1995/02/28 |
○委員長(松浦孝治君) 次に、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。 まず、提出者衆議院内閣委員長田中恒利君から趣旨説明を聴取いたします。田中君。 ○衆議院議員(田中恒利君) ただいま議題となりました国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、提案の趣旨及び内容を御説明申し上げます。 我が国は四面を海に囲まれ、世界でも最も海の恩恵を受ける国の一つであることは国民のだれもが承知していることであります。我々は、古くから海に生活の多くを依存するとともに、海を交通の手段に活用して文化等の交流を図り、海と親しみながら今日の日本を築き上げてまいりました。地球上の七〇%を占める海は、まさに我々にとって母なる海なのであります。 さらに、海の環境を保全すること、海洋資源の開発は、人類のさらなる発展の礎ともなる重要なものであります。 本案は、このような観点から、海の恩恵に感謝し、海を大切にする心を育てることを目的に、既に海の記念日として長年にわたり国民に親しまれております七月二十日を海の日として国民の祝日に加えようとするものであります。 なお、この法律は、平成八年一月一日から施行することとしております。 本案は、衆議院内閣委員会において、委員会提出法律案とすることに決したものであります。 何とぞ、御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。 ○委員長(松浦孝治君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。 これより質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言を願います。 ○南野知惠子君 自由民主党の南野知惠子でございます。 今、海の日を祝日とする提案がなされましたが、長年御努力された関係者の皆様方には心から敬意を表したいと思っております。 日本は海に囲まれた海洋国であり、ほとんどの国民が海に親しんできております。子供のころには、心の涵養や将来の夢、ロマンを海に語りかけてきました。また、我が国にとって、海の資源は日常生活、食生活には切っても切れない関係にございます。さらに、古来より人の死と誕生は海の干潮、満潮によるとも言われたり、台風や地震と関連する津波など、海の異変の脅威などからは多くの生活の知恵を得ております。そして、今日の日本の繁栄は、他国との人的交流を含め、海上輸送を多く利用した結果とも考えられるなど、人生、生活との関係からも改めて海に対する認識を深めていく必要があると思います。 私の経験からでございますが、奄美大島の県立病院に勤務しておりましたときに、太平洋上で操業中の青年が左手首をサメにかまれた事故が発生しました。救急出動の要請を受け、海上保安庁の船で出動し、甲板上での応急手術などの手当てをし、救命する機会がございましたが、船には病院機能は備えておりませんでした。また、近年の海難事故の増加や陸路の交通状態と今回の阪神・淡路島大災害などからの学びにより、海路による海の救急車、救命救急船や病院機能を持った病院船などの必要を痛感いたしました。 さらに、海水を利用できる消防船や海を真水化する機能を持った生活船とでも言うのでしょうか、このような船が日本の海洋上で活躍できることも期待したいと思っております。 また、事故のない安全な航海や海路輸送、海の環境保全と、海の日にちなみ日本を取り巻く海を海洋公園にしてはどうか。さらに、豊かな海の資源確保などの実現化に向けての開発を望むものであります。 さて、今回の審議に当たりまして幾つか御確認をさせていただきたいと思っております。質問は二問でございますが、初めの質問について三点お伺いいたします。 海の日七月二十日という御提案でございますが、まず、国民的コンセンサスが得られているのでしょうか。二点目は、海の日を祝日とする意義についてでございます。三点目は、ほかに幾つかの祝日化の要望がございますが、海の日を優先する理由についてお尋ねいたします。 ○衆議院議員(江田五月君) 委員が海に対して広く深い見識をお持ちになっておられることに心から敬意をまず表したいと思います。 質問三点にわたってということでございますが、国民的コンセンサスは得られているのか、これに対しては私ども、一つは、七月二十日が海の記念日と昭和十六年に定められまして、戦後ずっと海事関係者によってこの日を海の記念日として海に対する啓発活動などを続けられてきたわけですね。そういう行事の積み重ねがあって、これはやはり一つの国民的コンセンサスの中身になっておるだろう。 