2002/06/07-2

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佐世保公聴会で国民保護法制の欠落に批判集中 (民主党ニュース)

 7日、佐世保市内で衆議院武力攻撃事態特別委員会の地方公聴会が開かれた。民主党からは、玄葉光一郎、末松義規両議員が出席し、各界から招かれた意見陳述者から、政府法案の問題点など様々な意見を聴取した。

 意見陳述に続く質疑において玄葉議員は、まず「緊急事態における法整備は必要であると認識している」と基本的な立場を表明した。その上で「しかし問題が2つある。1つ目は政府案の中身、特に武力事態法は国家を防衛する国民の法律であるはずのものだが、国民を保護するという部分がないこと。もう1つは、国民を保護する法整備が出てこないこと。これがないと国民のコンセンサスも得られないのであり、本来武力事態法と同時に考えるべきものである。国民と一緒に議論をしながら決着を図るといった取り組み方の問題、これが非常に大事ではないかと考える」と述べ、政府法案の問題点を鋭く指摘。その上で佐世保市長の光武顯氏と長崎友愛病院長の茅野丈二氏の両陳述人に意見を求めた。

 光武氏は「取り組み方の問題に関しては、地方自治体の長であれば玄葉議員と同じ意見を持っていると思う。本法案において国民を保護するということをないがしろにしてはいけない。しっかり議論したうえで、国民のコンセンサスを得られる法案をつくることが大事である」と述べた。茅野氏は「現状の法案に対しては、国民が具体的に保護される方策があるか否かは非常に不明瞭であるため、再度しっかりと議論をした上で法整備をするべきである」と述べた。

 続いて質疑を行った末松議員は、始めに「本法案は国民の立場になって考えた法律ではないということが大きな問題である。もし有事が起こった場合、現状の法案だと不安要素の方が大きい。さらに、現場で地方自治体の意見が反映されなかった場合は最善の対応がとれるのか」と本法案の問題点を指摘した。また「政府は、とりあえず本法案を成立させて中身は改正というかたちでやっていけばいいと考えているのではないか」と指摘。この点について、それぞれ光武、茅野氏両人に意見を求めた。

 光武氏は「繰り返すことになるが有事が起きた場合、国民が守られる法整備は絶対必要である。同時に有事が起きた際、現場レベルでの対応は今以上に必要であると認識している」と述べた。続いて茅野氏は「有事が起こった場合、医療の立場から見ても具体的にどのように対処するのかをあらかじめ決めておかなければいけない。本法案は国民の基本的人権を制限する重要な法案であるにもかかわらず、国民を守る具体的な中身が提示されていない。このままでは制定してはいけない」と述べた。


   派遣委員の長崎県における意見聴取に関する記録
一、期日
   平成十四年六月七日(金)
二、場所
   ライフステージアイトワ
三、意見を聴取した問題
   安全保障会議設置法の一部を改正する法律案(内閣提出)、武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案(内閣提出)、自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)、安全保障基本法案(東祥三君外一名提出)及び非常事態対処基本法案(東祥三君外一名提出)について
四、出席者
 (1) 派遣委員
      座長 衛藤征士郎君
         近藤 基彦君   田中 和徳君
         玄葉光一郎君   末松 義規君
         田端 正広君   中塚 一宏君
         赤嶺 政賢君   今川 正美君
         井上 喜一君
 (2) 現地参加議員
         北村 誠吾君
 (3) 意見陳述者
      サセボコンパス21代表幹事
      (株)馬郡喜商店代表取締役
馬郡 謙一君
      佐世保市長        光武  顯君
      長崎友愛病院長     茅野 丈二君
      長崎短期大学助教授  北川誠一郎君
      佐世保商工会議所副会頭
      辻産業(株)代表取締役社長
辻  昌宏君
      長崎総合科学大学助教授 前原 清隆君
      長崎大学教授       舟越 耿一君
      (株)橋本商会取締役社長室長
                      千田  稔君
 (4) その他の出席者
      内閣官房副長官補     大森 敬治君
      内閣官房内閣参事官    礒崎 陽輔君
      防衛庁長官官房審議官  横山 文博君
      外務省北米局長       藤崎 一郎君
     ――――◇―――――
    午前十一時開議
衛藤座長 これより会議を開きます。
 私は、衆議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員会派遣委員団団長の衛藤征士郎でございます。
 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、よろしくお願いを申し上げます。
 この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。
 このたびの地方公聴会開会に当たりまして、地元の皆様方には特段の御配慮、御協力を賜り、まことにありがとうございました。公聴会に御出席の方々、御関係の皆様方に衷心より敬意を表し、御礼を申し上げます。
 皆様御承知のとおり、当委員会では、内閣提出、安全保障会議設置法の一部を改正する法律案、武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案及び自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律案並びに東祥三君外一名提出、安全保障基本法案及び非常事態対処基本法案の審査を行っているところでございます。
 当委員会といたしましては、各案審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を承るため、御当地におきましてこのような会議を開催いたしたところでございます。
 御意見をお述べいただく方々には、御多用中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますよう、よろしくお願いを申し上げます。
 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。
 会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたしております。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願いいたします。
 なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々から委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に、意見陳述者の皆様方から御意見をお一人十分程度お述べいただきました後、委員から質疑を行うことになっております。なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。
 まず、派遣委員は、自由民主党の近藤基彦君、田中和徳君、民主党・無所属クラブの玄葉光一郎君、同じく末松義規君、公明党の田端正広君、自由党の中塚一宏君、日本共産党の赤嶺政賢君、社会民主党・市民連合の今川正美君、保守党の井上喜一君、以上でございます。
 また、現地参加議員として、自由民主党の北村誠吾君が出席をされております。
 次に、各界を代表して御意見をお述べいただく方々を御紹介させていただきます。
 サセボコンパス21代表幹事・株式会社馬郡喜商店代表取締役馬郡謙一君、佐世保市長光武顯君、長崎友愛病院長茅野丈二君、長崎短期大学助教授北川誠一郎君、佐世保商工会議所副会頭・辻産業株式会社代表取締役社長辻昌宏君、長崎総合科学大学助教授前原清隆君、長崎大学教授舟越耿一君、株式会社橋本商会取締役社長室長千田稔君、以上八名の方々でございます。
 それでは、馬郡謙一君から御意見をお述べいただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。
馬郡謙一君 御紹介いただきました馬郡でございます。
 本日は、このような機会に意見を述べることができまして、大変感謝を申し上げるところでございます。また、当地佐世保市でこの公聴会が開催されることも、大変うれしく存ずる次第でありますとともに、ある意味では、他都市での開催と比して大変意義深いものではないかというふうにも感じるところでございます。
 なぜなら、本年、佐世保市は、実は市制百周年の年を迎えておりまして、市長を初め市を挙げて我々市民も祝賀をいたしているところでございます。また、佐世保市は、その間、国の安全と防衛の拠点として機能をしてまいった町でございます。そのような土地柄でもありますので、ここに住む我々市民、そして多くの住民は、事安全保障ということについての意識は大変高いものがあると自負しておりますし、したがって、今回の有事法制の提出は、ある意味では待望久しいものであったととらえておるところでもございます。
 さらに申し添えますと、佐世保は、海上自衛隊、陸上自衛隊を初め自衛隊の皆様と、隊員の皆様と、実は市民としての立場で相互共存をしている町でもありまして、日ごろより、おつき合いの中で、隊員の皆さん方が士気高く訓練に精励されていることをよく存じ上げております。その隊員の皆さん方、とりもなおさず自衛隊の方々の行動が本当に円滑になるような多くの問題の解決も盛り込まれておりますこの法案については、大変評価もしていきたいというふうに話しているところでもございます。
 しかしながら、ある一面でいいますと、法案自体の提出は、時代を考えますと、遅きに失したなという感も実はぬぐえないところではないでしょうか。
 これはもう御承知であるわけですけれども、昭和二十九年に自衛隊法が制定されまして、我が国に対する外部からの武力攻撃に対しての、ある意味での骨幹は整備されたわけでありますが、その後、この法制で十分かどうかということで、昭和五十二年に有事法制の研究が開始をされ、法制整備の必要性が当時の福田総理、三原防衛庁長官のときに国会に報告をされたのは事実であるわけですが、それから実は四分の一世紀でございます。
 二十五年間、それぞれの分野で研究、そして検討を進めていただいたわけでありますが、我が日本が本当に独立した国家として当然行っておくべきであった我々の国の安全、それから我々国民の生命財産を守るというための万全な体制の整備という観点から考えますと、冒頭に申し上げましたように、もっともっと早くにこの法制化がなされていてもよかったのではないかということも言えるというふうに思うわけです。
 しかしながら、中には、ある意味では冷戦の構造が崩壊した中でなぜ今有事法制というのを整備するのか疑問を投げかけられている向きが多いと聞いておりますが、外に目を向けますと、世界の国々では、この武力攻撃事態に対する法制の整備というのは、御承知のように、はるかに進んでいるのが現状であるわけです。
 事態の可能性が現実のものとなってから仮に議論をしても、間に合わなくなってしまう可能性があるばかりでなく、ある意味では、事態が緊迫する中で、冷静かつ合理的な論議というものができるのであろうかという疑問はありますし、できないということが大いに考えられるんじゃないかというふうに思います。
 だからこそ、国全体として、基本的な危機管理、そういう体制の整備を図るためには、今この平和なときにこそ議論をし、いわゆる国家存立の基本といいますか、日本の存立の基本として速やかにこの法案が成立をするように心から期待を申し上げる一人でもあります。
 それから、いわゆる国民保護法制の整備というところの部分でございますが、今回の法案の枠組みの中で、整備の方針、項目はお示しをいただきながら、事態の対処にかかわる、法案の中にも盛り込まれておりますけれども、避難のための警報発令であるとか、被災者の救助、それから施設等々の応急の復旧などの措置につきましては、ぜひ、地方公共団体、公共機関等のおのおのの役割を明確に、そして具体的に定めていただくことを期待を申し上げます。
 それとともに、関係機関の意見はもとよりでありますが、ぜひ、国民の意見、それからその中での議論の動向というものを踏まえていただきながら、ある意味での仕組みづくりをしていただきたく存じます。
 法案の中には、定めるところ二年という目標期間があるわけでございますが、どうぞ全力を挙げてお進めいただきますように重ねてお願いを申し上げるところでございます。
 きょうは、せっかくの機会でありますので、私は、一つの意見といいますか提言をしたいと思っておるわけですが、この有事法制を考える中で、実は、地球市民型の活動というか、そういうふうなことを提言したいと思っています。
 それは、日本だけが平和であればいいなどということはもうないわけでありまして、また、日本だけが経済的な繁栄を謳歌すればよいということではないと思うわけであります。日本も、地球の中の、世界の中の一市民という意識を持って積極的にその役割を果たすべきだということであります。
 特に、今世界に目を向けてまいりますと、残念ながら、さまざまな紛争が皆無とは言いがたい状況下であると言えると思います。そのような中で、先ほど申し上げましたように、我々が本当に世界の中の、地球の中の市民の一人として考えた場合、国を超えて各国間の協力は不可欠であると思いますし、これはどなたも異論のないところであると思うわけです。そういう中で、協力の手段としてはさまざまなことが考えられますが、世界から見ると、そのことで、我が国に対する、我々日本に対する期待というのは大変大きなものがあるのではないかと思っております。
 なぜこのことを言うかといいますと、だからこそ、まず、その協力を進めていく、期待される我が日本が、我が国が本当の独立国家としての位置を堅固なものにするため、この今回の有事法制の整備という部分には、そういう観点からは大変大きな意味があるのではないかというふうに考えるところでございます。
 私たちは、実は長崎県は被爆県でありますので、平和のとうとさ等々というのは他都市に比べてよく理解をしている県民であるというふうに私ども考えております。
 私たちは、こういう観点からも、本当に自由にこういう議論ができて、民主的に物事を考え、行動することができる、この大変平和な今、こういう濶達な議論ができる、その自由がなぜあるのかをもっともっとよく考え、この法案のそういう包含した意義をいま一度理解しながら、ぜひ速やかに成立ができるようなことを期待を申し上げたいというふうに考えているところでございます。
 以上で、私からの意見は終わらせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
衛藤座長 ありがとうございました。
 次に、光武顯君にお願いいたします。
光武顯君 本日は、当地佐世保市での地方公聴会の開催、並びに市長として意見を申し上げる機会をいただきましたことに、まずもって御礼と感謝を申し上げます。
 武力攻撃が我が国に対して行われた際の我が国の平和と独立、国と国民の安全確保を目的とした関係三法案が去る四月十七日国会に提出されて以降、国政の場は当然のことながら、広く国民の関心事になりつつありますことは、このたびの法案そのものが国の根幹にかかわる事柄だけに、望ましい状況にあると私は考えるものであります。
 まず、結論から申しますと、私は、今般のいわゆる有事三法案の成立を望むものであり、基本的に賛成であります。
 戦後、国の安全確保策をいかにすべきかという論点については、実りある論議が行われてきたとは必ずしも言いがたい状況にありました。戦前のあしき思いがまさしくトラウマとなって戦後の風潮を支配し、いわばあつものに懲りてなますを吹くの悪弊に陥り、真っ正面の議論がなされなかった経緯は、多くの方が理解されるところでありましょう。
 かかる状況の中にあっても、我が国土が直接攻撃されるという事態は、戦後今日まで幸いにもありませんでしたし、今後も、不断の外交努力によって、極限ぎりぎりまでそのような事態を回避するという姿勢は厳として保持しなければならないと考えます。
 しかし、そのような政治的、外交的努力にもかかわらず、我が国土への武力侵攻が万一行われる事態に対しては、国民の生命、身体、財産を守るための法整備はいかなる国といえども常に用意されねばならないことも自明の理であります。もし、それなくんば、戦乱の国土の中で、混乱と無秩序の世界が現出するのみであります。
 私自身、戦前戦後に多感な青春時代を過ごした一人として、いわば超法規的有事の施策のありように思いをいたしますとき、まことにおぞましき感情を禁じ得ず、国民の権利がないがしろにされてはならないとの思いを強くいたすものであります。
 ところで、御案内のように、佐世保市は、戦前戦後を通じまして軍港都市としての歴史を刻んでまいりましたことは疑いようもありません。我が国への初の米国原子力潜水艦、また原子力空母の寄港が日米安保体制のもと行われた町であり、昭和二十年の終戦から朝鮮戦争勃発までの期間を除けば、戦前戦後を通じて、今日まで一貫して佐世保の町は国の防衛政策の最前線を担ってきていると申し上げても過言ではありません。その結果、基地との共存共生という佐世保市政の基本的スタンスは、多くの市民の理解と協力を得て今日に至っているところであります。
 加えて、本市は、本来県レベルの業務である港湾管理者の任務、保健所業務などのほか、ライフラインの一端を担う水道、交通、病院事業、広域消防行政など、深く広く住民生活にかかわっております。
 前置きが長くなりましたが、市民の生命財産を守ることを本来職務の根幹とする市長の立場として、当該法案の今日までの論議に注視してまいりましたが、今なお全体として不備な点もあり、隔靴掻痒的な説明しかできていないのではないかと思われる点もあるわけでありますが、限りある陳述時間でございますので、焦点を絞り、意見を申し述べるものであります。
