2001/04/18

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151 参院・憲法調査会

13時から2時間20分間、長谷川三千子教授と小澤隆一教授からの意見聴取と質疑。

長谷川さんの「宮澤俊義『八月革命説』の逆説」という論文は、なかなか刺激的な論文です。明治憲法の起草に当たった井上毅が、日本古来の政治道徳につき深い思考を巡らした上で構想した主権の規定は、国民主権と対立するものではないから、敗戦によっても改憲をしなくても良かったとし、その上で、憲法制定過程を詳しく分析した上、占領権力が憲法を押しつけるという逸脱をしたとし、「八月革命説」は、これに対する宮澤さんの抗議の韜晦的表現だと結論付けたものです。

主権概念の緻密な学問的考察の結果、日本国憲法は致命的欠陥を持っているとするのですが、戦後50年、現憲法の下で国民主権の充実に営々と努力してきた国民の努力を、学問上の論理の帰結だからと、捨て去ることは出来ません。急遽私が、15分質問して、疑義を質しました。


○江田五月君 お二人の先生、きょうはお忙しい中をありがとうございます。
 まず、長谷川先生にお伺いをしたいと思うんですが、きょうの御意見を伺うに先立って、私ども先生方のお書きの論文といいますか、中には新聞の切り抜きもありますが、事務局が整えて配ってきたので読ませていただいております。

 今も脇さんからお話ありました長谷川先生の「宮澤俊義「八月革命説」の逆説」、あと「国民主権と基本的人権とは」という、これは新聞の切り抜きと、もう一つ学士会会報の「「権」を論ず」というのが入っておりますが、その「「八月革命説」の逆説」というのは大変刺激的で、旧仮名遣いもなかなかチャーミングでおもしろく読みました。綿密な客観的な詳細な検討が要ると思いますが、ちょっと私の能力に余りますし、またほかの仕事が、全部ほったらかせばそれもできるかもしれませんが。

 きょうは、大変おもしろいんですが、今の、これは「新編 新しい社会 公民」というところから引かれました「国民主権は、国家の権力は国民がもっており、政治は国民によって行われるという原理である。」、これは全く正しい、そして、これによって、こういう原理で日本の政治が行われていなかった時期というのは占領中だけであったと、こういうお話でした。

 そうすると、先生の場合には、いわゆる大日本帝国憲法、この時代の日本の政治というのもこの原理によって行われていると、そういう理解ですか。ちょっとそれは僕の誤解ですか。

○参考人(長谷川三千子君) 先ほどの私の話は大分レトリックがございまして、もし素朴に中学生がそのままこれを今の時点で読んだらばこんなふうに思うかもしれない、でもそうじゃないよと大学の先生は次の二の方でこんなふうに教えてくださるという、いわばまくらのような形で申し上げたわけなんです。

 今御質問がありましたように、例えば大日本帝国憲法の場合に、この国民主権の原理というものはどういうふうに採用されていたのか、されていなかったのかという、そういう御質問というふうに私は受け取らせていただきます。

○江田五月君 はい、結構です。

○参考人(長谷川三千子君) これは、大変実は大日本帝国憲法を起草する際に問題になった当の問題でございます。

 実は、ごく素朴にリンカーンの言葉によって、国民の国民による国民のための政治という意味合いでしたらば、実は明治の人たちのいわばコンセンサスと言ってもいいものでありまして、以前ここで参考人として意見を申し上げたときに、五カ条の御誓文というのを参考文献に挙げましたらば、どなたかに大変しかられました。自分はこういうものは暗記したけれども、こんな古臭い天皇の御誓文なんかを持ち出して何とけしからぬとおしかりを受けたのでございますが、実はそこの趣旨というものは何かというと、政治というものは国民の国民による国民のための政治でなければいけないという趣旨だったんですね。ですから、国民主権という原理がもしもそれだけのものであれば、全く問題なく大日本帝国憲法に採用されていたと存じます。

 ですけれども、帝国憲法を起草するときのいわば陰のブレーンとも言うべき井上毅という人、この人が一番鋭くいろんな問題を考えた人なんですが、実はこの主権という言葉には単なるそういう単純なものでないものがあると。ちょうど、ここの佐藤功先生がおっしゃっていらっしゃるようなことを既に明治の時代に鋭く察知していたわけです。

 当時、帝国憲法起草の以前に主権論争というのが大変日本で盛り上がります。その中でやはり問題になったのが、国を二分して戦ったときの片方のスローガンであるような、そういう原理を果たして大日本帝国憲法に入れてよいものかどうかという問題がございました。結局、憲法の起草者たちは、そういう闘争的な概念というものは、日本の場合その歴史的な性格、日本というものの歴史的な性格にかんがみて入れるべきではないと判断して、そしてこれははっきりと国民主権というイデオロギーは採用しなかったと言い切っていいと存じます。

 ですけれども、ではそれは君主主権という概念を採用したのかというと、私は少なくとも井上毅の構想では君主主権でもない。日本というものは、本来そういう君主と国民が主権を相争うという歴史ではなかったはずだ、あるいは自分たちはこれからそういう国柄を築いていくべきではないと考えている、そういう考えを持っていたというふうに存じております。ですから、帝国憲法は君主主権でもなく国民主権でもないと考えるのが一番起草者の意図に合っているというふうに考えております。

○江田五月君 今のお話は、これもよく一晩寝て考えてみなければわからないんですが、しかし、井上毅氏の考え方というものを先生がこの論文で極めて要約してお書きになっている、神権主義とか呼んで片づけてしまうものではない、日本の独特の治者、被治者というようなそういう二分論じゃない国の統合性といいますか、「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の「統治ス」に含められた意味というようなことでお書きなんですが、しかしやはり普通は「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」といえば、それはやっぱり天皇主権だというように理解をされてきて、そして八月革命説というのは、その革命という言葉がいいかどうか、果たしてそこで国民主権がすぐ成立したか、それはいろいろ問題があるけれども、天皇主権なり君主主権なりというものから変わったと、そういう意味で主権の存在が変わって、したがって革命という言葉が当たるんだという、そこまでは私は納得できるのかなと思うんですが、いかがなんですか。

