2005年5月10日

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162 参院・法務委員会

刑事施設受刑者処遇法案につき、参考人からの意見聴取。参考人は、龍谷大教授の浜井浩一さん、弁護士の西嶋勝彦さん、障害者福祉支援スタッフの山本譲司さんで、民主党は私が20分、質問しました。刑務所が過剰収容になっている原因として、浜井教授が、社会のセーフティーネットの弱体化により、本来なら社会内で救済される人が、最後の受け皿である刑務所まで来てしまうと指摘されたのが印象的でした。刑務所でのターミナルケアの重要性が、増して来ているそうです。山本さんの話も、深刻で考えさせる内容でした。


○江田五月君 三人の参考人の皆さん、今日は大変ありがとうございます。貴重な御意見を伺わせていただきました。

 そうですね、どういうことを伺えばいいか。

 実は私ども時々行刑施設へ伺うこともありまして、私も以前は裁判官やっていたりで、ある程度の知識は持っているつもりなんですが、そんな経歴から、行刑施設が今大変劣悪な状態で、これを良くしていかなきゃならぬという思いはずっと持っていて、これはもうごく当たり前のことだろうと思っていたんですが、先日、あるグループで東京拘置所に見学に行ったんですね。

 これは、三人の方、皆さんにお伺いします。

 そうすると、三十代の見学の参加者からこんな質問をされましてね。率直に言って、この見学者の皆さん、いろいろ努力をして社会的に一定の成功を収めておる皆さんです。何で、江田さん、この刑務所、こんなにきれいに立派にしなきゃいけないのか、国民の税金を使って。こういう話で、東京拘置所がすべて立派ですばらしいというわけじゃないだろうけれども、確かに入口の辺りからずっと管理棟の辺りはこれは立派なものになっていると思います。私はとっさに、ここは拘置所で未決の人が主体だから、したがって無罪の推定があるんだからと言ったんですが、本当はそうじゃなくて、もっと根本的なところのお答えをしなきゃいけなかったんですが。

 先ほど浜井参考人は、科学的根拠のある処遇でなきゃいけないという意味で、アメリカの矯正プログラムがいかに効果を上げていないかというようなお話をいただきましたけれども、行刑施設の水準を上げなきゃならないというのはなぜなんだと、こう聞かれたときに、全くの素人といいますか、国民から聞かれたときにストレートにどう答えればいいんでしょうか。私も、当然だと思いながら、いざ聞かれるとどうも答えに窮するんで、三人の参考人に順次ちょっとそれぞれの今までの御経歴から、経験から答えてみてくれませんか。

○参考人(浜井浩一君) 非常に難しい質問で、私自身も刑務所に勤めているときに参観者の対応というのをよくやったんですけれども、学生さんの中ではやはり同じような感想を持たれる。悪いことをして刑務所に入ったのに、どうしてテレビが見られるんだ、どうしてこんないい食事が食べられるんだと言う人がいる一方で、非常に自由が少なくて、こんなところではとても私は暮らせない、環境が良くないという両極端な意見を、印象を持つ学生さんたちが非常にたくさんいて、どうお答えしていいものか私自身も迷うんですけれども、基本的にお答えしているのは、受刑者はいずれ社会に帰る人たちであり、社会に帰るときに社会に帰りやすい環境、社会に帰って再犯をしないで過ごせるような、そういう余り落差のない環境をある程度整える必要があると。

 刑務所である以上、当然のことながら自由が制限されていると。そういう意味では、決して刑務所がホテルのようになってはいけないと。しかしながら、やはり社会に戻るために劣悪な環境というものを整えてしまうと、劣悪な環境の下でやっぱり更生意欲は生まれてこないだろうと。そういうところを考えていかなくてはいけない。

 ただ、いずれにしても、刑罰というのは国民の総意に基づいて行われているものなので、その辺は国民のいろんな方々に見ていただいて、バランスを取りながら運営していかなくてはいけないのかなと思いますというふうに公的にはお答えしております、はい。