 まず、いわゆる武力攻撃事態対処法案の第五条、第七条、さらにはそれに密接に関係する第八条には、地方公共団体の責務、役割、そして国民の協力について、いわば総論だけが述べられており、具体的な事柄については、同法第二十三条で二年以内を目標として関係法整備が図られることになっております。
 まさしく、備えあれば憂いなしとの考え方から、基本的性格を持った法案がまず必要であるとの方針はそれなりに理解できるところでありますが、関係法制の整備が成就するまでの間に、万が一の事態発生を想定し、対処方策を思い描いた場合、今回の法律案と関係法制の整備にタイムラグがあるのは理解しがたいところであります。
 つまり、既存の法制により当座は対処せざるを得ないのでありましょうが、国防の要諦ともいうべき国民の安全確保策が、後回し、将来のこととして先送りされていることは、残念ながら憂慮の念をぬぐえないのであります。自治体の長としての私は、事住民に深くかかわる事柄について、早急な、最優先事項として、関連法制の整備が喫緊の課題であると考えます。
 さらに申せば、具体的な一つの意見としてではありますが、このようなことからも、この関連法制の整備が終了するまで、基本法案である武力攻撃事態対処法の施行を待つということができないものかとも思うのであります。
 次に、現下の状況における地方自治体の苦渋を申し上げれば、もし不幸にも武力攻撃を受けた場合、地方公共団体としては、現時点において、国から十分な説明がなされないまま、地方公共団体の役割が先送りのこととして論議されている現状では、たとえ住民から問われても、地方公共団体の説明責務も果たしがたく、かつ、住民の立場からしても、協力に努めようにもできがたいといった、まことに立法の趣旨に逆行する皮肉な結果を招くのではないかと危惧するものであります。
 そう申し上げるには、昨年来私どもの佐世保市が国からの要請を受けてとっております一つの措置があるのであります。これは、テロ対策という、いわば外交、防衛に関する国からの要請として、「米国原子力潜水艦の本邦寄港時における公表に係る要請について」というものが昨年九月二十一日付で外務省から佐世保市に対してあったところであります。
 かねて、米国原子力潜水艦の寄港については、外交上は、一定の文書、いわゆるエドメモワール等により、米国から通常二十四時間前に日本政府へ通報があっており、それを受けて地方自治体である本市へも連絡があっております。今回の要請は、その通報を受けた後、それを市民に公表しないでほしいというものでありますが、当然のこととして、政府とされては、米国からの要請のもと、一定の判断をされ、本市へも非公表の協力を求められたものであります。
 本市といたしましては、あの時点での事態の深刻さもあわせ考え、二十四時間前通報の厳守、本市の放射能測定態勢にいささかの支障も生じさせないことの確約、これらを条件に要請を受け入れたところであります。このことに関し、市議会への報告、説明、また非公表後のたび重なる市民団体等への対応等、多大なエネルギーを傾けざるを得なかったわけであります。
 つまり、こうした例示を挙げて私が申し上げたいことは、国からの要請に際し困惑した状態を生じさせることになったのは、きちんとしたルールなり法的根拠が明確ではなかったことにあるのではないかと考えております。私ども自治体としては、迷いつつも、市民の生命、身体、財産を守る、この一点で協力したというのが偽らざる事実であります。
 例示が長くなり恐縮ですが、どうか、さらに国会での論議を重ねられる中で、この法案の成立過程で地方自治体に対する説明責任を十分果たしていただくようお願いいたしておきます。
 特に、私ども佐世保の市民は、基地との共存共生の中で、国策である国防には、基地が所在しない町では考えられないほどに高い関心を保持しているのであり、また、日常的に住民の保護という面に緊張感を強いられております。それだけに、基本的法案の必要性は当然のこととして、あわせて、いわゆる国民保護法が一日でも早く整備されることを願うのであります。
 今後、地方議会においてもこの法案をめぐる論議が活発に行われることが期待されます。そうした中で、十分地域住民にも事の重大性を御認識いただけるように私どもも努めなければなりませんが、国会におきましては、どうか党派の違いに拘泥されることなく、入り口でとどまらず御議論を進められるようお願い申し上げ、私の陳述を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
衛藤座長 ありがとうございました。
 次に、茅野丈二君にお願いいたします。
茅野丈二君 茅野でございます。
 本日は、どうもありがとうございます。
 まず初めに、有事関連法案というものを考える際に、忘れてはならないことが三つあるだろうと思っております。
 一つは、かつて日本では、昭和の初めから敗戦に至る間の二十年間において、戦争遂行のために、治安維持法を初め多くの法律がつくられました。その結果は、国民が、法律の持つ大きな力と、それがみずからに向かってきたときの恐怖を体験したはずです。
 二つには、日本は世界で唯一、戦争放棄というすばらしい理想を掲げた憲法を持っております。二十世紀の二つの世界大戦を通して数千万の人々の命が奪われました。人々は、二度と戦争を起こしてはならないと決意したはずです。日本国憲法の根底には、その教訓が脈々と流れていると考えております。
 三つには、戦争というものが、どれほど恐ろしくて、いかに悲惨であるかということです。
 私は、長崎で生まれ育ちました。幼いころから原爆の話を父やおばあさんからいろいろと聞いてまいりました。七万人を超す人が一瞬にして命を奪われたのです。その後、それに倍する人たちが後遺症に苦しみ、今日に至っております。それは、私たちの想像をはるかに超えた地獄絵図ではないでしょうか。私は、この恐ろしい悲惨な戦争を二度と起こしてはならない、そういう立場で話を進めていきたいと考えております。
 有事法案の研究は昭和五十二年から開始されています。当時は、ソ連が北海道あるいは日本の海岸線に上陸してきたらどうするか、このような検討がされていたと思います。今回出された法案の多くの部分は、その当時に研究されたものだろうと考えております。しかし、ソ連が崩壊し、米ソの冷戦構造が消滅した今、一体どの国が、あるいはどのような勢力が日本に武力攻撃をしかけてくるというのでしょうか。甚だ疑問だと思います。
 それではこの法案を制定する大義名分がなくなってしまいます。小泉首相は、備えあれば憂いなしと言われます。有事法案が必要だと言われております。ところが、政府答弁では、どこが攻めてくるか明らかなことは言えないと言っているのです。憂える対象がはっきりしないのに、何に備えるのか私には理解できません。
 百歩下がって、武力攻撃の可能性は非常に少ないけれども、確かに存在するのであるから備えなければならないだろうという立場に立って、少し話をさせていただきます。
 しかし、この法案は、実は、日本国憲法が成立して以来、これまですべてに優先をしてきた、そして守られてきた国民の基本的人権に制限を加えるものであります。有事にあっては一般国民にも義務を課すというものです。具体的には、物資の保管に罰則を設けたり、私有地内への自衛隊の立ち入りを拒否したり妨害したりすれば処罰されるというものであります。有事においては国民の基本的人権に制限を加えることができるという点で、これまでの法律とは大きく違っているのです。その意味において、有事法案は、戦後成立した法案の中でも非常に重要な法案だと私は考えております。
 そこで、この法案が果たして国民の納得し得るものかどうかということが重要になってきます。
 内容を見てみますと、確かに、有事において自衛隊がどのように行動できるのか、はっきりと書いてあると思います。ところが、その際に国民の命はどのようにして守られるのか、基本的人権はどこまで制限を受けるのか、こういうことについてははっきりなっておりません。
 さらに、政府と地方自治体との関係においても、有事にあっては政府は地方自治体の協力を求めなければなりません。しかし、抵抗があれば首相が代行できるとしております。名実ともに今は地方分権が進められている時代であります。このような一方的な権限のあり方が妥当なのかどうか、ここにも疑問があります。
 さらに、こうした問題について、この法案を審議しようとする現時点において政府と各地方自治体の間で十分な検討がなされていない、こういうことも大きな問題ではないでしょうか。
 次に、この法案は国会が軽視されているのではないかと考えております。今の自衛隊法、PKO協力法、周辺事態法、テロ対策特措法などでは、シビリアンコントロールを確保する観点から、自衛隊の行動に関して国会の事前承認を求めることになっています。しかし、今回の法案では、この事前承認の項がややぐらついております。運用によってはシビリアンコントロールがきかなくなる可能性を含んでいるのです。
 そして、この法案の中で私が最も重要だと考えているのは、国民の安全を確保する、このことを目的としている法案でありながら、具体的にどのように確保するのかということが明らかになっていないということです。
 皆さんのお手元にお配りしております私の資料の中で、二枚目の方に昭和五十三年の防衛白書の一部があります。その四角に囲んだところを見ていただきたいと思います。
 そこには、その当時、この防衛白書の中でも、武力攻撃を受けたとき何よりも優先して考えなければならないことは、国民の安全であり、住民の防衛、避難誘導などの措置が適切に実施されなければならない、このように述べております。さらに、スイスの例を挙げ、公共の待避所の設置や退避要領、食糧、医薬品の備蓄要領、応急手当ての要領などが書いてあります。
 こうした観点から見れば、私は医者ですので、専門分野である医療においても、武力攻撃が起こった場合に、当然多数の死傷者が出るはずで、早急な医療活動の実施が必要となるでしょう。そうしたときに、医療機関の協力や医療スタッフの確保は緊急の課題であります。それでは具体的にどのように対処するのか、あらかじめ決めておかなければならないはずです。こうした国民の生命を守る具体的な方策が書かれていない法案が、国民の生命と安全を第一に考えたというふうには言えないのではないでしょうか。
 以上述べてきたように、私は、この法案は、戦後五十数年の間に検討されてきた多くの法案の中でも、基本的人権の制限という重大な事項を決めるという点で、非常に重要な法案だと考えております。
 また、初めに述べましたが、法律の持つ力は大きいです。決定されるときは、確かに基本的人権のごく限られた範囲が制限をされるでしょう。しかし、一度決まってしまった法律はひとり歩きを始める可能性があります。水戸黄門の印籠と同じように、この法律が目に入らぬかといったような運用がなされないとも限りません。
 それなのに、今回の法案の提出から審議、決定の動きを見ていますと、この重要な法案に対し国民の理解を十分に得ている、そのようには私は考えられません。政府は法案の成立を目指して急いでおりますけれども、法案の具体的な中身が十分に示されず、重要な部分が隠されたままの審議が急がれているのでは、私はこの法案を認めるわけにはいきません。国民との十分な討議や地方自治体の十分な検討も必要であります。
 国民の基本的人権を制限してしまう法案を、国民の理解を得ずに、このように短期間で成立してしまっていいのでしょうか。有事法案は、決して戒厳令とは言いませんけれども、一度成立すると大きな力を持つ法案であり、運用によっては非常に危険な法案ともなり得るものです。
 また、この法案が本当に国民を守るための生きた法案になるためには、国民と政府との信頼関係が不可欠です。国の将来を政府がきちんと担ってくれるであろう、そして常に国民とともに歩んでくれるであろうという信頼関係があって初めてこの法案が生きてくるのではないでしょうか。ところが、最近の政府のあり方を見ておりますと、国民からの信頼を十分に得ているとは言いがたいものがあります。
 以上述べてきたように、国民の基本的人権を制限する重要な法案を、国民を守る具体的な中身を提示されないままに制定することには反対をいたします。武力攻撃から国民を守るという立場を明確にして、具体的な中身を詳細に提示した上で、国民の理解を十分に得られる討議を通して、国民の審判を仰いでいただきたいと考えております。
 以上です。
衛藤座長 ありがとうございました。
 次に、北川誠一郎君にお願いいたします。
北川誠一郎君 私は、長崎短期大学で国際時事問題とか比較文化論等の授業を担当しております。
 この法案が出まして、最初は本能的にちょっと怖いなと思ったところもございました。ところが、さまざまな新聞等、資料等を見まして、この法案が、国民の生命と財産を守るための明確な必要であるという目的を持っていること、また、憲法の範囲内で対処ルールが定められている、これは簡潔に申し上げますが、基本的人権が尊重されており、集団的自衛権の行使を認めていないこと、対処基本方針が国会承認事項となっていること、財産権制約には損失補償措置が設けられていること等説明がございまして、これは納得できることであるということで、考えてみようということになりました。
 私の基本的なスタンスは、条件つきで賛成ということです。
 条件とは何かと申しますと、すぐ本能的におそれが出てきたものは、まず、日本が負の遺産を今抱えていること、それをどのように近隣諸国等の理解を求めながらこの法案を成立させていくかというところに焦点を当てまして、条件ということで述べさせていただきます。
 そこで、日本国民の、また周辺諸国人民の安全が本位であるということ。また、周辺諸国と申しましても、韓国、中国、ロシア等も含めまして、ともどもに豊かになっていくものでなければならない。また、日本の善意の実態を反映させているものでなければならない。そのためには、国内外にもっともっと説明が必要である。このような条件をつけたいと思います。
 なぜそうなのかと申しますと、どのようにするかということで四つ申し上げたいと思います。
 一つは、周辺諸国の十分な理解を得ること。できれば、もっと進んで、同意を得ていただきたい。
 二番目に、日本政府に対する信用が余りない。首尾一貫性がないとよく指摘されます。幾度となくぶり返す歴史認識の相違と教科書問題、従軍慰安婦問題、靖国神社参拝問題等々が解決もしくは十分な理解が得られないままになっていながら、北朝鮮の核疑惑、ミサイル開発、不審船問題、北方領土問題等々の外部からの脅威のことを示しても説得力がないのではないか。
 三番目、国と国とは約束事の上で動くが、歴史認識の相違や隣国の日本に対する国民感情やイメージは、約束事だけでは片づかない。
 四番目、現在の国会議員の金銭スキャンダルや防衛庁個人情報回覧スキャンダル等々と続いて、日本国民の政府に対する信頼が損なわれているところがある。当該法案とは別問題でありますけれども、国民感情やその悪いイメージは無視できないということです。
 次に、なぜこの条件をつけるのか、これは二つ申し上げたいと思います。
 一つは、私が長崎短大で、在籍する留学生の皆さん及び日本人の学生さんに授業で学習会を行い、討論会を行いました。その結果、留学生では反対意見が多数を占め、日本人学生については、賛成が反対意見を上回ったものの、両者について考えさせられる反対意見、慎重意見も見られました。資料を持っていらっしゃる方は、二ページ目にその結果が出ております。
 留学生が、回答者数三十三名で、ほとんどが反対。日本人は、三十三名で、賛成が十五名、反対が八名、どちらでもないが十名おりました。
 その賛成理由として、留学生は、有事のときに自衛隊をシビリアンコントロールできる法律を持つことは当然である、これは各国で当然であるから持ってもよろしいんじゃないかと。二番、韓国人として反対だけれども、国民の命を保護するためだから持っておいた方がよい。
 日本人。起こってからでは遅いので、今から決めておくべき。抑止力にもなる。侵略を予防する法律をつくるべき。自衛隊が勝手な行動に出るかもしれないから、自衛隊の存在や権限、機能をはっきりさせておくべき。法制が整備されれば、日本ももっと世界に向けても活動できるようになり、もっと貢献できる。日本は、過去に大きな過ちを犯し、他国にも自国にも多大な被害をもたらした。このことをきちんと反省した上であれば、この法律をコントロールできると思う。
 反対理由。
 留学生。一、シビリアンコントロールとか国民保護とか聞こえはよいが、何か裏があるような、この法律だけでは済まないような気がする。信用できない。二つ目、昔から日本は隣国を侵略したことがあるから、このような法律をつくり、戦争の準備をし始めるのではないかと懸念する。三番目、専守防衛で自国のみを守ると言いつつ、その範囲が拡大して、自国以外のところで戦争に参加する可能性もある。四番、結局人を殺すことになるから反対。五番目、法律をつくっても、実際、有事になればうまくいかず、自衛隊が自分勝手に動いてしまうかもしれない。有事にならないようにすべき。六番、日本にはまだ好戦的な軍国主義者がいる。将来、法律が別目的で利用されてしまうのでは。七番、今、日本は平和だ、平和である日本を維持して世界平和をつくろうと努力し続ければ、戦争になることはあり得ないし、このような法律のことなど考える必要がないのではないか。
 また、日本人は、ちょっと時間がないので、二番目の、侵略戦争が万が一でもあるという想定になっているが、侵略する国は当然悪いが、そのようなことを許してしまうようなその当事国の隣国、関係国、友好国にも責任がある。このような法律をつくる前に、侵略行為を絶対起こさせないような隣国同士で率直な話し合いを持ち、まずそのような予防システムをつくるべきだ。等々出ました。
 どちらでもない理由として、日本人の方、一番、他国に侵略されても、戦って人が殺し合うのは反対だし、だからといってそのままにしておくのも怖い。侵略戦争を含めて、戦争を絶対起こさせないように予防すべき。賛成すると戦争を肯定してしまうことになるし、だからといって、つくらなければ、いざというときにどのように対応すればよいかわからなくなってしまう等々。四番目、法案が決まっても決まらなくても、戦争が起きたらたくさんの犠牲者が出る。大体、そういう人の命を何とも思わないくせに、偉そうにしている政治家が嫌いだ。日本人も他国の人も、戦争が起きたら悲しむ人がふえるだけ。何もしないのが、現状維持が一番よい。等々が出ております。
