2002/03/11

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154 衆院・予算委員会  鈴木宗男氏証人喚問

津島委員長 これより会議を開きます。
 予算の実施状況に関する件の調査に関し、外務省問題について、鈴木宗男君より証言を求めることといたします。
 この際、証言を求める前に証人に申し上げておきます。
 昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によって、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。
 宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証人、証人の配偶者、三親等内の血族もしくは二親等内の姻族または証人とこれらの親族関係があった者及び証人の後見人、後見監督人または保佐人並びに証人を後見人、後見監督人または保佐人とする者が、刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのあるときであります。また、医師、歯科医師、薬剤師、助産師、看護師、弁護士、弁理士、公証人、宗教の職にある者またはこれらの職にあった者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについても、本人が承諾した場合を除き、宣誓または証言を拒むことができることになっております。
 証人が宣誓または証言を拒むときは、その事由を示さなければならないことになっております。
 証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または十万円以下の罰金に処せられ、また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。
 以上のことを御承知おきください。
 次に、今回の証人喚問に関する理事会の申し合わせについて申し上げます。
 その第一は、資料についてであります。
 証人は、証言を行うに際し、資料を用いることは差し支えありませんが、委員長の許可が必要であります。また、これらの資料は、いずれも当委員会に提出していただくことになっております。
 その第二は、証人がメモをとることについてでありますが、尋問の項目程度は結構でございます。
 以上の点を御承知おきください。
 この際、お諮りいたします。
 証人の宣誓及び証言中の撮影及び録音につきましては、議院証言法第五条の三の規定によりまして、委員長が証人の意見を聞いた上で委員会に諮り、許可することになっております。証人の意見は、同意するとのことであります。
 宣誓及び証言中の撮影及び録音について、これを許可するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
津島委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
 それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めることにいたします。全員御起立願います。
    〔総員起立〕
津島委員長 それでは、鈴木宗男君、宣誓書を朗読してください。
鈴木証人 
    宣誓書
 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います
  平成十四年三月十一日
                鈴木 宗男
津島委員長 宣誓書に署名捺印してください。
    〔証人、宣誓書に署名捺印〕
津島委員長 御着席を願います。
 これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。
 なお、こちらから質問しているときは着席のままで結構でございますが、御発言の際には起立してください。
 委員各位に申し上げます。
 本日は、申し合わせの時間内で重要な問題について証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事の進行を妨げるような言動のないように特に御協力をお願いいたします。
    ―――――――――――――
津島委員長 これより証人に対して証言を求めます。
 まず、委員長より委員会を代表して総括的にお尋ねをして、その後、委員各位の発言を願うことといたしております。
 それでは、お尋ねいたします。
 これまでの予算委員会等での審議や三月四日の外務省調査結果報告書等において、北方四島への支援事業に関する問題及びアフリカにおける我が国のODA事業に関する問題、また、私設秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカ氏の問題等についても疑念が持たれております。
 そこで、お尋ねいたします。
 国後島緊急避難所兼宿泊施設建設工事の入札参加資格決定に関し、証人が関与したことがありますか。その事実関係をお述べください。

鈴木証人 答弁する前に、最初に、委員長初め委員の皆様方、また国民の皆様方におわびを申し上げたい、こう思っております。
 当委員会の審議の中で、私に関することで大変な御迷惑をおかけいたしました。この点、深く反省しながら、心からおわびを申し上げる次第であります。
 今、委員長から、国後島の避難所及びその宿泊所について関与したかどうかということでありますが、私は、この人道支援につきましては、領土返還運動の政策的理念に基づきまして、返還運動の原点の地である根室の重視、これは政府の方針とも一致しているかと思いますけれども、その点と、人道支援が始まって一貫して、根室市長さんや管内の町長さん、あるいは議会の皆さん方が、地元の要請といいますか要望というのが再三ありました。その点については、私はお願いをし、また要請もしてきたことも事実でありますので、私は、関与したかどうかといいますと、その点だけである、こう考えております。

津島委員長 国後島桟橋改修工事に関し、平成九年十二月十一日、証人は、こういう工事ぐらい地元企業に引き受けさせるくらいの配慮があってもいいだろうなどと、声を荒らげて本案件の施工に地元業者を使うよう強く要望したとありますが、その事実関係をお述べください。

鈴木証人 先ほども国後島のこの避難所、宿泊所の件でも申し上げましたが、領土返還運動の原点の地である根室を返還運動の一環としての政策理念からも大事にしてもらいたい、また管内からもそういった要望、要請等がありましたから、この点、地元に対する配慮があってもいいのでないかという話は一貫してさせていただいております。

津島委員長 ケニアのソンドゥ・ミリウ水力発電計画の第一期分及び第二期分に関して、証人がどのように関与したかをお述べください。

鈴木証人 このケニアのソンドゥ・ミリウ発電所に関しまして、よく私の関与というのが言われますが、私がこのソンドゥ・ミリウ発電所を知ったのは、平成十一年の八月であります。
 当時、内閣官房副長官として、総理親書を携えて、当時は小渕総理でありましたけれども、ユネスコの選挙に我が国の松浦さんが立候補しておったものですから、そこで、ケニアを訪問することになりました。その際、政府また外務省から、ケニアのモイ大統領との会談でこのソンドゥ・ミリウの案件が出てきた場合はこういうラインで答えてくださいという説明がございました。そこで、私は初めて、このソンドゥ・ミリウという案件を承知することになったのであります。
 この問題が出ましてから私なりに調べてみましたが、もう平成七年からこの工事は動いているということであります。私自身、関与したというならば、その十一年、官房副長官としてユネスコの選挙で松浦さんのお願いに行った際、政府、外務省の説明どおり、私は、当時の立場上も、説明を受けてその名前を知ったというのが正確なところであります。

津島委員長 平成十二年六月ごろから現在までの間において、証人の私設秘書であるジョン・ムウェテ・ムルアカ氏が、在京コンゴ民主共和国臨時代理大使ングウェイ氏及びムキシ氏へのIDカード発行等について、外務省に対し影響力を行使したのではないかと指摘されておりますが、これに関して証人が承知していることをお述べください。

鈴木証人 このムウェテ・ムルアカ君の件に関しましても、この委員会でさまざまな問題が提起されまして、この点、私の監督不行き届きの点もありますので、これはおわびを申し上げなければいけない、こう思っております。
 外交官を認めるIDカードについて私が関与したということでありますが、基本的に、私は政治家として、相手国が決める、あるいは相手国が申請する話に口を挟むのは、これはあってはならぬことだという基本的な認識は持っております。
 ただ、さまざまな意見交換の中で、その時々の情報とか、その時々の私の受けている知識といいますか、話をしたことはあろうかと思います。同時に、この外務省の調査報告書は、それぞれの立場での受けとめ方というものもあろうかと思いますので、この点、私の発言あるいは私の言いぶりが威圧的だとかあるいは影響を受けたというならば、この点はまた反省すべき点があるなと、こんなふうに私は考えております。

津島委員長 以上をもちまして私からお尋ねすることは終わりました。
 次に、発言の申し出がありますので、順次これを許します。浅野勝人君。

浅野委員 自民党を代表して、質問いたします。
 率直に申し上げます。政治は政策と政治姿勢を両輪に機能すると思っています。信頼を失った為政者のもとで、政策がどんなにすぐれていても、人々の共感を呼ぶことはありません。連日の手厳しい宗男バッシングはお察しいたしますが、園部レポートは随所で、「社会通念に照らしてあってはならない」ことと、公人としてのあなたの政治姿勢を糾弾しています。今の心情をお聞かせください。

鈴木証人 今、浅野先生から言われた点に関しましても、私自身、この間深く反省する時間もありましたし、過去を顧みるときに行き過ぎがあったというふうな思いを持っております。
 先ほども、国民の皆さん、また当委員会の皆さん方におわびを申し上げましたが、この点重々反省しながら、私自身、より謙虚にならなくてはいけない、こう思っております。
 同時に、園部レポートで、「社会通念上あってはならない」という指摘が随所に出てきますが、政と官との関係において、私も、相談に来た際、また私の思いも伝えたという意味で、それがまた誤解を招いたり、あるいは何がしかの影響を与えたということになるならば、これまた改めて考えていかなくてはいけない、こんなふうに思っております。
 ただ、浅野先生にも御理解いただきたいんですが、今問題となっておりますこの北方人道支援につきましては、私は、やはり未解決の問題がある、五十七年たっても民族の悲願である領土問題が返らない、それを少しでも動かしたいという環境整備の中で私は取り組んできたということを、これはおわかりもいただきたいし、また、アフリカのODAに関しましても、すぐアフリカ……(浅野委員「おいおい伺います。おいおい個々に伺っていきます」と呼ぶ)わかりました。
 この点、今浅野先生のお話をしっかり受けとめて、真摯にまずは反省していくということだけは明確にしておきたい、こう思っております。

浅野委員 それらの問題、個々においおい伺います。
 まず、国後島の友好の家の受注をめぐるいきさつに絞って伺います。
 この仕事を請け負った大手コンサルタント会社の日本工営の担当者が、平成十一年五月二十四日に、東証一部のエンジニアリングの会社の日揮にアドバイザーとして参加するよう働きかけたことが明らかになっています。七月の入札を前にコンサルの日本工営が工事業者の日揮に働きかけを、一緒にやろうと、仲間になろうと働きかけをすることは、事実上、工事の請負を依頼したと見て間違いないと思います。
 早い段階での受注を目指す業者同士の組み合わせは、だれかの仲介によるものと見るのがむしろ自然だと業界では言われています。思い当たる節はありませんか。端的にお答えください。

鈴木証人 思い当たる節はございません。

浅野委員 公設、私設を問わず、あなたの秘書の方がかかわっていた可能性はありませんか。

鈴木証人 かかわっていたということはございません。

浅野委員 これより三日後の五月二十七日、外務省のロシア支援室長は、鈴木宗男内閣官房副長官を訪ねて、について報告しています。このときのロシア支援室長は、一番頭を痛めたのは入札参加資格だったと述べており、思い悩んでいたようです。
 この日の協議は詰めの協議だったと推測しますけれども、会ったのは総理官邸の副長官室ですか。
 それから、このときまでに、電話連絡を含めて何回ぐらい接触していますか。

鈴木証人 あのとき、当時のその支援室長さんとお会いしたのは副長官室かと、こう思います。
 同時に、何回会っているかというと、具体的な回数については覚えておりませんけれども、恐らく何回かの接触、相談はあったのでないか、こう思います。

浅野委員 鈴木副長官は根室管内を執拗に主張したように見受けます。ロシア支援室長は、入札参加資格について、道東つまり北海道東部とすることを提案していますが、あなたは根室管内を主張して譲らなかった経緯がありますね。受注させたい特定の地元の業者が念頭にあったからではないんですか。
 園部レポートは、鈴木議員は本案件の入札参加資格の決定に深く関与したと断定しています。これは、内閣官房副長官の職務権限が外務省に及ぶかどうか、威力をもって公の入札の公正を害した競売入札妨害に当たるかどうかなど、法律上の問題を惹起することも予想されます。いきさつを明らかにしていただきたいと存じます。

鈴木証人 先ほど委員長さんからの総括的な質問の中でもお話をさせていただきましたが、私が根室管内と言ったのは、領土返還運動の原点の地である根室に対する配慮、これは外務省も私は共通の認識で、この人道支援が始まってから流れてきた考えである、こう思っておりますし、同時に、根室市長さん初め、さらには管内の町長さんや議会の皆さん、あるいは商工会議所等経済界の皆さん方も、ぜひとも根室管内に配慮してくれという意味合いで、私は、根室という地元からのそういった要請、また政策理念からのお話で、一貫して言ってまいります。
 同時に、今お話のあった、特定の業者が頭にあったのでないかというお話でありますが、全くそういうことは考えておりません。

