2004年6月1日

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159 参院・法務委員会

 ・ 行政事件訴訟法の一部を改正する法律案(閣法第66号)

13時から15時半まで、法務委員会。まず私が1時間、行訴法改正案につき質問しました。国民主権の下での行政訴訟のあり方を、基本に立ち返って掘り下げてみました。質疑終局で採決。全会一致で可決と決まり、付帯決議を付しました。


平成十六年六月一日(火曜日)   午後一時開会

○委員長(山本保君) 行政事件訴訟法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。

○江田五月君 このところいろんな仕事が多くてなかなか質問の準備ができておりません。今日の質問についても、先週の半ばにでしたか、質問の通告をしてというようなことで、ぶっつけ質問のところも多くなるかと思いますが、お許しをいただきたいと思います。

 今回の行政事件訴訟法の改正、これは私もある意味では高く評価をいたします。今までの日本の行政事件訴訟の息が詰まりそうな状況に対していろいろ風穴を空けるものがあると思いますが、風穴を空けて本当に国民主権の下で行政に対して司法によるチェックが本当の意味できっちり動いていくかどうか、これは、やはりこれからのこの改正をどういうふうに使いこなしていくか、これに懸かっているし、この改正が意図するところをどれだけ深くみんなが認識をするかということに懸かっているんだろうと思っております。

 そこで、法務大臣、余り細かく詰めた話ではないので是非お考えを伺わせていただきたいんですが、実は行政事件訴訟改革というのは、これは司法制度改革審議会の中では、まあこういうものも検討しなきゃならぬよという、ある種ちょっと先に問題提起をしておきますという、この審議会の終わった後に更に鋭意改革の方向をみんなで詰めて是非改革を実現してくださいという、そういう程度の位置付けだったような気がするんですね、検討対象。しかし、その意見書を受けて今回こういう改正案を出すに至ったと。これは、私はやはり関係者が皆、審議会では時間の関係もあって検討対象として指摘をしておくにとどめたけれども、やはり放置できないと。今の日本の行政事件訴訟の状況というのは、国民から見たら余りにも裁判所による救済の門を閉ざしてしまっていて、これは今のこの段階で大胆なところへ踏み込んでいかなきゃいけないという、ある種の関係者の行政事件訴訟の現状に対するいら立ちとか批判とか不満とか、こういうものがあったんではないかと思っておるんですが、その点、法務大臣、どういう印象をお持ちでしょうか。

○国務大臣(野沢太三君) たしか委員の今御指摘のとおり、これは息が詰まるような行政事件訴訟法のこれまでの状況と、これについては私どももそれはそれなりの認識は持っていたわけでございまして、また審議会の中でも、とにかくこれはやらなきゃいかぬという位置付けではございましたが、この内容審査に当たっては引き続き相当な各方面からの御意見をちょうだいして進めていくことということではございましたが、それぞれの分野の皆さん方は、やはりこれは放置しておけないと、何としてもここをこの際一緒に議論していただいて、各党からの御意見もちょうだいしてまとめようじゃないかと、こういうことでここまでこぎ着けたものと考えております。

 民主党の案も委員からの御示唆もいただきまして早速目を通してまいりましたが、大体その趣旨に沿ってお話を私どももまとめてきたわけでございますが、まだ内容的には相当詰めなきゃいかぬ問題も残っておりますので、今後の行政の在り方、あるいは三権分立との関係、いろいろな分野から検討をした上で、この法律を通していただいた暁には、またしっかりした体制を組み、施行上の問題点、実施上の経験等を踏まえて更なる検討を進めていくべき課題と考えておりまして、行政の在り方については、絶えずやはり立法の面からあるいは司法の面からチェックをしながら、本来の目的が達成できるようにやっぱり進めていく課題と心得ております。

○江田五月君 審議会の意見書は問題点の指摘程度であったが、行政事件訴訟の現状というのは放置できない、一刻も。そこで推進本部としてこの改革、改正を手掛けたと。しかし、これでもう万全というわけではなくて、更にまだこれから先、この法律の施行状況など含めて検討していく課題というのはあると思っておると、こういうことだったと思うんですが、これは推進本部山崎事務局長、いかがですか。

○政府参考人(山崎潮君) ただいまの御指摘のとおり、この意見書においては、確かに具体的などういうことを行うべきかということは書いてございません。総合的な、「総合的多角的な検討を行う必要がある。政府において、本格的な検討を早急に開始すべきである。」ということでございます。これを受けまして、推進計画でもほぼ同じような文言になっておりまして、設置期限内に何らかの措置ですね、これを講ずべきであると、こういう位置付けでございました。

 私、この任に就いてまず考えたことは、この方針がどういうところをどういうふうにしたらいいかと全く書いてないわけでございまして、本当に一体何をすべきなのかということ、非常にそこのところで悩みました。この点につきましては、これ非常にあいまいな記載になっているところから、当委員会におきましても江田委員からいろいろ御指摘もございまして、もう少し具体的に国民の権利という立場から改正を加えるべきではないかといろいろ御指摘もございました。検討会を始めましても様々な、いろいろ御指摘がございました。

 その中で、やはり一つ言えることは、訴訟手続がありましても非常に使い勝手が悪いということ、これはどうにかしなければならないんじゃないかという問題が一つ。それからもう一つは、争おうと思っても道がないという御指摘がかなりございまして、これはやはりきちっとした道は付けるべきではないかと。