 これを見ますと、資料の一番最後に書いたんですけれども、最も参考にしなければならないと思うのが、どちらでもないと。現在、反対か賛成かで議論がされておりますけれども、私も一般市民、学生も非常に若い、ほとんど女性の学生さんです。その学生さんが、侵略してもされても、それを押し返しても人を殺すことになる、犠牲者が出るということを考えております。
 ここで考えなければならないことは、この法律をつくったところでそういう犠牲者を出してしまう、そのようなことを防いでほしいという心の中の葛藤が非常に感じられること。これを国会議員の方にぜひ伝えていただきたいということも出ました。
 次に、私、国際関係をやっております点で、一つ申し上げさせていただきたいと思います。
 三番目に、現在のグローバル化した情報時代の国際関係を見る三次元のチェスボードゲームとあります。これはハーバード大学のケネディ・スクールのジョセフ・ナイ教授のものですけれども、ホームページもそこに出ております。アメリカが中心になっていますが、日本がアメリカ、隣国、その他の国々に理解を得、友好関係を形づくり、当該法案の隣国理解を得るために参考になるのではと思いまして掲げました。
 上段ボード、中段ボード、下段ボードというふうに分けられているんですけれども、上段ボードでは、安全保障とか軍事、国連等を含む世界システムがファクターとしてある。この本の中で述べられているものは、アメリカの軍事的一国優位性のもとでの国際関係ができている。これは安全保障の面です。中段ボードでは、アメリカ、ヨーロッパ、日本、すぐに中国の四極化された経済関係、これは世界生産の三分の二以上を占めるということで、これが形成されている。下段ボード、トランスナショナルなさまざまな関係、文化、教育、金融などの分野における個人的、グループによる政府の影響が薄い活動が行われる。これは、コンピューターハッカーとかテロ組織による武器輸送等々も含まれております。
 一番最初に、そういう侵略が起こるのであろうかと私は疑問に思ったものですけれども、こういう分析によりますと、下段ボードでトランスナショナルな関係、テロ組織、または、それが中段ボードに、経済、経営等に影響を与え、それが国の一つの主権を侵す可能性を形づくるのではないかという、有事が起きる可能性というのをそれで示されているのではないかと思います。
 ジョセフ・ナイ先生は、現実は、この三次元の複合ゲームで、アメリカのことですけれども、傲慢と偏狭さがアメリカを弱体化させるであろうと警鐘を鳴らしております。
 最後に、安全保障を語る場合も上記のすべての議論が必要であるということ。これを日本国内、国民、隣国に説明するとき、暴力が起きる因果関係を説明することも必要であるということ。
 そして最後に、この統計のどちらでもないの理由の意見から学べることとして、我々市民が持つ、戦争、侵略等が起きた場合に、他者への痛み、苦しみへの想像力、そういうことを持っていただきたい、暴力のエスカレートを防ぐ、そのような精神性を育てていただきたいということを申し上げて、終わりたいと思います。
 以上です。
衛藤座長 ありがとうございました。
 次に、辻昌宏君にお願いいたします。
辻昌宏君 辻昌宏であります。
 本日は、自由党の御推薦により陳述の機会を与えていただきましたことを、ありがたく御礼を申し上げます。ただ、私は、党にも所属をいたしておりませんし、党員でもございません。防衛基地を抱えます佐世保の一市民として、経済人の一人として、意見の陳述を申し述べさせていただきとう存じます。
 私どもの会議所は、重点項目の一つといたしまして、防衛機能の強化をうたっております。これは、自衛隊の海陸空の強化ということと、基地を提供いたしております米軍、米海軍の基地の強化拡充ということでございます。沖縄に米軍並びに自衛隊の基地が集中し過ぎておるということは御案内のとおりでありますし、佐世保はもともと国の西の守りを授かった要衝の地でありますが、かつての戦前と現状の規模あるいは人員を比較いたしますと、比べ物にならないぐらい、まだ少ないということでございます。
 そういう意味で、独立国家といたしまして、自分の国は自分の国が主体となって守るという意味から、そしてまた、北の脅威がなくなりました今日、佐世保の地政学的な位置づけというものは十分に御理解いただけるものというふうに考えております。
 まずもって、今回の有事法制につきましては、基本的に賛成でございます。
 したがいまして、第一といたしまして、有事法制は必要であるということでございます。有事法制を整備しておきませんと、有事の際、いざというときに、何か起こったときに慌てて緊急立法をし、与野党ですったもんだを繰り返している間に、タイミングを失し、自国や国民にとって取り返しがつかない重大な損害や悲劇をもたらす危険性があるばかりではなく、他国の支援、救援もタイムリーにならず、結果的に、莫大な国費を使って信用を失墜するということになりかねないということであります。
 二つ目といたしまして、安全保障の原則確立の重要性であります。
 有事法制がこれまで整備されなかったのは、私は、政治の重大な怠慢ではないかというふうに思うわけであります。戦後の我が国の平和と安全について、国会の不毛の論議の結果であります。すなわち、申しわけありませんが、自民党、社会党のいわゆる五五年体制を通じて、戦争か平和か、あるいは自衛隊が違憲か合憲かといったような論議が繰り返され、我が国の安全をどのように確保していくのか、そのために自衛隊はどのように行動するのかといった大事な論議が置き去りにされてきたということであります。
 我が国の安全保障の原則、自衛隊の行動の原則といったものが明確にされてこなかったため、湾岸戦争時の多国籍軍への参加につきましても、PKOの参加協力についても、先般の同時多発テロの際も、自衛隊派遣はいたしましたものの、一般の自衛隊の派遣はよろしいけれどもイージス艦はいかぬなどという、まことに理解に苦しむ横やりがあって、結果として派遣の効果を大きくそいだということは、まことにナンセンスであり、残念のきわみであります。どのように日本が行動すべきなのかという基準のないままにその場の対応を繰り返してきたというのが現状ではないかということであります。
 我が国の場合、過去の戦争経験や国民感情を考えましたとき、自衛権の行使はあくまでも抑制的に行うべきであろうかと思います。我が国の安全が直接脅かされる直接、間接侵略、またその危険性が高い場合、周辺事態にのみ自衛権を行使するという原則を明確にすべきであるということであります。
 あわせて、日本独自で防衛するというのは現実的ではないのではないか。日米同盟により我が国を防衛することであり、日米安保体制の信頼性の向上を図るというのが二つ目の原則であろうかと思うわけであります。
 三つ目に、自衛権の行使とは別に、国連の平和のための活動、すなわち多国籍軍、PKOなどは、仮に武力を行使することがありましても、それは国際社会が平和を回復、維持するための活動であり、憲法が禁じます国権の発動には当てはまらないということになろうかと思います。国連の平和活動には積極的に参加協力するという原則を明らかにすべきであるというふうに思います。安全保障の原則、我が国唯一の実力組織であります自衛隊の行動の原則が明らかでない。有事法制とあわせまして、これらを明確にすべきではないかというふうに考えます。
 政府提案に対します見解といたしましては、有事法制は必要である、いざというときに国民の生命財産を守るという原理原則にのっとっていただき、法制の整備が必要であろうというふうに思います。今の我が国が置かれております国際環境、そして、起こり得る事態を想定して、真に有効な体制を整備することが必要であると認識をいたします。
 すなわち、我が国への武力攻撃事態を含めました直接、間接の侵略、大規模テロ攻撃、あるいは大規模なサイバーテロ、そして不審船、海賊船あるいは武装強奪集団といったようなものへの対応、地域全体を席巻いたします大規模な災害、全国的な疫病の発生などなど、国民生活に極めて重大な影響が及ぶおそれが生ずる事態につきましては、これを非常事態と認定し、対処措置を講じていただきたいというふうに思います。
 今日、武力攻撃事態そのものが複雑化、多様化、そして頭脳化、悪らつ化しようとしております中で、有事の概念のあり方を拡大再検討する必要があろうかと思うものであります。
 三番目といたしまして、緊急事態に真に機能する体制の構築であります。
 政府案としては、武力攻撃事態に至ったとき、基本方針を策定して対策本部を設けるということでありますが、そのようなことではなく、常時、内閣にあらかじめ常設の非常事態対処会議を設置していただくべきではないか。そうすることによりまして、迅速性あるいは統率性を求めていただけるものと思うものであります。
 内閣の権限の確立でございますが、政府案では、防衛出動や対処措置の終了が内閣総理大臣の判断にゆだねられておるということでありますが、これも、諸外国の例に照らしまして至極当然のことというふうに思うものであります。非常事態に際して、内閣の権限を強化していただき、内閣の判断で迅速、的確に非常事態に対処していただくべきであろう。そして、それらは、国会によるチェックやコントロールのもとに行われるということが好ましいと思うものであります。
 最後に申し上げたいわけでありますが、同じ敗戦国でありますドイツは、今から既に四半世紀も前に有事対応の法規制定を済ませております。そして、普通の国として立派にNATO諸国とともに有事の対応を果たし、その国際貢献は見事に諸外国の高い評価を得ておるわけであります。
 非常に口幅ったいようでございますが、言うまでもありませんけれども、国を治めることは、国政に携わっていただく先生方の崇高な使命であるというふうに思います。決して問題の先送りをすることなく、与野党一致していただきまして、立法を実現していただき、我々国民の生命財産をしっかりと守っていただくようお願いを申し上げまして、陳述を終わります。ありがとうございます。
衛藤座長 ありがとうございました。
 次に、前原清隆君にお願いいたいます。
前原清隆君 御紹介いただきました前原と申します。
 長崎の大学で憲法の教育と研究に携わる者として、常々心に刻んでいる言葉があります。それは、不戦の誓いを日本国の憲法から取り外せば、何よりもまず我々は、アジアと広島、長崎の犠牲者たちを裏切ることになるというものです。そこで、きょうも、そのような観点から法案についての意見を述べることとしたいと思います。
 さて、初めに、私がきょう、これだけはぜひお伝えしたいと思ってまいりましたのは、長崎の被爆者の方々の声です。本委員会での法案審議が始まって間もなく、被爆者団体である長崎原爆被災者協議会の理事会において法案に関して決議が上げられていますので、趣旨を御紹介したいと思います。全文は、レジュメの参考資料として一応つけておきました。
 この決議は、さきの大戦で人類初の核戦争によって悲惨な被害を体験し、今なお悲しみ、苦しみを引きずっている私たちは三法案に反対しますと述べています。その理由としては、私たちは二度と私たちのような戦争犠牲者がつくられることを断じて許すことはできないのですという観点から、これらの法案が再び私たちを戦争に巻き込むのではないかとおそれるからですと述べています。
 そのようなおそれを被爆者の方々はなぜ持たれるのでしょうか。また、そのおそれは根拠のあることでしょうか。この点、決議は次のように述べています。
 「残念なことに、世界の最強大国は」、これがアメリカを指すことは言うまでもありませんが、「世界の最強大国は特定国を名指しで「ならずもの国家」「悪の枢軸」と呼び、それらの国々に対しての通常兵器による攻撃はもちろん核兵器の使用をも公言しています。この国がわが国の「周辺」で武力を行使したとき、国内にその国の出撃基地をおき、その国を「後方」で支援するわが国にも武力攻撃を受ける「おそれ」が生じたり、武力攻撃を「予測できる事態」が生じることは、想像できないことではありません。」
 テレビで法案に関する討論会などを見ていますと、同趣旨の危険性を指摘する意見に対しては、法案推進の側からは、大げさだとか国民を惑わす議論だなどと一笑に付されることが多いように見受けられます。委員の皆様は、今御紹介した被爆者の方々の想像を、果たして同じ言葉で退けることができるでしょうか。
 私自身は、被爆者の方々のこの想像はまさに正鵠を得たものだと考えていますし、法案に反対の立場を共有しています。
 そこで、以下、法案に関する意見を述べたいと思います。
 私の意見は、今のところ、全国の約一千百名の賛同を得て、本日の午後、東京で発表されることになっている「有事関連三法案に反対する学者・研究者共同アピール」をもとにしていることをお断りしておきます。これにつきましても、必要な部分のみですけれども、資料としてつけておきました。
 さて、小泉首相は、三法案を提出する理由として、日本が万一武力攻撃を受けた事態に備えて対処する法制を整備しておくためと述べています。備えあれば憂いなしと言われますと、四十五年前の諫早水害や二十年前の長崎大水害でそれぞれ数百名の犠牲者を出した長崎県民には説得力がありそうです。しかし、憂いをなくすためには備えるしかない自然災害と、防ぐことができ、それどころか、防ぐことが憲法によって求められている戦争とを同列に論じてはならないでしょう。
 私は、そもそも、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意して戦争を放棄した日本国憲法のもとで、政府が戦争の備えをすることは、冒頭に紹介した言葉で言えば、アジアと広島、長崎の犠牲者たちを裏切ることであり、許されないと考えています。
 しかし、ここでは、なるべく法案に即した形で意見を述べることとします。
 まずもって問題になるのは、攻められたときにいかに対処するかを定めたものであるという法案提出理由が、果たして額面どおりに受け取ることができるのかどうか、もし額面どおりでないとしたら、一体本当は何が目的なのかであります。
 武力攻撃事態法案は、武力攻撃事態の定義にあるように、日本に対する武力攻撃が発生したり、そのおそれのある事態のみでなく、武力攻撃が予測されるに至った事態をも武力攻撃事態に含め、法を発動するとしています。
 その際、注目せずにはいられないのは、周辺事態法によりアジア太平洋地域で展開される米軍の軍事行動に日本が後方支援に加わった場合、すなわち周辺事態は武力攻撃事態に含まれると政府が答弁していることです。
 この二つの組み合わせが意味するところは極めて重大です。なぜなら、周辺事態法等によって米軍の戦闘作戦行動に対して日本が後方支援を開始すると、時を移さず、武力攻撃が予測されるに至った事態が生じたと判断されて、この法が発動され、地方自治体や民間の動員がなされる、そのための道が開かれるということにほかならないからです。
 日本が外部から大規模な武力攻撃を受けるおそれがほとんどないことは、政府も再三認めています。それに対し、米軍がイラクや朝鮮、台湾海峡での紛争に軍事行動を起こし、それを日本が後方支援する事態というのは、近い将来極めてあり得ることではないでしょうか。
 ことし一月のブッシュ大統領の悪の枢軸発言に対しても、小泉首相は、他国の指導者とは違って理解を示しました。一方、つい最近の報道でも、アメリカ大統領は、対テロ戦争では積極的な先制攻撃が必要と演説しました。これらの事実を重ね合わせたとき、先ほど述べた予測が的外れだと委員の皆様は言い切れるでしょうか。
 しかも、アメリカの新しい核戦略に関する分析によれば、ブッシュ政権は、核兵器使用の敷居を下げ、通常戦力に近い兵器として組み込み直そうとしており、イラク、朝鮮、台湾にかかわる事態という、まさに日本にとって身近なケースにおいて核兵器が使用される可能性が最も高いと考えているとされるのです。地方自治体や民間が動員されることが避けられないのは、こうした事態においてなのです。
 このように、法案は、首相の言うように、日本に対する万一の武力攻撃に備えるものというより、日本がアメリカの軍事行動を後方支援するために国民を動員することを目指したものであり、それによって、逆に、世界の戦争を拡大し、ひいては日本への武力攻撃を招く、すなわち憂いを呼び寄せる危険性をつくり出すものだと考えられます。これが、法案に反対する第一の理由です。前に述べた被爆者の方々の想像は、妄想どころか、さすがに鋭いと言うべきかと思います。
 次に、法案に反対する二番目の理由です。第一の理由が、何が有事かという武力攻撃事態の概念をめぐる疑問にかかわるものであるのに対し、第二の理由は、だれがそれを判断するのかという、事態の認定のシステムをめぐる疑問にかかわります。
 法案は、武力攻撃事態の認定、さらには武力攻撃事態に際しての対処基本方針の策定を、国会の審議を経ずに、事実上内閣総理大臣と安全保障会議に参加する少数の閣僚にゆだねています。対処基本方針は、閣議決定後直ちに国会の承認を受けなければならないとしていますが、対処措置そのものは国会の承認なしに開始できる仕組みとなっています。
 日本の戦争状態への突入の可否や国民の動員体制を決めることは、この上なく重大な決定です。それが、主権者国民の代表であり、それゆえに国権の最高機関とされる国会の審議抜きに、ごく少数の閣僚によって実質的に決定されるというようなことが、国会の権能と責任に照らし、認められるでしょうか。私は、それは民主主義に著しく反すると考えます。
 なぜなら、首相や官房長官はしばしば、政府を信用してほしいとか、自国の政府が信用できないのは不幸なことだとおっしゃいますが、民主主義の要諦とは、アメリカ独立宣言の起草者、トーマス・ジェファーソンの言葉にもあるように、自由な政府は、信頼にではなく、猜疑、つまり警戒心に基づいてつくられるということにあると信じるからです。
 委員の皆様に対してこれ以上一般的なことを述べるのは、釈迦に説法のそしりを受けるでしょうから差し控えます。しかし、戦争にかかわる決定を少数閣僚、いわゆる政府首脳にゆだねることができるかというこの懸念は、残念ながら現下の情勢では非常にリアリティーを持つに至っているのではないでしょうか。
 申すまでもなく、インドとパキスタンとの緊張の高まりが報じられ、最悪の場合、核戦争で一千二百万人に達する死者が懸念されているというそのさなかに、あろうことか、非核三原則の見直しに対して開かれた発言が、ほかならぬ官房長官によって行われたからです。また、防衛庁も、情報公開請求者の個人情報リストを組織ぐるみで作成していたという重大な問題を引き起こしました。