浅野委員 日本工営が日揮の二人の担当者からある人物を紹介したいと言われ、六月三日、連れ立って釧路の鈴木宗男事務所を訪れています。午前十時半ごろ、事務所に行ったはずです。
 受注を持ちかけたコンサルの日本工営が持ちかけられた日揮から受注工作を促された形で、これでは立場が逆さまです。五月二十四日から六月三日までの間に立場が逆転しており、何か作為が感じられてなりません。ある人物とはだれのことですか。

鈴木証人 この委員会でも、その外務省の内部資料といいますか、それが出まして、ある人物を紹介したいということでの記述があったかと思いますけれども、それは、私の事務所の宮野秘書のことでないか、こう思っております。

浅野委員 その宮野秘書に、日本工営と日揮を地元事務所へあいさつに行かせたいのでよろしく頼むと働きかけてきた札幌の知人がいます。あえて名前は申し上げませんが、思い当たりませんか。

鈴木証人 ちょっと経過を話させていただきますけれども、この宮野秘書というのは、五月中、頭の手術、脳の手術で入院しておりました。そして、仕事に復帰するのが六月の三日からということなんですね。そして、六月の二日、病院にも検査のために行っておりまして、実質事務所に出たのが六月三日であります。そこで、この日程のセットが六月三日になったというふうに私は宮野君からは伺っているんです。

浅野委員 そうすると、この札幌の知人というのについては鈴木証人は存じ上げないということになりますか。

鈴木証人 宮野君からは、この先方からの連絡で六月三日の午前中ということで日程セットして、そして事務所で会ったということであります。

浅野委員 この人は、恐らく日揮に頼まれて宮野秘書につないだと推測されます。だから、この時点から受注工作が日揮主導で一気に進むことになったんだと私は見ています。
 その意味で、キーパーソンの一人だと思って触れましたけれども、あなたが存じ上げないということですから先へ進みますが、問題の六月三日、宮野秘書は、日本工営一人、日揮二人、その他一人の四人で訪ねてきました、そして、地元の業者を紹介してほしいと言われたので、渡辺建設工業と犬飼工務店なら連絡しやすいと答え、両社の都合のいい午後四時に改めて関係者がそろったと述べています。
 鈴木宗男議員が東京で入札参加資格を根室管内に絞る工作を進め、それに呼応する形で宮野秘書が地元で関係者を一堂に集めて意中の二社を引き合わせ、仕事のすり合わせ、受注の事実上の仕上げをしたというシナリオが浮かび上がってきます。
 総合評定が通常は千二百点以上必要な工事なのに、九百点に変更したのも、渡辺建設工業が九百十六点、犬飼工務店が九百六点だからで、このシナリオを裏づける要件の一つだと思えてなりません。
 あなたがすべて宮野秘書に指示して進めてきたのではないんですか。

鈴木証人 この件に関して、私が宮野秘書に指示をしたということはございません。

浅野委員 それなら、日本工営、日揮、渡辺建設工業、犬飼工務店との間で、あなたは、政治資金を含めて金銭の授受はありませんか。

鈴木証人 日本工営さんあるいは日揮さんとは、私は残念ながらおつき合いはありません。渡辺建設さん、犬飼工務店さんにつきましては、それぞれお世話になっております。

浅野委員 お世話になっているという意味は、この工事の受注前からですか、その後ですか。

鈴木証人 犬飼さんにつきましては、また渡辺さんにつきましても、私がかつてお仕えした中川一郎先生時代からの知り合いであります。
 犬飼さんにつきましては、昭和五十八年から、私が最初に選挙に出たときからお世話になっております。
 渡辺さんにつきましては、平成八年から、平成八年というのは選挙制度が変わったものでありますから、いわゆる中選挙区から小選挙区になりまして、私が国がえということで根室、釧路が選挙地盤になりました。そのときからお世話になっているという関係であります。

浅野委員 私の調査ですと、四億一千六百八十五万円の契約金額の内訳は、下請の日揮を経て孫請のコマツハウスに渡ったのは一億二千六百万円だけです。目立つのは、ハーベスト・ワールド・エクスプレスに一億五千五百万円支払われている点です。この会社は、建設作業員が寝泊まりする宿舎がわりの船をチャーターしたり、建築資材を運ぶお世話をする企業です。この会社はさらに、客船部門はイーストコーストマリンという会社に、それから輸送部門は京北運輸という会社に再下請させています。
 二カ月そこそこの工期で仕上がる延べ七百十平米の二階建てのプレハブ宿舎をつくるだけの小人数の作業員の寝泊まりや資材の輸送に、孫請の工事費より高い、受注総額の四〇%に当たる一億五千五百万円の支払いはどうしても気になります。
 あなたは、ハーベスト・ワールド・エクスプレス、イーストコーストマリン、京北運輸とつき合いはありませんか。これらの会社との間で金銭の授受はございませんか。

鈴木証人 今、浅野先生が明示されましたその企業とは、私はかかわり合いは持っておりません。

浅野委員 経営者とも会ったことがないという意味でしょうか。

鈴木証人 最初に申されたハーベスト・ワールド・エクスプレスですか、全く私は存じておりません。また、京北運輸さんというのも私は知りません。そのイーストコーストマリンですか、これは根室にある会社だと思いますけれども、残念ながら私はおつき合いがないということであります。

浅野委員 後にあなたは、この工事は日揮が仕切って丸投げだったことに気づいて激怒していますね。支援委員会が十月末から十一月にかけて丸投げ問題を調査しています。これもあなたが要請した結果ですか。この年の十二月二十八日、日本工営の社長が支援委員会事務局に対し、工事の入札以前に関連情報を外部に漏らしたことを深くおわび申し上げますというわび状を出していることから見ても、事後に至るまで一貫してあなたの関与が感じられてなりません。思い過ごしでしょうか。

鈴木証人 先ほど来申し上げておりますように、その日本工営さんと日揮さんとは私もつき合いがありません。同時に、宮野秘書に聞きましたら、六月三日に来て初めて、その用件だとか会社というものもわかったというふうに私も報告を受けております。
 同時に、これまた何回も繰り返し話していますけれども、政策的理念のこの根室という領土返還運動の原点の地という重要性と、根室市や管内の意向というものを踏まえて、私はこの地元の要請を伝えてきたということは事実でありますけれども、そこで、せっかく地元の人がこの受注された、いざ現場に行ってみたら、全くその受注の意味がわからない。そこで私は、あ、これは丸投げでないかという疑問を私自身が持ったんです。
 ですから、先生、ぜひともおわかりいただきたいんですが、もし、先生が最初に質問でされた御懸念の点ですね、談合したんでないか、あるいは初めから枠組みをつくったんでないかとするならば、私は何もそこで丸投げの指摘はする必要ないんであります。この点、私ははっきりしておきたい、こう思いますのでおわかりをいただきたい、こう思っています。

浅野委員 北方領土にはほかにも、はしけや桟橋など、さまざまな工事がありましたが、園部レポートは、同じ国後島の桟橋の改修工事について、「地元企業に引き受けさせるくらいの配慮があってもいいだろう。」と声を荒げて外務省の担当官に迫った、あなたが迫ったことが明らかになっています。その結果、入札参加資格は北海道東部に限定されました。当時、国務大臣、北海道開発庁長官だったあなたが、自己の影響力を行使して、その変更を求めるなど細部にわたり、入札参加資格決定の過程に関与したことは異常であり、社会通念上あってはならないことと園部レポートは指摘しています。
 桟橋の改修工事に関与したやり方が、半年後の友好の家の原型になっているように思えてなりません。正直にお答えをいただきたいと存じます。

鈴木証人 これまた何回も申し上げて恐縮ですけれども、私が領土返還運動の原点の地であるこの根室の重要性、さらにまた、管内の、特に根室なんかは経済的に疲弊をしているということで、地元をよろしくお願いしたい、またこれ、北海道庁等も、とにかく地元に対する配慮というのは、これまた関係部局等に再三要請していることが事実でありますので、私はその線に沿ってお話をさせてもらったということであります。
 なお、きょう先生方のお手元に資料を配付しておりますけれども、これは何も平成九年とか十年にこの北海道だとか根室、釧路に配慮ということでなくて、人道支援が始まったときから、北海道だとか根室及び釧路に配慮することということは、この入札のルールの中で明記されておりますので、この点もぜひとも参考にしていただきたいな、こんなふうに思っております。

浅野委員 網走の島田建設、根室の真壁建設、釧路の浜谷建設との間で金銭の授受はありませんか。

鈴木証人 政治資金規正法にのっとってのお世話にはなっております。

浅野委員 これより三年半前にさかのぼりますが、平成七年五月三十一日の衆議院沖縄北方問題特別委員会で、あなたは、診療所だけでも色丹島につくってあげたほうがいいと述べて、河野外務大臣の考えをただしています。河野外務大臣は、緊急かつ人道上必要なもので、診療施設の整備への支援ならば、我が国の基本的立場を害さないという範囲内で、限度内で、これはできるだけ早くやりたいと思っていますと答えており、翌日の朝食会でも同じ発言をしています。
 議事録をきちんと読めば、河野さんが、河野大臣の発言が一貫していることは一目瞭然です。一晩のうちに河野大臣の考えが急変したという報道が一部ありましたので、念のため、報道の誤りを正しておきます。
 問題は、問題なのは、質問の時点より五十日前の四月十日にロシア支援室が起案した「平成七年度における北方四島住民支援について」というこの文書の中に「色丹島に小規模かつ簡易なプレハブ診療所を建設することといたしたい。総額はおおむね四億円までを目途とする」と、詳細に建設の必要性が書かれているんです。あなたが沖北で質問をする五十日前に既に足場が固められていたということになります。
 あなたは、この文書の起案に強い影響を与えたのではないですか。そして、この文書が存在することを承知の上で国会で質問して、一挙にプレハブ診療所の構想を実現させて、建設にかかわっていったのではないですか。

鈴木証人 今浅野先生がお話しになったその文書の起案に、私はタッチしておりません。
 同時に、委員の先生方も思い起こしてほしいのでありますが、あれは平成六年十月だと思いますけれども、北海道東方沖地震という大きな地震がありました。そこで、日本政府も緊急人道支援をしました。医薬品だとか食料品です。その支援に行った人たちが、現地の声として、何とか診療所をつくってほしい、プレハブの建物もつくっていただきたいという要請があったということを、私自身も聞きましたし、それは外務省も聞いているはずであります。同時に、平成六年のあれは十一月かと思いますけれども、それを私は委員会でも、現地の声としてこういう声がありますよということは伝えてあります。
 そして、もう一つ付言させてもらうならば、プレハブの建物というのは何も平成七年に始まったんじゃないんです。もう五年、六年に始まって、つくっております、色丹、国後、択捉には。このことも、何かしら一部報道では、平成七年から始まった、あるいは十年、十一年から始まったという話がありますけれども、それは正確ではないということも委員の先生方にもぜひともおわかりをいただきたい。
 あくまでもこれは人道支援で、あの大きな、マグニチュード七だとか七・五の地震があって以後の動きであるということを私は説明したい、こう思っております。

浅野委員 参考人質疑の折に私が指摘したディーゼル発電施設は、三島三カ所で、合わせて四十一億三千八百六十五万円と大型のプロジェクトです。いずれも三井物産が落札していますが、例えば最初の色丹島のケースを見ますと、一番安い価格で応札した伊藤忠商事がだめで、その次に安い価格の三井物産が受注をしているんです。
 理由は、予定価格より上回ると資格を失いますよという上限が決められていただけではなくて、それ以下の値段でもだめですよという下限が決められていたものですから、下限価格よりもっと安い値段で応札した伊藤忠が外れて、上限と下限の真ん中で、この間で応札した三井物産が受注したという仕組みになっているんです。
 択捉、国後にもこの下限価格が設けられています。手抜き工事を防ぐためとはいえ、率直に言って釈然としません。あなたが下限価格を設定するよう示唆したんじゃないんですか。

鈴木証人 今浅野先生のお話しになったこの入札の金額等も私は存じておりませんし、一切この価格等にはかかわり合いもありませんし、また、これは相談を受けたこともございません。

