新しい政治をめざして 目次次「自民党ではもう駄目だ」

社会党は“歌”を忘れよ

 半月ばかり、西欧にでかけた。四月十日から五日間、ハノーバーで開かれた社民党大会を見学し、あわせて、社共が連合協定で保守陣営に迫ったフランスの総選挙、労働党勝利のイギリスの統一地方選挙など、うごきのはげしい西欧の政治状況に、大急ぎでふれてみた。それが、政権構想の提示を迫られている日本の革新陣営にとって、なにかと参考になるであろう、と思ったからである。

 西独社民党大会は、内外の大きな注目をあつめ、会場入口は、傍聴券を求める人々で、熱気がたちこめていた。それというのも、このところ急速にのびた青年部(JUSO)が、ブラント体制に造反するのではないかといわれ、ブラントも大会前、「選挙にあたって国民に公約した政策と、甚だしく異なる決定が大会で行われるなら、党首を辞仕せざるをえない」と、ひらき直った発言をしていたからである。

 社民党は一九五九年、階級的国民政党から国民政党へ、反対主義から改革・介入主義を指向したゴーデスベルグ綱領を採択した。それ以来、選挙ごとに得票率を三パーセント以上のばし、大連立、ついで小連立とよばれる保守党との連立政権についた。

 十年前六十万だった党員は、いま百万をこえている。古参の党員のなかには、この十年間に世を去ったものもあり、百万のうち七十万は、党歴十年以内である。一八六三年結党というながい歴史をもつこの党は、党員の年齢構成からすれは、青年の党といえる。しかも、昨年の秋の総選挙以来、半年足らずの間に、十二万が入党しているが、そのほとんどは、大学卒か在学中のインテリであり、党はいよいよ若くなりつつある。

 三十五歳までの党員は青年部に所属する。青年部委員長は独自の大会で選出されるが、就任には本部幹部会の確認を必要とし、したがって、本部幹部会の監督下にある、党内の一部門というべきである。全体が一つの方針に固まってはいないが、大勢としては左派路線といわれ、この青年部とシンパである党内左派とを加えると、全代議員の四割を占めると見られ、造反するかも、といわれるのも、根拠のあることだった。

 会場内部は白、青、オレンジにいろどられ、ひっきりなしに資料を配る娘さんたちは真赤なセーター。全くカラーフルだ。長髪、ネクタイなしの若い代議員が多い。隣席の党歴五十年という西ベルリン地区の予備代議員に、長髪族のリラックス姿について尋ねると、「若者共通の反抗精神のあらわれだ。いまは、巡査も兵士も、長髪が許されているのだ」と答え、「彼等はわれわれが苦労してかちとったものを、初めからそうであったかのように、感謝もなく受取っている」とつけ加えた。

 いま西独には、三十そこそこの市長や大学の学長が登場しており、若ものの時代である。ブラントは、「社会党は労働者階級を基盤とする、万人に開かれた、偉大な統合能力をもつ国民政党だ」と言っているが、労働者は全党員の三五パーセントに過ぎない。若いエネルギーが党に結集することは、発展を約束づけることではあるが、同時に党と国民一般との間に、溝のできるおそれもある。

 ブラントも現状を憂慮して、大会基調演説のなかで、労働組合員の積極的入党と、永年苦労をともにした老党員のけっ起をよびかけていた。


1 ノーベル平和賞の重味

 大会は全員集会のほか、一九七五年〜八五年の経済政治基本計画、土地政策、勤労者資産形成の三分科会を持っていた。全員集会で、青年部代表がNATOからの離脱、米軍の撤退、中立外交への転換を主張したが、ブラントは長広舌で反論した。

 満場静まりかえり、終ると大拍手。総選挙前、東方政策で反対党から追いつめられ、全くの僅少差で不信任を免れたとき、商社のOLまでが手をとりあい、涙を流して喜んだといわれるだけに、外交にはブラントは自信満々であり、説得力もあり、青年部代表も歯がたたなかった。

 ブラントの東欧との緊張緩和外交は、保守との大連立政権下での外相として、その第一歩がはじまり、その後社民党中心の、自民党との小連立政権時代に、大きく前進した。ソ連との武力不行使条約に成功し、ノーベル平和賞をうけた。

 この大会終了後も、直ちにユーゴを訪れ、帰国するや時をおかずに、アメリカに飛んでニクソンと会談した。西独の新聞によれば、彼はニクソンに、「西独はいまやソシヤルリベラルの時代」だと言い切ったという。