 官房長官という、有事法案の答弁責任者であり、武力攻撃事態の認定及び対処基本方針の策定という、この上ない重大な決定に関与する立場にある人の今回の発言は、とりわけアジア諸国に誤ったメッセージを発したことは、報じられているアジア諸国の反応を見ても明らかです。防衛庁の事件は、有事法案担当省の人権感覚の欠如、ひいては国民敵視ということにも連なっています。
 憲法研究者ほど猜疑心を持って有事三法案を見ない一般の国民でも、官房長官の発言や防衛庁の事件に直面して、この法案は少なくとも今は制定の時期として最もふさわしくないと考えているはずです。それだけでも法案は廃案とされるべきだと思います。
 法案については、ほかにも、人権保障、地方自治など、憲法の基本原則にかかわる問題点を指摘する必要がありますけれども、時間ですので、以上で法案反対の私の意見陳述を終わります。
衛藤座長 ありがとうございました。
 次に、舟越耿一君にお願いいたします。
舟越耿一君 よろしくお願いします。
 私は、五つの観点から意見を述べます。
 まず、なぜ今有事法制なのかという視点です。
 私の授業をとっています学生たちが、有事法制に関するアンケート調査をしました。サンプル数八百八十七ですから非常にしっかりした調査なんですが、有事三法案の内容を知っていますかという質問に対して、学生は六一%が知らないと答えています。市民も五〇%が知らないと言っています。それから、有事関連三法案の目的は何だと思いますかという質問に対しましては、テロや不審船に対処するため、あるいは大規模災害に対処するためというふうに答えた学生が四四%おります。市民の方も三七%そういう認識であります。
 つまり、今なぜ有事三法案の提出なのかということがほとんど理解されていないと私は考えています。それは、政府の方で常に一般論のみが展開されているからだと思います。
 しかし、私は、有事三法案の本当のねらいは、平和だから有事法制の整備をではなくて、インド洋に自衛艦を派遣していますように、日米の間での軍事協力が進行し、アフガニスタン攻撃をしている米軍を日本は支援しているわけで、その面では日本は戦時下にある、その戦時下であるからこそ、もう一段の有事法制の整備が必要なのだというところが本当のねらいではないかと考えています。
 それは、武力攻撃事態法案に言います、おそれのある場合と予測の事態、これが周辺事態と併存するという国会、政府の答弁、そこに明らかではないかと思います。周辺事態における米軍に対する後方支援、それと国内における陣地構築などの臨戦態勢づくり、それが重なり合って有事対処の国内体制をつくるというところに私は本当のねらいがあるのではないかと思いますが、それが焦点化されていないのではないかというふうに考えます。
 もう一つは、二番目ですが、自衛隊法の改正案は、私は荒唐無稽だと考えます。さらに、時代錯誤だと考えます。
 敵が上陸してきたら陣地を構築して交戦する、そういうような戦争というものは国民は考えることができない。しかも、そういう戦争を想定するというのは、非常に私は冷戦的な思考ではないかと思います。しかも、自衛隊法の改正案を見ますと、国民の生命財産を守ると言いながら、そういう規定はありません。土地、家屋を破壊され、物資の保管命令が出され、従事命令が出されます。ということは、結局、自衛隊は市民一人一人を守るのではなくて、その犠牲の上に国家全体を守る、そういう基本姿勢が出ているのではないかと思います。
 多くの国民は、日本本土への武力攻撃、そんなことは絶対にあってはならないと考えていると思います。そういう事態がないようにしていただくことが政治の使命ではないかと思います。
 三つ目の視点ですが、戦争を容認する気分が非常に蔓延しているように思います。それは、昨年の対米同時テロと報復戦争以降広がっていると思いますが、報復のための戦争あるいは人権や正義を守るための戦争、それは正しい戦争であると考えて、それを容認するような時代の雰囲気があると私は思います。
 しかしながら、テロの原因をそのままにしておいて、これを軍事力で制圧するというような考えは間違っていると思います。テロの背景には、パレスチナ問題とグローバリゼーションがあります。そこのところを置いておいて軍事力で問題を解決しようというのは、私は間違いだと思います。
 その点、憲法前文をしっかり読まなければいけないと思います。専制と隷従、圧迫と偏狭をなくす、世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れる、そのために日本は努力するというふうに憲法前文に書かれております。そういう観点から、戦争を容認する雰囲気というのは私は非常に危険だと考えています。
 四つ目の視点ですが、有事法制の議論がされておるときに、政府首脳は非常に重大な発言をされました。
 安倍官房副長官は、先制攻撃を完全に否定していない、攻撃に着手したのは攻撃であり、基地をたたくことはできる、憲法上は大陸間弾道弾も核兵器も問題ではない、戦術核を使うことも違憲ではないというふうに講演で話されたと報道されています。福田官房長官も、将来、国際情勢が緊迫化したり国民世論が変わってくれば、非核三原則が変わることがないとは言えない、そういう発言をされたというふうに報道されています。
 私は、結局、自衛戦争を認めると、先制攻撃も可能、そして核兵器の保有も可能というふうに、結局は際限のない戦争への道を歩んでいく、そういうことがあり得るということをこの政府首脳は発言しているんだと思います。非常に危険だと思います。
 最後の視点ですが、私は、いま一度憲法の初心に返ることが大切だと思います。
 憲法の初心とは、二度と戦争はしないということであります。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキという言葉もその初心を表明しています。いかなる戦争であれ、してはいけないという平和主義であります。
 アメリカが大変なテロに遭ったわけですけれども、あれは、世界最強の軍事力をもってしても自国民の安全と生命を守れなかったという証明であります。幾ら有事法制を整備しても守れない、そういう世界の状況にあると思います。
 憲法九条の見直しをということが底流にあると思いますけれども、憲法九条は、世界のNGOの活動の目標になっているということを御想起いただきたいと思います。
 一昨々年、ハーグで平和市民会議が開かれました。私も参加しました。そこで、二十一世紀を展望して、公正な世界秩序のための十の基本原則というのを採択したんですけれども、十の基本原則の第一原則に次のようなものがあります。各国議会は、日本国憲法第九条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきであるというものであります。世界のNGOは、自分の国に憲法九条のようなものを決議させたい、そういうふうに願ったわけであります。
 私は、日本国憲法の平和主義こそ平和のための備えだと思います。そして、核時代にあっては、それしかないと思います。決してユートピアではないと思います。
 以上の視点から、私は、三法案を廃案にしていただきたい、そして有事法制の要らない国づくりをやっていただきたい、そういうふうに考えます。
衛藤座長 ありがとうございました。
 次に、千田稔君にお願いいたします。
千田稔君 ただいま御紹介いただきました、橋本商会の社長室長をしております千田でございます。
 私、どの党派の党員でもございませんが、保守党から御推薦いただきまして、心から感謝申し上げます。
 私の論といいますのは、全く賛成の立場でございまして、必要なことはもちろんのことですが、逆に、これまで怠慢であったと思うのですね。それは、制定は遅きに失しているというぐらいでございます。
 平和の今の時点で法案審議をするということこそが時宜にかなったやり方であると思います。なぜなら、先ほどある方からもお話がありましたように、危機が差し迫っていていかほどの冷静な議論や正鵠な審議というものが行われるか疑問でございます。このように一見平時と見られるときだからこそ、危機時、非常時を想定して大いに議論をして、人権等への冷静な配慮のきく法案を確定してもらいたい、こう思うのであります。
 五十七年日本は平和に過ごしてまいりました。しかし、これは、かなりの部分がアメリカの力の庇護のもとにあって達成されたものでございまして、そのことが、ある面では幸せでもあったし、ある面では、平和などというのは平和憲法だけを口にすればすべて達成されるんだというマイナスの、不幸の面も持ってきたと私は思っています。
 以下、論拠について申し上げたいと思います。
 自衛隊というものは、国家危機あるいは国家非常時に備えて対応する有力な危機管理実行機関であることは疑いの余地がない自明のことでございまして、その国家非常時というのは、大規模な自然災害です。あるいは人為的な災害ですね。こういったものに対処するためにあるんです。それがなかったら不要なものです。
 意図ある危機というものは、最大のものが戦争です。あるいはテロであります。大規模テロ、あるいは武装難民、工作活動等があるでしょう。そういったものへの備えだと思うんですね。意図のない人為的なものというのもございます。それは、大規模な航空機の墜落ですとか、一般の企業では回復ができないような、そういったものへの対処だと思うのです。
 自衛隊の国家における地位、役割についてもっと掘り下げますと、他の手段では救助、復旧等ができない場合に自衛隊を使用することになっているものと理解しておりますが、自衛隊は、国家非常時に国家が使用する最後の手段、切り札、これっきりしかないという最後の手段だと考えるのです。これを持っていないものは国家にはないはずです。
 この自衛隊に地位、役割を与え、これを必要に応じて使う、使わないという判断をし、あるいは運用するもの、それこそが政治であります。これも論をまたないところだと思うのですね。いわゆるシビリアンコントロールというのも、その本質はポリティックコントロールのはずです。
 目下の自衛隊における訓練というものを見てみますと、いかなる状況下でも任務を達成し得るようにという、各種状況に適応するための極めて幅広い、基礎的部分を訓練しているように見えます。新しい任務や状況下での任務達成には、そういった平素の訓練を踏まえて、その新しい状況というものをつかんで、最悪事態に修正をして対処するというような姿勢で臨んでいると思うのです。
 今次法案は、最大の人的災害と見られる戦争への対処法でございますが、やや時代おくれ的な部分を含んでいることは否めないと私は思うのです。時代の方が先行していると思うのです。それは、状況が許していなかったんじゃないかと思うのですね。自衛隊に、いかにしたら、某国に攻撃されるという非常事態において、最小限の被害をもって、迅速、効率的に運用して、最大の効果を得さしめるかというふうに考えた面からの法案であるとも見ることができます。
 今のままだと、部隊がどうしてよいか迷うであろうと僕は思うのですね。そして、行動するに当たっては、本当に、どうしていいか迷って、ちゅうちょして、そして時間の経過を待つだけに終わる可能性があります。これは非常に危険だと私は思うのです。
 したがって、自衛隊の諸行動を当該法案に基づいて訓練させて、そしてその手続等もしっかり認識させて、そして戦力を発揮できるところまで持っていって、新しい状況、全く予想した状況というのは起こりませんので、新しい状況に応じてこれを応用または援用させて戦力発揮をさせたらいいと思うのです。
 訓練に多大の時間が必要となることはわかりますよね。とにかく、どこで何が起ころうとも、自分らでも、例えば災害が起こって、地震、雷、こういうときに一体どうしていいか、大体こういうものはこれでわかっていると思っているけれども、自分の持つものもとりあえず、うろたえて、下着一つで飛び出す可能性が往々にしてあります。そういうものを的確にできるようにしていくには訓練が要るわけですよ。これには時間がかかると私は思います。
 したがって、法案が決定されれば自衛隊がその法案どおりに動くと考えるのは間違いでございまして、非常に時間ラグ、タイムラグがここにはあると私は思っています。
 危機管理の要訣というのは、言うまでもなく、釈迦に説法で申しわけないと思いますが、備え、すなわち安全保障の体制を一刻も早くとって、そしてその体制下で不安を除去して、まくらを高くし、あるいはくつろぐことであって、諸措置をとらずに不安を抱えながら生活するというのは、人としてとるべき道ではないと私は思っているわけでございます。そのことを一般に人は、備えあれば憂いなしと一般用語で言うのだと思うのです。
 冷戦末期のNATOとワルシャワ・パクトが非常に緊張した時期、一九八四年から八七年ごろ、私はヨーロッパ、ドイツに勤務した経験があります。NATOサイドの戦える体制、あるいは軍が縦横に動き、戦力を発揮できる態勢、これをとっておりました。この演習は公海でございました。言うならば、NATOがやる演習には、ワルシャワ・パクトの武官だとか軍人の代表者とか、そういった者を見に来させておりましたが、そのことが、これは戦える国だとか、戦える軍隊だということを相手に知らしめ続けていた、そのことが抑止力として核以上に第三次世界大戦を抑止し得た根本の問題だと私は信じています。
 であれば、一刻も早く今次法案を制定して、まず自衛隊を飾り物から真に役立つものにして安心を買うべきではないか、こう思うのです。そういう点から、NATOだとかドイツの抑止達成の歴史、史実を勉強されて、諸先生には与野党協力でこういったものは対処していくべきである、こう思うのです。
 最近の危機は、さきの大戦前とは異なり、規模が極めて大きく、かつ非常に速いテンポで迫り、また進捗していきます。九・一一のあの事案を見ても、アメリカの大テロ、瞬時です。しかも、規模は大規模です。何かの事件の発生やきっかけを待って、脅威が出てきたところで考え、処置すればいいといったときには、事は終わっています。
 したがって、こういうときこそ、十分な時間がある、差し迫っていない脅威、こういったときにしっかり、国民としてどうあるべきか、我々自体の問題だとして考えるべきではないでしょうか。私は、そう思っております。
 次に、民主主義下の法治国家というもので、多数の国民の賛同を得て制定される法律によって国家の方向というものが定まることは民主主義をとる法治国家の基本でございますが、そのことが国家信頼の基本と考えなければならないんだろうと思うのです。
 法の定めがない状況下で非常事態が生起すれば、自衛隊は手をこまねき、座して侵略部隊を迎えるでしょうか。私は、自衛隊が存在する以上、このときは危機だと思うのです。何らかの行動をするだろうと推測します。しかし、その行動は、今のままではすべてが超法規的行動になる可能性があります。それを超法規的行動にさせないこと、それは政治の責任だと思うのです。
 この政治の責任とは何か。それは、法を制定してやって、その手続を明確に示してやることです。それが第一の政治責任だと思うのです。それをしなかったら、自衛隊は超法規的に行動し、あるいは何をするかわからない。こんなことは許されないです。それだけならばともかく、それが終わった後、日本という国は、超法規的行動をする、言うならば、何をするかわからぬ国家だと、国際的信頼を全く根本から失うと僕は思ってなりません。
 したがって、定めるべきは定め、一つのたがをはめ、そして、しっかり国際信頼を獲得していくべきだと思っております。
 そしてまた、部隊あるいは自衛隊、こういったものは士気というものがあります。いわゆるモラールというものが存在するわけですが、このモラールは、どうしていいかわからないというようなことの中に立ったら極めて低下しますね。そういうことも、精神的な部分もお考えになる必要があると思うのですが、そうしているうちにたくさんの犠牲者を、先ほどの話にもありましたが、戦争してもしなくても、自衛隊が動いても動かなくても、大量の血を流していくだろうと僕は思うのですね。それと同時に、国民自体が血を流すと思います。それなら、その中で最小限の犠牲を払うような立場で取り組むべきだと思うのです。
 最後に、国民のライフライン確保とか国民保護法の整備、国民の協力をこの法案はうたっておりますが、この国民のライフライン確保等の法整備についてもできるだけ早く整備する必要があります。諸陳述者の皆さんたちもこれについてはよく言っておりますが、私は、やはり自衛隊が動くというのは、何のために動くのや、それは国民あるいは国民の生命、身体、財産、あるいは国土の荒廃を防ぐためにあるわけでありまして、その中から、自衛隊は動ける、しかし国民についての庇護というものを余り取り上げないというのは片手落ちと思うのです。
 ただ、先ほど言いましたように、自衛隊というのが動く場合でも、訓練というようなものがあって、タイムラグがありますよと。そういう間に一刻も早く、この部分が同時に、非常に広範で、自衛隊関係の問題はある面では絞られると思いますが、それ以外は諸機関、自治体あるいは省庁間の調整に非常に長時間食われるでしょうから、それは若干おくれるかもしれませんが、私は、これは一刻も早く完成させるように努力すべきではないか、こう思うのです。
 大体、大きいところは以上のようなことですが、民主主義国家の国民の権利と義務という問題で、私は、義務なるものが余りない、日本には徴兵制もない、いわゆる諸国家の、近代国家の中で見ると、非常に恵まれているというか、ルーズな面がございまして、ある面では幸せをエンジョイしているのかなと思うのですが、しかし、非常事態においては国民の権利というのはある程度制限されるのは当たり前です。そして、その後に、最小限の被害でエンジョイできる権利を主張できる世界というのを切り開くべきだと思うのですね。それも、全く平和時だけが存在して、緊急時には何もそんなことは制限しないんだというんだったら、ちょっと正常な頭脳で考えられる問題ではないと私は思いますね。
 したがって、ある程度の制限はやむを得ない、しかし、それが無制限でないようにたがをはめる、これが法ではないでしょうか。そう思っております。
 以上で私の陳述を終わります。
 ありがとうございました。
衛藤座長 どうもありがとうございました。