浅野委員 収賄罪を構成する要件は、その職務に関し請託を受け、金銭の授受が明白であることと承知しています。今のやりとりの範囲で、一体刑事事件に問われる部分があるかどうかについては私どもの範囲の及ぶところではありませんけれども、今回指摘されたさまざまな疑惑に関連して、政治的道義的責任を問う声が内外にあります。
 同じ党に議席を持つ者としてまことに申し上げにくく、私自身の不敏、不徳を棚に上げて身の細る思いですが、政治的道義的責任の重さをどのように認識しておいでか、最後に伺わせていただきとう存じます。

鈴木証人 今の浅野先生のお話を聞きながらも、私自身深く反省をしなくてはいけない、こう思っております。
 ただ、私は、言われているように、利権のため動いたとか、あるいは何か個人的に私が発言をしたということは毛頭ありませんし、私自身、そんな考えは持っておりませんでした。特に、この北方四島につきましては、私は、民族の悲願であるということと、一日でも早く日本に返してもらわなくては困るという思いの中で、ひたすら私なりに頑張ってきたという思いはあります。
 ただ、その頑張ってきたことが、逆に行き過ぎであっただとか、あるいは政と官との関係で誤解を招いたというならば、これまた改めて私は反省をしなくてはいけないな、こんなふうに考えております。

浅野委員 「権力を持つ者が高いところから物を言う、隠れて悪いことをする、悪事をひた隠す、そういうことをまかり通させてはだめ。時代は変化してる。病院、教師、警察、政治家……中にいるからか、逆に気がつかないやつが多過ぎる。けど、外側にいるとすごく感じる。だから、国民を見くびらず、誠意を持って頑張ってほしい。あなたの娘より。」けさ、娘からのメールです。
 これで終わります。委員長、ありがとうございました。

津島委員長 これにて浅野君の発言は終了いたしました。
 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 鈴木証人、私は、去る、さきのいわゆるここにおけるところの参考人質疑における鈴木証人のお話を聞いておりまして、あなたは二つの大きな勘違いをされているのじゃないか、そのことが、今あなたが直面されている状況と非常に関係している、こんなふうに思っております。
 一つは、証人は、先ほど来も申されておりますけれども、ロシアやアフリカなどに取り組んだ政治家は自分以外にいないはずだ、こう言われました。もう一つは、自分はたたき上げであって古いタイプの政治家だ、こういう言い方をされました。しかし、私は、二つながらにこれは御自身誤った自己イメージを持っておられるのじゃないか、そんなふうに思います。そこにいわば悲劇の原因がある、そんなふうに思います。
 前者は、確かにアフリカ、ロシアに関して一生懸命やっておられる人はあなたをおいていないかもしれない。しかし同時に、御自身のいわば利権というものに対して強い関心を持っている、そこを優先されているという政治家はほかにいないだろうと思います。
 それから、たたき上げ、こうおっしゃいますけれども、確かに古い政治家のタイプだろう。しかし、あなたは、私、外務省の報告書を見る限り、人をたたいて上がってこられたんじゃないか、御自身たたき上げというよりも、周りをたたいて上がってこられた人じゃないか、そういうふうに言わざるを得ないということが、私、せんだって来、この問題について聞くにつけて強く感じる点でございます。
 それを踏まえた上で、この外務省報告にさまざまな形で、外務省と鈴木議員との関係が異常な関係だ、先ほども浅野委員からありました、要するに世間のいわゆる社会的通念からいって異例のことをされている、こういう表現があります。
 私は、まず冒頭にお尋ねしたいのは、そうした異常なこと、外務省の人事介入から始まって、いわば外国への内政干渉的行為に至るまで、さまざまなことがこの場所で指摘をされましたけれども、そういったことについて、異常と言われるかもしれないけれども違法なことは断じてやっていない、こういうふうなことでしょうか。

鈴木証人 今、異常なことはやっているけれども違法なことはしていないという認識かという話でありますけれども、ただ私は、やはり政治家の姿勢として行き過ぎがあったという指摘がある場合、これは謙虚に反省をしなくてはいけない、こう思っております。
 同時に、私は、法律そのものはこれはきちっと守らなくてはいけないし、また法律を遵守するということは当然の義務でありますから、私は間違いを犯すなんという意味で行動したことはないということだけは、これは明確にしておきたい、こう思っております。

赤松(正)委員 あなたは、国後島の緊急避難所兼宿泊施設などの建設工事に当たって、入札や個別事業者選定に一切関与していないと先ほど来言われました。声明の中で、むしろ業者選定の一般的枠組みの問題、業者選定の一般的枠組みの問題だと言われています。そのおっしゃるところの業者選定の一般的枠組みというのは、どういうものなんでしょう。

鈴木証人 私自身、枠組みをこうすれという話は、私はしたという認識は持っておりません。
 先ほど来お話ししておりますけれども、領土返還運動の原点である根室、ここを大事にするということは、外務省の考え方でもありましたし、私自身も政策的理念としてそういうふうに受けとめてきました。
 同時に、経済的に大変な地域であるこの根室を使ってください、また、返還運動で一生懸命やっている根室をよろしくお願いしますということは、市長さんや管内の町長さん、議会の皆さん、公の人からもお話があったものであります。これまた、北海道庁さんも一緒にそういった動きをしておったものでありますから、そのことを私は、忠実に要請したといいますか、あるいはお願いをしてきたということでございます。

赤松(正)委員 そうしますと、そうしますと、この外務省の報告書にある、いわゆる三つの条件といいますか、根室管内をめぐる条件、一つは、北海道内に本社を有する者、もう一つは、類似施設建設工事の施工実績を十分に有する者であること、三つは、中小企業者については三社以内によるジョイントベンチャーの結成を認めることなど、こうした入札参加資格案として同議員に説明し、同議員はこれを了承したというのは、これは間違っているんですか。

鈴木証人 説明に来た方とのやりとりといいますか、それは一言一句、私自身覚えているものではありませんけれども、これは、赤松先生、この委員会でもお話が出ました五月二十七日のやりとりがあります。そのやりとりは、こちらの要望といいますか、こういう声がありますよということで、私は、先ほど来説明しているように、お伝えをさせていただきました。そして、そのやりとりの結果どおりのまた私は入札公告かどうかということも、ぜひともこれまた比較をしていただきたいな、私はそんなふうに考えております。

赤松(正)委員 先ほども話が少し出ておりましたけれども、二つの企業、いわゆる渡辺建設と犬飼工務店、この企業から政治献金を、九五年から二〇〇〇年の間に合計八百七十万円ほどもらっておられるということですけれども、これについて先般も、税金の還流じゃないのか、こういう指摘がありました。それに対して、八三年以来、当選をして以来の支援者からいつも政治献金という形で応援をしてもらっている、応援をしてもらっているわけだから、そういうのは間違った表現だ、こういうふうに先般の参考人質疑の中で証人は言われました。
 つまり、鈴木証人にとっては、個別の仕事への見返りという意識じゃなくて、言ってみれば、年じゅう地元根室への還元を考えているわけだから、とりたててお金と特別な仕事の受注との関係というものを言われても困る、こういうふうに聞こえたわけですけれども、では、こういう関係は、お金と仕事の関係、鈴木証人にとってこれは、間違った表現、税金の還流というのは間違った表現だ、こう言われましたけれども、では、どういうふうに表現すればよろしいんですか。

鈴木証人 税金の還流に対し、私は、間違った表現だという発言はしたことは、したというか、そういったやりとりはなかったと思っておりますが、一部の人から、それは税金の還流でないかという指摘をいただきました。私は、やはり政治家として誤解を招くことはいけないな、こう思っております。
 ただ、赤松先生、私が政治家である、そこに応援をしてくれている人がいますが、私の方から、例えば、金額を何ぼ何ぼ出してくれだとか、こうしてくれということは、私は政治家になって以来、話をしたことはありません。あくまでも後援会だとか関係者の皆さん方の善意で、私はお世話になってきていると思います。
 ただ、今、この指摘があるわけでありますから、この点も、私はやはり原点に立ち返って、反省すべきは反省し、疑惑だとか誤解を招かないように私はやっていかなくてはいけないな、こう考えております。

赤松(正)委員 今の説明じゃ、非常に納得がいきません。要するに、鈴木証人のお話を聞いていると、特定の点というものについて自分は言ってない、こうおっしゃるんですが、周辺の面、面的側面については限りなくそれに近いことをやったということを御自身認めておられる、そんなふうに思わざるを得ません。
 鈴木証人は、十年来、さまざまな政府の要職をやってこられた。そのことで、人事の介入等を通じて、いわば官僚との身内意識が非常に過剰なものになってきた。そういう格好で、いわば越えてはならない一線を越えられてしまった。そういうことから、いわば官僚の私物化というふうな現象が起こってきたんじゃないか、そういうふうに思わざるを得ません。
 いわば感覚が麻痺しているんじゃないか、そういうふうに言わざるを得ないわけですけれども、行政府と立法府をいわば年じゅう行ったり来たりしておられる、そういう政治家にとっては、いわば政と官との関係というのは非常に私は自制心を要求される立場だと思うんですけれども、それについて、鈴木証人の考え方を聞かせていただきたいと思います。

鈴木証人 今、赤松先生の御指摘、私はこれをしっかり受けとめなくてはいけない、こう思っております。
 確かに、議院内閣制の中で、時に立法府、時に行政府という立場があります。その中に、よく言えば信頼関係という言葉が使われるかもしれません。しかしまた、外から見れば、持たれ合いだ、さらには癒着だと言われる構造があるかもしれません。この点、重々私自身反省しながら今後対応していきたい、こう思っております。

赤松(正)委員 終わります。

津島委員長 これにて赤松君の発言は終了いたしました。
 次に、井上喜一君。

井上(喜)委員 保守党の井上喜一でございます。
 私は、外務省の調査報告書が三月四日に出ておりますので、大体それをもとにして質問をいたしていきたい、こんなふうに考えております。
 私は、報告書の中で、多少感覚が違うものもあるのでありますけれども、議院内閣制のもとにおきましては、現職議員というのは、政策について発言をしていく、あるいはその政策を実行していく仕方について発言していく、これは当然のことだと思いますし、また、地元のことについてもいろいろな要望をしていくという、これまた当然のことだと思うのであります。
 時に、これは与野党問わず、大声でいろんな意見を言う人もありますが、鈴木証人の場合は、まあ時としてそれが高ずるようなこともあったかと思うのでありますけれども、それにしましても、報告書の中で、社会的な通念に照らして異常なことなんだというような指摘がありますし、それから、鈴木議員の意向が突出した形で重視をされた、こういうことを指摘をしているわけですね。
 私は、これは大変異常なことじゃないかと思うのでありますが、鈴木証人、具体的にどういうぐあいに、これ、こういったことを認識しておられるのか。御自身の認識というのはあるいはこれと違うのかもわかりませんけれども、御自身自身、こういう指摘についてどのような認識を持っておられますか。

鈴木証人 社会通念上あってはならないことだと、あるいは、私の発言が突出しているという指摘がありますから、この点、私はやはり謙虚に受けとめて反省をしなくてはいけない、こう思っております。
 同時に、私自身としては他意がなくても、相手側の受けとめ方によってはまた、全く判断といいますか感じが違ってきますから、そういった意味では、外務省の調査報告書は報告書で、中で調査した結果が書かれている、こう思いますが、私自身やはり反省すべきは反省しながら、誤解の受けないように、私は言動は慎まなければいけない、こんなふうに受けとめております。

井上(喜)委員 私は、こういう関係ができ上がりますまでには長い時間があり、まあいろいろな経緯があったと思うのでありますが、もう少し具体的にお聞きをできればよかったと思うんですが、例えば、威圧感をぐっと与えるようなそういう言動、あるいは後で何か報復があるんじゃないかとか等々、そんなようなことに関連したことというのは外務省との関係ではなかったんですか。

