ってきたかというと、昭和三年の不戦条約から持ってきているわけですね。不戦条約から持ってきたけれども、その不戦条約を、実際中心になったのはアメリカとフランスですわな、ケロッグ・ブリアン条約。戻ったら、これは何だ、これは自衛権もだめなんじゃないかとフランスとアメリカで怒っているんですよ。わからないんです。それをまた翻訳しているんですから、ますますわからないんです。現に、昭和八年には、この侵略定義条約をつくらないとこれはもう不戦条約はもたないというところまで行ったけれども、結局そんな話になると、だめになっちゃったんですね。というぐあいに、非常に難しいことなんですよ、まず。
そこで、今の前文は、もうあれは無防備の前文ですよ。そして、九条というわかりにくい不戦条約から持ってきた文章を日本語に翻訳していますから、あそこもわからないんですね。
日本の普通の方に聞いてください。あれは自衛権も否定しているんじゃないかと言う方が結構いますよ。なぜならば、日本に攻めてくるのだって、おまえの国が欲しいよと来るんじゃないんですよ。何か理屈がついているんですよ。何か理屈がついて押し寄せてくるわけでしょう。今はそういうことはない、ほとんどあり得ないと思いますけれども、何か理屈がつくんですよ。そうすると、これも国際紛争解決じゃないのと思っている方は、日本人の普通の良識のある方に意外にいらっしゃいますよね。
ですから、非常に憲法の文言が悪いということはまず申し上げておきます。どうか、すき間じゃなくて、おかしいと思うとそれをまず言っていただけますか。
○小泉内閣総理大臣 いろいろ解釈の幅があるということで、すき間もあると言ったわけでありますが、今言っているように、今の憲法でも、詳細に勉強、研究された学者の間でも、自衛隊は憲法違反だと言っている人もいるんですよ。しかし同時に、この憲法九条を読んで、自衛権まで否定していないんだ、だから自衛隊は合憲なんだと言う学者もいるわけです。学者が、頭のいい、勉強に勉強して学問を積んだ学者の間でも、同じ文章で、これは憲法違反、合憲、違憲、議論があるんだから、一般国民が惑うのはおかしいことではない。むしろ、惑ったり、おかしい点があるのは私も認めます。だから、私は将来憲法は改正した方がいいということはかねて言っている。そういう点においては憲法改正論者であります。
しかし、現実の政治家として、ましてや総理大臣として、今憲法改正しましょうと言ったらどうなりますか。そのぐらいのことはよくわきまえていますよ。国会の状況もよく御理解いただきたいと思います。
○藤井(裕)委員 さっきから言っているように、政治課題にするかどうかというのはわかっているんですよ。だけれども、憲法九十九条違反でも何でもないんだから、堂々と言ってくださいよ。堂々と言ってくださいね。僕らの党は決して、そんなことおっしゃったからといって責任追及するなんて言いませんよ。絶対言いませんよ。だって、これはだれだって自由なんだから。現に、憲法調査会、各党みんな好きなこと言っているじゃないですか。だから、それはそれでいいんです。ですから、余り心配なさらないでどんどん言ってください。
政治課題か云々というのはわかります。それは結構です。しかし、本当は政治課題にまで持っていくのが筋だと思いますよ。思いますが、今の総理の言葉は、それはそれで理解しますけれどもね。
そこで、次なんですが、今言ったような自衛権から何が出てくるか、もう総理は先に言われましたけれども、戦力なき軍隊というのがあるんですね。こんな非常識な言葉はないんですよ。だけれども、今政府の公式解釈はそれなんですよ。ですから、総理、こういうことを出してきているんですから、まずそれから変えましょうよ。
これはどういうことかというと、芦田修正とかなんとかは別としまして、あの憲法の条文は本当にわかりにくいというのは今お話しのとおり。吉田さんは、これは自衛権ないと言ったんでしょう。それは、総理も言われたように、読み方なんですよ。あの難しい言葉を一応侵略戦争としましょうか。侵略戦争はやっちゃいけないと書いてあるんですね。それから、もう一つ後の方には、戦力は持っちゃいけないと書いてある。戦力は持っちゃいけないんなら自衛の戦力も持てないんだろう、こういうのが吉田議論なんですよ。それは後ろにいる法制局がちゃんと振りつけたと思いますよ、吉田さん時代に。
