1992 「中央公論」 1992年5月号掲載

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特集 日本国憲法45年目の着ごこち
小沢一郎、江田五月 対談 「タブーはもはやない」


小沢―― 憲法の解釈、憲法そのものも、世界情勢に合わせて変えていいはずなのですよ
江田―― 与党も野党も従来のスタンスに固執するのはやめて虚心の議論をするべきです

  憲法は「不磨の大典」ではない

 二月二十一日に出されました「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」いわゆる小沢調査会の答申案は、従来の政府公式見解を変えることによって、自衛隊の国連軍参加は合憲であるという認識を打ち出しました。これまでは護憲か改憲か、という二つの対立のなかで憲法問題が語られてきたわけですが、今回の答申案は、その枠組みを超える「解釈改憲」という立場を出したわけです。また、「積極的・能動的平和主義」、「国際的安全保障」と、新たな概念を提議した点でも、画期的な意味をもつものと思われます。
 それだけに、野党はもとより自民党内部においても賛否両論のようです。また、継続審議中の「国連平和協力法案」(PKO法案)との絡みもあり、そういう面でもさまざまな問題を抱えているようですが、ここでは憲法そのもの、あるいは「解釈改憲」の是非に焦点を絞って、論じていただきたいと存じます。

小沢 最初に言いたいのだけれども、「解釈改憲」という言葉、ああいう変な言葉(笑)はだいたいマスコミがつくったものだということです。

 それにしても「護憲」という言葉、そして「平和憲法」という言葉が、あたかもリベラリズムと民主主義の象徴のように扱われています。いわば「神聖にして冒すべからざる」ものにされている。

 明治憲法が「不磨の大典」とされ、それが日本の針路を誤らせるひとつの要因になった。そのことと、「護憲」や「平和憲法」が民主主義の護符のように扱われ、一種のタブーになっていることとは、言い方が変わっただけで、じつは同じことなのではないか。

 憲法は国民がそのときどきの情勢を判断して決めた規範、最高のルールです。世の中が変化すれば、それに合わせて倫理や道徳が変わっていくように、憲法の解釈、あるいは憲法そのものも、そのときどきの世界の情勢によって、変えていいはずではないか。この点をもっと素直にとらえていかないと、物事を誤ることになる。とくに、現在のような国際的に厳しい状況におかれているなかで、硬直した不毛の論議を重ねていていいのか、というのが答申案で言いたかったことです。

江田 憲法が国民が決めた基本的なルールであり、それ以上でも以下でもない、その点については、私も抽象的には賛成ですし、小沢さんが調査会でやられていることを、出発点から否定するような議論はおかしいと思います。

 ただ、いまの小沢さんのおっしゃり方だと、「護憲」がそもそも間違いなのだ、というように聞こえてしまうところがある。「小沢調査会は、日本を軍国主義に導くために、解釈改憲などという詭弁を持ち出した」というようなリアクションが出てしまい、真意が伝わらないのではないですか。

小沢 べつに「護憲」がいけないと言っているわけではなくて、「憲法賛成」という意味で「護憲」という意見ならばいいのですよ。しかし、憲法を改正したほうがいいのではないかということ、あるいはそれについて論議することすら「反動」と決めつけ、意見そのものを封じてしまう風潮がある。

 日本人は、とくにそういう面をもっています。一つの事柄が正しいとなると、それ以外のものは認めない、絶対視してしまう。しかし世の中に「絶対」のものなどないのです。表があれば裏もある。だから、もっと素直な気持ちで憲法をとらえていかなければならない。

江田 私の基本的立場は、現在の憲法はなかなかよくできていると思っている、その意味では「護憲派」です。

 第二次世界大戦という未曾有の犠牲者を出した戦争が終わり、大惨事を経たあとのスタート地点で新たな世界の枠組みを決めた。そのひとつが国連であり、日本においては国連憲章と表裏一体の日本国憲法です。冷戦が終わったいま、終戦直後の大精神は、変わるどころかますます充実する時代に入っていると思います。むしろ、いまの憲法は早産だった。そして冷戦時代には保育器に入れられていた。それがやっと一人だちして歩いていける時代になってきたのではないか。