鈴木証人 これも先ほどお話しさせていただきましたけれども、私自身が、まあ自分のスタイルだ、こう思ってやっても、受けとめた方が不快感を持ったりやはりプレッシャーが感じたということならば、これは私の不徳のいたすところで、反省をしなくてはいけない、こう私は考えております。

井上(喜)委員 鈴木証人は長い間、北方領土の問題に関与されてきたし、その返還運動についても率先してやってこられたと私は思うのであります。
 そこで、この北方四島支援関係の予算、これについてどの程度の関与をされてきたのか、ここ数年間でいいです、五、六年間でよろしいんですが、そのこと。特に、北海道開発庁長官なんかもされましたし、あと官房副長官なんかもされましたので、その時期、この四島支援の予算の編成あるいは実施につきましてどのような関与をされてきたのか、お聞かせください。

鈴木証人 もう先生は役所の経験も長いわけですから、予算の仕組み等は十分おわかりか、こう思いますけれども、私自身、概算要求のときの役所側の説明だとか、あるいは政府原案について説明を受ける、あるいは何とかこの予算を確保してほしいというような要望を受けて、私はそれを私の立場でサポートしてきたということであります。
 同時に、もうこれは先生が私以上に詳しいかと思いますけれども、個々の予算の案件というのは、やはり役所が資料をつくり、さらには役所がさまざまなメニューを、案件等を考えて、これを例えば党の部会等、この政府・与党一体という中で、相談して進められるものであると。私の方でメニューをつくるなんというのは今の予算の仕組み上からもないわけでありますから、この点は、私が関与をした、予算にどんなポジションにいたかということになれば、やはり役所がつくったものに私は精いっぱい協力してきたという私の姿勢であります。

井上(喜)委員 あと、業者間の話し合いにつきましてはもう既に質問が出ましたので、私は、それについて重ねて質問はいたしません。
 そこで、これは国際機関らしいんですが、北方支援の委員会というのがあるようなんでありますが、ここの委員会の審議を見ましても、あってなきがごときといいますか、本当に、権限はある、調整権限なりチェックをする権限はあるようでありますが、その機能を発揮されていないというような状況なんですね。こういう、つまりしたがいまして、外務省と話をしたことがもうストレートにずっと実行されていくような仕組みができていたと思うんでありますが、そういうことは、鈴木証人、よく御存じだったんですか。

鈴木証人 残念ながら、私は、外務省の関連団体だというような認識で私自身考えておりましたし、説明に来るのは外務省の方でありましたから、その支援委員会が今この当委員会でもいろいろ指摘をされたり言われておりますけれども、私自身の認識としては、外務省の関連団体みたいな形で説明を受けてきたということであります。

井上(喜)委員 私は、この本件、大変大きく取り上げられているのでありますけれども、そういう議論を聞いておりますと、外務省というのは本当に信頼して日本の外交を任せておけるのかというような感じを受けるんですが、鈴木証人、長い間の外務省とのお仕事の関係の中に、感想をひとつお聞かせください。

鈴木証人 今回、この私の関連で外務省にも迷惑をかけておりますので、この点、私は外務省の皆さん方におわびを申し上げなければいけない、こう思っております。
 同時に、今、外務省とこの鈴木の関係ということで政と官の問題等がいろいろ指摘されてはおりますけれども、私は、一つ言えることは、外務省の皆さん方は、愛国心だとかあるいは国益というものを考えて一生懸命やっていると思っております。
 ただ、今の私のこの国会における議論だとか流れを見ているときに、外務省改革はやらなければいけないという点、それは外務省の中でまた真剣に考えて進められていくべきものだ、こう思っております。ただ、やはり、外務省と私の関係で、私の至らぬ面、私のフライングといいますか、私の出過ぎ、これは私個人の問題でありますから、この点私は十分反省をしなくてはいけない、こう思っております。
 ただ、私は、この外務省の皆さん方は、いろいろな国で、あるいは環境の厳しい中でも、時には命を落としている人もおりますから、この点の評価は私はぜひともしてあげていただきたいものだな、こんなふうに思っております。

井上(喜)委員 本問題、これは税金と関係がありますから、国民の皆さん方の関心が非常に高いわけですね。またその分、鈴木証人に対する厳しい見方になっていると思うんですね。
 たびたび反省ということを言っておられますけれども、もしこの際、さらにつけ足して反省の弁があれば、お聞かせください。

鈴木証人 こういう機会がつくられただけでも、私は重々反省しなくてはいけない、こう思っております。
 ただ一つ、私自身、政治家として国益を損なう行為だとかあるいは国賊なんというそしりを受ける私は行動や判断はなかったと。あくまでも私は純粋に政治家としてやってきたつもりでありますけれども、しかし、その純粋さが逆に、張り切り過ぎだとかあるいは頑張った、頑張り過ぎだと言われるならば、これまた私の不徳でないかな、私はそんなふうに考えております。

井上(喜)委員 終わります。

津島委員長 これにて井上君の発言は終了いたしました。
 次に、上田清司君。(発言する者あり)御静粛に願います。

上田(清)委員 民主党の上田清司です。鈴木証人には御苦労さまでございます。
 今ほども鈴木証人は、領土回復に係る熱意、あるいは国益に反する行為はしていない、こういう強い意志を示されましたが、一方では、オフレコ的なのかどうかは別にしましても、領土は戻らなくてもいいとか、戻ってきても三十兆かかるから意味がないとか、こういうお話も承っておりますが、そういうことはありませんね。

鈴木証人 戦後五十七年たってまだ未解決のこの最大の問題は、私は領土問題だと思っているんです。その領土問題に取り組んでいる私が、返ってこなくてもいいなんという話は一切ないということだけは、これは明確にしておきたい、こう思っております。

上田(清)委員 私も愕然としたんですが、これは外務省の「秘 無期限」という内部文書であります。今回の調査に係って秘密指定が解除された、こういう文書であります。
 この中で、平成七年の六月十三日、私も委員会でいろいろと議論させていただきましたプレハブ診療所、色丹の、建設の問題に係って西田当時欧亜参事官とのやりとりがここにメモされております。要するに、固定物を北方四島につくることによって、不法に占拠された領土がそのまま固定化し、むしろ不法占拠を助長するような形になるというような意味合いを込めて、改めて、この西田参事官が、法的な問題としていろいろ難しいということを言いに来られた。そして、それに対して相当に激しい口調で鈴木議員は以下に述べた云々のくだりがありますが、時間に限りありますので、要点だけ申し上げます。そのまま読ませていただきます。
 そもそも、北方領土問題というのは、国のメンツから領土返還を主張しているにすぎず、実際には、島が返還されても国として何の利益にもならない。そうであれば、戦後五十年もたって返還されないという事実を踏まえ、我が国は、領土返還要求を打ち切って、四島との経済交流を進めていくべきと考える。領土返還運動に従事している人たちは、大変な被害に遭っているので、自分と同じような意見を持った人もいる。同じような意見を持った人もいる。
 あなたは、先ほど来熱心に、領土回復だ、あるいは国益に反していないと言っておられますが、明らかに国益に反しているようなことをこの外務省の内部文書の中できちっと記録されてあるじゃありませんか。いかがですか。

鈴木証人 今のその御指摘でありますけれども、前段にもいろいろやりとりがあるんでないんでしょうか。その部分だけでなくて前段のやりとり等、私は、流れの中での話であって、その点ちょっとできればお知らせをいただきたい、こう思います。

上田(清)委員 きょうは、意見の交換の場ではありませんので省略しますが、私が予算委員会の二月の、失礼しました、三月の五日、六日に、あなたの、北方領土、失礼しました、沖縄北方領土問題、北方問題に係る特別委員会の特別委員長をあえて一たん辞任され、委員として質疑をされた中身についてやりとりをしたということですので、前後に関しては全くこのとおり理解すれば済むことでありますので、あえてここで深追いはいたしません。あなたは間違いなくこういうことを言って、メモをされているということでありますので、そういうことであります。
 それから先ほど、倉庫は以前からつくられていた、失礼しました、倉庫がつくられていたというようなことを言っておられましたが、あれは物品を入れるために必要な倉庫であるから、人道支援として、薬品であるとか、医療品であるとか、あるいは食料品を支援事業としてやっているがゆえにつくった倉庫であって、それ以降につくられたものとは、そもそも存在と質が違うということを議論をされていたわけであります。そのことを踏まえていただきたいと思います。
 それでは、時間がありませんので、次に移ります。簡潔にお答えをしていただきたいと思います。
 証人は、在日ロシア大使館のスミルノフ参事官とお会いになったことがありますか。

鈴木証人 会ったことはある、こう記憶しております。

上田(清)委員 どういう会合でしょうか。

鈴木証人 どういう会合というか、これは今定かに思い出せませんが、大使と一緒のときもあったと思いますし、どういう会合というと、単なる意見交換かなというような今記憶しかございません。

上田(清)委員 それでは、この方の査証発行を日本政府に働きかけたことはございますか。

鈴木証人 私は、外国の外交官が、査証についての手続は、自国の方でやるものだという認識を持っております。

上田(清)委員 この方の件で、警察庁の幹部に抗議をされたことはございますか。

鈴木証人 抗議をしたというような私自身記憶といいますか、そういったことがあったというのは覚えておりません。

上田(清)委員 二月二十日の参考人の質疑の中で、私どもの同僚議員の原口議員からもお尋ねがありましたが、あなたの私設秘書でありますムルアカ氏が、コンゴ大使館通商代表機関の代表という肩書を持っていろいろなところでそのことを述べておられる、使っておられるということについては、今まで知らなかったような思いをこの間述べておられましたが、そのとおりでしょうか。

鈴木証人 上田先生が当委員会でパネルを持って説明した場面も私はよく存じております。私自身、そういった名刺を本人が使っているということは存じていませんでした。

上田(清)委員 ムルアカさんは私設秘書ということですが、給与は払っておられますか。

鈴木証人 払っております。

上田(清)委員 今申し上げましたコンゴ大使館通商代表機関から、ムルアカ氏が給与をもらっていたということについては御存じでしょうか。

鈴木証人 全くそういうことは聞いておりません。

上田(清)委員 ムルアカさんは民間人ですか、それとも公務員ですか。

鈴木証人 参考人のときもお話しいたしましたけれども、民間人という認識であります。

上田(清)委員 ここに、ムルアカさんの著作が二冊と、共書というんでしょうか、一部ムルアカさんの著述が入った本がございます。これ、御承知かもしれませんが、「アフリカを知るための基礎知識」、大臣のときに、国務大臣のときに著作されましたので、そのときに、鈴木先生のお名前も感謝と協力という意味で出ております。
 それぞれプロフィールが書いてありますが、この中に、大統領のスペシャルアシスタントとか、今申し上げました大使館通商代表機関代表、こうしたことが記述されておりまして、あいまいな存在に見えるんですが、あくまで私人、民間人という意識の中での私設秘書だったんでしょうか。

鈴木証人 私は、民間人という認識しか持っておりません。
 ただ、一つ、今いろいろ御指摘あって、話があって思い当たるのは、本人自身が何がしかの、これはステータスと言った方がいいんでしょうか、何か、日本流にいえば格好つけるというんでしょうか、私は、そんなちょっと言動だとか思いがあって、それが今、私は、誤解を招いた面もあるんでないかな、私は今そんなふうに感じているんですね。その代表という名刺だとか、今、大統領何とかという話も出ましたけれども、全く私の知らぬところでそういう話がありますので、何がしか本人が、少しでも自分の立場というものをアピールするというか、何かそんな面で私は使ったのかなという今感じを持っているんですね。

