2002/02/20

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津島委員長 平成十四年度一般会計予算、平成十四年度特別会計予算、平成十四年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします。
 本日の午前は、外務省関係予算に関し、特にNGO問題についての集中審議を行います。
 これより参考人田中眞紀子君に対して質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。浅野勝人君。
浅野委員 自民党を代表して質問をさせていただきます。
 一連の問題に対する世の中の人たちの思いを代弁して、率直に伺います。端的なお答えをお願いをしておきます。
 田中議員は、外務大臣をおやめになってからも人気は一向に衰えていません。高い眞紀子人気はなぜか、御自分ではどうお考えになっておりますか。
田中参考人 高い支持率があるかどうか、私には自覚は余りできておりませんけれども、あえて申し上げるとすれば、私の政治信条は、議員になりましてから約九年になります、その中で、私は、主権在民、私たちは国民の皆様の目線で、どういうニーズが生活者の視点であるのかということを決して忘れてはいけないと思っておりますし、それから、やはり私たち国民、私たちみんなの幸せと、それから邦家の進展、そして世界の平和のためにどのようなことをするべきかという視点でいつも物を考えていることが少しは理解していただいているのかというふうに思います。
浅野委員 私も、田中大臣が外務省職員の不正を厳しくただし、政治生命をかけて役所の改革と取り組もうとしたその姿勢が人々の共感を呼んだんだと思っています。
 実は、私は、スロバキアという中部ヨーロッパの小さな国の友好議員連盟をつくって会長をしております。九年前にチェコから分離独立したこの小さな国が、日本大使館を置いてほしいという長い間の要請がありました。やっとその思いがかなって、一月二十二日に首都のブラチスラバに日本大使館が開館されました。
 ところが、人事の大臣決裁がおくれて、大使館の開館に初代の大使が間に合わなかったんです。外務省の事務当局は、去年の秋のうちに人選を終えています。田中大臣にとっては記憶にもないくらいのささいなことだったと思いますけれども、小さな国が経済大国の日本から軽く扱われたと思っている節があって残念でなりません。
 これは、外交が正常に機能していなかった小さな例にすぎませんけれども、一事が万事ということもございます。田中大臣が外務省の職員の不正と取り組むその姿勢が高く評価されている一方で、外交活動を空白にさせたという批判があります。的外れの批判ですか。
田中参考人 いろいろな見方があるというふうに存じますけれども、私は、決して外交を空白あるいは空転させたという思いはございませんで、もし、私が昨年四月二十六日に着任したときに、この一連の不祥事が完全にいわゆる松尾事件で終了して、本当にふたが閉められてしまったと私は思っておりましたけれども、あれで完結しているのであれば、私は今までどおり、諸先輩がなさっていたように、外交だけに専念ができたと思っています。
 しかし、松尾事件で終わったはずであったことが、数千万円だと言っていたことが、少なくとも一番最後のプール金の問題までで十億円を超す公金横領ですとか、不祥事が、私になりましてからも七つぐらいの事件が出ていることは委員も御案内のとおりでございます。そして、私は、普通の、本来の外交をやりながら、そうした問題にも対応せざるを得ない特殊な立場にいた外務大臣であったということをまず御理解をいただきたく存じます。
 したがって、今御指摘の国の大使のことですけれども、いつも、大臣が判こを押さないとか、そういうことがしょっちゅう喧伝されておりました。ですけれども、それは御迷惑をおかけしていますけれども、根本に人事というものが、私は常にお金と人事というものが、民間の企業もそうでしょうけれども、官庁には大変重要なファクターであるというふうに思っておりまして、その二つのルールがめちゃめちゃに運用されていたということ。
 そして、何度も外務省改革のことを申し上げ、大綱もでき上がりましたけれども、事務当局がそれを完全に無視をして、毎月人事を、たくさんのときもありますし、少しのときもあります。その中で、これからの質疑で出てくるのかと思いますけれども、もう議員と癒着をしていると。もう外務省の方々、私が着任したその日から出ているんです。驚愕しました。そうした中で、三年のルールということを、私たちが副大臣や政務官と一緒に、民間の方の知恵もかりながら築くのに大変骨を折りました。その方は今も六年十カ月、同じ場所にいます。松尾事件の教訓は何だったんですか。浅川事件は何だったんですか。したがいまして、勝手に、たくさんの中に、動かすべき人を動かさないで、そしてその逆もあったということ。
 ですから、私は、全部は、細かいことは国務大臣はやっている時間がありません。たくさんの法案をつくったり、委員会で答弁をしたり、二国間会談があったり、電話会談があったり、あるいは国際会議、十三もこなさせていただきました。条約も通しましたし、テロ特措法の審議もございました。そうした中で、限られた時間の中で、体力の中で、そうしたものが突然出てきましても、その中に、私は何度か怪しいという言葉を使いましたけれども、そういうものがいつも紛れ込んでいる。入れるべき人を入れない、逆に言うと。そういうことがあったということを申し上げたいと思います。
浅野委員 今、参考人が触れられた、特定のNGOをアフガン支援国会議から排除しようとした問題についてですが、外務大臣の折、田中参考人は、一月二十一日午前十一時四十五分、高輪プリンスホテルから野上当時の次官に電話をして、このNGOを最終日の閉会セッションには出席させるようにという指示をなさいましたですね。
 その折に、予算委員会のあなたの答弁によりますと、野上次官は、鈴木さんは、鈴木宗男議員のことですけれども、鈴木さんは難しい人だ、それに前からの経緯もある、鈴木さんの言うことを聞かないわけにはいかないので、これは絶対に出席させられないと言ったとありますが、間違いありませんか。端的にお答えください。
田中参考人 間違いございません。
浅野委員 あなたは、野上次官の言ったことを、これは大変なことだと思って、民主党の菅直人幹事長からの申し入れ書に「私がもうだあっと走り書きでいいからと思って書きました。」と述べて、予算委員会でその証拠の紙を見せておいでですが、この答弁も間違いありませんか。
田中参考人 間違いございませんが、多分委員はこの紙のことをおっしゃっていると思いますが、時系列が、この菅先生からの申し入れがあって、お会いしたのが一時四十分で、その前の時間の段階で重家局長及び野上次官と話をしているのでこれはあり得ないということが言われましたので、そのことをお確かめであれば、私は、本会議が始まる前に、バッグからこの紙を菅先生からいただいた後出しました。ほかにメモ帳を持っておりませんでした、この日は陛下が御臨席の開会式等もございましたし。
 この当日の予定表、これは役所がつくったものですが、大変複雑な、大変過密なスケジュールでございまして、七時二十分に朝家を出ましてから、夜までずっとスケジュールがございました。その間でしたので、私は、バッグから、この紙は本当は重要な紙だから書いていいんだろうかと一瞬思いました。ですけれども、記憶が間違えないうちに即メモを書いておくために、大事な紙であってもそれを取り出して書くということは人間あるのではないでしょうか。
