2004年5月13日 |
159 参院・法務委員会
・ 裁判員の参加する刑事裁判に関する法律案(閣法第67号)
・ 刑事訴訟法等の一部を改正する法律案(閣法第68号)10時から、法務委員会。裁判員法案と刑訴法改正案についての参考人質疑で、長谷部恭男教授、四宮啓弁護士、土屋美明論説委員、伊藤和子弁護士から意見聴取。民主党の質問者は角田義一さんでしたが、国家基本政策委員長の辞任手続きと時間が重なったため、急遽私が質問することになり、15分間質問。
平成十六年五月十三日(木曜日) 午前十時開会
○委員長(山本保君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨十二日、高橋千秋君が委員を辞任され、その補欠として樋口俊一君が選任されました。
─────────────
○委員長(山本保君) 裁判員の参加する刑事裁判に関する法律案及び刑事訴訟法等の一部を改正する法律案を一括して議題といたします。
本日は、両案の審査のため、お手元に配付の名簿のとおり、四名の参考人から御意見を伺います。
御出席いただいております参考人は、東京大学法学部教授長谷部恭男君、弁護士・早稲田大学法科大学院教授四宮啓君、共同通信社論説委員土屋美明君及び弁護士・市民の裁判員制度つくろう会運営委員伊藤和子君でございます。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございました。
参考人の皆様から忌憚のない御意見をお聞かせいただきまして、今後の審査の参考にしたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
議事の進め方でございます。まず、長谷部参考人、四宮参考人、土屋参考人、伊藤参考人の順に、お一人十五分程度で御意見をお述べいただきまして、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、念のため申し添えますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いいたします。
なお、参考人の方の意見陳述、質疑及び答弁とも、着席のままで結構でございます。
それでは、長谷部参考人からお願いいたします。長谷部参考人。
○参考人(長谷部恭男君) 本日は、このような場で発言の機会を与えていただき、誠にありがとうございます。
私は、専門といたします憲法学の立場から、裁判員制度の憲法上の幾つかの論点につきまして、若干のお時間をちょうだいしてお話をさせていただきたいと存じます。
この裁判員制度は、一般市民から無作為抽出された裁判員が裁判官とともに刑事裁判に関与する画期的な制度でありますが、身分保障のない裁判員が裁判に関与することが日本国憲法と整合するか否かにつきまして議論があること、これは御案内のとおりでございます。この問題につきましては、次のような幾つかの論点に着目する必要があるかと存じます。
第一に、第二次世界大戦前に運用された陪審制が、これが大日本帝国憲法に違反するのではないかが論じられたことがございますが、大日本帝国憲法はその第二十四条で法律に定めたる裁判官の裁判を受ける権利を保障していたのに対しまして、現在の日本国憲法はその第三十二条で裁判所において裁判を受ける権利を保障しているにとどまるということであります。
もっとも、戦前の憲法学の通説を形成しておりました美濃部達吉博士の「憲法撮要」は、大日本帝国憲法に言う裁判官とは裁判機関を意味するのであって、必ずしも官吏であることを意味しないとしております。つまり、美濃部博士の解釈では、裁判官の事実認定が陪審の答申に拘束されるような制度でたとえあっても、それは大日本帝国憲法に違反するものではないということになります。
第二に、とは言いましても、日本国憲法は、その司法の章におきまして、裁判所の構成要素としましては、身分保障のある職業裁判官についてのみ規定を置いており、それ以外の者が裁判に関与することを予想していないのではないかと言われることがあります。
しかしながら、比較法的に見ますと、憲法の条文上は身分保障のある職業裁判官についてしか規定がないにもかかわらず、一般市民から選ばれる陪審員が裁判に関与する国も存在をしております。また、職業裁判官であれば、その地位や報酬を保障しなければその行う裁判について内外からの圧力を被るおそれがないとは言えません。アメリカ建国の父の一人であるところのアレグザンダー・ハミルトンが言うように、ある人の生活の糧を支配するものはその人の意思をも支配するからであります。
これに対しまして、陪審員や裁判員は、一般市民の中から事件ごとに選ばれて審理に加わり、事件が解決されればまた元の一般市民に帰っていくわけでありますから、裁判について圧力を加えられるおそれについて、これは職業裁判官と同一に論ずることはできないと考えられます。職業裁判官についてのみ身分保障の規定を設けなければならないのはそのためであると言えるとも思われます。
もちろん、日本国憲法が法の支配をその基本理念としており、法の支配が、突き詰めれば、専門の法律家集団によって解釈、運用される法の支配を想定している以上、専門の法律家である職業裁判官が司法過程の不可欠の構成要素でなければならないことは、これは言うまでもないことであります。しかし、事実認定についても一般市民の関与を決して許してはならないという結論までがこの法の支配という理念から導かれるわけではないと考えることができると思います。
以上のような理由で、私は、裁判員制度が憲法の想定する司法あるいは裁判の観念と矛盾するという議論は、これは支持し得ないというふうに考えております。
他方、裁判員制度は一般市民の行動の自由を束縛し、その思想、良心の自由を侵害するおそれがあるとの議論もないではありません。しかしながら、結論から申し上げると、この議論も支持し得ないものであると私は考えております。
第一に、例えば聖書の言うところの、裁くな、あるいは誓うなという言葉を文字どおりに受け取り、それを人生の確信として生きる人にとりましては、裁判員としての務めを果たすことはその信仰と両立しないでありましょう。そうした人が裁判員となることを拒むことにつきましては、今回の法案の第八十三条各号に言う正当な理由があると言えるでしょうし、その人の思想、信条と裁判員としての務めが両立しないという事情は、裁判員となることを辞退するやむを得ない理由とすることが適切であると考えられます。
他方で、裁判員としての務めを果たすことが、ほかにやりたいことがあるのにそれができなくなるという意味での一般的な行動の自由を束縛することになることは、これは確かでありますが、それが直ちに憲法上の問題を生ずるという議論には疑問があると考えます。
このような一般的な行動の自由、つまり自分のやりたいことを何の支障もなくやりたいという自由、これは憲法上は厚く保障されている自由とは言い難いものでありまして、一般市民から無作為抽出された裁判員が公平、適正な裁判を行うという制度に十分な正当性があり、その務めが市民の行動の自由を過度に制約するものでない限りは違憲の問題は生じないと考えるべきだと思われます。
裁判員制度をめぐる憲法上の論点はほかにも幾つかございますが、時間の関係から以上にとどめたいと存じます。
ところで、たとえ裁判員制度の導入が憲法に違反しないといたしましても、なぜそうすることが公平、適正な裁判の実現に貢献することにつながるのかにつきましては別途考察する必要があると思われます。