 ソシヤルリベラルという言葉は、われわれになじみが薄いが、西独では以前から、社会的自由経済という言葉が使われており、社会的、計画的枠組みのなかでマーケットを生かしてゆくというのである。この意味と同時に、人間の自由を尊重した社会主義ということをも示しているのであろう。とにかく、アメリカのご機嫌伺いではなく、西欧の保守勢力を相手にした従来のアメリカの外交姿勢に、転換を求めた発言である。

 つづいて、ブレジネフとの会談となる。この両者の協定と声明を、西欧諸国は、欧州を大きくかえる歴史的なものと評価している。独ソ両国が、共存から協力の関係に入るといわれるこの協定は、すでに国交が正常化された西独とユーゴおよびポーランドとの関係、東西両ドイツの相互承認、西独とチェコとの復交に裏うちされ、後もどりのできないものとなる。さらに、協定と同時に発表された共同声明では、全欧安保と東西兵力削減交渉に、両国の積極的努力が誓いあわれた。この精神は、その後の米ソ首脳会談にひきつがれる。全欧州、さらには世界に新しい風をまきおこしつつある。

 青年部が主張するように、NATOからの離脱で平和への歩みを強めるか、あるいは、NATOにとどまりながら、これを完全に形骸化させる現実的条件を積みあげてゆくか、二つの道がある。ブラントは後の道をえらび、新時代のリーダーシップをとりつつある。英国の『タイムズ』は、ECの盟主をえらぶとすれは、ブラント以外にないと書いている。

 青年部の主張は、論理明確であるが、外交には直線も曲線もある。ベルリンが壁でかこまれ、ソ連の核兵器をつきつけられている西独で、ブラントは「ECの中級国家であり、将来とも大国を目指さない」ことを基本路線に、創造的な外交をきり開いている。ノーベル平和賞のブラントのこの言葉は、歴史的な意味をもっているといえよう。


2 社会主義の歌とは何か

 外交面でブラントに歯のたたない青年部と左派は、内政面でくいついた。外交論争で一蹴された青年部代表が、「本来外交は二の次であり、肝心なのは内政だ」と、私に語ったのは、自己弁護なのか本音なのか分らないが、とにかく鋭く追及した。

 ブラントの内政については、わが国の革新陣営でも、社民党は歌を忘れたカナリヤであり、社会主義政党ではない、という批判がすくなくない。

 社会主義の歌とは一体なにを指すのか。

 わが国の社会主義理論は、マルクス・レーニン主義を主流としてきたため、社会民主主義は重大な段階で労働者階級と国民を裏切るものだという、マルクス・レーニン派の宣伝が浸透し、客観的には社会民主主義の道を歩んでいる者も、自らをそうだと、はっきり表明しない傾向が強い。

 加うるに、西尾末広氏のひきいる民社党が社会民主主義の本流だと名乗ったため、同党のあまり香ばしくないイメージと結びつけられ、社会民主主義は正しく理解されず、正当な扱いをうけてこなかった。改良主義であり、社会主義を忘れているかのように、単純簡単に扱われ勝ちである。

 ブラントは、一九六九年の総選挙に、社民党を「改革の党」とアピールし、一連の「改革政策」を発表している。改良は体制の範囲内での追求だが、改革は体制を乗りこえる。革命が極めて短期間に体制を変革しようとするのに対し、改革は長い時間の中に、新しい形成を行うのである。社会民主主義が追求するのは、形態と量だけではなく、絶え間なき社会の民主化と改革のプロセスそのものである。人間の世界のつづくかぎり、改革の最終到達点はないのである。

 マルクスが、一八四八年の著書『神聖家族』のなかで、「共産主義はわれわれにとって、作り出さるべき一つの状態ではない。また、現実がそれに準じなければならないような一つの理想でもない。われわれが共産主義とよぶのは、現在の状態を廃棄させる現実的な運動のことである」と言っているのも、よくかみしめてみれば、同じことだと思う。

 固定した、狭いイデオロギーにたって、革命だ、反独占だと叫んで、抵抗だけに終始していることこそ、いきいきとした歌を忘れ、誰も耳を傾けようとしない、ひからびた歌手になり下っているのではないのか。

 社民党の追求する改革とは、具体的にはどういうことなのか。一九六六年、キリスト教民主社会同盟と、いわゆる大連立で政権を担当するや、外相ブラントの画期的な外交政策、シラー経済相の不況脱出政策、その他レーバー運輸相、ハイネマン法相などにょって、改革の実践の第一歩を切った。これを踏み台にした「改革政策」をかかげた六九年選挙で躍進するや、キリスト教同盟と袂を分って、少数党の自由民主党と、いわゆる小連立政権をつくり、従来の政策の手直しではなく、社会、経済、文化構造の本格的改革にとりくんだ。教育改革、被傭者の共同決定権の拡大と財産形成、累進課税と社会保障の強化、社会資本充実と環境整備などである。昨秋の選挙にいたる三年間は、与野党の議席差がちいさいため、これらの改革は、いまだなお地ならしの段階であるとはいえ、すでに他の西欧諸国を追い越す水準に達している。