小沢 それはそうでしょうね。戦後、米ソ二大陣営の対立の構図のなかでは、いわば若い者の作文みたいな憲法だったかもしれません。時代状況を冷静に見れば空疎というか、理想的すぎるところがある。それに制定の過程で釈然としない点がいろいろありましたからね。GHQが短時間で草案をつくって、軍事力を背景に押しつけたものだという、押しつけ憲法論もありましたし。

江田 それから、戦後五〇年近くたったいま、書き加えたほうがいいのではないか、ということも出てきています。消費者の権利とか、環境問題。そういう意味でもいたずらにタブーにしてはいけないという点は、私も賛成です。

  「3Kはいやだ」は許されない

小沢 答申案を批判して、「冷戦構造のなかで、国連は平和維持という面で機能していなかったし、将来も機能する保証はない」という人もいます。たしかに、常設の国連軍というのはまだ存在していない。しかし、多少なりとも機能する可能性が芽生えてきた以上、また、日本が平和や自由な交流、世界の安定を求めているのならば、国連が機能していくように積極的に努力すべきです。それを「あんなもの、どうせあてにならない」というような言い方をするのはおかしいのではないか。江田さんもおっしゃるように、国連憲章と日本国憲法は表裏一体であるわけですからね。

江田 たしかにいまの世界の安全保障についての憲法の基本的考え方というのは、私は新たな命をもってきはじめたところだと思うのです。その意味で、日本はおおいに国連に参加をしていかなければならない。ただ、その参加の仕方には議論の余地がある。

小沢 時代を遡って一九五六年に日本が国連加盟の簽名書(申し込み書)を提出したときに、一定の限定をつけたと話す人がいる。しかし、あの文書を素直に読めば、一定の制限なんて、どこにも書いていない。それどころか「あらゆるすべての協力を日本はする」と書いてある。

 「あらゆるすべての協力を日本はする」といって加盟を申請した以上、「3Kはいやだよ」という議論は成り立ちません。答申案について軍事面ばかりがクローズアップされていますが、日本が得意としてできることの九分九厘は、もちろん非軍事の分野です。世界が日本に期待していることもそうなのであって、アメリカと肩を並べて一緒に戦えなんて、誰も期待してないし、そんなことを言うつもりはない。

江田 無理ですしね。

小沢 しかし、最初からわが国は軍事的なことには一切関知しない、というのは世界では通用しません。いま国内で問題になっているように、「日本の若者が3Kを嫌っているから、外国人労働者でも入れて、安い金で使えばいい」という発想と同じになってしまう。日本という世界で例を見ないほど治安のいい国でさえ、不心得な人がいて、警察というものが存在している。みんな仲良く話し合って、なんて字面はいいけれども、サダム・フセインのような侵略者が出てくるわけです。威力による平和の破壊は、威力で抑える以外にない。これは国連憲章でも認められている。それを自国の都合で関わりたくない、というのでは本当の世界の平和にはならないのではないか。これまで日本人は、そういう部分をなおざりにしてきた。そこで、あえて問題提起したわけです。

江田 おっしゃるように、日本が国連に協力できるのは、環境問題や人種間題、教育とか医療などの民生分野が九割であって、これは誰も異論のないところでしょう。PKF(平和維持軍)にしても、本来の意味での軍事協力は、本当にわずかな部分だろうと思う。どこまで許されるかは別として、やはり日本としても何かはやらなければならない。ただ、私はそれを自衛隊がやるべきではないと思っています。

小沢 しかし、世界の安全保障を考えてみると、一国で軍事的に独立できつのは全世界でもアメリカだけですよ。ソ連はそれと対抗しようとして、潰されてしまったわけだから。どんな国も、一国だけで安全保障を全うできない以上、国際社会で協力しあって平和を維持していく以外にない。

 そうなると、各国の軍隊が、その性格を変えていくしかない。国連の治安部隊を、それぞれの国が、事情に応じで軍を預かっているというくらいに思考を転換していかなければならない。だから、私はむしろ自衛隊そのものも、防衛大綱も、自衛隊法も、そういう要素を前面に出して書き改めたらいいと思う。それが困難ならば、国連の警察部隊を独自につくり、わかりやすい形で国民の合意を得るのも、有力な方法ではありましょうが。

江田 趣旨は理解できますが、実際問題として、世界がそれをできるまでになっているかどうか、議論の余地が残っているのではないでしょうか。

 私はこう思う。日本国憲法は、軍事面において主権が一部分欠落した憲法です。国家主権は金甌無欠でなければならないのだから、現在の憲法には欠陥がある、という言い方があった。いわゆる従来の改憲論とは、そういうことでしょう。

