1981/06/03

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94 参議院・公害及び交通安全対策特別委員会

環境白書について

 最近自民党や財界は、環境行政を後退させ、良好な生活環境より経済の高度成長を優先させようとしています。骨抜きの「アセス法案」を国会に提出したり、合成洗済追放運動とも関連する「湖沼汚濁防止法」の国会提出を見送らせるなど、環境行政を後退させようとしています。

 その端的な例が、議員内閣制の原則上、本来環境行政の前進を最も強く主張すべき森下泰・自民党環境部会長が「環境庁はスクラップにすべきだ」と発言していることです。

 このように環境行政が厳しくなるなかで、江田五月議員は六月三日の参院公害交通対策特別委員会で、「環境行政の後退は許されない」「市民は公害追放のためには賢明な行動を行うので、そのシステムの確立を急ぐべきだ」と政府の姿勢を質しました。

 これに対し、鯨岡環境庁長官は「江田議員の環境行政へのご支援は本当に心強い」と答弁し、今後とも環境行政に真剣に取り組むことを表明しました。


○江田五月君 今国会もいよいよ最後になりまして、当委員会で質問ができるのもいよいよ最後、そして最後の質問者になりました。
 最後ですので、もうすでに、きょう質問しようと用意をしてきましたテーマ、同僚委員の皆さんがそれぞれにお尋ねくださいまして、さあどういう質問をしようかといま思っているところでありますが、先月の十九日に閣議で五十五年度の公害の状況に関する年次報告が了承になりました。拝見をさしていただきましたが、まあ、一時期の公害の急性症状といいますか、環境庁第一回目の白書が昭和四十七年に出されたときに「いまや、環境問題は、爆発的様相を呈してきたように思われる。」と書かれていた、そういう状況からすると、環境問題、同時に、環境問題に関する議論の状況、どちらもかなり変わってきたのかもしれません。で、そういう「爆発的様相」という状態ではなくて、次第に落ちついてきているというような基調でこの環境白書が書かれているというあたりをとらえて、どうも新聞論調いずれも、物足りないとかきれいごとだとかいうような評価でありまして、必ずしも評判が新聞紙上ではよくないように見受けられるんですが、環境庁長官どういうふうに思われます、こういう新聞の論調等に対して。

○国務大臣(鯨岡兵輔君) 先ほどから申し上げているように、いまの状態は人間で言えば、商売人なんかの場合に非常に商売がうまくいっている、それで忙しい忙しいと言っているときには、忙しいもいいけれども、少しドックに入ったり休養したりというようなことを勧められればその気にもなれるような――いまはそうじゃなしに、わかっていてもそんな休んでなんかいられないという状態でございますから、そこでどうしても環境問題に対する風当たりは強いんです。先ほど大石先生のお話もちょっと先生から出ましたが、大石先生のころの場合とは状況が一変しております。その中でのことでございますから、マスコミの方は御激励の意味で、もう少ししっかりしなきゃだめじゃないか、こういうふうに言われているんだろうと思いますが、中をこさいに読んでいただければ、まじめに取り組んでその白書はつくった、こういうふうに御評価いただけたらまことにありがたい、こう思うのです。

○江田五月君 私自身も、まあこれかなり大部のものですから読むといってもなかなか大変ですが、拝見をして、よくできているところもたくさんあると率直に思います。

 たとえば、確かに世界的な規模での環境の問題、これまで公に取り上げられたことがなかった問題がきちんと入ってきた。私どもがこれまで何度もいろいろなところで、いまのようにどんどん物を燃やしていくというような、ことに二酸化炭素の濃度がふえていくと、そのうちに、地球の温度がどんどん上がっていくということが不可逆的なところまで達してしまって、北極の氷が解け出す、南極の氷が解け出す、日本の、海に囲まれた国土がかなりの部分沈んでいくというようなことだって起こりかねませんよとか、あるいは成層圏を飛行機がどんどん飛んでいく、そのためにオゾン層にフロンガスがたまって、宇宙のかなたから飛んでくる放射線のろ過が十分できなくて皮膚がんがどんどんふえてくるようなおそれもあるんですよとか、そういうことを申してまいりましたが、どうもいかんせんちょっと大げさじゃないかというような感じで見られた向きもあるかもしれません。