 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。
 午後一時から会議を再開することとし、この際、休憩いたします。
    午後零時三十四分休憩
     ――――◇―――――
    午後一時二分開議
衛藤座長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 これより委員からの質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田中和徳君。
田中(和)委員 座ったままでお尋ねすることをお許しいただきたいと存じます。自由民主党の田中和徳でございます。
 佐世保市制百周年、まことにおめでとうございます。また、八人の公述人の皆様、本日は、本当に御多忙の中御出席を賜り、それぞれ参考になる御意見を述べていただき、まことにありがとうございました。委員の一人として心より御礼を申し上げる次第でございます。
 私は、沖縄県に次ぐ第二の基地県、横須賀の港とか、厚木、座間の米軍の施設であるとか、とにかくたくさんの軍事施設のあります神奈川県の選出の議員でございまして、基地に関する諸事情や思いについては佐世保の皆さんと共有できるものが多々あるのではないかと思っております。また、きょうもお見えですが、地元の北村誠吾議員からもしばしばいろいろなお話を承っておりまして、きょうは本当に佐世保に来られてよかったな、このようにも思っておるわけでございます。
 各方面から、なぜ今有事法制ですかという声もございますし、一方で、日本では今までどうしてこんな基本的な法整備がなされなかったのかと、こういう意見もたくさんございます。まさしく、私は、お話がありましたように、今までこのような整備がおくれたというのは、何といっても政治の責任が一番だと思っておりますし、私自身、大変責任も感じなければならない、このように思っております。
 それでは、時間の関係もございますのでお尋ねしてまいりますが、まず、サセボコンパス21代表幹事の馬郡さんにお尋ねをしてまいりたいと思います。
 確かに、我が国に対する大規模な国土への侵攻があることを前提としての、以前の冷戦時代に研究された有事法制の中間報告をもとにその法制化を進めることは時代に逆行しているのではないかという批判があることも事実でございます。
 しかしながら、私は、先ほどからお話がるる出ておりますように、昨今の状況を考えたときに、特に米国の九・一一の同時多発テロなどを見るにつけて、冷戦崩壊後の今こそ、武力攻撃の形が、国家間を超えて、まさに千差万別、いついかなる形で国家国民に対する武力攻撃が行われるか、極めて予測困難な時代に突入したな、このようにも思っておるわけでございます。
 そんな時代だからこそ、国内の守りの基本である有事法制の整備を国民の御理解のもとに進めていくことにより、すきのない我が国の国防体制を早期に確立すべきだとも考えておるのでございます。
 馬郡さんは、先ほど、日本の西における守りのかなめである佐世保市民の立場からお考えをお述べいただいたわけでございますけれども、有事法制整備の必要性についてどのように認識をしておられるのか、もう一度お伺いをすることができればと思います。よろしくお願いいたします。
馬郡謙一君 ただいまの田中先生の御質問でありますが、私ども、佐世保に住んでおりまして、自衛隊の皆さん方とのかかわりの中で、自衛隊の皆さん方が精励されていらっしゃることは先ほど申し上げたとおりでございますが、要するに、国がそういう意味で独立国家として生きていく中で、自衛隊の人たちの姿を見ていても、有事立法がないことの方が不思議だというふうに考えているわけであります。
 先ほど私が申し上げましたように、もっと、地球という、世界という規模で見れば、本当に手をとり合ってお互いの平和と安全を守っていくということは必要でありますけれども、それは、何よりも、自国の安全が保障され、そこに住む国民の生活が保障されることが第一だというふうに考えますので、その法制がないということ自体に非常に疑義を感じていたわけであります。ですから、逆に、遅かったんじゃないですかということも申し上げたつもりでございます。
 以上でございます。
田中(和)委員 重ねて馬郡さんにお伺いをいたしますけれども、有事法制に関する必要性やその内容について政府からの国民に対する説明がまだまだ不足しているとの御意見が各方面からございます。私としても、その指摘については同意見を持っておるわけでございます。
 馬郡さんは、サセボコンパス21という経営者の方々による会をつくられて、我が国の安全保障に関して研さんを積んでおられるというふうに私は承っておるわけでございます。大変立派なことだと思います。その立派な経験をお持ちの立場から、どのようにすれば有事法制の整備について国民の御理解がより得られるようになるのか、ぜひこの点についても御意見をお聞かせいただければ幸いだと思います。
馬郡謙一君 先ほど申し上げましたように、世界に目を向けますと、残念ながら、まださまざまな紛争があることも事実でありますので、これは全く仮定論じゃなくして、現実なものととらえて今この時期に考えることであるというのがまず一つであります。
 ただ、先ほど先生御指摘のように、全部を、全文を考えていきますと、先ほど市長もお話しになりました国民保護法制の整備であるとか、その辺は若干、まだまだ今から議論をしていく点があろうかと思いますので、こういう公聴会を通じて知らせしめていくということが大切だというふうに考えております。
 ただ、それより、意義的なものをもう少し国民の皆さんにお知らせをいただきたい。なぜ有事法制かということだけじゃなくて、日本が世界の中で独立した国家であり、治安も含めた中で、守らなければならないもの、国民の財産であるとか、そういうものは、まず形があってからこそ議論をしていくべきだというふうな気がします。法制化が進みまして、また、変えざるものは変えていくべきであろうし、それによって時代も変わっていくであろうと思いますが、ないものの中からは多分何も生まれてこないのではないかというふうに考えております。
 できれば、意義的なこと、先ほど言いました国際という中での意義的なことをもう少しお知らせいただければいいのかなというふうに感じております。
 以上でございます。
田中(和)委員 意義についても、私たちも含めて、しっかりと国民の皆様方に御理解いただけるように努力をしてまいりたいと思いますし、本当に大変いいお話を承ったと思っております。
 済みません、もう一度お尋ねをさせていただきたいんですが、地球市民型の活動という提言をただいまお聞きしたのでございます。日本だけが平和であればいいとか、俗に言う一国平和主義、一国繁栄主義、これはもはや今日とり得ないということは私も全く同感であります。
 現在、我が国も、PKO活動だとかテロ撲滅に対する支援という行動に積極的に取り組んでおるわけでございます。当然に、自衛隊自身もその役割の重要な部分を担うべきことは論をまたないところでございます。
 今述べられた地球市民型の活動として、今後、自衛隊のみならず、政府全体がどのような活動について特に重視をすべきと考えておられるのか、お伺いをさせていただきたいと思います。
馬郡謙一君 実は、そういう意味では、期待も込めてですけれども、日本がそういう各国共通の地球市民型のリーダーになってもらいたいという気持ちが十分あります。といいますのは、国連等を含めても、アジアの中では雄でありますし、世界の中でも類を見ない繁栄を見たわけでありますから、これは当然だというふうに考えているわけであります。
 これは、援助を含めたそういう金銭的なものじゃなくて、今からは、やはり人的な派遣、マンパワーも必要だというふうに考えるわけです。自衛隊が今支援という形で出ていっていただいているわけですけれども、今後は、もっと国民レベルで、そういうボランティアも含めた中で、そういうこともしていただきたいと思っております、協力の中で。
 ただし、その条件となるのは、我が国がそういう独自の国家としての存立をしていくこと、それは、とりもなおさず、この法案が持つ意義がまずはでき上がってからのことだというふうに考えて、先ほどは地球市民型という言い方をさせていただいたわけでございます。
田中(和)委員 馬郡さん、ありがとうございました。確かに、物、金だけではなくて、身をもって、心をもって国際社会の中に貢献できるような、さらに我が国が発展できるように、私たちも責任を果たしていかなければならないと思っております。
 それでは次に、光武市長さんにお尋ねをさせていただきたいと存じます。
 光武市長さんは、我が党の衆議院議員としても御活躍をされた大先輩でございまして、どうぞ、ひとつよろしくお願いしたいと思っております。
 地方公共団体の責務を決めておきながら、責務を果たすための権限や具体的な仕事は、二年以内に整備されるという個別の法制を確認しなければ不明確であり、法案を二年も先送りするということはどうかと、タイムラグについても厳しい御指摘があったわけでございます。
 そもそも、地方公共団体が住民の生命あるいは身体及び財産を保護するその責務については、この法案により新たに定められるものではなくて、もとより地方公共団体に内在している責務を確認的に規定したものと私どもも考えているわけでございます。この法案をもって地方公共団体の新たな義務が課せられるものでは決してありませんが、今まさに武力攻撃事態が発生した場合には、地方公共団体においても、住民の生命、身体などの保護をするための現行の法律を根拠にして、警察、消防の措置など、可能な限りの努力を尽くすことになると私も考えます。
 そのためには、この法案を一刻も早く成立、施行させて、次の国民保護法制を、広く意見を聞きつつもスピーディーに整備していくことが重要であると私も考えております。
 国民保護法制の整備に当たっては、関係機関の意見のほか、国民的議論の動向を踏まえながら、十分な国民の理解を得られるような仕組みをつくることが必要でありますので、法案では、二年を法整備期間内として取りまとめのタイムリミットにしておるわけでございます。しかし、おっしゃるとおりに、早くこれをやっていく、そのためには、今提案されている法律を我々は一刻も早く成立させるべきではないか、このような立場におるわけでございます。
 そこで、今後、国民の保護法制の整備をしていくに当たって、武力攻撃事態において市町村が果たすべき役割はどのようなものと考えておられるのか、もう一度お伺いをさせていただければと思っております。
光武顯君 この問題については、国会でいろいろな議論があっておりまして、私も関心を持って拝聴しているのでありますけれども、事柄が細かくなりますと、個別法案で整備していくというような答弁が再々あっているわけですね。
 私どもも、実は、しからばこの先行する処理法案が通った場合にどうやって対応するのかということになりますと、既存の、それに似たと申しますか、対応できるものとしては、災害対策基本法というものがございます。そこでは、住民の避難誘導だとか警報の発令だとか、そういったようなことがあるので、私どもとして、今のところ、この災害対策基本法、このことでともかくも対応しなければならないのかなというふうには思うんですけれども、しかし、事柄が、戦時体制という中で、経験のない地方自治体の長として、やはり一つの指針なり方向なりというものが明確にならないと、責任を持って遂行することができない、そんなふうに考えます。
 そこで、実はもう一つ、技術的なと申しますか、本質的な話があるんです。
 つまり、国民の権利を保護するということについて、これが並行的に議論されていくとするならば、例えば私どもも、議会において当然質問がこれからあると思うんですね。その質問に対して、今のような個別法ではというようなことになりますと、結局、私どもも、質問に対する答弁は先送りになる。先送りになるということは、実は、ある意味で質問をはぐらかしてしまうということにもなりかねないわけです。
 本来、先ほど来お話がありますように、こういった非常に国の根幹にかかわることですから、全体が真剣に議論をしなきゃならない。その議論をしなきゃならないことが、国民の保護に関する法案がないばかりに我々としてはそこまで踏み込んでやれないということで、実は、この法案自体が国民的な関心になかなかなりにくいのではないか。むしろ、それがあった方が、私どもとしては、あわせて一本でやったらもっと国民はこの問題に対して関心を持つようになるのではないか。技術論と申しますか、そういったこともございます。
 いずれにいたしましても、しかし、我々としては、これから、今日までの国会の議論等々を踏まえながら、地方自治体の、とにかく今日的に果たすべき役割ということについては勉強していかなきゃならない、そう思っております。
田中(和)委員 地方自治体の長のお立場として、私どもも大変重く受けとめていかなければならない御意見だと思います。ただ、先ほど来少しお話ししておりますように、ややタイムラグが出ております理由も市長さんはおわかりをいただいているんだろう、このように思うわけでございます。
 今、大変いいお話を聞いたわけでございますけれども、その中でも、これから我が党としても、スピーディーな対応で国民保護法制をこの法律をつくり上げた後に整備していかなければならないわけでございますけれども、地方自治体の長として、豊かな政治経験をお持ちの市長さんとして、特に留意をしておかなければいかぬな、こういうことがあれば、率直に語っていただければと思います。
光武顯君 私は、介護保険法が通りました際に、佐世保市内でも十数カ所、私自身が出ていって法案の説明をしたり、それから、介護保険料の決め方などが市民の意思と深くかかわっているといったようなこと、そんなことをやりまして、したがって、皆さんにはその辺のことは十分おわかりいただいたと思うんです。
 今日、この法律が、先ほど申しましたように、国民的な関心が徐々に高まりつつあるとはいえ、どなたかがおっしゃったように、学生さんの六割が知らないといったようなことというのは、やはり国家の根幹にかかわるこうした法律だけに、ゆゆしき問題だと私は思います。
 したがいまして、もっと国の方は、多くの国民がこの問題に関心を持つというようなことで、国を挙げてそういった環境をつくり出すように御努力をいただきたい。我々地方自治体も、いずれ我が地方自治体にかかわる問題ですから勉強したいと思うんですが、国がもう少し、こうした問題、国民から賛同できるというようなことをもしお望みであるということであるならば、そういった環境づくりを御努力いただきたい、そんなふうに私は思っているんです。
田中(和)委員 いよいよ時間がなくなりましたので、最後にもう一度市長さんにちょっとお尋ねをしておきたいと思います。
 法案では、地方公共団体が対策本部長の総合調整に基づいて対処措置を実施しないときは、別に法律で定めるところによって内閣総理大臣による指示や代執行ができることとなっております。
 武力攻撃事態において、極めて限定された場合に、万全の措置を担保するためのこうした措置を講ずることは必要であり、地方自治との関係でも特に問題はないのじゃないかな、私はこのように思いますけれども、その点について一言、市長さんに最後にお尋ねして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
光武顯君 一たん事柄がそういった状況の中にあっては、国、地方自治体が協力をして、そしてお互いの信頼関係のもとに事柄を実行していくということは、私は、絶対必要であると。
 ただ、代執行ということになりますと、それは、国と地方自治体の間で信頼関係ができていないというようなことが想定されるわけでして、そうだとすると、やはり代執行は、地方自治法の精神に照らして、なるべくやるべきではない。とすれば、やはり代執行しないような形での十分な信頼関係の醸成に努めるべきだと私は思っております。
 しかし、基本的には、地方自治体としては、この法律の精神にのっとって協力すべきだというふうに思っております。
田中(和)委員 どうもありがとうございました。終わります。
衛藤座長 これにて田中君の質疑は終了いたしました。
 次に、玄葉光一郎君。
玄葉委員 御紹介をいただきました民主党の玄葉光一郎です。
 意見陳述者の皆様に、心からきょうは御礼を申し上げたいというふうに思います。それぞれの陳述がとても大事な指摘をされておられたのではないかというふうに思います。
 冒頭、簡単に、私たちの立場といいますか、考えを端的に申し上げたいと思うのですけれども、緊急事態における法制というのは、私たちは必要だというふうに思っています。さまざまな議論もありますけれども、党内のコンセンサスとして、緊急事態における法整備は必要だというふうに思っています。私自身は強く思っている一人でもあります。
 問題は二つありまして、一つは中身ですね、法案の中身、そしてもう一つは、先ほどから話も出ていますけれども、国民の理解と合意、この問題だというふうに思っています。
 特に、中身という意味では、これもほとんどの陳述者の方がおっしゃったと思いますけれども、いわゆる国民の保護をどうするかということ、緊急事態法制というのは、国家を防衛し、国民を保護する、そういう法律なんだと思いますけれども、その国民を保護する部分が残念ながらないというのが本当によいのかどうかという問題意識は、当初から非常に強く持っているのですね。
 各論を言えば切りがありませんけれども、例えば、国会の関与がこれで十分なんだろうかとか、基本的人権は、確かに一部御指摘がございましたように、それは緊急事態において一定の制約を受けるのは当然なんですけれども、でも、絶対受けない、例えば精神的な自由というのは何なのかとか、その他補償の措置というのが果たしてこれで十分なのかという議論も当然あるだろうというふうに思いますし、いろいろ中身も詰めなきゃいけない議論がありますねと、そう思っています。
 それで、一つは光武市長さんに、これは私だれにも予告していませんが、お尋ねをしたいと思うのです。
 とても印象的な陳述でございました。つまり、一つの具体的な提案、関連法整備ができるまで、仮にこのプログラム法が成立をしても凍結をすべきではないかという、これは極めて具体的な、建設的とも言ってもよいのではないかとも思いますけれども、そういう提言があったわけであります。あるいは、もう一つの考え方として、国民の理解を得るためには、おっしゃったとおり、国民保護法制が出てこないとなかなか関心も出ないと。
