1980/03/24

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91 参院・決算委員会

和泉照雄議員(公明党)の蒸発事件についての質問


○和泉照雄君 時間がございませんので、端的に御答弁願いたいと思いますが、起こった当時から最近までマスコミ等でも取り上げられた問題でございますが、昭和五十三年の七月から八月にかけて全国で起こった若い男女の蒸発事件について警察庁にお尋ねをいたします。

 五十三年七月七日に福井県で、同年七月三十一日に新潟県で、同年八月十二日鹿児島県で、若い男女が海岸で、デートに出かけ突然行方不明となり、その後何の消息もつかめていないという事件でございますが、私も直接両親からこのように手紙をいただいておりますが、この事件の概要並びに警察当局の捜査等も含めて、取り組んでおられることについて御説明を願いたいと思います。

○政府委員(塩飽得郎君) ただいま御質問のありました全国各地での何件かの失跡事件についてでございますが、一番初めに、まず福井県の事件がございました。これは五十三年七月七日でございますが、小浜市の地村保志さん二十四歳、それから婚約者の浜本富貴恵さん二十四歳、この二人が小浜市郊外の青井海岸の展望台で、車を残したまま蒸発してしまったという事件がございました。これにつきましては五十三年の七月の十日に、お二人の父親からそれぞれ小浜署へ捜索願が出まして、家出人の手配を行ったわけでございます。それと同時に本部の応援を得まして、行方不明となった現場にありました自動車の遺留場所である小浜公園を中心に捜索、聞き込み等を引き続き行いました。家出であるかあるいは自殺であるのか、事故か、犯罪の被害か、そういった面から捜査を行っておりますが、現在までのところそのいずれとも判明しておりません。なお、この件につきましては、五十四年の一月二十三日にアフタヌーンショー、それから五十四年の二月九日の福井放送で放映されまして、一般人からの情報を求めたわけでございますが、いまだに何の手がかりもございません。

 それからその次は、七月三十一日に、同じく五十三年でございますが、新潟県の柏崎市の中央海岸で似たような事件がございました。これは海岸におりました大学の三年生、二十二歳の学生と友人の二十三歳の女性が現場に自転車を残したまま行方不明になるという事件でございます。これは、当時柏崎警察署では、この八月の三日に男の学生の方から、それから八月の七日には女性の方から、いずれも父親から捜索願が出まして、それを受理いたしまして、直ちに家出人手配を行いまして捜したわけでございますが、当時その学生さんが乗っていた自転車が市立の図書館前付近に遺留されておりまして、その辺を中心にして捜索、聞き込み、目撃者の発見などを引き続き行いまして、いろいろな点を想定して捜査をいたしたわけでございますが、残念ながらいまのところいずれとも判明しておりません。なお、この件につきましても、昭和五十四年の六月十九日TBSの番組でお二人の両親が出演されまして広く訴えたわけでございますが、いまだにこれについての有力な情報は入っておりません。

 それから三番目のケースとしまして、鹿児島で事件がございました。五十三年の八月十二日、鹿児島県の日置郡吹上浜へ夕日を見にいくと言って出られました市川修一さん、電電公社職員だそうでございますが、この方と友人の増元るみ子さん二十四歳、この方が乗っていた車を置いたまま行方がわからなくなったというケースがございました。これにつきましては、八月十四日に市川修一さんの義理のお兄さんから地元の加世田署へ通報がございました。そこでお二人の捜索届を受理いたしました後、家出人の手配を行いまして特別に捜索班を編成いたしました。また地元の漁船あるいは海上保安庁海上保安部の巡視艇でありますとか、営林署の職員などの協力を得まして、行方不明となった現場を中心に広い範囲の捜索、聞き込みを行いました。また当時、現場付近のキャンプ場にキャンパーが六百人ぐらい来ていたそうでございますが、それにつきましても聞き込みを行いました。この六百人のうち、この当時――いなくなった時間が六時四十分ごろだったと言われておりますが、そのころキャンパーが二十人ぐらいいたはずであるということで、それらの方についてもいろいろお尋ねをしたわけですけれども、現場を目撃した人がおりません。そういうことで、その後引き続き家出であるのかあるいは自殺であるのか、あるいはまた事故か犯罪被害なのか、そういった点で必要な調査を実施しておりますが、いままでのところ、残念ながら、いずれとも判明しておりません。なお、この件につきまして、五十三年の九月には鹿児島テレビ、それから五十五年の一月三十日には朝日テレビ系の全国ネットでも取り上げていただきまして、市民の協力を要請しておるわけでございますが、有力な手がかりはつかめておりません。そういった状態で、現在鋭意その後も調査をしておりますけれども、いまのところ結果としてはよい結果があらわれておりません。
 以上でございます。