上田(清)委員 名刺も知らないし、何がしの肩書を使っておられることも知らなかったと言っておられますが、実は、ムルアカさんのことで新聞をピックアップしたら、十一カ所というんでしょうか、十一回、私が確認しただけで出てきておりまして、なかんずく、一九九八年十二月二日、当時、内閣官房副長官の当時であります、朝日新聞の「記者席」という囲み記事でありますけれども、この中にもやはり、途中はもう省略いたしますが、「永田町でひときわ目立つ男性がいる。鈴木宗男官房副長官の秘書、ジョン・ムウェテ・ムルアカさんだ。」コンゴの出身云々、二メートル九センチの長身を原色のスーツで固め、国会内を走り回っている。そして、いろいろ後段のところで、「九五年、コンゴ大使館の通商代表機関の代表にも就任した。」とか、こういうことも記述されて、もうまさに忙しい渦中にあって新聞もろくろく読む暇がないということですが、我々は比較的この囲み記事というのはよく見ますね。そういうときにも見たことはないんでしょうか。

鈴木証人 申しわけありませんが、今の新聞の「記者席」というのは、私自身初めて知りました。

上田(清)委員 見たことないということですね、こういう肩書のところを。

鈴木証人 先ほどもお話し申し上げましたけれども、ザイール通商機関代表という、先生が委員会でパネルで御説明した名刺ですけれども、私自身は承知していなかったということであります。

上田(清)委員 少し私は不思議に思えてなりません。ムルアカさんの結婚の仲人も鈴木証人でありますし、この本、実はこれは、九〇%が完璧な盗作という絶版物であります。即座に絶版になったんですが、この出版パーティーが結婚式のパーティーと一緒になされているんですね。九八年の、正確な日付は私も確認がとれませんでした。しかし、これが、五月十一日、九八年の五月十一日に刊行されて、もう六月の二十六日に絶版になっております。そういうことも含めて、出版パーティーとかでも当然、この中でも鈴木先生に感謝しているという文言があります。
 どうして、これだけ新聞記事になり、テレビにも出られ、コンゴ大使館通商代表機関の代表という肩書が見えないのか、私には不思議でなりません。しかし、そうだということであれば、あえて深追いはしません。
 在留資格。当然、外国人でありますので、就労ビザであるとかあるいは就学ビザであるとか、いろいろな形で入国をされてこられるわけであります。
 この方のことを調べておりましたら、この外務省の、ちゃんと調査報告書の中にも明確に述べてありますね。十八ページです、これは。在京コンゴ民主共和国臨時大使等をめぐる諸問題に関する調査報告書、この中で、ムルアカ氏が現在使用していると思われる旅券の旅券番号に記載されているアルファベットは、通常、コンゴ民主共和国では外交旅券のみに使われるものである、したがって、同人が所持する旅券は外交旅券であるものと推測されるが、上記のとおり、同国政府からの確証は得てない、こんな話もあります。
 そこで、その後にも、「同人はかつて公用旅券を使用していたこと、その旅券の官職の欄には公務員を意味するフランス語が記載されていたことが確認された。」ということで、外務省の方も確認しております。
 その文言、具体的なところも私どもで確認しておりますが、少なくとも、九四年五月十六日、外国の公務員または国際機関の職員に与えられる在留資格、つまり、日本政府は、正式にムルアカさんに対しては公務員という形で認定しているんですよ。これでも全く民間人だという認識ですか。

鈴木証人 私は、民間人という認識であります。
 同時に、これ、日本政府は公務員として今認めたというお話がありますけれども、その点ちょっと、できれば教えていただきたい、こう思いますが。

上田(清)委員 外務省の調査報告書に載っております。
 そこで、私がここを問題にしているのは、コンゴ政府の公務員を私設秘書にしているということが極めて重大だということであります。
 例えて言えば、日本はODAの供出国、そしてコンゴ民主共和国は、あるいはその前のザイール国の場合もそうですが、ODAの受益国であります。出す側と受ける側が、ある意味では同じ方がやっておるという話にもなりかねない。極めて利害が、国益に反することが行われておる、こう推定せざるを得ないし、しかも、あなたは外務政務次官や防衛政務次官あるいは内閣官房副長官という国家の機密にかかわる、そういう官職を今までに有されていた。このことは事実でありますから、もしあなたのそばに私設秘書で北朝鮮の公務員だとか、あるいは、友好国といえどもアメリカの公務員が私設秘書として会館に勤務され、あるいはあなたのそばを離れないでずっと政務の補佐をされていったんなら、事は重大であります。
 これは国益に反することで、我が国は、このことを処罰する法律は難しいかなと思います。しかし、外国であれば、これは国家反逆罪だとか、たとえ知らなくても、フランスの法律によれば、そういううっかりしていること自体も十五年や二十年の刑に服されるという仕組みになっているんですよ。
 こういうことについて鈍感だったことについて、どのようにお考えですか。

鈴木証人 私自身、これ、民間人という認識でありましたし、彼自身が私のところへ来るのは週末が主でありまして、金曜日から月曜日の午前中的な日程でありました。
 そこで、上田先生、公務員の認定あるいは公用旅券の話がありましたけれども、例えば公用旅券は、日本と同じ認識での公用旅券ということでの先ほどのお話でしょうか。

上田(清)委員 質問にお答えしていただく機会であります。議論をする場でありませんので。
 鈍感であったということを感じられるんでしょうか。それとも、既に外務省の報告でも、私が勝手に言っているわけじゃないんです。ちゃんとビザを、査証を見てきているんです。そして、この報告書とも同じ認識に私も立っているんです。
 その上で、自由民主党の中にも、法案の要綱あります、スパイ防止法案要綱というのがあります。その中でも、各国の国家反逆罪だとか、そういう国家機密漏えい罪だとか、そういう法律も私も読んできたんです。それに値するような話だと、重大な話だということを私は指摘しているんです。しかも、あなたが外務政務次官や防衛政務次官や官房副長官をやっていなければまだしもともかく、そういう要職にあったということでありますから、極めて鈍感ではないか。このことについてどのように理解されているのか。

鈴木証人 まず、誤解を与えたという点では、これは、私のこれは管理不足といいますか、私自身これは反省しなければいけないし、申しわけないことだと思っております。
 ただ、これ上田先生にもわかってもらいたいんですが、上田先生も大変な愛国者であると私は認識をしておりますし、おつき合いの中で私はその情熱等も十分わかっておりますが、私も、国益を損ねたり、あるいは本当に彼が公務員であったならば、私は私設秘書といえども使うことはございません。学生で来られて、そして日本に長く滞在しているという中で、その私は信頼関係の中でつき合ってきたということなのでありまして、本当に向こうの政府の一員だとか公務員であったならば、私は間違っても使わぬかったということだけは、これはおわかりをいただきたい、こう思っております。

上田(清)委員 少なくともフランスでは、そういうのは軽薄罪で十五年から二十年に、刑に服する、そういう法律があるということだけ御指摘したいと思います。
 時間がありませんので、同志の皆さんから確認してくれということを羅列的にお尋ねいたしますので、御無礼もあるかと思いますが、お許しを賜りたいと思います。
 それでは、次に掲げる企業から収支報告に記載されている以外に献金を受けたことがあるかどうか、まことに申しわけありませんが、イエスかノーでお答えしてください。
 国後島桟橋改修にかかわった島田建設、真壁建設、浜谷建設、北興工業について、記載以外の献金はあったか、なかったか。

鈴木証人 島田、真壁、浜谷、北興さんはそれぞれ私の後援会のメンバーでありますから、政治資金規正法に基づく、私はお世話にはなっております。同時に、自由民主党の党員でもあったりしますから、自由民主党のセミナーとかパーティーとかあるいはそういったものに関しても、それなりの私は協力だとかおつき合いはあるものだと。
 ただ、私自身が資金管理団体の管理者じゃありませんので細かい点はわかりませんけれども、私は、それなりのつき合い、それぞれの地元における立場でありますから、つき合いがあったんでないか、こんなふうに私は感じております。

上田(清)委員 手短によろしくお願いしたいと思います。
 大西建設はどうですか。

鈴木証人 大西建設といいますと、どちらでしょうか。

上田(清)委員 これは根室の大西建設ですか。ごめんなさい、釧路ですね。根室です。

鈴木証人 済みません、大西建設さんが、それは私の資金の面ですか。資金の面で入っているかどうか、ちょっと私は今覚えてはおりません。

上田(清)委員 私は、一応念のために、収支報告書の記載漏れも含めて、あるいは今でも構いません、現実に収支報告を変更されたりされているわけですから、今までに記載された収支報告以外に何らかの献金の事実がありましたかどうかということで、大西建設についてはどうですかと聞いたんです。

鈴木証人 私自身が帳簿をつけているわけじゃありませんので、はっきり申し上げて、この大西建設さんがどういった、地元においてつき合っているかは、私はこれは残念ながら承知はしておりません。

上田(清)委員 管理団体の代表者はあなたです。政党支部の代表も証人です。だから、我々はもうそういうことは言えなくなったんです。あくまで我々の責任になってしまったんです。会計責任者が秘書であるとかだれだれであるということでなくなったんです。だから、記載されているかどうかということだけ確認しているんです。

鈴木証人 代表者は私であることも、それは私自身、認識しておりますけれども、私が一々どこから何月何日にどうだとか、あるいは何口の会員だとか、この点、私自身、これは把握していないというのが、これは正直な話であります。

上田(清)委員 何か歯切れが急に悪くなりましたよ。先ほどさっと、そういうことはないと言ったのに、大西建設だけ妙にこだわっておられますが、大西建設も含めて、国後の緊急避難場所施工会社の渡辺建設工業、犬飼工務店について、記載以外の献金はありませんでしたね。

鈴木証人 先ほどもお話ししておりますけれども、政治資金規正法に基づく届け出は当委員会でも資料として出されておりますから、私もそれは確認はさせていただいております。
 同時に、この大西さんの件については、私自身把握しておりませんけれども、島田さん、真壁さん、浜谷さん、北興さんについてはそれぞれの地区、これは選挙区でない地区の企業もありますから、それぞれの地区で、私は、自民党のセミナーだとかあるいはパーティー等での私はつき合い等はあるのでないかな、こんなふうに推測をいたします。

上田(清)委員 言い方に品はありませんが、俗に言う裏金はないかという質問だったんです。
 最後に聞きます。
 三井物産、北海電気、ダイハツディーゼル、この三件については記載以外の献金はありませんでしたか。

鈴木証人 ちょっと済みません、三井物産さんと……(上田(清)委員「北海電気」と呼ぶ)北海電気さんと……(上田(清)委員「ダイハツディーゼル」と呼ぶ)残念ながら、私の後援会には入っていないというふうに私は事務局から確認して聞いております。

上田(清)委員 時間が変わりましたので、原口議員とかわります。ありがとうございました。

津島委員長 この際、原口一博君から関連発言の申し出があります。上田君の持ち時間の範囲内でこれを許します。原口一博君。

原口委員 民主党の原口一博です。
 鈴木証人、御苦労さまです。
 先ほどの、スミルノフさんの査証発行について外務省に働きかけたことはありますか。

鈴木証人 先ほども申し上げましたけれども、相手国が事務的に手続することは、私は、それがどうなっているかというのは承知しておりませんので、その査証発行に私が関与したということは記憶にございません。

原口委員 記憶にないという答えでした。
 あなたは、ムルアカさんについては、査証発行のお願いをこうしてされているんです。その書類を私は持っています。ですから、外国のことだから自分が答えられないということでは必ずしもないというふうに思います。
 警察庁に抗議はしてないが、何らかの働きかけをこのスミルノフさんのことで警察庁に対してされたことはございますか。

鈴木証人 原口委員、済みませんけれども、そのムルアカ君の査証についての今、紙、その点も私自身はっきり覚えていないものですから、できればそれをお見せいただければありがたい、こう思っております。
 同時に、今スミルノフさんのことに言及されましたけれども、私自身、そういったことはなかったというふうに考えております。

原口委員 アフリカの援助、そしてODAについて伺います。
 二〇〇〇年、モザンビークは大変な水害が起こりました。そして、一刻も争う、そういうときでございました。このとき、モザンビーク水害支援で、医師を含む八名の支援クルーが、成田空港で出発二時間前に証人の一声でその出発をとめられた、鈴木証人に事前に話が上がらなかったことに原因がある、これは外務省もほぼ認めていることでございますが、これは事実でございましょうか。