○参考人(西嶋勝彦君) なかなか難しい質問だと思うんですけれども、基本的には今、浜井さんがおっしゃった点が一つと、もう一つはやっぱり何といいましても自由を制約しているということ、その自由の尊さということはやっぱり中に入ってみないと、外から見るだけではやっぱり分からないだろうと思うんですね。

 それから、居房にしましても、自分の例えば下宿の部屋とか自分の勉強部屋に比べると、いかに殺伐とした部屋であるか。やっぱりその外観あるいはそのレイアウト、施設そのものは立派かもしれませんけれども、被収容者個人に与えられるスペースというか、空間は正に自由を制約した象徴的な居房でしかないわけですよね。

 それで、しかも、今日のきれいな施設と言われても、今までの劣悪な環境に改善改善、反省反省を重ねてきた到達点だろうと思いますので、これを元に戻すというようなことは、ちょっとこれはできないだろうと思います。

○参考人(山本譲司君) この考えですね、行刑施設の水準を上げる、これは果たして国民にとって利益になるのかと。いや、そんな意見、実は刑務官の中から聞かれることもあったんですね。

 彼ら刑務官は、自由刑といいながら、あるいは教育刑といいながら、どこかでやはりその国民の、特に被害者の皆さんの感情を代弁して、正に応報刑の執行者だという、そういう使命感を持っているような人たちもいるわけですよね。

 ですから、そんな中で、正に浜井参考人がおっしゃったように、これはホテルじゃないんだと、おまえらここでもっと苦しめと、ただ拘束するだけじゃなくて、懲らしめなきゃならないというような考えを持たれている刑務官も実はこれは多いんじゃないかと思いますね。これはその刑務官の皆さんの教育にもよると思うんですが。

 そこで、私自身、やはりああいう、私は一年二か月ちょっとの間、ほとんど三畳余りの独居房で過ごしておりましたが、何もないですね、突起物もないような部屋で、テレビを見るといってもチャンネル権は全くない、新聞も一日十五分閲覧されるだけというような生活の中で、だんだん自分が人間としての自信みたいなのを失ってくるんですね。私、そういう生活を一年二か月送った。で、刑務所から出た。いや、昔はね、まあそれなりに自信家の部類に入る人間だと思っていたんですが、やっぱり刑務所の中でそれだけ、おまえら犯罪者だ、おまえらはろくでもない人間だということを、まあある意味植え付けられるわけですよ。

 じゃ、いい犯罪者は何かというと、いい受刑者は何かというと、もうとにかく沈黙は金と申しましょうか、一切反抗しない、ロボットのように唯々諾々と刑務官の言うことを聞く、自分の考えというのを巡らすことをしない。そういう人間になれば楽に暮らせるんですが、これじゃやっぱり社会復帰は遠のいていくと思いますね。まあ、私も若干そういうところが身に付いたというか、刑務所内の処世術として、そういう何となくロボット人間みたいなところもどこかであったんでしょうね。刑務所から出て、瞬発的会話力は衰えますし、今リハビリ中なんですけれども、一年ぐらいは本当に引きこもりに近い状態でした。非常に自分を卑下して生きるようになるんですね。そのための材料がもしかしてああいうシチュエーションじゃないかと思うようなところがあるんです。

 是非、私は最近元受刑者仲間と連絡を取り合ったりもしているんですけれども、これはいいことなのかどうなのかあれですけれども、まあ再入所率が五割とか言われていますけれども、あとの五割が、じゃ、ちゃんと社会復帰しているのかといいますと、やはりかなりの部分また刑務所に戻っていますし、あるいは自殺をした、変死をしたという元受刑者仲間も、これもいます。

 是非、私は、きちんとなるべく早い時期に社会復帰を受刑者にさせて、是非そのことによって、また刑務所に舞い戻るとか、あるいは自殺をするというんじゃなくて、ちゃんと社会の中で税金を払う人間になってもらうと、それが国民にとってもプラスじゃないかと。そういう考えの下に、やはり出口につながるための環境を、きちんと最低限の環境を整えるという発想は必要なんじゃないかと、こう思っております。