3 問題は生活の質

 さて、青年部と左派が問題にしたのは、第一に長期経済計画である。これまで党の政策は、現状に対応する政策であって、改革の政策とはいえない、この長期計画も不徹底であり、依然として経済成長に重点がおかれすぎているというのである。これに対し、副党首であり、党内右派の代表といわれるシュミットらは、理論の名においてイデオロギーを語ってはならない、抽象論でなく代案を具体的に示せ、と反論していた。

 しかし、党幹部の中にも、エプラー経済協力相のごときは、経済における量から質への価値転換、それにもとづく政策転換を主張しており、もともとこの計画は練り直しの必要があったのだ。本部側もこの点を認めて、本来この大会で採択し、今年から実行する予定のものを、特別委員会を設けて、今後一ヵ年間検討するための叩き台とすることに、あっさり方針をかえてしまった。

 エプラーは、金属労組が主催した「生活の質」の国際シンポジウムにおける講演で、次のように述べている。「より多くの車のためにより広い道路がつくられ、より多いエネルギー消費のためにより大きな発電所が建設され、いかがわしい消費製品のためによりぜいたくな包装がされ、より早い航空機のためにより多くの飛行場が建設され、その結果、より汚染された空気、よりたえ難い騒音、よりよごれた水、より刺激された人間、人体組織におけるより多くの毒薬の沈滞、そして路上におけるより多くの死者……」。彼は現代資本主義の根幹に挑戦しているのだ。

 土地政策では、青年部が二年前から主張していた、計画区域内で自治体が先買権をもち、私的機関の介在を許さないという方針が採択された。これには、不動産業者から憲法違反だとして、反対運動が行われていた。

 勤労者の資産形成は、一定規模以上の企業は、利益金のなかから基金を積立て、従業員に持ち家を保証させるというのだ。青年部はこれに反対したが、結局原案が承認された。これには労働組合所属代議員の一部も反対していた。

 このように、内政については、青年部は鋭く迫ったが、大会終了後、青年部代表と会談してみると、大会決定には極めて不満足だといっていた。

 大会前に伝え聞いたところだと、ゴーデスペルグ綱領の修正を求めるということだったのに、そのことが一向に問題にされなかったのは、どういうわけかと聞いてみた。「党員の体質が変らなければ、綱領だけかえても意味がない。それに、現在の綱領は、解釈の幅が広く、変更しなくてもよい」という答えだった。君達はマルキストかと問うと、「そう問われると、その通りだと答える以外にない。ただ、現代において、マルキシズムには多様の解釈があり、マルキストか否かの議論は、あまり意味のないことだ」と答えた。


4 なぜ社民党に参加するか

 党大会前の青年部大会では、議会制民主主義の堅持を決めており、これに反対の勢力は、離党して共産党に入党申込みをしている。その数は三十万の青年部中、僅か六十名という、ほんの一握りにすぎない。狭いイデオロギーを固執するのでなく、現実的、具体的に社会を改革してゆこうというのが、青年部の大きな流れなのだ。

 青年部の一人は「われわれは社会主義の道を進むが、人間の自由を尊重しない、官僚主義の東独のゆき方には反対なのだ」という。それではドプチェクの人間の顔をした社会主義ならどうかと問えば、「大いに賛成なのだ。だがそれはソ連の戦車で圧しつぶされた。だから、われわれはソ連の社会主義にも賛成できない」という。社会主義と名がつけば、どんな中身であってもよいということではないのである。あたり前のことだが、現代はいかなる内容の社会主義かが問われているのである。

 数年前、西独でも他の諸国と同じように、新左翼の学生運動が大きく盛り上っていた。いまは影をひそめている。共産党員は僅か三万であり、新左翼がにぎっている共産党の非合法分派は、それよりはるかに少数である。

 インテリ青年は、大挙して社民党に参加している。彼等がなぜ社民党に参加するのか。的確にこうだという断定はできないが、社民党は政権をにぎっており、自分たちが参加し、積極的活動をすることによって、自分たちの手で、この西独を変革することができるという、変革への明るい展望がひらけたこと、さらに、そのことによって、自分自身の社会的地位を向上させることが可能だという現代青年の現実的計算、これが根底にあるのだろう。