鈴木証人 一部報道や、また、民間の方の発言がありましたけれども、私自身、そのときのことは正確には覚えておりませんが、ただ一つ言えますことは、今指摘のあった年の一月に、私は政府特使としてモザンビークの大統領の就任式に行っておりますから、その二カ月後の緊急支援だとか災害について、私が反対するだとか、私がどうのこうの言うということは考えられないことであります。

原口委員 一連の疑惑の中で、二島先行論あるいは領土を放棄したかのようなその発言、これがもしあったとすると、これは国策に反することでございますが、この成田解散行動は、まさにそれが、今否定されましたが、あったとすれば事実に反する、人道に対する大きな問題であるというふうに思わざるを得ません。
 そして、いわゆるタンザニアのキマンドル中学校支援について次にお伺いいたしますが、これは二月二十日の参考人質疑のときにもお伺いしましたが、これは証人個人の政治資金管理団体21世紀政策研究会からの出金ということでよろしゅうございますでしょうか。

鈴木証人 はい、そのとおりであります。

原口委員 このお金は、二〇〇〇年十二月一日、外務省の、証人のもとを訪れた、外務省の方が証人のもとを往訪し、それは野川中近東アフリカ審議官、二名ということを聞いておりますが、自民党総務局長室において証人が現金八百万円を手渡したと聞いておりますが、これは事実でございましょうか。あるいは、このお金の出金を裏づける帳簿を本委員会に提出いただけませんでしょうか。二点についてお伺いいたします。

鈴木証人 間違いなく、野川さんが来られたとき、私は現金でお渡しをいたしました。

原口委員 その現金の出所は、当然あなたの政治資金管理団体のその帳簿にあるというふうに思いますが、それを本委員会に提出いただけませんでしょうか。

鈴木証人 現金で渡しておりますので、私の資金管理団体から出ていることが間違いありませんので、現金であるということをおわかりおきをいただきたい、こう思っております。

原口委員 政治資金管理団体は帳簿主義をとっておりまして、その帳簿というものが大変大きな意味合いを持つわけでございますので、まさにその、現金であろうがなかろうが、それは銀行口座から引き落としてお渡しするわけでございますので、その帳簿を提出いただけないかということをお願いしているわけでございます。

鈴木証人 政治資金は、銀行振り込みもあれば、あるいは直接持ってきてくれる人もおりますし、また、それはさまざまな私は手続がある、こう思っております。

原口委員 手続の問題を申し上げているわけではありません。同日、送金依頼書写しを添付したメモをその日に外務省課員が手交したと聞いております。その写しは、これは二十日のときにも、その写しがありますから必要であればこの委員会に出すというふうに証人はおっしゃいましたが、この当委員会に御提出なさるおつもりはございますか。

鈴木証人 あれですか、その二〇〇〇年十二月一日の送金の写しでありますか。それは新聞にも載っておりましたし、私自身もそれは見ております。

原口委員 新聞の報道とかそういったものではあやふやで、これは大変大きな、証人喚問の席でございますので、御自身がお出しになると、この間出してもよいとおっしゃいましたので、その御意思を確認する質問をしておる次第でございます。

鈴木証人 たしかあると思いますから、二〇〇〇年の十二月一日の送金の写し書が出せる、こう思います。

原口委員 ありがとうございます。
 外国為替法では、いわゆる不正な資金洗浄、マネーロンダリングを防止する等の目的で、金融機関に本人確認義務を課しております。当該外国送金依頼書を拝見いたしますと、これは当委員会の質疑で出てきたものでございますが、外務省課員にその送金人がなっており、川口外務大臣が極めて不適切と答弁されたような事態を起こしています。外務省課員が議員の、しかも政治資金を海外送金とするということは、極めて法的にも、道義的にも疑義のある問題であるというふうに思います。しかも、二月二十日の時点で、当該政治資金管理団体収支報告には記録がございません。四日前の三月七日、証人は当該収支報告に修正を加えていると思われますが、これは事実でございますか。

鈴木証人 外務省の職員にお願いしたのは、私自身、これは軽率であったかと思いますけれども、残念ながら、私も含め、事務所の者は、海外送金の仕組みだとかあるいは手続というのが十分わかっておりませんでした。同時に、それなりのお金であったものですから、外務省にお願いしたということ。
 同時に、この話のそもそもの発端は、外務省の人も入ってこの話が出てきたんです。これはタンザニアの首相府の次官が日本に来た際です。ですから、先ほど原口先生がおっしゃられたその会談には外務省の方も立ち会っておったものですから、そこで、私自身、正確を期した方がいいということで外務省の人にお願いをしたということが事実でありますので、この点は御理解をいただきたいな、こう思っております。

原口委員 当該収支報告書では、事務所家賃の保証金戻りとして一千三百五十万円が同時に収入として上げられています。これはどこの事務所でございますか。

鈴木証人 あと、先ほどの原口委員の質問で一つ今答弁漏れがありましたから説明させてもらいますけれども、私は……(原口委員「いや、聞いたことに答えてください」と呼ぶ)先ほどの質問で例の政治資金の報告をしていなかったものですから、話させてもらって……(原口委員「いや、そのことを聞いていません」と呼ぶ)いいですか。(原口委員「事実かとだけ聞いているんです」と呼ぶ)はい、わかりました。
 それでは、ただ、参考人質疑の際のとき、私の答弁でちょっとそごがありました。というのは、参考人質疑では、十三年度の……(原口委員「委員長、全然違うことをおっしゃっています」と呼ぶ)

津島委員長 質問されたことに証人は答えてください。

鈴木証人 そうですか。はい。
 事務所の家賃の関係につきましては、ちょっと大家さんとの間でトラブルがあって……(原口委員「いや、どこの事務所ですかと伺っているんです」と呼ぶ)私の、ですから、事務所の……(原口委員「場所はどこですか」と呼ぶ)場所は、十全ビルという私の個人的な事務所であります。

原口委員 十全ビルの保証の資料を持ってまいりましたが、千三百五十万円、一つの建物でそういったことが果たしてあるだろうかという疑義はまだ消えません。
 そして、二〇〇〇年十二月一日は、これは特別な日でございます。あなたの動静も数多くのテレビカメラに映っております。この日はまさに、加藤政局が一つの区切りを迎え、国会が最終日で、そしてその日は野中当時幹事長が辞意を漏らされ、十二月五日の内閣改造に向けて国会は大変大揺れに揺れた日でございます。
 この日、果たして十二月一日の正午、こういうことをなさる余裕があったのか。私は、当時の御党のさまざまな皆さんからお話を伺ってこられた方の資料によると、とてもそんな余裕はない、そう思いますが、やはり十二月一日がこのお手渡しになったときでございますか。

鈴木証人 十二月一日に送金をしたという紙が私のところに来ていますけれども、これも、ちょっとこの日にちは定かでありませんけれども、前もって渡したのかなという感じもしております。その渡した日に送金したかどうかは、これ、外務省の方にお願いしたものですから、私はちょっと前に渡しているんでないかなという今記憶もしますけれども、これは定かじゃありません。
 ただ、十二月一日に送りましたよという書類はございます。

原口委員 外務省の答弁と違います。
 スズキホールをめぐる不透明な資金への流れ、これは外務省のプール金ないしはODAの還流金がこれに充てられたのではないかという指摘がございますが、全くこういうことはございませんね。

鈴木証人 それは逆に外務省に確認してください。
 ただ、原口先生、これははっきりしておきたいんですが、私はよかれと思って善意でやったことなんです。それを、いやしくも国のお金を使うだとか、何か外務省のプール金を使うみたいな話がありましたけれども……(原口委員「聞いていない。委員長、聞いていないことです」と呼ぶ)それはないということだけは私は明確にしておきたいと思っています。

原口委員 ないということでございます。
 さて、先ほどムルアカさんについて、御本人がこの方の身分について御存じないということをおっしゃいましたが、鈴木証人の事務所から、一九九九年二月、これは外務省の報告にも出ておりますが、御相談があって、外務省中近東天江局長が法務省竹中入管局長に、いわゆる公用パスポートにて秘書ということをやることについて果たしていかがなものかという相談をされております。御自身の事務所から御相談をされていて、その方についての身分が御存じない、民間人であったと先ほど上田議員の質問にお答えになっていますが、一九九九年、御相談されたんではございませんか。

鈴木証人 今から三年前になるかと思いますけれども、ちょっとどんなやりとりがあったかは、私と天江さんとの間でどういう話のやりとりあるかは、ちょっと私は記憶にありません。記憶にないというか、覚えていないというか、そんな今認識です。

原口委員 最後に一問お伺いします。
 桟橋工事についてでございますが、この桟橋工事、まさに私たちの調査によると、社団法人寒地港湾技術研究センターの理事を兼務されながら、北興工業の萩社長がその受注にも参加をされて、入札にも参加をされている。
 また、同桟橋を受注した島田建設から証人は秘書給与を肩がわりをされたということが報じられておりますが、秘書給与がこういう、御自身が外務省の報告によると関与をその中では認めていらっしゃいますが、その企業から秘書給与が肩がわりをされているということは大変大きな問題であると思いますが、これは事実でございましょうか。

鈴木証人 北興の萩社長さんがその寒地港湾センターの理事をやっておったということは、残念ながら私は承知していませんでした。
 同時に、今この秘書の給与の肩がわりという話が出ましたが、私もきょうの新聞報道で初めて知ったことでありまして、どういう事実関係かは、私は承知しておりません。

原口委員 終わります。ありがとうございました。

津島委員長 これにて上田君、原口君の発言は終了いたしました。
 次に、達増拓也君。

達増委員 証人は、いわゆるムネオハウス、国後島緊急避難所兼宿泊施設の入札参加資格について外務省にいろいろ述べたわけでありまして、先ほども、そのやりとりが行われたのは首相官邸の内閣副官房長官室であったと述べられました。
 伺いますが、その際、証人は、外務官僚に対し、これは一国会議員としての意見であって官房副長官としての指示ではないと断りましたか。

鈴木証人 その際のやりとりも、詳細に、今思い出せといっても思い出すことはできませんけれども、少なくとも、外務省の方が私に相談に来る場合、私は、ポスト、立場に関係なく、事この北方領土関係については、いつも私は意見交換をしていたなという認識を持っております。

達増委員 やりとりの詳細は外務省報告書別添のメモの中にありまして、外務省側は証人のことを鈴木官房副長官としており、官房副長官の立場を離れた一国会議員としての意見であるとは書いていません。
 さて、本年二月二十日の予算委員会参考人質疑において原口委員が日ロ青年交流について質問したとき、日ロ青年交流について質問したとき、証人は、「私は官房副長官でありましたから、この計画には積極的にかかわってまいりました。」官房副長官であったから、日ロ青年交流計画に積極的にかかわったと述べています。日ロ関係など外交の仕事は官房副長官がかかわるような仕事であると、いいですか、外交は官房副長官が関与するような仕事であると当時証人は認識していたのですね。

鈴木証人 二月二十日の参考人質疑でのやりとりですけれども、私はこう言ったと思っております。この青年交流というのは、当時の小渕総理とエリツィン大統領との会談で決まったもので、私自身が官房副長官として同席をし、かつ、その経緯等を知っていましたという事実関係を私は述べたのであって、官房副長官だからこれを進めたとか、そういった私はやりとりではなかったというふうに私は認識をしております。

達増委員 二月二十日の答弁はそうではありませんでした。
 さて、ムルアカ秘書について伺います。
 今、上田委員そして原口委員、質問しましたけれども、ムルアカ氏は、公用旅券や外交旅券を持っていただけではなく、入国管理上の在留資格も公用だったんですね。つまり、日本政府が正式に、公用で日本にいると、在留資格として公用と認めていた。
 そこで、九九年二月のことですけれども、外務省の報告書にも、外務省は、ムルアカ氏が公用旅券を持っていたと九九年二月には知っていたと書いてあるんですが、その報告書には、同時に、外務省としては、ある外国人がどんな種類の旅券を持っているかを知るシステムは持ってないと言っている。
 先ほど原口委員が述べたように、証人が外務省に相談して、実はこの人は公務員なんだけれども議員秘書をやっていいのかというようなことを外務省に聞いたから、外務省はそのことを知り、報告書にもそう書かれているわけであって、やはり、証人が、ムルアカ氏が民間人だという認識だったというのは、これは余りにおかしいんじゃないですか。

