1993 | 「月刊Asahi」 1993年4月号掲載 |
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特集 政界再編
徹底討論―― 小沢一郎 VS 江田五月 「われわれは いつ立つか」
改革のかけ声ばかりで、相次ぐスキャンダルにも、不況にも打つ手なく、世界からの諸要請もやりすごすだけの日本政治。戦後、これほど自堕落な政治があっただろうか。そうしたなかで、旗幟鮮明なのが小沢一郎、江田五月の両氏だ。その二人が約六時間、「永田町政治」の現状と改革への道筋、さらには国際貢献から憲法、女性観に至るまで、率直に語り合った。
第一部 世界史的転換のなかで 司会 立教大教授 北岡伸一
北岡●八九年に冷戦が終わったと言われてから、もう三年あまりたちました。そのちょっと前を考えますと、八五年には一ドル=二五〇円だったのが、二年ほどで一二〇円になっています。この七年余で実に大きな変化が起こった。これを全部視野に入れて、世界はどういうふうに変わってきたのか、その中で日本の役割はどうあるべきかという定義が日本の政治のなかで十分なされてきたとは思えません。
そこで、まず最初に、総論的に世界の変化と日本の役割をどう考えるかということについて伺いたいと思います。
小沢●大変な歴史的な変動、変化ということに間違いないでしょう。要するに、アメリカによる世界平和、パックス・アメリカーナと言われる平和の半世紀があった。それ以前は、十九世紀から二十世紀にかけて、イギリスの圧倒的な経済力による世界秩序でした。そういうイギリス、アメリカというアングロ・サクソンの時代が、基本的に変化をきたし、これからもきたすんじゃないかという感じがしています。
日本の国際社会での役割というのが、いろんな意味で強まってくるのは間違いないところです。ただ、今までの秩序が崩壊したわけですから、しばらくの間は、民族主義やら、あるいは宗教やら、今まで強いコントロールのもとに置かれて顕在化しなかった問題が噴き出してくる。これをどうやって解決するのかは分かりませんが、いずれにせよ、新しい秩序をつくらなきゃならない。その中での日本の果たす役割は、経済的にも技術的にも、あるいは文化的な側面でも多いだろうと思っています。
北岡●現在は、しばらく混乱が続く過渡的な時期だということですね。
小沢●できるだけ早く平穏にしなけれはいけないけれども、しばらくは続くんじゃないですか。
北岡●どれくらいでしょう?
小沢●二十一世紀までかかるんじゃないでしょうかね。十年くらいはかかる。
江田●小沢さんとあまりにも問題意識が似ているので驚いています。僕はここへきて、いろんな転換が重なってきているような気がします。いちばん短くとらえれば、第二次世界大戦の終了から始まった一つの時代が終わって、次の時代へ動きつつある。冷戦の終わりを、第三次世界大戦が終わったというように考えてみたらどうなんでしょうか。現実に弾が飛び交ったわけじゃないけれども、戦費でいえば、第二次大戦なんて比較にならない費用がかかったわけですね。それが終わって、いま、新しい世界史、世界の構造をつくろうとしている。だから、国連憲章も地球憲法をつくるぐらいの発想でつくり変える、それと対になる日体国憲法も、そんな発想で論議をしてみる、そのくらいの大転換期です。
第二次大戦が終わったときには、日本は敗戦国で、世界のことはお任せしますとしか言いようがなかった。しかし、世界はこういうあり方でいきましょうという一つの理念はあったと思います。しかし、いまはそれだけじゃすまない。第三次世界大戦後″の地球秩序、世界秩序をつくっていくなかで、日本も重要な当事者として、参画していかなければならない。
もうちょっと長いスパンで考えてみると、一七八九年のフランス革命で始まった世界の近代史が一九九一年の新ロシア革命で終わった、と言えるかもしれません。いわば資本主義、社会主義という対立軸で動かしできたものが終わった。資本主義、社会主義というのは、結局、生産力がどんどん大きくなっていくなかでのイデオロギー論争だったんですね。
さらにもっと長いスパンで考えると、主権国家というものが国際社会の主要なアクターだった時代は、たぶん絶対王政ぐらいから始まったんでしょうが、ここへきて、主権国家がアクターではなくなる時代に入りつつある気がする。いずれにせよ、そんな大転換期に、私たちはいるわけです。
北岡●大きな転換点であるがゆえに、過渡期もかなり大変だという認識で、お二人は一致しているという感じがしました。
江田●そうですね。
北岡●具体的な問題で言いますと、冷戦の終焉のころから、急にアジア、アジアという声が高まっています。それから、世論調査でも出ていますが、今後、日本が関係を深める地域はどこかというと、アジアという声が強い。昨年は、宮沢首相の私的諮問機関の「アジア太平洋二十一世紀と日本を考える会」から答申が出まして、宮沢さんはそれを持って東南アジアにいらっしゃった。国民の間からもリーダーの間からも、そういう方向が出てきているという事実があります。それをどう評価されるのか。アジアといってもちょっと広すぎる。具体的にどういう国と、どういう原則で、関係を深めていけばいいのか。
小沢●おっしゃるように、アジアといっても大変広いわけですが、自然、気候、宗教、あるいは哲学というか、ものの考え方などに共通項があるASEAN(東南アジア諸国連合)・極東地域が、だいたい同じような感じの圏になるんじゃないですか。パキスタン、インドから向こうになると、気候的、風土的にも乾燥地帯になって、宗教的にも異なる。
そのなかでいま、アジアという声が非常に大きくなったということですが、これは、自然のなりゆきであると同時に、半面、ちょっと気をつけなければならない要素を含んでいると思います。一つには、国民生活のレベル、経済面での高低差がある。日本はまずこれを均衡させる努力をすべきです。もう一つの面は、国と国、あるいは民族と民族で、本当の意味の信頼関係、理解を構築しなければならない。
ただ、政治の戦略的な意味からは、あるいは経済的に考えても、アジアというよりもアジア太平洋的な感覚、つまりアメリカも豪州も含めたASEAN・極東地域というとらえ方をすべきではないかという感じを持っています。基本は、ロシアの日本海側も入れた地域を含めた極東だと思いますが、日本がこれから生き延びていくためには、やっぱり、ASEAN、オセアニア、それと何といっても北米地区を視野に入れないといけないと思います。
朝鮮半島の二つの国の問題、米中関係と日中関係との兼ね合い、さらには中国が軍備増強し、ASEANの各国も軍備を増強しているという現実のなかで、政治的にはかなりシビアな状態ですが、全体としては、環太平洋的な考え方で、日本の外交を進めていくべきでしょうね。
江田●そうだと思います。いずれにせよ、世界史はパックス・ブリタニカからパックス・アメリカーナを経て、いまはパックス・コンソルティスに向かっている。コンソルティスというのはラテン語で、英語だとコンソーシアムというんですが、いろんなコンソーシアムが全体で一つの秩序になるという意味でパックス・コンソーシアムと言うんだそうです。ヨーロッパにCSCE(全欧州安保協力会議)というのがあっで、すでにいろんな機能を果たしていると思いますが、私はアジアという地域にCSCEのアジア太平洋版、CSCAP(アジア太平洋安保協力会議)というのをつくったほうがいいと提唱しているんです。
歴史的にアジアが一つであったということはないわけですが、別々だから難しいと言ってもしようがないんで、やはりこれからは、アジアにおける秩序を考えていかなきゃならない。
それからもう一つ、アジアで言っておきたいのは、人権の問題です。中国は日本との関係、さらには世界の秩序をつくるうえで非常に重要な国だと思いますし、その中国がどういうふうに、民主主義と市場経済に移行していくかというのも非常に重要なことで、日本はその手助けを積極的にしていかなきゃいけない。ただ、中国の人権についても日本はもう少し、ものを言わないといけないんじゃないだろうか。環境についても言わなきゃいけないと思います。
それから、もう一点。これから国際秩序をつくっていこうとする場合に、やはり日本の第二次大戦の後始末というものがきっちりできていないのは問題です。謝罪の問題、補償の問題、従軍慰安婦問題などを含めて、それらにどう臨むかを明確にすることが大事だと思うんですね。
北岡●ちょっと身近なことをお聞きしたいんですが、江田さんは、ご自分で「ああ、自分はアジアの人間だな」と思われることがありますか。
江田●それはありますよ。ヨーロッパなどへ行くと、やっぱりどう見たってアジア人の顔をしてますから。
アジアで共通する諸行無常観 小沢
北岡●外国で、たとえば中国や韓国の人とお会いになると、なんとなく懐かしい気がするとか……。
江田●そういうことはないですね。僕自身は、どちらかというと、ヨーロッパのほうが、なんとなく自分に近いという感じがずうっとあった。たぶん、裁判官になるころまではそうでした。音楽にしても、法律の学問にしても、何にしても。ただ、それでも、僕自身の趣味は何かというと、一つは書道、もう一つは古式泳法なんです。
小沢●書道?
