新しい政治をめざして 目次次「明日の日本のために」

八億人民の前進をみる

1 農業は大寨に学ぶ

 今回の訪中は、党を代表してではなく、したがって、共同声明は行わない。わが党と中国との間には、故浅沼委員長、成田委員長による二つの共同声明があり、われわれの行動が、党大会で承認されたこの二つの共同声明の精神にたっていることは言うまでもない。われわれは今回、日程について特別な希望は出さず、農業を見せてもらいたいとだけ申出ておいた。希望がいれられ、比較的多くの時間が農業関係にさかれた。

 ソ連は農業が振わず、昨年も二千万トンの食糧を米国から輸入した。中国は人口八億であり、中国農業の盛衰は、ひとり中国にとってだけでなく、世界の食糧に大きな影響がでてくる。それに、中国経済の現段階は「農業を基礎とし、工業を導き手とする」のであり、われわれはその実績を知りたいと思った。

 昨年秋、「農業は大寨に学ぷ全国運動」が決定され、現在大寨レベルに達した県は三百だが、これを一年に百ずつふやし、五年後には、全国二千二百県のうち八百県とする。そうなれば中国は巨大な食糧輸出国になる、というのが目標であり、これを大寨に学んで自力更生でなしとげるという、壮大な運動である。

 大寨は山西省の、戸数八十三の寒村である。水害にもたびたびやられた。そこで、山を崩して谷を埋め、水害に耐えうるよう自然改造が行われ、用水がひかれ、面積当たり収量は解放前の十一倍に達し、豚も、果樹もとりいれ、現在桑が植付けられ、やがて養蚕も行われるという多角経営である。住宅は集団アパートである。これらが自力で行われたのだ。頑丈な石垣の畑に、堆肥のきいたトウモロコシなどが元気よく成育している。

 ここには、毎日一万をこえる見学団が、中国各地から集まり、県の係員の説明を現場で聞いている。大寨大隊の人達は、それに目もくれず、黙々と農業にいそしんでいる。日の出とともに作業にとりかかり、昼は二時間休んで、日没まで働く、年間の平均労働日数は三百二十日だという。大寨で達成されたことが他所でできないことはなかろうが、われわれの常識からすれば、容易なことではない。なにか、かくれた国の援助でもあるのではないかと疑いたくなる。そこで、われわれは大寨に学びつつある数ヵ所を訪れてみた。

 見学を重ねるうちに、なるほどと理解ができてきた。例えばダムを作る。用地買収費はいらない。ダムは石を積んだロックフィル方式であり、材料費は少量の鉄材だけしかいらない。セメントや石灰は、人民公社の小型工場がいたるところにある。つまり、人手さえあれば、金はかからない。機械もすこし使うが、これは国なり省なりが、ただで貸してくれるのだ。

 問題は人海戦術の労働賃金である。ダムの労働は農作業と同じく生産大隊に点数として記録され、後に支払われる。このさい、動員される人数は、その人達がぬけても、のこる全員の努力で農作業に支障のないよう配慮され、ダムの完成で利益をうける広い地域の生産大隊に割当てられる。自分たちのダムが完成し、用水路がひかれると、収穫はすくなくとも二割はふえる。水の使用料がいるわけではないので、当然みんなが張り切る。こういうことが、人民公社なり生産大隊で充分討議され、全員の納得のうえで事業が始まるのである。これは世界に例のない、中国独特の、いわゆる毛沢東路線であり、着々と成功をおさめている。現在までは、試行錯誤もあったが、今では多くの経験から自信がついたので、今後素晴らしいテンポで進むにちがいない。現に大型ダムは国営、中型は市営、小型は県か人民公社営、この三つをうまく組み合わせ、それに水路をつなぐ工事が、相次いで着工されつつある。

 いますでに、中国では食糧はあまっており、非常時に備えて大量の備蓄をもっている。かつての貧しい中国とくらべると、まるで夢である。このことを実現した毛沢東、中国共産党、政府に、人民大衆の信頼が高まるのは当然であり、毛沢東後といえども、この路線は継続され、外から言われるような動揺はありえないであろう。中国は八割まで農民である。われわれは、この農民と農業とにふれて、中国の着実な前進に確信をもつことができた。

2 ソ連と対決きびしい外交

 中国は二つの超大国に反対する。しかし、現状では、米国は守勢であり、ソ連が攻勢にたっていると分析し、ソ連にきびしく対決する。中ソ間に、三年や五年で戦争はおこらないが、現在の平和が二十年も三十年もつづくことはない。ソ連で人民の側から革命のおこらない限り、戦争は不可避であるという前提にたって各大都市には、町の中心から郊外にまでつづく地下道が掘られ、食糧は備蓄されている。近い将来、ソ連との和解はないのかとたずねると、絶対ありえないという答えが、即座にはね返ってくる。そんなソ連といまなお同盟条約をつづけているのは何故かと聞くと、あれは「名存実亡」だという。つまり有名無実で、なんの意味もないが、先方から廃棄すると言わない以上、ほっておけばよいことだと言うのである。李先念副総理と話していても、先方は又してもソ連批判に話題をもってゆく。