それが、昭和二十九年になって自衛隊ができちゃったんですね。そうすると、これはとんでもないという話になって、解釈から変えていかなきゃならない。こういうふらふらした解釈がおかしいんだけれども、二十九年の解釈、統一解釈ですよ、どう書いてあるかというと、自衛隊は国土防衛の実行部隊だと書いてあるんですよ。国土防衛隊なんです。そして、それは何も変えていませんから、今の自衛隊は国土防衛隊なんです。何でそれがティモールやなんかに行っているんですか。私は、行っていることが悪いというのと逆なんですよ。
今でも昭和二十九年の解釈をそのままとっているんですよ。第二項に何て書いてあるかというと、近代戦力を持っていないんだからこれは戦力じゃないと言っているんですよ。これは統一解釈ですよ。昭和二十九年ですよ。あれから四十五年、五十年近くたって戦力なき軍隊という、普通の人からいうと非常識。
よく、総理も今言われましたけれども、政治不信と今いろいろなところで騒いでいる、出ているでしょう、これも政治不信の根源だと思いますよ。だけれども、普通の人が考えてわからないことをこういう場だけで言っているんですよ。これ、政治不信の最たるものだと思いますよ。
総理、そこいらは、あれはやめた、戦力なき軍隊なんておかしい、イージスの話も例に出すまでもないんですよ。あれはミサイルを搭載しているんですよね。そしてミサイル攻撃能力があるんですよ。しかも高高度の探知能力もあるんですよ。これは戦力じゃないんでしょうか。アメリカと日本しかないんですよ、イージスは。それで戦力なき軍隊と言ったら、これほど政治不信はないんじゃないでしょうか。私は、そこいらからも政治不信を直していただきたいですね。
総理、こういうのを出してこられたんだから、いや、昭和二十九年のは間違っていた、こう言っていただきたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 今の議論はともかく、今お話しの趣旨はよくわかりますよ。だからこそ私は、テロ対策法のときに、あいまいな点があると。日本人というのはあいまいさをうまく包容する国民であるというのは、いい例が憲法だと私は思っています。私の答弁も、あいまいだ、あいまいだと批判する人がいましたから、それはあえて、では自衛隊はどうなのかと言って戦力の問題を出して、もっと私を追及してくれると思ったんですよ、当時。だれも追及しない。私の方が拍子抜けしちゃった。
だから、そういう点で、私は今までいろいろなお話を、議論を聞いておりまして、確かに日本の憲法にはあいまいな部分がかなりあります。憲法九条も、自衛隊は違憲、合憲論が分かれている点からとってもそうであります。しかも、戦力の点一つとっても、一般の常識から見れば、自衛隊が戦力なかったら自分の国を守れないじゃないか、これ、常識ですよね。しかし、法律上の議論からすると、これは戦力ではないということになっているわけです。
だから私は、そういうあいまいな点を含みながら、現実の政治から、かといって、国防上、安全保障上、独立と安全を守るためには、現行憲法が改正できるような状況でないんならば、現実の政治にどうしようかということで積み重ねてきたのが今の議論なんですよ。今、見てごらんなさい。国会の状況から見て、憲法改正できる状況じゃありませんよね。それも現実、政治家として判断しなきゃならない。
憲法、すべきだという議論はいいですよ、議論は大いに。しかし、現実においてそれが可能でないという状況であるならば、私は、今までの議論を積み重ねた上で、日本としてふさわしい対応をしていかなきゃならないということを言っているのでありまして、私は、今の憲法はおかしいんだという藤井議員の指摘に異論を唱えるものではありません。
○藤井(裕)委員 総理は自由に物が言えるということもおっしゃった。そして、何でも改革しようとおっしゃっている。では、政治課題の問題は別としまして、僕はこれは改革すべきだと思うんだ、こう言われるだけで日本の世論は動くんですよ。反対もいますよ。反対もいたっていいじゃないですか、あなたは何でもやるとおっしゃっているんだから。そして堂々と、僕はこう思う、僕はこう思う、こういうことを言っていただくことが私は今大事だと思います。