江田●高校で書道部のキャプテンをやってました。
小沢●そりや、本物だ。
江田●いやいや、本物じゃない(笑い)。水泳でいえば、それこそ水心一致。書道じゃ型に入って型から出るとか、高校まではそういうことをやってましてね。最近はそっちのほうが自分の体にぴったり合うなという感じがしてきてますね。
北岡●江田さんというのは、なんとなく西洋派のような気がしますね。小沢さんだと「ああ、自分は日本人だな」、あるいは「東北人だな」と、ふだんから思っていらっしゃるだろうという気がします。(笑い)
小沢●ものの考え方というか、処世の哲学がアジアとは共通しているんじゃないですか。イスラム圏もあるけど、まあ基本的には諸行無常というか。
北岡●それを強調するのが、政策的にいいかどうかは別ですけどね。(笑い)
江田●結構、そういうところが原点だったりして。(笑い)
北岡●いま中国の話が出ましたが、竹下さんも、それから田中角栄さんも中国と縁が深かったわけですが、人権問題や、現在のやや軍拡傾向なども含めて、この国の将来をどういうふうにごらんでしょうか。
小沢●中国はある意味でアジアのシンボリックな国です。当たり前だけど、潜在的な力と将来の発展性を秘めた国になるだろうと思いますね。ただ、超長期的にはそう思いますが、当面の、ここ十年や何年かで平和裏に新しい秩序をつくれるかというと、ちょっと心配です。武力紛争にまで至るかどうかは別として、不安定な要因をまだまだ抱えている。人権とのかかわりでも米中関係が、ちょっとぎくしゃくしています。
そうは言っても、中国には市場経済のマインドはあるわけだから、そのレベルアップを手伝って政治的な紛争にならないようにすることが日本の務めではないでしょうか。アメリカとの兼ね合いが難しいと思うけれども、僕はそういう方法でやっていくつもりです。
北岡●中国とつき合う際、人権なり民主主義なりに対して、日本が何か発言すべきかどうかという点については、どうお考えですか。
小沢●言うべきことは言ったらいいです。天安門事件だって、いいことではない。そこは、きちんと言うべきです。もちろん、アメリカにも言うべきはきちんと言うべし、ということだと思います。
北岡●いわゆる戦後処理、戦後責任の問題ですが、宮沢さんは侵略戦争の認識について、「後世歴史家の判断をまつところ」と言っています。
小沢●どうなんですかねえ、宮沢さんの考えは。よく分かりません。
北岡●日本の場合、政府がきちんと戦争責任のことを認識しているのかどうかが問題だと思うんです。認識の問題と謝罪の問題が、どうもごっちゃになっている。認識のところをあいまいにして、おわびだけしているという印象があるんです。
小沢●僕も、認識の問題だと思いますよ。それがあいまいなままに、なんとなく、ただごめんなさいと言って歩けばいいんだみたいにしている。それが、日本に対する不信感を生み、信頼関係をつくりえないでいる。政府も企業も同じです。
北岡●国会で、満州事変以後の日本の行動を侵略戦争と思うかという質問がよく出るんですが、政府の公式見解というのは、たいていが「後世の歴史家の判断をまつ」というものなんですね。私も戦後生まれの後世の歴史家ですけれど、間違いなく侵略戦争だと思います。そう言ってどこがいけないんでしょうか。
江田●どこから見たって、あれは侵略戦争です。それこそ諸行無常観でいえば、それはそういうこともあるだろうということになるかもしれないけれど、それでは済まない。やっぱり悪いことは「悪かった」と認識し、謝罪もきっちりして、一度、決着をつけないといけないと思いますよ。
小沢●自分の国じゃないところに行って勝手なことしたんですから、侵略戦争であったことは間違いないです。そのときの為政者が主観的に、五族協和だの、いろんな理屈を言って、そういうつもりじゃなかったんだといっても、客観的に見れば侵略です。
北岡●東アジアにおけるアメリカのプレゼンスの問題がなかなか難しい局面になっています。東アジアの繁栄とアメリカのプレゼンスとの関係をどう考えるべきでしょうか。
江田●アメリカも経済的に難しくなってきていて、日本になんとかかかわってくれとかいうようなことも出てくるわけだから、私は、国連をどういうふうにこれからつくり変えていくのか、たとえば国連のガリ事務総長提案の問題提起をどういうふうに生かしていくのかといったことを考えていかなきゃいけないと思いますね。アメリカのプレゼンスというものを前提にして、アジアの秩序を考えるというところから、変わっていかなきゃいけないんじゃないかという気がしています。
北岡●これまた、さっきの二段階論なんですが、それは二十一世紀までの十年かそこらはやっぱり必要だということですか。
江田●そうでしょうね。アメリカが突然にいなくなって、あと、何とかなるといえば、何とかなるのかもしらんけど、突然なくなりもしないでしょうし。
北岡●そのへんはどうでしょうね。小沢さんはもう少し慎重派かもしれませんが。
小沢●僕はやっぱり、アメリカのプレゼンスは必要だと思います。ただ、そういうアメリカのプレゼンスによる秩序、安定をいつまでも一人でやっていくのかという思いが最近のアメリカにはある。だから、それを日本やその他の国がどう補佐していくか、あるいは補完的な役割をしていくかです。
国連中心に平和機構を考えていかなくちゃならないと言っても、当面はやっぱりアメリカが中心的な役割を果たさなきゃならない。そういう意味では、アメリカのプレゼンスは当面、必要だと思います。
北岡●中国、それからロシアという二つの国が国連安全保障理事会の常任理事国でいるわけです。そうすると、彼らが関係するような大きな混乱には、国連はあんまり役に立たない。そのせいもあって、東南アジアの国々の政府筋には、アメリカのプレゼンスを日本がサポートしてくれるのが安心だ、という人が多い。
小沢●そう思います。アメリカが完全に世界から手を引いて、孤立主義に陥ったとき、どうなるかということを考えてみれば、それはだれにでも分かることじゃないかと思うんですがね。
北岡●そこで、アメリカの話に移ります。アメリカは東アジアに軍事的プレゼンスを持っていますが、それがはたしてアメリカの利益になっているのかどうか。アメリカが「もういい。われわれは引き揚げる」となったらどうするのか。
小沢●いや、僕は、アメリカにとっても利益はあると思っています。安全保障的な面もそうですが、経済的な面もあると思う。たとえば、アメリカの中国への資本投下は日本より多くなってます。ただ、アメリカがアジアから手を引くという可能性がないわけではない。ですから、日本としては、アメリカが孤立主義に陥ることのないように、それなりのサポートをしていくべきだと思います。費用の面で、あるいは人的な面で日本が支えていって、アメリカのプレゼンスを確保していくという形をつくらなきゃいかんと思います。
北岡●少し具体的な話をしますと、日米安全保障条約にもいろんな見方があって、一方では、これを薄めていくという方向の意見もありうるし、堅持すべきという意見もある。もっと強めるべきだという意見もあるでしょう。ただ、いままで堅持すべきだという立場にあったにしても、国際情勢がこれだけ違ってくると、やっぱり新しく考え直さなくちゃいけない。安保条約の将来というのをどういうふうにお考えでしょうか。
江田●アジアの秩序を今後、どうつくり変えていくのかといったことと関連してくると思います。アメリカは、いっさい他国のことにかかわらないのか、あるいはアメリカが世界の秩序を提供するのか、そのどっちかしかないというわけではないんですね。アメリカは自国のことにかかわりながら、パックス・コンソルティスに向かうこともできる。世界中が自らをそれぞれ国際公共財として提供しながら、世界全体の安全な秩序を構築しなきゃいけないわけでしょう。日本は、そうしたことをアメリカと話し合いながらやっていく。そういう日米二国間のいちばん基本的な条約、枠組みが日米安保条約ですから、私は、ずっとこれからもそういうものとして続いていくだろうと思います。
ただ、安保条約ができた由来はちょっと違う。冷戦時代に、冷戦構造の組み立ての一つとして安保条約ができたわけですね。学生時代の僕は、そんなものは要らないと言って頑張った口ですが、いまは意味合いが全然違う。もうあのときの論争はどっちが正しかったかということは、いまとなれば、どうでもいいんです。安保条約のそれぞれの条文が持っている意味だってずいぶん変わってきた。ですから、日米の基本的な枠組みが安保条約であるという認識を持って、そこから新たな協力関係をつくっていくことが重要なんだと思います。
安保論議は世界が見えてから 江田
北岡●小沢さんもー言だけ、日米安保条約の将来についてお願いします。
小沢●日米関係について、僕は決して悲観的じゃないですが、非常に難しい時期にさしかかっていると思っています。心配していますのは、アメリカで安保廃棄論が、かなり出てきていることです。
日米安保というのは、江田さんもおっしゃったように、安全保障だけの話ではないんです。それなら相互防衛条約でなきゃいけないわけですから。日米の基本的な信頼関係、友好、通商、そういう類をより確かなものにするための条約ととらえるべきです。だから、可能なかぎり堅持していくべきですし、ましてやアメリカのほうから廃棄論を言わせてはいけない。そう思います。
北岡●そういう趣旨につくり変えることも考える必要はないでしょうか。
小沢●まあ、向こうがいまのままでいいと言うなら、それでいいんじゃないですか。このままではおかしいという議論が高まるかもしれない。
北岡●横須賀とか沖縄の基地というのは、アメリカのプレゼンスにとって非常に安上がりで便利な基地なわけです。カバーする領域も軍事技術の発展に伴っていよいよ広がっている。しかし、条文自体は極東の安全となっています。
小沢●安保条項のところまでいくかどうかは別にして、見直し議論をしますと、やっぱり日本ただ乗り論が出てきて、廃棄論を勢いづかせるような結果になりはしないかと懸念しています。だから、いまのままで良いと。
江田●議論をするのは、僕も、世界の秩序がもう少しいろいろ見えてきてから、あるいはつくられてきてからで、いいんじゃないかと思いますね。
北岡●さて、アメリカとの経済問題です。いま、貿易不均衡がどんどん拡大しています。クリントン政権になって、アメリカは世界の警察官、保護者としての寛大さをかなぐり捨てようとしているから、その意味では対等な、しかし、かえってラフな対日外交を展開してくる可能性があると思います。
小沢さんは官房副長官時代からでしょうか、対米交渉のいろんな局面で、タフ・ネゴシエーターとして評価されてきた、あるいは恐れられてきた。そういうご経験を踏まえて、今後の対米関係のポイントを、とくに経済問題に重点を置いて、話していただけますか。
小沢●基本的に、フェアであるということが大事だと思いますね。アメリカが完全にフェアかというと、そこには疑問があります。しかし日本は、彼らよりもっとフェアにしなきゃいけない。
そのためにも規制緩和、市場開放に努力しないといけない。それは内需振興にもつながる。そういう意味で、日本はきちんとやることをやる。そのうえで、「おまえの言うのはおかしいじゃないか」ということでないと、対等というのに何だ、という話になっちゃいます。そこは気をつけるべきだと思います。
北岡●私の専門は日本政治史、外交史なのですが、過去百何十年間、日本の外交の最大のポイントは日米関係だったんですね。日本人のなかで、対米関係をどうでもいいと思っている人はあんまりいないと思います。ただ、かなり難しい相手ですから、こちらが単に善意でいるだけでは関係はうまくいかないわけで、どういう工夫をするかということが非常に大事になってくる。この点で、江田さん、いかがでしょうか。アメリカとの関係を、円滑に、より緊密にしていくポイントは。
江田●フェアネスというのは、たしかに大事なことですね。それと僕は、日本側で考えなきゃならん点は、構造協議だと思うんです。つまりSII。アメリカは日本における野党の役割を果たしているなどと揶揄されたりしているわけですが、日米関係を上手に動かしていくためにも構造改革をしなければいけない点が日本にはあると思います。
そのうえで、アメリカに、もうちょっと競争力をつけてくれ、というようなことは言わなければなりません。
北岡●フェアネスの問題でいうと、シンボリックな意味で、弁護士とか、コメの問題があります。具体的にどれぐらいインバランスの回復に寄与するかは別問題としても、貿易不均衡がこれだけ巨額にのぼると、これをどうするかはかなり問題です。ここ一、二年、何か考えられるんでしょうか。
小沢●ここ一、二年では解消できないでしょうね。ただ、アメリカというのは建前がものをいう国ですから、その意味ではヨーロッパ世界と比べてちょっと特殊な国なんです。建前の国だから、きちんと筋道、理屈を通せば、それを否定して実だけよこせという言い方はしない。ですから、対米貿易黒字を減らす努力はもちろんしなければならないけれども、団子の話をしても、花を抜きにして最初から団子では、絶対に彼らは乗ってこない。市場開放にしろ、ガットにしろ、自由貿易の原理は否定できないんですから、きちんとした原理原則のもとに、はっきりこちらの姿勢を示すべきだと思いますね。
江田●でも、団子がなきゃだめだという人もいるからね。これはきつい。