○江田五月君 私は、こんなようなことかなと思うんですが、これ、人間というのをどう理解するのか、社会をどう理解するのかということと深くつながっていると思うんですが、先ほど、これも浜井参考人のお話で、最近の過剰収容、これは社会自体のセーフティーネットの弱体化で、本来社会が、特に福祉の体制がしっかり受け止めるべきところがほころびてきて、これが刑務所へというところに来ているというお話がありまして、これはなかなかしっかり考えなきゃならぬポイントかと思うんですが。

 つまり、人間の世の中というのはお互いに支え合っていくある種の信頼関係というのがちゃんと制度の中にも、あるいはふだんの生活の中にもあるはずで、ところが犯罪を犯すということはどういうことかというと、そういうことからどうしてもこぼれてある種の不幸が不幸を呼ぶ、不幸の連鎖がずっと起きていく。で、ついに犯罪にまでと。山本さんの場合なんか不幸の連鎖と言えるかどうかよく分からぬけれども、それでもさっきちょっとおっしゃった自信過剰の連鎖がちょっとあったのかなと。もっとも私自身は、これは立法に携わる者という意味じゃなくて、一法律家の経験を持った者として言えば、ちょっとあの実刑は重いんじゃないかという感じはするんですが。

 それは置いておいて、そういう不幸の連鎖というのをどこかで断ち切らないと社会というのに簡単に戻っていけない。不幸の連鎖が更に続くようなことを刑務所でもやっていったんじゃ、これはどんどんどんどん深みにはまるだけで、したがって、いかに刑務所が恐ろしいか、いかにその後の人生は不幸かというのを幾ら見せ付けたって、それによって不幸の連鎖は断ち切れないんだということじゃないかと思っております。

 そんな意味で考えれば、矯正プログラムというのは相当重要、それぞれの個人がそれぞれどういう不幸の連鎖の中でそういう犯罪になったかということをしっかり矯正の過程の中で把握をして、不幸の連鎖を断っていかなきゃいけないということだと思うんですけれども。

 これは特に浜井参考人に伺いたい。長い御経験の中で、矯正プログラムをそういうようにして本当に立てることが今できているのかどうか。どうも矯正研修所、研修所ですよね、ああいうところなんかを、余りよく知らないんですけれども、矯正研修所があるのになぜこの程度のプログラムしかないんだろうかなというようなことを感ずるときがあるんですが、どういう矯正プログラムを作っていらっしゃるのか、お教えいただけますか。

○参考人(浜井浩一君) それでは、御質問の最後の部分ですかね、どういう矯正プログラムを刑務所がやってきているのかということについて簡単に御説明したいと思います。

 やはり一番私が問題だと考えているのは、行刑の処遇の二本柱と教科書的に教えているのは、今回の法案でなくなりますけれども、累進処遇と分類処遇です。これはどちらも受刑者の特性に合わせた処遇を行う。受刑者が成長していけばそれに見合った自由を与えるという、ある意味では非常に優れた理念を持った処遇だというふうに思っておりますが、現実の刑務所というのは、やはり保安と作業で運営されている。これを、保安と作業を行刑の両輪という言い方で業界ではしておりますけれども、この辺のやっぱり格差が非常にあるわけですね。

 分類あって処遇なしとよく言われますけれども、分類は分類技官がそれなりに本人たちの生い立ちを調べ、なぜ非行化したのか、犯罪を犯したのか、彼らにどういうことが必要なのかというのを調べますけれども、処遇の具体的中身は刑務作業と規律正しい生活というのしか存在していないという部分があって、そういう意味では、犯罪者によってはいろんな形で、リハビリが必要な人、あるいは依存症に対するサポートが必要な人、あるいは病気を治すことが必要な人、あるいは性犯罪という特別な傾向を持っている人に対する何らかの心理療法が必要な人、いろんなものがあって、こういったものをきちっと整えていくことが必要であろうというふうに思われていますし、これまでもいろんなところで小さな努力はされてきたんですが、矯正全体としてそういったものが必要であると、拘禁を確保するだけでは社会の要請を十分に果たしていないということを理解し始めたのは最近のことではないかというふうに思います。

