2003年9月5日

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「強い日本」とは


父・江田三郎は永年表彰を受けた時、感想を頼まれ、「国会議員25年、政権もとれず、恥ずかしや」と、色紙に川柳を揮毫した。細川内閣での政権交代は、政党も非力、政権運営も稚拙で、短期間で終わった。

私も既に議員24年。このままでは、親子揃って50年の「恥ずかしや」というとき、やっと歴史的転換の兆しが見えてきた。小泉首相のマジックもばれてきたし、何より私どもの方で、政権交代の体制が整ってきた。菅代表と小沢党首の決断と賭けを、何としても成功させ、新しい日本を作りたい。

ピアニストの中村紘子さんの「国際コンクールの光と影」というテレビ講座が面白い。ソ連が国威を賭けたチャイコフスキー・コンクールに、アメリカも国威を賭けてヴァン・クライバーンを送り込んで優勝。アメリカは彼を英雄に仕立て上げたが、その後の演奏は、「もはや正面切ってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした」とある。それでも後年、彼は宏壮な自宅で最高のディナー・パーティーを催したそうだ。

戦後日本の奇跡的経済発展も、実はその影に、日本の進出にさらされて疲弊した地域や、単身赴任で泣かされた家族たちの犠牲がある。過去の栄光に酔いしれ、影の部分を忘れてはいけない。「強い日本」とは、国威発揚ではなく、地に足の着いた生活や充実した市民社会のことだ。

コラム 「一饋十起」(いっきじっき) プレス民主87号掲載


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