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江田五月参議院議長と本林徹弁政連理事長 |
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本林理事長(以下、本林):本日はお忙しいところどうもありがとうございます。
江田議長(以下、江田):ようこそいらっしゃいました。
■「ねじれ国会」における参議院の意義・役割
本林:江田議長を対談のお相手として選ばせていただきましたのは、衆議院議長については昭和35年に清瀬一郎先生がなられているのですが、参議院の議長については江田議長が弁護士出身で初めてなられたからです。
早速ですが、参議院の意義・役割についてのお考えを聞かせていただけますか。参議院は、戦前は貴族院ということで、特別な選び方をしていたわけですけれども、戦後は衆議院と同じように公選制ということになりまして、教科書的には、「衆議院は数の政治で、参議院は理の政治」という位置付けがなされております。
江田:本林先生がおっしゃるように、教科書的には「二院制で、衆議院が国民を数で代表し、参議院が国民を質で代表をする」とか、「再考の府」とか、「理性の府」とか言われています。「じゃあ衆議院には理性がないのか。」と言われても困りますが(笑)。政治の動きというのはいろいろな局面があって、なかなか一般論では語れないところがあります。
従来、衆議院も参議院も同じ勢力が多数を占めていて、衆議院が法案を可決したら、マスコミも役所も「もうこれで法律はできた。参議院は、あとは淡々と機械的にことを進めるだけだ」ということで、「参議院無用論」とか、「衆議院のカーボンコピー」とかいろいろ揶揄されてきました。その揶揄が、必ずしも当たっていないわけではないという現実があったわけです。ところがここにきて、衆議院と参議院が数のバランスがまったく違う、いわゆる「ねじれ国会」ということになったので、「ねじれ国会における参議院の役割」ということで考えていきたいと思っています。
参議院は、120年近くの歴史を持つ衆議院と違って、戦後改革の象徴なのです。戦後、貴族制度をなくして、女性参政権も付与して、様々な戦後改革をやって、民主主義で今の憲法の下でスタートをしたのが参議院です。それが60年経って、「さあ戦後レジームはもういらないのだ。」と言うのか、それとも戦後レジームの象徴としての参議院が大いに役割を発揮せよというのか。昨年の参院選の与野党逆転によって、参議院が本来の役割を発揮する時代が来たのです。一党支配という構造の中で、「政治が後ろに退いて、行政が前に出る、官僚優位」という時代がずっと続いてきているけれども、ここでこの際、衆議院と参議院が、ねじれのエネルギーを活かす知恵を発揮して、政治が役割を果たすのです。官僚優位でなく、政治のイニシアチブで日本の進路を決めていく。そういう役割を参議院が担わなければならないと思います。
■ねじれ国会における議長の役割
本林:なるほど。そういうねじれ国会全体では、議長の議事運営が非常に重要になってきますね。ご苦労、やりがい等があると思うのですが、先日、某省の汚職の問題があって、参議院の野党が証人喚問を単独採決で決定しました。あのときに江田議長が懸念を表明され、最終的には同意でそれを取りやめるということで、見事な采配をされた。そういう議長としての役割についてのお考えを聞かせていただけますか。
江田:私としては、議長が裁定や仲裁をしたということではないと思っています。関係者の皆さんの話し合いで、うまく困難が打開できるように、いわば話し合いを仲介したぐらいのものです。委員会中心主義というのがありまして、委員長が「委員会でこう決めました。」と言えば、よほどの瑕疵があって無効というようなものでもない限り、それを執行していく責任が議長にあるのです。先の件は、そこまでの瑕疵はありませんが、意見の対立はあったのです。
証人喚問のこと以外にも悩みの種はあります。衆参で考え方が違ったときに、どうするのか。法案の賛否は、両院協議会で調整をしますが、両院協議会のテーマでないものもあるのです。まだいろいろな例をあげて議論する時期ではないのですが、一つだけ例をあげると、衆議院で可決した法案を参議院で60日以内に議決しないと、衆議院は否決をしたものとみなして、再議決ができるという規定がありますね。この「議決をしない」という解釈なのですが、60日以内に「この案件は継続審議にします。」という議決をしたら、それは議決になるのですか?
ならないのですか?