裁判員制度の導入は、時に司法に対する国民の理解を深めることに目的があると言われることがございますが、裁判員制度を導入するとすれば、それが公平、適正な裁判の実現に資するというのが何よりもその理由でなければならないはずでありまして、また公平、適正な裁判の実現に貢献することを目指して国民が裁判に関与するからこそ、国民の司法に対する理解も深まるはずであります。
裁判員制度の導入、これがなぜ公平、適正な裁判の実現に貢献するかというこの問題につきましては幾つかの答え方がございます。
一つは、これはフランスの革命期に活躍した哲学者であり、政治家でもありましたコンドルセの主張したいわゆる陪審定理に訴えるものであります。このコンドルセの陪審定理によりますと、刑事被告人が有罪か無罪かといった二つの選択肢の中から一つの答えを選ぶような問題につきましては、ある集団のメンバーが正しい選択をする確率、これが平均して二分の一を超えており、かつ各メンバーが独立に投票するといたしますと、その集団が多数決によって正しい答えに到達する確率、これはメンバーの数が増すにつれまして増大をして、極限的には一〇〇%に近づきます。選択肢が二つの場合につきましては、これはランダムに答えを出したといたしましても五〇%の確率で正解を得られるはずでありますから、公正な手続を通じて十分な事実関係に関する資料を得た上で、裁判に関与する人々が理性的に審議をした上で各自の判断に基づいて評決に加わったといたしますと、多数決で正しい結論に到達する確率は高まるはずであります。
今回の法案におきましても、裁判員はそれぞれ独立してその職権を行うとされておりますし、また評決は合議体の過半数によって行われることとされております。このことには十分な理由があると考えられます。
また、もう一つの答え方といたしましては、これは哲学者のアリストテレスが「政治学」という著書の中で展開をしている議論を挙げることができます。これは、多様な知識経験を備えた多くの人々がそれぞれ討議に貢献をするような会議体というのは、その会議体の中の最も卓越したメンバーが独力で、つまり一人で到達し得たであろう結論よりも更に優れた結論に到達することができるという、そういう議論であります。優れた能力を備えた人でありましても、一人で収集したり処理したりできる情報には限りがあります。これに対して、多数人から成る会議体、これは多くの人々の多様な知識経験、これを共通のものとしてプールすることができるために、それを基にその会議体が到達し得る結論は、最も卓越したメンバーが到達し得るであろう結論よりも更に優れた結論になるという議論であります。
多様な知識経験が提供されることがこの議論が働くための必要条件ですので、その観点からすれば、一般市民のみから成る陪審制よりは職業裁判官あるいは少なくとも法律家を含んだ会議体が判断を下す裁判員制度の方が望ましいということになるでありましょう。今回の裁判員制度におきまして評決が裁判官及び裁判員の双方の意見を含む員数の過半数の意見によることとされておりますことも、こうした考え方からいたしますと評価に値すると言えると思われます。
以上で述べてまいりましたとおり、裁判員制度が公平、適正な裁判の実現に貢献するという期待には十分な根拠があると私は考えております。
以上で、簡単でございますが、私の話とさせていただきます。
どうもありがとうございました。
○委員長(山本保君) ありがとうございました。
次に、四宮参考人にお願いいたします。四宮参考人。
○参考人(四宮啓君) 今日は、意見を述べる機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
実は、二〇〇二年にもこの委員会に司法改革全般についてお招きをいただいて意見を申し述べる機会をいただきました。大変光栄に存じております。
私は、今日、裁判員制度を中心に司法改革における裁判員制度の意義、それから、これに私は基本的に賛成をいたしますけれども、その賛成をする理由、そしてこの制度をよりよく機能させるために幾つかの点について、この三つについて意見を申し述べさせていただきたいと思っております。
実は先週の月曜日に、私、カリフォルニア州のサンディエゴという都市に参りまして、朝、地方裁判所をのぞいてまいりました。そこの陪審ラウンジと言われている、陪審員として呼ばれた人たちが集まる部屋には四百人の市民が待っておりました。一人一人は決してうれしそうな顔をしているわけではありませんでした。しかし、だれもがそこにいるのは当然という顔をして、じっと呼ばれるのを待っていたわけです。私は、近い将来、日本の全国の裁判所で似たような光景が実現するのかと思うと、大変感慨深い思いをしたものであります。
司法制度改革と裁判員制度の意義でありますけれども、御案内のとおり、今回の司法制度改革は、公正で透明な社会をより目指そうというところにその意義があると思います。
司法制度改革審議会の意見は、その公正で透明な社会を実現するために公正で透明なルールを尊重する社会にしようと、つまり一言で言えば法の支配、法の精神が全国あまねく国民に行き渡るようにしようということを理想としているというふうに思います。そのために、この審議会の意見は三つのこと、まあ大きく分ければ私二つのことだと思っておりますけれども、二つの方法を提案しました。一つは、国民自身が司法を使うということであります。そしてもう一つが、国民自身が司法を担うということであります。
御案内のとおり、司法は今まで国民にはむしろ忌み嫌われておりました。できれば一生の間に裁判所には行きたくないというふうに思われておりました。しかし、より公正で透明なルールに基づく社会を運営しようとすれば、国民自身が自分の生活をより豊かにするために、この司法を積極的に活用していくということがどうしても必要になります。
そのためには今の制度にはいろいろ問題も多いわけでして、一つは、このためには全国どこにいてもだれでも司法のサービスが受けられるように、司法が使えるようにする必要があります。これからこちらでも御審議いただく総合法律支援法案というものは、その仕組みを提案しようとするものと私は受け止めております。
それから、国民自身が司法を使うと申しましても、やはり専門的な領域もありますので、専門家のサポートが必要になります。そのためには、質の良い多くの法律家が国民のすぐそばにいる必要があります。そのために、審議会の意見書は、法曹養成制度というものを抜本的に改革をして、いわゆるロースクール制度、法科大学院制度を提案し、この四月から実現をいたしております。
二番目の、国民自身が法を担うというものの目玉が、今回御審議いただいている裁判員制度であろうと思います。
これは、国民が、自分たちの生活というよりは社会を構成する一員として社会的なトラブルの解決に関与する、あるいは法を自ら宣言するという役割を担うという意味で大変重大な意義を有するものと評価をしております。つまり、法の支配というものを今までのようなお上や専門家だけではなくて、むしろ国民に主体的に担ってもらうと、その象徴的な制度が裁判員制度であろうというふうに思います。
次に、この法案、そして刑事訴訟法等の改正法案を私が支持する理由を二点申し述べます。
一つは、国民主権の実質化ということでありまして、もう一点は、刑事訴訟制度の改革ということであります。
国民主権の実質化につきましては、今、長谷部先生からもいろいろとお話がございましたけれども、意見書によれば、憲法が定める個人の尊重ということと国民主権というものが法の支配の内容であると言っているように思います。意見は次のように述べております。国民一人一人が統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画してほしいと呼び掛けております。つまり、国民が利害関係人や有識者としてではなく、社会の構成員の一人として、主権者として自分たちの社会のルールについて考え、そして正義について考え、そしてそれを宣言するということであります。