 しかし、ここでそういうことが取り上げられてきた、あるいは野生の生物のこととか、あるいは森林の減少、砂漠化の進行、そういうようなことをきちんとお取り上げになっているというようなこととか、また公害あるいは環境問題というのを総体として理解をしていこう、とらえていこうという努力をなさっている。人工の物質エネルギーの流れが自然の生態系と摩擦現象を生み出して、その中で公害というものが出てくる。自然の物質エネルギーの循環に負荷が加わっている、そのために環境破壊が起こり公害が起こっている、そしてそうした人工の物質エネルギーの流れから生ずる環境への負荷を制御していかなきゃならぬ、環境の問題というのを環境管理とか、環境経営とかそういうようなとらえ方をしておられるという点、確かに傾聴すべきとらえ方をされていると思うのですが、しかし、どうも考えてみると、環境白書、公害の状況に関する年次報告というのは、そういうことだけでいいのかなと。

 世界的な規模で環境が汚染されていく、環境問題をどうとらえるか非常に高度な議論を展開する、それは白書にもちろんあっても悪いわけじゃありません。必要なことかもしれませんが、国民の皆さんに読んでいただく、たとえば環境読本とか、学校の副読本とか、そういうようなものには入らなければいけないけれども、環境白書ということになると、もう少しいまの日本の環境の状況について具体的な、そして環境を本当に真剣に守っていくんだというような姿勢が足りないんじゃないかという、そういう指摘を新聞はしているんじゃないか。

 いま長官のおっしゃったとおり、確かに状況は非常に厳しい。そういう中で、環境庁はもう要らないんだという発言が、長官の属されている党の方から出てくるというような状況ですから、厳しいことはわかるんですが、しかし、それにしてももう一つ何か勢いが足りないというか、この環境白書の中の結びの最後の方に、「公害による生命、健康の被害を受けた人々の犠牲と、環境問題に対する社会的関心を呼び覚ますために払われた多くの人々の努力を政策の原点として」環境行政に対処していくんだ、こう書かれているわけですが、政策の原点だけじゃなくて、まさに生命、健康の被害をいまでも受けている人々がいるんだ、そして社会的関心を呼び起こすためにいろいろな人が努力を払っているんだ、原点だけじゃなくて、そのことをまさにまだ、いま政策課題としてとらえていかなきゃならない時代なんじゃないか。そういう意味で環境庁は十年たって余りにも老成をしてしまったんじゃないか、もっと若々しい怒りの心、改革の情熱を持ってあちこちぶつかりながら、摩擦を起こしながらやっていかなきゃいけないんじゃないかということを新聞の論調はあらわしているんじゃないか、そんな気がするんですがいかがですか。

○国務大臣(鯨岡兵輔君) 御説はよくわかります。たとえて言えば、四十度ぐらいの熱を出して救急車でお医者様へ行った、しかしながら、その後大ぜいの方の御注意もあって熱はずっと下がってきた、しかしながらまだまだ油断はならないという状態にある、こういうような状態だと思います。先ほど地球的な規模の問題は、長期にわたって、お話しのように少しおどかし過ぎるのじゃないかななんというふうに思っている人がいるから、決してそんなことはありませんよというのはその一部分でございまして、私どもはあの四十度の熱を出したときのことを忘れないで、それが原点だと、こういうつもりでその環境白書はつづったものでございますが、もしその四十度の熱を出したときのことを忘れているのじゃないかというようにとられるとすれば、ちょっとできが悪かったかなと思うのですが、どうぞその趣旨は御理解をいただきたいと思います。

○江田五月君 環境白書の中で何か目新しい言葉が出てくる。それは「動脈流」とか「静脈流」とかいう言葉なんですがね。どうも最近の若い者は日本語を知らぬとかいうようなことをよく言われまして、私もまだ若いので日本語をよく知らないのかもしれませんが、あるいは昔からこういうような言い方があったのかどうか、どうもないような気もするんですが、「動脈流」「静脈流」、これはどういうモデルでこの場合に「動脈流」「静脈流」とおっしゃっているのか。きのうもいろいろ御説明いただいたのですが、どうもはっきりしない。どういう意味の言葉なのか。これはだれか起草なさった方の方がいいんでしょうか、ちょっと説明してみてくれませんか。