本林:そういう問題がありますね。
江田:これはなかなか難しくて、仮に参議院では「継続審議の議決も議決である」との解釈をとるとしましょう。それで60日以前にそういう継続審議の議決をして、それで60日が過ぎたとする。衆議院が、60日過ぎたから、参議院は否決したものとみなして、再議決をする。参議院が「継続審議の議決があるではないか」と言うと、衆議院は「継続審議の議決は、そういう憲法で言う議決には入らない」といい、他方、参議院は「入る」と言う。こんな場面を想定した規定はありません。
衆議院の言うほうが勝つ、と考えることもできる。衆参は独立しており、参議院の行動についてのルールの解釈権は参議院が持っているけれども、再可決するのは衆議院ですから、衆議院の行動を規律するルールの解釈権は衆議院が持っている。衆議院が「自分はこういう解釈でやる。」と言うのを、参議院が「おまえの解釈は間違っている。」と言えないのではないかということです。
いろいろ起きたときに、憲法以下のいろいろな法律なり規則なりでルールが決まっていればいいのですけれど、決まっていないことが山ほどある。「ねじれ」が今までなかったので、問題が表面化しなかった。こういうときに、衆参がお互いにけんかをしても困ります。衆参は一部の憲法上の例外を除けば、対等なのですが、「独立・対等」と言ったところで、国民のために国会というものを動かしているわけですから、「二院制の『国会』」というものが一つあるだけであり、「国会」の意思を決めなければいけない。そうすると、衆参は独立・対等ではあっても、バラバラではいけないので、衆参が何事につけ話ができる関係を作っておかなればならない、話し合いで知恵のある解決策を見出さなければならないと私は思っていました。
衆議院議長の河野さんも同じ思いなのです。衆参の議長同士が話をしたら問題が解決するのかどうかはわかりませんが、議長同士がいつでも、「ちょっとまあ、これは相談しようや。」と言えるような関係が大切なのです。ただし、「しゃしゃり出る」のはなるべくないほうがいい。「私達が話し合いをする機会は、なるべくないほうがいい。しかし、必要があれば、我々も話し合うし、衆参の皆さんも、どうぞしっかりと話し合って、合意を見つけ出す努力をして下さい。それが、ねじれを活かす道ではないですか?」
そういうことで、共通認識を確認し、これを公にしたということなのです。
■法曹資格を有する者による立法
本林:今後も、品格ある両議長のご活躍を注目して見させていただきたいと思います。
ちょっと話題を変えさせていただきます。江田議長は、裁判官としての経験を経て、また弁護士としても、国民や企業に対して、法的なサービスを実際におやりになってきた、そういう実務経験も豊富に持っていらっしゃる。そういう弁護士が、実際に資格を持ちながら立法者になることの意味、あるいは、そういうことをやってこられたことが、国会議員としてあるいは議長としての仕切りの中で、どのように役立っているかをお聞かせください。
江田:国会は国民の代表で構成されているのですから、国民の中にあるいろいろな考えの人が国会にいた方がいい。男女のバランスでも、もちろんもっと女性が増えたほうがいいし、様々な立場の人がいたほうがいい。同時に国会は、やはり法律を作る所であり、国政調査権を行使して非を正すところであり、またいろいろな階層の間にあるいろいろな紛争 −今の格差なんていうのは、ある種の紛争の一つだと思います。− を解決していく場所ですから、他のどういう階層の皆さんと比べても、弁護士が出て行くことの重要性が低いはずはないと思います。
日本で今、衆議院で29名、参議院で16名、合計45名(約6%)が弁護士資格を持っていますが、6%はいくらなんでも少ないという気がします。今、法曹人口の増加の努力が進んでいるわけですが、私は弁護士が法廷に立つだけでなくて、いろいろな所で、企業の中にも地域の中にも立法の中にも、やはりもっと弁護士が増えてくることは、社会の質を高めることにつながると思うので、ぜひ一つ、本当にこれから生まれる若い法曹資格を持った皆さんも、法曹資格を持って、国政や地方の政治をはじめとしていろいろな分野で活躍してほしい。そのことが日本の社会を変えることにつながるだろうと思っています。
私自身は、立法する場合でも行政をチェックする場合でも、いつも紛争が好きなわけではありませんが、紛争自体は避け難いですよね。
本林:おっしゃるとおりです。
江田:紛争の原因となるいろいろな背景をしっかり認識して、そして一本、筋の通った解決をしていこう。「足して2で割る」のではなくて、情に流されるのではなくて、理というものをちゃんとわきまえて、筋の通った解決をしていこう。そういう訓練を法律家は積んでいるのです。その理というのが、コモンセンスであったり、リーガルマインドであったりしますが、そういうもので紛争を解決するという解決の方法が身に付いているはずです。ですから、私が議長として何かの判断を迫られるようなときに、「こういう論理でこういう結論に至る」という論理の部分がなければ、気持ちが落ち着かないですね、どうしても。先日もテロ対策立法の最後のところで、内閣の提出の法案は否決をしましたが、民主党が提案したテロ根絶法案がどうなるかという場面がありました。可否同数の可能性があったのです。この時は、憲法の規定に基づき、議長が裁定をするのですね。サイコロを振っても山勘で決めてもいいのだけれど、私としては、論理を大切にしたい。そこで自分なりに筋の通る論理を一生懸命考えて、それをパソコン打って、準備はしてました。幻のペーパーになりましたけれども、そういうことをちゃんとやっています。