北岡●いわゆる国際貢献と憲法というテーマでお話を伺いたいと思います。国連のガリ事務総長が来日するというので、新聞各紙がインタビューしていました。日本は国連の従来のPKOを超えた、より広い平和活動に、できるだけ参加してほしいと言っておられるようですが、ちょうど同じタイミングで、通称・小沢調査会の報告が出ました。まず小沢さんに、調査会報告を踏まえてお話しいただこうと思います。
小沢●アメリカの超リーダーシップのもとで冷戦構造が終わり、これからはそれぞれの国が国連をサポートしながらやっていかなければいけない。とりわけ日本は、冷戦構造のおかげでアメリカに次ぐ経済力を持ったわけです。こういう新しい時代にあって、日本は何をどうやっていくべきか。
そこで出てくる問題が憲法とのからみですが、憲法九条でいえば、世界の平和の中心たる機構は国連しかないわけですから、その国連における役割を日本も可能な限り果たしていくということは、なんら憲法に抵触しないし、憲法の理念にむしろ合致するものだ、と私は考えています。
もう一言。調査会についても、僕個人についても、軍事的問題ばかり強調すると言われますが、別にそれを強調しているわけではありません。いままで、その部分については議論してこなかったから、その部分もきちんと議論して、できるかぎりのことをしましょうと言っているだけです。
江田●僕も、日本は新しい世界秩序の構築に向けて、積極的に取り組むべきだと思います。地球上のいろんな悩みも、それぞれの国が肩に背負って努力している。日本も当然、相当重い荷物を背負わなきゃいけないところにきています。その荷物の一つに、軍事的な面があって、これにもまじめに取り組まなきゃいけない。小沢さんの言うとおりだと思います。
ただ、ガリ提案について一つ心配なのは、国連の力で世界の平和が一気にでき上がると思っていると、とんでもない落とし穴にはまりかねない。長い民族の憎しみは血で洗い流さなければ消せないようなこともあるのだろうと思うんですね、残念ですが。そうしたなかでは、国連といえども、ある一つの形だけを押しっけてはいけない。きちんとしたルールのなかでやらないとね。でも、なるべく犠牲は少ないほうがいい。
そうしたことと憲法とがどうつながるかですけれども、私は、そういう新しい二十一世紀の国際秩序というのは、主権国家が覇を競う国際システムから、世界が融和的に機能する秩序に変わっていくんだろうと思っています。主権がグッと小さくなって、とりわけ軍事主権というのは各国とも切り取られていって、これを国際システムのなかに提供していくという、そんな時代だと思う。明治維新のときに各藩が軍隊を持って、江戸幕府を揺るがしたわけですが、明治政府ができたら、各藩の軍隊を全部譲れとなった。嫌だというところは賊軍です。そんなことを世界的規模でやるときがきていると思う。それを真っ先にやっているのが日本です。ですから九条を大切にしながら、そうしたシステムを考えていく。
憲法に自衛権をどう実効あらしめるかは書いてないから、準憲法的な法規として安全保障基本法をつくり、ここに自衛権を明文化して自衛隊を根拠づけると同時に、限界もつけるべきだと思います。しかし、自衛権は国民主権の範囲内のことなのに対し、国際システムというのは主権を超えるものなんですね。ですから、国際システムに提供するには、主権とかかわらない別の組織をつくるほうがいい。そして国際公務員として国際協力、国連への差し出しに徹する。国連軍という言い方になるのかどうか知りませんが、こうしたものに参加するために、主権と切り離したものをつくることは、憲法を変えなくてもやっていける。
北岡●それにしても、お二人のご意見は近いんですね……。少なくともそれは、今の政府の解釈とはずいぶん違うでしょう。
小沢●違います。
江田●僕と小沢さんの違いは、別組織でやったらどうかということですかね。
小沢●政府の解釈は、それもだめなの。僕は、憲法を修正すれば一番いいと思うけど、これはちょっと時間がかかるし、当面は無理ですから、安全保障基本法で国際社会の任務を書くということには賛成です。まあ、いまの立場であんまり言うといけないけれども、国連に平和活動専門の部隊をきちんとつくって、日本もそれに国連警察軍なら警察軍として、自衛隊とは別組織で提供するという江田さんの意見には僕は大賛成です。いずれにしろ、結論は同じ。
江田●あえて違いを言っておくと、小沢調査会の結論では、自衛隊を国連軍に提供することも憲法上可能であるといっている。
小沢●いや、自衛隊の一部か全部かは別にして、これを国連に差し出すこと自体は、憲法に決して反してないですよ。ただ、自衛隊というのをそのまま出すと国内外でアレルギーがある。したがって日本は、国連の平和活動以外に軍事的な要素を持った活動を海外でいたしませんということを内外に鮮明にするために、別組織でやったほうがよりいいだろうという意見で、私はそれも調査会で言っています。
江田●主権的性格のないものをつくって、やるべきです。
小沢●それも賛成。その意味では、自衛隊そのものを国連に差し出したって、論理的に矛盾しない。まあ、しかし、別動隊をきちんとつくったほうがより分かりやすいし、鮮明ですね。
江田●差し出すというより、自衛権なんていうのも、国際社会から各主権国家が預かるのだ、というような議論もありますね。
小沢●ほんとならば、全部拠出しちゃえという議論も成り立つ。
江田●ま、先の話です。
北岡●だいぶ先でしょう(笑い)。国連で、もう一つお聞きしたいんですが、常任理事国になるかどうかという議論。それは望ましいのかどうか。
江田●私は反対です。国連をつくり変えるのが先決です。いろんな国々の意見もちゃんと反映できるような民主主義のシステムができたときには、おのずと日本は世界の国々に望まれて、そういう重要な立場を担当することになっていくのじゃないでしょうか。
小沢●いずれにしろ、安全保障について政府ならびに国民がきちんと認識しなきゃ、常任理事国になる資格なんか全然ないです。
北岡●お二人とも、今後の日本のリーダーになっていかれる方ですけれども、過去の日本のリーダーを眺めてみて、理想とされる、あるいは反面教師とされるリーダー像、いってみればお二人の歴史認識をお聞きできればおもしろいと思うんですが、小沢さん、いかがですか。
小沢●日本の歴史のなかに、日本的でないリーダーが二人いたと思うんですよ、僕は。信長と大久保利通。ともに時代の変革をなし遂げた。これからの時代は、いわゆる日本的手法でないものもリーダーの要素として加わってこないといけないと思っているんです。家康的な手法だけではだめだと。
江田●こういう大転換期というのは、教科書もないし、地図もない。そこを、ある意味の独断と偏見で、未来を感じ取って行動していかなきゃならん時代になったと思いますが、そんな時代がこれまでの日本にあったかというと、やっぱり明治維新ですね。そうなれば、坂本龍馬だろうと思います。
それと、既存の体制の責任者でありながら、あえて時代をグッと回した勝海舟でしょうかね。その後、いろんな人が出ましたけど、それはルールの決まったなかで決断をしてきた人たちですからね。変な方向へ行きつつあるのに、それに気づきながら何にもしなかったリーダーが開戦時にいろいろいましたけれども、ああいうふうにはなりたくない。
北岡●そういうリーダーをいかにつくり出すか、それが、政治システムが有効かどうかというポイントだと思います。そういうことを踏まえて、お二人は改革派の元祖というか、本家なんでしょうが、その後、やたら改革派と自称するところが増えましたが。
江田●守るも攻めるも改革派。
小沢●全員、改革派になっちゃった。
北岡●お二人の立場から見て、改革派であるかないかをはかるポイントがあったら、お聞かせください。
小沢●最終的には、既存の政党や、政治家の枠組みを乗り越えてもいいと思うかどうか。その行動ができるかどうかがポイントだと思いますね。いますぐという意味じゃないですが(笑い)。いままでの枠組みを前提にしたんでは、思い切った改革はできないんじゃないか。
江田●まったく同感。具体的には、自・社対立の図式自体を変えるんだと意識できるかどうか、ということ。別に怖がる必要はないんで、一生懸命やっていれば必ず新しいものができてくる。ある種の楽観というのが必要なんじゃないですか。
選挙制度は改革のための手段 小沢
北岡●さきほどのお話にも出たように、幕末には、薩摩を率いていた大久保や西郷は結局、薩摩藩を捨てたわけですね。しかし、昭和十年代には、陸軍も海軍も、結局、日本が滅びても陸軍、海軍だけは守るんだという姿勢でした。そこは最後の踏み絵なんでしょうが、その大前提には、世界のなかで日本をどう持っていくかというビジョンを提示することが必要でしょう。その観点から言うと、いまの改革論というのは、選挙区をどうするかとか、方法のところにウエートがあるような気がします。日本をどこに持っていくかというビジョンと、そのために自分が帰属しているところは壊してもいいという、そこのところが大事なんでしょうね。
小沢●政治改革、政治改革と、みんなが言って一緒くたになってるから何が何だか分からないんですが、選挙制度にしても、政治の改革を行うための具体的な手段の一つにしかすぎないんです。そこが混同されちゃうと、枝葉末節の議論になっちゃう。
江田●選挙制度でも、小選挙区制度というのは初めから悪い、あるいは、比例代表制度というのは初めからいい、ということじゃないんですよね。私は併用制がいいと思うけど。
小沢●小選挙区併用制のこと?
江田●ええ。それだって、ずうっとやっていったら、これまたいろいろ悪いことになるかもしれないんでね。
小沢●そうなんだ。人間の考えた知恵だから、いい面もあれば、悪い面も、いろいろある。ただ、いま中選挙区制が、いままでの体制とリンクして動かなくなっているから、小選挙区制というものをつくって、いままでの体制、枠組みを変えるための起爆剤にしたいというだけの話。
江田●小選挙区制を言うのが改革派だとか何だとかじゃなくて、それはあくまで手段なんですよね。
北岡●突如、浮上してきた首相公選論についてはどういうふうに考えますか。
小沢●これは全然違うレベルの話じゃないでしょうか。議会制民主主義から大統領制的なものにするわけで、具体的には憲法の大改正が必要です。それに、何も議会制民主主義というシステムが悪いから政治が悪くなったわけじゃないんですね。ためにする議論としか思えない。
北岡●私のように戦前の政治史をやってきた人間には、いまの議院内閣制の総理大臣の力は十分強力で、それで大統領的なことができないことはないと思います。
小沢●ものすごく強い権力です。
江田●問題の基本は、やっぱり政権交代がないことであって、それをやれなかった野党の責任は重いと思います。はっきり言いますけど。
小沢●ものすごく重い。
北岡●そこにいきましょう。本来、政治と行政の間には役割分担があるはずなんですね。それを全部行政におんぶしているがゆえに、政治に決断ができない。それを断ち切る方法の一つは、たぶん政権交代しかない。国会を政治家だけのものにする、という のも一つの案だと思う。
小沢●僕も、本当に議会政治を機能させようとするなら、国会を政治家同士で議論する場にしなけれはいけないと思う。
江田●僕も、そうしなきゃいけないと思います。選挙制度のことも自民党が議員立法で出したら、野党も議員立法で出す。そして委員会で徹底的な議論を議員同士でやる。
小沢●その通りですけれども、現実問題として議員立法するにしたって、官僚の力が強いから、みんな役所の応援を得なきゃできない。だから僕は、与党になったら、行政そのものを政治家がちゃんと掌握して、具体的には、政府委員の制度を廃止したほうがいいと思う。イギリスみたいに野党の質問にも、与党の政治家が答える。国会の場で野党が何かというと役人を呼んで聞くというのじゃ、情けない話でね。
北岡●私も実は、政権交代の起こらなかった最大の責任は野党にあって、野党が政権党を脅かすことがなかったからだと思っています。その最たるポイントは、日本の繁栄の基礎にあった日米安保体制とか、アメリカとの提携関係を、野党が真正面からは認めてこなかったこと。社会党が選挙に臨むとき、少なくとも四年間、次の総選挙までは、日本の対米政策は基本的に変えない、そしてとにかく政権交代を実現しようと迫ったら、かなり迫力あるんじゃないかと思うんですけどね。
江田●政権は手放してほしいけど、でも受け取り手がないのに手放せ、と言っても無理なんですね(笑い)。政権なんて奪い取るものなのに、野党には奪い取る迫力もないし意思もない、発想もない。いままでの野党は、おっしゃるとおり、冷戦構造の投影だったわけです。日本は西側の選択をしているわけで、その選択を東側の選択に変えようといったって、そんなことになるわけがなかった。
八九年ごろ、私は社会党に、野党もこのさい、日本は西側の一員であり続けるんだと言おうじゃないかと、進言したんです。私たち野党が政権をとったら、サミットにも当然出るんだということを言おうじゃないかと。でも結局、そこまで踏み切れなかった。そのうちに西側、東側なんていうのもなくなってしまった。
野党再編成は選挙前にやる 江田
北岡●政治の求心力をつくるなり、大きな体制変革が起こるというのは、結局、選挙だろうと思います。選挙というのは間接的ではありますが、総理大臣を選ぶものなんですね。地元に行って、道路をつくる、橋をつくるというんじゃなくて、国民に対して、自分はだれを総理大臣にしたいんだと訴えかけるべきものだろうと思う。その意味でも野党は迫力に欠ける。