 それから、もう一つ、その先まで行って、じゃ、そういった人たちを処遇した上で、どう社会復帰を図っていくのかという件については、私も分類というところに所属していて、障害者の人、それから精神障害者の人ですね、そういった人たちに対して、病院の方々とも連携を取り、毎年協議会を持ち、それから近隣の福祉事務所とも協議会を持って、いかにこれをつなげていくかというふうな努力をそれなりにしてまいったつもりでございますけれども、これがなかなかやはり十分に受けていただけないというんですか、受けられない現状がいろんなシステムの中に存在しているという部分がございます。

 例えば、生活保護なんかに関しましても、基本的には生活保護の窓口を探すのが非常に大変なんですね。生活保護を受けるためにはまず住居が必要であると。住居をいかに確保した上で生活保護を申請するか。住居が確保できない限り生活保護は申請できないということになってしまいますし、老人ホームに入れてあげようと思っても二年待ってもらわないと入れないというような状況があって、こういったいろんな意味でのリハビリを含めたプログラムと、それから社会とのつながりですね、ここをいかに築いていくかということが今後の矯正処遇の課題だろうと思っております。

○江田五月君 いや、矯正プログラム、実は東京拘置所に行ったときに性犯罪の受刑者の矯正プログラムをほんのちょっとだけかいま見た、全くちょっとだけですが。しかし、ちょっと見ただけでも、これはまあ何とお粗末といいますか、あんなものではおよそ何か矯正なんというのと関係ない、子供の学芸会よりもっとひどいというような感じだったです、率直に言って。

 ですから、これは、これから法律改正によって矯正プログラムを強制といっても、強制というのはつまりエンフォースですね、無理やりに矯正プログラムを受けさせようといってもそう簡単にはいかない話だと思いますが、それにしても、中身が相当もっともっと練られていかなきゃいけないんじゃないかと思っています。

 時間の方が気になっておるんですが、山本さんには、「獄窓記」に書かれているいろんな例の寮内工場ですか、ろうそくを折って、また分けて、また折って、これ何の役に立つのというような、ああいう話は本当に大変な話だと思っておるんですが、ちょっと時間の方が気になって、まあそういう、あの本を是非社会の皆さん一般にももっともっと、本屋でちょろっと立ち読みじゃなくて、読んでもらいたいなと山本さんの代わりに私代弁しておいて。

 西嶋参考人に伺いますが、日弁連が考えておられるこの受刑者処遇の改善というのはもっともっと進んでいるはずですが、今回のこの法案、基本的にはこれを是非成立をさせろという態度でおられると。そして、今度見直しの条項が入って、五年先でしたかね、見直すということになりましたが、その際、さっき改善を求める諸点というので九つほど挙げられましたが、見直しのときに特にこれとこれは絶対外せないというある程度の、優先順位付けてしまうと上の方だけつまみ食いというんじゃ困るかもしれませんが、特にこの点この点はということがあれば是非お教えいただきたいと思います。

○参考人(西嶋勝彦君) なかなか順番付けづらいんですけれども。

 例えば、非常に分かりやすいといいましょうか、言えば、例えば一日一時間の運動時間であるとか、これは予算を伴ってなかなか難しいんですけれども、夜間独居ということで単独室に収容することのできるようにできるだけ努力をするというような、そういった財政当局の理解を得ながら何らかの宣言的な条項を法文の中へ入れるというような努力を何とかできないものだろうかと。

 それからあと、金が掛からない問題で申し上げれば、懲罰の内容からやっぱり非人間的な内容を除外していくとか、そういうことは可能ではないか。それからまた、隔離収容とか保護室収容のリミットを設けていくということも、これはさほど難しいことではないんじゃないかと。いったんリミットを設けた上で、集団処遇とか通常の処遇に戻して、また悪ければ、再度また医者の意見を聴きながらもう一回やるとか、そういう努力は何とか努力していただけるんじゃないかというふうに思っております。

○江田五月君 時間ですので、終わります。


2005年5月10日

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