新しい政治をめざして 目次次「開かれた政権こそ」

日米間の新しい友好関係を

      ―― ナショナル・プレスクラブでの演説

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 私は社会主義を信条とする者でありますが、私にとって社会主義の窮極の目標は、人間のもつ可能性を最大限に開花させることであります。

 かつてアメリカ独立の先覚者たちは、独立宣言の中で「すべての人間は平等であり、生命、自由、幸福の追求という奪うことのできない権利を与えられている」、「どんな政府でも、この日的を阻むようなことがあれば、国民はこれを倒し、新しい政府を持つ権利を持つ」と格調高い考え方を述べ、これは全世界の自由を愛する人々に、深い衝撃と感動を与えました。また二〇世紀に入ってからもベトナム革命の父、故ホー・チミン大統領は、彼等の革命に与えた独立宣言の影響を強調したことがあります。自由、平等、博愛というフランス革命の精神を、政治的に見事に消化した独立宣言の精神は、同時に人類の英知を結集して未来を築こうという私たち日本社会党の綱領をも貫ぬいています。

 このような立場から今回、日本社会党代表団は、アメリカを訪問いたしましたが、これは、ここにいる河上民雄議員のお父さん故河上丈太郎委員長の訪米以来、一八年ぷりであります。この一八年という歳月は、あまりにも長い、といわざるをえません。まさに日本社会党とアメリカの関係は、ある意味で戦後世界史の不幸な一面を象徴するものともいえるでしょう。私たちはこの期間に、アメリカの民主主義の健全さと弱さとを、ともに身に泌みて味わったのであります。

 河上訪米団が、「政権を握ってから来てほしい」とダレス国務長官から突き放された当時のアメリカは、暗い影に蔽われた時代であったといえます。世界を善と悪、正と不正の二つに割り切って冷戦を進めたアメリカ、日本の対ソ復交を妨げ、中国敵視政策をとりつづけ、日本に再軍備を押しつけようとしたアメリカ、ベトナム、インドシナの民族独立に介入したアメリカ、そのようなアメリカの過ちに私たちは反対し続け、私たちとアメリカとの関係は当然、冷たい状態が続きました。

 しかし、私たちは、アメリカの民主主義の健全さを信じています。ウォーターゲート事件の経過はアメリカでも権力がとことんまで腐敗する可能性を示し、民主主義社会の落ち込みかねない黒い落とし穴を見せましたが、一方で、このような権力の退廃を、マスコミなり、議会なりが全力を挙げて阻止することができるという、アメリカの体制の健全さを証明するものでもありました。大戦後、アメリカが日本の政治、経済、社会に根強く残っていた封建的要素を一掃するため提案した数数の改革は、このようなアメリカの良心の発露であったと私たちは考えています。

 当時、この改革を全面的に歓迎し、実行に協力した政治勢力こそ、私たち日本社会党であり、社会党の主導権の下にあった片山内閣でありました。一方、自由民主党の指導者は、その後、今日にいたるまで、当時のアメリカの助言によって生み国された「日本国憲法」を“おしつけられたもの”という理由づけを行って、旧憲法の方向に、後向きに改定することを主張しつづけています。私たちは、この「主権在民、戦争反対、基本的人権擁護の憲法」を守り抜くために、終始一貫、全力をかたむけてきたことを誇りをもって言明するものであります。

 その後社会党とアメリカの関係が冷却化したのは、アメリカや日本の一部の人々がいうように、社会党が「反米的」になったからではなく、アメリカが、大戦直後の民主的改革に関心を失ない、「反社会党的」になっていたからであると考えます。

 ウォーターゲート事件で見せたアメリカの体制の健全さ、フィードバックの機能を、日米関係というより、アメリカと日本社会党との関係でも見せていただきたいものであります。

 もちろん、私たちのもつ政治的イデオロギーと、現在のアメリカの指導者のもつイデオロギーとは異なっています。また個々の問題についての意見の食い違いも大きいでしょう。しかし、独立宣言の精神をアメリカが忘れない限り、私たちとの共通点はもっと大きいはずであります。

 私たちは、アメリカのいうことならなんでも正しく、それに同調するという無批判のパートナーでもなく、またアメリカにとってのペットでもありません。したがって私たちは、これからもアメリカの過ちに対しては、遠慮なくこれを指摘し、改めるよう要求し続けるでしょう。しかし私たちは、ベンジャミン・フランクリンを生み、ウィルソンを生み、ルーズベルトを生んだアメリカの英知を尊敬いたします。私は、アメリカン・デモクラシーの真骨頂を知り、人類の未来を築くため、手を携えることのできる友でありたいと衷心から希望するものであります。

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 私たち日本社会党は、今後の日米関係をきわめて重視するものであります。明るい材料は、ベトナム戦争の終結で日米関係のノドに突きささっていた骨が取れたともいえることでしょう。日本国民の圧倒的多数は、ベトナムの民族自決を支持しており、その点では多数の良心的たアメリカ人と共通の感情を持っていたわけであります。いうまでもなくベトナムから撤兵したことは、遅すぎるきらいはあるにせよ、歓迎すべきことであり、この新しい状況に対応して、日米関係ももっと前進させるべきであります。