○参考人(長谷川三千子君) 少なくとも宮澤先生は今おっしゃったとおりの考え方でお考えになっていたと思います。

 私は、そのとらえ方というのは多分その当時の主流の考え方だったと思うんですけれども、私個人としては、そういう考え方はむしろ余りにも西洋、近代の憲法学に引きずられているんではないかというふうに考えるわけです。ただし、恐らく私のような考え方を当時の法学会で発表いたしましたら、多分異端的な説であるというふうに言われただろうというふうには存じます。

○江田五月君 そこで、もうちょっと先生のお考えを伺いたいのは、今の井上毅氏が懸命に考えた、それは明治憲法、大日本帝国憲法がそういう考え方で日本の統治構造を設計したということなのか、それともそれ以前からずっと日本に続いていた、日本の連綿たる歴史の中で続いてきている過去、現在、未来と続く国民という、まあ私に言わせれば得体の知れない何かわからないものですが、そういう説明もある、そういう日本国民、日本人というんですかがとってきた統治形態だということなんですか、いかがですか。

○参考人(長谷川三千子君) 私はそういうものではないだろうと思います。
 普通、伝統というふうな言葉で呼ばれるときにイメージされるのが、今おっしゃったとおり何か得体が知れないけれども大昔から何かみんながやってきたことらしい、それをそのまま引き継いでいくことが伝統であるという、そういう理解が一般的なんですけれども、私は特にこういう憲法起草というようなときに当たっては、むしろ未来を見据えて、では自分たち日本人はこれからどういう政治のあり方を理想と考えていくのか、それを真剣に、自分たちの過去を無視するのではなく、自分たちの過去を、未来を踏まえながら再検討して再解釈してつくり上げていく、それが私は恐らく正しい伝統のとらえ方だろうと思うんです。私の少なくとも、ひいき目かもしれませんけれども見る限りでは、フランスの法学思想を十分に身につけながら、なおかつ日本の古典にもしっかりとした目を向けていた井上毅という人は、そういういわば創造的な伝統というものを目指していたんだろうと思います。

 そこで、では結局早い話がどういうことを日本の伝統として考えていたのか、どういう国のあり方をこれからつくっていこうと考えていたのかという問題になるわけですけれども、私はもう端的に、国民の国民による国民のための政治という、それを目指していたというふうに考えてよろしいかと思っております。

○江田五月君 端的に言って、そういういろんな経過をたどって今の日本国憲法というものを持った今の日本の政治の形というのは、これは国民主権だと先生はお考えですか。それとも、その成立の由来が瑕疵があるから国民主権になっていないとお考えですか。国民主権ではあるけれどもいろいろまだ足りないところがあるとかというようなことになるんですか、今のことについては。

○参考人(長谷川三千子君) これは大変禅問答のような御質問でして、日本国憲法は国民主権であると言った途端に、では日本国憲法はだめじゃないかということになってしまうんですね。

 先ほど申し上げましたように、日本国憲法の制定過程というものは近代成文憲法というものの原理に照らして非常に困った制定過程なんです。余り困った制定過程なものですから、結局みんな見ないことにしてやってきたという、それが私は現実ではないかと思いまして、では今それを直視したらば我々の、何か今失われた十年間とかいう言葉がはやっておりますけれども、失われた五十年間をどうしてくれるんだということになるわけでして、これは私は一つの思想的な問題として、どうやってこの日本国憲法の根本的な矛盾を我々で納得し解決していくのかというのは大変難しい問題だと、そういうふうにしかお答えできません。

○江田五月君 私も先生も、多少私の方が上ですが、大体この五十年全部失われちゃったらちょっとたまらぬなという感じがしますが。

 そこで、小澤先生にちょっと伺っておきたいんですが、国民主権は憲法の重要な制度で、しかし選挙の制度や政治資金のことやその他もろもろ足りないところがあって、足りないところはありながら、しかし国民主権ではあるんだろうと思います。国民主権で、最終的には国民に由来する政治の動き。そうすると、それは国民がやはり責任を負っているんじゃないか。その国民がなかなか政治に関心を持ってもらえないような状況があって、これは政治の方が悪いということかもしれませんが、そんな中で首相公選論というのが今しきりに言われているわけですが、先生はこれはどうお考えでしょうか。

○参考人(小澤隆一君) 首相公選論については、現時点ではそれをどのような具体的な制度にまで煮詰めるのかということについては余り提案がないように、これは私は勉強不足かもしれませんが思います。その点においては、ちょっと言葉が悪いかもしれませんが、思いつき的な要素の大きい、そういう論ではないかなというふうに思っております。

 私が、この首相公選論を、仮に議院内閣制を維持したまま首相について公選制度を設ける、そういう制度として理解した場合、このような制度設計は、私の理解するところでは非常に不安定な制度設計なのではないかなというふうに思います。公選にすれば限りなく大統領制に近づきますので、その大統領的な首相が国民に信を得ているという状態と、それと仮に議院内閣制のもとであれば両院は首相及び内閣に対して責任を問う関係にありますから、その問う問い方、あるいは問えるのか、そういった問題が生じてまいりまして、恐らく制度設計としては非常に不安定な要素のあるものだというふうに現時点では、今議論されている限りにおいては理解しております。
 以上です。

○江田五月君 ありがとうございました。


2001/04/18

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