2003/05/07

戻るホーム主張目次会議録目次


156 参院・憲法調査会

平和主義と安全保障につき、西修教授、上田勝美教授、渡辺治教授から、参考人として意見を聴取した後、委員から質疑。私が20分間、主として渡辺教授に、若干を上田教授に質問しました。渡辺教授の見解は極めて説得力が高いと思います。さらに1時間弱、委員間で自由討議。


平成十五年五月七日(水曜日)    >>会議録全文

○江田五月君 民主党・新緑風会の江田五月と申します。

 参考人の先生方、今日は貴重な御意見を本当にありがとうございます。

 それぞれにお話を伺いまして、大変刺激を受けました。特に、渡辺参考人のお話は大変率直で刺激を受けて、かつ非常にインストラクティブだったと思うんですが、そこで、渡辺参考人にまず一、二伺っておきたいんですが、戦後この日本国憲法ができた経過を考えれば、確かにおっしゃるように、アジアにおける紛争のもとであった大国日本、これを何とか封じ込めようと、そのことによってアジアに平和を作っていこうという、そういうある種の流れであったことはそうだろうと思いますね。

 しかし、それをそれだけで見るんではなくて、やっぱり第一次大戦、国際連盟の経験、第二次大戦、その間に大量破壊兵器は出てくる、核兵器も登場する、戦争が世界じゅうを覆う、そんな事態を乗り越える。そこで世界じゅうが言わば一つの人類普遍の原理にたどり着いて、それを日本国憲法に表現をしたり、国際連合憲章に表現をしたり、そういうある種の世界の、世界史の流れの中で日本国憲法を見なきゃいけないんじゃないかという感じもする。

 先ほどの舛添さんは日本国民の意思はどうであったかということを議論されましたが、それも一つ確かにあるけれども、同時に世界の大きな流れというものがあって、そうすると、私は、やっぱりこの日本国憲法というのは、そういう平和主義、国際協調主義、あるいは後に国連、そういう点で、人類普遍の原理を示している前文と九条と併せて、そこの文言の一つ一つは別として、そこにある基本的な精神としてはそういうものがあるんだと思っているんですけれども、この点いかがでしょうか。

○参考人(渡辺治君) おっしゃるとおり、どちらかというと私は、現実的な構想、つまり、なぜ私が先ほど言ったようなお話を強調したかといいますと、憲法学の中でも、御存じのように、憲法と現実が非常に乖離していく中で、九条の下でいろんな九条に違反するような事態が起こっていく中で、憲法というのはマニフェストなんだと、理想を表明したものなんだと。

 これはそういうもので、政治的プログラムだとかいろんな意見がありまして、だから、そういうものとして棚に上げておけばいいじゃないかと。だから、だれも九条一項については非難しないわけですね。ちょっと九条二項をいじろうよというのが改憲派の意見なんでね。そうではなかったはずだと、憲法九条の規範の発想というのは非常に現実的な制度を目指しているし、そういう現実的な力を、平和保障の力を作るものとして構想されたんだということを強調したために、今、江田委員のおっしゃったように、世界史的な流れということについては、あるいは思想的な問題については触れておりませんでしたが、私はそれはそのとおりだと思います。

 ただし、私が強調したいのは、その世界史の流れの中で、先ほどもちょっと言いましたが、日本国憲法が非常に大きい役割を果たしたのは、余り言われてないんですけれども、国連憲章と非常に違う考え方があると。先ほど言ったように、第一次世界大戦後の失敗を受けて、国連というのは大国中心の平和構想なんですね。ところが、日本の日本国憲法は、先ほど言ったように、大国の力を規制することによって平和を実現しようという考え方があるんですね。これは世界が、いまだにそうですけれども、様々な大国と小国との差別的な世界の中で現実に平和を構想していくときにどちらの道を取るのかということで、私は日本国憲法という考え方は、フラットな、みんな平和になろうよという考え方じゃなくて、大国の力を規制して平和を実現していこうという考え方を持っていた、それから侵略者を規制するという考え方を持っていたという点で、私は世界史的な意義があるというふうに思っています。