さらに、地方議会のほぼ七〇%、都道府県議会でいえばこれはもう全部といいますか、そういう地方の皆さん方の海の日制定を求める意見書の採択というものがある。あるいはまた、一千万人を超える人が海の日を制定してくれという署名をしておる。こういうことがあるし、さらに海事関係者の皆さんの大変な御要望とか、あるいはまた労働組合連合の皆さんの御要望とか、こういうものが多く寄せられているわけでございます。それでもなお海の日というのは知らない人がたくさんいるじゃないかと言われますと、確かに知らない人もたくさんおられますが、今申し上げたような限度で一定の国民的コンセンサスができておると私どもは判断をしたわけでございます。 次に、海の日を祝日とする意義でございますが、これは先ほど衆議院内閣委員長の方から申し上げたとおり、海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。海というのは日本にとって非常に重要なものでございまして、しかもその海の汚れが最近非常に目立つようなことになっているわけで、私ども海というものを余りにも知らな過ぎるんではないかというそんな感じもするわけです。 例えばアメリカですと、自然の海岸に人工の手を入れて構築物をつくったときには、それと同じだけ自然の海岸の機能を果たせるものを別につくらなきゃならぬなんということが法律によって強制されているといった事態もあると聞き及んでおります。どうも日本というのは、もう海の恵みになれ過ぎていて海というものを余り皆考えない、そんな事態に立ち至っているわけで、この際、海というものを私ども真剣に考えるそういう日を国民の祝日とすることは大変意義が深いと思っております。 第三点目として、ほかのものに対してなぜ海の日が真っ先に来るのか。これはやはり、例えば平和の日八月十五日であるとか、メーデー五月一日であるとか、ほかにもいろいろ御要望の日があるんですが、やはりここまで国民的に要望が高まってきているのは海の日をおいてほかにないんで、そういう意味から海の日がまず最初に組上に上った、こういう経過でございます。 ○南野知惠子君 ありがとうございました。 次は、海の日が祝日化されますが、それと関連しまして学校教育とのかかわり合いはどのようになるのでしょうか、御説明いただきたいと思います。 ○衆議院議員(江田五月君) これは、学校教育をつかさどる役所の皆さんとか学校現場の皆さんとかの声をそういう意味で殊さら聞いているわけじゃないので余り明確なお答えになるかどうかわかりませんが、全国的に見て七月二十日というのは、小中高等学校においては一学期の最終日、終業式、校長先生のお話を伺い、夏休み中の注意を聞き、さらに教室に戻って通知表をいただき、宿題をいただいて帰るという日ですから、それくらいな行事はほかの方にちょっと移せば、それほどカリキュラムに影響が出てくるということはないのではないかなと想像いたします。 それを超えて、学校教育に支障が出るという方向ではなくて、逆に本当に教育的に意味があるということで考えれば、子供も親もみんながそろって休めて、しかもまさに海がこれからというときですね。これがもう少し進みますと、やれクラゲが出てくるとか、あるいは土用波が押し寄せるとか、こういうことになりますが、ちょうど七月二十日あたりですと親子で海に親しむ最もいい日にちに当たりますので、教育的には大変いい効果があるのではないかと愚考いたします。 ○南野知惠子君 お説を伺いました。夏休みの前日でもございますし、海難事故など海水浴での事故がございますから、その点もオリエンテーションなどにお含めいただき、学生たちが一人も海難事故を起こさないような御注意も学校でよろしくお願いしたいと思っております。 以上でございます。 ○会田長栄君 社会党の会田でございます。 衆議院の内閣委員長を初め、議員の皆さん御苦労さまです。 海の日を祝日にしたいという運動というのは三十五年目に入りました。ようやく実を結ぼうとしているわけであります。ただ、一つ私が気がかりだったのは、兵庫県南部大地震があって、港神戸、このことが気になっていたものですから、きょう関係者の海員組合の皆さんにお聞きいたしました。あれだけ地震で苦労している方がたくさんいるのに国会では休みの日をつくろうと、こういうことではちょっと気が引けるものですからお聞きをいたしましたら、兵庫県、神戸の皆さんも大変この海の日を望んでいる、こういうことを聞きましたので気を楽にいたしました。以下、質問させていただきます。 まず第一点は、衆議院、参議院とも我が国の祝日法案を成立させる過程においては物すごく議論しているんですね、御承知のとおり。