 この二つが私ども今回の法案としてお出しする大きな動機ということでございまして、やはり行政事件訴訟法、だれのためにあるかということになれば、これは国民のためだということになるわけでございますので、その視点から考えていったと、こういうことでございます。

○江田五月君 今、使い勝手が悪いということと道がないということ、二つを挙げられたわけですが、ちょっと今回の改正点が幾つかありますよね、それを今の使い勝手を良くすることと道を付けることと二つに分けたら、どれはどれになるんですか。

○政府参考人(山崎潮君) 使い勝手が悪いというのは、例えば釈明処分の特例というものを設けておりますけれども、現在のままではなかなか資料が出てこないと、非常にそこで止まってしまうという使い勝手の悪さがございます。それから、執行停止のところについても若干要件を変えているわけでございますが、これもそういう視点から見たものと。それから、管轄と被告適格でございますね、これについても正にそういう配慮でやったものだということでございます。

 それから、道がないという点につきましては、義務付けの訴えそれから差止めの訴え、これに伴います仮の義務付けと仮の差止めの訴え、これが新たなルート。それから、前からルートはあるんですけれども、これを明確にするという意味で、当事者訴訟の中でその確認の訴訟、これができるんだよということを明文でうたったと。

 それは、言い落としましたけれども、最初の使い勝手の悪さでは当事者適格の拡大ということでございまして、これが一番大きな問題かもしれませんけれども、これもやっぱり使い勝手の問題だと、こういうことでございます。

○江田五月君 なるほどね。今、訴訟というものも国民のためにあるんだから、国民が使い勝手が良く、救済の道が、国民に対して救済の道が開かれていなければいけないということだったと思うんですが、私はこれは評価をします。したがって賛成ですが、にもかかわらず、やはり何かこう、まだ物足りなさといいますか、もうちょっと何とかならぬかということを感じてなりません。

 この司法制度改革審議会の審議の途中でも、今回、行政事件訴訟については問題点の指摘、テーマを指摘をしておくという限度にとどめるということでしたから余り突っ込んだ意見を申し上げていなかったんですが、もし、審議会でもっと十分な議論を煮詰めて改革の方向をきっちり打ち出して、それを実現するという形で推進本部が法案をお作りになるということであれば、我々、もっと突っ込んだことを審議会の段階で言わなきゃいけなかった。何か審議会を、肩透かしを食らわされて、本当にやりたいということを言わせてもらえなかったような、そんな消化不良感というのが残っておるんですけれども。

 そこで、ちょっとこの根本問題、基本問題を少し議論をしてみたいんですが、これは山崎さんと議論をする課題かと思いますけれども、日本の戦前の行政訴訟、これは行政訴訟だけじゃなくて、行政法全体がやはりドイツ法体系であったと思います。その中では、行政に対する司法チェックというのは基本的にはなくて、行政の分野の中で行政のこの是正措置というものが仕組まれていた。ですから、行政裁判所があって、行政裁判所は司法裁判所では基本的にはなかったと、そういう仕組みであって、そういう仕組みの中で戦前の日本の行政法体系というものが作られたわけですね。

 その仕組みは、戦後はこれはどうなったというふうに山崎さんは理解されていますか。

○政府参考人(山崎潮君) 御指摘のとおり、戦前は行政の世界で不服を裁いていたということになりますけれども、戦後はこれは通常裁判所の司法権の下で判断をすると、こういう姿勢に変わったわけでございます。

 したがいまして、その物の考え方というのは、やっぱり行政内部のものと司法で客観的にチェックをするという点では大きく変わったということになろうかと思います。

○江田五月君 私は、そこは大きく変わったなんてもんじゃないんだと、これはもう根本が変わったんだと思うんですね。

 行政についてのこのチェックというのは行政の内部で行うと。そして、行政の内部で自己完結的に行政法というものが、行政法の総論もあります、組織法もあります、作用法もあります。あるいは公務員法もあったり、公企業法もあったり、いろんなものがありますね、警察法もあったり。そして、そういうものの一つとして行政事件訴訟法体系というものもあって、これが行政法総論による行政というものの法的組立て、これを前提にしながら訴訟法の体系を作っていた。しかし、戦後、行政裁判所はなくしました。特別裁判所は禁止になりました。すべてが行政に対するこの不服争訟もすべて司法裁判所、通常の裁判所で行うということになりました。

 ところが、私は、その段階で行政訴訟に関する法規がなくなって、一切通常の裁判所で行う行政を相手にする訴訟については特別の法規範がなかった時代がありますよね。それからしばらくして、出訴期間についての法律ができる、更に行政事件訴訟特例法ができる、そして行政事件訴訟法ができるということになっていったわけですが、全くそういう特別の法規範がなかった時代というのは一体どういうことになっていたと思われますか。

○政府参考人(山崎潮君) 確かに、経緯からいくと、昭和二十二年に出訴期間の特例等を定めた応急処置の法律ができておりまして、二十三年にいわゆる特例法というものができているわけでございますので、その間は、原則は民事裁判のルールで行うと。ただ、いろいろなその解釈の問題はあったと思いますけれども、明確な規範はなかったという状況だろうと思います。