江田●そう。少なくとも二百五十七人の候補者は立てないことには、政権の選択肢にはならないんですよ。残念ながら、野党第一党でも立候補者は百七十人ぐらいで精いっぱいですから、自分たちに政権を任せろといったって、初めから勝負にならない。そこで方法は二つあって、一つは、野党が腕を組んで二百五十七人以上の候補者を立ててやるのか、それからもう一つは、いまある野党をつくり直して新しい政党になってしまうのか。あるいは、その中間もあるかもしれない。
自民党内改革派の小沢さんのところがどうされるか知りませんが、野党のほうの再編成は、今度の選挙前にやらなきゃいかんと思っています。
小沢●再編成はいいんですが、既存の政党の数合わせでは意味ない。北岡先生がおっしゃるように、議会政治というものが機能するためには、いまのままではだめなんですね。明治維新の指導者が生きていたときは、結果のよしあしは別にして、それなりに政治が決断してきた。しかし、それ以降の政治システムは、彼らがつくった官僚制度そのものがお上になってしまった。いまもそうです。
それを変えるには、ほんとうに容易ならざる決意でやらないとできない。私どもは当面、それを実行する最初のとっかかりとして、選挙制度以下の改革の行方を真剣に見守っていく。これが成就できれば、必然的に再編の方向にいくと思います。通らなかったら、そのときはそのときです。
北岡●通らなかったら、とは〜
小沢●通らないというよりも、改革諸法案を通す努力をしないということであれば、われわれとしては、同志で今後の行動について語り合わなきゃならんと考えています。それ以上のことは、いま、私一人の判断ではしゃべれない。ただ、通らないときは同志と今後の活動について深刻に議論しなきゃならない、と僕は考えているということです。
北岡●予測としては、選挙はいつごろですか。
小沢●通常国会のテーマがありますので、これを横へ置くとすれば、十月以降だと思います。九月が総裁選ですから。
北岡●これを横に置いてとおっしゃる意味がよくわかりませんが。
小沢●要するに、改革諸法案を政府・与党、内閣がどう扱うかの結果次第で、われわれも考えなきゃならないということです。ですから、その間題をひとまず脇に置いて、ということであれば、たぷん宮沢首相は、総選挙を九月の再選後にとお考えになっておられるんじゃないですか。
北岡●戦後、いわゆる五五年体制ができるまでは、同じ政党から、自分は総理大臣をAにしたい、Bにしたいといって選挙をやったことが結構ありました。やっぱり総選挙というのは、国民にとって分かりやすくておもしろいものじゃなくてはいけない。それは国民に対する義務じゃないかと思うんです。ぜひ、そういうおもしろい年にしていただきたい。
小沢●選択の余地がないというのが、いちばん面白くないですよね。
江田●初めから決まっているなんて、これはどうしようもない。
北岡●最後に、やっぱり佐川の話を聞いておかなくちゃいけません。佐川問題は結局、どういうふうに決着がつきますか。
小沢●国会の役割は、いろいろな細かい事実を探り出して、探偵ごっこすることではありません。法に触れるものには、十手、捕り縄を持った司法があるんですから、それでやればいい。国会は、政治家として、あるいは政治家の国民に対する責任としてどうあるべきかという問題が一点と、いまの構造的なものに根ざす要因が多々あるとしたら、その構造をどう変えればいいのかということに論議が及ばなきゃいけない。いま大枠での事実関係はわかっているんですから、それ以上、国会でどうこうするという類はほんとうは邪道だと思います。
僕自身のことをどうこう言っているんじゃないですよ。私はどこにでも出ていきますけれども、そういう意味じゃなくて、本来の国会の機能、あり方としては、そうあるべきだと思います。
江田●この雑誌が出るころには、それこそ小沢さんの喚問問題は終わっているんだろうと思いますが、政治がほんとにけじめを失って、おかしな利権の構造ができ上がっている。それはいったいどういう状況なのか。その一つのケース・スタディーとして佐川事件があるんだろうと思いますが、そのケース・スタディーがまだ十分、スタディーされていない。事実関係の解明など、やらなきゃいけないところは、まだまだあると思います。
おっしゃるとおり、別に犯罪捜査じゃないわけですが、逆に言えば、犯罪捜査で検察庁が結論を出したとしても、国会もおしまい、とはならない。政治としてのけじめをつけなきゃならない。
政治家の責任でいちばん大きいのは未来に対する責任です。過去に起きたことについて、どう責任をとるかも、未来のためなのです。これからの政治家というのは、過去についての責任をはっきりとって未来の政治に携わっていくんだな、という国民の信頼をつくらなければならない。これは、竹下さんのことを言っているわけですけどね。やっぱり、ちゃんと身を処してほしいと思いますね。
北岡●その関連でいうと、改革諸法案というのは、やっぱり一括で通らないといけないわけですか。倫理の問題とか、選挙制度、資金等々とありますけど。
小沢●現実問題としては、いちばんインパクトがあるのは選挙制度です。ですから、一括にする必要はありません。僕に言わせれば、選挙制度さえ通ればいい。あとは政治資金の問題とか何とかという問題は、まったくいまと違った方法にしていいと思っています。
北岡●言いかえれば、選挙制度を外した改革では真剣な改革とは認めない。
小沢●それは、意味ないです。
江田●おっしゃることはよく分かりますが、もうひとつ腐敗防止法というのが要るだろうと思いますよ。
小沢●腐敗防止法が必要ないと言っているんじゃないんです。ただそれは、少なくとも国内レベルの話だと言っている。いまの戦後体制の政治のもたらす仕組みは、このままだと、国自体も国民も、ものすごいデメリットを受けてしまう。これを変えるところに最大の力点を置くべきだという意味で、僕は言っています。
編集部●お二人が手を組まないとしたら、それはなぜですか。
小沢●こまかな手法は別にして、僕も国の安全保障、国際社会における問題などについて、江田さんと基本的認識は一致していると思いました。その意味で、お互いに行動をともにする障害はないと思いますが、まあ、それ以上、言うと……。(笑い)
江田●小沢さんのことでちょっと何か言うと、「おっ、小沢一郎と手を組むのか」とたちまち怒られるんですが、やはり怒られるには怒られる理由があるんですね。それはやっぱり、小沢さんのこれまでの政治手法と見られてきたものが、権力的であったり、恫喝的であったり、それから佐川とのかかわりについては、まだこれから解明されるべきところがあったりで、そういうものにけじめが必要だということだと、僕は理解しています。
いずれにしても、自民党の一派閥と野党の一グループが手を組むなんてことはありえないわけでね。
小沢●ただ、国際社会のなかで国がこれからいちばん必要とされるもの、とくに安全保障の点で基本的に意見が一致できたということは、これ以上大きなテーマはないわけですから、そういう意味での合意は、今後ありうる。
江田●でも、政権を担おうという複数の勢力が、国の持っていき方、世界をどう見るかなどということはあんまり違っていても困るんですね。だから、そのうえで、日本の生活システムをどうつくるのかなどということを争いながら、ある程度のニュアンスの違いで政権交代を担っていけばいいと思う。そこらになると、あるいは小沢さんと僕とはずいぶん違っていて、もしかすると政権を担う二つの柱になれるのかもしれない。
小沢●そうなれば、もっといいですね。私はいま政府の役人じゃないから何でも言うけども、いまは自民党内でさえ、安全保障の問題で根本的に対立があるわけです。政府見解なんて、僕の認識と全然違う。そういう意味では、時代認識というか、歴史認識くらいは一緒の政党が二つあり、それが相拮抗して、ということになるのがいちばんいいです。いまは全然違うから。
江田●それはそう。その点はやっぱり同じなんだなあ。
●水面下での接触?に興味 北岡伸一
まず第一に、歴史のなかの日本、世界のなかの日本を考える場合、中長期的にはどういう課題があるのかを議論したわけですが、お二人の認識が非常に似ているという印象を受けました。これは冷戦が終わった結果だと思うのですが、外交・安全保障の問題で一致したのは重要だと思います。
憲法・国際貢献の問題でも似ていたのは印象的でした。社民連はPKO法案のとき牛歩に加わったわけですが、その江田さんが積極的なのを興味深く聞きました。小沢さんも自衛隊とは別組織でという案に乗り気で、水面下の接触でもあるのかなあ、という気がしました。
アジア人らしさということについていうと、お二人とも、アジア・日本人という意識が根本にあって、自覚もされている。とくに小沢さんはこれまで対米交渉の先端で活躍されてこられたわけですが、「団子より花」と理念の面を強調されていたのは興味深かったですね。ただ、もう少し時間があれば、お二人の歴史認識をさらに突っ込んで聞けたのにと多少残念です。
冷戦期はマルクス主義をめぐる対立が軸であり、社会党はマルクス主義を、自民党は反共主義を言っていればよかったわけですが、いまや冷戦の枠組みだけではダメで、もっと現実を見つめなければならない、という認識ではぴったり一致している。お二人とも、やはり若い世代だなあと思いました。 (談)
第二部 政治改革をどう進める 司会 東大教授 佐々木毅
佐々木●「政治改革」という言葉が定着してからしばらくたつものですから、あれも政治改革、これも政治改革ということにもなっているんですけれども、究極的に何を政治改革としてお考えなのか。エッセンスみたいなものを最初に少しお話しいただこうかと思います。まず小沢さんから。
小沢●政治改革というと、すぐ選挙制度とか政治資金規正法とかの問題に矮小化されちゃうので、僕は「政治の改革」と言っています。要するに、経済優先、国内配分のみに気を遣った戦後政治から、冷戦構造が終局した、この歴史的転換期にふさわしい、そして国際化時代にふさわしい政治への転換ということを考えています。とくに自民党員としての立場からいうと、俗にいう誤った吉田ドクトリンからの脱却です。
戦後の日本は、いわゆる国際政治に二度と関心を持たぬよう、動かぬようにという占領政策のもと、戦災からの復興を急がなくてはならないという事情があった。いわば、こうした二つの命題のなかで追求されたのが、経済優先の政治でしたが、それがいま、世界史の大転換のなかで問い直され、かつ次の時代を生き延びていくための処方箋を求められているわけです。
であるのに、いまの日本には民主主義が機能していない。与野党コンセンサスの中で、国内政治のみに没頭し、お互い、いい湯加減のなかで気持ちよく浸かっている。そこには論議もなければ、政策の対立もない。マスコミも含めて、何もかもが戦後体制のなかで、どっぷり安住している。ただ、配分の妥協があるのみです。
具体的手段として、これをどう壊すかですが、それには政党や議員の基盤となっている土俵をいじるしかない。経済界も、官僚の世界も、みんな変えなきゃならないけれども、まず政治を変える。そのための手段として、まず拠って立つ足元を変えようというわけです。
僕は、まず小選挙区制ありき、でも何でもないんです。制度は人間の考えることですから、どんな制度にも一長一短がある。ですから、このマンネリを、なあなあ、まあまあの体制を変えるものなら何でもいい。
残された時間はあまりないんです。長引けば長引くほど、日本人全体の受lナるデメリットは大きくなる。急進的だと言われますけれども、どうせやらなければならないんですから、ならば早く済ませちゃったほうがいいという説です。
佐々木●いまのお話を踏まえて、江田さんのご見解を。
江田●われわれは、政治がどう動くかによって、朝から晩まで、生まれてから死ぬまで、生まれる前から死んだ後まで、影響されるわけですね。だからこそ、政治の責任というのが非常に重い。
そんなふうに考えるといまの政治が、きっちり責任を負っているとはとても言えない。およそ「政治家のための政治」みたいなことになっている。まず、そうしたことから根本的に変える必要があると思います。
議会政治の基本は、やっぱり政権交代なんですね。独裁制というのは過ちを予定していないから、過ちを修正する装置がない。だから、誤ったときには、とんでもないことになる。一方、民主政治というのは、まあ人間のやることだから過ちもあるさというわけで、過ちを正す修正装置が初めから用意されている。その修正装置とは何かといえば、政権交代です。その引き金は国民が引く。しかし、その政権交代が日本ではうまく起きない。
政権交代が起きない結果として、いま日本の政治は金権腐敗のひどい状態になっている。それは一党支配だからだと言われるけれども、じゃあ、自民党だけが悪いかと言えば、万年与党としての自民党と、万年野党としての社会党その他がセットとしてずっと機能したことに問題がある、と僕は考えます。むしろ、こんな自民党から政権を奪取できなかった野党の責任のほうが重大なんじゃないか。
そこで、未来に対する政治家の責任としても、そういう修正装置、つまり腐敗とか堕落が見られたときに、すぐ交代できる政権の受け皿を何としてもいまのうちにつくっておかないといけないと思います。