鈴木証人 私自身、政治家として、相手国、外国の政府の一員だとか公務員であるとするならば、私は、私設秘書という肩書でも、あってはならぬことだ、こう私は思っております。これは先生も、私は、共通の認識だと、最低の原理原則だと思っているんです。
 ただ、私は、今回、一連の話が出て、調べてみました。そうしたら、これも本人の発言でありますけれども、ザイールでの公用旅券というのと日本での公用旅券の、これ、位置づけといいますか、意味合いが違います。このムウェテ・ムルアカ君いわく、公用旅券については、ザイールではサービスパスポートと言っているそうであります。日本ならば、公用旅券といえば公務員になりますけれども、向こうでは、海外貿易をしている社長さんだとかスポーツ選手だとか、外国で活躍している研究者、学者等も含めて、そういった人はサービスパスポート、いわゆる公用旅券が出るという話をされておりました。
 ですから、その、ちょっと日本との、公用旅券との認識は違うということだけは、これまた私は考えていただきたいな、こう思っております。
 同時に、これも本人から聞いたんですけれども、当時の天江局長さんとは、これまたムルアカ君は頻繁に意見交換もしておったようでありまして、そこでどういうやりとりがあったかというのは、私自身、詳細に覚えてないということです。

達増委員 日本政府の入国管理上の在留資格も、公用、公務員扱いでありました。
 次に、ビザなし交流事業について伺います。
 平成四年から始まっている北方四島ビザなし交流事業、この事業に使われる船は、平成九年に随意契約からプロポーザル方式、応札方式になったのですが、株式会社マリンアドベンチャーというところの船しか使われていません。また、マリンアドベンチャー社は、平成十年、二隻ある船のうち一隻を改造して大型化するのですが、その翌年、ビザなし交流事業の定員が、あたかも船の大型化に合わせたようにふえているという不自然なことがあります。また、受注のための条件が、このマリンアドベンチャー社に有利になっているように見受けられる、そういうところもあります。
 このマリンアドベンチャー社は、会社としてあるいは社長個人として、証人の政治資金管理団体に献金を行っています。また、マリンアドベンチャー社は、証人の有力支援者である根室造船株式会社が主要取引先でもあります。
 証人に質問しますが、マリンアドベンチャー社のビザなし交流事業受注について、口きき等の関与をしていませんか。

鈴木証人 私自身、このマリンアドベンチャーという会社が根室じゃないものですから、それほどの認識といいますか、かかわり合いは持っておりません。
 同時に、私は、外務省等がこのビザなし交流で使う場合、初めは一隻しかなかったのが、やっぱり二隻が必要だみたいな話があって、そこでいろいろ対応をしたというような話を、外務省から私は何年か前に話を聞いたことがあるかなという、今、おぼろげながらの記憶でありますけれども、私自身、このマリンアドベンチャーですか、マリンアドベンチャーをどうのこうのという話はした覚えはございません。

達増委員 証人は、平成十二年度には四億四千万円など、毎年莫大な政治資金を集めていますが、何のためにそんなにたくさん集めるんですか。

鈴木証人 何のためというか、私は、おかげさんで多くの人から御支援をいただいているということで、それはもう感謝しているんです。ただ、私は、今、政治資金というのは、金額が多く集めれば何か負のイメージがありますが、ぜひともこの使い道等も私は精査をしていただきたい。そこにまた何か問題があるならば、私は指摘があって当然だ、こう思っておりますけれども、金額集めただけでどうのこうのと、こう言われても、ちょっと私自身、これ、それぞれの立場にある人、また、それぞれの関係者が協力してくれる、それは善意の協力だというふうに受けておりますので、私自身、感謝申し上げているというところであります。

達増委員 小渕首相が倒れたときの話を伺います。
 平成十二年四月一日土曜日の夜、緊急入院されました。あのときは、三日月曜日に青木官房長官が首相臨時代理になり、五日の水曜日、小渕内閣総辞職、森内閣の発足となりました。このとき証人は、小渕首相の特使として、三日に成田を出発、四日にプーチン大統領と会談し、まだ首相に選ばれていない森幹事長と電話で協議をしながら、森新首相とプーチン大統領の首脳会談を四月末にセットして帰国しました。
 青木官房長官が首相臨時代理を務め、小渕内閣総辞職の準備を進めている期間に、一方では小渕首相の特使として訪ロしつつ、同時に、まだ首相として指示を出す立場にない森幹事長と協議して日ロ首脳会談をセットをしてくるというのは、首相不在の異常期間を利用して、いわゆる密室の五人組、森総理を誕生させた森幹事長、野中幹事長代理、青木官房長官、亀井政調会長、村上参院会長、こうした人たちと一緒になって日ロ外交を壟断するものであると思うのですが、この点、いかがでしょう。

鈴木証人 あのときのいきさつ等、私なりに覚えておりますけれども、あの小渕総理が倒れられた、その翌日の夜だったと思いますけれども、外交には休みがないから、小渕総理が特使で君を任命しているから、それは粛々と進めてほしいという連絡が、私は、事務的に入って、そしてそのとおり私は行ったなという感じであります。
 この点、私は、小渕総理が倒れられた、この特使の話はなくなるものだと、私自身はそんな思いでおりましたけれども、外交には休みがないからそれは淡々とやっていただきたいというふうに私は事務的に連絡を承った、こう思っております。

達増委員 終わります。

津島委員長 これにて達増君の発言は終了いたしました。
 次に、佐々木憲昭君。

佐々木(憲)委員 私は、二月二十日の参考人質疑の際に外務省の内部文書を明らかにして、あなたが、友好の家、いわゆるムネオハウスの入札に深く関与していた事実を指摘をいたしました。その後、外務省の調査報告書では、文書の存在を確認をし、深く関与していたことを認めたわけであります。
 問題は、この入札参加資格決定過程でありました。しかも、これらの事業を受注した企業からあなたに対する政治献金がふえていることであります。
 例えば、渡辺建設工業は、九七年の五十万円から、九八年の百五十万円、九九年の二百五十万円とふえております。これは明らかに受注に対する見返りと思われるわけですけれども、それは事実ですね。

鈴木証人 全くそういったこと、私自身依頼も受けたこともありませんから、同時に、私自身が献金をいかほどしてくれというお願いもしておりませんので、ぜひともその点は誤解のないようにしていただきたい、こう思います。

佐々木(憲)委員 前からのつき合いだったとおっしゃっていました、先ほどね。私は、だから問題だと思うんです。献金を受けてきた企業に仕事をつくってやった、そういう関係にあったのではないか。
 具体的に、じゃ、お聞きをします。
 ムネオハウスの竣工式が、式典が九九年の十月二十四日に行われました。その帰りの船の中で、あなたは、地元の作業員がほとんどいなかったことに激怒し、同行した外務省欧亜局職員をどなりつけ、調査を命じたと書かれております。こうしたことから、渡辺建設に、その後、二千三百七十四万円の追加支払いが実施されております。あなたが激怒した翌日、十月二十五日に、渡辺建設工業から五十万円の政治献金が渡されております。また、二カ月後の十二月二十一日には、百万円の政治献金が渡されております。もう明らかにこれらの献金は工事受注へのお礼ではありませんか。

鈴木証人 帰りの船の中でどなりつけたという話がありますが、この点、私の言葉に問題があれば、これは反省しなければいけないと思いますが、ただ、すべて私が言ったことが、どなり上げたとか怒ったみたいな話になっておりますけれども、この点、あの記録も、外務省の調査報告も、私は、受けとめた側のやっぱり認識というのは多分に入っている、こう思っておりますので、この点は、決めつけはぜひともしてほしくないと思います。
 同時に、今佐々木委員から、その追加工事があった二千数百万円ですか、これは私は、全くそれはタッチしてもいなければ、佐々木委員の今のその指摘でわかる話であります。
 同時に、佐々木委員が当委員会に示された、私のこの政治資金報告の過去六年間分ぐらいの資料がここへ出たと思いますが、その中で、私の政治資金団体には、渡辺さんは、毎年、佐々木委員の出した資料によりますと、五十万、定期的に入っておったと思います。
 そして、自由民主党の方に関しましては、この入金の日にちだとか、あるいはその期日なんかでは差がありますけれども、これも、自由民主党は自由民主党に対しての、私は、会費といいますか、その年ごとの協力があった、こんなふうに私は認識をしております。

佐々木(憲)委員 まあ、質問に直接答えていただけないのは非常に残念です。自民党といっても、それはあなたの支部でありますからね。
 それから次に、いわゆるムネオハウスでありますが、九九年五月二十七日、あなたは、この入札工事に関して、外務省関係者から参加資格について説明を受けた。その際、根室管内に限定してはどうか、根室管内にはB以上は何社かと聞いています。その後、直ちに支援委員会、外務省が調べたら、根室管内のB以上は一社のみ、渡辺建設工業ということでありました。この報告をあなたは外務省から当然受けていますね。

鈴木証人 佐々木委員の質問の際のこのメモで、私はあのときのやりとりというものをわかったんですけれども、あのとき佐々木委員の示したメモに、私自身、根室管内に何社あるのかというお尋ねをしました、先方もそのお尋ねに対してはわからなくて持ち帰ったというのが、あのときのメモの私は詳細でなかったか、こう思うんです。
 それで、その後、私は外務省の方が当然説明に来たんだなと、こう思いますが、その説明がいつであったのか、同時に、私は、その説明の際は、外務省が決めたルールといいますか外務省が決めてきた枠組みで私は了解をしているんでないかな、こんなふうに認識をしております。

佐々木(憲)委員 質問に対して後で回答があったけれども、そのときの回答の中には、渡辺建設工業という一社ですと、名前を出すか出さないかは別として、一社ですというそういう回答はあったんですね、なかったんですか。

鈴木証人 そういう個別の業者の名前を、説明を受けたという記憶はございません。
 あとまた、どう思い出しても、個別に何社かという中で、次回、あれが、今先生、二十八日と言いましたけれども、二十七日なんですね、私のところに来たのが。で、メモが二十八日のメモなんですよ。ですから、その後の経緯について説明はあったかと思いますけれども、個別具体的な企業の私は説明を受けたかとなると、これは思い出すことはできません。

佐々木(憲)委員 肝心なことになると忘れる。非常に問題だと。このくらいのことは当然覚えているはずなんですね。
 最終的に入札公示は、北海道に本社があって根室管内で十分な施工実績のある者、こうなりました。この要件に該当する会社は渡辺建設工業だということは、当然、御存じですね。

鈴木証人 全くそういった認識は持っておりませんでした。

佐々木(憲)委員 我々の調査では、渡辺建設工業しか実績のある会社はありません。平成七年、八年、九年、十年、十一年、ずっと調べましたら、五年間三十六件の官公庁発注実績があります。これ全部、ここに資料がありますけれども、この資料によりますと、すべて三十六件、渡辺建設工業しか根室管内で仕事をしていないんです。
 つまり、北海道内に本社があろうが根室管内に本社があろうが、根室管内で実績のある会社、公示によって決められたその要件に該当するのは、渡辺建設工業しかない。これは当然、この地域のことをよく知っているあなたは御存じだと思うんですけれども、いかがですか。

鈴木証人 佐々木委員の質問等、参考人招致のときから聞いておりますと、どうもそちらの方向に持っていきたいがゆえの、私は、話でありますけれども、私自身、その認識は持っていなかったということ、あと、個別具体的な企業の話はしていないということは、調査書の中でもこれははっきりしているわけでありますから、ぜひともその点は私は明確にしておきたい。
 先ほど来言っているとおり、私が、なぜ根室かというと、領土返還運動の原点であるということ、さらには、地元からそういった要請、要望があるということで私は根室管内という話であって、個別の業者の名前は言ってないということだけは明確にしておきたいと思います。