○江田五月君 私ももちろんそう思います。その間何もないんですから、それは解釈でいろんなことはするにしても、基本は民事訴訟法でやる以外にない。それが原則なんだと思うんですね。それが原則なんです。しようがない、やはりまあ行政を相手にする訴訟はやむを得ずいろんな特例を作るけれども、原則はやっぱり通常の民事裁判のルールで行政も一方当事者に立って相手方当事者と平等の関係で訴訟をやるんだというのが、これが原則なんだろうと思うんですよ。それが国民主権の下での行政事件訴訟というものだと思うんです。そこは結構重要なところだと思っています。

 勝手に私の理屈だけをぺらぺらと述べますと、その後に、そうやってそういう原則を実はなし崩し的になくしてしまって、行政については行政事件訴訟法というのが原則なんですよという形で持ってくる。そこに書いてないことはしようがない、民事訴訟法を使いましょうかという形に持ってくる。これによって何が起きたかというと、これによって何が起きたかというと、正に特別裁判所を通常裁判所の中に作っちゃった。司法裁判所とかあって、そこが全部やるような格好だけしてて、実は司法裁判所の中に行政裁判所を特別に作ってしまった。そこのところは、一般の訴訟法規というものは排除をされてしまっている。

 だから私は、裁判官の当時にはそこまで言いませんが、今だったら、ちょっと口を荒らして言えば、これまでの行政事件訴訟というのは実は憲法違反だと、そうまで言ってもいいぐらいなことになっていたんじゃないかと思うんですが、何か反論ありますか。

○政府参考人(山崎潮君) なかなかお答えしにくいんでございますけれども、ベースが民事訴訟法にあると、それはそうだと思う。

 ただ、行政はどうしても一般国民の方々のためにいろいろな行動をするわけでございますので、行政のやっぱり安定性とか、それから、一つ行った処分、それに対する裁判があった場合に、その当事者だけではなくて第三者にも効力を生ずるような、そういうもの、非常に国民の権利救済と安定性、これが求められるということになりますので、そういう意味では、幾つかの特例、これは必要だろうというふうに思います。

 その上で、それは必要なものとして、あとはどういう理解をしていくかということでございますけれども、これはもう基本的には当事者対等、民事の世界と同じになっていくと、こういうことだろうと思います。

○江田五月君 まあ抽象的な議論ですから余り突っ込んでぎりぎりの対決型の論争にはなかなかなりにくいんで、まあそれはそれでいいんですけれども、言いたいことは分かっていただいていると思うんですが。

 私は、大学のときに行政法を取りました。結構面白くて、卒業後、もし大学に残るなら、行政法の助手になって勉強してみたいなとも思ったりしたこともあります。

 その当時に思っていたことは、やっぱり当時の行政法はおかしいということなんですね。戦前から日本は、美濃部達吉さんからずっときて、行政法があったでしょう。その行政法の教科書の一番最初の憲法のところだけ戦前の憲法と戦後の憲法を変えただけで、残りの行政法体系というのは全部戦前のままなんですよね。これは何かおかしいですよ、やっぱり。国民主権の下の行政になったので、天皇主権から国民主権に変わったから、主権のところだけ変えればそれで済むんだと。しかし、それはちょっとどうも釈然としない。

 実定法上、どこにも実は本当のところ、根拠のない行政の優越性というものがまずどんとあって、そこから来て公定力理論があって、そこへずっといろんな総論、各論が全部張り付いていって、そして、そういうものを基礎にして行政訴訟の法理論というものができているわけですから、これはすべてが実は観念のもの、観念上の話であって、正に、何ですか、レヒト・ドグマティークでしたかね、そういう概念法学の所産であって、実際に戦後日本の法体系というものはがらっと変わったにもかかわらず、その部分だけは変わっていないと。

 当時思い出すんですが、いや完全には思い出さないんですが、憲法は変わる、されど行政法は変わらずという法格言がありまして、フェルファスングスレヒト何やらとこう過去分詞が付いて、フェルワルトゥングスレヒト何とかと過去分詞が付くんです。その過去分詞、忘れちゃったから大きなこと言えないんですが。そんな行政法じゃ駄目だと。これは、もし大学に残るなら行政法やろうと、そんなことを思った時期があるんです。正に、もうそういう感じの行政法がずっと来ている。

 そこで、そういう概念法学上ででき上がった行政法体系、これはこれでその法体系に従って行政が行われるというのはまあいいと思うんですよ。非常に緻密な行政法体系で、これは法治国家と、法治主義と。しかし、その法治主義と別に法の支配というものがあるんですね。ルール・オブ・ローというのは、その法治主義とイコールじゃないんで、法律に従った行政を行う、これは法治主義ですが、法律に従っていりゃいいという話じゃない。

 もう一つ、ルール・オブ・ローというのは、これは実は、私は裁判官の当時に最高裁判所から派遣されてイギリスに留学をしまして、そのときのテーマが法の支配、自然的正義ということなんです。自然的正義というのは自然法じゃない、全くイギリス法の概念なんですが、この英国行政法の一番基本の概念というのが法の支配で、この法の支配というのは、法というのは裁判所、裁判所がすべての争訟については支配をします。したがって、裁判所の前へ来たら、王様であろうが庶民であろうが同じですと、そのどちらに対しても同じように法律、裁判所にいう法律がちゃんと適用されていくんですというのがこれ、法の支配。

 ところが今の、戦前の法体系が変わって行政裁判法という明治二十三年の法律がなくなって、民事訴訟法が一般原則になって、そこで行政と私人とが対等の関係で訴訟を行うということになっているのに、そうではない法理をどんと持ってきて、そして今、行政事件訴訟特例法から行政事件訴訟法へと移って今日に至っているということで、私は、やはりこれは実は形だけの法の支配で、法の支配の精神というものが裁判所の中で、裁判の中で生きてこなかったのが今日までじゃないかと、そういうふうに思っておるんですが、いかがですか。