 中ソ間の、このきびしい対決は、世界の不幸である。非武装中立、再び戦争はしないとの誓いのうえに戦後を出発したわれわれには、耐えきれない悲しみである。いまは、このきびしい対決を、事実として認めるほかはなく、中ソを取巻く全世界の情勢を、平和共存に向けて前進させ、より力あるものにする以外にない。このことは可能であるし、これによって中ソの溝もうめられてゆくであろう。中国からは、日本の国有の領土である全千島の即時返還に、強い支持を表明された。中ソの対決にまきこまれることは、中立日本として避けたい。われわれは、返還を願う日本の国民感情への中国の理解には深く感謝するが、問題は日本とソ連との間のこととして、われわれが広く国民とともにねばり強く取組むという考えを率直に表明した。

3 日中平和友好条約の早期成立

 一九七二年、田中・周恩来共同声明によって、日中の国交が回復され、東京・北京間は空路わずか二時間あまりになった。懸案の各種実務協定はいずれも締結された。にもかかわらず、平和友好条約は、いまなお足踏みをつづけている。なにが問題なのだろうか。

 一言でいえば、共同声明第七項の「覇権反対」の取扱いにかかっているのである。第七項は「日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア太平洋地域において利権を求めるべきでなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」というのが全文である。中国は双方が認めたこの言葉をそのまま条文に入れよと言い、日本はこれをしぶってきた。しぶる理由は、二転三転、次々に変わってゆく。当然中国の不信を買うことになり、今日に至っている。

 覇権条項は、米中上海コミュニケで合意されたものが、七ヵ月後の日中共同声明にとり入れられたのであり、その後オーストラリア外六ヵ国と中国との間にも合意されている。第七項を、先入観なしに読めば、国際外交の大道であると理解されるはずなのに、何故、日本が躊躇するのだろう。

 われわれは出発前、三木首相に、この点をただした。首相は共同声明の精神は一歩も後退させるものでない。この条項が、条約の本文に入ろうと前文に入ろうと、こだわるものでないと、明確にこたえ、これを中国に伝えてもらって結構だといった。首相の言葉が真意であれば、問題はないはずであり、あるいは総論あって各論なしの、いわゆる「三木流」の発言なのであろうか。それもあろうが、例によって外務官僚の小知恵が働きすぎているように思われてならない。

 ここで、覇権反対のもつ意味を、あらためて考えてみたい。われわれは、過去、侵略戦争の重大なあやまちを犯した。戦後日本はその反省のうえに出発した。アジア太平洋地域に覇権を求めないという共同声明の言葉は、日本自らが、中国に対してだけでなく、世界各国への、重い誓いである。国時に、他国に対しても、覇権に走ることが、終局的に成功はしないし、自分自身が傷つくだけのことであり、これは戦前、戦後の歴史が証明しており、平和と独立の尊重されなければならない国際社会の大道であり、われわれの反対するところであると訴えるのに、何の躊躇が必要だろうか。覇権とは具体的に何を指すか。張香山中日友好協会副会長は、われわれとの会談のなかで、侵略、支配、干渉、転覆、侮蔑を意味すると答えたが、そのことを、こまごまとほじくることはあまり意味がないことである。これはわれわれが国際社会に処してゆく大精神、大原則だと思う。

 またもし、毛沢東後の中国は混乱必至であり、いま条約成立を急ぐことは、時期的に適当でないという考えがつきまとっているのであれば、それこそ中国に対するべっ視であり、許されないことであるばかりか、着実に前進をつづける中国の現実に対する無知にもとづくといわなければならない。

 われわれは、日中平和友好条約の早期成立に全力をつくさなければならない。

4 おわりに

 中国はいまなお貧しい。とはいえ、衣・食・住は保障され、明日に大きな希望をもっている。しかもわれわれは、貧しさの中に、すべての物資を大切に、最終的に大地に還元されるまで、利用しぬく中国の姿に、資源浪費の現代資本主義文明に対するきびしい批判を見ることができ、人類文明の新しい生活様式が、ここから生まれてくるという感じさえ持った。なにか、すがすがしいものが感じられるのである。

 いろいろ問題はある。しかし、八億という巨大な人民を、大きくまとめて、前進を続けている中国の人々に、我々は心から敬意を表するものであり、今後の友好の増進に努力することを、あらためて誓うものである。


(社会義レポート、昭和51年8月10日号) 目次次「明日の日本のために」