○江田五月君 ありがとうございます。

 さらに、渡辺参考人に伺いたいんですが、私は、今この二〇〇三年というのは非常に国際政治においても大きな曲がり角にいるんではないかと。先ほどもおっしゃいましたですよね、大国による、武力による世界の平和という方向へ行ってしまうのか、それともそうではなくて、やはり国際協調、それぞれ国際社会の中に法というものがあるんですよと、みんなが守らなきゃならぬ、単に力が強い者だけが勝っていくんじゃないというところを堅持して、これからその方向を更に深めていくのかという、そういう岐路に立っているような気がして、恐らく最後の方、おっしゃりたかったのはそういうことであったんだろうと思うんですが、私は、その岐路に立っていて今回のイラクのこの戦争というものが実は起きたと。

 今、もう現に日本の中でも、あるいは世界でもそうかもしれませんが、国連なんて言うけれども、現実にはやっぱり武力による、大国による世界の平和しかないじゃないかと。だから、国連と、それを前提にした日本のいろんな、安保条約を含めですが、安全保障体制というものはもう根本から見直してしまった方がいいんだ、国連なんというのは相手にできないんだというような風潮がもう平然と出てくるような事態ですけれども、しかし、やはり国連も日本国憲法もここはやっぱり踏ん張りどころだというので、私は、国連憲章は日本国憲法と考えが違うというよりも、むしろ国連憲章を作るときにはまだそこまで行っていなかった部分がちょっと残っちゃったからそういう部分もあるけれども、やはり国連憲章、国連というのが世界を法によってまとめていこうと。各国がそれぞれ軍事力で世界を制覇する、競争する、そんな世界じゃ駄目なんだと。特に、侵略が起きた場合にはそれを国際的な対処で封じ込めていこうという、そういう発想だと思うし、それをこれからも大切にしなきゃならぬ、それが日本国憲法の言わばエッセンスだと思いますが、いかがでしょう。

○参考人(渡辺治君) おっしゃるとおりだと思います。

 私は、国連憲章と日本国憲法の違いをあえて強調したのは、国連憲章を一歩前進したものとして日本国憲法をとらえたいと。やはり武力というものについて国連は、国連憲章はやはりある前提がありますね、戦争の違法化ということありますけれども、それから今言ったように、大国中心で世界を運営していくことが最も現実的だと。

 私は、江田委員がおっしゃった、現在岐路に立っている世界の二つの構想があると、力によるブッシュ的な道か、もう一つのオルタナティブな、まだはっきりと政治勢力として見えていないんですけれども、こうした憲法九条を実現するような道かという、その対抗関係が正におっしゃるとおり今現れていると思うんですが、その際、国連というのがなぜこのように無力であるのかという問題は、やはり私は国連安保理の大国中心の制度構想というものが大きなネックになっていると思うんですね。

 ですから、例えば京都議定書とか、CTBTとか、それから地雷禁止条約とか、すべて大国の意思をどうやって縛るのかというところで非常に苦労しているわけで、そういう意味でいえば、私は、憲法九条の実現というものを目指す方向としては、そういう国連改革をも含めた制度改革構想というものを、憲法九条は予定しているし、そういう方向に進んでいくことが必要なんじゃないかというふうに思っています。

○江田五月君 先ほど、これも渡辺参考人、ごめんなさい、どうも一人に集中して、最後に何かおっしゃりたくて時間がなくなったところがあったような気がするんですが、そこのところ、若干時間をおかししますので簡単に触れてください。

○参考人(渡辺治君) ありがとうございます。

 最後に言いたかったことは、憲法九条を具体的に実現するためのオルタナティブな構想の柱といいますか、その点をお話ししたかったんですが、一つは、今、江田委員の御質問に答えて言ったことは私は三つあると思います。

 一つは、国連の大国中心の構想というものを変えて本格的に国連改革のイニシアチブを日本が取っていくと。その場合には、日本は、四十年の政治の実績の中で、武器輸出の規制とか、非核三原則とか、それから様々な言わば遺産を持っているわけですね。こういう国は私は日本しかないと。大国中心の国連を変えていくのに大国を使わなければ現実にはできないんですね。その中で使える唯一の大国は私は日本だと思います。それは、経済大国でありながら非軍事的な大国であるこの日本が、そういう国連改革の、平和保障の機構としての国連を再建するためのイニシアチブを取っていく、これが第一。