浅野委員 今お答えいただいたことを私は確かめておきたいと思ったんですね。
 午前十一時四十五分に電話をなさった。衆議院本会議わきの廊下で菅幹事長から申し入れ書を受け取ったのは、おっしゃるように午後一時四十分なんですね。そうしますと、午後受け取った紙に午前中の電話のやりとりを走り書きはできないのではないかということを思ったわけですね。
 通常は、通常は、電話をもらったときに、覚えておこうと思ったら走り書きはするでしょうから、午後受け取った紙に午前中に書くというのは妙な話だなと思ってただしました。この日は、おっしゃるように、朝早くから夜遅くまで大臣のスケジュールが立て込んでおいででしたから、何か時間の勘違いでもあったのかなと、そういう思いがあって伺いました。
 これは、あなたの答弁を記録した予算委員会の議事録に基づいて予見を交えずにありのまま申し上げたんですが、今のお話で、午前中の話を午後受け取った紙にその後時間の合間を見て走り書きをしたということが、伺って、ああそういうこともあるんだなというふうに存じました。
 それから、一月二十四日の朝、予算委員会が始まる前、国会連絡室で答弁の打ち合わせをしていた席で、例の特定のNGOと鈴木宗男議員との関連について、あなたは予算委員会で、野上次官が具体的に名前をおっしゃって認めておられましたと述べておいでです。ところが、同席していた外務省の職員、幹部ですね、八人が、総理官邸の詳細な事情聴取で、そういうことがあったと答えた人はいないそうなんです。
 この同じ席であなたは、鈴木議員と会ったのではないかとか、鈴木議員から電話は来なかったかなどと出席者に聞いていらっしゃいますので、混同したんじゃないでしょうか。
田中参考人 重要なポイントでございますのでちょっと明確にお答えをさせていただきますが、先ほどのまず二十一日の件でございますけれども、これは私は、NGOが排除されたということは、前の二十日の日にレセプションがございまして、パウエル長官とバイの会談をやって、レセプションがあって私がスピーチいたしました。その帰りに、ホテルの玄関にずっと並んでいたカメラの放列の中から、一部のNGOが排除されたことを知っていますかというお尋ねがありまして、そのときに、私は知りません、後ろにいた秘書官にも知っていますかと聞きましたら、全然知りませんと言われましたので、そこで何かと思いました。
 それから、その後私はずっとそのことが気になっておりまして、そして、先ほどお見せした忙しい日にちの中で、最初に八時十五分に重家局長に、この日は臨時閣議がございました、朝八時から、そして、車の中で重家さんにまずかけています。確認をいたしました、排除なんかあったのかと。そこで本人は認めています。そして、このことは次官が知っているのかと、どういうことなのかと手短に聞きました。そのときに、議員の名前、出ております。そして、その後が、野上さんには今度バイの会談をやった後に、ホテルですね、ホテルの中からおかけしています。それから、ここの外の、お手洗いのところだと思いますけれども、そこでもおかけしておりまして、その中で先ほど委員がおっしゃったようなことがありました。
 それで、私は、総理にはこのことを、お心を煩わせてはいけないと思ったのでこれは申し上げずにおきたいと、自分でいつも外務省のことは対処するようにおっしゃっておられましたので、できるだけお心は煩わせずにと思いましたけれども、菅幹事長が面会を申し込んでおられるということを衆議院本会議が二時から始まる前に秘書官から聞きましたので、これはもうただごとではなくなるので、総理にお話をしなければいけないと思いました。それで、総理にももちろん事前に申し上げました。それから、出てきて、廊下で菅幹事長にお目にかかっているわけですけれども。
 ですから、先ほどの時系列の問題、その途中で私が、秘書官とか警護官もいました、何時にかけたかしら、あれはどう言ったかしらと確認しながら書いておりまして、これを、言い違いがあってはいけないと思ったので、先ほどの紙に走り書きをしたというのが実情です。
 それから、二十四日の件でございますけれども、確かにこれは、大勢がいて、間違いなく全員でその話をしていたという証拠がもうございまして、それは、この二十四日の日に菅委員から質問があったんですね、出ておりました。そこにもう答えがあるんです。これについての勉強会を政府委員室というところでもってやりました。時間が非常に短かったんです。
 その質問の趣旨は、アフガン復興支援会議では、アフガン復興に取り組んできたNGOが外務省によって出席を拒まれた、鈴木宗男衆議院議員が外務省に圧力をかけたとされるが、外務省はなぜ出席を拒んだのか、このような暴挙が許されるのか、外相の認識いかん、これが菅先生の質問でございました。
 あと、ほかの委員の方から想定されている問題等もございましたが、このことが私はずっと、その二十日の日から、そして、外務省が、もうこのことが起こる以前から、私が着任以前から、時間があれば私もちろん申し上げますけれども、着任以前から、もう役所自体が政治家のプレッシャー、それと、逆に言うと癒着しちゃっていると。みんながもう日常的に言っているんですね、あの先生に聞かなければと。人事が特にそうです。もう日常的です。在外にいる人もそうです。みんなそうなんですよ。驚きました、私は、知りませんでしたから。その中でこうなりました。
 したがいまして、なぜ出席を拒否したかについて、私は事務次官と接触をしたかったので、前の日から、出てくるように、そして、私は、二十三日の夜だと思いますが、打ち上げパーティーをやっております、アフガンの御苦労さん会を。そのときにも、野上さん来ていません。もう秘書官を通じて、小町さんを通じて、とにかく、このことがあるから必ず委員会で聞かれるに違いない、だれかからきっと聞かれますよと。したがって、このことをと言って、このことの勉強会をやったんです。したがって、鈴木さんの話が出ております。
 そして、今おっしゃったようなペーパーですが、私も手に入れていますが、そのときには七人が出ておりまして、プラス私と野上さん。野上さんは、その日の同じ時間に食事の会がある云々言っておりましたけれども……(浅野委員「端的にお願いします」と呼ぶ)端的に申しますが、一番大事なポイントです。これは一番大事なんです。
 そこで、どうしても、来ないと私は事実を全部言わなけりゃいけなくなりますよと申しましたらば、彼が途中で入ってきました。そして、そのときの会話の一部が、ごらんになったのはこれだと思いますけれども、これを、私に相談もせずに、御自分で官邸に、何かしょっちゅうあの日は行っておられて、一回は御本人が、あれは後で私が官邸にファクスしたと、どなたにと、官房長官かどなたか知りません、副長官か。そこまで、私の知らないところで官邸と仕事をなさっていたということを申し上げます。
浅野委員 国会での論議はその点の食い違いからスタートしているものですから、参考人おっしゃるとおり、ここが今回の議論の発火点になっているものですから、食い違いを改めて確かめさせていただいたわけですね。
 それから、報道の後追いは私はしないことにしておりますけれども、一つだけ触れさせていただきますが、外務省の部局が裏金をプールしたことにメスを入れた結果が十一月三十日に発表されました。その折、田中大臣もみずから一カ月分の外務大臣の報酬を返納するとおっしゃっているわけですけれども、そのことについてまだだというような報道があったものですから、それについてちょっと、時間が参りましたので、一言だけ。