 しかし、国家主権とは、さまざまな機能が集合してできているのだから、一つの機能が抜けていても、主権が「欠けている」ことにはならないのではないか。日本が軍事面で欠落していたとしても、「日本は完全な主権国家でない」という必要はない。まして、冷戦後は世界各国が軍事的な意味での主権を放棄して国際公共財に譲りわたさなければならない、そんな時代がきているのではないでしょうか。

 その意味で日本国憲法というのは、いわば新しい時代を先取りしすぎていた。しかも自国だけが先取りしていたものだから、勝手な国だ、という言われ方もしてきた。しかし、今後の世界はそういう方向に向かっているのだから、一部軍事面が欠けた主権国家として日本はやっていけばいいのであって、その部分を回復することは必要ない。むしろ世界を、あるいは国連をそういう方向に導いていくべきです。

小沢 ご意見じたいには賛成ですが、私としては、もう少し進めて、国連に宜明してもいいと思っている。自衛隊はわが国の主権だけで、わが国を防衛するための武装集団ではない、すべて国連の指揮下に預けます、個別の正当防衛は別としても、あとは一切動きません、とね。こう宜明することによって、アジア諸国が危惧するのではないか、という懸念もなくなります。

 「個別防衛は要らない」というわけではなくて、自衛隊の主任務を平和維持活動にしてしまうわけですよ。

  PKO法案だけでは不十分だ

江田 気宇壮大な構想で、大変結構だとは思います。しかし、現実はそこまでいってないのではないですか。

 おっしゃるとおり、個別的自衛権のための実力組織というのは一切要らない、といえるような国際情勢ではまだない。ただ、私も法律家なものですからね、憲法第九条との関係を悩むわけです(笑)。文字どおり読めば、自衛隊が合憲というのは、少し苦しいところがありますよ。

 独立国ですから自衛権は当然ある。しかし、自衛権をどう実行するか、という規定が憲法にはない。自衛権を実行する部隊が外まで出てはいけない、という意味で、「国権の発動たる戦争を国際紛争解決手段としてはならない。こんなことをするような軍隊をもってはいけないのだ」という規定はあるけれども、その間を繋ぐ規定が抜けている。だったら改憲すればいいではないか、という意見もあるでしょうが、憲法の精神を尊重する意味でも、そう簡単に変えたくない。

 そこで、私は、抜けている部分を補うために、憲法に準ずる基本法を制定するべきではないかと考えたのです。たとえば「防衛基本法」、あるいは世界の安全保障という意味を込めて「安全保障基本法」というものをつくり、自衛権確保のための自衛隊の保持について、法的な位置付けを定める。こうしたほうがいいのではないでしょうか。

小沢 憲法の精神を主眼に残すわけですね。

江田 そして、いまの国際社会に対する貢献については、別個に部隊をつくり、国連に全部差し出す、こうすればいいのではないですか。

小沢 ただ、そうするにしても、訓練その他の点で自衛隊の協力がないとできないでしょう。

江田 私のような野党にいるものは、これまであまり自衛隊の皆さんとお話ししてこなかったので、少しピントはずれになるかもしれないけれども、自衛隊というのは紛争が起きたときに勝つことを前提とした訓練をするわけでしょう。しかし、国連平和維持活動というのは、勝つことが前提なのではなく、紛争を起こさないことが大前提です。だから軽火器以外は所持しないし、紛争が起きたらひとまず退却し、安定したらまた出ていく、そういう粘り強い活動でしょう。たとえて言えば、自衛隊は人の心臓を狙ってピストルを撃つ、しかし、国連平和維持活動はいかなる状況でも心臓を狙ってはいけない。となると訓練の基本も違ってくる。もちろん、自衛隊にも休職出向という形で参加していただくとしても、訓練の中身は違うものになるでしょう。そういう意味でも別部隊としたほうがいい。

小沢 それは現在までの国連平和維持活動であって、国連憲章第四十三条に規定されている「国連軍」となると、また違うのではないですか。あれは国際的合意に基づき国際的に協調して実力行使をする、とされているのですから。