○政府委員(藤森昭一君) 白書でただいま江田先生御指摘のようにこういう言葉を使ったのは初めてでございます。これは一つのたとえでございまして、白書全体の中を流れているいろいろな考え方がございますが、その中で人間が環境を利用する場合に、地下に埋蔵されている各種の資源あるいはエネルギー等を使いまして、われわれの物的な生活を向上させるという巨大な努力をしておるわけでございますが、その流れというものが、言ってみれば人工の資源エネルギーの流れでございます。これは天然には存在しなかったものでございますから、これがそのまま環境の中に不要となって放出されればそれは自然の生態系を乱すことは間違いないわけでございます。現にそういうところに公害問題というのは、環境問題は発生しているということを指摘をするわけでございます。ただ、その場合に、不要になったものをさらに資源としてリサイクルで活用するとか、それからそれでも残るものについては、天然の自然の環境サイクルの中に無害な形で還元をしていく。そしてその全体の流れというものをトータルな形で管理をしていくという必要があるんではないかと、こういう考え方でわかりやすいように「動脈流」「静脈流」と、こういうふうに申したわけでございます。一つのたとえでございますので御理解をいただきたいと思います。

○江田五月君 わかりやすいようにたとえというのは使うんですね、普通は。どうもかえってわかりにくいたとえになっている。一生懸命考えてみたんです。考えてみて、結局こんな感じかなあと。つまり自然の物質エネルギーの循環という一つの場がありまして、その中に人工の物質エネルギーの生産、流通、消費というものが流れておる、そういう場に一つの流れが通っていて、その人工の物質エネルギーの流れというところに自然の物質エネルギーの循環の方から入ってくるものが「動脈流」と、そしてその人工の物質エネルギーの流れから自然の物質エネルギーの循環の方に出ていくものが「静脈流」と、こんな感じかなというように一生懸命にモデルを考えながら理解をしようと努力をしたのですが、それにしてもわかりにくい、動脈、静脈というのは普通はそうじゃないんで。

 しかも困ったことに環境問題あるいはリサイクル問題というようなことに関して、動脈、静脈という言葉が別の意味で使われるんですね。たとえばアルミならアルミ、ボーキサイトからアルミをつくってそしてそれが次第にかんになってそこへジュースが詰められて、最終的にジュースが飲んで捨てられてとか、最後のジュースの消費の段階までいってしまう、それが一つの動脈の流れ。今度はそのアルミかんが家庭でどこかへぽいと捨てられるのではなくて、お店のところへ集めてきて、業者の方へきてもう一遍再生されていく、これが静脈の流れ。資源がずうっとこの消費の最終段階までいく動脈の流れはこれはほうっておいてもできるのだけれども、最後のところまでいって、今度リサイクルとしてずっと循環をさしてもとへ戻していくというこの静脈の流れをもっとつくっていかなければいけないじゃないかというそういう言い方があるんですね。静脈産業というものをつくっていこうじゃないかというような提案とか、そういう言葉はわりにこれはリサイクルなんかに携わっている者の中では一般的な言葉なんですが、その言葉をつかまえて何だがこの環境白書をうまく装飾をした、デコレートした、環境庁の姿勢の後退をリサイクルの言葉を持ってきてごまかしたというとちょっと言葉はひどいですが、そんなように思えるのですね。「動脈流」「静脈流」というのはいかにも一年たっても二年たっても言葉としてはなじまぬだろうと思いますが、どうですか、環境庁長官いまの説明を聞いてわかりましたですか。

○政府委員(藤森昭一君) 物事をこういうものにたとえてわかりやすくという配慮で書いたわけでございますが、それがかえってわかりにくいということになりますと、これはまことに残念なことでございます。

 これは天然には存在しない資源エネルギーというものを人間が製造、流通、消費の段階でその有効さというものを活用する過程がこれが私どもは「動脈流」と考えているわけでございまして、そこから廃棄物として出るものあるいは不要になりました化学物質として出るもの、あるいは人間で言いますとたとえば屎尿だとかそういうようにして出るもの、こういったものをいわば「静脈流」といいますか、効用を廃したものですね、これが環境の中に出てくる流れ、それを「静脈流」と考えておるわけでございます。これにつきましては江田先生御指摘のように、この有効の用を廃したもの、これもたとえば腎臓とか肝臓で、あるいは肺等でその「静脈流」をさらに資源としてもう一度使うという流れになってくる。これの流れは現在廃棄物等については行われているわけでありますが、しかし行われてない部分もございまして、それが適切な処置をなされないまま環境に放出をされるということに環境汚染の問題とか公害の問題が出ている。したがって私どもの考えはそういうところに十分な手当てをしなければ環境問題というものをトータルに処理をしていけないということを考えて、そのたとえとしていまの「動脈流」「静脈流」を書いたわけでございます。なぜこういうものを書いたかと言いますと、わかりやすいということで書いたわけでございますが、元来それはごく当然のことでございますが、私どもは環境行政といいますか、環境問題がいろいろな意味で困難な立場にありますので、この際またもとに返って、そういう人間の活動の根源にある流れというものをもう一度把握をするという考え方、その中から環境問題のよって来るところを明らかにしようという考え方でこれをやったわけでございます。

