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6 社会党の没落と協会派の時代錯誤性
発展途上国では、一般国民にとって自由はぜいたくなことかも知れないが、所得水準が高まってくれは、必然的に価値観が多様化し、自主的な選択が求められる。わが国においても、その傾向が強くなった。自由を土台としつつ、適切なルールと公正の実現される社会を、多くの人々が求めている。しかし、こうした関心にこたえる政党がないという現実が、多くの人々を政治から離れさせている。
最近の各種の世論調査では「支持政党なし」が三〇%から四〇%に達している。しかし「支持政党なし」といっても、一色ではない。政治に無関心のものもあるが、最近の傾向は政治に関心をもつが、現在の政党は支持できないというのが多くなり、これは若い世代ほどいちじるしく、また学歴の高い層ほど無党派がふえている。都政調査会の調査によると、義務教育終了者二五%、新制高校卒三一%、大学・短大卒では三八%が「支持政党なし」となっている。学歴水準は毎年高まっており、現在のような政治がつづくなら、支持政党なしの無党派は、いよいよ増加してゆくと見られる。戦後初期の段階では、青年は革新支持、また組織労働者も革新支持というのが疑う余地のないこととされ、団地ができれは革新票がふえるので、自民党は団地建設に反対といわれたこともある。それが変りつつあるのだ。労働組合のなかで、参議院選挙全国区に社会党公認で二名を当選させ、最も社会党支持がつよいと見られる自治労の昨年の調査を見ても、支持政党なし革新系三一・八%、社会党二六・三%、共産党六・三%、公明党一・四%、民社党一%、支持政党なし保守系八・九%、全くなし四・七%、政党に関心なし一一・九%、回答なし四・二%となっている。
関西の労働調査研究所による昨年の三万人の労働者の意識調査をみると、七一年選挙にくらべて七四年選挙では、支持政党なし層が一二%から一七%に拡大し、そのなかで無党派革新がへり、無党派保守がふえている。この調査は、体制選択について、「資本主義はよいが、福祉国家を確立するために計画と公共経済化を進めるべきだ」三七・八%、「自由競争には悪い点もあるが、良い点も多いので現在の資本主義体制のままで欠陥を是正してゆけばよい」二五%、「資本主義もいきづまっているが、社会主義にも欠点が多いのでどちらともいえない」二〇・六%、「資本主義はいきづまっているから社会主義に進むべきだが、自由競争の良さは大幅にとり入れた方がよい」一二・一%、「資本主義のいきづまりから社会主義を選択するのだから、自由競争は排除しなければならない」三・六%となっている。「社会主義」は、労働者のあいだでも、深刻な疑問の目でみられているのである。
こうしたなかで、なお社会党にとっての救いは、国民各層を通じて、社会党に対する拒否反応が、他党にくらべて最も低いということであり、「支持政党なし革新系」や、他党支持からも社会党への投票があり、そのことで野党第一党の地位を保ってきたのである。ところが、この社会党が拒否反応のつよい党になるという事態がいまおころうとしている。
この数年、社会党内部に勢力をのばしてきた社会主義協会の主張は、科学でもなければ、生きた思想でもない。一種の信仰に骨化したイデオロギーである。ごく狭い範囲の学習や運動の対象にはなりえても、一般的な政治論、運動論としては完全に破産してしまっているのである。こうした勢力によって支配されるようになれば、社会党はもはや国民一般さらには労働者の多数からも完全に見放されるだろう。
さきにもふれたが、いまヨーロッパでは、ソ連型社会主義とは異なる社会主義、先進社会と近代の歴史の中で、自由で人間的な社会主義の探究が高まっている。ところが社会主義協会の人たちは「ロシア革命となるたけちがった革命を求めようとすることが、どんなにまちがった革命の道を歩むことになるかは古今東西の社会民主党を見れば分る」として、なるたけソ連社会主義に自己を酷似させようとするのである。一九七〇年代の半ばをすぎた今日、ヨーロッパ共産党はいうに及はず、日本共産党さえ否定せざるをえなくなった「プロレタリア独裁」の主張を堅持し、ソ連のチェコ侵入を断固として支持するような社会主義の道を正しいと考える思想および運動は、世界広しといえども資本主義社会においては、日本の社会主義協会以外にはない。