このように、裁判員制度は国民主権と深い関係を持つ制度でありまして、法務大臣も述べておられますように、司法の世界における民主化を実現するものと評価できると思います。とりわけ、無作為抽出として一件だけ事件を担当するという仕組みとしたことは、一部の人だけが担う制度ではなく、国民みんなが担うという制度としたという意味で高く評価できるというふうに私は思います。
次に、刑事訴訟手続の改革の点であります。
これは、今までと全く変わったものにしてしまう、見ず知らずのものにしてしまうということではなくて、本来憲法や刑事訴訟法が予定をしていた裁判の仕組みというものに変わっていく、あるいは戻っていくという意味で評価をできるということであります。
無作為に選ばれた国民は、決して裁判官になることが期待されているわけではありません。裁判の経験、法律の知識などは、プロの裁判官がそばにいるわけですから、これらのプロの裁判官たちが提供してくれるわけです。国民に期待されていることは、裁判官と同じように仕事をするというよりは、社会の健全な常識を持ってきて、それをみんなでぶつけ合って、より公正な結論に到達するということが期待をされているわけであります。そうだとすると、現在行われている刑事裁判のシステム、実務というものは大きく変えていかなければならなくなります。二つの理由から変えていかなければならなくなります。
一つは、一般の国民が裁判をするということからであります。
今申し上げましたように、裁判員は裁判官になるのではありません。つまり、裁判員には裁判の知識も経験も要求をしなかったのであります。法廷に座っていて、目で見て耳で聞いて分かる裁判にしなければ参加をする意味がありません。公開で行われる公判中心の裁判へ変わっていかざるを得ないのであります。
今までは、調書と呼ばれている書かれた記録が裁判の中では大きな意義を占めておりました。分厚い調書が作られ、それを裁判官が法廷ではなくて法廷の外で熟読玩味し、そして心証を取っていくという実務が行われているわけでありますけれども、これはとても一般の国民の方にこの同じことをやっていただくわけにはまいりません。また、本来原則的に刑事訴訟法が予定していた裁判の仕組みとも異なるものであったわけです。これが大きく変わってくるということになります。
もう一つは、集中審理の必要性から、手続が大きく変わらざるを得ないということであります。
今までは、先ほど申し上げましたように、たくさんの記録を後から読んで、あるいは月一回程度行うことでも裁判が成り立ってまいりましたけれども、今度は忙しい国民に来ていただくわけですから、集中して審理を行わなければなりません。そのためには、充実した事前の準備、言わばおぜん立てが必要になるのでありまして、今度の刑事訴訟法の改正案もその点に対する配慮が行われております。
その充実したおぜん立てのために最も必要なものは証拠開示の拡充であります。争点を十分に明確に整理をするためには、お互いの情報を事前に十分に交換し合うことが不可欠であります。今回の刑事訴訟法の改正法案にはその拡充が盛り込まれております。ただ、これはやはり更にいろいろと運用段階でも、より争点整理がしやすい方向への運用を是非期待したいというふうに思っているところであります。
刑事手続の改革で忘れてならないことは、もう一つは刑事被告人の権利でありますけれども、これは今回の法案で決して後退することがあってはなりませんし、またしないと私は信じております。むしろ国民が入る、より公正で透明な裁判を実現することによって、本来憲法や刑事訴訟法が予定をして、保護をして守ってきていた刑事被告人の、被疑者、被告人の権利というものが一段と尊重されるようになるというふうにならなければならないと思っております。
次に、この裁判員制度の言わば主役である国民が本当の意味での主役になれるためには何が必要かということについて意見を申し述べたいと思います。まず何が必要かということと、それからあと幾つか各論的なことを申し上げたいと思います。
先ほどサンディエゴの裁判所に参ったと申し上げましたけれども、そこでは陪審コミッショナーと呼ばれている陪審員のお世話をする裁判所の職員がおりますけれども、私が会った方は三十年のベテランでありました。その方に陪審員たちが何に一番感謝をしていますかと質問したところ、二つの答えが返ってまいりました。
一つは、集められた後に最初に受けるオリエンテーションであります。ここで制度というものを十分理解することができ、しかも自分が歓迎されているということが分かるからだということであります。二つ目には、仕事が終わった後で、社会に貢献できた、制度の一部となって正義を実現できたという満足感だそうであります。つまり、最初と最後にアメリカの陪審員たちは非常に満足感を得ているわけです。
もちろん、その満足感を得るためにはいろいろな仕組みが想定されているわけであります。つまり、国民一人一人が社会から必要とされていると実感してもらえること、そしてその国民が役割を果たせたと実感できる仕組みにすることが必要であろうと思います。その仕組みを考える上ではやはり国民の視点が大切だと思います。
アメリカは九〇年代から陪審制度の改革に本格的に、しかも全米の規模で取り組んでおります。それはなぜかと申しますと、今まで陪審というのは国民の義務である、来るのが当然だ、仕事がするのは当然だ、待つのも当然だと皆が考えていたわけであります。しかし、それでは国民の側は納得しなくなってまいりました。国民の側が言わば拒絶の反応を示し始めたわけです。
そこで非常に参考になることは、例えば出頭率が下がったときに出頭率を上げるためにどうするか、刑罰を科するか、ペナルティーを科するかという方向で議論が行われたかというと、そうではありません。この運動をリードしたニューヨークの最高裁の長官のジュディス・ケイという女性の長官がいますが、彼女はこう語っています。コミュニティーの八〇%の人たちが、単なる義務としてではなく、それ以上の大切な仕事だと認識して来てもらえるようにするにはどうしたらいいだろうか、そこをみんなで考えようという発想であります。
私、今回の裁判員法案は、実はアメリカが九〇年代から改革に取り組んだその改革をも先取りしていると評価できる点があることを指摘したいと思います。例えば、今回の裁判員制度は、無作為に選ばれて一回だけ呼ばれます。そして、もし選ばれなければそれで義務を果たしたことになりますし、選ばれればその裁判だけを担当すれば帰っていいことになっています。これはアメリカではワンデー・オア・ワントライアル・システム、日本語で言いますと一日又は一公判システムと呼ばれておりまして、アメリカでも最近導入された仕組みであります。これは国民の負担をなるべく少なくして、しかしみんなで社会の責任も果たしてもらおうというために編み出されたものであります。
それから、日本の裁判員法、今回の裁判員法案は裁判員が質問することを認めておりますけれども、実はアメリカで陪審員に質問を認め始めたのは最近のことであります。陪審員たちの仕事をする上での充実感に資するという点からでありまして、このように裁判員法はアメリカの改革を先取りしている部分もあります。しかし、まだまだアメリカの改革はそれにとどまらずに広範囲に及んでおりますので、今回、裁判員法を運用する、準備をするこの五年間の間に私はアメリカの改革から学ぶものはたくさんあるだろうと思います。