津島委員長 一言お願いします。田中参考人。
田中参考人 この問題につきましては、前の大臣もそうでいらしたかと思いますけれども、私も自分の外務大臣としての給与の半額をお納めするということを十一月三十日に霞記者クラブでもはっきり言っておりまして、メディアも全員わかっております。そのときに私は、私がいただくその大臣としての中から引いてほしいということを言っております。
 ところが、その指示が出ているにもかかわらず、そのとおりに、相変わらずお金については極めてルーズで、そして私が突然更迭された段階で事務的に処理がされていなかったのです。したがいまして、私は、一番最後の件についてはお払いできていませんで、外務大臣あてに、そして小町官房長あてに……(浅野委員「お払いになったのですか、まだですか」と呼ぶ)ですから、それについてどのように振り込むのか。
 ところが、現在一議員でございますから、これは、何ですか、政治資金規正法に違反すると。それは、事務方が十一月の段階、十二月、一月でやらなかったから起こったことじゃないんでしょうか。
浅野委員 終わります。
津島委員長 これにて浅野君の質疑は終了いたしました。
 次に、野田佳彦君。
野田(佳)委員 民主党の野田佳彦でございます。
 一月二十八日に、当時の田中大臣が、私は一つの決意を持って臨んでいる、政治不信を払拭できるか、外務省改革をできるか、意を決して来たとお話をされました。
 今大臣でなくなられましたけれども、私は、政治不信の払拭と外務省改革は、きょうこの場で真実を白日のもとにさらすことによって十分可能だと思っていますので、ぜひそうした思いでお答えをいただきたいと思います。
 一番大事な部分について先ほどお話がございました。予算委員会における田中代議士の御答弁、野上事務次官が具体的に鈴木さんの関与、名前を挙げたということを明言されまして、先ほどもそのことが確認をされました。
 ということは、野上次官は、当時の次官は、きっぱりそのことを否定をしていました、記者会見でも予算委員会でも。鈴木代議士はあなたのことを、うそをつく癖があると言った。福田官房長官は、あなたの勘違いと言った。外務省の申述調査結果も、これもみんな事実を認めていない。あなたがうそをついているという、ある意味では包囲網なんですね。国民の皆さんはそう思っていないかもしれないけれども。
 ということは、あなたの先ほどの御答弁だと、従来と変わらない御見解です。自分が言ったとおりだということですね。だとするならば、鈴木さんがうそをついている、野上さんがうそをついているということでよろしいでしょうか。
田中参考人 鈴木先生のことはわかりませんけれども、野上次官については、残念ながらそうであると申し上げます。
野田(佳)委員 野上さんはうそをついている。
 官邸はどうですか。
田中参考人 官邸は、非常にネガティブな情報が外務省から頻繁にもたらされているために、善意で解釈すればですけれども、それをうのみになさっていたとしか思えません。
野田(佳)委員 それじゃ、政府見解についてお尋ねをしたいと思いますが、基本的には、この政府見解を見ると、田中代議士の言い分は認められていないものだと思うのですよね。これを、総理大臣も官房長官も、田中外務大臣は認めたとおっしゃっています。これはどういうことなんでしょうか。
 これ、ちょっと資料ありますからお見せします。よろしいでしょうか、お渡しするだけですから。
津島委員長 それじゃ、渡してください。
野田(佳)委員 この政府見解を田中代議士は認められたわけでしょうか。
田中参考人 結論から申しますと、棒をのむ思いで了とせざるを得なかったというふうに申し上げさせていただきます。
 なぜかと申しますと、先ほどもありましたけれども、全員が、出席していた人たちが、二十四日の朝の会で、ちょっと説明させていただきたいと思いますが、そのときに、最初の、これは官邸がつくられたものだと思いますけれども、紙がございまして、その中では、関係者の記憶、主張が異なっており、政府としては今後速やかに整理したいと、関係者の記憶、主張が違っているということがはっきり書いてある。これは官房長官から私が院内控室でいただいたものでございまして、伊藤先生、こちらにおられる伊藤公介先生もおられるところで確認をしております。
 ところが、それがどんどん変わって政府統一見解に、二回三回変わっていっているというふうに思いまして、最終的にこれになっております。
 その途中で、私は、この二つ目の、二ポツですが、「NGOの参加決定にあたり、特定の議員の主張に従ったことはない。」と当然のことが書いてあるのはなぜですかということを官房長官に伺いましたら、何でしょうかねとかおっしゃって、そして、多分これは文章を膨らますために必要だったのかとおっしゃったので、私は、本当だ、当時の外務省、与党側といいますか、私どもの立場でいけば、私個人は違うのですけれども、NGOの不参加についてとかあるいはNGOの排除に当たっては特定の議員の主張に従ったことがないということは官邸や与党は言いたかったのだろうと思ったのですが、参加決定なんて当たり前のことなわけですから。参加決定して、排除されて、また私が軌道修正したわけですから。それを、いや、文章を膨らますんだという御説明がありました。
 別室で、小町官房長と、それから官房四課長のうちの一人がおりまして、そこでも私が聞いています、秘書官と一緒に行って。そして、これは何だということを言いましたらば、これは余り意味がないということを言っておりましたけれども、でも、これは不参加というならわかるけれどもということを言っております、排除についてというのならわかるからと。文言をすりかえたりあいまいにするのは各役所が得意なことは、先生方、皆様御案内のとおりと思います。
 そこで、私は、善意で解釈すると、参加ということを生かすのであれば、初めの参加では認めていて、それがだめになって、そしてまた参加になったから、結果オーライだという意味なのかしらと言ったら、小町さんは、ああ、そうです、大臣、そうですと言われました。私は、ばかみたいで、変なことを言うなと思ったのですが、これがどうなるか、私は何も聞かされておりませんでした。
 結論から言いますと、なぜ棒をのむことになったかと申しますと、もう全体でこれで走り出していて、予算が通らなくなる、野党が邪魔をする、こんなことをやっていて国会を空転させていいのかということが頻々と言われておりました。したがって、私は本当に、一国会議員として、孤独でもありましたし、懊悩いたしました。閣僚でございます。したがって、やはり私のような者を国務大臣の重責に登用してくだすった総理大臣に対する御恩というものもありますし、また、経済が厳しくて三百三十七万人もが失業している、この中で予算を通さなければいけないという国会議員、国務大臣としての使命がしっかりとありました。しかし、国会でうそをつくということは断じて許されません。
 したがいまして、私は、今示されたこの文章のあいまいさといいますか、不透明さといいますか、玉虫色というか、そんなことに私は納得はしておりませんでした。今もいたしておりません。しかし、そうではあっても、棒をのむ思いでぎりぎりの選択をせざるを得なかったということを申し上げさせていただきます。
野田(佳)委員 政府見解の文章はいろいろ出てきたけれども、最終的にはこの政府見解の文章を棒をのむような思いで、納得しないけれども一応認めたということの御答弁と理解してよろしいですね。納得をしていないということですね。これはとても大事なことだと思うのです。