○和泉照雄君 今度の蒸発事件が非常に類似性が多いということが特徴であろうかと思いますが、すなわち第一点が、親が認めた婚前の二十歳代の若い男女のカップルがデート中の事故であるということが一つでございます。

 第二点が家出、心中あるいは自殺、失踪、水死事故の気配が全然ない。

 三点目が、五十三年七月から八月の四十日の間に起こった事故で、薄暗い人けのないところ、目撃者がいないなど手がかりが一切ない、完全に計画的な犯罪かと思われる点であります。

 第四番目は、五十二年、五十四年には全然この種の事故は起こっておらない、こういうことで、いまおっしゃったとおり、テレビでも放映をしておられるけれども、全然反応がない。

 こういうようなことで、しかし本年の一月の三十日は全国ネットワークで朝日放送がおやりになったというときには、ちょっと反応があったように聞いておるのですが、この点はいかがですか。

○政府委員(塩飽得郎君) ことしになってからの反応については、いまのところ詳細入っておりません。

○和泉照雄君 また昭和五十三年の八月十五日、富山県で若い男女の誘拐未遂事件が起こっておりますが、事情聴取をしておられると思いますけれども、この未遂事件の状態はどのようになっておりますか。

○政府委員(中平和水君) ただいまお尋ねの事件は、五十三年八月十五日の夕方、正確に申し上げますと、十八時三十分から十九時ぐらいの間に起こっているわけでございますが、富山県の高岡市にあります通称島尾海水浴場の松林の中におきまして、海水浴に来ておりましたアベックの、結婚を前提におつき合いをされている男女二人でございますが、これが四人組、大体年齢三十歳前後の男に襲われまして逮捕、監禁、致傷、けがをさせられた事件でございますが、事件の概要は、事件当日、この高岡市に住んでおります当時二十七歳の男性の方と婚約者の二十歳の女性の二人が海水浴場で遊泳を終わりまして、自分たちが乗ってまいりました自動車の駐車場まで帰る途中、前方から参りました四人組、服装はステテコとかシャツ姿でございますが、そういう男がすれ違った途端に後ろの方から二人に襲いかかりまして、この四人組が持っておりましたタオルあるいは手製のゴム製のさるぐつわあるいは手錠等を使用しましてこの二人を縛り上げまして、それぞれに寝袋様な布袋にこの二人を押え込みまして監禁をいたしまして、数十メートル離れました松林の中に運びましてこの二人を放置して、やがて犯人らは現場を去ってまいった次第でございまして、被害者の二人は少し薄暗くなるまで待ちまして、自力で付近の民家に助けを求めまして、そこから一一〇番をして発覚をした事件でございます。

 この事件を認知いたしました富山県警察では、直ちに緊急配備あるいは検索等のいわゆる初動の捜査措置を講じたわけでございますが、犯人を検挙するに至らなかったわけでございまして、引き続いて犯人の足取り捜査あるいは犯行の用具に使われました布袋あるいはさるぐつわ等に使用されましたゴム製品あるいは手錠、タオル等の遺留品等につきましてその製造元、販売経路等について追跡捜査を徹底して実施しておりますが、残念ながら現在のところ犯人を検挙するに至っていないと、こういうことでございます。

○和泉照雄君 いま申し上げた富山県における拉致未遂事件では相当数の遺留品があったと、いまの御答弁ではその遺留品の製造メーカーがわからないという非常に不思議な未遂事件ではないかと、このように思うわけでございますが、しかし、手錠とか帯とかタオルとか袋とか、そういう製造メーカーがわからなくても、大体どこらあたりでつくられたものであるというようなことは推測はできると思うんですが、そういう推測からこの事件は国内のそういう計画的な犯罪なのか、あるいは外国の手が回っての計画的な犯罪なのか、そこらあたりの区別はつかなければおかしい話だと思うんですが、そこらあたりはどうでしょうか。

○政府委員(中平和水君) この事件は、いま概要を御説明申し上げましたが、事件の前後の状況等から見ますと、非常に大胆なところもあるし大変荒っぽいところもあるし、あるいはまた大変何といいますか、荒っぽいということに通じますが、やや幼稚だとか、そういういろいろな細かいことを申し上げますと、手口的に見るといろいろな角度から分析できる事件でございまして、したがいまして富山県警察では政治的な目的の犯罪等を含めましていろんな角度から検討をし捜査を進めている次第でございます。