次に、このように裁判員を本当の意味での主役にするために幾つか御議論是非いただきたい点がございます。
一つは、分かりやすい公判審理ということであります。
先ほども申し述べましたように、一般の国民が一回だけ裁判を行うわけですので、分かりやすい十分な準備、分かりやすいプレゼンテーションなどが必要になります。法案の五十一条が審理を迅速で分かりやすいものとすることを関係者に求めたことは大変相当であると思います。
しかし、ここでは、やはり先ほど申し上げましたように、例えば取調べ状況が争点になった場合には、国民に分かりやすく取調べ状況をビデオに録画をしておいて、それを国民にプレゼントする、国民の前に証拠として出すということが不可欠になってくるであろうというふうに思います。幸い、法曹三者の間でこの点の議論が始まったと聞いておりますけれども、実施までに大きな前進を私は期待をしております。また、審理が行われる法廷の仕組みなども、国民の理解しやすいような、参加しやすいような法廷に是非してほしいと思います。
二番目は、評議の在り方ですけれども、国民が裁判官と一緒に十分に意見を述べ合えるというためには、法案の六十六条の五項が裁判長に分かりやすいように配慮を求めている点は大変よろしいことだと思います。
ただ、例えば全員一致を目指す、少数意見を尊重するために、あくまでも全員一致を目指す、その上でみんなで意見を出し合って、一致しない場合に多数決というようなルールですとか、裁判長は議長役ですので公正な議事進行に資するために自らの意見は最後まで例えば言わないとか、裁判官や裁判員だけでは議論をしないとかいったルールを私は考えておく必要があるのではないかと思っております。
○委員長(山本保君) 参考人に申し上げます。
○参考人(四宮啓君) ええ、間もなく。
○委員長(山本保君) 簡潔にお願いいたします。
○参考人(四宮啓君) それから、最後に守秘義務でありますけれども、裁判員が自らの経験を語ることは、国民にその情報を伝える、よりよい制度にするというためにも大変重要でありまして、立法趣旨、評議における自由な発言の確保とか、他人のプライバシーなどを損なわない限り、私は調和の取れた開示の方向に向かうべきではないかと思います。
この国会、私、歴史的な意義を有する、そしてまた国際的な意義も有する国会であろうと思います。民主主義のジグソーパズルに例えれば、最後の司法の部分にそのピースがうまく埋め込まれようとしていると思います。国民が、ほかのメンバーと自分たちのルールに基づいて議論をして一つの結論に到達するというプロセスを通じて、自律的に社会的な責任を分かち合える喜びを味わってもらえる制度とするために、この国会で是非成立をさしていただきたいとお願いしたいと思います。
どうも長くなりました。
○委員長(山本保君) ありがとうございました。
次に、土屋参考人にお願いいたします。土屋参考人。
○参考人(土屋美明君) 共同通信社で司法などを担当しております土屋です。
司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会と公的弁護制度検討会の両方の委員を務めておりますけれども、この二つの検討会では、法律家でない委員というのが私と清原委員の二人だけしかおりません。法律家に交じって素人が意見を述べることがいかに大変であるかということを、本当に身につまされて感じています。
本日は、このような一般国民が参加しやすい制度にするという政策的な選択が重要なことを訴えさせていただきたいと思います。少し乱暴な言い方で語弊があるかもしれませんけれども、制度全体の理論的な整合性を保つことよりも、多くの国民が過重な負担を感じることなく刑事裁判に参加しやすくする、そういう道を国会は選択していただきたいと願うものです。
今回審議されております法案に私は基本的に賛成です。国民の司法参加を実現することが民主政治を徹底させ、司法の国民的基盤を強化する、そういう重要な意義を持つと信じるからです。法案の内容には検討会で私が述べてきた意見と違う部分もありますけれども、もし不都合な点があれば、早い時期に見直しをし、改めていけばいいのではないかと考えています。
どこの世界にもルールを逸脱する者はおりまして、とかく刑事司法は国民不信の前提に立った制度設計になりがちですけれども、国民への信頼なしには司法参加はあり得ないはずです。多くの国民は重大な刑事裁判を担えるだけの良識を備えている。国民を信頼して、その良識に結論をゆだねることこそ、司法参加を論じる上で重要な態度だというふうに私は思っています。
衆議院では附帯決議と修正が行われました。これらの方向性にも賛成です。参加する側にとって、当初の案よりも望ましいものになっていると考えます。ただ、まだ不徹底に感じたり、幾つか注文を述べたい点もございます。主な点を簡単に述べさせていただきたいと思います。
まず、裁判員制度法案ですけれども、四点ほど指摘しておきたいと思います。
一つは裁判体の構成ですが、裁判官三人に裁判員六人という基本構成は妥当であろうと考えます。重大事件の審理をするのにふさわしい数の職業裁判官と良識ある国民の目が確保できたというふうに思います。裁判員は六人いれば意見を言いやすく、多角的な視点からの評議が期待できます。
争いのない事件では裁判官一人に裁判員四人の構成になることについて、検討会で私は違和感があるというふうに述べました。争いの有無で裁判体の構成を分けるという理屈に、それまでの議論と異質なものを感じたからです。私は、争いのない事件は被告の権利を損なわない限り、速やかに終結させて、争いのある事件に人材とエネルギーを集中させるべきだという趣旨の意見を述べていますけれども、それは即決裁判手続の創設という形で結実したと考えておりました。しかし、小さな裁判体もあり得る選択であって、反対はいたしません。
重要なのは裁判員の選任です。できるだけ多数の人が参加するのが極めて大事なのですが、法案には不満があります。これが二つ目の点です。
第一は、就職禁止事由が広過ぎます。法律関係職種であっても、刑事事件を扱わない弁理士、司法書士らを就職禁止とする理由は乏しいのではないでしょうか。自衛官を除外するのも理解に苦しみます。
第二は、辞退事由として掲げられた政令に定めるやむを得ない事由です。政令で思想、信条を理由とする辞退を認めるということには私は反対です。国民は裁判員に当たったらその役目を引き受けるべきものなのだという強いメッセージを送ることこそ大切なのに、これではまるで思想、信条を理由に挙げれば逃げられるということでも言っているようなものです。確かに、国民の心理的な負担は軽くなるでしょう。しかし、重大な刑事事件の裁判は元々気持ちの負担の重いものです。それを国民があえて引き受けてこそ、この制度を行う意味があるのではないでしょうか。
三つ目は、裁判員、補充裁判員、裁判員候補者の個人情報の保護です。住所、氏名、年齢など、個人が特定される情報の保護は、外部の不当な圧力などを回避するために、特に裁判の進行中は必要です。法案では、任務を終えた裁判員については本人の同意があれば公表してよいということですが、私は、裁判終了後には裁判員の個人情報は本人の同意にかかわらず公表されてもよいのではないかと考えています。公表は公正な裁判が行われたことの何よりのあかしになるというふうに考えるからです。
四つ目は、裁判員の守秘義務です。守秘義務の範囲と罰則が衆議院で修正されたことを私は評価しています。検討会で再三述べたことですけれども、守秘義務違反の罰則は罰金にとどめることが妥当だと思います。罰則を重くすれば、国民は裁判員になるのを避け、裁判所の呼出しに不出頭でこたえて、過料に甘んじる道を選ぶかもしれません。その方が不健全な制度の在り方ではないでしょうか。どうしても重大なプライバシーの暴露などが懸念されるというのならば、それに限って重く罰すれば済むことだと考えています。