 我々は最初からこういう立場なんです。本来同時に出されるべきだよね、でも、出てきちゃった以上、さあ、このプログラム法を議論することで、国益とかあるいは新しい公という精神を、ある意味では正面から国民と一緒に議論しながら、議論を継続していく中で個別法が出て、そこで、ある意味では決着を図るというのも一つの方向ですねという感じも実はしているわけでありますけれども、そういう運びの問題ですね。私は、今のこの時点では、運びの問題というのはとても大事じゃないかと。
 茅野病院長さんも、まさに最後に書いてあるとおり、国民を守るという立場を明確にして、詳細を提示した上で、十分な討議を経て審判を仰いでもらいたい、こういう議論がありました。この運びの問題について、光武市長さんと茅野病院長さんに御意見をいただきたい。
 もう一つだけ、恐縮ですけれども、せっかくなので光武市長さんに。
 ここは米軍も、そして海上自衛隊もあるということです。これもまた、おっしゃるとおり、具体的な法整備はこれから、具体的なアメリカとの交渉はこれからということなんですけれども、結局、自衛隊は、これから適用除外を受ける日本の法律もあれば、逆に言えば、守らなきゃいけない日本の法律も出てくるわけですね。では、米軍はといえば、市長さんは御存じだと思いますけれども、接受国の、つまり日本の法律の適用は受けないというのが一般的な原則。ただ、尊重しなければならない。でも、尊重しなければならないということは、守る必要は必ずしもない、守る義務はないということですね。
 ですから、結局、自衛隊の動くルールと米軍の動くルールというのは、このままいっちゃうとある程度変わってくる。自衛隊は守らなきゃいけない、米軍は守らなくてもいい、このままいくとこういう話になりかねないのですけれども、そういう点で、御地元にいらっしゃって、要望があればというか御意見があれば、おっしゃっていただければありがたいというふうに思います。
 以上です。
光武顯君 第一点の、運びの問題についてお答えいたします。
 この問題は、地方自治体の長であれば、どなたでもそんなふうに受けとめておられるのではないかなというふうに私は思うのですね。現実に、自治体の長として例えば指揮命令をするといったようなことになりますと、本来その責務を果たすべき基準というものがなければならないわけですね。ですから、先ほど申しましたように、災害対策基本法みたいなもので、当面何かあったらやらなきゃならないかな、こう思っているわけでして、私としては、あらまほしきといいますか、期待としては、実は、この法案と保護法案が一緒に議論されていればよかったなと。
 ただ、この問題については、既に法案が提案されておりまして、先ほど最終的に申しましたけれども、入り口にとどまらずに進めてもらいたい。しかし、その中で、二年を目標としてと、こういうのは、もう少しきちっとした担保を我々としては欲しいなというふうに思っているわけです。その担保のことについては、先ほど私が言ったようなことも一つの考え方としてあるのではないかということを申し上げたわけです。
 二つ目。米軍と自衛隊のことに関しては、自衛隊法の改正等々も読ませていただいたのですが、これは一般的に言って、戦時になれば、国土で防衛をするということになれば、一定の権利の制限というものは、これはやむを得ないと思うんですね。しかし、どこまで制限されるのか、どこまで保護されるのか、こういうことになってきた場合に、やはり先ほど申しましたような事柄が実は重要になってきて、例えば我々は総合病院を持っておりますが、さて、そうなった場合に、この病院は、市長の命令と申しますか管理下にあるのか、あるいは出動命令が出たときには、いわば病院の保護ということで収用されるのか、いろいろな問題が出てまいりますね。そこら辺のところが、まだ我々としてはよくわからないところがあるわけです。
 米軍につきましては、これはもう日米安保条約、地位協定、そのことについては、我々も今まで何遍となく、言ってみれば、苦しんでいる面もありますけれども、しかし、日本国家が成り立っていく上において日米安保条約を選んだのだということからいけば、それは一定の制限があるということもやむを得ないと地方自治体の長としては考えているわけです。
 今後の問題については、恐らく国土の攻撃ということになってまいりますと、我々がまだ今日予想できないような問題もあろうかと思いますが、一般論として言いますならば、日米安保条約を容認しているという立場からいったら、一定の制限があるのはやむを得ないというふうに思っております。
茅野丈二君 運びの問題ということで、ちょっと一言話をさせてもらいます。
 私、何度もこの話の中で申しましたけれども、実は基本的人権が制限されるんだということが皆さんの中でどの程度重大事として認識されているのか、あるいは国民はそれを実際に知っているのかということを一つ考えております。そして、その上で、国民保護法案が今回具体的に提出されなかった、その提出されなかった行為そのものに、国民の生命を有事に際してもきちっと守らなきゃいけないんだという、そのことが政府の中にどれだけ大きなものとして認識されていたのかどうか、ここにちょっと疑問を感じます。
 とすれば、二年間という一つの基準を今出されているわけですから、例えば二年間をめどにして、この法案そのものの審議を継続するなり、一回これは戻してしまって、そこまできちっとつくった上でもう一回提出をしてもらうという方がすっきりしているのではないかというふうに私は思っております。
衛藤座長 これにて玄葉君の質疑は終了いたしました。
 次に、末松義規君。
末松委員 民主党の末松義規でございます。
 意見陳述者の方々には本当にありがとうございました。大変参考になりました。
 また、ここに来るに当たりまして、地元の高木義明議員にも大変参考的な意見をいただきまして臨んでいるわけでございます。
 私も、今玄葉議員の方から言われたことと全く一緒の印象を持っております。この法案は、要するに自衛隊の軍事活動をできるだけ自由にする、そういった法案が主であって、国民生活の立場から考えた法案がないということそのものが大きな問題だと、今茅野先生御指摘になられましたけれども、同じ立場に立っております。
 そこで、私の方は、もうちょっと具体的に光武市長の方にお伺いをしてみたいと思います。
 もし有事が起こったら、災害対策基本法で当面やる、非常に不安だよねと、一方、政府から一定の方針が出ないとだめなんだということですが。先ほど、千田先生の方ですか、御指摘があったのですが、訓練もしなきゃいけない、そして住民の保護とかいろいろな形で総合的な訓練もしないと身につかない、ただ本で読んだだけでは何ら意味がない、そういうことになると思うのですが、現場を抱えられる市長さんとして、例えば一定の方針が示されて、そしてさらに訓練するようなことをやる場合、大体イメージ的に、何年ぐらいそういったものにかかるんだろうかなという、その感触なりをちょっといただければありがたいと思います。
 それからもう一点だけ。代執行の問題で、この場合は深刻なんですよ。実は、例えば市長さんあるいは知事さん、地方自治体の長の方が、それでは承服できない、だめだと言った場合に、首相がかわって代執行する。この地方自治体の長の御意見というのは、地元の方々の御意思をかなり尊重しているんですね。そんなときに、代執行で中央からぼんと権限で、これやれ、あれやれと言われたときに、では、本当に役所の方々を含め、そういう地元の皆さんの理解を得ないで何か事ができるのか、私はちょっとできないんじゃないかと思うんですが、地元の首長さんとして先ほどちょっと御不安もお述べになられましたけれども、お聞きをしたいと思います。
 それから、続けて茅野先生の方に、突然の質問で恐縮なんですけれども、今ちょっとプロセスの中で二年ぐらいかけてというお話がございました。一方、政府の方からは、とりあえずこの法案を成立させていただいて、そしてその改正という形でやっていけばいいんじゃないかというような、私から見たらやや瑣末な意見に感じるんですが、その御意見に対してどう思われるか、その点をお願い申し上げます。
光武顯君 先ほど、私は、災害対策基本法というものにのってやるべきだ、やるのが当面必要ではないかというふうに申し上げました。
 このことについては、私どもの市、よそでもそうだと思うのですが、毎年一回訓練をやっております。そして、その上に、我が市では、原子力潜水艦が入港いたしますので、原子力潜水艦に万一何らかの事故があった場合にそれにどう対応するか、この訓練も、昨年やろうとしたんですが雨が降ったために流れましたが、ことしはやるようにしております。そういうことを通じての訓練というものが市民の皆さん方には経験としておありですから、個別に決まっていくことに応じての訓練というものは、地方自治体の長としては、市民の生命財産を預かる人間としては、やはりやっていかなきゃならない。
 では、どれぐらい必要なのか。これは、今やっている災害訓練というものも、あくまで訓練であり、それは確かに有効ではあると思いますが、十全であるかどうかということになってくると、これも何とも言えない。したがいまして、どれぐらいあればということはなかなか想定しがたいと言わざるを得ませんが、非常に難しいことではあるというふうに思います。
 それから、代執行について言えば、先ほど申しましたように、ない方がいい、ないように努力をすべきだということを申しました。ただ、イデオロギー的に従わない、こういう指示に従わないということになった場合に、迷惑を受けるのは、やはりそこに住んでいる住民でありますから、一首長さんのイデオロギーでもって従わないといったようなことは余り考えられないのではないか。住民の人が、それではどうすればいいんだ、こういうふうになってきた場合に、私は、やはり法に従ってやるということは、常識的に考えて、あるのではないかというふうに思います。
 したがって、代執行というところに至らない形での状況を、絶えず信頼を醸成するという努力は必要であろうかと、これは、先ほど来言っております期待ということで、余り確実な返事にはなりませんけれども、そういった気持ちを持っております。
茅野丈二君 とりあえず成立をさせるという言い方なんですけれども、私は医療人ですので、例えば医療の世界では、今インフォームド・コンセントという言葉があります。
 例えば、あなたはもう胃がんですよ、だからもう手術をしなきゃいけないんですよ、あとはすべて私に任せなさいというのが今までの医療のスタイルです。ところが今のインフォームド・コンセントというのは、具体的に、あなたはどういう麻酔をかけて、どういうふうに手術をしますよという話をすること、あるいは、手術をしないで内視鏡的に胃がんを取り除くことができますよとか、いろいろな説明をして、そして患者さんが、だったら、こういうふうな手術をしてもらいたいと、そういう納得の上で事を進めていく。これが非常に常識になっているわけで、国と国民の間の関係もやはりそうあらなければならない。具体的な形をちゃんと示した上で、だったらこうだと納得するものを見せてもらって、そして了解をする。それが、これからの国と国民のあり方だというふうに思っております。
末松委員 最後になりました。せっかく長崎の地に来たものですから、非核三原則について、市長さんのお立場を、政府の発言を踏まえて一言お伺いしたいと思います。そして、終わります。
光武顯君 この問題は、私はやはり、日本の国家というものが、言ってみれば非核三原則というものを今国是としてやっているわけでありまして、そのことについては、疑いを持たずに、これからもそういった主張を続けていかなきゃならないというふうに思っております。
 ただ、我々は、日米安保条約という中で、米原子力潜水艦、まあ潜水艦に限りませんが、そうした入港ということを国家が認め、そして、地方自治体としてはそれに従わなければならないということになっておりますから、そういう意味では、観念と違いまして、現実的にその原子力潜水艦を受け入れている。これはしかし、あくまで動力としての推進動力でありまして、武器としての核ではないというふうに我々は認識をしながら入港というものについては受け入れているということになるわけですね。
衛藤座長 これにて末松君の質疑は終了いたしました。
 次に、田端正広君。
田端委員 御紹介いただきました公明党の田端正広でございます。
 きょうは、八人の先生方、どうもありがとうございます。今いろいろお話がございましたが、ざっと皆さん方の御意見を伺っていて、今ようやくこういう議論ができるという意味において、有事に関する法整備を日本国としてやっていくということについて大きな第一歩である、そういう大勢のお話かと思います。一部いろいろ御意見もございますが、大勢の流れはそういうお話だったかなと思います。私たちも、そういう意味では、今までなかなか議論できなかったことが正面から議論できるようになったという意味においては、大きな意味が今日的にあるんだろう、こう思っております。
 そこで、こちらは被爆県であり、そしてまた、先ほど来市長さんからいろいろお話もございましたように、基地との共存という、海上自衛隊及び米軍基地もございますし、そういった意味で、非常に複雑といいますか、そしてまた歴史的にもいろいろな思いのこもった地域だと思いますが、そういう中で、冒頭、光武市長の方から、幸い今日まで国土攻撃のような事態がなかった、そういう中で万一の事態に備えて用意すべきではないかというお話もございました。
 もう一度確認させていただきますが、そういう意味での法制化の必要性ということが、私は国民の五割ぐらいはあるんだろうというふうに世論調査等で感じておりますけれども、市長さんとして、そういう複雑な地域における市の行政の最高責任者として、率直な気持ちとしてどういうふうなお考えといいますか感想をお持ちなのか、もう一度確認させていただきたいと思います。
光武顯君 今回の有事三法でありますけれども、冒頭申しましたように、私は、この法案に対して賛成であります。ぜひ成立をさせてもらいたい。しかし、先ほど来申し上げるようなことがあって、もっとやはり国民的な議論をするということになれば、保護法案的なものもあわせてやっていった方がより国民の関心が高まるのではないかという、技術論といったようなものも申し上げたつもりであります。
 法制化の必要性は、絶対に必要だと思います。
田端委員 ありがとうございます。
 そこで、国民の保護に関する関連法案が入っていない、二年後という、先送りされているということについて、そこのところがはっきりしないから市の行政を預かる責任者としてなかなか難しい面もある、こういうお話でございますが、例えば、私は、来年の通常国会に国民保護関連法が提案されるよう、つまり二年後ではなくて一年後というふうに、これは政府のほうに頑張っていただいたら可能だと思うわけであります。
 そういう意味で、何らかの、例えば総理がそういう答弁をするとか、何か担保すればそういうことはぜひ可能だと思いますので、そこは、そういうふうに一年繰り上げるといいますか、来年の通常国会を目指すようにやっていく、こういうふうにしてはどうかと考えておりますけれども、その点についてはいかがでしょう。
光武顯君 直近であれば直近であるほどよろしいかと思います。
田端委員 ありがとうございます。
 そういった意味で、さらにまた国会の方でもそういう方向で議論を進めさせていただきたい、こう思います。
 北川先生にお伺いいたしますが、国際政治の現場でいろいろと若い青年とのかかわりの中での意見の陳述をきょうはいただきました。大変具体的で貴重な御意見だったと思います。
 特に先生のお話を伺っていて感じた点は、そういった意味で、留学生の方がこの問題に対して大変強い関心を持っているという、数字の上でもそういう形が出ているということで、この点については私も改めて認識をした次第でありますが、ここのところは、日本人の学生の方と留学生の方との感触が、相当温度差があるなと一つは思っております。
 そして、特に留学生の方の場合は、つまり、過去における日本の国の言動といいますか、行動といいますか、そういったことも含めた日本に対するイメージというものがその根底にあるのかなと、こんな感じもしたわけであります。
 そして、こういう大事な、国の基本にかかわるような法案、法律になってきますと、国民の感情としてのイメージというものが大変大事だなということを、この留学生の方の御指摘から私直接今印象を持ったわけでありますが、そういう意味では、いかに日本という国のイメージがこの法律を論議する中で大きく影響しているかということを、現場で教育に当たっておられる先生の立場から、もう一度、イメージの大切さといいますか、日本のあるべき姿というものがいかに大事かということを御報告いただければと思った次第です。
北川誠一郎君 私は、ここ六、七年、留学生さんとつき合ったり、私自身も一九八四年から九二年までアメリカの方に留学しておりまして、外から見る日本、あと、帰ってきて内側で見る日本、そして内側にいる外国人の人たちが日本をどう見ているかということに非常に興味がありまして、常々、何か事あるごとに授業等で取り上げているんですけれども。
 先ほど申し上げました、まずこの法案だけに限って言いますと、きちっと説明すれば、例えば日本人であれば、よくわからないけれども、最後は、これは自衛隊のシビリアンコントロールですよ、それが目的ですよということを言うと、ああ、なるほどと。それでもおかしいと言う人もいますけれども、それはそれで理解がされている。
 ただし、留学生に関しましては、過去の侵略、特に中国、韓国では非常に、特に韓国では非常にそのような教育を最近までやってきました。日本に来ている子たちは、そんなに日本に対する反感はないんですけれども、毎年、教科書の問題とか、歴史認識の違いによる問題とか、首相が靖国神社に参拝するとかなんとか、それがニュースで取りざたされますと、必ず、日本は信用できないというふうなイメージを持ってしまうんですね。前からそうだったけれども、日本へ来て、非常に周りの人たちはよい、ところが政治家はだめだ、政府はだめだ、首相は信用できないというようなことが、日本の側からそういう原因をつくってしまっている。そういうことで、理性に訴えて説明するよりも以前に、もうイメージができ上がってしまっていて、そのような理解ができないのではないか。