 今までは、言った、言わないの問題につながる話でしたが、今度また新たに、出した、出さないという話が出てまいりました。ブッシュ大統領の歓迎レセプションに田中代議士は本当は出たかったのだろうと思うのですが、案内状が来ていない。だけれども、官房長官は出したとおっしゃっています。これまた事実は一つのはずなのに、なぜこうした二つのお立場があるのか、よくわかりません。
 案内状が来たのか来ないのか、お答えをいただきたいと思います。
田中参考人 きのう事務所のスタッフ全員で事務所じゅうも確認いたしました。記録も確認いたしましたが、案内状は届いておりません。
野田(佳)委員 案内状は来ていない。ということは、御案内をしていないということですよね。
 普通、正式にレセプションに呼ぶんだったらば、通行証とか、駐車場がどうなっているとか場所がどうだとかという案内状が来て初めて、これは私は正式の御案内だと思いますが、それが届いていないということは、では官房長官が言っていることが間違っている、うそをついているということでよろしいですか、確認をして。
田中参考人 それこそ官房長官のお得意な勘違いをなさっているのではないでしょうか。
野田(佳)委員 官房長官、勘違いということですね。
 それでは、田中代議士が外務大臣のころに一番取り組まれたかったのは、人事とお金を中心とした外務省の改革だったと思うんですが、人事案件について、二点だけお伺いしたいと思います。
 これはまとめてお伺いしますが、もともと、野上前事務次官、きのう退任しましたけれども、最終的には対立をした構図のまま終わってしまいました。必要な情報も大臣に上がらないような大変不幸な状況が続きました。その野上さんを昨年の八月の段階で形式的に任命をしているのが当時の田中大臣だと思うんです。なぜその野上さんが事務次官になったのか。これは、想像するに官邸の強い働きかけがあったと思うんですけれども、なぜ野上さんが次官になったのか、その経緯と、もう一人、上村司さん、今の南東第二アジア課長ですか、この方は、大臣就任早々のころの秘書官を務めていらっしゃったと思います。五月十一日に休養された、休暇をとられた。そのときに伏魔殿発言が出ていると思いますけれども。
 この上村さんは、先ほど出た政府見解にも多分深くかかわっているのではないかと思われますし、一月二十四日の、この後多分議論になると思いますけれども、鈴木代議士や松岡代議士と十一時半以降に外務省の高官たちが集まった場にもこの上村さんが来ています。節目節目でこの上村さんが出てきますね。
 上村さんは、もとは大島国対委員長が官房副長官のころのそれこそ秘書官も務めたことがあるという経歴ですし、中東アフリカ局出身で、鈴木宗男代議士とも、これまた影響力を受けている人だと思いますが、この野上さん、上村さんについて、どのように九カ月の在任中お感じになっていらっしゃいましたか。
田中参考人 関連、連動していることでございますので、まとめてお話をさせていただきたく思います。
 次官人事につきましては、私は、次官人事といいますか、外務省に行きましたときに、その日の夜、皇居で認証式が終わって、初登庁いたしまして、幹部との初対面といいますか、そこがございました。そのときに、途中から当時の欧州局長であった現オランダ大使がおくれてどたばたと入ってこられました。大変興奮した面持ちでございました。そして、私にファイルに入った二枚紙を渡されまして、大臣これを座右に、座右にと。全員長いテーブルで座っていますのに、一人だけおくれて入ってきて、どたばたとその書類を持ってきて、ここに立たれて、大臣、これを座右に、座右にとおっしゃったんです。
 何のことかわからなかったです。ほかの局長はみんなしらっとしていました。後でそれを見ましたらば、ある日本の大変重要な政策に関するものでございまして、あのような認証式が終わって大臣が来ただけのときに、本当の顔合わせのときに、そんなことを言うということは異常でした。
 即、上村秘書官に翌日からずっと聞いていました。そしてあることがよくわかりました。したがって、これは人事だと。先ほども自民党の先生の御質問にも話をしましたけれども、それも、各幹部にも聞きました。みんなが、それを動かさないと、それを排除しないと、もう外務省はだめなんだ、機能していないということを、むしろ外務省の方たちから私はレクチャーを受けたぐらいです。私は驚きました。
 そして、中村歌右衛門丈の御葬儀があった日なんですけれども、そのときに私はその御葬儀に行きまして、その後、だれと将来この人事全体、外務省を活性化するために、そしていい外交をするためにも、やはりいいスタッフ、みんながやる気のある外務省をつくるためには、やはりどういう布陣が大事かということはもう最初から念頭にありましたので、だれに相談するべきかと上村秘書官に言いましたらば、出てきた名前が加藤良三審議官、これはもうたしか衆目の一致するところでございます。今もそうだと思います、私は。
 私は、その方と野上さんが審議官で二人おられまして、そしてその方を呼んで内密に、どういうことを、次期次官になる方は、私は、人のお役所の人事のことなんか関心ありませんし、いかに機能するいい外務省にするかということしか念頭にありませんでした。ですが、彼は意見を言うことをかなりちゅうちょしまして、それも上村秘書官のアドバイスで、彼は非常に私、有能だと思いますし、非常に誠実ですし、私に本当にぴたっと吸いついていい仕事をやろう、そういう気持ちの感じられる秘書官でした。で、その話があったときに、これは当時の川島次官に相談をしてほしいということを言って、当時の加藤外審はかなりちゅうちょしておられました。そうしたことがいろいろ漏れて、人事に口を出した秘書官ということになったんだと思います。
 しかし、あらゆる意味でもって加藤さんということで、私は在外の方、ノンキャリアの方、一般事務の方、皆さんに聞きました。どうだろうか、だれがいいんでしょうかと聞くと、もう加藤さんですと。もう彼はクラウンプリンスなんです。
 そして、その線でずっといきましたときに、夏です、夏、官邸から突然、まあ官邸と外務省の事務次官というのは川島さんのころから、その前はどうか存じませんが、大変もう密接不可分な関係にあったようでございまして、なぜか知りませんが。
 そこで、私は、これは外務省からもらった私の在任中の日程表でございますけれども、これに外務省がしっかり書いてありまして、ここにおられる伊藤公介先生とそれから飯島首相秘書官という方があらわれまして、この日も勉強会を、私本当に外務省でいろいろな政策の勉強を十二分にやらせていただいたと思っていますし、感謝もしていますし、それは本当にすばらしいチャレンジングなことでした。そうした勉強会や、局長やなんか六、七人いるときですね、入ってこられて、人事の話になりました。
 その八月二日の夜に、九時〇五分、ここにも、外務省の書類に書いてございます。官邸に福田官房長官から私は呼ばれまして、たしかあのときには植竹副大臣も一緒に、私は一人では恐いものですから、ぜひ一緒に行っていただきたいと言いまして参りました。そこで人事について、大変、私にしたら恐ろしい経験をいたしまして、ああ、外務大臣というのは官邸にいるのかと思ったぐらいでございました。