佐々木(憲)委員 聞いたことにだけ答えてください。
 外務省調査報告書では、「入札参加資格案として同議員に説明し、同議員は、これを了承した。」と書かれています。これは極めて重大なんです。根室管内に限定する、根室管内の実績のある会社に限定する、これはつまり、入札資格参加を事実上あなたが決めたということと同じなんです。そうじゃありませんか。

鈴木証人 この点、外務省の調査報告書にもありますし、また、委員の先生方も、いわゆる入札参加基準の公告というのが公になっておりますから見ていただきたいと思いますが、私が五月二十七日やりとりしたとおりの結果にはなっておりません。これはきちっと、入札の公募の際、明確でありますから、どうぞ佐々木先生、その点を比較していただきたい。二十七日のやりとりのとおりであったかどうかということを見てもらえれば、私は、おのずからはっきりすることではないか、こう思っております。

佐々木(憲)委員 終わります。

津島委員長 これにて佐々木君の発言は終了いたしました。
 次に、辻元清美君。

辻元委員 社民党の辻元清美です。
 事実関係のみを簡潔にお答えいただきたいと思います。そして、鈴木証人のお母さんも、私と同じ、きよみというお名前だと承っておりますが、お母さんに答えるように、正直に、包み隠さずお答えください。
 さて、ケニアのODA疑惑からいきます。
 鈴木議員は、ケニアへの最大のODAであるソンドゥ・ミリウダム疑惑について、二月二十日の参考人質疑で、次のように答弁されているんです。「私は、ユネスコの選挙でケニアに行ったんです、平成十一年の八月に。いいですか。そのとき初めて、ケニアの話、ケニアに行って、ソンドゥ・ミリウという案件を知ったんですよ。」さらに、こうもおっしゃっています。「ですから、私は、ソンドゥ・ミリウがどこにあるか、どんなダムかというのは全く承知していないということなんです。」と答弁されていますし、本日も、そのように答弁されましたね。
 さて、このソンドゥ・ミリウダムについては、このときの答弁のように、一九九九年、平成十一年の、今から二年半前の訪問で現地でレクチャーを受けて初めて知ったということですか。イエスかノーかでお答えください。イエスかノーかだけでいいです。

鈴木証人 このソンドゥ・ミリウの案件については、先ほど来も話をしているとおり、そのユネスコの選挙で行った際、初めてそのソンドゥ・ミリウという名前を聞いたというのが事実であります。

辻元委員 それでは、この一九九九年、平成十一年が初めてのケニアの訪問ですか。この一九九九年以前に何度訪問されていますか。回数のみお答えください。

鈴木証人 何回行っているか、ちょっと今、急な話ですから、回数わかりませんが、何回か行っていると思います。三回か四回か行っていると思います。この点、今、もし質問の資料があれば前もって調べてきたのでありますけれども、回数だけはちょっとはっきりしない。ただ、何回か行っているということは事実であります。

辻元委員 少なくとも三回行っていらっしゃいますね。ここに「世界が変わる日本が変わる」、あなたの御著書があります。この中にも、初めて行かれたとき、一九九一年の平成三年に初めてケニアを訪問し、モイ大統領と会談されている写真もあります。そして、このときは海部首相の親書もお持ちでした。外務政務次官でしたね。その後、一九九二年と九四年にも訪問していますね。モイ大統領とお会いになっています。
 さて、この、あなたが初めてソンドゥ・ミリウのことを知った一九九九年以前のあなたの訪問のときに、ソンドゥ・ミリウダムについては一度も会談で話は出てないんですか、いかがですか。

鈴木証人 残念ながら、これは覚えておりません。それと、今……(辻元委員「その点だけで結構です」と呼ぶ)はい。外務政務次官のときの言及もありましたけれども、このときは、TICADの関係、アフリカ開発会議を日本で開くというもので、その招待状を持って参加をお願いに行ったというのは、私はちゃんと覚えております。

辻元委員 よく覚えているじゃないですか。何が忘れたですか。ど忘れ禁止法を適用したいぐらいですね、本当に。
 それでは、私が思い出させてさしあげたいと思います。まず、一九九一年の一回目の訪問についての事実関係からです。
 ソンドゥ・ミリウ水力発電プロジェクトは、今から十七年前の一九八五年、あなたが初当選したときから始まっています。十七年前から始まっているんです。そして、この日本とケニアの最優先事項として、一九八九年、昭和六十四年には六億六千八百万円の借款契約に既に調印しています。長い歴史があるんですよ。あなたが何回も会談されているこのモイ大統領は、一九七八年から大統領を務めて、このソンドゥ・ミリウ・プロジェクトのスタート時からの強力な推進者です。
 そして、さらに、先ほどの著書に出てくる、一九九一年、平成三月、あなたがケニアを外務次官として訪問し、この強力な推進者のモイ大統領と会談したちょうどその七月ですよ、七月十二日にあなたは会談されていますが、日本工営株式会社によって環境アセスメント報告書が出されているんです。この日本とケニアのビッグプロジェクトは、当時も日本とケニアの間の一番の関心事だったはずですよ。
 特に、当時、外務政務次官でいらっしゃったわけで、将来、二百億円にも及ぶこのような大きな経済協力案件について、必ず会談で出るでしょう。そして、行く前に、どういうふうに、この件が出たら答弁するかということも確認してから行くんじゃないですか。まだ思い出せませんか。

鈴木証人 辻元先生の記憶には私は到底及ばないと思いますけれども、十年前、十一年前、じゃ、辻元先生にもお尋ねしますけれども……(辻元委員「その権利はないですよ」と呼ぶ)先方の、私は……(辻元委員「だめ」と呼ぶ)覚えているかどうかというのは……(発言する者あり)委員長、私は、はっきり申し上げて、覚えているかどうかでありますから、覚えていないということを明確にしておきたいと思います。

辻元委員 じゃ、もう一つ聞きましょう。
 その翌年にもケニアを訪問しているんです。一九九二年の訪問、このとき、ケニアにおける複数政党制導入後初めての選挙の監視団団長としてあなたはケニアを訪問しましたね。このとき、経済協力の話は出ませんでしたか。

鈴木証人 九二年、あれはたしか十二月だったと思いますがね……(辻元委員「よく覚えているじゃない」と呼び、その他発言する者あり)

津島委員長 御静粛に願います。

鈴木証人 今、辻元先生、あなたから質問があったから、今、思い出そうと思って私も努力しているんですから、これはおわかりをいただきたいと思うんです。
 あのとき、私は、選挙監視のオブザーバーで行きましたけれども、あのときは……(辻元委員「出たか出ないかだけです」と呼ぶ)たしか、要人とは会談はしておりません。

辻元委員 あなたは、この訪問の後、記者にこう語っていますね。総選挙後、ケニアが一党独裁制を放棄する圧力となった西側援助による財政支援融資の停止措置について、自民党副幹事長として、あなたは大統領と会談しているんですよ、このとき。それは、外務省に来ている公電にもはっきり入っているわけです。そして、民主的国家建設に向けて第一歩を踏み出したことを評価し、日本は独自にでも対応すべきだと述べ、日本政府に対し援助再開を促すという意向を記者に示し、その翌日の十二月三十一日に、日本でも報道されていますよ。
 大統領と会ったでしょう。そして、このときにソンドゥ・ミリウダムの案件についても話しているじゃないですか。

鈴木証人 十年前の話ですから、先ほど来言っているように、はっきりしていませんが、それ、もし、辻元委員、大統領といつ会ったことになっていますでしょうか。(辻元委員「十二月三十日」と呼ぶ)選挙が年末だったと思うんです。私は、年越したのが、ケニアでこのときは初めて年を越したと思うのですが。(辻元委員「だから、出たか出ないかですよ」と呼ぶ)ですから、大統領と会談したかどうかは、私は覚えていませんし、その中身については、その点ははっきりしておりません。

辻元委員 このとき、総選挙後選ばれた大統領と初めて会ったといって、あなた、威張っているんですよ、あちこちで。
 さて、それでは、十年前、覚えてない。じゃ、二年半前の一九九九年の話に行きましょう。四回目の訪問です。あなたは、このとき、ケニア共和国議員連盟の会長に就任されていましたね、そして訪問されましたよね。
 さてそこで、この一九九九年八月の訪問の前にケニアのその議連の会長にもなっていらっしゃいまして、ケニア大使館とお会いになりましたか。訪問の前です、直前。

鈴木証人 九九年の私の訪問は、議連の会長等じゃなくて、内閣官房副長官として、このユネスコの選挙に協力でお願いに行きました。
 同時に、そのときケニアの大使館の人と会ったかどうかは、在京の大使館ですか。(辻元委員「在京」と呼ぶ)在京の大使館なり大使と会ったかというのは、ちょっとこれは思い出せません。ただ、あのころ女性の大使がおったかなという記憶はしておりますけれども。

辻元委員 ケニア議連の会長に就任、その直前になさっているわけです。大使と会っていますよ、行く前も。そして、そのときソンドゥ・ミリウの話が出ていますよ。特に債務削減について出ています。
 このとき、ちょうど、第二期分への百五億円の借款供与をするかでちょうどもめていた最中だったわけです。そして、これまでの借金をまけてくれ、債務削減してくれとケニアが言い出したら二期工事ができないという瀬戸際だったわけです。そのときにあなたは訪問しているわけですよ。ケニアと日本の当時の最大の懸案だったんですよ、これが。
 あなたは、大使館で事前に債務削減を求めないようにという話をしてから行っているじゃないですか。どうしてうそつくんですか。こんな、十年前から三回も四回も行っていて、大統領にも会っていて、二年半前に行くまで、それも現地で現地の大使館員やそれから外務省の人から話を聞くまで、ソンドゥ・ミリウがどこにあったか、そんなダムの名前も聞いたことない。そんなこと、だれが信じられるんですか。
 あなたは疑惑のデパートと言われているけれども、疑惑の総合商社ですよ。

鈴木証人 私は、証人として誠実に答えております。うそつきだという発言は、これは撤回していただきたい、こう思いますが、いかがでしょうか。

辻元委員 私は、あなたは答弁をごまかしている。大統領と会って、ソンドゥ・ミリウダムの話については、先ほどから話が出ている鴻池組と、スズキホールの鴻池組と、スズキハウスの日本工営なんですよ、これも。
 そして、最後に申し上げたい。
 あなたは、今このダムの存在すら自分は知らないというように言っていましたね。自分がかかわってきたことがわかるとやばいことがあるから、ソンドゥ・ミリウダムの存在を知っていたことすら否定せざるを得ないというようなことが今まさにこの場で明らかになったということを申し上げて、終わります。

鈴木証人 辻元先生、そのやばいなどという表現はどこで出てくるのか。
 私は、ソンドゥ・ミリウに関しては、その関与は、先ほど来言っているとおり、あるいは参考人質疑でも言ったとおり、官房副長官として行ったとき、外務省、政府、さらには日本側の大使館から、この案件がモイ大統領から出たら、債務履行ということを約束されたならば、日本政府は前向きに検討します、こう答えてくださいと言われていたから、私はそのとおり言っただけなんです。それをもって何で関与と断定できるんですか。
 それで、やばいだとかうそつきという表現は、どうして辻元先生、この場で言えるんですか。私は、それは、お互い政治家として行き過ぎがあってはいけないと。しかも、これはテレビで全国の人が見ているんです。私がソンドゥ・ミリウで、よく鴻池の話も出ますけれども、私は、鴻池からも頼まれたこともなければ何もないのです。この点、ぜひとも明確にはっきりしておきたい、こう思っております。

津島委員長 これにて辻元君の発言は終了いたしました。
 以上をもちまして鈴木証人に対する尋問は終了いたしました。
 証人は御退席くださって結構でございます。
 本日は、これにて散会いたします。


2002/03/11

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