決して非常識なことをやろうとしているんじゃなくて、もう五十五年変わらなかった国というのはないんですよ、ゼロですよ。不磨の大典である明治憲法でさえ五十五年なんですよ。あれは不磨の大典なんですよ。それと同じ長さまで来て、世界にこんな例がないんですね。それを世の中の人の方がわかっている。しかも、戦力なき軍隊なんというのは国会だけで通用する議論なんですから、総理はどうか、僕は政治課題にはしないけれどもおかしいと思うともうさっきおっしゃいましたね、おっしゃいましたからちゃんと新聞にも載ると思いますけれども、おかしいということをもう一度おっしゃっていただければありがたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 私は、総理大臣として憲法改正を現実の政治課題にのせる気はありませんが、最初の選挙から憲法改正論者で通っております。
○藤井(裕)委員 今解釈論がありましたから、もう一つ解釈論を聞かせてください。(発言する者あり)
○瓦委員長 ちょっと静かにしてください。
○藤井(裕)委員 昭和五十三年なんですけれども、核は憲法の上からいって、もちろん防衛核ですが、合憲であるということを言っています。これはそのままでよろしゅうございますか。
○小泉内閣総理大臣 それは合憲論をとっております。しかし、日本は核は持たないと。政治論。
○藤井(裕)委員 そこで、今まで議論した中に憲法の話が大分出ましたので、きょうの主たる議題は憲法じゃないかもしれないけれども、憲法について少し伺いたいと思うんですよ。
僕は、日本の憲法の今の問題点は大きく分けて二つだと思っているんですよ。一つは古過ぎる、一つはマッカーサー司令部でできた原案であるということ、この二つなんですよ。
第一の古過ぎる。日本は古い方から十五番目の憲法です。今百八十国ぐらい、イギリスみたいな不文法の国がありますけれども、百八十国ぐらいは憲法を持っていると思います。そのうち古い方から十五番目です。そして十四番まではみんな改正しています。そして、日本より新しい憲法を持つフランスもドイツも、何十回となく改正しています。
それが古いがためにどういうことが起こっているかというと、今、私は人類の最大の問題は世界の平和と地球環境の保全だと思うんですよ。その環境という言葉が一言半句出ていないんですよ。こんな憲法はおかしいですよ。そういう意味で、古いというのが一つの欠点です。
もう一つ本当はあえて欠点を言いますと、国の機構の問題なんですよ。初め出たときはともかく、今、参議院と衆議院は同じ仕組みなんですよ。ところが、同じ仕組みであって、かつ衆議院優位になっているんですよ。こんな国はゼロですよ。
アメリカは連邦とそれから代表ということがありますからちょっと違いますが、アメリカは対等ですよね、上院と下院は。いろいろなことで、やれ何だ、条約の承認権とかなんとかありますが、あれはバランスとっていますよね、バランスとっている。そして、法案については廃案になるんですよ、あれは。それからイタリーもそうです。イタリーも全く廃案になるんですよ。そういう意味で、非常に日本の国会のあり方というのが問題だということもあえて申し上げておきます。
それから第二は、やはりGHQの原案をもとにしているということなんですよ。GHQの原案をもとにしているということはどういうことかというと、一つは、まず第一に人に日本の憲法をつくってもらった国なんてないんですから、それはまずもう皆さんおわかりだから、それは言いません。
もう一つ問題は、あれは御承知のように一週間で二十五人でつくったんでしょう。そのうち四人が秘書と通訳でしょう。つまり一週間で二十一人でつくったわけですね。総理の言葉じゃないけれども、どんな俊秀だって整合性のあるものなんかできるわけないんですよ、一週間で二十一人ですから。だから、さっきのような、前文と九条の違い、前文と九十八条二項の違いというようなものが出てきているんですね。
そして、もう一つは、翻訳でしょう。だから、翻訳なるがゆえのわからなさがあるんです。
我が大先輩の山本有三先生が、あなたは文豪なのに何で参議院議員なんかになるのと聞かれたときに、僕は日本語の憲法をつくりたいと言われているわけでしょう。そして、山本さんが書かれた憲法前文というのがあるんですが、実に雄渾ですよ。日本人らしいですよ。