 遺留品につましても、これは各方面にわたりまして相当詳細な捜査を遂げておりますが、遺留品の中で製造元が判明しておりますのは、犯行に使用されましたタオルのうち一本だけが大阪の方面のあるところでつくられたというところまでは判明しております。しかし、その余の遺留品につきましては、残念ながらその製造元にたどり着いてない状況でございまして、その製造元がじゃどういうところだということにつきましても、これはいろんな人たちにいろんな角度から検討を求めておりますが、明確なその製造元等についての推測と申しますか、合理的な推測はまだできてないと、こういう段階でございます。

○和泉照雄君 使った手錠というのはしんちゅうの本物であるけれども、国内で生産をされたそういう記録はない、外国のものであるということはこれでもわかるんじゃないかと、私はそのように推測をしますが、そのほか、さるぐつわ、これはゴム製のもので特別な製造の品物であるというふうな新聞報道もあるようでございますが、それから帯、それから布袋ですね。これなんかも明らかに日本製でなくて外国製であるということからすると、やはりこの一連に四十日の間に四組の若い類似性のある男女がこのように跡形もなく失踪するということは、これは法治国家の日本で許される問題ではないと、こういうふうに思うんですが、警察庁の方はこれに最近積極的に取り組むというような報道があるやに聞いておりますが、どの課でどのような取り組みをされるおつもりなのかお聞かせ願いたいと思います。

○政府委員(中平和水君) まあ、この四つの事件、一つは確実な事件でございますが、あとの三つの問題と結びつくかどうかという問題でございますが、現在までの捜査では、富山県の事件と他の三つの事件との間に関連性があるという客観的な証拠は実は何もないわけでございます。確かに大変同じ時期にそうした若い男女が約四十日ぐらいの間にいなくなっておりますから、そういう点については確かに御不審をお持ちの向きもあろうかと思いますが、私ども純粋の捜査の立場で申し上げますと、いまのところ客観的な関連性というものは出てまいってない。富山の場合は四人組が明らかに襲ったということは、もうこれは明確でございますが、他の三件につきましては、先ほど保安部長から御説明がありましたように、全くこれは事件か事故か、何か皆目その現場に証拠になるべきものが何も残ってないと、こういうことでございます。したがいまして、いま私どもといたしましては、これは何としても事件性のはっきりしている富山県の事件の解明をすることがまず第一でございまして、富山県にはそうした三つの事件、三つの若い男女がいなくなった事件との関連があるかどうかということも含めて捜査を鋭意遂げていくように指示をしてございますし、それから犯人にたどり着くのは、何といってもこれは残された遺留品でございますから、遺留品につきましてさらに鋭意捜査を続けてまいると、こういう方針で臨んでいるわけでございます。

 先ほどまた御指摘のありました手錠の問題でございますが、手錠につきましても必ずしも外国製品ということは言えませんで、ある程度総体的に申し上げられることはかなり古い品物であって、しかもかなり、まあ何といいますか、程度のよくない手錠であると、こういうことが言えるわけでございますが、それがまあどこで製造されたものかということにつきましては、証拠上それを裏づけるものは何もないと、こういうことでございます。

○和泉照雄君 最後に。
 鹿児島の吹上浜で起こった事件も、電電公社の職員とか青年団とかあるいは巡視艇も出て数日にわたって捜索したんですけれども、証拠はサンダルが片方だけが発見できたという、きわめて奇々怪々な私は事件ではないかと、このように思います。そして世間では、マスコミも追跡をしておるということでございますが、方舟の事件等でも強制捜査に乗り出されたようなことでございますが、優秀な警察陣を擁しておる日本で全然わからないということがあってはまことに情けないことではないかと、こういうように思うんですが、こういうようなマスコミの方々の協力を受けながら、こういう問題の解明をすべきではないかと思うんですが、警察庁長官いかがですか。

○政府委員(中平和水君) お答え申し上げます。
 先ほど保安部長の報告の中にもございましたように、まあ私どもといたしましては積極的に各方面の協力を得、特にマスコミの関係の方々の御協力も得たいと、そういう気持ちでいろんなテレビのショー等にも家族の方に積極的に出ていただいて、各般、各方面からの情報を一応求めていると、こういうことでございますから、今後ともそういう方面の協力を得まして一層努力をいたしまして、一日も早くこの事件の解明に当たってまいりたいと、こういうように考えております。


1980/03/24

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