 彼等はよく活動すると同時に、なかなかがめつい。大会代議員を選出する党支部の会合でも、彼等は他の議題を次から次に出してきて、肝心の代議員選挙は、夜おそくまで引っぱる。老党員はくたびれて帰ってしまう。青年部は実力以上に多数の代議員をとっているのだと、ある党員はぼやいていた。

 ブラントは、こうした青年部を大きくだきかかえようとしているようだ。三十六名の幹部会員の選挙にあたって、左派と青年部の六名を、進んで候補者として推薦した。彼は「社会民主主義の党は首尾一貫して民主主義が貫かれなければならない。党を一部のものが独占し、党内に断絶の壁をつくってはならない。相互に寛容が大切だ」と訴えた。投票の結果は、左派と青年部が七名当選している。

 このようなブラントの考え方を複数哲学と呼んだ人がある。ベルリン市長時代、絶対多数の議席を獲得しながら、連立の道をとった。今大会においても、次の総選挙で社民党が絶対多数を占めても、自民党との連立をやめる意思はないと、質問に答えている。社会民主主義は、複数の価値観の共存を認めるものであり、彼は、党内にあっても、他党との関係においても、他国との間でも、複数共存の哲学をもっているのだろう、というわけである。興味深いコミットメントだと思う。ブラントに限らず、西独では、こうした考え方が強いようである。

 「自分達はヒットラーの独裁を経験した。たとえ脱社会主義になっても、脱民主主義になってはならない」とさえ語った党幹部があった。


5 「東京」にはなるな

 勤労者資産形成については、労働組合側に反対意見があったが、その中心である金属労組を訪れてみた。この組合は、西独労働総同盟のなかでも、最も戦闘的であり、さきにふれた「生活の質」の国際シンポジウムを主催している。「生活の質」の正確な表現は、「Quality of Life」であり、「生きがい」と見るのが理解し易いかも知れない。ここの幹部の見解は次のようである。

 ――シンポジウムは、他国の代表も参加して、大きな成果があったが、今年二月、自分は造船労組の国際会議のため東京を訪れた。日本の産業公害、都市公害の実体にふれ、人間に対する、あまりにも残酷な東京におどろき、われわれの国を東京にしてはならないと痛感し、いまや「ノーモア・トウキョウ」が西独労働組合の共通のスローガンになってきた。労働者個人の持ち家よりも、社会資本、環境整備が優先されなければならない。道路よりも大衆輸送機関が先である。自分達が「生活の質」を問題にしてみて、青年部や左派の主張が、よく理解できるようになった、というのである。

 君達の主張が、広く労働者に理解されているのかと問うと、残念ながらそうではない、いまは組合の幹部間の認識以上に進んでいないが、今後、この点についての組合員の啓蒙に全力をあげるのだ、ということだった。実は、彼等の主張は、労働総同盟のなかでも、多数意見にはなっておらず、総同盟の会長は、資産形成には賛成している。

 金属労組は、来年の総同盟の大会では、自分達の主張が多数となる確信があると言明したが、公害の実体が、日本とくらべものにならない西独で、未来を先取りしたこの主張が広く理解されることは、容易ではあるまい。

 社会主義政党が労働者階級に基盤をおくことば、ブラントも認めている。しかし、労働者が党のイニシャチーブを握るのかどうかは、簡単に答えられない問題だと思う。社民党百万の党員中、労働者は三十五万に過ぎない。この党はイギリス労働党のように、組合が党支持を決定し、団体加入しているのではなく、政党支持は個人の意思で決定される。ブラントは労働組合員の積極的入党をよびかけたが果して実を結ぶことができるだろうか。

 総同盟の幹部と話してみると、その点は自分達も真剣に考えており、この大会で、党内に労働組合会議の設置が決定された。総同盟加盟の産別の委員長は全部社民党員なのだが、この十六名の委員長と社民党幹部七名で構成される労働組合会議の活動によって、成果が上るに違いない、と楽観的な答えであった。

 総同盟は立派な施設の政治学校をもっているが、そこでは労働法や労働者のための社会政策が学習の中心課題であって、政治路線をそのままずばり取上げてはいない。

 面白いことに、総同盟の幹部九人中、七人は社民党員だが、二人はキリスト教民主社会同盟所属なのだ。各産別の委員長が社民党員なのに、どういうわけかと聞いてみると、意識的にそうしているのだという。