そして、祝日をつくるたびに、設置するためにあらゆる角度から検討していただいて、それこそ長時間かけて結論を出して法案にしたという経緯があるわけですから、その点につきまして、国民の祝日とは一九四五年以前の祝日と以後の祝日とに分けまして、どういう議論がされて祝日法というのが成立したかという経緯の特徴と、それから祝日の選定基準と言われていたところの課題があるわけでありますが、その存在の有無などについて、衆議院の内閣委員会でも御議論になっていただいたでしょうから、その特徴などひとつ簡潔に委員長から所見をいただきたい。 ○衆議院議員(田中恒利君) 今、会田先生の方から大変配慮に満ちた御質問をいただきまして恐縮に思っております。 実は私どもの方も、こういうときに国民祝祭日ということはどうかという気持ちがありまして、先般、関係地区の行政機関、団体等の方々の意向を内々聞き取りに行っていただいたわけであります。直接内閣委員会が行ったわけではありませんが、関係団体の皆さんが何人か現地へ参りました。そして、関係者の方といろいろお話をいたしましたところ、今、会田先生がおっしゃられたような御意見がほとんどでございまして、これを機会に港神戸を中心に代表される海の周辺の皆さんを勇気づけていただきたい、そういう御返事の方が実は多かったわけでありまして、ある面では私どもも自信を持って震災の関係法案とともに参議院の方にお送りをして御審議いただくと、こういう経過になったこともあわせて御報告をしておきたいと思います。 今、お話のありました点でありますが、これは御承知のように、昭和二十二年の末ごろから二十三年の初めにかけまして、国民の祝日の制定をめぐっての議論が両院の文化委員会、参議院、衆議院それぞれの文化委員会で個別に、あるいは合同で何回かなされております。いわゆる戦前の天皇家を中心とした国民の祝日から、国民全体が参加をして新しい日本の国づくりを目指すための祝日はいかにあるべきか、こういう点につきまして主として議論がなされておったようであります。 そして、御承知のように、二十三年の四月三日に衆議院の文化委員会に提案され、同日採決をされまして、四日には本会議で参議院に回って、参議院で同日委員会で成立させて、翌四月五日に参議院の本会議で正式に決定された、こういう経過になっておるわけでありますが、その間に約半年以上、一年近く大変活発な議論がなされております。 その中心点は、先ほど申し上げました新しい日本の国づくりのために一体どういう祝日が必要かということが一つ。それからいま一つは、国民が参加し、そして国民がともに喜ぶ、こういう二つの基本方針のもとに、例えば世論とか国際関係への配慮とか、従来の日本の美しい伝統というものをやはりある程度反映させる必要があるとか、月ごとに余り集中しないように配分が必要であるとか、あるいは社会教育上も意味があるものでなければいけないとか、特に文化的な面を配慮すべきであるとか、こういったような個別の一定の基準が、衆議院と参議院で多少表現上は違っておりますけれども、基本的には同じような考え方に立ちまして、基準が議論の中でどうもつくられておるようであります。 そういう基準に従って、当時は九つであったと思いますが、祝祭日が決められ、それからその後、追加をされて現在に至っておる、こういう経過になっておりますことを御報告しておきたいと思います。 ○会田長栄君 それでは、先ほどの質問と関連いたしますが、七月二十日というこの日程については、何といいましょうか、運動を長年続けられてきた方々も、七月二十日ということには余りこだわらないと、何とかしてこの二十日を中心として海の行事をやる日にちをひとつ見つけて海の日を祝日としてもらいたいというような御意見があったと私も聞いている。 これは七月二十日というところにこだわった、こだわったのかこだわらないのか聞かなきゃわかりませんが、これはこだわって二十日としたんですか。こだわらないで、その間、海の関連行事が三日、四日との地域でもあるけれども、この日が一番いいだろうといって最終的に結論を出したんですか。端的に聞かせてください。 ○衆議院議員(田中恒利君) 七月二十日が海の記念日として長い間国民の間に一定の定着をしてきておったわけですが、これを国民の祝祭日にしてほしいという国民の運動が一方では大きく起きております。 私どもはこの点についていろいろ議論をいたしましたが、祝祭日というのは六月、七月、八月がないんですよね、これはゼロになっているんです。だから、海ですからやはり夏を想定しますから、七月か八月か、特に七月がちょうどいいだろうと。そうなりますと、五十四年間国民の間に定着してきたこの七月二十日というのが最適である、こういう判断をいたしました。 同時に、このことについては国民の世論もまた支持しておると。我々がいただいております要請はほとんど七月二十日を海の日として決めてほしいと、こういう要望でございました。