 日本に来ている学生さんがこうですから、例えば、先ほど私が申し上げたように、トランスナショナルな行為で議員の皆様が各国を訪問されて説明をするということも当然できますし、首相が直接行ってトップとトップの会談をするということも当然できるんですけれども、そのようなちぐはぐな、我が国の政府、首相とか、そういう行為がそのようなものを邪魔している。そういうことなので、特に、首尾一貫した行動をとる、あと、粘り強い説明ということが必要になってくるのではないかと思いました。
田端委員 時間が来ましたのでこれで終わりますが、学生さんの意見の中に、予防外交、平和外交をもっとやるべきだというお話があったということをさっき御報告いただきましたが、これは大変大事な視点だというふうに思いました。ぜひ、ここのところ、そういう大きな立場でお育ていただいて、そういう世論をもっと起こしていただけるような源泉になって、先生にも頑張っていただければ大変幸せかと思います。
 ありがとうございました。
衛藤座長 これにて田端君の質疑は終了いたしました。
 次に、中塚一宏君。
中塚委員 自由党の中塚でございます。
 私、おととい、仙台の地方公聴会にも出席させていただきまして、きょうは佐世保でいろいろな御意見をいただきましたけれども、非常にやはり地域色あふれる意見をいただいたなというふうに思いまして、地方公聴会、今後もまた開催をして、また法案の中身、そして多くの皆さんの意見を吸い上げるようにしなきゃいかぬなというふうに思いました。
 それで、今回、政府が武力攻撃事態対処法というのを出しました。外二法出ておりますけれども、私ども自由党といたしましては、それに対しまして、対案として非常事態対処基本法というものと安全保障基本法というものを提出いたしております。
 国の非常事態というのは武力攻撃事態だけではないと私は考えておりますし、また、そういう非常事態においても、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義といった日本国憲法のこの三つの理念というものは絶対に守らなければいけない、守り抜かなければいけないというふうに考えております。そういった観点から意見をお伺いしたいというふうに思います。
 政府の責務は基本的人権を守るということで、これは有事であれ平時であれ変わらないと思うわけです。生命、自由、財産に対する権利というものを擁護するということになるわけですが、政府案は武力攻撃事態ということに特化しておりまして、私どものこの非常事態対処基本法は、大規模災害、テロ、また突発的な金融危機、アルゼンチンのようなところでも起こっておりましたが、そういった場合にも総理大臣が基本的人権を守るという観点に立って非常事態の布告を行なうということができるというふうにしております。
 その基本的人権を守るということについて、次に、日本国憲法の国民主権の原則ということに関しまして茅野陳述人に伺いたいんですけれども、私どもは、総理が非常事態を布告した場合でも国会の事前承認が必要であるというふうに考えております。また、その後も六十日ごとに国会に報告をし、国会で不承認の議決があったときはこの布告を廃止しなければならないというふうに考えております。
 現実問題として、今政治への信頼というのは非常に低下をしていることは私も否定はいたしませんけれども、やはり国会というのは国権の最高機関であって、しかも全国民を代表するという国会議員によって構成されているということで、先ほど意見陳述の中でも国会軽視ということをおっしゃっておられましたが、その点についてもう一度、御意見はいかがでしょう。
茅野丈二君 政府が決めるということで、あるいは首相が決めてしまうということについては、なかなか国民がそれでよしとはしないだろうと私は思っております。国会がいろいろな場合を想定して、そしてちゃんと決めていくという原則をやはり守らなきゃいけない。
 それは、非常に論議が、話していくと非常に極端になって、もう緊急の緊急のさらに緊急のことばかりが非常に主張されてきて、そして、だから国会では論議する時間がないんだという話が出てくるんですけれども、そういう場合というのは非常に少ないと思うんですね。そういうことを考えれば、原則として、あるいは基本的に国会で論議をするということをやはりきちっとしておかなきゃいけないと私は思っております。
中塚委員 特に昨年のテロ特措法なんかでも計画というのが出されたわけですけれども、では、それがいつ終わるんだということについて明らかではなくて、政府自体が終わらせられないときに、やはり国会がそれを終了させるような仕組みというのはつくっておくべきなんだろうというふうに私は思っております。
 次に、日本国憲法の平和主義、国際協調主義ということも含む平和主義だと私は思っておりますが、先ほど来、有事法制ができて戦争に巻き込まれるというふうなお話があったと思うんですが、やはりそういう意見が出るのもむべなるかなと思うところがあります。
 それは、今まで我が国の安全保障の基本原則というものが定まっていないということが一番大きな原因で、例えば武力攻撃を受けた場合に限っても、自衛権を行使する、どういうときに行使をして、そしてそれをどこまで行使をするのかということについて明らかになっていないわけですね。そもそも、自衛権があるのかないのかという議論さえいまだにあるというふうなことで、私は、自衛権の限界あるいは自衛権行使の条件といったことをこの安全保障基本法でしっかりと定めるということにより、日本国内はもとより周辺諸国、世界各国でそういう懸念、不安があるということならば、それを払拭するべきだというふうに思っております。
 また、もう一つ、平和主義の中に国際協調主義ということがあるというふうに思っておりまして、国際貢献ということは、世界第二位の経済大国ということでもありますので、積極的に行う必要があるだろうというふうに考えております。
 昨年、テロ対応特別措置法というのが成立をしまして、国連の武力行使容認決議もないわけですが、米軍の後方支援ができるようになってしまったわけです。十年前の湾岸戦争のときはできないと言っていたことが、急にできるようになった。十年前は武力行使容認決議があった、今回はないのにできるようになったということで、これは、私は、また世界の標準から見ても、政府が使えない、行使できないと言っている集団的自衛権の行使そのものだというふうに考えておりまして、政府のやっていることは本当に支離滅裂だなと。こういうことが、世界じゅうから、また国内から誤解を招く、懸念の目で見られる原因だろうというふうに思っているわけです。
 この国際協調主義というものを明らかにするということ、国際連合の決議をもって行われる活動については積極的に参加するべきだというふうに考えておりますが、辻陳述人にお伺いをいたします。
 自衛権とは切り離して、国際連合の決議によって国際貢献を行うということをより明らかにするために、私どもは今回、この安全保障基本法で国際連合平和協力隊というものを新たに創設するべきだというふうに考えております。そういうふうな組織をつくることにより、将来は国連常備軍というふうなものも視野に入れて、国際連合の中においても日本の積極的な発言というものがちゃんと反映されるような、そういうふうな仕組みに変えていくべきだというふうに考えております。
 先ほど集団安全保障体制のお話がございました。そういう点で、集団安全保障体制のもう少し向こうにあることなんですが、国連常備軍ということと、その国連常備軍に参加をするための国際連合平和協力隊というものの創設について、御意見はいかがでしょう。
辻昌宏君 おっしゃるような趣旨は十分理解できるわけでありますが、やはり戦後五十七年間もたって、国の安全を託す有事法案というものがいまだに制定をされておらず、しかも自衛隊の存在そのものも長年にわたって論議をされてきて、どちらかというと問題の先送りばかりをしてこられたのではないかというふうな気がいたします。
 したがいまして、ここは、有事関連三法案をまず成立をしていただいて、それに派生いたします諸法案というものを進めていただくべきではないかというふうに思います。
 御意向、御趣旨には賛同いたしますが、今申し上げるような意見であります。
 以上です。
衛藤座長 これにて中塚君の質疑は終了いたしました。
 次に、赤嶺政賢君。
赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢でございます。
 きょうは、意見陳述の先生方のお話、大変貴重な御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。
 実は、私、沖縄県の出身でありまして、先ほど来の光武市長の地方自治を預かる立場からの米軍との関係、苦悩、よくその苦悩を共有できる立場に立っている者でございます。
 せんだっても沖縄の県議会で、特に米軍基地の中での米軍の事故について、市民の安全を確保するためにもいち早く通報していただきたい、こういう全会一致の決議が上がったところであります。
 ところで、今度の有事法制について、アメリカはかなり早くから日本に対して意見を言っておりまして、その中に、二〇〇〇年十月のアーミテージ報告がよく言われることなんですが、その報告の中で、有事法制の整備とともに、日本が防衛秘密を共有できるかどうか、この点がかなり強調されております。
 今後、有事法制がつくられて、そして日米間の安保条約に基づく共同対処がますます密接になっていくにつれてアメリカの側からの防衛秘密の共有の要求は大きくなっていくのではないか、このように私は懸念しているところでありますが、いかに安保のそういう要請であろうとも、やはり住民の安全を守るという立場に立てば譲れないものがあるし、原潜の寄港の事前通報については、それが本当に大事なことじゃないかというぐあいに思います。
 有事法制との関連もありますので、いま一度市長の方に御意見を伺いたいと思います。
光武顯君 私、御趣旨について十分理解できたかどうかわかりませんが、アメリカ、米軍が基地を佐世保市内に持っているということによって、今まで事件がなかったわけではありません。ただ、沖縄県のいろいろなことをお伺いしますと、佐世保においては比較的そういった事件も少なく、そして、共存共生といったような市民の理念をアメリカ軍もそれなりに理解してもらっているんだなというふうに常日ごろ感じております。
 ただ、問題は、有事の際にどういうふうになるのかということについては、これはやはり国民の選択というものが重要なのでありまして、私どもも、安保条約、そしてそれに伴う地位協定というものが、これは国民がそう選択した以上、そして我々も国家を守る上においてそのことが必要であるというふうに考えているがゆえに、よその地域、市町村にはないそうした負担というものを負わされているということは事実でありますけれども、一面やむを得ないものと、その中で、市民の生命財産が可能な限り守られるように努めていくのが地方自治体の長としての役目であろうと、私はそう考えて今日まで参っているわけであります。
赤嶺委員 私、意を尽くせず大変申しわけありませんでした。先ほど伺いましたのは、事件のことではなくて、米軍の事故等です。
 いわば、沖縄県では、もちろん原潜の寄港も含まれますが、米軍の部隊の事故、航空機の事故等がなかなか通報されない。そして、米軍の方もいろいろ防衛秘密上の盾があって、そこをうまく意思の疎通がいっていないという問題が起きているわけですけれども、やはりそれらの問題については、地方の住民の命と安全を預かるという立場からは、原潜の事前通報も含めて、譲れない一線があるのではないかということでありますが、いかがでしょうか。
光武顯君 具体的に原潜の通報について申し上げますならば、一度、通報がなされずに寄港したということがございました。私は、国に対して厳重に抗議をいたしますとともに、その際に、その事件の内容、そして今後の対応というものが明らかにならない以上は入港を御遠慮願いたいということを申し上げたことがございます。確かに、その間入港はございませんでした。
 問題は、我々としては、テロ事件が起きた、あの事件のときに、要請があった入港については連絡をするが公表してもらいたくない、こういう要請に対して、地方自治体の長としては非常に考えたのでありますけれども、仮にそのことによってテロ事件が発生したとするならば、これはそれを拒否したという私の責任になりますし、どちらが蓋然性が高いのかということを一生懸命考えながら、我々としては、当面の間、入港について公表しないという選択の道をとったわけであります。
 その間、非常に苦慮したことは今でも記憶をいたしておりますし、今日、その状況があの当時と違ってきているのではないか。そこで、その辺については、政府がまたどう考えるのかということは、今後ひとつ、これまでもお尋ねいたしておりますし、これからもまた政府に問うていきたい、このように思っております。
赤嶺委員 それでは、次に北川先生の方にお伺いしたいんですが、先ほどは、若い人たちのアンケート、意識調査、大変貴重な資料をいただきまして、ありがとうございました。
 それで、先生のレジュメを伺いますと、今回の法律は「集団的自衛権の行使を認めていないこと」という表現があるわけですが、実は国会の中でこのことが大問題になっておりまして、特に武力攻撃事態法の中に、予測されるに至る事態、これが入っているということは、日本に武力行使が起こる以前から、すなわち、国会の答弁では、私の質問等にも答えて、周辺事態はその一つのケースだ、こういうことを防衛庁長官は述べておられるわけです。となりますと、周辺事態ではもう米軍が武力行使を始めている、それが日本が予測されるに至った事態に当たり、そして日本の自衛隊は武器弾薬等の提供もできる、こういう政府答弁になっているわけですね。
 ですから、これは本当に、集団的自衛権の行使につながっていく、そういう危険な仕組みを持った法律ではないかというぐあいに考えるんですが、その点、先生はどんなふうにお考えでしょうか。
北川誠一郎君 私のつたない学習によりますと、集団的自衛権、これが、そのように認定した場合、米軍に対する後方支援ができるようになるために、集団的自衛権の不行使という憲法との関係で、双方の事態を明確に整理する必要があります。私の学習でまだつたないんですけれども、これからその関係について、より議論が深められていくというふうに考えております。
 ここで言明しておりますけれども、当然のこととして積極的に認めていない、そういう意味で私は書きました。
赤嶺委員 それでは、前原先生にお尋ねいたしますけれども、やはりこの法律の仕組みの中に集団的自衛権の行使につながる危険は大いに含まれているのではないかと思いますけれども、先生の御意見はいかがでしょうか。
前原清隆君 私が先ほど、この法案は万一の事態に、いわゆる我が国に対する武力攻撃に備えるというよりか、むしろアメリカ軍の軍事行動に対して後方支援をするものだというふうに言いましたのは、まさにその点にかかわるわけでして、軍事問題の専門家の方々の御意見などを見ましても、今度の法案では集団的自衛権に完全に踏み込んでいるというふうに見られているのではないかというふうに思います。
 その点、今回の法案は、非常に顕著に、先ほど私の意見の中では事態の定義に関して申しましたけれども、認定のあり方自体がアメリカ主導で行われるのではないかというようなことも考えておりまして、安全保障会議設置法の改正案が、武力攻撃事態の認定にかかわる事項はメンバーを絞って審議することを定めておりますけれども、実際にはそこにいわゆる制服組の方が入ることになるというふうにされておりますし、安全保障会議に進言をします事態対処専門委員会というものが設けられることになっていますけれども、この専門委員会というのが、日米ガイドラインの枠組みの中での事態認定を日本側に伝達する仕組みとなるのではないかというふうに指摘されていると思います。
 そのことは今の御質問に大いにかかわると思いますけれども、つまり、事態対処専門委員会ですが、ここにも当然制服組が入ることになると思うんです。その主要メンバーというのが、新ガイドラインによって立ち上げられた調整メカニズムというふうに言われるものの、日米の双務的な共同作戦のための政策的調整と日米両軍の作戦統制でありますとか、執行のために平時から運用されているメカニズムということでありますけれども、そのメンバーと重なるんだということが言われていると思います。
 そのことから、事態対処専門委員会の武力攻撃事態の認定というのは、日米統合司令部の判断に大きく依存することにならざるを得ないと思います。そして、ここで米軍側の判断に対して日本側が対抗するということは不可能なのじゃないかというふうに言われていると思います。
 そういうわけですから、先ほどの意見の中で申しました、武力攻撃事態の概念が新設されたこと、それから、今述べました、認定システムというものがガイドラインの調整メカニズムに組み込まれることによってアメリカの軍事作戦と日本の有事態勢とが結びつけられる、今回の有事法制全体として、周辺事態を含む米軍支援のために作動する保障になっているということが指摘されていると思います。このことは恐らく先ほどの質問と大いにかかわると思いましたので、発言させていただきました。
衛藤座長 これにて赤嶺君の質疑は終了いたしました。
 次に、今川正美君。
今川委員 社会民主党の今川正美でございます。
 私は、この地で生まれ育ってまいりましたので、このように貴重な地方公聴会がこの佐世保で開かれることをだれよりも喜んでおります。
 きょうは、限られた時間でありますので、まず二点ほど、この有事関連三法案に関しまして私の考え方を申し上げた上で、舟越先生と地元佐世保市長でございます光武市長に、二、三点お伺いしたいと思います。
 まず、私は、この佐世保というのは沖縄と同様に、佐世保の港を見ておりますと、日米安保の姿がよく見える町でもあります。遠くは一九五〇年にこの佐世保市は市民投票で圧倒的な賛同を得て平和都市宣言を行った町でして、この佐世保は、過去の戦争を十分に反省しながら、平和産業港湾都市として発展していこうということを決意しましたが、皮肉なことに、その年、その直後に朝鮮戦争が起こったために、この佐世保の運命というのは大きく変えられていく、そういう歴史的な節目の年でもございました。
