2010年10月25日 友好訪問

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「日中は、一つの“つまずきの石”で壊れるような関係でもない」


(財)日中友好会館の会長に就任した
江田五月さん
(財)日中友好会館会長 参議院議員

 3年務めた参議院議長をことし7月に退任。それと同時期に(財)日中友好会館の会長に就任した。

 「日中友好会館がこれまで行ってきた事業を円滑に進め、さらに発展させていくにつきる」

 安定した日中関係のために必要なことは、との問いにこう答えた。
 日中の関係団体の役員を務めるのはこれが初めてと語るが、中国とのつながりはとりわけ深い。
 戦時中、反戦を訴えて弾圧を受けた父が中国へ移住。その後母とともに中国へ。父は水利工事に従事、河北省の石家荘で3年ほど暮らした。まだ2、3歳だったという。

 「中国人が守ってくれなかったら、日本に帰れなかったかもしれない」

 天津から佐世保(長崎)へと移動した戦後の引き上げ時を振り返った。
 ここ最近の日中間の問題では、政府間での人脈不足が取りざたされた。だからこそ“中国を知る”新会長が舵を取る交流事業に、期待は高まる。
 初仕事は10月19日から25日まで実施の「日本青少年訪中代表団」。総団長として、1000人の日本青年の先頭に立つ。

 「どの分野をとっても日中間には深い関係がある。それを一つの“つまずきの石”で壊してはならないし、もともと壊れるような関係でもない」

 両国の国民が、実はそう心の奥で感じていると信じている。(北澤竜英)


1941年岡山県生まれ。66年、東京大学法学部卒業。68年から77年まで、東京・千葉・横浜と地裁判事補を歴任。その後政界へ進出し、衆議院議員(4期)、参議院議員(4期)、科学技術庁長官、第27代参議院議長などを歴任した。現在は、民主最高顧問など。父・三郎氏も元国会議員で、社会党の副委員長などを務めた。

社団法人日中友好協会発行「日本と中国」(2010年10月25日号)掲載


2010年10月25日

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