 そして、八月三日、翌日です。ここにまたございますが、三日の一時、実は朝から飯島秘書官が、秘書官なんですね、総理秘書官だと思いますが、その方が朝から役所に来ておられました。これは金曜日です。そして、私に、とにかく早く人事のことで急ぐから話をしたいという督促がございましたけれども、私はこの日午後、局長たちと勉強会をすることになっておりました。総政局長、条約局長、経協局長、欧州局長、経済局長、北米局長、もうしょっちゅう勉強会を、私もうしょっちゅうやらせてもらっていました。
 その中で彼がずっと待っておられて、そして、私が登庁したのは午後ですが、そのときに即、彼が、大臣室にですよ、幹部と大臣が政策の勉強をしているときに飛び込んでこられまして、私は何事かと思いました。ここまで外務省に、政務秘書官というのはそんな偉いんでしょうか。私はこれもとにかく驚きましたが、だれも排除もできず、私もどうぞと申しました。そこで人事について彼が、私見かどうか知りませんが、省庁みんなが思っている人事とは違うことをおっしゃっています。これが官邸の意思だということだと思います。
 これは本当に大変な日でございまして、そして、この日も四時に、官房長官、官邸、また呼ばれております。なぜかと私覚えている理由もここに書いてあるんですが、ハワードというオーストラリアの首相が同じ時間に、先にハワードさんが四時に決まっていたんですが、その時間に割り込んで官邸に来いとおっしゃったので、相手は首相ですから、はい、私はぜひそちらに行くと言ったんですが、だめだと言われまして、官邸に呼ばれて、結果的にハワード首相との面会が、ホテルに伺うのが二、三十分おくれてしまったんですね。
 そこまでしても官邸が人事を覆すことを急いでおられたということ、その結果、野上次官が誕生したというふうに思っております。
野田(佳)委員 詳細にお述べいただきまして、外務大臣が官邸の中にいると。その名前は、じゃ、政務秘書官の飯島さんであるということでよろしいですか、印象として。
田中参考人 いや、だれとは申しませんけれども、やはり官邸からの指示であるということでございます。官房長官と政務秘書官が動いているということでございます。
野田(佳)委員 官房長官と、では政務秘書官ということで理解をいたしましたけれども。
 では、その官邸の意思によって、一月の二十八日から二十九日の未明にかけて、三人の方が辞任をするという措置がとられました。田中外務大臣、野上事務次官、そして鈴木当時の議運委員長でございます。
 これは、三方一両損とかけんか両成敗と言われていますけれども、実態は違うだろうと。鈴木代議士の場合は、ODAを初め隠然たる力を多分これからも持ち続ける、まあこれからの追及によって違いますけれども。それから、野上さんは、外務省をやめたわけではなくて、官房付であります。隠然とまだ次官級の力を発揮するかもしれません。外務省から完全に去ったのは、あなただけですよね。
 このやめ方の経緯なんですが、これは更迭なのか、自発的辞職、依願退職となるのか、やめ方についてちょっと経緯をお尋ねしたいと思います。
田中参考人 これはもうメディアで報道されているとおりでございまして、私は、その統一見解を私がなかなか渋っていたころから、これはいよいよ打ち首だなというふうなことは感じてはおりましたけれども、更迭だと総理がおっしゃったわけでございますので、依願ではございません。
 ただし、御存じない方がおられると思いますので申し上げますが、内閣総辞職をいたしますとき、私が前科学技術庁長官のときもそうですけれども、本意でなくても、フォームは、紙自体の形が依願というふうな形になっておりますことは申し上げます。
野田(佳)委員 更迭であるということですね。
 更迭をされました。更迭をされて、総理のその判断にどういうお考えをお持ちですか。たしか十二月に、たしか外国の通信社か何かのインタビューで、総理が変わった、ころっと姿勢が変わったと。これは外務省改革についておっしゃったんだろうと思います。落胆をしたというような発言をされていました。
 今回の一連のてんまつで、今までのお話を聞いていると、田中参考人は、自分が正しいと主張されています。正しくて、しかも、NGOを、排除されそうなNGOを戻したという、ある意味で軌道修正をした、正しい道をとられた方です。その方が更迭をされたわけです。更迭をされて、今の小泉さんに対する評価はいかがなものでしょう。率直なことをお聞きしたいと思います。
田中参考人 評価は国民の皆様が、お一人お一人がなさることだというふうに思っておりますので差し控えさせていただきますが、一月二十九日の夜の、更迭された深夜の出来事ですが、そこで私が発言したことは、記録にも残っておりますので御存じかと思いますが、私はあのとき、自分で大体予感がずっと、先ほど言ったようにございましたので、私としてはかなり落ちついていまして、ここに総理がおられて、山崎幹事長がでんといて、私のすぐわきに官房長官がいらっしゃって、そして、そこでもってさっきの会話になったわけですけれども、人事ということをおっしゃって、身柄を預けてくれとおっしゃったわけです。人事というのはだれのことかと私がもう一度伺いましたら、あなたのことですとおっしゃって、それで、事務次官もそうだと総理がおっしゃったので、私がそこで、事務次官の人事については私にしっかりとさせていただけませんかと申し上げました。
 ここで私は、政と官が、国務大臣と事務次官が、人格は平等かもしれませんけれども、職能が同じで相打ちみたいな形は間違っている、総理の判断は間違っていると思いました。なぜならば、今回のずっとの経緯を見ましても、NGO排除のことがきっかけですから、その中で、本人も言っているじゃないですか、重家局長も。次官だけであった、そこから上に上げていない、そんなことはあってはならないことなんです。
 ですから、私は現在、幹部公務員の報告義務という議員立法を手がけておりますけれども、まさしくあってはならないことを平然とやっている。それを官邸の方たちに、お墨つきを与えている。それが過去にも、かつてもあったわけです、きっとずっと。したがって、そのことが、もう大臣なんか必要なくて、私以外の大臣がどうだったか、今の大臣がどうかは私は存じませんけれども、官邸の後ろ盾があれば何でもできるということですよ。
 ですから、そうあってはならないということを私は込めて総理に、事務次官の人事については私にしっかりさせていただけませんかと申し上げたんですけれども、両方一緒だという総理の御判断、これは私は間違っていると思います。まず事務次官に責任をとらせて、様子を見るということはできたはずじゃないですか。そういう危機のときに、ピンチのときに判断がつかなかったということは、大変、総理のためにも残念であるというふうに思います。
野田(佳)委員 次官と大臣の、こういう同時の辞任というやり方については、更迭をされたということについては評価を避けたいというお話をされましたが、今明快に、総理は間違っていると明言をされたというふうに思います。これはとても大事なことだと私は思います。
 それから、この九カ月間、大臣として在任をされました。今までちょっと人事のことに偏って随分お話が出たと思いますが、例えば、大事だったのは、外務省の一番の聖域は外交機密費の問題、これは官邸に、内閣官房に上納されているという、その解明は残念ながら大臣在任中進みませんでした。あるいはプール金の問題。いろいろな問題があったはずでございますけれども、この九カ月の在任、総括をしてどのような御感想、特にお金の関連の解明についてはどうお考えでしょうか。
田中参考人 私は、改革のことばかりやっていたわけじゃ決してございませんで、十三回も、最後のアフガン復興会議に至るまで、最初の北京での国際会議から始まりまして、十三回の国際会議に出て、国内、外国で勉強もさせていただきましたし、発言もいたしました。