 私は、やはりこういう国民の生活に直結する大事な法案であるだけに、これまでの、特にアジアの国々と日本の関係を論じるはずでして、そういった意味では、過去の負の遺産といいますか、アジアに対する侵略であったり植民地支配であったり、そうした過去の歴史に対する謙虚さをなくせば大変な議論になってしまうというふうに思うのであります。
 少なくとも日本は、よく平和憲法と言われますけれども、憲法前文、とりわけ九条で示されたものは、右から見ても左から見ても、これは非武装憲法です。では、いざというときどうするかというのは、少なくとも当時は、吉田首相の国会答弁にもあるように、国連に依拠したいと。つまり、何か生じたときには、どの国であれ、国際紛争を含めて、再び軍備を持って戦うのではなくて、国連ですべて対処をしていく、そういう崇高な理念なり方向性が示された。
 そういった意味で、やはり私は、この日本国憲法のすごさといいますか、すばらしさというのは、それぞれの国が勝手に軍備を再び持って戦うのではない、すべては国連が対処をしていくということにあったんだと思います。その後のことは、冷戦が本格化をすることで、なかなか現実的なものとはなっておりませんけれども。
 そういった意味で、この朝鮮戦争を契機にして、警察予備隊の名のもとに自衛隊が一九五〇年発足しますけれども、先ほどいろいろな御意見がありましたけれども、なぜ今ごろか、もっと早くつくるべきだったという話もありますが、それは、そういうこれまでの半世紀の歴史をしっかり踏まえて見るならば、欧米諸国とは違って、日本だからこそ自衛隊に関しては非常に自己抑制的なさまざまな制約が課せられていたということをやはり客観的に認識して議論をする必要があるというふうに私は思っています。
 今日これだけ平和で豊かな日本があるというのは、二つの要件があったと思います。
 自衛隊とか安保ではない。これは、憲法第九条で、恨まれても仕方のないあのアジアの国々に、そこそこの信頼関係を得たこと。それと、経済的には、サンフランシスコ講和条約で事実上いわゆる戦後賠償を免れたこと。これがなければ、今日、自給自足がやっとの日本であったろうというふうに私は思うのであります。
 いま一つは、時間の関係もありますので簡単に申し上げますが、今回いきなり、自衛隊の行動をどう円滑にするか、そのための法整備というのがぽこんと出てきています。しかし、グローバル経済と言われますように、今日、日本とアジアの関係において見ますならば、日本は大変な経済援助をアジアに与えています。それと、外交問題です。今日の国家間の相互依存関係からしますと、外交努力をどう果たしていくのか、あるいはそういう経済関係、経済協力をどのようにしっかりやっていくのかということがあれば、九割九分、日本の、あるいは一国の安全保障というのは果たされていくだろうというふうに私は思うのであります。
 アジアの国々の実際の戦力を見ましても、日本をいきなり攻撃する、そして制圧し、支配する、そういった能力を持っている国が果たしてあるのだろうか。あるのだとすれば、世界の中で米国を除いてはない。しかし、それは極めて非現実的な話であるというふうになってくると思うんですね。
 そういった意味で、外交問題なり経済協力なり、市民と市民の間の文化交流なり、そういう最も大事な議論を欠いたまま、軍事対応をどうするのかという話だけ、そこの話から始まっているところに、この有事法制の議論の、ある意味で不自然さというものを私は感じてしまうわけであります。
 さてそこで、まず舟越先生にお尋ねなんですが、実は昨日、長崎に米海軍のミサイル駆逐艦が入りました。これは、九二年、ちょうど十年前に当時のブッシュ大統領が、海外に配備をしている戦術核のほとんどは米国に、米本国に撤収するという声明を出されまして、ただし、そのときに、有事の際には再び核兵器を搭載することもあり得るという条件がついていました。
 今回、米海軍にとっては、アフガニスタン戦争をやっているわけですから有事ですね、米軍にとっては。そうしますと、きのう長崎に入ったカーティス・ウィルバーという駆逐艦は、核兵器を搭載している可能性があるんじゃないかと私は思うんです。そうした中で、金子県知事とか伊藤長崎市長は、在日米大使館や日本政府、外務省に何とか入港することを遠慮してほしいということを申し入れられたにもかかわらず、入ってきちゃった。それともう一つは、例の福田官房長官の非核三原則の見直し発言等もございました。
 こうした一連の事実を見たときに、今、日本は有事ではありません、平時の段階で、日米安保条約なり地位協定のかかわり合いで、アメリカとの関係で、日本の主体性がどの程度保持できているのかできていないのかという意味で、私は極めて疑問を持つんです。その点を舟越先生はどう受けとめておられますか、被爆県民として。
舟越耿一君 私は軍事の専門家ではありませんので、的確なお答えはできないと思うんですけれども、九七年の日米防衛協力のための指針というのに、前原さんが言ったように、包括的なメカニズムを日米で構築し、緊急時には調整メカニズムを発動する、それを平素からやっておくということが明確に書かれております。したがって、日米間の米軍と自衛隊との緊密な関係というのは、私は既にでき上がっているんだと思います。
 県と市が入港を回避しても入ってくる、日本政府は別に奨励しているわけじゃない、しかしながら、軍としてはとにかく有事法制を成立させたいというような意図がイージス艦の入港の背景にあるんじゃないかと私は考えています。地元の新聞が、米国の有事が長崎に持ち込まれたと、そういうふうに報道しておりましたけれども、私は、日本政府や自衛隊の判断よりも米軍の判断の方が優先する、そういう状況が進行しているんじゃないかと考えています。
今川委員 時間がほとんどございませんので、本当はもっとたくさん質問したかったんですが、光武市長に一点だけお尋ねしたいんです。
 実は、佐世保の場合には、佐世保重工業、SSKですね、非常に佐世保市にとっても大事な企業だと思うんですが、これはまさに、有事じゃなくて平時の段階でも、例えば第三ドックの問題でございますとか、あるいは現在では第四岸、五岸の岸壁の使用の問題とか、何かにつけて米軍との関係でトラブルが生じやすい問題を抱えているわけですね。非常に市長の御苦労に、御努力に感謝をしたいと思うんですけれども。
 平時でこういう状況でありますので、仮に、あってはならないけれども、有事だというときに、例えば、SSKの現在持っているドックだとか岸壁というのが完全に米軍の手に握られてしまうのではないかという懸念がございますし、また、少なくとも、九四年の例の朝鮮半島危機が言われたときには、米側は具体的に軍事シナリオを持って、その中で、私も驚いたのは、今言うところのSSKのドック、岸壁はやはり掌握をしたい、あるいは、佐世保のどこか知りませんけれども、ミサイルの発射基地を建設をしたいという、在日米軍側の要求項目の中にそういう記載があるわけですね。
 そうしますと、よその土地と違いまして、佐世保の場合には、米軍があったり自衛隊基地を擁しておりますので、いざというときにそういう民間企業が実際的に何もできなくなる、あるいはミサイル基地みたいな物々しいものが建設されかねない。そうしたときに、一地方自治体として断れるのか、あるいは日本政府として米軍側、米国側に対して、それはあんまりだ、そこは遠慮してほしいということが、有事あるいはそのおそれがあるときに、そういう日本の主体的な判断なり物の言い方ということが果たしてアメリカにできるんだろうかという疑念を私は抱きますけれども、地元の市長としてはいかがでしょうか。
光武顯君 ただいまのお話は非常に難しい話でありまして、平時の場合におきましては、かつて六年前に、SSKの第三ドックを明け渡すように米軍から要求がありました。その際、私は、SSKにとっては、もしそれを明け渡すということになれば危機的な状況になる、こういうことで、代替の浮きドックをもって、修繕をして事なきを得たということがございます。
 その後、そうしたことにかんがみまして、今の佐世保の港を可能な限りひとつ再整理しよう、こういうことから、御承知のように、第三、第四というSSKの現在共用しているそこを民間へ払い下げてもらう。したがいまして、ジュリエットベースンに別途岸壁をつくって、そして民間に譲り渡してもらえるものは譲り渡してもらう。これは、昨年、そういうことで一応約束事みたいな話がございまして、今着々と進めているところです。
 我々としては、戦時体制になったときにどうなるかということは、これは自衛隊も含めてそうでありますし、米軍は、日米安保条約等々の問題あるいは周辺事態法といったようなことが背景に、平時とは違った形になるであろう、こういうふうな想定はできますものの、そうしたことがないように、今、不断に努力をしていかなければいけないということでやっているわけであります。
 佐世保の市長といたしましては、将来どのようになるかということについては大きな関心を持ちつつ、いざという場合でも、港の再整理、再編ということによりまして、そうした事態を避けていきたいというふうに願っております。しかし、戦時体制というものは非常に厳しいものでありますし、そのとき日本の国家そのものがどういう選択をしているのかということは、地方自治体にも大きな影響を及ぼすであろうというふうに思っております。
衛藤座長 これにて今川君の質疑は終了いたしました。
 次に、井上喜一君。
井上(喜)委員 保守党の井上喜一でございます。
 きょうは、意見陳述者の皆さん、本当に御苦労さまでございます。
 この佐世保という地域は、自衛隊の基地もありますし、米軍もいる、あるいはこの近くを各国の船が通る、あるいは不審船なんかも恐らく出没している地域じゃないかと私は思うのでありまして、この地域に住まれる皆さん方は、日本の他の地域の人とは若干違った感覚でもって有事のことを考えておられるんじゃないか、そんな思いでこちらに出席をさせていただきました。
 日本は長い間、戦争に負けたということもありますが、経済至上主義というのですか、言葉はきれいですが、言葉をかえて言いますと、これは金もうけですね、金もうけを将来の国家像のようなことにして歩んできたわけでありまして、そういう点で安全保障の体制の整備というのは非常におくれてきたと思うのでありますけれども、今回ようやっとこの有事の三法が提案されるということになってきて、大変いい方向に行きつつある、こんなふうに認識をしております。
 しかし、これまでの経緯から、なかなか皆さんに、こういう有事ということ、通常はないわけでありまして、やはり平和のうちに暮らしていくという最大の努力を政府はするわけでありますから、万々が一の場合になるわけでありますが、そのときにどういう対応をするかということについても、なかなかこれは理解を得られないような状況じゃないかと思うのであります。
 そこで、私は、千田陳述人にお伺いしたいのでありますが、これはどうすればもう少し理解が得られるのか、もちろん政府等の努力も足りないと思うのでありますけれども、どういうことを考えていけば、あるいは対応していけばこの有事の法制の理解が得られるのか、御意見があらばお伺いいたしたいと思います。
千田稔君 やはり戦後五十七年のこの長い月日の中に、日本というのは、どなたかも最初に発言されましたとおり、あつものに懲りてなますを吹いてまいりました。そのことが、そう言えば言うほど、結果的に、本当に平和というのが守られたような形で五十七年が過ぎてきた、こういう一つの錯覚があるんだと僕は思うのですね。このことは、平和というのは、日本の場合は水と空気のようにただでいただける、こういうような感じが非常にあったと思うのですね。
 翻って、ヨーロッパだとかアメリカという戦勝国の方がむしろ逆に戦後も負担をされてきた。したがって、こういった国の、今まで生きてきた、先進国というのが苦労してきた、その分野の安全保障にどれだけ努力してきたのかということをやはり教えるべきだと思うのですね。能動的な努力をしてきたという部分を、日本と同じように彼らも黙っていて平和を享受してきたとまず子供たちは錯覚していますよ。この部分は、教えざるの罪があると思うのです。したがって、多くの犠牲を払いながら安全というのを確保してきたんだということをまず教えるべきだと思うのですね。教育というのは大変時間がかかりますから、一年や二年でできるというものにだけ飛びつきがちなんですけれども、これはしっかり教えるべきではないのか。
 もう一つは、先ほど先生方の中で、留学生の皆さんたちの意見を聞いてみたり、あるいはアンケートをとってみたり、こういうことを幅広うされていますけれども、私は本当にいいことだと思うのですね。こういったことを着実に、生活の場として、茶の間でできるようなことを憶せずに、何か安全保障というとおどろおどろしいものですから、もう嫌ですよね、何か武器、兵器とかいう話、そのことがもともと嫌いな国民ですから、したがって、そういったものが現実としては避けて通れないのだということを、特に二十以上の者には訴えていったらどうでしょうか。私はそう思っています。
井上(喜)委員 どうもありがとうございました。
 この有事の事態というのは、本当に最後の最後の事態なんですね。いろいろな努力をしても、なおかつどうしようもなくなってこの有事の事態に至ると思うのでありますが、私は、そういう意味で、やはり有事こそまさに最優先をして、国も自治体も国民もみんな協力して、同じ方向で対処しなきゃいけないと思うんですね。そうしなければ有効な対応はできないと思うのであります。
 しかし、基本的人権が制約されるなら有事なんてもうやらぬ方がいいんだとか、あるいは自治体、地方自治の建前があるんだ、これを少しゆがめられるようなことがあったら、もう有事なんかはどうでもいいんだ、こういうような意見を言う人がいるんですね。本当にいるんですよ。これは、市町村長さんなんかには余りおられないと思うんだけれども、知事ぐらいになってくるとそういうような意見の人もいるんじゃないかと私は思うのでありまして、何というか、本当に無責任な意見じゃないかと私は思うのだけれども。
 こういう地方自治の建前があるから、建前と相対立するような事態ということ、こういうこともあり得るということですよね。私はあると思うのだけれども、そういうときに、今申しましたように、それはやはり有事よりも地方自治の方が優先するんだというような考え方について、市長さん、どういうお考えですか。
光武顯君 私は、基本的に国家がどういう基本的な理念を持って運営していくかということを、地方自治体の長としては、やはり尊重して、そして考えるべきだというふうに思っております。
 イデオロギー的に違うということでみずからの考え方を、確かにその地方の長という者は、その地域におきます皆さんの多数の支持を得て長になっているわけですから、長としての考え方を政策として執行していくということについては、これは当然のことでありますけれども、しかし、身体、生命に非常に大きな影響があるというときには、本当に国と一体になって、どうやって可能な限りそうした損害を小さくするのか、未然に身体、生命を守るのかということに本気で取り組まなければならないと思うのですね。
 ですから、確かにそれぞれの御意見があるところではありますけれども、私どもとしては、やはり常識の線と申しますか、一たん有事になった場合に、国の方にいろいろな情報等あるいは対処すべき方針というものがあるとするならば、それを理解しつつ協力して遂行していくということは、地方自治体の長としては当然ではないかというふうに思います。
井上(喜)委員 ありがとうございました。
 次に、茅野先生にお伺いしたいのでありますけれども、有事の事態になったときに国民の権利や義務にどういう影響が出てくるんだ、そういうことを個別具体的にはっきりしなければ有事の法律としては不十分じゃないかというようなお話があったように思うのでありますけれども、有事というのは、どういう事態が起こるかわからないんですよね。こういう事態というふうにはっきりしておれば、それはいいのでありますけれども、いろいろな状況が起こると思うのですよね。だから、一々個別具体的にどうするなどというようなことを法律に書くなどというのは、到底これは不可能だと思うのですね。もし何かお考えがあれば、どういう法律をつくったらいいのか、お聞かせいただきたいのです。
茅野丈二君 私は、きょうの議論を聞いておりまして、イメージ的ですけれども、国家あるいは政府と国民の関係は、私たちの医者と患者の関係に非常に似ているなと思っております。
 どういうことかと申しますと、国家は常に正しいんですよ、私たちはすべて情報を持っていますよ、だから、ある程度のことは言うけれども、あとは私に従ってくださいと。医者もそういう立場の人は結構多いわけで、それが簡単なんです。だから、私たちも、何も言わない患者の方がやりやすいんですけれども、しかし、それではだめなんだというのがインフォームド・コンセントなんですね。だから、国家もやはり可能な限りの情報提供をしてもらいたい、そして、その上で、国民を信じて、国民に判断を仰いでほしい、これが私の考え方です。
 ですから、確かにいろいろな具体的なこと、いろいろなシミュレーションはできると思いますし、すべてが出てくるとは思いません。ただ、そういうことをすることが国民の信頼を得ることだと思うのです。今、信頼を得ていないとは言いませんけれども、非常に薄い。だから、そういう具体的なことを一つ一つ国民に提示することが、やはり政府に対する信頼をかち得ていくことだろうと私は思います。ですから、すべて出しなさいと私は思いませんけれども、そういうことをやることがやはり大事だというふうに思っています。
衛藤座長 これにて井上君の質疑は終了いたしました。
 これにて委員からの質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 意見陳述者の方々におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。
 本日拝聴させていただきました御意見は、当委員会の審査に資するところ極めて大なるものがあると存じます。ここに厚く御礼を申し上げます。
 また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして、重ねて感謝、御礼を申し上げます。
 それでは、これにて散会いたします。
    午後二時四十二分散会


2002/06/7

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