江田 いや、それは現時点では、やはり少し違うということにしておいたほうがいいと思います。

 いまの国連憲章第四十三条の規定では、軍事カを行使しなければならないときには、特別協定で各国の軍隊を国連に差し出し、それをもとに国連が部隊をつくるという仕組みになっていますよね。しかし、軍隊を差し出す国家の主権はどうなるのかというと、なかなか困難な点があると思います。

 将来、国運が常設の軍隊をもつとします。かつて日本も、明治維新のときに、薩摩も長州も軍隊はそれぞれの藩に属していた、それでもって戊辰戦争を戦って統一国家をつくり、その後で各藩の軍隊を御親兵として新政府に差し出し、国軍を創設した。それと同じことを世界規模でやることになる。日本政府が、国連常備軍の募集活動をし、募集して集まった兵員を日本国内で訓練する、そういうことになるだろう。そういうシステムの国連軍と、現在の国連憲章第四十三条で規定される国連軍とでは少し違うのではないでしょうか。

小沢 国連憲章第四十三条が規定する国連軍は、あくまでも個別の国の軍隊が、国連を通じての申し入れを受けて、決議に基づいて国連の指揮下で活動するわけですからね。だからこそ、現在まで国連軍ができた例がなかった。

 私だったら、もし決議があったときには、すべて国連に部隊を預けます。主権の問題はあるにしても、そのくらいの覚悟を日本自身がもっていないと、だめだと思うな。

江田 しかし、自衛隊はあくまでも日本の主権である自衛権を司る部隊なのです。自衛権の解釈はさまざまでしょうが、常識的に考えて日本の領域保全が限度でしょう。となると、自衛隊が日本の領域外に出ていくのは、法制上の問題もあるし、日本がいまやるべき課題ではない。

小沢 だから別部隊にして行げばいいわけでしょう?

江田 しかし、別部隊といっても、国連憲章第四十三条に基づく国連軍ということになると、かなりあらっぽいことをする部隊になりますね。

小沢 武力行使がありうるという前提に立っているわけですから。

江田 従来のPKFとは少し違うわけですね。

小沢 そうです。PKO法案では、「武力行使は認めない」ことになっている。各個人の自衛は別としても、部隊として応戦することも「武力行使」となるわけです。その意味では、国連軍はもとより、実際問題としてPKF活動に参加することすらできなくなっている。

江田 難しい点はあるでしょうね。ですから、現実論として、これからたとえば一〇年間、日本のPKF参加は控えておく、そのかわり、「PKF以外の分野では、日本はPKO大国になります」と表明するくらいにしておいたほうがいいのではないですか。

小沢 おっしゃるように自衛隊ではない部隊をすべて国連に預ける、これはいいでしょう。現に自・公・民の三党はこれで合意したわけだから。しかし、いまのままの議論では、別部隊をつくったところで、現実問題としてPKFには参加できないのです。だから部隊を分けようがどうしようが、同じことになるだけだと思いますよ。

江田 だから、自衛隊とはまったく別の理念をもった、別組織の部隊にして、日本の主権行使とは切り離して、国連に差し出すのはかまわない。

小沢 さっきおっしゃった、国連に御親兵として差し出すということですか?

江田 はい。それならば憲法上は許されると思います。自衛隊の存在そのものが違憲ではないかという意見に対しては、さきほど言った「防衛基本法」あるいは「安全保障基本法」を制定して、解決する。そして自衛隊とはまったく別の理念に基づく部隊をつくる。そうしたほうがいい。PKO法案のように、必要なときに自衛隊から来てもらうというのでは、やはりだめなのではないですか。

小沢 それはそうです。

江田 常設でないと意味がない。

小沢 ただ、現実的には自衛隊にしても警察軍にしても、軍隊的性格をもっているわけですから、訓練の中身は違っても、指揮系統や部隊行動、飛行機を使うとしたら管制の問題などもあるわけで、ほとんどの部分が共通していますがね。

  あらゆ要素を含む「安全保障」

江田 小沢調査会の答申案を読ませていただいて、私の考えと違うな、という部分があります。

 「冷戦後の世界の構造」の部分で、冷戦の終結は「西側陣営が東側陣営に勝った」という言い方をされていますね。しかし私は、社会主義思想が生まれ、ソ連を中心とする社会主義国家群が成立したことは、歴史的にみて無駄であったかのように見えますが、やはり意味があったと思うんです。