日本も戦後のスタートのときと違って、もっぱら経済的にかもしれませんが、大きなプレゼンスを世界で持つようになった。とりわけ冷戦終了後の新しい世界をつくりあげていくうえで、日本が世界に対して負っている責任は重大で、そうした責任もきっちり果たしていける、そんな政治にしていきたい。そんなことが、「どう変えるか」という基本的なコンセプトかな。
佐々木●改革の妨げになっている要因は何だと思いますか。
江田●先の参議院選挙の投票率が五割という、これはやっぱり重大事だと思います。ありきたりの言い方ですけれども、まったくの政治不信ですよね。政治家なんて結局、そのときそのとき、自分のことだけ考えてうまくやっているだけじゃないのか、というような気分が国民の中に蔓延している結果じゃないかという気がする。
ロッキード、リクルート、共和、佐川と、事件がひっきりなしに続くなかで、竹下政権誕生に暴力団が関与していたのではないかということまで出てきた。
こういうことをウヤムヤに終わらせるのは非常にまずい。未来に対する責任ということを考えたら、過去にどういうケジメをつけるかというのがまさに重要だと思うんです。その点は、小沢さんにもずいぶん責任があるのではないかと思っているということを言っておきたい。
もちろん、野党にも重大責任がある。PKO法案審議のときの牛歩、議員総辞職。時の勢いということもあったけれども、議員総辞職なんて議会人としてとるべき行動ではなかった、といまは反省しています。その後の参議院選挙で、僕たちは負けましたので、国民の審判はいただいたかなと思っているんですけれども、しかしやっぱり、そうしたことに一度、きっちりケジメをつけて野党もスタートし直さなきゃいけないと思います。
私も、議会に入って、十五年たちました。このまま十年ぐらい議員をやって、二十五年表彰を受けるかもしれない。小沢さんも二世ですが、私の父が、二十五年表彰を受けたときに、「議員二十五年、政権も取れず恥ずかしや」という色紙を書いた。「親子そろって恥ずかしや」じゃたまらない(笑い)。そんな思いもあって、いまの状況に打って出ようと、仲間と相談して「シリウス」をつくったんですけれども、僕らがほんとに改革派になれるのかどうか。そこが問われているんですね。
佐々木●小沢さん、いまのお話に対して反論とかご意見がございますか。
小沢●反論はないです。基本的には、まだ国会議員の誰も危機意識なんてないし、太平の余韻を引きずっていますからね。人間、誰でも楽していい思いをしたいわけです。できれば、変革はしないで、ちょっとほころびを縫って、雨漏りを防いで、強壮剤を飲むくらいで、これからも平和と豊かさが続いてくれるのがいちばんいい。
むしろ一般の国民のほうに、いまのままで、本当にのん気に、豊かにやっていけるだろうかという漠然とした不安が生まれてきている。僕は、国民の側がそうであるなら、まだ全体として足腰が立つうちに、単なる雨漏りや、ほころびを縫うという話じゃなくて、土台から、柱から、やれるところはすべてオーバーホールして直す、いいチャンスだと思うんです。
いま、江田さんから政治上のいろいろな スキャンダルが出ました。現象面でいえば、政治にいちばんスポットが当たるのはスキャンダルがあったときで、実際にいろいろ問題があり、これは直さなきゃならない。しかし、それも日本社会全体の構造的な問題です。なにも政界だけに限ったことじゃない。国民だって同じなんです。国民とまさに同じレベルの人間が国会に出てきて、国民がやっていることと同じことをやっているんですから。こんなことをズケズケ言うから嫌われるんですけど、しかしやはり、国民の代表として出てくる者は、国の将来、国民の行く末を多少なりとも考える責任があるというのが僕の意見です。いまの時代は、政治家がそういう時代認識とか歴史認識を持って、先頭に立って行動しなければならないと思います。政党もね。
投票率の話は大変困った問題ですが、逆説的に言うと、政治にみんなが無関心でいられるというのは、まあまあの状況が行われているとも言えなくはない。明日のめしに困っていたら、そんな無関心でいられないですから。ただ、いまみたいな政治がこれからもずっと続くなら、それでいいんですが、このままだと、なんぼ長くても十年先に経済も何もかもイカレちゃうという時代に差しかかっているんです。それなのに、政治家にもその意識がない。だからこそ、現状を国民にはっきり告げて、このぬるま湯の仕組みを変えていこうじゃないか、と言っているわけです。今回を逃すと、ほんとのどん詰まりになるまでダメじゃないかという感じを、僕は持っています。
政治改革の前提は意識改革 小沢
佐々木●考えてみると、この何十年間は夢を見てきたということになりますね。夢うつつにやってきて、気がつくと、今度は成功の報復みたいなものが牙をムキ出しにして襲いかかり、ズドーンと落ちるんじゃないかといった感覚は、ある年代より上の人にはそれなりにあるかもしれない。しかし若い人には、それしか知らぬということもある。そういう感覚が、政治を見る際の目というものにも大きな影響を与えていると思うんですけれども、そのへん、江田さんはどうお考えですか。
江田●アドバンテージとディスアドバンテージというのは、考えてみると事の表裏なんですね。戦後、日本は廃虚のなかから国づくりを始めた。しかし、あの廃虚が悪かったかというと、実はそれがあったから、新日本のために頑張ろうという気持ちを持てた。そして今度は豊かな社会になって、フリーターでも何でも食っていける、ほんとにいい時代がきてみると、この時代というか、社会で、自分のポジションとか使命とかをまるっきり考えずに済むため、それが逆に、ドーンと落下するもとになっていたという面が十分あると思います。
ナイアガラ瀑布の音が聞こえると言われてだいぶたちますよね。もうとうにある地点を過ぎていて、いよいよ滝壷に落ちるというあたりまで来ているような気がしてならないんです。そこは、やっぱり政治家が歴史認識としてちゃんと持っておかなきゃならぬことだろうと思いますよ。
佐々木●国民の間のお任せ意識、どこかがうまくやってくれるだろうという意識がなかなか抜けない。そうとう意識の高い、政治改革に熱心な人にもそういうところがあるように思うのですけれども、そのへんはどうですか。
小沢●おっしゃるとおりです。「政治の改革」の最前提は、日本における本当の民主主義の確立、自我の確立、自己の確立です。自由主義、民主主義というのは、自己責任の社会のことなんです。それが育っていない。民主主義がないと言っているんじゃないです。何千年来と続いてきた、日本的コンセンサスの求め方という民主主義的手法はあるんです。それはそうなんですけれど、世界全体で受け入れられている民主主義の最低限のルールや行動様式という点から考えた場合、意識改革はまだなされていない。
議会政治が、あるいは民主主義が自分たちのもの、国民のものだという意識ができていない。困れば、お上がやってくれるだろうという意識。だから、大臣までが「これは非常に大事なことですから、政府委員に答えさせます」と答弁したりしている。民主主義もへったくれもないんです。
そういう意味で、僕は、僕を理解してくれ、賛成してくれと言っているんじゃない。反対でもいいんです。反対なら、反対の理由を言ってほしい。全員の意見が合えば満場一致、意見が合わなきゃ多数決でいくべきなんであって、そういう意味の民主主義社会をつくりたい。
万年与野党がいけない 江田
江田●たしかにそうなんですね。僕の言い方ですと、「自立した市民」という言い方になりますが、同じことだと思う。基本はやっぱり一人ひとりの国民の自立です。
大学を卒業するときに、友達といろいろ話していて、「おまえ、政治やるのかやらないのか」と問い詰める友人がいたもんですから、「いやまあ、問題はどれだけそういう自立した市民が日本にできてくるかの問題で、そのために政治が役に立つならオレもやるけれども、ちょっといまの日本の政治に役立つような気もしないから、気が進まんな」というように言ったことがあります。それで司法のほうへしばらく行っていたんですが、まあ、いろいろ事情もあって政治の世界に入ってきた以上は、小沢さんもおっしゃったように、政治家として、自立した市民がこの国の社会をつくっていくという方向で努力しなきゃいけないと思いますね。
アメリカなんかを見ていても、政治家使い捨て時代が来てますよね。ブッシュ氏がいかに湾岸で役割を果たしても、それはそれ。そのことが終わった以上、あとは次の人をと、まことにドライ。役に立たなければ捨てられる、というのが政治家の世界なんだと思いますよ。
そうした政治家による方向づけを受けて、国民からあずかった税金を上手に使って世の中を動かしていくのが行政なんで、これはきっちり峻別されていなきゃいけない。そこがいま、なんだか政治の行政化というか、行政の政治化というか、渾然一体になっている。でも原因はやっぱり一党支配にあるんだと思います。一党支配はなにも自民党が悪いという意味で言っているんじゃなくて、万年与党・万年野党のこのセットがいけない。
そういう意識で、いまの日本をもう一度見直してみると、「制度の立て直し」というのが、やはり重要なテーマとして出てくる。でも、たとえばゴミの問題はどうするんですかとか、あるいは生活道路とか、バスの路線はどうするんですかという問題も一方であるんです。それはやっぱり地方自治体がいちばんいいですよというので、地方分権というのがとらえ直される。と考えると、「分権」というのも実はおかしいんで、本当は「地方主権」でなきゃいけないんじゃないか。主権者は一人ひとりの有権者で、生活者の政府は地方です。さらにもっと広範囲のテーマについては、国に権限を委託していく。さらにもっと、地球をどうするなんていうことになったら、これは国際機関に委託していかなきゃ解決つかない。
いろいろなレベルがあるけれども、およそ三層ぐらいに国民の自己決定権を委託する先を分けて考えて、それをどう組み立てていくかを考えれば、国会議員も国民もずっと自由になるし、多様化していくし、いろいろなことを考えることができるようになるだろうと思います。
佐々木●いまの行革の問題も、小沢さんはいろいろお考えかと思います。江田さんのお話、いかがでしたか。
小沢●いまの状況は、たしかに行政が主で、政党・政治家みな含めて、立法府は従なんですね。敗戦で、憲法に「地方自治」という項目が立ったけれども、地方自治なんて全然ないわけです。補助金から権限から、何から何まで、がんじがらめにされていた。それは、ある意味で、先人の知恵だった。それでもって、日本は成功したという面もある。しかし、これからもそうした中央集権的統治機構、つまり行政の判断だけでやっていけるのか。僕は、いけないと思うんですね。政治が行政を取り込んで、一体となって政治を行っていくという形にしないとだめだと思う。
イギリスでは、国会議員が百人以上、政府に入ってます。政府委員というのは国会議員ですよね、だから与野党が真正面から議論している。これが当たり前の姿だと思う。ですから僕は、自民党改革の具体案として、日本も百人でも二百人でも、若い人を各省庁にへばりつけて、一緒に勉強させて、国会答弁も全部、政治家がやるというように持っていくことが、本当の意味の「政治の改革」になると言ってきた。
地方制度も変えなきゃならないし、中央省庁の制度も変えなきゃいけないですよ。しかしそれには、政治によっぽどリーダーシップがないと、この強大な官僚組織は言うべくして変えられない。役人にそっぽ向かれたら、何もできないんですから。
江田●一党支配のもとで行政というものが肥大し、そこに政治が張りついて、行政サービスの分捕り合戦を与党内でやっていて、野党はそのおこばれをちょっといただくみたいな構造を変えるには、政権交代しかないと思いますね、ほんとに。
実は、小沢さんの幹事長時代に、擬似政権交代というか、半分の政権交代というか、参議院で与野党逆転が起きたんですね。これをどう生かすかということが大問題でした。野党がノーと言えば政治は動かないわけだから。われわれはあのとき、責任を負った野党として、いわば拒否権を持つ野党として、政治に実際に参加をするという状況をつくらなきゃいけなかった。
そしてまさに、小沢さんが幹事長としてやられたことは、さあ、野党はどうするんですかという問い詰めだった。あのときの小沢幹事長の采配というのはさすがに見事でした。僕は、あれ以来、小沢さんが独立変数として政治を回していく渦だというふうに高く評価をしていて、これに負けないもう一つの独立変数をつくらないといけないと考えるようになった。
僕は、自民党の一党支配をくつがえすためにも、体にしみついた万年野党意識を変えていくのがキーだと思っています。
小沢●あのね、一党支配なんかしてないですよ。僕はそのことが問題だと言っている。自民党であれ何であれ、政党が政治を支配してないんですよ、全然。あえて言うなら、行政に対して、全党従属。
佐々木●なるほど。
小沢●与野党ひっくるめて、ダンゴになって行政におんぶしている。
江田●全党従属ですか。言い得て妙ですねえ。(笑い)
佐々木●「自立した市民」と「自立した政党」の間をつなぐものとして、制度面での改革についても一応、お話をいただいておいたほうがよろしいかと思います。
江田●まず腐敗政治からの脱却を考えなきゃいけない。その意味でも、佐川事件とか皇民党事件の真相究明は大事です。