罰則以上に重要なのは、守秘義務の範囲を明確にすることです。何が処罰され、何が許されるのか、それをだれもが容易に判断できるようになっていなければなりません。私は検討会で守秘義務を三つに限定すべきだと述べました。裁判官と裁判員の意見、評決の数、それから特に秘密を守るべきだと合意された事項という、この三つです。また、義務を守る期間も、裁判終了後一定期間に限るべきだと述べました。守秘義務の範囲の単純化と明確化は、これは更に突き詰めた議論をしていただきたいと思います。
刑事訴訟法等の一部改正案に移ります。懸念される点など、以下の七点について述べます。
まず、裁判員制度の下では、国民の負担はできる限り軽くしたい、そのために最も必要なことは審理期間の短縮です。長過ぎる裁判に多忙な国民は付いていけません。裁判の長期化が続くならば、今度の刑事司法改革は水泡に帰すおそれがあります。裁判員制度の成否のかぎは、どこまで審理期間が短縮できるかに懸かっているとさえ言ってもいいと考えます。検討会で私は、裁判員の任期は原則二十日に限ったらどうかという意見を述べました。そのくらい本気で国民負担の限度を明確にする必要があると考えております。
刑事裁判の充実、迅速化を図る方策として、新たな準備手続の創設、計画的、集中的な審理のための様々な方策、直接主義、口頭主義の徹底が図られましたけれども、さらに今後、法曹三者の間できめ細かな運用が行われることを期待しております。
国民参加によって刑事司法は普通の国民にも理解できるように変わらざるを得ませんが、今回、一定類型の証拠などについて開示範囲の拡充と開示ルールの明確化が行われたことは、刑事被告人の権利保障という面から見ても現行制度のかなりの改善だと考えます。しかし、これで必ずしも十分だとは思えません。将来は更に開示の方向を推し進めて、すべての証拠を事前に弁護側へ開示するところまで行くのが理想的だと考えます。あらゆる捜査資料は国民の血税を使って集められた公的な性格を持ちますから、それにふさわしい使い方が模索されるべきでしょう。
開示証拠を目的外使用することが原則的に禁じられるのは、これはやむを得ません。しかし、衆議院の修正によって、諸事情を考慮した上、目的によっては使用を認める余地が生まれました。具体的な裁判の研究あるいは報道、そういった公益目的の使用が可能になったことは歓迎です。
容疑者の取調べの状況を文書で記録化することは、被告の供述の信用性をめぐる無用な争いや冤罪の防止に向けて一定程度の改善になると受け止めています。しかし、これも将来的にはもう一歩進めて、ビデオや録音テープへの記録に切り替えていくべきだろうと考えています。
容疑者の勾留段階から国選弁護人を選任できるようにしたことは人権保障の面で大きな意義があります。弁護士会の態勢が十分に整っていないのが残念ですけれども、対象を短期一年以上の懲役若しくは禁錮の事件に限るのは当面やむを得ない事情があります。そういうふうに考えます。被疑者、被告人がその資力によって不平等な扱いを受けることがないように、この対象も将来的には拡大されていくべきだろうと考えています。できるだけ早期に必要的弁護事件へ、さらには、すべての身柄拘束者へと広げられていくことを願っています。
少年事件についても、原則的には国選弁護人の選任を拡大すべきだと考えます。現状では、弁護士会の態勢がこれも不十分なために見送らざるを得なかったのは残念ですけれども、将来、態勢が整えば、少年にも成人の公的弁護と同じような制度的保障が与えられてしかるべきでしょう。
検察審査会法の改正については一点だけ強く反対したい点があります。罰則です。
審査員の守秘義務違反に懲役刑がありますけれども、審査員の職務は公訴提起の当不当を判断することに限られますから、被告の有罪、無罪を判断する裁判員より職務は軽いと言えるでしょう。それなのに制裁が同じというのはいかがなものでしょうか。それに加えて、これまで秘密漏示罪で起訴された例も最高裁の把握する限りゼロだということですから、懲役刑へと引き上げるだけの立法事実もありません。現行の罰金で十分だと考えます。
起訴相当の決議に拘束力を認めるのに、いわゆる二段階の慎重な構造が採用されておりますけれども、決議に当たって弁護士の審査補助員が関与するなどしますし、私は現行の一段階で足りるという意見です。ただ、罰則を除いては反対はいたしません。
私は日本新聞協会を代表する立場ではありませんけれども、報道等の関係について一言申し上げます。
新聞協会は、法案の内容についてこれまで四回にわたり見解を表明しております。その概略を御説明しますと、いわゆる偏見報道禁止規定が法案に盛り込まれなかったことを評価する一方、現在での問題点として、第一に、裁判員を退いた人にまで接触を禁止すると、公正な裁判が行われたのかどうかということを事後的に検証することなどが難しくなるので、元裁判員への接触には禁止の網を掛けるべきではないこと。第二に、裁判員の守秘義務は義務の範囲と期限をより明確にすること。第三に、開示証拠の目的外使用を罰則付きで禁止することは取材の制限につながる危惧が大きく、懸念されることなどを指摘しております。そして、裁判員制度の施行時には取材・報道のガイドラインとなる指針を決定することも表明し、既に最高裁、法務省、日弁連との意見交換も始まっております。
裁判員制度について国民の理解と支持を深めるためには、可能な限り多くの情報を提供することが必要だというのが共通認識です。裁判に関する報道は裁判員制度の定着に大きく貢献するはずです。新聞協会の意見を尊重していただくようにお願いしたいと思います。
最後に要望がございます。
裁判員法案では、裁判員が休暇を取得したことなどを理由として解雇その他の不利益な取扱いをしてはならないと定めていますけれども、これだけでは国民が参加しやすくなるとは言えません。裁判員に必要な知識を盛り込んだハンドブック、ビデオなどの作成が必要でしょうし、裁判員用の待機室とかロッカールームを設けたり、また、じっくり資料を調べたい人が使える部屋を用意したり、そういったことなども考えてほしいことです。
裁判員制度そのものの周知徹底が大切なことは申すまでもありません。十分な予算措置を講じた上で、裁判員が参加しやすい条件作りをしていただきたいと思います。
以上です。
○委員長(山本保君) ありがとうございました。
次に、伊藤参考人にお願いいたします。伊藤参考人。
○参考人(伊藤和子君) 弁護士の伊藤です。
本日は、お話をする機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
私は、市民の裁判員制度つくろう会という市民団体の運営委員としてこの二年間活動してきました。多くの市民の方々と一緒に公聴会やシンポジウム、模擬裁判、アンケート調査などを行って、裁判員制度をより良い市民参加制度として実現するために様々な提言を行ってまいりました。
司法は、個別的な権利救済を通じて私たちの社会を前進させる貴重な役割を果たしてきたと思っております。しかし、やはり一握りの専門家である職業裁判官の判断は、時として国民の良識や期待と懸け離れた結論になることもあります。私は、普通の生活者である市民の感覚や良識を司法判断に反映させていくという点で、この制度を導入する意義は非常に大きいと思っております。また、市民が司法に参加し、そして社会の重要な決定に関与する、そういう中で法や正義を形成する主体となっていくことは、二十一世紀のこの国の民主主義にとって非常に価値あることだというふうに考えております。