 社会主義の考え方が生まれて二〇〇年近くになる。その間、資本主義と社会主義は対立していただけなのではなく」むしろ相互に関連し、浸透しあっていたのではないか。資本主義が誕生した当時の、弱肉強食の原理がそのまま残っている国は、少なくとも先進国にはどこにもない。公的セクターが経済のなかで大きな役割を果たすようになったり、「公正競争」「独占禁止」「労働組合」「累進課税」さらには「社会保障」などの社会主義的な要素が取り込まれてきた。

 社会主義国にしても、チャウシェスクの独裁のような事態も生まれました。しかし、市場経済をベースにした社会主義とか、資本主義の要素も取り入れてきたことはたしかなのです。そうやって、資本主義、社会主義の両方が、あるまったく新しいものに収斂してきて、歴史の次の段階に移った、それがいまの時代なのだと私は見ています。だからこそ、日本も新しい役割を求められているのではないですか。

小沢 そうかもしれません。

江田 さきほど、日本国憲法は、国家主権の一部である軍事的側面が欠落している、そしてそれは時代を先取りしたものだと言いましたが、これは世界的にみてもそうだと思う。いわば、世界が覇権のシステムから協調のシステムに移る、すなわち国家主権が金甌無欠でなくてもいい、というふうに変わってきたのは、冷戦がそれを用意したからではないか。

 一九六八年にソ連がチェコスロバキアに軍事介入した。そのときソ連は「制限主権論」、いわゆるブレジネフ・ドクトリンを言いだした。その是非はともかく、国家主権が完全無欠のものではないということを明確に言ったわけです。これは悲劇的な一例ですが、ある意味においては東西両陣営に共通していることなのではないか。両陣営の国々が、自国の主権をアメリカあるいはソ連に収斂させてきた。だからこそ、新しい国際システムのなかに、主権の一部分を譲り渡していくことが可能になってきている。

 歴史とは、ある段階のなかで何かが用意されて、次の段階に移行するものだと思います。そういう歴史のダイナミズムをあの答申に書いていてくださると、私らも「これは、賛成だ」といい得るかもしれない。(笑)

小沢 その点も賛成だな。(笑)

江田 それから「国連が国際社会の平和秩序維持のために、実力行使も含めた措置を担保する集団的安全保障という概念が、広く国際社会に認められている云々」というくだりがあり、括弧付きで「集団的自衛権との混同をさけるために、むしろ『国際的安全保障』という名称のほうが適切と考えられる」となっている。「集団的安全保障」だと、地域的な限定などがあるから、それを踏み出すという意味で、「国際的安全保障」という言葉を使ったのではないか。「集団的安全保障」だと日本が出ていくところはアジアだけということになりかねない、あるいは日本の領域内に限定されてしまいかねない。そこで世界全体に行くために、あえて「国際的安全保障」という言葉を使ったのではないか、というような議論もあることはある。邪推かもしれませんが。

小沢 そんな議論があるのですか。全然違います。「集団的自衛権」と混同されかねないから使っただけの話です。

江田 「自衛権」というと対立の意味が含まれるから、協力しあうという意味をもたせるために「安全保障」にした。しかし「集団的安全保障」と「集団的自衛権」とでは紛らわしいから、「国際的安全保障」としたということですか。

小沢 そうそう、それだけの話です。

江田 個人的にはそうなのだろうとは思いますが、違う見方をする人もいる。なぜそうなるかというと、「国際的安全保障」を英語でいうとどうなるか、ということです。これは、お考えになっていますか?

小沢 いや、それはこれからです。

江田 「国際的安全保障」だと“Internationsl Security”になるのでしょう。ただこの言葉は、アメリカが自国を守るための世界戦略を構築するなかで、中東をどうしようとか、アフリカはどうしよう、とか、世界規模で考えていかないとアメリカの安全保障にもならない。そこで“International Security”という用語が生まれた、つまり、あくまでも「アメリカ」を中心とした世界秩序をつくる際の議論のなかで出てきたわけだ。だからアメリカだけではなく、世界全体の紛争対処のためのシステムをつくる際には不適切な言葉ではないか、という議論があるのです。

小沢 それに近い議論は委員会のなかにもありましてね。「国連による国際的安全保障」といったほうがいい、という意見も出たんです。

江田 なるほど。

小沢 英語にすれば“International Security by UN”ということになるのかな。現実の実態として日米同盟が大きな要素であることは間違いないわけですが、理想として「かくあるべき」なのは国際連合(UN)しかないわけですから、国連が主導するという意味を強調したほうがいいのかもしれません。