次に、僕は、いろいろな制度改革をやり得ベースで改革しても改革の趣旨が生きないので、やり損ベースで変えるのがいいと思うんですね。政治家なんだから、そんなみみっちいことを法で規制しないほうがいいというのも一つの考え方だけれども、現実はそうじゃないんでね。具体的には、たとえば政治腐敗防止法。いまの制度だと、選挙での当落をぎりぎりのところで争っているとき、ここでもう百万円使ったら当選するとなったら、やっぱり使うんですね。しかし、そんなことをすれば当選は無効だ、バッジをはずせと言われる。しかし、任期切れまで持ち込むと、逃げることができるのです。だからやり得。そこで任期が切れた後も、そのとき有している資格を剥奪し、立候補制限も実現する。こうすると、簡単に違反できない。そういうやり損ベースをつくるという意味で、政治腐敗防止法をつくる。
政治資金の関係でも政治資金団体を一つにさせるとか、全部銀行の口座で出入りさせるようにするとか、一万円以上は公表させるとか、ほかにもいろいろある。
そして最後はやっぱり選挙制度の問題。選挙制度というのは、どういう制度にも長所、短所いろいろあるので、何が一番というようなものはないわけですが、いまの中選挙区制度は、その弊害が日本の政治の欠陥にあまりにも結びついています。
自民党は政権政党として、複数定数のなかで過半数の候補を立てなきゃいけない。政策で争うわけにいかないから、いきおい、別のサービス合戦で争う。地縁、血縁、金権、利権の争い。そのサービス合戦のなかで派閥もできる。
一方、野党のほうは、そういう地縁、血縁などの争いが不得意ですから、いきおい、小さな政策テーマで、必要もないのに争って、別の党になって、バラバラになって、結局は蹴散らされている。そういう現状からいっても、この中選挙区制度はもう変えなきゃいけない時期に来ていると思います。どう変えるかについての議論は別にして、僕は、選挙制度を変えること自体で政治に動きが起きると思うし、その動きさえあれば、政治の流れを変えるための帆も張れるし、舵も取れると思っています。とにかく変えることです。
仕組みとしては小選挙区と比例代表の両方あるわけですが、それぞれに欠陥が指摘されているわけですから、やっぱりこれを上手に組み合わせた制度がいいと思う。学者の議論だと、並立というのは基本は小選挙区、併用のほうは基本が比例代表で、水と油ということになるのかもしれないけれども、そこは知恵を絞って考えれば、どこかに接点があるはずです。
佐々木●小沢さんは、いかがですか。
小沢●いまの無責任体制を変えられるならば、僕は何でもいいんです。いちばん政権交代が起きやすいのは完全小選挙区制ですよ、本当はね。なのに、マスコミを中心に、四割の票で自民党が七割、八割取るなんてケチな話ばっかりしている。だからだめなんです、日本の政治は。自民党が取るということは、野党だって取れるんです。だけど、別に固執しない。僕個人としては、並立であろうが併用であろうが、それこそいろいろな長所、短所がありますから、合意できるなら、何でもいい。とにかく、いまのマンネリを変えられるならば、どのような仕組みでもいいです。
政治資金の問題は、僕は、国民みんなでコストを負担すればいいと思っています。政治家がカネの心配ばかりしていて、いい政治なんかできるはずがない。ふだんは本を読むなり、ゴルフするなり、酒飲むなりでも、国の進路を決めるという大事なときだけは間違わないようにちゃんとしてくださいよ、というくらいの度量が国民の側にもないと、政治家は育ちません。
僕は、国が助成すればいいと思う。政治家にも政党にもね。そして、そのなかで、江田さんが言ったように、ルール違反した者は公民権停止を含め、バシッと辞めさせたらいい。そういう抜本改正が前提になるなら、政治資金でも、一万円じゃなくて一円から、全部公開したほうがいい。全部公開すると献金する人もいないけどね。(笑い)
憲法の矛盾は九条以外にも 小沢
江田●僕は、単純小選挙区制は反対という立場ですので、単純小選挙区論者に味方するようなことを言っちゃいけないのかもしらんけれど、仮に単純小選挙区制になっても、自民党が自民党のままで済むなんてことはないんだろうと考えています。そのときはもう、変わっちゃうんですね。
小沢●野党もね。
江田●だから、いまの政党を前提にした議論は、ナンセンスだと思っています。新しい制度になったときに政党同士の関係はどうなるだろうか、国民の投票行動はどう変わるだろうかと考えなきゃいけないと思いますよ。さらに言えば、小選挙区は憲法改正の布石だという議論もあるんだけれども、いったい、何を言ってんだろうと思う。小選挙区にすると言っていない参議院だってあるわけですから。野党も含めて憲法改正ということになるなら、それはもちろんなりますけれども、それは小選挙区でなるんじゃない。小選挙区イコール憲法改正というのはおかしい。
小沢●だいたい憲法改正イコール悪という前提がおかしい。アメリカなんかしょっちゅう変えているでしょう。世の中が変わればルールを変えていくのは当たり前です。
江田●そうそう。
小沢●ただ、日本の憲法は、戦後体制のいいあんばいの、いい湯かげんのシンボルですから、誰にも変えたくないという気持ちがある。でも、矛盾はなにも九条だけじゃないです。ほかにもいろいろある。
佐々木●やや現実的な話になるのですけれども、小沢さんのところは「改革フォーラム21」という羽田派を船出させ、江田さんは政策集団「シリウス」と……。
江田●研究会ですね。
佐々木●具体的に、どういうことをおやりになろうとしているのですか。
小沢●ですから、私どものは「政治の改革」をしなければいけないという仲間です。やり方や細かな考え方は一人ひとり違いますが、とにかく「政治の改革」は第一義的問題として考えているということです。
佐々木●小沢さんの意識のなかでは、一連の政治改革は、どのくらいのタイムスパンでやらなきゃいかんとお考えですか。
小沢●いまの国会で、ある程度のルールが敷かれなきゃだめでしょうね。日本人の性格からして、すぐ忘れちゃいますから。
佐々木●敷かれない場合、どうされますか。
引き金を引くべきはあなた 江田
小沢●果たしてわれわれの考え方を支援する、あるいは理解してくれる人が本当にいるのかどうかというのは分からないです、いまの時点では。いまのとおりでいいんだという話に落ち着いているかもしれない。
江田●改革って、選挙制度だけですか。
小沢●第一歩はね。
江田●たしかに、会長の羽田さんが選挙制度改革では、まるで熱病のごとくやってこられ、そこに国民の期待もあって、それを旗印にしようというお考えだろうと思うけれども、やっぱり経世会から分かれたわけですから、それはどうしてなのか、そのあたりのことを聞かせてもらわないといけないんじゃないですか。
小沢●派閥というのは野党と違いまして、必ずしも、ものの考え方、政策の判断、理念や意見が一致した人で形成しているんじゃないわけです。政治的ないろいろな人間関係やら何やらで形成されているわけですから、右から左まで、それこそいろいろな意見がある。
しかし、少なくとも惰性に流れたいまの政治の改革をしなければ、これからの日本は生き延びていけないという一つの認識で、共通項で結ばれているのがわれわれです。だから、その政治の改革のための第一歩は、選挙制度を変えるということ。これを実現するために全力を挙げる。それを党内的にまずやる。その結果がどうなるかは、そのときのお楽しみという以外にいまの時点では言えません。
佐々木●江田さんのほうはどういうふうにされるんですか。今度、世論調査を見ていても、自民党に対する支持率が低下しているけれども、それがいわゆる既成野党に回っているという感じはないですね。日本新党が野党第二党になったという調査結果も出ています。ある意味で、野党のほうが自民党より危機的じゃないかという見方はむしろ常識だと思います。そうしたなかで、「シリウス」は何を目指すのか。
江田●「野党から抵抗を取ったら何が残る」なんてよく言われるんですが、抵抗を取って何も残らないような野党だったらないほうがいい、と僕は思っています。やっぱり政権を取るという意欲と、しかるべき手法とがあって初めて、野党もこの議会制民主主義のなかでの政党たりうるんですね。
で、自民党に代わる政権選択肢を国民にきっちり提案するようにするためには何をすればいいか、何ができるか。なにはともあれ勉強しよう、と僕らは動いた。最後の「勉強しよう」というところで一気にトーンダウンするんですけどね(笑い)。そういうことでつくった「シリウス」ですが、単に勉強しただけで、「ああ、勉強しました。いい勉強になりました。よかったですね」で終わっちゃいけないんで、やっぱりその成果を生かして、仲間を超党派で増やしていく。そのために全力を挙げるということです。
佐々木●まとまって行動するとかいったことはないんですか。
江田●とりあえず僕たちが考えているのは、議員立法をもっと盛んにしなきゃいけないということですね。日本の国会というのは、立法府なのかというと、格好だけの立法府で、現実には立法までを役所がやっている。その役所の立法の過程で、自民党は業界利益を代表して、これを全部、立法のなかに織り込んでしまって……。
小沢●全党。自民党じゃなく。
江田●ま、現実はそうですね (笑い)。だから僕たちは、国民から政策についての意見を寄せていただいて、それを勉強し、議員が政策勉強の成果を法案にして、国会に出そうと思っています。
佐々木●私の印象を申し上げると、これだけふらふらになった政党に政治改革できるかというのが、いちばんの疑問だという感じがどうしても消えない。政界再編と政治改革、あるいは政治全般の改革について、最後に決意を伺いたいと思います。
小沢●ですから、この国会で、やっぱり自民党内部の人間が、わわわれも含めて、決断するのかどうか。あるいは江田さんをはじめ、改革に賛同する野党の皆さんが決断して行動するのかどうか。まあ、当たり前の話ですけれども、どっちかしかないですよね。政治を改革するための法案を、自分たちの目先の利害や何かを別にして、どれだけ真剣に深刻に考えているのか。それは、既成の枠組みから抜け出せるかという一点にかかっているだろうと思います。既存の制度や枠組みを全然変えないでおいて、政界再編だけがある日、突然ポッとできるということはありえないんじゃないかな。
江田●それはそうでしょうね。ありえないというよりも難しい。いろいろなものがそれぞれ相まって動いていくんでしょうね。ただ、相まってではあるけれども、やっぱり一発ズドーンと引き金を引くのは、小沢さんたちが自民党を飛び出すということだろう、と僕は思いますよ。(笑い)
●あとは本気で改革するのみ 佐々木毅
政治改革についてのお二人の認識が共通だなあ、という印象を受けると同時に、日本のリーダー層のなかにも、考え方に共通の基盤が生まれつつあると思いました。
各党が角突きあわせる段階はもう終わりつつあります。選挙制度の問題にしても、いまや政党間のしがらみで議論をしている段階ではなく、政党政治全体のシステムの問題になってきている。いつまでも、私のところは損した、得したという議論をしていては、結局、デッドロックに乗り上げてしまう。私自身、このへんで議論のやり方を変えないともう前に進まない、と感じていました。
その意味で、対談では、改革を目指す人のエッセンスは出ていると思う。いまどういう議論をすべきかということは幅広く出ている。考える筋道が出ていると思います。
座標軸は違うのでしょうが、全体を動かすために、それぞれ一生懸命に努力しているという印象を持ちました。こういう人たちがリーダーシップをとっていかないと前には進まない。せっかく、これだけ長時間、議論したわけですから、本気で政治を前に進めてもらわないと困ります。 (談)
第三部 不況を論じ女性を語る 司会 西友常務 坂本春生
坂本●きょうは大きなテーマを二つ用意させていただいたんですけれども、まずは経済のことについて触れざるをえません。バブル崩壊とともにやってきました今回の不況をどう認識なさっておられるか。単なる循環不況ではなくて複合不況なのだという見方も最近は出ているわけですが、小沢先生、いかがでございましょう。
小沢●僕は、今度の不況は日本経済そのものが抱える構造的なものから生じていると思っています。従来の不況と同様に成長過程の中での一つの踊り場として、いまの不況を見ている人がまだ多いかと思いますが、それは違うと思います。やっぱり構造不況だろうと。
明治以来の工業化、産業化というのは、とにかく品質のいいものを大量につくり、安く売るというものでした。それがいわば頂点に達したんだと思います。そもそも日本は資本のストックのいたって少ない経済ですから、経済が拡大している限りは、各企業も借金で、元利を払って回していけた。しかし、これからは国内を見回しても、あるいは海外の需要を見ても、今までと同じように拡大、成長することは不可能でしょう。となれば、低成長でも食べていける、つまりそれだけ付加価値の高い、あるいは創意工夫を生かしたものでみんなが食べていける経済構造にしなきゃいけないと思います。
不況対策というと、それ、金利を下げろ、となります。それで銀行は多少助かるんでしょうけれども、金利を下げたからといって、じゃあ何に投資をするのか。そこがはっきりしない。それでは、投資しようとする意欲もわいてこないし、多少の公共投資をするにしても、本当に日本全体のストックを充実させていくための長期的な展望と計画、それをこなしていくダイナミックな財政政策ができるかというと、じつはそれもできない。