 二番目は、やはりアジアの地域的な安全保障構想というものを憲法九条の理念に沿った形で私たちは具体的に構想していく必要があるということですね。これは、日本だけで一気に国連を変えていくということだけではなくて、アジア地域における平和保障の構想というものを具体化することによって、それを世界レベルのスタンダードにしていく。

 その意味では、アジアが今、世界の中で北朝鮮を中心にして最も危険なある意味では地域になっているわけですね。ここの安全保障構想を私たちが実現することができるかどうかというものに憲法九条の実現の可能性が懸かっている。そういう意味では、アジアの世界的な、地域的な平和安全保障構想、私はこれは非核地帯構想であり安全保障構想だと思いますが、こういうものが一つ。

 三番目は、平和秩序の維持を平和の問題だけで限定して考えることはできない。今のグローバリゼーションの中のアメリカの経済的な横暴に対する様々な形が、ふんまんがテロとかナショナリズムという形で出ていますが、こういうものをそのままにして、世界の経済的格差をそのままにして九条を実現しようといったって無理だと思うんですね。

 そういう意味では、グローバリズムに反対する経済発展と、それから、僕はこれは東アジアの地域的な経済圏というものを考えていく必要があると思うんですが、そういうものとタイアップした平和構想というものを考えていく必要があるんじゃないか。この三つの点を強調したかった。

○江田五月君 大変有益な発言、ありがとうございます。全く同感なんですが、最後の点は、あるいはもう少し最近使われている言葉では人間の安全保障というような言い方でもいいのかなという感じはしました。

 それで、さはさりながら、やはり文章というのは、どうしてもその文章が書かれたときの歴史的な背景というのに制約をされますよね。あるいは、いろんな構想にしても、やはりその構想が練られたときの歴史的な背景に制約をされるので、例えば、国連が大国によって例えば安保理も作られていると、それはそうなんで、あの戦争が終わった後で、戦争に言わば責任、戦争に勝って戦後の世界に責任を負った国が中心になって国際秩序を作るというのは、ある意味でそれはそれで仕方がない。しかし、以来五十何年たって、今、日本は大国、軍事力を持たない、しかもいろんな非核三原則その他の、戦後のこの、これはこの場合は負じゃありませんよね、正の遺産を持った大国としてこれからの世界の役割を果たす国だという趣旨のことをおっしゃったわけですが、国連もそうでしょう。あるいは日本国憲法も、やはりあの時代に世界の歴史の流れの中で到達した言ってみれば人類普遍の原理を表現しようと思うと、日本としてはああいう表現の仕方しかなかった、しかし、今の時代になったらそれはまた別の表現の仕方があるかもしれないというようなことがあるんではないか。

 というので、上田参考人にお伺いをしますが、上田参考人はお話の中で、お話じゃありません、書かれた、お出しいただいた参考資料の中で、日本国憲法前文全体の基本原則として恒久平和主義、基本的人権尊重主義、国民主権主義及び国際協調主義があると。特に国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義、これは人類普遍の原理だとして、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除すると前文に明記されているので、もちろん日本国憲法が採用している諸原則やそれらを含む法令を歴史の発展に即して改正する方向での手続を進めることは一向に差し支えないと、それは、憲法というのは歴史の発展を許容しこそすれこれをストップするものではないからだと、こういうことをお書きなんですが。

 私は、その今お書きのところを、私の先ほど申し上げたような理解、つまり、憲法にしてもやっぱり五十何年前の文章だから、それはやっぱりその時代の制約がある、それを、そのときに到達していた普遍的な原理を更に発展させる形で議論を深めて、そして日本国憲法にしてもあるいは国連憲章にしてもこれから書き換えるという、そういう議論は、むしろ上田参考人のこの文章は慫慂しこそすれ止めるものではないんじゃないかと理解をするんですが、いかがですか。

○参考人(上田勝美君) まず、憲法改正についての僕の考え方を申し上げておきます。

 私の立場は、改正無限界論なんですね。学説的には改正無限界論と改正限界論があります。限界論は、御存じのように、憲法の基本原理その他を、憲法制定権者が選定した政治的意思決定ですから、基本原理まで変えるということは憲法の同質性、継続性がなくなる、それは限界だと、そういうことだと思います。私の場合は、その無原則な無限界と言っているんじゃなくて、歴史の発展という法則を前提にした判断ということを言うわけです。