○政府参考人(山崎潮君) ちょっと、なかなか難しい哲学論争でございますけれども、私は逆に、大学のときに二時間ほど行政法の講義出ましたけれども、余りに難しいんで単位を取るのをあきらめたということでございますので、とても議論にならないというふうに思っておりますけれども。

 確かに、今おっしゃるとおり、行政法の教科書を見ますと、これ、先ほど委員がおっしゃったのはオットー・マイヤーさんの、オットー・マイヤーの言葉だと思いますけれども、憲法は滅びる、行政法は存続すると、こういうことでございます。こういう格言があると。それから、我が国では、例えば塩野先生が言われているのは、行政法とは端的に言えば憲法的価値の実現の技術に関する法であると、こういうことを言われております。

 したがいまして、それは、憲法が変わればその下位法法令であります行政法も変わっていくということになるはずでございますが、戦後、確かに非常に時間もなかった点から十分な対応ができないまま、特例法とか、いろいろその手当てがされていったわけでございますけれども、現在から見るとそれはいろんな御批判はあろうかと思いますけれども、やはり制度は変わってもなかなか意識が変わらなかったというような御指摘もあるというふうに承知をしておりますけれども、それが時代とともに、やはり国民の立場からきちっと物を見ていこうということから、順次順次いろんな改正が行われてきていると、こういう流れにあるんではないかというふうに理解をしております。

○江田五月君 まあ、余り趣味の世界に入り込んでうんちくを傾けていてもいけませんが、しかし、やはり言うことだけは言わせていただきたいと思っておりまして、イギリスで行政法の勉強をさしてもらうときに、最初に指導教授が、日本の行政法というのはどうなっているかを説明してくれと、自分も知りたいからということで、それで、いわゆる行政の優越性から公定力理論というのを慣れない英語で一生懸命説明したら、通じないんですね。通じないというのは、つまり行政処分を行う、そうするとこれは、その権限のある者が取り消すまではちゃんと公定力というものがあって、だれもがこれは否定できないんですと、そういう理論が一番根底にありますと言うと、何を言っておるんだと、そんなことは当たり前じゃないかと、別にそんなことを取り立てて行政法の理論でございますとか言われたって有り難くもおかしくも何ともないと。

 私人だってそうですよね、意思表示をしますと、意思表示が、何か特別にそれが取り消されない限りは意思表示はあるわけですから、あればそれは意思表示ですからね。別に行政に特有の法理だなんていうことは、それは違うんじゃないのと。そうではなくて、やっぱり行政法というのは何かというと、いかに国民が司法機能を使って行政をチェックしたり是正したりできるかと、こういう理論じゃないかということなんですね。

 イギリスの場合には、アメリカも同じだと思いますが、行政法で、私が勉強したのはもう三十年ぐらい前のことですから、その後またいろいろ変わっているかもしれませんが、四つほど類型があると。一つが、サーシオレアライといって、行政のところにある権限を裁判所へ持ってきちゃうんですね。移送命令といいますかね、持ってきて、それで裁判所が権限を持ってやると。それから、マンデイマスというのは、これは職務執行を命ずると。それとあと、インジャンクションとプロヒビションですか、差止めと禁止という、これがコモンローとエクイティーとに分かれてこの訴訟類型になっているわけですが、そういう類型で、どういう判決が出て、それはこういう理由で、それでこの理由は、これはいわゆる判例になって、ここのところはそうでもなくてと、そういう仕分をずっとしていって全体の行政法体系を組み立てるという、そんなことをやるわけでございます。

 私は、やっぱり戦後、行政訴訟について特別の規定が何もなかったときは、日本は実はそういう状況にあったんではないだろうかと。戦後の改革で、日本というのは、ドイツ型からやはり英米法型に行政訴訟については変わったと考えた方が本当は歴史的には正しい認識なんじゃないかと。それがまた元へずっと戻ってしまったということなので、だから、今回、司法制度改革に当たって行政訴訟改革もやるとするならば、もちろんそれはその後のいろんな時代の変遷もあります。国際的に社会経済環境も大きく変わってきていますし、いろんな我々経験も踏んだわけですから、昔のままのものを今持ってこいというわけじゃないけれども、しかしそういう英米型の行政に対する司法救済の考え方というのをもっと大胆に取り入れた方が、本当はこの国民主権の下の司法制度改革行政事件版というものができるんじゃないかと思っておるんですが、これも聞いたら何とお答えになるか、ううん、難しいと言われるかもしれませんが、まあ感想をちょっと教えてください。

○政府参考人(山崎潮君) 今回の改正、基本的には従来の枠組みを大きく変えるものではございませんけれども、その中でもやっぱり国民の視点から物を考えていこうと、こういう改正をしたわけでございます。これを超えて、更に骨格自体からもちろん議論をしていこう、こういう御意見も検討会の中、いろいろございました。あるいは行政プロパーの問題、それから行政と司法、あるいは国会を含めた三権にかかわる問題をどうしていくべきかと、こういうような議論もあったわけでございます。