だから、GHQがつくったということはいろいろな意味があるんですね。二十一人で一週間、拙速。二番目に、日本語でない、したがってわかりにくい。それからもう一つは、物すごい抽象的なんですね。
大体、地方自治のとき、地方自治の本旨に基づきというあれは何ですか。何にもわからないですよ、地方自治の本旨に基づき。社会保障だって、最低の文化的生活を維持すると言っているんでしょう。ここはわからないです。
僕らは、地方自治ならば、何のために地方自治をやるんだということを憲法に書くべきだと思うんですよね。例えば地域文化というものをしっかりやるということとか、それから、本当に地域の特性を生かすとか、いろいろなことがありますわな。
それから、社会保障だったら、僕らと総理とは違いますけれども、基礎年金と介護と高齢者医療は国の責任において保障すると書いて初めて憲法に値するんですよ。「健康で文化的」じゃわからないんですよ。
教育だって、教育を受ける権利と義務と書いたって何にもわからないんですよ。僕らは、やはり教育の目的を書くべきだと思いますね。自制ある自由のもとにおいて個性豊かな人間をつくるとか、日本の文化と伝統を受け継いで後世に伝えるとか、そして、さっきも言ったように、環境とか世界平和のために尽くすのは人類の職責であり、そして日本人の義務であるとか、そういうことを書かないで、教育を受ける権利と義務があるなんて書いたって何もわからないんですよ。
いろいろ申しましたが、限られた時間の中で、今の防衛政策、安保政策を少し超えるかもしれませんけれども、憲法の、私が言った、古いということと、よその国の人がつくって、しかも拙速につくったということ、この二点についての総理の御意見を伺いたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 五十年間以上一度も改正していない憲法というのは、古いといえば古いと言えるし、もっと柔軟に変えるべきことは変えてもいいと思うんですが、これがまた日本が普通ではないと言われる一つの理由になっているのかもしれません。古いといえば古いです。もっと改正すべき点はいろいろあると思います。
それと、確かに、この憲法は日本人自身の手によってすべて書かれたという点でないということは、今までの憲法調査会の議論、いろいろな議論を聞いても、それは私は当たっていると思っております。
○藤井(裕)委員 ひとつ、憲法の問題については、ぜひ総理が先頭になって、政治課題じゃなくていいですよ、やはりおかしいんだと。
結局、これは、国会の三分の二といいますが、しょせん発議権にすぎないんですよ、国会議員のやることは。問題の本質は国民の皆様なんです。有権者の皆様なんです。有権者の皆様に理解をしていただく直接の行動をとるべきだと僕は思っているんですよ。だから、もちろん発議者のいろいろな合意をとるということは大事だと思いますが、同時に、有権者の方そして国民の皆様に理解していただければ、これは過半数でございますから、どうかそういうお気持ちでこの憲法問題には対処していただきたいなということを強く思っております。
そして、きょうは法律の話はしないつもりでおりましたが、若干時間がありますので、後の人に譲る意味において若干申しますが、この法律の持っている一つの難点は、さっきからずっと申しましたように、自衛隊の行動だけが先走っていて、そして、その中で国民の皆様に対するいろいろな制約を求めようとしているということだと思っているんですよ。
さっき申し上げたように、安全保障の基本方針というものを土台としてしっかりつくって、あるいは、自衛権というのはこれだけが限界だという土台をしっかりつくって、その土台の上に、こういうこともあるんだよということを説明して初めて、近隣諸国あるいは日本の国民の皆様への理解が深まるはずなんですね。ですから、そういうところが抜けているということについて私どもは非常に疑念を持っています。ですから、独自案を出します。こういうものを含めた独自案を出します。
それからもう一つは、これはいろいろな方が議論されていると思うんだけれども、今の異常事態というか緊急事態というのが、確かに総理も一番の尊敬しておられる福田総理の時代に、昭和五十二年にその指示によって動き出して、そして、五十六年、五十九年に案ができて、それから三十年間ほったらかしておいたという問題なんですね。ただ、その時期には、確かにその時期から考えれば当然かもしれませんが、旧ソ連、もうなくなっちゃった国が大挙して北海道に押し寄せてくるという一つの前提があったことは、これは否定できないんですね。そのことが今回の案にもずっと残滓として残っていることは間違いないんです。