この裁判員制度が十分に機能するために、第一に、性別、年齢、職業など、あらゆる層の多様な市民がひとしく参加しやすい制度であること。そして第二に、市民が飾り物ではなく、主体的、実質的に参加できる制度であることが何よりも必要であるというふうに考えます。そのために、これから裁判員となる市民の視点に立ってこの制度を考えていくことが大事だと思います。
この点から、幾つか法案に関する指摘をさせていただきたいというふうに思います。
まず、参加しやすい制度を作るという点です。
仕事を持つ市民が裁判員候補者となったとき、その間の休暇制度はどのような取扱いなのかについて、法案では不利益取扱いを禁止すると記載するのみで、ほかに特段の法的措置を定めておりません。仕事を持つ市民が不安なく休暇を取って裁判員となれるように、まず裁判員休業制度を立法化することが重要だというふうに考えます。
次に、裁判員候補者として呼び出された時期にどうしても都合が悪い場合、出頭する期日を延期できるよう、延期制度の導入を提案します。
例えば、一か月後には日程が調整できないという多忙な人でも、三か月後、六か月後なら可能な方もいらっしゃると思います。社会の様々なステージで活動する多様な人々の参加を保障するため、延期制度を是非創設していただきたいと思います。
さらに、私は、司法分野における男女共同参画の視点から、合議体の男女比が半々となることが大事ではないかというふうに考えております。そのような構成を可能にするためにも、育児や介護で日ごろ忙しい女性が裁判員として司法に参加する道が閉ざされることがないように、支援のシステムを作ることが必要だと思います。
欧米の研究では、女性の陪審員候補者の辞退理由として、育児、介護が突出して多いということが指摘されております。こうした中、アメリカでは、少なくとも十の州で裁判所に託児所を設置したり、保育費用の補償など、育児サービスを行っております。裁判員制度の導入に当たっても、裁判所周辺に託児所、宅老所を設置したり、一時保育、デイサービスの援助などをするなど、援助制度を是非実現していただきたいというふうに思います。
次に、日当に関してです。
法案では具体的な金額は定められておりませんが、裁判員は、人を裁くという非常に重大な仕事をする以上、職務にふさわしい適正な日当が必要だと思います。私としては、調停委員の日当より高額であるということは最低限必要ではないかというふうに考えております。
第二に、法律を見て非常に残念なのは、裁判員に対する罰則が目立つことであります。
出頭義務違反に対する十万円の過料、守秘義務違反に対する懲役や罰金刑は、ただでさえハードルの高い市民参加を余計気の重いものにするのではないでしょうか。出頭義務違反に制裁を設けるよりも、だれもが参加しやすいような基盤整備を実現することが先決だと考えます。
守秘義務違反に関しては、衆議院で若干の修正をしていただきましたが、今でも懲役刑が残っております。その処罰範囲はいまだあいまいなのではないかと思います。市民にとって萎縮効果がもたらされるということが危惧されます。一生守秘義務を負うということは、裁判官を経験した普通の市民にとって過酷ではないでしょうか。私は、市民が裁判員の経験を社会に語り、伝え、提言することによってこそ制度が定着、発展し、より良いものになるというふうに思います。その点から、少なくとも裁判員の職務を終えた者については、守秘義務違反に懲役、罰金を科すとの点は是非とも削除をしていただきたいというふうに思います。
第三に、裁判員の構成、それから評決の方法です。
私は、市民の主体的参加の趣旨を全うするため、市民の人数は十名程度、裁判官は一名で足りると考えていました。今回の法案では、裁判官が三名ということで影響力が極めて大きいのではないかと危惧するものです。この点について、今後、改正なども含めて様々な御議論をいただきたいと思います。
また、充実した評議という観点から、単純多数決ではなく、全員一致を目指し、そしてやむを得ない場合は特別多数決制を取るという欧州で採用されているルールを採用することを是非求めたいというふうに思います。
次に、裁判員にとって分かりやすく、納得して判断できる裁判を実現するという点です。
市民の多くは、自分の良心に恥じない、責任を持った正しい判断をしたいというふうに思うのではないかと思います。ところが、それは現在の難解で長い裁判のままでは実現しないのではないでしょうか。裁判を分かりやすいものにすることが何よりも大切だと思います。膨大な供述調書がまず出てくる今の刑事裁判を改め、直接主義、口頭主義を徹底する、公判に参加した市民が法廷のやり取りを集中して聞くだけで判断ができるようにすることが大切だというふうに思います。
先ほども指摘されましたが、陪審員に対するのと同じような十分なオリエンテーションを行い、裁判員の意義、そして事実認定の方法、そして裁判官と裁判員が評議において対等であることなどを十分にオリエンテーションするということも重要だというふうに思います。
第四に、今後の裁判員制度の推進体制に市民の声を十分に反映させることを求めます。
これまでに述べてまいりました市民にとって参加しやすい制度、分かりやすい裁判、これは施行までに必ず市民の声を十分に反映させて実現していただきたいというふうに思っております。例えば、評議室や法廷の構造など、裁判員となる市民の声を反映させるべき課題はたくさんあると思います。
私たちは、市民の裁判員制度つくろう会として、二年間、司法制度改革推進本部に様々な要請をしてまいりましたが、残念ながらこちらが要請をするのを聞きおいていただくという形で、十分なコミュニケーションが取れなかったことを残念に思っております。そうした点も踏まえて、今後、推進体制においては、本当に市民の声が反映できるように一般公募の市民をモニターとして組み入れるなど、市民の意見を反映した推進体制を確立していただくよう、是非提案したいというふうに思います。
次に、刑訴法改正に関連して、刑事司法改革に関する点を述べたいと思います。
私は、今回の制度改革が刑事司法の抜本的な改革につながることを願ってやみません。一弁護士として、私は幾つかの冤罪事件にかかわってまいりました。最高裁の新しい判例を作った調布駅前暴行事件という事件があります。これは少年の冤罪事件でしたが、無実の少年が逮捕され、最初の裁判で裁判官に僕はやっていないと訴えましたが、裁判官は少年の目を一度も見ることもなく、記録に目を落としたまま、彼を犯人だと結論付けて、少年院送致を決めました。少年は司法に対する信頼を失い、彼が無実を獲得するまでその後八年もの歳月が掛かりました。
また、本日私がパンフレットを配付させていただきましたが、日弁連が支援する冤罪事件である死刑再審名張事件というものの弁護人を私は務めております。この事件で一審無罪判決を受けた被告人は、虚偽の鑑定により、高裁で逆転死刑判決を受け、以後四十年以上にもわたって獄中から無実を叫び続け、死刑の恐怖と隣り合わせの生活を送っています。私は、この現実を片時も忘れることはありません。
現在の刑事裁判の有罪率は九九%という諸外国から見ますと異常な数字になっております。若手の弁護士は、この圧倒的な有罪率に深い絶望感を抱いております。無罪を争う刑事事件を担当していて、疑わしきは被告人の利益にという刑事裁判の原則が形骸化しているのではないかと思うことがしばしばあります。裁かれる側の被告人と裁く側の裁判官、この立場が本当に非常に遠いということを痛感します。
