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1 社会党の質的変化
去る二月の社会党大会以後、多くの人から「ながらくがまんして社会党を支持してきたが、こんどこそ、あいそがつきてしまった」と言われる。私には返す言葉がない。
社会党は五万の党員で一千万の得票を重ねる、世界に例のない、不思議な政党だと言われてきた。支持者の多数はこの党を、不公正・不合理にみちたこの社会を、革命という急激な手段によってではなく、漸進的な改革を積みあげてつくりかえてゆく政党であり、狭いイデオロギーにこり固まるのではなく、国民の常識とかけ離れない、国民に門戸をひらいた幅の広い政党だと考えてきたと思う。どの党を支持するかではなく、どの党がいやかという拒否反応の世論調査をみても、社会党に対する拒否が一番すくないことが、このことを裏づけている。そうした社会党のなかで、年とともに社会主義協会派がのびてゆく。周知のように、協会派はマルクス・レーニン主義を社会主義の正統だと固執し、目的達成のためには、プロレタリア独裁こそが妥協してはならない道であると主張する。発展した工業社会においては現実に適応しないとして、共産党までが捨て去りつつあるこのイデオロギーに、「信仰」ともいうべき忠誠をつくす協会派が、社会党の主導権をにぎったことに、多くの社会党支持者はあきれはてたのであろう。この狂信の徒の気ままを許す党内「良識派」の無策無気力にも、あいそがつきはてたのであろう。
社会党には二つの顔がある。選挙にあたって議員が国民に示す「もの分りのよい」所と、党大会にあらわれる、硬直した理論をおしとおす教条主義の顔である。「もの分りのよい」国会議員は、大会代議員の一割にも足りない。多くの議員は、大会のたびに「また支持率が低下する」と、心中不満やるかたないものがあるのだが、教条主義の徒をおさえて、自分が代議員になろうというファイトはない。この連中を敵に回しては、選挙のときの手足がなくなる、と恐れるのである。地方議員は代議員の二割程度をしめるが、イデオロギー論争に首をつっこむことから逃げて、政策勉強に熱心にとりくむ。だから大会の運動方針分科会と政策分科会とは、これが同じ党かと疑うほど空気がちがうのだが、政策でなにがきまろうが、根幹になるのは運動方針であり、ここで決定した党の路線が、政策の実践を左右するのである。
大会は最高の意志決定機関であり、選任された執行部はこの決定を忠実に実施にうつさなければならず、従わないものには規制を加える。機関決定を尊重せよとかぶせられると、正面切っての抵抗はできない。耐えられぬ者は党を去ってゆく。社会党の長期低落が始まってからのこの十年あまりの間、入党者もあったが、ほぼ同数の離党者がつづいた。つまり、「良識派」が去って、協会よりの若者が入ってきたのであり、党内での協会派の比重が年とともに加重されてきた。こんどの大会を契機にして、「良識派」はがっくりし、協会派は勝ちほこり、従来以上に大幅な離党、入党がおき、党の性格は質的に変ってくるのであろう。
社会党が社会党でなくなってしまうことを憂慮する諸君は、いま、反協会連合を組んで、この流れを阻止しようと努力している。だが、これを成功させるためには、協会理論に信仰的忠誠をはげむものを相手にしなければならないから、ものすごいエネルギーが必要であり、長期にわたる混乱がさけられない。しかも、この混乱は一般国民には関係なく、社会党という閉鎖社会のなかだけの出来事であり、結末がついたときには、国民の関心は社会党とは遠く離れたところに行ってしまっているのではなかろうか。所詮あいいれることのできない党内の主導権争いは、まことに非生産的というほかない。協会派にとっては、それでもよいのだ。この諸君が求めるのは、マルクス・レーニン主義で純化された党であり、多様性をふくんだままの党の拡大は追求すべき目標ではなく、たとえ議員の数が大幅に減ったところで、党の質的純化が達成されれば、それでよいのである。そうした執行部が確立されさえすれば、頭を下げる輩は、ひもをつけておよがせてやってもよろしい、ということになるのであり、いま、そこに進みつつある。
社会党を本来の姿にたちかえらせ、国民の期待にそう活動ができるように改革するためには、新しい決断と行動が必要なのではあるまいか。われわれの日本はいま大変な難局に直面している。われわれは、日本の将来に責任をもたなければならない。私は社会党に限りない愛着をもつが、同時に、狭い視野にとじこもって、日本の将来という大局を忘れてはならないと思う。
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