本林:国民に十分理解をしてもらうときには、「筋が通っている」という理の存在がものすごく大きいです。
江田:大きいと思いますよ。やはり「法の支配」です。自分自身も法に支配される。法というのは理です。法律家は悪しき隣人というけど、やはり悪しき隣人でも法律家は必要なのです(笑)。
■弁護士会の課題〜裁判員制度の開始と被疑者国選の本格実施〜
本林:国民のセーフティネットとして法テラスが機能し始め、いよいよ来年から、裁判員制度が始まります。被疑者段階での国選弁護の本格実施も控えています。司法制度改革の総仕上げの段階です。これらを弁護士はしっかり担っていかなければなりません。その関連でいうと、国選弁護報酬の増額の問題があります。
赤字のボランティアを強いるというようなことではなく、適正な報酬を確保することによって、質の高い弁護をするということが、被疑者・被告人を更生させるあるいは社会復帰をさせることに、役に立つのです。そういう意味で、最終的には治安の改善にもつながり、国民が今、一番気にし、懸念している所にもうまくフィットしていくということもあります。国選弁護報酬の増額は、弁護士会の職域の問題という風にとられかねないのですけれども、良質の弁護をすることによって社会復帰、あるいは治安の改善につなげていくという、大きな国民的な視野が、私はあるのではないかなと思っています。
もう一つ、裁判員制度との関係では、取調の全過程の可視化の問題があります。捜査段階がブラックボックスだというのが、日本の刑事のプロセスの中で今大きな問題になっており、冤罪の温床になっています。裁判員が参加するためには、適正迅速に裁判が行われるように、取調の可視化を実現し、いざというときには証拠が客観化されていることが必要です。
このように、議長が「自由と正義」2000年7月号で論考された司法制度改革がかなり具体化して、最後の段階にかかっています。この7年間の改革の状況とか裁判員制度、あるいは国選弁護の問題等含めて、ご意見をいただけますか。
江田:司法制度改革というのは、日本社会を変えていくために非常に重要な改革だと思います。冒頭で「参議院は戦後改革の象徴である」ということを申し上げましたが、戦後改革は立法の面や行政の面でもだいぶ行われましたが、とりわけ戦後改革が遅れているのが司法の面でした。やはり裁判所が「お白州裁判」になっていったり、法曹の数が少なくて、「二割司法」などと言われたり、そのようなことがずっと続いていて、特に行政と国民との関係で言えば、「行政優位」から逃げられなかった。ですから、私は、戦後改革を司法の面でも厳しく行わなければならない、「市民が主役の司法」、「国民主権の司法」にしなければいけないという信念をもっていたのです。
弁護士の皆さんは、職域の拡大なら喜ぶが、ボランティアの活動の重圧がかかることや競争が激化することは、あまり喜ばないのかもしれません。法曹はエリートで少数で、バッジさえ付けていれば勝手に仕事が飛び込んでくるほうが楽です。普通に考えれば、やはり人間は苦しいよりは楽をしたいわけですから、楽なほうへ流れがちです。しかし、日本の弁護士はそうではなかった。そういうような「易きにつく」のではなくて、大変な困難を引き受けて、法曹人口の拡大にしても、今の被疑者弁護の拡大にしても、大変なことですが、弁護士の皆さんが司法制度改革の中で牽引車的役割を果たしてこられた。
どうも最近、これまでの苦労を知らない人たちが、何か勘でものを言っているようなところがあって、ちょっと気になります。しかし、あまり事情を知らない人が言うことに引きずられず、弁護士会がイニシアチブを発揮していただきたいと思います。法曹人口の増員の点は、二割司法からの脱却ということだと思います。裁判員制度は、裁判員を経験した国民が社会に戻って、「裁判というものはこういうものだ。」という経験を広める。どこまで中身を言えるかは別として、そういう経験が社会に広がっていく。それによって、社会全体が法の支配というものの大切さを再認識していくという、そういう意味で裁判員制度が社会を変える、ある種のトリガーになる仕組みだと思っていまして、これもぜひ仕上げなければいけないと思っています。
■弁護士会・弁護士への期待
本林:最後に、弁護士会あるいは弁護士に対して、何を期待されますか。
江田:弁護士は正義を確立していくためのプロです。今、弁護士の活躍する場が広がってきています。弁護士さんたちの中には、「これまで苦労したのだから、あとは安気に暮らしていこう」という考えの人もいるように見受けられますが、そうではなく、たとえ持ち出しであろうが、やはり人権の擁護と社会正義の実現という崇高な理想実現のために、それぞれの場で頑張ってほしいと、心から願っています。結果的にそれが飯の種になるのであって、飯の種を求めて正義も不正義もゴチャマゼにするようなことがあっては、断じていけない。
本林:社会の正義の総量を積極的に増やすということでやっていきたいと思います。
貴重な時間をありがとうございました。
【弁政連ニュース 2008年3月28日発行 第12号掲載】
2008年1月24日取材