 これを、今回は、その点についてはまた将来課題であると位置付けをしているわけでございますけれども、本当にその議論をしようということであれば、これは英米に限らず、世界でいろいろなルールの仕方があるかと思いますけれども、そういうものをじっくり参照の上で、かなり高い議論といいますか、それを経るべきではないかというふうに私どもは理解をしておりまして、将来どうなっていくか、それはよく見守っていきたいというふうに考えております。

○江田五月君 ありがとうございます。

 今回は骨格、根幹部分を変えるものではないが、しかし将来的にやはりより高い議論が必要であるかもしれないと、そういうお話で、私は必要だと思っておりますが。

 今朝の園部逸夫参考人の話でも、行政事件訴訟法ができたときは、これ、雄川一郎さんの言葉を引用されていますが、行政訴訟の将来を展望して新しい時代に対応すべき備えをするという点では不十分なものであったと。今回の改正法でも、このように早く改正案が提出されたことを評価したい、今後、より総合的な行政訴訟制度の構築と行政法総則の立法化が望まれると。この辺りは正に、そうした私と問題意識を共有されているのじゃないかと思っておりますが。

 私は、ただ、今回の改正でもこの部分、この部分はやはりこれは制度の根幹に実は切り傷を入れた、そういう改正になっているんじゃないかと、あるいはそういう位置付けをする、そういう運用ができるんではないかと思う点があります。それは、一つは義務付け訴訟であり、もう一つが差止め訴訟ですね。義務付け訴訟、差止め訴訟というのは、なぜ一体裁判所が行政に対してできるんですか。私はできると思うんですよ。だけれども、なぜできるかという物の考え方の理解の仕方によって、これがこの行政訴訟の骨格部分にやいばを突き付けたことになるかならないかが違ってくるから、そこを伺いたい。

○政府参考人(山崎潮君) ここのところは、大枠は変えないと申し上げましたけれども、この部分のところは若干、考え方によっては境というんですか、行政と司法の境が少し動いているという評価だろうというふうに思います。

 本来は、行政、今の考え方でございますけれども、行政処分が行われて、それに対して事後的にそれがいいか悪いかをチェックするのが裁判であるということで、裁判が行政の中には入っていかないと、こういうルールでできております。今回の義務付け・差止め訴訟はその境をもう少し中に入ることになります。まだ処分が行われていないものもあれば、こういう処分を行うべきだという判決をするわけでございます。

 したがいまして、本来は、行政が第一次判断権を持ち、あるいは裁量権もあるわけでございますけれども、そういうその第一次判断権、ここに対して司法の方が入り込んでいくと、こういうことでございますので、境が動いたという評価はもちろんできるだろうと思います。

 ただ、根本は、変わっているかと言われると、例えば行政裁量ございます。行政がある種の裁量を持っているところに裁判所が完全に入り切れるかといったら、そこはなかなか難しいということから、この要件にも書かれておりますけれども、ある種の判断の一義性、こういうものがあるものについては裁判所が入っていって判断をするというところまではいいだろうと、こういう限度があるということでございますが、仕切りは動いているという位置付けでございます。

○江田五月君 山までは動かなかったけれども境ぐらいは動いたという、そんな感じかもしれません。私もそれはそうだと思うんですが、そこが重要なことで、山は動いていないんだということを強調するのか、境目が動いたんだということを強調するのか、これはやっぱりその後の運用に違いが出てくるというので、私はやはり従来の司法というのは行政の世界には一歩ももう入り込まないんだということでなくて、やはりそこは国民主権ですから、国民主権の下で司法、行政、立法というものがあって、国民主権をよりいいものにしていくために司法が自らの使命を持って行政のところへじわっと入り込んでいくということは、これはあってもいい。ただ、行政に変わってしまうというわけには、それはいきませんわね、司法ですからね。その辺のあんばいというものが重要なことだと思っています。

 そこでです、そこで、今の義務付け訴訟にしても差止め訴訟にしても、これこれこういう要件でということを書いてありますよね。この要件の解釈の仕方、この要件を解釈するときの基本的な態度なんですね。これは私は、一説によれば、行政がやるべきことをやっていないということは、やらないというある種の判断を行政がしているんだから、そのやらないということが違法であるという判断は、それは司法にはできますよと。その判断をして、もうそこまで行っているんなら義務付けとか差止めとかをやっても、それはあと紙の、首の皮一枚のところだから、そこは行っちゃっていいんだというような理解もあると。しかし、そこまで厳格に言わなくても、一定の要件というのは今のその境目が動いているんですと。したがって、その要件はやっぱり国民主権、国民の司法による救済をより全うせしめるような姿勢でその要件については、この訴訟類型が使いやすいようにその要件を解釈をしていくという、そういう解釈態度が必要だと思いますが、いかがですか。

○政府参考人(山崎潮君) 確かに、例えば義務付けでいうと、申請をして拒否をされたという場合に、取消し訴訟だけではなくて義務付けを行うと。この面では全く要件がございませんので、これはもう当然入り込める余地があると。ただ、一義性の問題もございますので、そこの条件はあるということになろうかと思います。

 問題は、申請権のない方が起こせるかどうかという点でございますけれども、これは、じゃ、だれでも利害がなくて、だれでも起こせるかといったらそういうことにはならないので、そこは法律上の利益があると。それから、やっぱり重大なその影響を受ける、そういう重大性というんですか、そういう点についてはだれでもかれでも何でも言えるという形ではないんですけれども、そういう要件は設けさせていただいていると。

 しかし、やはりきちっと行政が本来対応すべきものについてはそれをチェックをすると、こういう機能が十分に働くようにその要件を解釈していかなければならないと、そういうことでございます。