江田 私は、「国連安全保障」といったらどうかと思ったことがあります。ほかにこんな言葉もある。七〇年代から八〇年代の初めにかけて、国連の委託で「パルメ委員会」が結成されて世界の安全保障について考えたときに、“Common Security”という言葉を使ったというのです。

小沢 普遍的安全保障ですか。

江田 その「普遍的安全保障」という言い方が、いちばんいいのではないか。この言葉はたんに軍事的な意味合いだけではなく、軍事力で解決をしなくても済むような国際システムをつくることも含まれているのです。

小沢 そもそもセキュリティーという言葉は、軍事力だけではなく、あらゆる要素を含んでいるわけですからね。

江田 そうです。経済、食糧、人口、疾病、地球環境、ほかにもいろいろあるでしょう。そういう問題をさまざまな国際機関、国連とか国際司法裁判所、あるいはガットなどで解決していくことによって、紛争の発生を未然に防ぐ。

小沢 それで未然に防げれば、いちばんいいわけですからね。

江田 それとあいまって、軍事力については基本はやはり軍縮。私は基本的にはそういう考えです。

 それから、一部マスコミでも批判されているようですが、「積極的・能動的平和主義」という言葉を提唱された。戦争を必要としない国際秩序をどうつくるかということで使われたわけですね。

小沢 そうです。

江田 しかし、この答申案には「憲法前文に示された積極的・能動的平和主義の理念に照らしてみると、国際協調のもとで行なわれる国際平和の維持・回復のための実力行使は否定すべきものとは考えられない」というくだりがありますが、意味が微妙に違ってくるのではないですか。

小沢 たしかに微妙に違うかもしれません。根本的に間違いではないと思いますが。ただ、そうした言葉遣いの印象でもって、頭から軍国主義とか、海外派兵とかいうふうに決めつけられてしまう。それが本当は恐ろいことなのです。

  大切な法規だからこそ、タブーにしてはならない

江田 今回の答申案について、マスコミが「解釈改憲」というレッテルを貼って、すぐに「自衛隊海外派兵を狙っているのだ」という論調になるのは、間違いだと私も思います。ただ、自衛隊が海外に出ていくことの問題でいいますと、この答申案は、PKO法案についての議論は終わったということを前提にしているでしょう。

小沢 現段階では、PKO法案は継続審議中ですから、そこはまあ微妙なところですね。

江田 でしょうけれども、PKO法案では、自衛隊が自衛隊のままで海外に出ていっていい、とはなっていませんよね。

小沢 たしかに、従来の政府の公式見解だけではなく、PKO法案とも矛盾してはいます。継続審議中ですから、起草委員も非常に配慮しながら起草したらしいけれども。ただ、あまり政治的配慮をしても仕方ありませんからね。論理的に筋道が通っているのであれば、きちんと言ったほうがいい。

江田 自衛隊が、海外に出られるかという問題に、ある種の憲法的な説明を加えた点では、マスコミのいうとおり「解釈改憲」ということになるのでしょう。ただ私は自衛隊を海外に出すことじたいについては反対を表明します。

小沢 そういう意味では「防衛基本法」あるいは「安全保障基本法」ですか、そこまできちんと明確にしたほうがいいのかもしれないな。

江田 基本的な準憲法的法規範の制定、そこまで是非やっていただかないと。

小沢 しかし、これがなかなか困難なんだ。党内でもいろいろな議論があるし、それから野党、とくに社会党がまともな議論をしてくれないと、どうしようもない。意見の相違ならば構わないのですが。

江田 自民党内部からも、批判が多いようですね。

小沢 そうです。

江田 私は社会党を代弁する立場にあるわけではありませんが、ひとことで野党といっても内部ではさまざまな意見がある。社会党、民社党、公明党、それぞれの党内部でも、いろいろ意見が分かれている。

小沢 社会党のなかにも、こういう言い方をした人がいる。一昨年、自・公・民の三党が出した「PKOに関する三党合意」のように、国土を防衛するための武装集団である自衛隊としてではなく、国連の警察部隊としてきちんと手順を踏んだうえで参加するのならばよいのではないか、とね。