このあいだ、打ち出された約十兆円という補正予算も、役所の言葉で俗にいう真水的な要素は一兆円ちょっとにすぎない。地方単独事業も二兆円そこそこですから、これで本当にストックの蓄積が図れるかというと、そんなのはとても無理。いずれによ、今までのようにちょっと刺激すれば経済がスタートするというようなわけにはいかないんじゃないですか。
規制緩和と大規模投資 小沢
坂本●体力を回復するというよりは、体質を改善していかないといけないということですね。
小沢●と思います。そのために、じゃあ何をするかですが、規制緩和が一つ。それともう一つは、長期的で大規模な計画をこしらえて、それに従って、思い切り投資して、国内需要を呼び起こす。まあ、大ざっぱに言うと、この二つじゃないかな。
坂本●江田先生、いかがでございますか。
江田●私も基本的に同じです。じつは、きょうのテーマ全部を通じて、私の頭の中に浮かんでいるのが、モーゼのエクソダス(脱出行)四十年の話なんです。
小沢●ユダヤ教ね。
江田●うん。モーゼがエジプトで奴隷を解放して、シナイ半島を通って今のイスラエルまで砂漠の中を四十年かけて連れていったという話があるでしょう。奴隷から市民に意識を変えるには、四十年はかかる。
この話は、ソ連で社会主義経済を市場経済に、あるいは一党支配を民主主義に変えていくには、やっぱり世代が変わらなきゃどうしようもない、ソ連はいま、その四十年の苦しみを味わっているんだ、というときに聞いた話です。まあ、四十年というのが当たるかどうかわからないけれども、日本にもそういう発想がいま必要なんじゃないかという感じがします。意識改革です。もちろん、日本の不況が四十年も続いたら大変ですけどね。
いまの不況というのは、おっしゃるとおり、いろんなものが重なっています。これにどう対応するかですが、補正予算もあれは、公定歩合の引き下げもあるでしょう。それはそれでやれはいい。ただどうしても、世界のあり方をどう変えていくかという問題が絡んでくる。つまり、ソ連や東欧の経済をどうするのかも考えないことには、この状態から脱することはできない。これは時間がかかりますよ。
それから国内でいえば、小沢さんがおっしゃったように、それこそ明治以来、日本は国を富ましていくために一生懸命やってきた。でもそれは終わったんですよ。これからは、国民を富ましていくため、日本のいろんな構造を変えていかなきゃいけないところへ来ている。
いまは、バブルで暴騰した土地の値段が下がってきて、その局面での不況なわけです。変に手を出して、また土地の値段が上がってバブル再燃じゃ困るわけですが、土地の値段が下がったために、金融が行き詰まってしまった。
そこで思うんですが、私は赤字公債でも、建設公債でもない、土地公債みたいなものを出して、不良債権化した金融機関の土地を大規模に公有地にしてしまったらいいと思う。国なり自治体が今後、政策を実行できるような、原資となる土地を手にすることが必要だと思います。消費者の消費のあり方もずいぶん変わってきてますし、不況対策よもう一度ということでなくて、小沢さんもおっしゃったように、ここは腰を据えて、日本社会のあり方自体、経済のあり方自体を変えるというところに入っていかなきゃいけないんだろうと思いますね。
坂本●小沢先生は規制緩和と長期的視点での投資の必要性ということをおっしゃいましたけど、たとえば規制緩和とは具体的にどんなことをお考えですか。それから、新しい投資ですけれども、たとえば住宅を中心にやっていくとか、そのへんはいかがですか。
小沢●具体的には市場開放ということです。そのうえで、みずからの安定成長にも耐えうる構造改善を図らないといけない。
いま、江田さんが銀行の不良債権の話に触れましたが、銀行なんかは、明治以来、いちはん政府に保護されてきている。それでぬくぬくとここまでやってこれたんです。ですから銀行を例にとっても、一度洗いざらい、うみを出すべきだと思う。
土地公債で不良債権化した土地を買うといっても、ひところの半値以下になっているのに、買ったときの値段で買い上げたのでは意味がない。
江田●それはだめですよ。
小沢●国民が特定業界を助ける話になって、彼らの体質改善にはならない。ただ、預金者の保護は必要だし、金融体系全体が崩れちゃいけないですが、それさえ守られるなら、銀行の経営について、国民が心配してやる必要はないんです。経営者がいいかげんなことをしていたら、相応の結果になるのは当たり前。甘ったれで、なあなあでやってきたから、こうなっちゃっている。体質のいちばん弱い銀行でも経営していけるように、金利を合わせてやる護送船団方式で、役所と業界とがぴったりくっつく体質になっています。これは何も金融機関だけじゃない。すべての業界について言えます。それをいったん洗い直す。僕の言う規制緩和という意味はそういうことなんです。
ですから僕が、一流の経済人が不景気になったらなぜ三流の政治家にものを頼みにいくんだ、と皮肉を言いますのも、この規制緩和というのは自己責任が伴うんだぞということなんです。国が、お上がごちゃごちゃ干渉するのはよくないということです。自助努力と自己責任とでやっていくような本当の意味の自由、自由競争社会にすることによって市場もオープンになるし、経済も活性化してくるんじゃないかというのが僕の主張です。
投資については、これもただ単に何の展望もなく国債をバカスカ出してつくるというわけにはいきませんが、都市に住むサラリーマンが一生かかっても自分の家すら持てないというのは、これは政治の責任だと思います。通信、交通、環境、下水から何からあらゆるもののインフラを全国的に整備して、都市も人口ももっと適度に分散し、国土を有効利用する必要がある。そういう意味の投資を大きな計画、ビジョンに基づいてきちっとやれば、いくらでも投資する部分があるんですね。
僕らは田舎育ちですが、東京から来た子供たちが嫌がるというのは、便所なんですね。下水道の普及率が全く低い。典型的な文化水準を示すのは下水道だといいますが、いま具体的には、建設省を中心にやっている公共下水と、農水省中心の農村地帯の集落排水がありますが、これを全国的に覆うという作業でも大変な投資ですよ。
新幹線だって、高速道路だって、どんどん整備していったほうがいい。僕は通信だって、みんな光ファイバーにしちゃえという論者なんですが、そう思うと、なんぼでも投資するものはある。そうなれば、国内需要もうんと増える。他国とのあつれきもないし、日本の整備にもなり、経済全体も大きくなると思いますね。
坂本●東京一極集中を是正する、地方を活性化する方向で投資をすること自体が体質改善にもなると。
小沢●はい。
坂本●規制を緩和する対象として銀行の例が挙がりましたが、銀行だけではお気の毒ですので、あと一、二、具体的にどんな規制緩和が必要なんでしょう。
小沢●もちろん、銀行だけじゃない。何もかもです。許認可がとにかく多すぎる。
坂本●いま、いちばんお目ざわりなのは何でございましょう。
小沢●とにかく役所なんかでも、山のような書類を持っていって、許認可を受けなきゃならないでしょう。あっちの窓口、こっちの窓口と行かされて、ハンコをもらう。
坂本●申しわけありません。私、前におりましたので。(笑い)
小沢●いや、通産省はわりあい許認可を減らしているんですよ。僕は、行政改革でいちばん手っ取り早いのは、役所の用紙とハンコの数を半分にしたらいい、それだけで行政改革になるって言っているんです。(笑い)
社会の援助が必要な人も 江田
坂本●では江田先生、どうぞ。
江田●小沢さんがおっしゃった規制緩和と新しい投資、まったくそのとおりだと思うんですね。たまたま光ファイバーの話が出ましたが、私もここへ一枚メモを持ってきたんですが、ちゃんと光ファイバーと書いてある。(笑い)
たとえばね、この間、地元で学生諸君と話していてね、なにか学生がしらけちゃっているわけですよ。大学があるところにちっちゃなFM局をつくって、自分たちで放送や何かをやったらどうかと思っても、いま、FM電波は郵政省が管理しているからできない。そういう規制をもうちょっとおおらかにしたらどうだなんていう話をしたところなんです。電波行政なんていうのも、ずいぶん規制が多いですよね。
中央省庁の許認可がいま全部で一万一千あるというんですが、行政改革なんて言いながらも年々少しずつではあるけれど、増えているんですね。しかも、うちのスタッフがその一万一千のリストを出してくれと言うと、そんなものは出せませんと言うんですから。(笑い)
それから、小沢さんのおっしゃった自己責任。日本が非常にプリミティブなところから百二十年かけてここまで持ってきた護送船団方式なんですが、本当はそろそろ変えないといけないところに来てますよね。
ただ自分がどこまで責任をとれるかというのは人によっていろいろ違いますから、そのときにたとえば、障害者の人とか高齢者とか、自分自身ではここまでしか責任をとれないという人たちへの社会の温かいバックアップ体制は必要です。それが現実には、お寒いかぎり。
たとえば、日本の生活道路には歩道があまりないんですよね。車と人間が相撲をとったら、絶対、車が勝つ。そういう完全に力関係が違うものが同じスペースを通行しているなんて野蛮なことはないわけです。たとえ幅五十センチ程度のものでも、歩道はちゃんとつけるべきです。そんなことも、地方分権というより、地方主権と言ったほうがいいんでしょうかね、どんどんやっていくということが必要だと思いますね。
坂本●お二人とも、財政投資も昔のような産業インフラ的なことから、情報インフラとか、生活インフラとか、言ってみればソフトな公共投資ほうへ移していくべきだというお話だったかと思います。
次に、景気の見通しをお尋ねしたいと思いますが、日本経済の体質改善を前提として、当面、非常に冷え込んだ景気を回復させるための対策としては、何が有効なのでしょうか。
小沢●即効薬はないと思います。
坂本●そうすると、景気は今後もだいぶ具合が悪いでしょうか。
小沢●在庫調整が底入れしつつあるとか言っていますけれども、フル生産に入れるかといえば、入れません。ちょこちょこっと生産を増やした、でも思ったように消費が増えない、また生産が落ちるというたぐいの山坂はあるでしょうが、基本的な構造問題にメスを入れないと、長期的な視野で経済全体がうまくいくのはなかなか難しいんじゃないですか。
規制緩和というのは結局、日本人の生活意識の転換なんです。ですから、これもまた一度に解決できない。役所が権限を放さないの議論ばっかり出ますけれど、本当は一般の人も企業も、結局、何かあるとお上頼みなんですね。これではいつまでたっても、それを奇貨として役所は権限を放しません。だから、企業活動だけじゃなくて、すべての生活活動について意識構造を転換させないと、再び活性化して本当の意味の豊かな国づくりというのは難しいんじゃないかと思うんです。
歴史的に見ても、半世紀間にわたる平和と経済成長とで精いっぱいなんですね。それを超えて生き残ってきた国家は、やっぱり半世紀ぐらいごとに自ら改革して、次の時代に対応している。いままでのやり方を一度に全部、変えるわけにはいきませんが、政治も経済も行政もみんな見直していくことが必要じゃないかという気がする。
結論は、だから、そんなにすぐに経済はよくなるとは思わない。(笑い)
江田●そうだと思いますね。いままでのやり方をそのまま続けていけば、きのうと同じ太陽がまた昇るというんじゃなくて、やっぱり新しい風景をつくっていかなければいけない。峠を越えたわけですからね。上り坂のときに見ている景色と全然違う景色がこれから見えていんだから、その景色の中で、いったいどう、この社会をつくっていくかということを考えなきゃ。
坂本●ところで、今回の不況の影響の一つに女子学生の就職難があります。近年、四大卒女性の就職は順調だったのに、ここへ来て女性の就職活動がきわめて難しくなっている。女性を採らない企業まで出てきた。小沢先生は女性の職場への進出についてどうお考えでございますか。
働くも人生、専業主婦も人生 小沢
小沢●仕事をしたい意欲もあり、能力のある人はどんどんやったらいいと僕は思います。ただ、女性も外で働くべきだという議論の真に、専業主婦というのはよっぽどバカで意識が遅れているみたいな意味が、ともすると込められがちなのはよくないことだと思っています。僕は、外で仕事をする人も家庭で働く人も基本的にイコールだと思っています。
家庭できちんと次の世代を育てることもまた立派な人生。私はそれよりも職場に出て自分の能力をためしたい、これも人生。両立できるという人がいれば、これまた人生(笑い)。僕は、どっちがいいとか、悪いとかという議論をすること自体があまりよくないと思っているんです。
ただ、労働力需給の面から言うんじゃないですが、女性も長生きになっていますから、子育てを終わった四十歳過ぎの婦人が家にばかりいるのはもったいない。国家的にも社会的にも損失だし、本人の能力を生かすためにも、四十歳なら四十歳以上の人たちが再就職できるシステムを社会は考えるべきだと思っています。
しかし、アメリカみたいに、女性を何パーセント採らなきゃ、その企業はバツだというやり方はよくない。結婚して会社をやめる。だけど、時間的な余裕ができたら、また就職する。それが当たり前にできる。そのために、国も社会も側面的な援助をすれば、家庭におった人も容易にまた、その能力を生かせるようになる。そんなことができたらな、と思っていますね。