○江田五月君 もう一つ、義務付けという場合には、行政がそういうアクションを起こさないことが言ってみれば違法だという前提としての判断があるのだと思いますね。そうすると、その不作為の違法確認という訴訟類型がありますよね。それと義務付けという新たな訴訟類型ができている。

 これの広狭の関係というものは、広い狭いの関係というものは、これはあるんでしょうか。

○政府参考人(山崎潮君) 物によってはその不作為の違法確認が行われれば処分が行われるという、事案事案によってはあろうかと思います。ただ、やっぱり行政の態度から、ただ不作為違法確認があっただけではその先のどういう行為が行われるか、これが必ずしも十分ではないというものもあり得るだろうと思います。こういう場合にはやはり義務付けの訴訟を使っていただくと。その事案事案によってルートは幾つかある、これで一番向いたものを利用していただきたいと、こういうことでございます。

○江田五月君 私が広い狭いということを言ったのは、例えば、一定の義務付け判決を求める、審理の結果、そういう義務付けに係るアクションを行政が行えないことは、これは違法であると確認できる、しかしそれを超えてどういうアクションを起こすかについては行政の第一次的判断というものがあるからそこまではいかないというので、義務付け判決を求めて、その一部認容で違法確認を認めて、その残余の部分は請求棄却になるというような、そういう、民事訴訟だったら大体そういう成り立ちになるかと思うんですが、そういう関係はあるんでしょうか、ないんでしょうかということを聞いたんですが。

○政府参考人(山崎潮君) この点に関しましては、不作為違法確認とそれから義務付け、これについては同時に一緒に起こしてもらう、あるいは取消しと義務付け訴訟、これ一緒に起こしてもらうと、こういうような形になっておりますので、それのどちらか、今おっしゃいましたように、違法確認はできる、しかし何かを義務付けるまではいかないというものについては、それは棄却と。それから、違法は確認できるというものについては不作為違法確認をすると、これはできることになろうというふうに思っています。

○江田五月君 もう少しぎりぎり詰めてみたいところですが、こっちも余り準備をしていないんでこの程度で次へ行きますが。

 原告適格ですよね、これはいろいろ広げる方向で努力しておられて結構だと思うんですけれども、これは何か原告適格についての法理と、具体的な考慮の対象はこうこうこういうものを考慮しなさいよ、いや、それだけではなくて、それはもっとほかのことを考慮してもいいですよとか、そういうことはあるんですが、原告適格イコールこういうものという、そういう理論というものがあるんですか。原告適格理論というのがあるんですか。

○政府参考人(山崎潮君) いや、これはあればきちっと法文にも書けるということになるわけでございまして、なかなかすべての場合について書き切れないので「法律上の利益」という文言で代表しているわけでございますが、これを代表していても、余りにも抽象的で一体何を手掛かりにして考えていいか分からないと、こういう状況でございましたので、法理論があるというよりも、今までかなりいろんな判例の集積もございますので、そういうところを分析して、この点については非常に重要であるというようなものをその考慮事項としてこの中に盛り込んで、これについてはすべて、裁判官はすべてこれを判断をしなければならないと。ただ、解釈の余地があるということではなくて、それを常に考えなければならないと。その上にまた解釈ももちろんあるわけでございますけれども、最低限のところをレベルアップしたと、こういうことでございます。

○江田五月君 原告適格についてはいろんな裁判例というのが積み重なってきていて、その中にはよく認めたというものもあるし、もうちょっと認めたらいいのになというようなものもあると思うんですね。

 今回のこの原告適格については最高裁が認めたものを言わば踏襲したんだという、そう聞こえるような答弁も衆議院の方であったやに聞くんですが、やに聞くんですが、そんなことはないですよね。全体にレベルアップしたということでいいですよね。

○政府参考人(山崎潮君) 衆議院で私もしそういうふうに聞こえたんなら訂正させていただきますけれども、そういう趣旨は私の気持ちにはございません。

 いろいろな判例はございましたけれども、今までは、あったって極めて狭く、その後もですね、極めて狭く解釈する判例もございまして、これは解釈だから自由だったわけでございます。これではやはり全体のレベルアップがしないということから、考慮要素を定めまして、これは最低限考えなければならないと、こういうところにレベルアップをしたということで考えております。

○江田五月君 ちなみに、イギリスの訴訟ではビジー・ボディーズ・スーツというのがあるんですね。ビジー・ボディーというのは要するにおせっかい者なんですよ。おせっかい者がちょこちょこやってきて訴訟を起こして、そんなものは駄目ですよという、そういう法理論が、法理論というのか、ありましてね、逆から規定を、規定というか、考えているわけですね。

 つまり、本当に自分自身にとってこのことを判断してもらうだけの合理的な、客観的な、正当化されるそういう理由がある人が来ればそれはよろしいよと。しかし、あんたのは、ちょっとそれはもうそんなにわあわあうるさく言いなさんなという人たちは、これはぽんとはねるという感じでございまして、何かの参考になればと思います。

 被告適格ですが、被告適格をもう国とか、こういう、どんと認めるということなんですが、それでも、被告はそういう表示をしても、求める判決については行政庁を明示して、ある行政庁のある処分を取り消すというような、そういう判決を求めるということになるんでしょうから、そうすると、そこのところを間違ったら結局は同じことかなという気もするんですが、そこの主文の間違いなんというのはどういうふうにするんですか。主文というのは、つまり訴訟、判決の主文じゃないんですよ、訴状に書いてある請求の趣旨の間違い、これはどうするんですか。