 私たちは、日米安保条約については反対の立場に立っています。この立場は紛争の平和的解決という、国連憲章と日本国憲法の崇高な精神を実現しようということであり、決して日米間の同盟関係を他の国との政治、経済、軍部同盟と置き換えようということではありません。

 しかし、アメリカの核抑止力がなくなったらどうするかという反論がありますが、私たちは、核抑止力の必要のない情勢を極東につくり上げようとしているのであり、アメリカの核抑止力のかわりに、どこか他の国の保証をとりつけようとしているのでないことだけは、皆さん方の理解を求めたいと考えます。

 かつてキッシンジャー国務長官は、等距離外交は神話だと述べられました。もちろん、国と国との間にはそれぞれの歴史があり、現在の時点での複雑なからみ合いがあります。それを無視してどの国とも同じような関係を樹立しようというのは、現実的ではありません。私たちが提唱している非同盟中立というのは、そういう非現実的な構想ではありません。思想、経済、文化、社会の各分野で日本と多くを共有している国もあろうし、そうでない国もあるでしょう。その面で親疎が出てくるのは当然であり、それを機械的に均質化しようなどということは、できるわけがありません。私たちは、特定の国と軍事的、政治的結びつきを肥大化させ、ある国々を仮想敵国視することが重大な紛争を生じ、深刻化させる土壌をつくるものであるから、反対しているのであります。非同盟といい、中立というのは、究極のところ、日本国憲法で戦争を放棄し、紛争解決の手段としての武力を持たない日本、資源小国である日本は、いかなる意味でも敵国を持つべきではないということなのであります。そしてこのことは、大戦後、戦争を憎み、再びこの惨禍を引き起こすまいと誓ったアメリカの指導者、そして国連創設に参画した世界の平和愛好国の指導者たちが約束したことでもあったはずであります。

 つぎに日米関係の中で鋭く提起されている問題の一つに核兵器があります。いまここで私はくわしく述べることができませんが、日本人は、瞬間に数十万の生命をうばう核兵器による被爆体験をもっ世界で唯一の民族であり、この惨禍を二度とくり返えすまい、二度とケロイドに泣く母と子をつくるまいと誓った民族であることを強調したいと思います。よく日本人は核アレルギーをもちすぎるといいますが、これは決して病的なアレルギーではなく、極めて健康な反応だといえましょう。私たちは軍事力、すぐれて核による均衡が平和を保証するという議論には全く同意できません。なぜならそのことは核のなげ合いによって人類が全滅の危機にさらされること、紙一重の危険性をもっているからであります。

 それゆえに私たちは核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を提案し、これには自民党も賛成して国会で決議いたしました。この非核三原則は、今では核をめぐる日本の最高の政策となっています。

 この数年来、核をめぐって最も憂慮すべき事態は核拡散であります。無秩序の核の拡散は核保存への衝動を刺激し、不測の事態をも招きかねません。シュレジンジャー国防長官も八月の日韓両国訪問の際、核を朝鮮半島で使う可能性は少ないと述べていますが、私たちは一歩進んで日本はもちろん、日本を中心とする北東アジアからすべての核兵器を撤去し、この地域を非核武装地帯とするよう配慮を要請したいと思います。

 私たちは核拡散防止条約の批准にさいし、前国会では積極的賛成の立場をとりませんでしたが、これは、この条約と引き替えに、これまでの安保体制をさらに強化しようとしたり、日本への核持ち込みについて拒否の態度をとることを避けようとしたりする動きに対して反対したのであり、条約そのものの精神には賛成であります。日本社会党こそ、この三十年間、一貫して核兵器の廃絶を強く主張しつづけた日本における唯一の政党であります。私たちは、今後もその実現のために全力をあげるでありましょう。

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 インドシナ後の激動するアジア情勢の中で、ますます重要性をもってきているのは、朝鮮半島をめぐる情勢であります。かつて朝鮮半島を支配し、長く朝鮮の人々を苦しめる原因をつくった私たちとしては、一九七二年七月四日、南北朝鮮の指導者によって発表された共同声明にもとづき、両当事者が対話と交流を進め、自主的平和統一の実現に向かうことを心から念願するものであります。

 インドシナ後、強調されている“北の脅威”については、それを強調することについて利益を得るものがつくり上げた虚構にすぎない、と考えます。このことは、先般のリマにおける非同盟外相会議で朝鮮民主主義人民共和国の参加が認められたという事実からも裏づけられるでしょう。

 むしろ問題とすべきことは南朝鮮の現状であります。周知のように民主主義政治下の日本から、韓国の民主主義政治家であり、アメリカにも多くの友人をもつ金大中氏が不法に誘拐され、韓国に連れ去られた事件が発生し、今日にいたるまで納得できる解決がはかられていません。もし“北”に対して民主主義の優越性を誇ろうとするなら、このような事件は極めて遺憾なことであります。私たちは、現在の韓国が、アメリカ人のいう自由で民主的な体制の下にあるとは考えません。