私は、何度かアメリカの陪審裁判を調査、傍聴し、感動したことがあります。それは、裁判官が陪審員に、人を裁くことは人の一生を決める大切で崇高な責務であるということ、そして被告人を有罪とするのには合理的な疑いがなければ無罪としなければなりませんと、無罪推定の原則、陪審員の崇高な役割を繰り返し説明し、陪審員がその責務を深く自覚し、真剣に被告人の言い分にも耳を傾けている様子を見たときでした。
私は、このようなアメリカの陪審員制度と同様な司法制度がこの裁判員制度導入によって実現することを望みます。陪審員制度導入に当たって、疑わしきは被告人の利益にの原則が再度確認されること、そして国際水準に基づいて証拠開示と取調べの可視化が速やかに実現されるよう求めます。日本において取調べの可視化が実現しておらず、検察官手持ち証拠の開示がほとんどなされていないことは、一九九八年の国連規約人権委員会の改善勧告からも明らかとなっております。
先ほど、私が手掛けた二つの事件を紹介いたしましたが、いずれの当事者も捜査段階で自白をさせられました。もし捜査段階で取調べの過程がビデオ録画されていたならば、彼らの運命は今のようであっただろうかと思います。八年も掛けて裁判で無実を争ったり、四十年も死刑の恐怖にさらされなければならないことがあっただろうかと思わずにはいられません。衆議院段階で附帯決議として取調べの可視化に関する決議がなされたことは非常にすばらしいと思っております。これを更に一歩進めて、裁判員法施行までに、是非取調べの可視化、ビデオ録画化を実現していただきたいと思います。
そして、証拠開示に関してです。
資料として提出しておりますが、米国イリノイ州では、過去十年間で十三人の死刑囚が冤罪であったことが真犯人の発見やDNA鑑定により明らかになっております。このことを受けて、州が冤罪を再発させないための委員会を作り、議論の末、すべての事前全面証拠開示、そして捜査段階のすべての可視化、これを実現するという結論に至りました。
市民参加の裁判にあっても、誤った判断を導かないために、可視化と証拠開示を徹底することは極めて重要だと考えております。今回の刑訴法改正案に証拠開示に関する規定が新たに盛り込まれたことは前進だと考えております。しかし、検察官手持ち証拠のリストを弁護人にも裁判員にも開示することが認められておりません。また、まだ事前全面開示には至っておりません。更に事前全面開示の方向に向けた努力をお願いしたいというふうに思います。
最後になりますが、裁判員制度が二十一世紀の司法にとって画期的な改革となるということを本当に期待しております。真の市民参加を実現する改革として社会に定着していくことは非常に重要です。この制度が市民の支持を得ずに定着しなかったり、形骸化した制度として失敗することがないように、そして被告人の防御権の観点から、将来に禍根を残すこととならないよう、国会での十分な審議と施行までの十分な御努力を望みたいと思います。
ありがとうございました。
○委員長(山本保君) どうもありがとうございました。
以上で参考人の意見陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
質疑のある方は順次御発言願います。
○江田五月君 民主党・新緑風会の江田五月です。
今日は四人の参考人の皆さん、本当に私どもの審議のためにおいでくださいましてありがとうございます。
私たち民主党は、今回の司法制度改革は、これはどうしても成し遂げなきゃならぬと、それはやはり戦後改革は民主主義、国民主権というのが一番大きな柱であったわけですが、しかし行政の場面もまだ十分国民主権になっているかどうかいろいろ問題がありますが、特に司法の場面というのは戦前の天皇の名による司法から国民の名による司法へと冠は替わったけれども、実態は官僚司法で変わっていないと、そこへメスを入れたいということで、一つは法曹一元、もう一つは陪審、これを掲げました。
これはもう文字どおり、そのとおりのものが実現しなきゃいけないということではなくて、そうした基本的な姿勢、理念の下に今回の司法制度改革が、大胆な制度改革を行うことになれば、それは合格点だということで、基本的に法曹一元の根本にある発想を実現していこうということで、いろんな給源の、裁判官の給源の多様化に向かってくると。まだまだ、不十分です。もう一つは、陪審の方は、国民の司法参加ということで裁判員制度ということになってきて、これを実現をしていきたいと思っております。
しかし、まあいろんな議論がありまして、与党の方もなかなか大変だったと聞いておりますし、私ども民主党の方もこの法案にどういう態度で臨むかを決めるに当たってはかなり厳しい議論がございました。その上で、結果的に衆議院の方でもう全会一致で一人の異論もなく可決をされて参議院に回ってきたと。これはやはり非常に重要なことで、つまりいろんな意見はある、様々な疑問もある、心配もある、不安もある、しかし今の刑事司法に対してこれは何かやっぱり変えなきゃいけないという、そういう気持ちを国会議員みんなが持ったと。国民の中にもいろんな意見がまだまだあるだろうと思いますが、それでもその国民の代表者たる国会が、まだ一院だけではありますが、衆議院の方で全会一致で可決をされたということは、やはり何かやらなきゃいけないということだったろうと思うんですね。
しかし、まだまだ疑問も不安も一杯あるわけですから、もっといいものにしていくために、参議院の方の議論も十分しなきゃいけないし、さらに、今回私どももこれは参議院でも可決をさせて成立をさせたいと思っていますけれども、施行までの間に五年の期間、まあ私たちは三年ぐらいでいいんじゃないかと思っておりますが、一定の期間がある。その間にかなりこれは柔軟な頭で、先ほどもおっしゃったような例えば模擬裁判をやってみるとか、国民の声も十分聞いてみるとか、いろんなそういうことをやりながら、やっぱりここはちょっとこう変えたらより良くなるねと、国民の皆さんに歓迎されるものになるねと、そんなものがあれば施行までの間にも一定の手直しもしていく必要があると、そういうある種の緩行性というんですか、どうも立法に緩行性というのは余りなじまないかもしれませんが、それでもやっぱりここはそういうような姿勢で柔らか頭でみんなが、国民の皆さんにも参加をしていただいて制度の実現にこぎ着ける、まだそのプロセスにいるんだというような感じがいたしますが、四人の方それぞれ今のような私どもの姿勢についてどういうふうにお考えになるか、長谷部参考人から順次。
○参考人(長谷部恭男君) なかなか立法に携わる方々としての非常に慎重でかつ賢慮に満ちたお言葉をいただいたのではないかというふうに考えております。
この裁判員制度というのは、何しろ参考人の先生方おっしゃいますとおり、これ画期的な制度でございまして、この運用の在り方というものにつきましても、これもやはり私自身といたしましては一定の年度を経たところでやはり検証し、より良い制度の在り方あるいはより良い運用の在り方というのがあり得るのではないかと、そのことも考えていくということも必要になってくる、そういう制度であろうかというふうに考えております。
そういった長期的な視点からいたしましても、今、江田先生がおっしゃったそういった態度というものはやはり賢慮に満ちた基本的に妥当な方向であるというふうに私は考えております。
○参考人(四宮啓君) 私も全く賛成です。
二つ申し上げたいと思いますが、一つは法律専門家の役割と責任ということであります。これは、今度の裁判員制度というのは、決して国民の皆さんに今までの裁判のやり方を教えるというものではあってはならないと思うんですね。ですから、今のような模擬裁判などを実現することによって、本当にその国民の皆さんに分かってもらえる制度とは一体どんなものなのかということを私たち専門家は三者協力してスキルアップをしていく責任があると思います。