 外交というものは、国益を守るもの、国益と国益がぶつかる場、それが外交ですから、日本がどのようなスタンスで現在あり、将来どういう見通しに立って、いかなる方針を持つかということを言うのが外交でございますから、そうした場でしっかりと勉強もし、発言をしてまいりました。二国間会議もやっております、数多くやっております。電話会談もやっております。そのほか、皇居での侍立大臣をしながら、外交官とも話をしております。それは本当に、極めてチャレンジングであり、私は、勉強させていただいて感謝をいたしております。
 しかし、この外務省の問題の上納云々につきましては、もうないと、歴代の、これは閣僚中も申し上げましたけれども、官房長官、総理がおっしゃっておられますので、それはないと今も申し上げざるを得ないのではないかと思うんですが、ところが、会計検査院が九月二十八日、昨年、出した紙がございまして、これもよく内閣から言われましたが、ここにすべてがあるんじゃないんでしょうか。
 これは大事なポイントを言っています。内閣官房の予算執行事務の一部が外務省にゆだねられているのに、支払い委任等の会計手続がとられていなかった。「それぞれが所管する予算を自らの責任において執行する体制となっていない。」これらは赤字で書かれています。
 それから、会計検査院が指摘する原因及び問題。内閣官房と外務省で、総理外国訪問に係る事務及び経費の分担が明確でない、ここにはっきり書かれていますよ。それから、内閣官房で報償費の管理が明確に定められていないため、取り扱いが不明確な部分がある。
 それから、会計検査院が要求する是正及び改善も、また書かれているんですね。内閣官房と外務省における事務及び経費分担の明確化、報償費執行体制、機密費ですけれども、執行体制の整備、内部確認、監察体制の構築。
 これらを私の在任中にも随分具体的に外務省改革でつくりましたけれども、要はこれを本当に実行するのか、言葉ではなくて、それをしょっちゅうしょっちゅう第三者がチェックできるのか、それを情報公開するのか、説明責任を持つかどうか、これにかかっているんじゃないでしょうか。
野田(佳)委員 今の会計検査院の指摘であるとか今の田中代議士の御指摘は、全くそのとおりだと思います。
 そういうことを踏まえて、九カ月の間の成果もあるし、失敗もあったのかもしれませんが、総括をして初めて改革につながるはずですね。そのためにはちゃんとした引き継ぎが必要だと思います。今の御意見であるとか反省とかを踏まえて、ちゃんと川口新大臣に引き継ぐのが筋だと思いますが、これはちゃんと引き継ぎ、行われていますか。
田中参考人 外交の中身につきまして、具体的なイシューも大事ですし、またこの改革についても、私がじかに感じたこと、総理にも言えないことも外部に他言できないこともございますので、速やかに事務引き継ぎをしたいと思っておりました。私が言っているのは、花束をもらいたいとか省員の前で演説するとか、そんなセレモニアスなことを言っているわけじゃなくて、しっかりと……(発言する者あり)いや、いいんです。しっかりと話をしたい、二人で。
 ところが、もうこのことは終わってしまっていると現大臣がおっしゃって、それは関係ないと。では、私から、百歩譲って、小泉総理大臣に事務引き継ぎ、一切しておりません。総理が三日間外務大臣を兼務なさった間に、たしか休みの日も入っているんじゃないでしょうか。そうすると、何が引き継がれたのでしょうか。
 私はするべきであったと思いますが、この間、委員会があるころに、もう矢の催促で、川口大臣が、もうとにかく、引き継ぎではなくて、とにかく会いたい、会いたい、会いたい、どこでもいいから、そればかりうるさいほど言ってきましたが、委員会が終わったらぱっととまりました。そして、おとといか何か、引き継ぎでいいから会いたいとおっしゃってこられましたが、私が今多忙でございます、今もこのようにとらわれておりますので。考え中です。
野田(佳)委員 実態としては、田中大臣の後の小泉さんが外相を兼ねましたね。それのちゃんと引き継ぎされていない。しかも、今の川口大臣とも引き継ぎされていないという認識。引き継ぎというのは、双方が引き継いだという意識を持って引き継ぎだと思いますが、少なくとも参考人はそういう意識を持っていないということで確認してよろしいですか。
田中参考人 持っておりません。
 ただ、もう委員会が始まって、新大臣がどんどん発言なさっておられるので、官僚のペーパーを読んで、二週間ぐらいでなさっているんだろうというふうに思いますし、それでまた運んでいるわけですから、それで運んでいるという事実を、やはり私たちお互い議員一人一人がしっかりと、これが国益なのか、外交というのは、申し上げましたけれども、繰り返しますと、国益と国益がぶつかる場ですから、後でほぞをかむことにならないように、これは私ども一人一人、国会議員として、国民の代表としてしっかりと見ていく義務があるというふうに存じます。
野田(佳)委員 いろいろお話しされました。ぜひ、私の持ち時間、もうほとんどないんですが、なくなってしまいました。ずっと真剣にまなざしを向けて、真剣なお答えをいただいたことを感謝します。ありがとうございました。
津島委員長 これにて野田君の質疑は終了いたしました。
 次に、中塚一宏君。
中塚委員 外務大臣としての決定や方針というのが族議員の介入によって覆ったことがあったということを先ほどおっしゃいましたが、その族議員の介入ということの中に、族議員の中に、鈴木宗男さんを含みますか。
田中参考人 外務省の方々が日常的に言っていた言葉の中からも、当然含まれます。
中塚委員 田中さん、あなたは、外務大臣就任前から、鈴木宗男さんが外務省に対して影響力を行使しているというのは知っていましたか。
田中参考人 私は、個人的に存じ上げませんで、外務大臣になる前は。むしろ、あの先生は農林族というふうな方でいらっしゃるというふうに思っておりました。
中塚委員 ふだんから、そうしますと、この鈴木宗男さんという方は、人事等、外務省に対して介入をされていたということでよろしいんでしょうか。
田中参考人 六年十カ月にわたって盤踞しているんだという言い方まで外務省の職員の方が言われるその方ですね、ロシアの、国際情報局にいる方でしょうか。その方については動かせないということは、前の次官、前の官房長のころからずっと言っておりまして、一番象徴的なことは、私が去る、更迭になった一月二十九日の日に、小町さんがまた人事異動を持ってきましたので、ぱらぱらと見て、入ってないじゃないのと言ったら、その日にも、その期に及んで、言ったでしょう、鈴木先生の許可なくてさわれないんですよと言っていました。
 ただし、候補の場所を挙げていました。前の川島さんのころは、アメリカに行かせる、ほかの局長、某幹部、高級幹部もアメリカに勉強に行かせる、それから前の次官も今の次官もウズベクか何かに行ってもらったらどうかと。それから最後に聞いたのは、ロシアに行かせたら、何でと言ったら、大勢の中に入ったら見えなくなるからということを言っておられました。
中塚委員 続いてNGOの参加拒否の問題について伺いますが、このNGOの参加拒否の問題ですね、それに鈴木宗男さんが介入をしたというのは、一番初めはどなたからお聞きになりましたか。
田中参考人 重家さんです。重家局長です。電話のときでございます。
中塚委員 あなたは、そういう意味で、NGOのこの参加拒否の問題、鈴木氏の介入ということが発端になりまして、国会が混乱をし、その結果として更迭をされたということになると思うんですが、いかがでしょうか。