 アメリカの韓国政策は、これまでのアメリカのアジア政策に流れていた一種の自己矛盾によって、がんじがらめにあっていると思わざるをえません。つまりそれは共産主義に対し、自由で民主的な開放体制の優越性を誇示することを目的としながら、その手段として反民主主義的な独裁体制を支援するという二律背反的な外交であります。アジアでアメリカというよりアメリカの一部の人たちが盛り立てた独裁者は、一人、また一人と舞台から追われていきました。

 いまこそアメリカは、自らの正しいと信ずる価値観を外交の根底に置いた、ウィルソンの時代に帰るべきではないでしょうか。手段を選ばない、いわゆる現実主義外交は、いったんは功を奏するかにみえても、長期的にはアメリカのプレスティージを損なうものと考えます。最近、アメリカの現実主義外交と関連して、CIA当局のミスがアメリカ国内で問題となっているようですが、私たちは、これをこれまでの権力外交への反省を示すものとして歓迎しています。アメリカ人の良識は、いずれはアメリカの外交を正道に引き戻すであろう、とみております。

 今日の世界が直面している重要な問題の一つは、中東をめぐる情勢であります。私たちは、中東に公正な平和をもたらそうという国連決議の精神を支持します。したがって私たちは、イスラエルの存在が抹消されてよいとはいささかも考えていないことを明らかにいたします。

 いうまでもなく、中東和平に対するキッシンジャー国務長官の努力とアメリカ政府の誠意は評価するものでありますが、やはり国際政治に対する米ソ両大国の責任という見地に立てば、米ソの緊密な努力による中東和平の定着が重要であります。

 和平を願う点で日米双方に食い違いのありようがないとしても、中東問題のもう一つの側面、石油問題について日米の立場は異なるものであります。資源を全く持たない日本が原油の安定的供給を切望していることは、アメリカにも十分理解してもらえるものと考えますが、この点で日本の中東問題に対するアプローチが、アメリカと若干趣きを異にすることは当然、避けられません。

 さらに、民族の自決を至上命題とする私たちの立場からすれば、イスラエル国民と同じようにパレスチナ人民も生きる権利を持つと見ないわけにはいきません。パレスチナ人民の民族自決権を放置したまま、中東に形式だけの平和を築いてみても、それは砂上の楼閣でしかないでしょう。

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 一九五七年、故河上委員長の訪米のさい、双方の間で激しく意見が対立したのは、日米安保体制、沖縄返還、核軍縮、中国問題の四点でありました。十八年経たいま沖縄はすでに返還され、中国とは米国も関係改善に踏み切り、日本は国交回復しました。核については、遅々とした歩みではあっても、部分核停条約、核拡散防止条約などの締結によりアメリカも核軍縮の方向へ向かおうとしています。私たちは、いまどちらの世界観が正しかったかをここで議論するほど意地悪ではありませんが、この暗かった十八年間で、日本社会党とアメリカとの距離が意外に近づいているのを見て、感無量であります。

 あたかもこの数年、日本の万年与党であった自民党は各選挙において過半数を割り、昨年七月の参院選では、与野党の議席差は七にまで接近しました。早ければ次の総選挙ででも、遅くともここ二、三年の間に、二十数年にわたる自民党の単独政権は終わりを告げ、日本社会党が国政により大きな責任をとる時期が到来することは、もはや、歴史のすう勢であります。

 ここで私たちは、私たちの築こうとしている社会主義について、もう一度、アメリカのみなさんにもっと理解を深めていただきたいと希望いたします。

 私たちの社会主義は、個性を無視した画一主義(コンフォーミズム)でもなければ、自由な意思決定、意志表明を抑圧する全体主義でもありません。人類社会の中から搾取をなくし飢えをなくし、すべての悲惨をなくそうとする理想に燃えた社会主義であります。すべての人が自由で、平等で、機会均等である社会、すべての人が自らの持つ可能性を花開かせることのできる社会を築くことであります。

 いま日米両国ともに直面している経済危機は、資本主義体制がこのままではどうにも超えようのない行き詰まりに遭遇することを示唆しています。私たちの追求する社会主義は、すべてを国有に移しさえすればよいということではありません。同時に私たちは、フリー・マーケットを尊重しますが、それは野放しであってはならず、独占禁止法や環境保全や、労働基本権や福祉を尊重するルールを確立した枠組の中での競争でなければなりません。

 今日の社会主義はさまざまな顔を持っています。私たちは、二十年代、三十年代の帝国主義に対する強い批判、反省と、戦後の議会制民主主義の最大限の評価の上に、自由と民主主義を基礎とする社会主義、つまり「人間の顔をした社会主義」を創造しようとしているのであります。賢明なる米国民が、私たちのこの意欲的な試みに、暖かい理解と同情を示してくれることを切に望むものであります。


(月刊社会党、1975年12月号) 目次次「開かれた政権こそ」