模擬裁判などをやってみますと、ある人から皮肉を込めて言われましたけれども、法律家は法律村の方言でしゃべっていると言われたことがあります。そうであってはならないわけで、法律や事実を日常語でこれから語る技術を身に付けていく。そのためには、今、江田先生御指摘のような、実際の模擬裁判などを繰り返し繰り返し全国で行っていく必要があると思います。
もう一つは、今、長谷部先生もおっしゃった検証でありまして、幸い見直し規定がございます。そのためには国民のやはり声がきちんと経験者、特に経験者の声が反映されることが大事でありまして、その意味でも先ほどもちょっと申し上げさせていただきましたが、守秘義務の点は、立法趣旨を損なわなければ、国民が自らの経験を広く社会に伝えるということを認めていくべきではないかというふうに考えております。
○参考人(土屋美明君) 今、江田先生おっしゃった方向に私は賛成です。
今ちょっと思い出したんですが、あるスウェーデンの裁判官と話していましたら、評議の仕方について説明してくれました。そのときには、裁判官が先に参審員の前に自分の結論を言わない。で、素人に話をさせる。その後に裁判官が自分の意見を言う。だけれども、その順番は若い裁判官の方から言って、裁判長は最後にするというようなことを言っておりました。これは一つの知恵だろうと思います。
私は、この制度の法案にそういうようなことがなかなか書き切れないとは思うんですけれども、実は極めてそういう工夫というのが大事な問題だろうと思っておりまして、そういう素人の人がいきなり裁判所に来て意見をとにかく言いやすい環境を作っていただきたい。法曹村の法曹方言でしゃべられたんでは全く分からないわけですね。だから、そういうようなことではなくて、標準語でできるだけかみ砕いておじいちゃん、おばあちゃんにも分かるように、そういうような制度の運用をどう作るかということが本当に大事なんだと思っております。
そのためには、もう一つなんですが、模擬裁判の取材といいましょうか、傍聴などを私はしたことが何回かありまして、あるときは裁判員役の方と裁判官役の法律家の方と一緒に議論している場にも傍聴人させていただいたことがございます。そうするといろんなことが気が付くわけですね、やってみますと。あっ、そうか、こういうところで意見が割れたときにはどういう解決法をしたらいいのだろうかとか、そういうことというのは実際にやってみないと分からない部分が随分あります。思ってもいなかったようなことが出てくる。それが実は参加している市民の人にとってとても大事なものなんだというふうなことが結構ありました。現実にありました。
ですから、模擬裁判などをやっていって、それでその中でもって制度の肉付けをしていくというんでしょうか、細かい規則だとかそういったところで対応する部分も詰めていく、そういう作業を本当に慎重にやっていただきたい、それで充実したものに仕上げていっていただきたいと、そういうふうに感じております。
○参考人(伊藤和子君) 私も江田先生の御趣旨に賛成をしております。
私たち市民の裁判員制度つくろう会としては、裁判員制度を本当にいい制度になるようにというふうに本当に期待を掛けてまいりました。人数の点でも、先ほど言いましたように裁判官が一名対市民が十人ぐらい、そして全員一致を目指して、それが難しくても特別多数決といった形の制度を実現したいというふうに考えてきたわけですけれども、いろいろな経過で、衆議院段階で全会一致でこの法律が賛成されたという経緯があります。
私たちは、欲を言えば切りがありませんし、是非理想を追求していきたいというふうには考えますが、まずこの制度をとにかく市民参加制度として作り、その後に様々な形で国民の意見も踏まえてより良い制度にしていくということが重要ではないかというふうに思っておりますので、今後とも、これから裁判員制度、今まだそれほど広報が進んでおりませんので、これから国民の間の議論も盛んになってくるのではないかというふうに思います。施行期間、五年間ありますけれども、その間も絶えず国会の中で制度の見直しなどにも是非心を砕いていただければというふうに思っております。
○江田五月君 裁判員制度に賛成で積極的にこれを実現していこうと、そういう態度を取っているある弁護士さんが、メールで、あるメーリングリストのグループに悲鳴にも似たような質問を出しているんですが、それは、理屈ではいろいろできると。しかし具体的に、例えばあの事件は裁判員制度にしたらこんなに良くなるというような、何かそういう具体的な事例がだれかあったら教えてほしいという、そんなのがあるんですが、四人のどなたか、こういうのがありますよという、例えば我々の中で議論したのは、甲山事件は裁判員制度をやったらどうなる、これで悪くなるんじゃないなんというような意見もあったんですが、何か具体的なものがあればどなたか。──どなたも手が挙がりませんか。
これ難しいんです。私は、例えば甲山事件の場合でも、裁判員制度でやるとどうしたって直接主義、口頭主義はもうこれ必須ですよね。必須だとすると、やはりそれと、先ほどの土屋参考人の意見に多少反論するんですが、捜査の可視化というのが結び付くだろう。そうすると、捜査の可視化であの甲山事件のいろんな捜査全体状況が後からちゃんと検証できれば、もっと無罪にせよ有罪にせよ、そしてそれを素人が見れば裁判官が見るよりもっとぴたっとくる結論が出るんじゃないかという気がするんですが、土屋参考人と伊藤参考人、先ほど可視化の問題で言われましたんでお二人に聞きます。簡単で結構です。
○委員長(山本保君) 時間がありませんので簡便、簡潔にお願いします。
○参考人(土屋美明君) 私、先ほど余り明確に述べられないというふうに言いましたのは、正にそういう点でありまして、取調べ状況をビデオだとか記録に取ることが両面の影響を与える可能性があるんだろうと思います。それがいい方向というと変ですけれども、冤罪防止の方向に働くかもしれないし、逆にそれがインパクトを与えてしまって冤罪をかぶせる方向に働いてしまうかもしれない。その辺りの作り方というのは非常に難しいんだろうと私は感じておりまして、それですべてもろ手を挙げて賛成もしにくい部分がありますというふうに申し上げたわけであります。
ですけれども、そういう懸念が払拭される、そういう制度的保障措置を取りながら、なおかつ積極的に導入する方向を将来は目指すべきであると、私はそう考えておりますということでございます。
○参考人(伊藤和子君) 私は、基本的に今の刑事裁判に比べてかなりいい結論に達する場合が多いのではないかというふうに感じております。
先ほど私が言いました名張事件であるとか調布事件などというのも、自白によって、一たび自白をしてしまったことによってずっと拘束をされて、なかなか無実を晴らすまでに時間が掛かってしまうということがあります。もし取調べの可視化が進んでいれば、全く違った事態になるのではないかというふうに思います。
それから、国民の良識が入るという点でも非常に重要だと思うんですが、例えば草加事件という少年事件は、AB型の体液が被害者から発見されましたが、逮捕された被告人の中にAB型の者はいなかったわけです。良識的に考えますと彼らが犯人ではないということはかなり早い段階に分かるはずであるにもかかわらず、十年ぐらい無実を晴らすのに時間が掛かっております。こういった問題も裁判員制度の導入によっていい方向に適正に前進していくのではないかというふうに考えております。
○江田五月君 終わります。
2004/05/13 |