田中参考人 そういうふうに言われております。更迭の理由として公にそのように言われておりますけれども、それはむしろ、そういう圧力はあちこちから、私、前の予算委員会でも申し上げていますけれども、圧力等はいっぱいあるかもしれない、どこの委員会も。しかし、それを正しく解釈をして排除する見識を持つべきだし、それ以前に、そこまで強い排除要求があったのであれば、国務大臣たる私に言うべきであったということは事務方によく言っております。しかし、それを私と相談もしないで、即また官邸と言って、そこでもって勘違いでないかとか、あるいは、いろいろなことが言われていますけれども、そういうことは極めてゆゆしきことであるというふうに思っております。
中塚委員 この一連の騒動を指して、福田官房長官は会見等で、外務省内の問題だというふうにおっしゃっていたわけですが、それについてどう思われますか。
田中参考人 総理もそのようにいつもおっしゃっておられて、外務省内のことは自分でやるようにと、確かに私にも何度もおっしゃっておられました。
 しかし、そうでありますが、私がいつも感じていたことを、ちょっと幼稚かもしれませんが申しますと、やっていいんだよと。総理に私が、でも総理と意思確認をしないとこれは大変なことになると思うときに、必ず、総理のサポート、バックアップが必要でしたから、必ず電話なりじかに伺って御意見を伺っています。そうすると、もう総理は、もういい、いいという感じで、もう外務省でやって、やってという感じなんですが、でも、そこで、妨害をしている外務省とつながっている人が官邸にいるわけですから、その者を排除してほしいということを私が申しますと、総理は、聞かなかったことにしてくれという話になるんですよ。
 したがって、私は、例えは悪いんですが、前へ行って自分で自由にやれ、自由にやれと言うから、動こうとすると、スカートをだれかが踏んづけているので前へ出られないんですよ。それで、だれが踏んでいるのかと思って見ると、言っている本人じゃないかなという思いがずっとしておりました。
中塚委員 そういった意味で、外務省の事務方というのは、あなたの言うことよりも、族議員または総理官邸の言うことの方をよく聞いていたということでよろしいんでしょうか。
田中参考人 そのとおりですし、ですから、必要ないのであれば外務大臣というポストはやめた方がわかりやすいんじゃないんでしょうか、廃止した方が。
中塚委員 今までの委員会答弁、予算委員会での答弁、そして本日の御答弁、大変誠実にお答えになっていただいていると思いますし、そしてまた事実をお答えになっている、お話しになっているというふうに思うんですが、そういう意味で、田中先生、今お話しいただいたことはどのような場所でもお話しいただけますよね。
田中参考人 議事録を正確にちゃんと見ておかないと、またメモを書いたりすると、時制が違うとか言われますので、しっかりと記録を見ながらでしたらお答えできます。
中塚委員 もちろん、そういった一連のお話の中で言われたこと、そのことについては、まあどういった場所でもお話しをいただけるということでよろしいわけですね。
田中参考人 はい。
中塚委員 次に、引き継ぎの問題をもう少し詳しく伺いますが、総理とは引き継ぎはされていないわけですね。
田中参考人 いたしておりません。更迭というお話があって以来、言葉をいただいたこともございませんし、呼ばれたこともございません。
中塚委員 そのことについて、あなたがずっとやってこられました外務省改革及び外交の問題というのが今の川口大臣に引き継がれていないということについて、どのようにお気持ちをお持ちですか。
田中参考人 まあ、官邸と事務方が上手に補佐をなさって、しっかりとやってくださるというふうに期待をいたしております。
中塚委員 予算委員会での答弁でいきますと、二十四日の日に、まず田中さんのお話がありました。朝の勉強会で鈴木宗男さんの名前に言及があったというふうなお話があったわけですけれども、それ以降、二十五日、そして二十八日、二十九日というふうにつながっていくんですが、この週末、土日の間に、その答弁調整というか事務方との打ち合わせというのはあったんでしょうか。(田中参考人「何ですか。もう一回、済みません」と呼ぶ)
 二十四日の予算委員会で、まず、菅直人議員の質問に対して、鈴木宗男氏の名前が出たというふうなお話をされましたが、その後、月曜日、火曜日と予算委員会が週を越えてあったわけですね。月曜日の予算委員会、その後の夜にあなたは更迭ということになったわけですけれども、週末、答弁の調整をする機会があったというふうに思うんですが、事務方とは答弁の調整というのはされたんでしょうか。
田中参考人 事務方といたしておりません。
中塚委員 こういう、田中さんが意を決してお話しになったことについて、事務方と答弁の打ち合わせもないということについて、どのようにお考えになりますか。
田中参考人 事務方と申しますよりも、ここでまた伊藤先生があらわれるわけでございますけれども、それから大島国対委員長、この方、大島先生は、先ほど言った上村秘書官と大変親しい関係におありになると。大島国対委員長が、何ですか、官邸での、官房副長官か何かのときの秘書官でお仕えしたということで大変親しい関係におありになるそうでございまして、この大島委員長と伊藤先生で、一種の、簡単に言えば手打ち式をするというか、そのようなことについてのすり合わせみたいなことがございまして、そこでは、先ほど言っている、外務省がみんな一緒に、二十四日の日に話がなかったと言っているけれども、実際は、伊藤先生から私がいただいたあの例の紙ですけれども、それによりますと、そのうち一名が所管事項でもないのでよく話を聞いていなかったと。七、八人中、七人ですね、次官と私を抜かすと、佐藤アジア大洋州審議官が聞いていないと言っています。それから、三人の説明では、次官から発言がなかったと言っていると。この三人というのは、野上さんと重家さんと宮原さんの、この経協であり、中近東アフリカ局関係ですから。そのほかはコメントしていないわけです。
 ですから、最後の二十九日になって、私の秘書官及び秘書官室の人が呼ばれて、福田先生と、安倍先生、安倍官房長官と思いますが、いろいろ聞かれて、まあ、そうだったということになったんでしょう、そう思っています。そういうふうなことはやりましたが、私は手打ち式はいたしませんでした。
中塚委員 終わります。
津島委員長 これにて中塚君の質疑は終了いたしました。
 次に、佐々木憲昭君。
佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。
 田中さんに率直にお伺いしますけれども、あなたの外務大臣在任中に、特定の国会議員の圧力によって外交がねじ曲げられようとしているということを実感したということはありますか。あれば、お話をいただきたいと思います。
田中参考人 特定の議員だけではなくて、やはり、ここ何年間、何回かの内閣の中でそういうふうな方向性が出されてきているというふうなことは理解いたしております。
佐々木(憲)委員 私は先日、北方四島人道支援に関連をしまして、鈴木宗男議員が介在して、ムネオハウスですとか、あるいはいろいろな個人名、いろいろといいますか、宗男さんの個人名をつけた、そういうふうに呼ばれている家ですとか、あるいは車ですとか診療所ですとか、そういうものを明らかにしたんですが、田中さん、御在任中に、こういううわさを聞いたり、あるいはこういう問題について疑念を感じられたようなことはありませんでしたか。