 なお、環境白書の中にはそういう流れのほかに、たとえば環境の状況、つまり一方には原生自然という状況もあり、一方には全く人為ばかりで成り立っている都市という状況、その中間にある人為的自然というふうな自然環境の存在の仕方というものも一つの材料としてとってありますし、さらに環境利用といたしまして、第一次的な利用としてわれわれの基礎代謝、呼吸であるとかそういう代謝の対象としての環境というものと、それから第二次的な産業経済等の開発の対象としての環境というもののあり方、それから第三次的な、先ほど言いましたアメニティーに属するような感性としての環境のとらえ方、こういうふうな軸も使いまして、それらの縦軸と横軸を使いまして、環境問題の所在を明らかにし、それからトータルな環境行政を展開していく手だてとしようと、こういうふうに考えたわけでございまして、その中の一つの流れでございます。

○江田五月君 長々と説明してくださいましたが、環境の三要素ですとか、三つの環境利用形態だとか、ちゃんとそこは線を引いて読みましたから、そこらはよくわかるんです。動脈、静脈だけがどうもわからないんで、やはりその辺、まあ私自身が日本語を知らないんだということならば、それはまたこっちで勉強し直さなきゃいかぬのですが、どうもお役所の皆さん方が、こうやれば国民の皆さんにわかりいいだろうと言って努力をされても、それがなかなか本当に国民の、受け手の側の気持ちとぴったりいかない。皆さんがわかりいいだろうと思ったことが、国民の方では全然わからない。もうちょっと簡単な言葉で言ってくれやというようなことがわりにあるんじゃないだろうか、どうもこういう言い方は、いまのような長々とした説明でなければ説明ができぬということでは、これは比喩にならないんじゃないですか。どうですか、長官。

○国務大臣(鯨岡兵輔君) われわれが物を言う場合でも文章を書く場合でも、お話しのように、たとえ話を用いるということは非常にむずかしいことで、たとえ話を用いることによって、むしろ字数が少なく、口数が少なくわかってもらえるというのが、たとえ話を用いる場合の原則でありますから、その意味では、江田先生のような博学の人がわかりにくいと言うのじゃ、これは十分考えてみたいと思います。

○江田五月君 よろしくお願いします。
 そのほかに、たとえばアセスのことだとか、NOxのことだとかいろいろあるんですが、もう前の同僚委員がそれぞれお聞きになりました。アセスのことで一つだけ。

 小さく産んで大きく育てるというのがいまの育児の要請だそうでありまして、そうなればいいのですが、小さく産んでうまく育つかどうかというだけじゃなくて、多くの地方公共団体などが心配をしているのは、このアセスができることによって、地方公共団体のアセスメント条例がかえって制限されてしまうんじゃないか、つまり、小さく生まれた者がおるために、地方でそれぞれ努力をしているさまざまな工夫、そういうものがかえって生きなくなってしまうということになるのじゃないかという心配をしているんですが、これは環境アセスメント法案の審議の際にまたよく伺わなきゃいかぬ問題だと思いますが、どうも小さく産んで大きく育てるのじゃないんじゃないかという気がするのですが、いかがですか。

○国務大臣(鯨岡兵輔君) 電気事業が抜けたということはまことに遺憾であります。そこで、抜けたくらいならば、遺憾ならばやめちゃった方がいいか、そこが選択なんですが、私の判断では、もう二度と日の目を見ることはできないだろう、それでは困るから、まことに残念ではあるがこれでひとつ御審議をいただこうと、こういうことでございます。

 一方、これから地方が条例をつくるような場合には、もちろん法律をながめながらつくって、整合性のあるものにしていただかなければならぬことは言うまでもありません。ありませんが、それぞれ対象事業が私の方は御承知のとおり限られておりますから、そんなに大きな支障はそこにないのではないか、こういうふうに思っております。