○政府参考人(山崎潮君) 今度は被告が国でございますので、当事者としては国を訴えればいいということになりますけれども、請求の趣旨の特定のところで、どこが行った処分なのかと。これは処分一杯ございますので、その処分のしたところとその年月日ですね、これを掲げるということになると思いますけれども、これは、そこを間違った場合は単なる請求の趣旨の訂正ということでございますので、そこは裁判所の釈明をうまく使ってもらいましてきちっと直せばそんなに大ごとになることはないだろうと思います。

○江田五月君 それでいいんですよね。いわゆる訴訟物が変わってしまって何とかかんとか、あるいは出訴期間が守られなかったりとか、そんなことにはならないんでしょうね。出訴期間は大丈夫ですね、処分庁の表示が間違っていても。

○政府参考人(山崎潮君) この規定の中で便宜のために行政庁を書いていただくところございますけれども、ここを書かなくても、それから書き間違っても効力には影響ないということでございます。

○江田五月君 管轄、この管轄の法理論というのがなかなかややこしくてね。被告住所地を管轄する裁判所というのは管轄の大原則なんですが、今回はそうではなくて、原告の居住する土地を管轄する高等裁判所の所在する地方裁判所ですか、ややこしい言い方になっているんですが、そういう管轄理論というのはあるんですかね。

○政府参考人(山崎潮君) これは私より江田委員の方がずっと詳しいかと思いますけれども、別の法律でこういうような管轄の法理を取ったものも当然あるわけでございます。これは議員修正で行われたというふうに承知をしておりますけれども、前例はございます。

 今回考えましたのは、そこで言われているもの、そのとおりかどうかはちょっと別として、私どもは、一つは、国民が起こしていくわけですから国民の利便も考えなきゃいかぬだろうということと、裁判所の専門性の体制をどう組んでいくかということ、この両方のバランスを考えましょうということでございまして、確かにくまなく専門家を全国に配置できるということならばそれでやれることだということになるかもしれませんけれども、なかなかそれを全国にやるということは能率的ではない。それで、大きな高裁所在地の地方裁判所にはある程度集中的に投入できるだろうと。そのバランスを考えて高裁所在地の地方裁判所と、こういうふうに考えたわけでございます。

○江田五月君 これは、おっしゃるとおり、情報公開法のときに議員修正でそういうことをやったんです。国会議員が言うんだから、それは泣く子と地頭には勝てぬという形でやったわけですけれども、理屈からすると、それは理屈はないですよ、そんな理屈はね。だけれども、それはやっぱり東京だけというわけにはいかない、広げろということでそういうことをやったんですが、だけれども、高裁所在地の地裁はその他の地裁よりは格が上だとか、そんな話じゃこれないですよね、格の話じゃない。裁判所の限られた人員をどういうふうに配置をするのが一番合理的かという話であって、そして同時に、国民の皆さんが裁判所にアクセスするのに、自分の県の地裁へ行くのがそれは一番便利いいけれども、そこまでちょっとこらえてちょうだいと。

 じゃ、一地方の中心となる、中心といったって、例えば四国だったら愛媛と香川とどっちが中心かなんて分からないんですよね。裁判所の場合は香川ということになるけれども、そのほかのいろんな行政サービスでは愛媛ということもあるわけですから、分からないんですが、まあいいでしょう、そういうことにして。

 それならば、私たちがあのとき考えたのは、ここは管轄法理と現実の議員修正と違うと。これは言わば活断層、この活断層はいずれ動く、動き出して管轄を全部作り直していく、そういう、そのときにどういう管轄法理になるか、そのときはまだ、我々まだ分からないんですけれども、そんな意味でここに不連続線を入れておこうというような思いでやったんです、少なくとも、私は。

 そうだとすると、今回更にもう一歩進んで、例えば沖縄の皆さんについては、沖縄の皆さんについては那覇地裁、これを管轄裁判所にできない理由はないんですが、できない理由は何かあると思いますか。

○政府参考人(山崎潮君) この問題は情報公開訴訟についてもいろいろ言われているところでございまして、それと軌を一にして考えていかなければならないという問題として理解はしております。

 ただ、もう委員御案内のとおり、この管轄は例えば不動産の所在地にも認められておりまして、それから処分した下級行政裁判所、あっ、裁判所じゃない、行政機関、そこが行った処分についても下級行政機関のあるところで起こせるということになりますので、それで考えますと、かなり沖縄の場合は下りているんだろうと思うんですね、権限が。それから、不動産の関係も多いということになろうかと思います。

 実態は当たっておりませんが、この案を作っていくときに、どうしても沖縄という声は少なくとも私どもは余り聞かなかったということでございまして、また今後の動向いかんで考えていくべき問題だというふうに考えております。

○江田五月君 管轄の問題、今も言いましたとおり、これは言わば行政事件、じゃない、情報公開法でああいう管轄を議員修正で入れているというのは、あそこに地雷をちょんちょんちょんと埋めておいたということですから、今後、いろんな議論のときにこの地雷が小さく、時にはどんと大きく爆発して、管轄というものを大きく考え直すというときがいずれは来るんではないかと思っております。

