2000/05

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世襲政治の功罪 争論 「共同通信」インタビュー


父親(江田三郎元社会党書記長)の遺志を継いで参院選に身代わり出馬した際、初めは固辞しましたね。

 「子供のころは父を見て、自分もそういう男になりたいと思った。しかし大学で法律を学び裁判官になって十年近くたち、今さら無理ですよと、理屈をつけて断っていたんです。名誉や地位を求めない政治が、この国では難しいことも分かっていましたから」

 「父が社会党を飛び出し、新しい道を歩もうとして倒れた。四方八方から矢を受けた弁慶の立ち往生のように。しかも亡くなったのが私の誕生日。使命感に身を燃やし尽くした父を見て、小ざかしい理屈を言っていていいんだろうかと思った。父に背中をどんと押されたような気がして、後はもうやるっきゃないと」

周囲の人にはどう説得されたのですか。

 「余人をもって代えがたい。江田の名前が大切だという話ですね。いいの悪いのと言ったって、名前が同じだから人が後継者として認めるということ。国民の政治参加という趣旨からはおかしいじゃないかと私は言ったんですが」

 「『情』に支えられて政治を動かすのかということになるが、人の営みですから。社会の動かし方としてあると思う。人情がなくなったらこの世はやみ。情の部分を問われたとき、これを振り切って『理』だけで生きたら裁判ができただろうか。切羽詰まった状況でそうも考えたんです」

情に偏った弊害はありませんか。

 「私の中では、情がいけないという部分はそれほど大きくはない。世襲政治がいけないと思うのは、理ではない『利』の部分です。利権構造が地域に出来上がっていて、土木建築に限らず下請けまで系列がある。それを温存していくのに後援会が世襲を使う。保守に多いわけで、そこが一番の問題です」

 「私の場合、最初は参院全国区だったし、(衆院選出馬は)父の地盤とは違う選挙区だった。世の世襲はほぼ例外なく同じ地盤、選挙区でしょう。そこにある基本的な構造は情ではなく利権の構造です。世襲には人の心を打つドラマとそうでないものがある」

世襲でない人が当選するのが難しいというハンディ自体が問題ですね。

 「世襲が『げた』をはかされていることですね。むろんそうです。世襲それぞれに物語があったとしても、結果としてこれだけ多くなると、やはりトータルで見て世襲はよくないということになる。世襲でない人にも心を打つドラマはあるのだから」

 「ただ現実には、候補者がどうしてもほかにいなくて二世や親族にというケースがでてくる。私もかつて母を選挙に出し批判を受けた。当然のことです。父親が現職でいるのに、その息子を出すなんてのはやり過ぎだけど、自民党だけじゃなくわが党にもあるんだなあ」

世襲に代表される政治が若者を遠ざけたのでは。

 「戦後、日本の社会は志が評価されない時代が続いてきましたね。学校でも志を持った子供をつぶしてきた。戦後教育にも反省が必要でしょう」 

 「政治に新しい理想主義を見いだすこと、とずっと思っています。憲法は個人の幸福追求を中心に置いていますね。それは国家が与えるのでなく自分で見つけるもので、それにいそしめば社会全体に支えられる。そういう社会をつくりたいですね」

(山陽新聞 2000/5/28 掲載)


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