○江田五月君 空きかんやビニールのぽい捨てとかいう問題について伺っておきます。
 先ほど長官は、ぽいと空きかんを捨てる人が悪いのだと、空きかんをつくる人とか売る人が悪いとまでは、まだ思う気持ちになっていないのだという、そういうお話でした。私はしかし、空きかんをぽいと捨てる人も、決して喜んでぽいと捨てているわけじゃないと思うのですね。ぽいと捨てる人が悪いと言えば、それは悪いかもしれないが、しかし、ぽいと捨てるよりほかにいい方法があるならば、何もぽいと捨てることはないだろうという気もするのです。

 多くの国民が、いまたとえば、空きかんを受け取ってくれる人が何かおれば、そういう受け取るところまで持っていくのはやぶさかじゃない、あるいはがんとかビニールとかだけでなくて、びんにしても、家庭でもし本当にガラスが全部きれいに回収されていくならば、そういう回収のルートにびんを持っていくことは決してやぶさかじゃない。それだけの労は惜しまないという人は、たくさんおると思うのです。

 びんについて言えば、ビールびんなんかは買ってくれるけれども、ウイスキーのびんもそのほかの清涼飲料水のびんもなかなかきちんと引き取ってくれないじゃないかという、そういう家庭の奥さん方の不満もあるんですね。たとえば新聞報道によるアメリカのオレゴン州のケースを見ると、これは多くの人の予測に反して、市民はずっと賢明な行動の選択をしているわけですね。

 私は、いま市民が悪いのでなくて、むしろそういう賢明な行動を選択しようとしても、その市民の賢明な選択を生かす流通のシステムなどができていない。リサイクルのシステムができていない。自治体のごみ回収のシステムができていない、産業、企業のそういう資源再利用のシステムができていない。そこに問題があるんじゃないだろうか。市民はなかなか賢明じゃないかという気がするのですが、いかがですか。

○国務大臣(鯨岡兵輔君) そういうシステムができていないという問題は、私は確かに一考に値する問題だと思います。たとえばお金を入れて、ぽっと出すかんの販売機がありますが、あの脇にその空きかんを入れるものを置いておくと、いっぱいになってもだれも取りにこない。だからあふれ返っているというようなことにしておけばだめなんで、そういう点でもずいぶん考えなければならぬ面がたくさんあろうと思います。しかしながら、ぽい捨てで一番困りますのは、自動車の運転台から捨てるというのは、あれは困るのです、あれなんかは全くその人のモラルの欠如の問題だと思います。まあいろいろ考えていきたいと思いますが、まずもって、私は捨てる人、あなたは片づける人というのでなしに、自分のものは自分で始末をするということに、みんなが考えていただけるように、全力を挙げて一遍やってみようと、こういうことでございますので、御理解をいただきたいと思います。

○江田五月君 総じて環境問題というのは、やはり国の施策の問題でもあるけれども、同時に、国民一人一人がどういう生活を選択するかという問題になってくる。したがって、ひとつ環境庁も、もちろんこの夏空きかん、ビニールについて大追放作戦を展開されるのは大変結構なことだと思いますし、ぼくらができることがあれば協力さしてもらいたいという気持ちもありますが、環境庁が大作戦を展開していくんだという、何かやはりそこにお役所的発想があるんではないだろうか。国民全部でひとつ大作戦を展開しようじゃないかと、国民一人一人が自分の行動をどう選んでいくかというところまでさかのぼって国民が空きかん、あるいはビニールのぽい捨てを追放していくんだ、そういうことをつくっていこうじゃないかという、そういう姿勢に立っていただきたいと思います。
 この質問で本通常国会の質問全部終わりでございます。

○国務大臣(鯨岡兵輔君) まことに適切な御指摘で、私は市民運動にまで展開されなければいけない。よけいなことですが、地球的規模の問題でもそうです。これは何を大げさなことを言うんだというふうにいまはとられがちなんです。しかしそれは間違えているんですね。で、どうすればいいかと言えば、市民一人一人がなるほどそうかもしらぬと、私一代は何とかなるだろうが私の孫やその子の時代にはこれは危ないぞということを認識してもらわなきゃならぬ。そしてみんなが心配してくれなければ、これはとてもできるものじゃない。

 よけいなことを申し上げたようですが、空きかん問題でもビニールの問題でも、業者はビニールの方がもうかるんですよ。それは安くていいんですよ。しかし、片づける地方公共団体なんかがお金をかけるところまで考えるとえらい高いものについちゃう。ですから、これはやはり先生申されたように、市民運動として展開できるようにわれわれも持っていきたい。決してわれわれが前面に立って、私の後についていらっしゃいという、そういうんではもちろんございません。御了解いただきたいと思います。


1981/06/03

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