 一九六四年に北欧四ヵ国(デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン)が国連事務総長の要請で、正規軍とは別に、志願兵を募って国連待機軍をつくっています。今回の答申案とは少しちがいますが、それで与野党が合意できるのならば、それでもいい、と私は言った。しかし、こういう柔軟な意見も個人的見解にとどまって、党としての公式見解にはなかなかならない。

江田 各党いろいろな内部事情もありますし、合意することは難しいとは思います。しかし、それではいけない。

 日本が国際社会に復帰した一九五一年のサンフランシスコ講和条約のとき、単独講和か全面講和かをめぐって国論が二つに割れました。西側とだけ講和を結んで国際社会に入るのはだめだ、東側陣営からも祝福されなければならない、と。それにたいして、現在の東西冷戦のなかでそれは現実的に無理だ、まずは国際社会に復帰することが先決なのだ、という意見です。その後、日米安保条約をめぐる議論もありましたし、日本がどういう外交方針をとるか、ということについて国論が二分した時代が続いてきた、いわば日本国内で東西冷戦が行なわれていたわけだ。

 しかし冷戦が終わったいま、従来の国論の二分状況は必要ない時代なのですから、政治家として大切なのは、こうした議論はもうやめようじゃないか、国際社会で日本が役割を果たしていく方法について、大きな合意をつくろうじゃないか、そういう気持ちをもつことではないでしょうか。

 そういう意味で自民党の皆さんも、従来の自分たちのスタンスに固執しないほううがいい、と思う。むろん野党のほうも同じで、新しい時代の生き方を考えるべきではないのか。私もかつては社会主義に胸を躍らせた時代がありました。意外とはやく冷めましたけれども(笑)。しかし、もう資本主義だ、社会主義だという時代ではない。冷戦時代の思考のコンセプトは捨てて、虚心の議論をするべきだと思いますね。

小沢 それは大賛成ですね。

 日本の戦後の半世紀は、まさにお話のとおり、冷戦と米ソの両陣営の申し子でしかない。それがなくなったわけだから、与野党がいままでの思考の枠をとっぱらって議論し、合意を見つけること、それに尽きる。

江田 一昨年の三党合意のときも、じつは私はてっきり四党合意になると確信していたのです。それが一夜明けると社会党が抜けてしまって三党合意になってしまった。

小沢 そうでした。

江田 その後ずっと三党合意のまま、現在のPKO協力法案が継続審議されていますが、もし、あのときに四党合意ができていれば、PKO協力法案も別の形になって、おそらくは成立していたのではないですか。

小沢 たしかに、もう少し議論がわかりやすくなっただろうし、話が進んでいたでしょうね。

江田 大袈裟かもしれませんが、一人の政治家の一瞬の判断で歴史が変わるという格好の例とさえ言える。

 憲法は大切な法規です。だからこそタブーにする必要はない。それに国連平和維持活動に日本が参加する方法をめぐり、憲法を前提にして議論すべきことはたくさんある。ですから、現在の政府の出している法案は前提にせず、もう一度二年前に遡って、三党ではなく四党合意の精神で、冷戦後における日本の新たなコンセンサスをつくってから、スタートしていく。そのための大和解をしていただきたい。

小沢 現実の国会における審議は別として、そういう議論を四党でも五党でも‥‥。

江田 もちろん、私たちも入れていただければ、いつでも喜んでテーブルにつきます。

小沢 そういう議論をする場を、江田さんあたりが提案してくれるといいんだけどね。マスコミもこういう問題を論じる場合、江田さんのお話のように「まとまらなければならない」「合意しなけれげならない」という点に焦点をあてなければならないと思いますよ。なぜ与野党そろって合意を得られないのか、とね。

江田 国際貢献だけではなくて、政治改革などもそう。大きな立揚に立って議論すれば、まとまるはずなのですよ。

小沢 与野党ともに既存の枠組みにとらわれすぎて、身動きできなくなってますからね。

江田 野党は全部解散して、新しい政党につくりなおしたほうがいいかもしれません。

小沢 自民党もそうかもしれないな。(笑)


小沢一郎氏 衆議院議員。1942年岩手県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。27歳で衆院初当選以来、連続8期。自民党政調副会長、衆院議運委員長、自治相、党幹事長を歴任。

江田五月氏 衆議院議員。社民連代表。1941年岡山県生まれ。父親は元社会党副委員長の江田三郎。東京大学法学部卒。65年司法試験合格。83年に衆院初当選以来、連続3期。


1992 中央公論1992年5月号掲載

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