 時間もだんだん来ておりますが、山崎さん、民主党の行政事件訴訟の改革案というのはごらんいただいたでしょうか。

○政府参考人(山崎潮君) 読んでおります。

○江田五月君 感想はいかがですか。

○政府参考人(山崎潮君) 先ほど申し上げましたけれども、今回はその改正は一部でございます。残された大きな問題、これ徹底した議論も必要でございますけれども、そういう問題について幾つか芽が出ているというふうに理解をしております。

○江田五月君 先ほどの参考人のお話にもあるんですが、いわゆる不当問題ですね、不当問題と言うのは変かな。違法適法、これは司法審査になじむ、しかし当不当、不当は司法審査になじまないと言うんですが、裁量問題について司法審査は本当に及ばないのか。

 これは行政の裁量だから司法は抑制すべきであると言うけれども、さっきも角田委員からの御質問もありましたけれども、違法なんというのは、これはもう当たり前ですよね、だれが聞いたって違法なものは直さなきゃならぬのは当然なんで、しかしだれが見てもこれは不当だというのもありますよね。不当か不当でないかというのは、それは行政庁が判断をすべきものであって、そこで、そこは裁判所はそこまで入り込んで判断をすることは差し控えるということなんですけれども、しかし行政庁が判断したらもうそれで当不当問題はなくなるのかといったらそうでもないんで、行政庁は判断したんだけれども、まあだれが見ても不当だというのが訴訟になるわけでしょう。それはやっぱり裁判所が見たって、ほかの人が見ると同じように裁判所が見たってこれは不当だということは分かるわけですから、そういう不当性を帯びた処分というのはもはや既にそれは裁量の限界を超えて違法性を帯びている、そういう処分になるんじゃないかという、そんな法理もありますよね。いかがですか。

○政府参考人(山崎潮君) 現行法では、当不当は行服法の世界で判断をしていると、それから違法の点については裁判所と、こういう役割でございますが、ただ、この行政事件訴訟法の中にも、裁量権を著しく逸脱した場合、これについては裁判所の方でもその判断ができるという規定もございますので、本当にそこに至るようなものについては判断が可能かなというように思っておりますが、じゃ、それに至らないものをどうするかという問題は、今後、行政手続全体の問題、これをどう考えていくかという問題だろうというふうに思っております。

○江田五月君 先ほど、義務付け訴訟とか差止め訴訟のところでは境目が動いたという話があったわけで、同じことなんですよ。行政不服審査法の世界と行政事件訴訟法の世界のところに境目があって、しかし義務付けや差止めで境目が動いているんですから、これは行政事件訴訟法のところだって行政不服審査法の世界のところへちょっと入り込んでくるということがあったっておかしいわけじゃないんで。

 ちなみに、この場面でもイギリス、まあイギリスの法律ばかり言うと何か嫌らしいですけれども、裁量権を誤ったらやっぱりそれは違法だという、これはもう世界じゅうどこでもそうだと思いますよ。イギリスなんかすごいんですよ。国会の法律があって、その法律に従って行政が何かやったら、裁判所がおかしいと、それは、国会がそんな裁量を認めるはずないから、あなたの裁量はおかしいからこれは法律違反だなんて、そんな理屈付けるんですね。要するに、パーラメンタリーソバレンティー、国会最優先というのと法の支配との二つの原則をくっ付け合わせて、そして行政処分をチェックしていくという機能を裁判所が果たすという。不文法の世界というのは非常に面白い世界でして、まあここでうんちく傾けるのはもうやめますが。

 そこで、私どもは、もう一つ、例えば行政事件というのはやはりある種の主観訴訟ではあるけれども、やっぱり、この主観訴訟、客観訴訟というのも法律の世界の人間しか通じない変な言葉ですが、やはり個人が自分の権利救済を求めるということを超えて行政の過誤を正すという、そういう意味ではかなり公的な性格を持っているわけですよね。そういう、社会、公共のために自分は訴訟を起こすというとちょっと嫌らしい、そんな感じがするけれども、しかし行政訴訟にはそういう面がある。

 ですから、そういう訴訟をあえて起こしたときに、これはなかなか相手は行政ですから勝つのは簡単じゃありませんよね。勝てばもちろん訴訟費用は被告ということになる。勝ったときには、行政訴訟の場合は弁護士費用も被告が持てよと。負けたときは、これは公共のために訴訟やっているんだから被告の弁護士費用を原告に持たせるようなことはやめろよと。そういうような、いわゆる弁護士費用の片面的負担制度というようなことも私たち考えておるんですが、これは今回、全然提案の中にはありませんけれども、山崎さんの感覚を聞かせてみてください。

○政府参考人(山崎潮君) これについては、現在、法案を衆議院の方にお出しいただいておりますが、させていただいておりますけれども、まだ審議をいただいていないという状況の中でこれをお答えするのは非常に難しいわけでございますけれども、ベースがないということになりますけれども、この問題は、じゃこのジャンルだけに限られるのかどうか、それについて本当に、最終的には税金を使うわけでございますので、国民の方が最終的に納得してもらえるのかどうか、この辺のところはもう少しいろいろ検討をしなければならないということで、今直ちにこれについて私どもではいというわけにはいかない問題であるということでございます。

○江田五月君 少なくとも、今皆さんが衆議院の方に出しておられるあの法案よりは、あの法案なんてとんでもない法案で、あれよりは今私たちが提案したものの方がよっぽど何か国民の皆さん、うん、そうだと言ってもらえると思いますよ。

 終わります。


2004/06/01

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