どこかのテレビで言われていたけれども、これはファンダメンタルなものなんだからいいんだと。私は、ファンダメンタルかどうかは別として、いろいろな新しい緊急事態というのがあるということも頭に置いておいていただきたいと思うんですね。そういうことをやらなきゃならないときに、ファンダメンタルと言われているのか何か知りませんが、今から三十年前の緊急事態を前提としたものだけを今回やろうとしているということ、そのことについて疑念があります。第二に疑念があります。
それからもう一つは、国民の皆様に対していろいろな制約を求めるときには、今世界のルールは二つあるんだと思うんですよ。一つは、同じ戦敗国のドイツです。ドイツは憲法でやっていますね。憲法で非常事態というものを置いて、憲法に基づいていろいろな制約をお願いするという形になっている。もう一つがアメリカ型ですね。アメリカは憲法にありません。アメリカは憲法になくて、大統領が、例えば我が国でいえば総理大臣ですね、が、非常事態というか緊急事態を宣言して、その上で一種の制約をお願いする、こういう形なんですね。これの二つのどちらかでなきゃおかしいんですよ。今、緊急事態を宣言する規定もこの中には入っていません。武力行使の認定だけなんですね。認定だけなんですよ。そうじゃなくて、やはり、こういう時期が緊急事態だということをはっきりさせるということによって多くの国民の皆様に理解をしていただくということが必要なんだと思うんですね。
そうして、そこの、制約する原点が公共の福祉なんですよね。これは問題だと思いますよ。公共の福祉というのは極めて抽象的で、私はさっき憲法の改正のときに、公共の福祉という言葉はやめた方がいいということを言おうと思ったんですが、世界人権宣言にしろ、国際人権条約にしろ、あるいは欧州人権条約にしろ、そういう言葉で使っていないんですね。みんな、民主主義国家の道徳に従ってとか、他人の権利とか他人の信義を害しない範囲においてとか、表現の自由に至っては、国土の保全に反するようなことを言っちゃいけないとか、そういうようなことがみんな書いてあるわけでして、僕はやはり公共の福祉という抽象的な言葉だけでこれをやるということにも疑念を持っているんです。
恐らくそういうところに入っていかれるんだと思うんだけれども、いずれ我々の党の代表がそこいらもお話しすると思いますけれども、そこいらについて、きょうはそっちが主流の話じゃありませんけれども、概略、総理のお気持ちをおっしゃっていただきたいと思います。
○小泉内閣総理大臣 ある点においてはむしろ抽象的な表現の方がいい場合もあると思うんです、余り具体的に列挙できない場合もありますから。公共の福祉といえば、あいまいだといえばあいまいかもしれません。じゃ、人権だといったって、あいまいといえばあいまいな点があるでしょう。だから、そこまで全部、具体的に、限定的にやれというと、かえって無理な場合もあるから、私は、抽象的な議論で、文言においてもいい場合もあるんではないかと思っております。
○藤井(裕)委員 私は、話したいことはもうこれですべてなんです。私は簡単明瞭に話すのが好きなもので、若干時間を残しておりますけれども、今まで申し上げたことは、簡単ではあるけれども、私たちとしては、大変大事なことを言っているつもりなんです。どうか、そういうことを御理解の上、これは修正じゃありません、我々は独自案でございますから、その独自案に対してひとつ謙虚に受けとめていただきたい。
最後に、ひとつお気持ちをお聞かせください。
○小泉内閣総理大臣 これだけ、現職の総理大臣が憲法改正論議も踏み込んで議論を議員と闘わせるというのも、今までの国会では珍しいことですよね。これは非常に、私は、大きな議論であって、大事な議論だと思っております。
今後、憲法改正議論が必ずしも直接、憲法改正に結びつくものではありませんが、議論としては、大いに自由にこういう委員会の場でもするということはいいことだと思っております。
○藤井(裕)委員 終わります。