田中参考人 相当な御活躍であるやには聞いて、漏れ承っておりましたが、それほど具体的なものがあるということは承知いたしておりませんでした。
佐々木(憲)委員 アフリカに対する影響も大変大きいということを私も指摘をさせていただきましたが、この点については、何かお感じになったことはございませんか。
田中参考人 外務委員会で、あるいは予算委員会もあったかと思いますけれども、主に外務委員会で、ケニアのソンドゥ・ミリウでありますとか、それからミャンマーのバルーチャンもあります、これはアフリカじゃございませんけれども、それらについて具体的に何度も質問がございました。
佐々木(憲)委員 それだけ影響が、関係が深かったということだと思うんですけれども。
 次に、上納問題についてですが、先ほど、会計検査院の資料を御指摘になったわけですけれども、この上納問題について、今の段階で上納はなかったというふうにお考えなのか、それともそうではないとお考えなのか、そこはどうでしょう。
田中参考人 先ほどの、会計検査院が、公的機関が書き込まれていることの中からそれぞれが理解するしかないというふうに思います。
佐々木(憲)委員 理解するというのは、もうちょっと具体的に言いますと、事実上あったということですね。
田中参考人 いや、これは、国会でも私も大臣中に御答弁申し上げているとおりでございまして、歴代の官房長官、外務大臣、総理大臣がなかったとおっしゃっておられますので、それを繰り返させていただきます。
佐々木(憲)委員 どうも同じ御答弁なんですが、現時点で、この上納問題を含めて、機密費の全体像についてすべて解明されたというふうにお考えでしょうか。すべてが機密費の内容について解明されているというふうにお考えか、いや、まだこれは始まったばかりだというふうにお考えか、どちらかお伺いします。
田中参考人 機密費は削減されましたけれども、十四年度で三十三・四億円。前は五十五・七億円もございましたし、ODA予算も一兆円あるわけですね。外務省分だけでも五千億円、五千億円ですよ、あるわけですね。渡切費、これは在外公館が、大使館等が自由に使うものですが、使い切っていいということです。七十五億円もありますね、これは。機密費の倍以上、倍近くあるんですか。そうしますと、あと諸謝金というのが三十四億円もありますので、まだまだいろいろなことが起こる素地は十二分過ぎるほどあるというふうに思います。
佐々木(憲)委員 終わります。
津島委員長 これにて佐々木君の質疑は終了いたしました。
 次に、横光克彦君。
横光委員 社民党の横光克彦でございます。
 きょうは、田中眞紀子参考人、御苦労さまでございます。
 まず、私たち国民は、田中前大臣に心から感謝しなければならないと思っております。さきのアフガン復興支援会議に、NGO、参加拒否された二団体を、次の日には、強い指導力のもと復帰させることができました。そして、国際的な信頼の失墜を阻止することができた。さらには、伏魔殿と称されておりましたが、ベールに包まれていた外務省の底知れない腐敗体質を国民の前にさらけ出すことができた。今、多くの国民は感謝していることかと思います。
 そのあなたが、残念ながら更迭という事態になってしまったわけですが、あなたは、いわゆる小泉内閣の誕生の生みの親とも言われております。小泉内閣誕生から更迭まで約十カ月、この十カ月、大変劇的な思いでいっぱいであろうかと思いますが、小泉首相はあなたから見てどのような人物であるかということも含めまして、この約十カ月の今の思いを、思いのたけをお話しいただければと思います。
田中参考人 総理には大変私は御指導をいただきましたし、先ほども申しましたように、私のような者をこうした重責に据えてくだすったということに対して、生涯御恩は忘れません。その気持ちは変わっておりません。
 しかし、この九カ月間での外交、それからほかの問題、いろいろ、防衛の問題もありますし、いろいろ言われている国土交通省絡みの問題も、もう委員皆様が、国民の皆様も御存じのとおりですけれども、やはり古い体質といいますか、まあそうでしょうね、十年間も国会議員をなさっていて、六十歳過ぎておられて、そういう中で、一見新しいことをおっしゃるし、格好もよくていらっしゃるんですけれども、やはりこういう対応の仕方を見ていますと、やはり御自分がおっしゃっているような、聖域なき構造改革であるとか、とらわれず、何でしたか、何とかせず、とらわれず、ずとおっしゃっている。それがなくて、むしろそれに逆にとらわれて、御自分自身が抵抗勢力であるということに踏み切ってしまったのではないかと私は思っております。
 したがって、大変残念なんですけれども、私は、やはり政治改革をするということ、まず政治改革なくして構造改革はあり得ない。これは私、前も申しました。隗より始めよです。そして、取り巻きが悪過ぎます。それをもう少しやはり主体性を持って、私は生み直すこともできませんし、閣内に復帰もあり得ないわけですから、一議員として議員立法をしたりいたしますけれども、その中で、やはり私はたくさんのことを外務省の皆様から教えていただきました。
 特に一番感謝しているのは、若い秘書官グループがよくやってくだすったこと。私がたった一人で去る日に、ある若い大臣室の職員の方が、立ったまま涙をぽろぽろ流して、大臣、大臣、何もできなかったと言ってくだすったこと、このことは終生忘れませんし、たくさんのノンキャリアと言われる方たちが在外でも一生懸命一生懸命日本の外交のために働いておられますから、私はよい勉強をさせていただきましたので、議員立法等をしながら、ぜひまた外務省が再生して、霞が関で一番いい役所だと言われるように、立場は変わっても一生懸命努力をいたしますことをお約束いたします。
横光委員 ありがとうございます。
 あなたの在任中に、人事は末端まですべてフリーズ、機密費もそうだが、どす黒い利権の問題もあると、外務省のことをこのように発言しております。先ほどからのお話のように、そのどす黒い利権の中心は鈴木議員であるということが、ほぼ国民の皆様方、さきのお話の中からうかがえるんではなかろうかと思いますが、こういった発言の、どす黒い利権の発言のときには、鈴木議員のことを想定されておられましたか。
田中参考人 私は、鈴木議員であるとか、だけであるとかないとか、そういうことは申しておりませんで、それは国会の場で皆様が解明なさることであると思いますが、やはり役所が、官邸というもののバックアップがあって、それで何でもできる。そのことを座視して、そして派閥から羽交い締めにされ、そして政官の癒着。逆に言えば、私はむしろ国会が役人にコントロールされているということまで感じていますので、我々バッジをつけている国民の代表はそんなことを残念ながら認めてはいけないので、そのために何をするか、与野党を超えて。これこそ、総理がおっしゃったじゃないですか。与党野党関係なく、選挙のとき、自民党をぶっつぶすとまでおっしゃったんですから。つぶす必要はないかもしれませんけれども、やはり有権者のためにみんなでいい政治をするということ、これのために、ぜひ与野党仲よく一緒にお願いをしたいと思います。
横光委員 終わります。
津島委員長 これにて横光君の質疑は終了いたしました。
 以上をもちまして田中参考人に対する質疑は終了いたしました。
 田中参考人は御退席いただいて結構でございます。御苦労さまでございました。


2002/02/20

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