 例えば、今、さっきから言っておりますように、国民主権の原理を人類普遍の原理と憲法前文で書いておるわけですけれども、これを君主主権の憲法に変えるとすることは、形式的に数の上でできても、それは絶対に改悪だと僕は思うんですね。だから、歴史の発展に即して人権の幅を、どういいますか、拡張していったり、そういうことは、それが民主主義の要素をより強固なものにする制度改革というのは無限界だという立場ですね。

 だから、そういう点では、今問題になっている新しい人権と言われるもの、知る権利とかいろんな環境権とかいうものは、行く行くはそれは人権のメニューに入れるという意味での改正というのは必要になると。あるいは、死刑制度を、現在憲法は死刑を認めていると僕、思うんです、憲法三十一条等から。だから、死刑は僕は廃止すべきと思うんです。そういう意味でも、それはやっぱり改正する。

 けれども、今問題になっているのは、今日の主題であります安全保障という問題ですよね。だから、どういいますか、国家像で示しましたように、平和主権憲法というものはやっぱり困るという人もおるようでして、だから普通の国家として変えないけないという、そういうのはあるんですけれども、それは僕は憲法改正無限界論に立っても認められない。なぜかといえば、それは逆行だという立場です。

 それからもう一つ、江田委員は、日本の憲法はもう五十年もたったというふうに言われたんですけれども、五十年って短いですよ。アメリカの成文憲法は世界一古いですけれども、一七七六年七月四日に独立して、一七八八年にできて……

○江田五月君 済みません、短くお話を。

○参考人(上田勝美君) それで、その人権のない規定が七か条でしたから、すぐにビル・オブ・ライツと言われる修正憲法で十か条入れたんですよ、御存じのようにね。何年たっていますか、わずか五十年です。

 それで、問題は長いか短いじゃなくて、その最高法規としての憲法原理とかそういうものが歴史の発展に耐え得るかどうかということで決めるべきなんです。そういうことでございます。

○江田五月君 分かりました。

 五十年もというのは、長い短いはいろいろありますが、五十年前の世界や日本の状況と今の世界や日本の状況は大きく変わっているということは言えるんじゃないかという趣旨で申し上げていたんですが。

 なお、私は憲法論議というのは、人類史あるいは世界史、そういう視点が不可欠で、今この時代に、あるいはこれから先二十一世紀の時代に、この地球という掛け替えのない惑星に一緒にみんな住んでいると、その地球市民がこの同時代という時代に一緒に住んでいる中で普遍的に保障されるいろんな原則があるだろうと。それを全体として考えながら地球憲法を考えて、それと整合性のある日本の憲法はどんなものかというようなそんな議論をすれば、憲法の議論というのはもっと意味のある議論になるんではないかというようなことを考えておりますが、これは私の考えで、あともうほとんど時間ありませんが、日本国憲法がこの人類普遍、あるいは日本国憲法が基本的な精神として立脚しているものが国際協調主義、平和主義、これは国連中心主義ということもやはりあると思うんですが、国連中心主義と国際協調主義と、これは同じものか、あるいは違うとお考えになりますか。

 時間がほとんどないので、上田参考人と渡辺参考人に簡単に伺います。西参考人、ごめんなさい。

○会長(野沢太三君) じゃ、簡潔にお答えください。

○参考人(上田勝美君) 国際協調主義が広い概念だと思います。

○参考人(渡辺治君) 国際協調主義というものは、国連改革を含めた、国連を世界平和秩序の重要な機構とするような意味を含めた意味での国連中心主義ということであればかぶってくると思いますが、やはり上田参考人と同じように、国際協調主義はより大きな平和主義とリンクする概念だと私は思っております。

○会長(野沢太三君) 時間が来ています。

○江田五月君 簡単に。

 なぜ聞いたかというと、今回のイラクの戦争で国連を言わば無視した形でアメリカの戦争というのは起こしており、これを日本の政府がすぐにもろ手を挙げて支持するというようなことは、ちょっと日本の憲法や国際社会の今の歴史的な大きな流れと逆行していく、さっきの話で言えば、大国や武力による平和の方向に一歩進むような道ではないのかということを言いたかっただけで、これはお答え要りません。
 終わります。


2003/05/07

戻るホーム主張目次会議録目次