 西独には総同盟の外に、組合員五万あまりのキリスト教労働組合があり、また、キリスト教民主社会同盟のなかには、労働者派グループ議員が約四十人いる。このグループは労働者のための立法については、野党でありながら、社民党の提案に賛成してきた。組合員の利益を守るために、この事実を大切にし、総同盟幹部にも、二名を意識的に入れてあるのだということだ。

 そこに、プラスもあるが、社民党への労働組合員の大量入党にとってのマイナスもある。昨年の総選挙で社民党がのび、与野党の議席差が大きくひらき、しかも、社民党に労働組合会議が設けられた今日、こうした点を、どうしてゆくのかが課題となっている。

 ついでだが、いま西独の全労働者の一割は、外国人労倒者である。これは西独に限らず、西欧先進国共通のことであるが、ユーゴ、イタリア、スペイン、トルコ、アフリカからの低賃金労働者に、いわゆるダーティジョブが押しつけられている。西独は植民地を解放したが、低開発国の、安い移民労働者に、今日の経済発展を依存してきている。西欧社会民主主義の恥部とも言える問題である。総同盟幹部は、これは深刻な問題であり、自分たちは積極的に組合加入をすすめ、組合員である限り、同一条件におかれるよう努力しているが、非合法入国者が多いので、解決がむずかしいのだといっている。しかし、そこに自国民労働者の利益を優先するということが、果してないであろうか。安い労働力を求める資本の利益と、つながってはいないだろうか。これらのことのなかにも、改革のために労働者のイニシャチーブが、どこまで発揮できるのかを、考えさせられる。

 しかし、インテリの集団である青年部の方にも問題がある。幹部十六名中、労働者出身は僅かに一名ということで、果して広汎な労働者階級に正しい影響力を持つことができるのか。青年部代表は、これから積極的に労働組合の中に入って影響力を強めてゆくのだ、と語ってはいたが、どこまで成功するだろうか。


6 計画的行動力に驚く

 このような西独に、ブルガーイニシャチーブと呼はれる市民運動がある。これは一つは選挙に当って社民党を支援する無党派の運動であり、いま一つは、公害など市民社会の具体的課題にとりくむ運動で、ゴーデスペルグでは戸毎に骸骨の旗をたてた交通公害に抗議する運動が見られた。しかし、現在のところ、この種の運動は強いとはいえないし、また労働組合員の参加はほとんど見られない状態である。

 社会主義と労働者階級との問題は、労働者の生活が向上した高度工業社会共通の、むずかしい問題であり、ひとり西独に限ったことではない。

 社民党のさらに一層の発展のためには、幾多の問題があるといっても、この党を社会主義の歌を忘れたカナリヤだなどと、気易く批判する資格は、ながく保守政党に政権の独占を許しているわれわれにはない。むしろ、謙虚に学ばなければならない。

 ブラントはニクソンとの会談で、いまや西欧はソシヤルリベラルの時代だと言い切り、そのために創造的意欲をもやし、一つずつ、実績をつみあげているのが西独社民党なのだ。私は大会を見学し、若干の人たちと会談するなかで、その印象を大きく深めた。ことに、この党の計画的行動力に頭をさげた。

 五日間の大会には、各種の資料が次から次に配られたが、おどろいたことに、会談の議事録が、翌日の午後には、活版刷二百ページぐらいに製本されて配られていた。おそるべき事務処理能力である。こうした能力は、もともとドイツ民族の誇るべき資質であろうが、そのことを可能にする財政力を見逃すことはできない。

 党財政の正確な数字は、まだ調べていないが、収入の第一は言うまでもなく党費であり、これは収入に累進的に比例して決められ、平均としては所得の五パーセント程度である。それも、党員百万人なのだから大きい。

 第二が各級議員の歳費の二五パーセント。次がカンパ。党費やカンパについては、年額六万円までは、所得税対象から控除されている。第四が政党法による国の補助であり、総選挙で一・五パーセント以上得票すれは、一票につき年間二・五マルクが与えられる。かりに二千万票としても、日本円に換算して、五十億円になる。他に出版事業があるが、社民党の機関紙は二十万程度の週刊紙であり、各地方の一般紙に出資して社民党色をもたせることに重点がおかれているのだから、財政収入としてのウェイトは軽い。

 とにかく、大きな財政力であるが、そのためには、国が政党法や所得税法で、手厚い援助を行っていることが注目される。

 国からの援助については、反対意見もあろうが、不健全な政党資金を容認することの弊害は、わが国の政党の実体で、誰もが痛感させられていることであり、検討に価いするのではなかろうか。


(諸君、四八年九月号) 目次次「自民党ではもう駄目だ」