坂本●確かに、どちらがいいか自分で選択して、そこで生きていくというのが一つの生き方だと思うんですけど、いまの新しい世代の人は、仕事も四十歳になってからやるんじゃなくて、ずっとやり続けたい、だけど、家庭ももちろん欲しいと思っている。そこで非常に悩んだり、挫折したりするんですけど、そのへん、江田先生はどんなふうに見ていらっしゃいますか。
江田●やはりこれも、時代の大きな転換期と重なっているんだろうと思いますね。これまで社会というのはいつも競争で、どっちかというと生き馬の目を抜くというか、どっちが勝つかが活力になって発展させてきた。まあ、女性にだって競争心も旺盛な人もおられるでしょうけれども、競争というのはやっぱり男性の論理だったんだろうと思いますね。
いま、そういう「競争型」、まあ括弧つきですが、男性論理型のやり方から大きく転換する時代が来ているわけです。
ただ、ちょっと小沢さんに反論しておくと、やっぱり時代を変えるときには多少こっちの方向へ変えようよという仕組みが要るんだろうと思いますよ。つまり、企業は女性をこれだけ採用しなさいとか、市議会の中に何パーセントは女性がいなきゃいけないとかいうような、いわゆるアファーマティプ・アクションは、やはり必要なんだろうと思うんですね。
そのことによって、男と女と一緒の立場で社会をちゃんと支えられるようにしていかなきゃいけない。女性もそうした社会参加がちゃんとできるような社会にすることが、男性にとっても働きやすい、住みやすい社会になる。同時に、男性も家庭参加していかないといけない。そうはいっても、私なんか、まったく家庭参加できていないけど。でも、やはりそれはできるようにしていかなきゃいけない。
やっぱり、私は女性論理のほうから発想することが必要な時代が来ていると思うんですよ。いまのように不況のときには、女性のほうがどうしても採用が少なくなるようなことが起きてしまう。ですから、いまは多少無理しても、何か手だてを加えて、女性の声がきっちり反映していくような社会にしなきゃいけない。
政策決定過程なんていうのはとくにそうで、もっと議会は女性をたくさん登用できるようにしていかなきゃいけない。
坂本●理想の家庭像というのは、男性も女性も職業を持つこともできるし、職業を持ちながら家庭生活をやっていける。それから、働いている母親のもとでも子供は当然きちっと育つと。それが江田先生の理想とする社会と受けとっていいですか。
江田●そうですね。それと、もう少し行き来を自由にしなきゃいけないですよね。だって、ゼロ歳から三歳ぐらいまでの間はやはり母親が大切ですから。その間ちょっと休んでも、またちゃんと職場に戻れるようにしないと。
坂本●江田先生から多少、反論が出ましたんですが、小沢先生からさらに反論はございますか。
小沢●僕はね、ことさら仕組みを変えるとか、意図してどうこうするとかというやり方はよくないと思うんですよ。さっきの規制緩和と同じなんです、僕のは。女性も働くという以上、きちっと自覚してもらわないといかん。雇用機会均等法のときも、このことで法案の説明に来られた労働省の女性の局長さんに、僕は言ったんです。均等法をやって本当に大丈夫かと。日本の女性はそれを本当に望んでいるかと。女性も、ちゃんと機会も責任も同じにしなきゃいかんということだよ。と。自信なさそうな顔をしてました。
坂本●そうでしょうか。(笑い)
小沢●実際、女性全員が果たしてそこまで自立し、割り切って考えておられるかどうか。そこがまず大事なんです。私は自分のことは自分でやって、一人で生きる。あるいは亭主と子供を持って生きる。そして仕事もする。こうこうこうだときちんと考えて、その責任は自分でとる。この自主自立が大事なんです。それをこうしなさい、ああしなさいというやり方が、これまたお上のやり方なんですよ。
男も女もともに働ける職場に 江田
坂本●ただ先生、お言葉ですが、たとえば女性の育児というのは社会的な事業なのですから、女性には育児休暇を与えるとか、保育園をつくるとか、それはお上の過保護ではなくて、社会的に当然なことではないでしょうか。
小沢●そんなことは常識の話です。当たり前のことだ。
坂本●それがなかなか常識ではいかないんですよ……。(笑い)
小沢●必要なことはきちんとやれはいい。それ以上は、それぞれの人生、それぞれの責任でやらなきゃならない。たとえば、僕はあまりいいと思いませんが、アメリカは、女性もどんどん社会進出しているでしょう。男性と同じように徹夜したりして、仕事をやっていますね。ところが日本の社会は、役所なんかを除けば、必ずしもそうじゃない。だから、そういう意味で機会均等ならば、仕事も責任も均等でなければおかしい。まずその自覚、自立意識がなきゃいけない。これは男も女も同じなんですよ。そこは甘えを排除しなきゃいかん。
それと同時に、きちっとした人にはきちっとやれるだけの環境を社会と国家がつくってやらなければいけない。やりたい人、能力のある人はやればいい。それを妨げてはいけない。しかし、家庭を維持することも立派な仕事です。
江田●それはやっぱり違うと思いますよ。男は外で一生懸命働いて、女性は生計という点では男に甘えてしまって、結婚して家庭に永久就職する。
小沢●甘えるというより、一種の役割分担ね。
江田●いやいや、その代わり、男のほうは家の中の子育てとか、ややこしい問題を全部、奥さんに押しつけてしまう。その両方がもたれ合う甘えの構造が、実は両方とも大変なテンションの強い非常に住みにくい家庭、住みにくい社会をつくってしまっているんですよ。
だから、そうじゃなくて、一緒にするならば女性も男と同じ責任感を持って職場でやってくれ。それはそうですが、だけど、その責任感のレベルを、いったいどこまで要求するのか。過労死していくところまで要求する必要はないので、もっと落とさなきゃいけない。だから、やっぱり男も女も同じように働ける職場環境にしていかなきゃいけない。繰り返しですからもうやめますけど、そういうことです。(笑い)
小沢●いや、その通りですよ。(笑い)
坂本●経済の話は共通点が多かったんですけれど、女性については少し違うかなと思って伺ってましたのですが。
小沢●いや、僕が言っていることは意味が全然違うんですよ。いいんですよ、女性と男性が家庭と職場でお互いに仕事を分担し合ったって。それはみんな、それぞれの人生、それぞれの家庭ですから。
ただ、言いたいのは、だれもが自分の考えをきちっと持って、あるいは意識を持って、社会人として振る舞わにゃいかんということです。そのうえで、雇用の機会が故意に女性にとって狭められるとしたら、それはいけないということです。
たしかに日本の場合には、過去の経緯もあって、そういう環境がきちんとできていないというところがある。それを最初に言っておけばよかったかな(笑い)。社会や国家がやるべきことをやるということは当然、必要です。
坂本●少し話を進めますが、その前にプライベートなことで恐縮なんですが、小沢先生は大変お母さまを尊敬しておられるというか、お母さまに対する意識がご自分の中で大変大きいと伺っているんですけれども、もしそのへん、お差しつかえなかったら聞かせていただきたいと思います。
小沢●僕は親の年からいうと孫の年でしてね。今、おふくろが九十三歳か、四歳。明治の生まれなんですが、まだかろうじて生きています。日本は歴史的にどっちかというと母性的社会ですが、明治時代はその長い歴史の中でどっちかというと男性的社会の生き方をしようとした時代ですよね。ですから、うちのおふくろも、言葉を換えれば、忠君愛国の明治教育を典型的に受けた女なわけです。
そういう意味では、男は泣くな、男は言いわけするな、努力すればいつか必ず望みもかなうという教育で、おやじもそうでした。突き放したやり方でしたね。だからおやじも、小遣いもくれなきゃ、何もしてくれない。勝手にしろと。おれは自分で勝手にしてきたんだから、てめえも自分でやれという主義でした。おふくろも基本的にはそうでした。ただ、おふくろと一緒にいたときが長いですから、まあ、おふくろの影響は強いですね。
坂本●ありがとうございました。
政治家のみなさんが、ご自分の考えを社会に納得させていくとき、世の中の半分を占める女性の意味というのは大変大きいと思うんですけれども、自分が政治家として社会に働きかけるとき、女性をどういうふうにご覧になって、女性に対してどう働きかけていらっしゃるのか、お伺いしようと思います。
たとえば私なんか、江田先生は自他ともに許すフェミニストでいらっしゃるようにも思いますし、実はそうじゃないのかもしれませんし。(笑い)
若い女性には全然だめです 小沢
江田●繰り返しになりますけれども、やっぱり女性が住みやすい社会というのが男性にも住みやすい社会なんですね。そういう女性の声というのがちゃんと反映する仕組みがいい仕組みなんだと思います。
ですから、たとえば、これは小沢さんに申しわけないんですが、小沢さんたちの「改革フォーラム21」には女性がいない。もっとも自民党は衆議院議員に女性が一人もいないから難しいのかもしれませんが。わが政策研究会「シリウス」は女性がちゃんといます(笑い)。実はその女性のみなさんの声がいろんなことに反映できるように気を遣っております。
自分自身の地元でのいろんな政治活動でも、女性に支えられている率というのは大きいと思いますね。そして、そのことを僕は大切にしていきたいと思っています。
坂本●先生は女性に人気がおありですか。
江田●ええ、まあ。(笑い)
坂本●安心しました。(笑い)
江田●あまり危険視されないから。(笑い)
坂本●小沢先生はお近くでお話しするのはきょうが初めてなんですが、あるときはすごくこわもてで、とっつきにくくて、女性なんか眼中にないのかという感じもしますし、一方では案外シャイなようで、笑顔が母性本能をくすぐるようなところがあります(笑い)。そのへん、ご自分ではどんな感じでしょう。
小沢●僕は、そうねえ、一般的にだけど、たぶん若い女性には全然だめですね。これは自他ともに認めています(笑い)。でもまあ、多少、冗談を言うと、女性がいなかったら、この世の中なんか生きている甲斐がない、死んだほうがいいですよ。女性と男性とで社会が構成されているわけだし。
選挙区では、やっぱり四十歳以上の女性に支持者が多いんじゃないかな。(笑い)
坂本●マダムキラーでいらっしやる(笑い)。政治活動の中で、女性とご一緒することはないですか。
小沢●ほとんどありません。
坂本●小沢先生は若い女性に弱いとおっしゃるんですが、これからはそれでは困りますから、最後にぜひ、これから社会に出てくる若い女性に対して一言ずつ。
江田●そうですね、私は娘がいま二十四歳かな。仕事をしているんですが、僕らの世代とは、やっぱり違っていますね。会社に勤めて二年目なんですが、「勤めていたら、自分のやりたいことができないからやめたい」と言いだした。それで「三年は勤めろ」と言いますと、「お母さんも同じことを言うけど、なぜ三年なの」「石の上にも三年というんだ」というやりとりがあったんですが、「お母さんも同じことを言った」なんてね。(笑い)
たしかに自己責任で生きていく女性がずいぶん増えていると思います。それは大変いいことで、頑張ってほしいと思うんですが、同時にこれは若い男性にも言わなきゃいけないな。
私たちはいま、千年後でも、いまのこの時期というのはこういう時代だったとゴシックで表現されるような転換期に生きているわけですから、そのことを意識しながら、世界の動きをしっかり自分で覚えておいて、そこに何かかかわって生きたいというそんな気持ちを持ってほしいですね。
坂本●小沢先生もぜひ、若い女性に一言。
小沢●僕は、男、女と分けること自体が好みじゃない。(笑い)
坂本●じゃあ、若い世代にでも。
小沢●田舎では、農家をやるにしても何にしても、男性も女性もー緒に働いているんです、同じように。幸運ですよね。
それは別にして、男性も女性も、自分の人生ですから、できるかぎり自分で考えて、自分で判断して、後悔のないよう、悔いのないように自分で生きること、それを望みたいです。
坂本●男女差別なく、男性も女性もというところに意味があるのだと思いました。
●ちょっとびっくりした女性談議 坂本春生
お二人には、かなり率直に語っていただけた、という印象を持ちました。お二人の肩書からいって、お立場もありましょうに、ご自分の気持ちのとおりお話しくださったのではないか、と思います。
一つ目のテーマは国内経済についてでした。一般の読者のかたも、編集部の関心も、いまの不況をどうするかという処方箋に興味があるんだと思います。私も議論をそちらのほうへ持っていきたかったのですが、そういう目先のことより、日本経済の発展段階から見たご意見、つまり日本の将来を見据えた体質改善、構造改革のお話が多かったと思います。
それと、これは読者のかたもたいへん興味あるところであろうかと思いますが、女性に関するお話に含蓄があるのには、ちょっとびっくりいたしました。
共通項があるようで、全く対照的でもあるようで、お二人の女性談議は、えも言われぬハーモニーを醸し出していましたね。そこはかとない香りが漂ってきて、読者のかたも、お二人の女性観、立場がよくおわかりになったのではないでしょうか。 (談)
1993 | 「月刊Asahi」 1993年4月号掲載 |