現在の協会は「マルクス・レーニン主義を日本の歴史に具体的に適用する」とテーゼで規定し、マルクス・レーニン主義を信条としているが、理論的系譜から言えばスターリンとコミンテルンによってスターリン主義化されたレーニン主義と見た方が実態に近い。それは初期の山川均氏が中心的な指導者だったころの協会とも明らかに変質してきている。山川氏がマルクス主義と直截に表現しないで、「科学的社会主義」という言葉をしばしば使ったのは、マルクス主義とレーニン主義を一体のものと考えていた当時の日共やコミンテルンの考え方と一定の距離をおくという配慮があったからだと思う。ところが、向坂逸郎氏が中心的な存在となってからの協会では「科学的社会主義」とマルクス・レーニン主義が一体となり、イデオロギーの骨化がはじまり、「協会テーゼ」において、ソ連型社会主義モデルの追随へと急速に傾斜していったのが実態である。
詳細は省くほかないが、右のテーゼは、社会主義世界体制の優位性と資本主義世界体制の危機の激化といった、現状分析、世界認識において、一九六〇年のモスクワ声明と文章まで瓜二つであり、テーゼが画く社会主義像は、強権主義的・国権的社会主義像であり、その到達目標はソ連・東独社会主義におかれている。
また協会派のテーゼは「革命的社会主義政権のもとで単独の政党のみ存在するか、複数の政党が存在するかは、レーニンがいうようにその国の内外条件によってきまる」と述べ、原理として複数政党制を認めないだけでなく、一党支配を志向しているのではないかと疑わせる規定を含んでいる。さらに「革命的社会主義政権は、新聞、雑誌、出版、放送などの機構を、新しい社会秩序によって指導しなければならない。この指導の形態が国営または公営であるか、その他の方法であるかは、そのときの社会的条件によって決定される」と述べている。端的にいえば、言論、表現、情報、思想に対する統制であり、情報鎖国、新聞の検閲等のソ連モデルに通ずるものであり、協会のめざす社会主義が、いかにソ連・東欧的な抑圧的、管理的なものであるかを表白したものである。
ソ連社会主義は、議会制度もなければ、自由もなかった、労働組合さえも存在しなかったロシアの風土の中で生れた社会主義であり、しかもその後のスターリン時代を経て、いっそう全体主義的操作社会と化していったものである。ロシアの実情からしてやむをえなかった点が多々あるとしても、今日では、資本主義にかわって新しい社会を求める人々、資本主義に批判的であり、何らかの意味で社会主義的な未来を望む人々にとっては、むしろそうなってほしくないモデルであって、われわれ先進国の社会主義者がめざすべきモデルではない。
この協会の中心的行動部隊が社会主義青年同盟であり、社会党は青年運動では社青同だけを公認し、同盟に補助金を与え、同盟員には党費を減免している。社青同以外には、組織としての青年運動は、原則として認められない。社青同は選挙にあたっては、いわゆる党の手足となるので、議員諸君は批判的態度を表面にあらわして、気げんをそこなうことをおそれる。そうしたなかで、協会は反幹部運動を強め、次第に主導権をにぎってゆく。協会の行動は党内だけでなく、労働組合運動との間にも、しばしばトラブルをおこす。
こういう社青同が、唯一つの公認された青年運動ということであってみれは、当然のことながら、社会党の青年運動は、広汎な青年とは結びつかない。多様な価値観にたち、支持政党なしがふえてゆく広汎な青年層とは無縁のものとなる。ときどき、思い出したように激烈なポスターやステッカーなどを街にはりめぐらしたり、友好祭を主催したりする以外、これという青年運動は行いえない。もっぱら社会主義協会理論の学習にカがそそがれる。
複数の青年運動を認めよという主張が、こんどの大会に提起されたが、認められなかった。このように党内で協会派が主導権をにぎり、社青同が勢をえてあばれ回ってくれば、いままで拒否反応の一番ちいさかった社会党も、きらわれる社会党になってくるのではあるまいか。
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