したがって、七月二十日を海の日としたい、こういうことでお願いをしておる次第であります。 ○会田長栄君 それともう一つ、先ほどのと関連をいたしまして、江田理事さんの方から軽く、七月二十日、学校の問題と関係して答弁があったようでありますが、そんなに簡単ではないんじゃないかと私は学校のことを思いますよ。七月二十日、終業日。終業日というのは、みんな集まれ、よし一学期の通信簿を渡すぞというような単純なものでないですよ。そういう考え方を文教委員会に来てやられたんじゃ私はたまったものじゃない、こういう気持ちです。 したがって、内閣委員会でこの法案を成立させるときに、教育上のあり方として七月二十日というのが適切なのかどうか、各都道府県教育委員会でこれに柔軟に対応できて海の日の記念行事に参加できるようにしていかなきゃならないというような議論も当然文部省を呼んで見解をお聞きしたと思うんですけれども、この点、山元理事さんどうですか。 ○衆議院議員(山元勉君) 先ほどもありましたように、季節としてこれから海に親しむというシーズンに入る、いわゆる夏休みに入るシーズンでございます。私どもは、全国、夏休みが七月二十一日から入るところも二十四日から入るところもいろいろございます、そういうことについても論議をいたしました。おっしゃいますように、文部省からおいでをいただいて意見も聞かせていただきました。 結論的に申し上げますと、夏休みに入るときに家族そろって海や山に親しむこと、あるいはそういう環境について考えること、たくさんの教育の中身がある、一月余りにわたる長期な夏休みの間に、海や山について、自然や環境について勉強してほしい、そういう指導ができるいいチャンスになるということで私どもは論議をいたしました。 ○会田長栄君 議論をした、それはわかりました。文部省もその趣旨はよく理解をして今後対応していきたいということの御所見をいただいたんですね。 ○衆議院議員(山元勉君) はい。文部省としても、支障はない、あるいはそういう指導を行うということについてはお答えをいただきました。 ○会田長栄君 それでは江田理事さんにお尋ねいたしますが、衆議院の内閣委員会でこの海の日を審議している際に、答弁の中で、七月二十日という日をめぐっていろいろ議論されたんでしょう、八月十五日を契機に生まれ変わったわけで、その八月十五日以前、とりわけ昭和十六年から昭和二十年までの戦争中にいろいろと戦意を鼓舞するために用いられた、そのことを殊さら取り上げて、この日をこういう忌まわしい日であるかのようなことを言っていたらほかになかなか日が見つからないという答弁があったと、こう読ませていただきました。そんなものですか。ちょっと所見を簡潔に聞かせてください。 ○衆議院議員(江田五月君) これは、七月二十日を海の記念日ということでいろんな行事が行われていて、これは意義が高いんではないか、その日を祝日にした方がいいんではないかといういろんなこれまでのマスコミの論調などもいっぱいあるわけですね。ところが一方で、七月二十日というのは昭和十六年に次官会議で海の記念日と決められておる、それはなぜかというと、明治時代に当時の明治天皇が民間の船で横浜に行幸から帰ってきたその日を記念したもので、以来十六年から二十年にかけてこの日は戦意高揚のためのいろんな行事が行われておる、したがってこの日はいけないんではないかという、そういう議論があったわけです。 私は、それは確かに海の記念日の由来としてはそういうこともあったでしょう、海の記念日というものが戦争中そういうようなことで戦意を鼓舞する行事などが行われた日となっていたこともあるだろうとお答えをしたわけです。しかし、私どもとしては、一九四五年の八月十五日、日本が戦争に負けた、ポツダム宣言を受諾した、そのことによって、日本はその日を境に戦前の大日本帝国から戦後の日本国というものに変わったんだ、こういう意味で生まれ変わったということを申し上げたわけでございます。 先生の質問をいただきまして、私も慌てて、まあ憲法の典型的な教科書が法律学全集、有斐閣の「憲法T」、清宮四郎さんの本などをめくってみたんです。いろいろ読んでもしょうがないですが、現行憲法の制定というのは明治憲法の改正手続によるとしたらどうしても無理があるんだ、したがってこれはやはり八月革命とか一つのクーデターとかそういうように、現行憲法というのは明治憲法に基づいて制定されたのではなくて、国民が国民主権の原理によって新たに認められた憲法制定権に基づいて代表者を通じて制定したんだ、したがってこの八月十五日、日本というのは変わったんだと、こういうことが憲法上の普通の考え方になっているわけですね。 私なんかは、例えば天長節とか紀元節とか明治節とか何かいろいろ言われてもさっぱりわからぬわけでございます。七月二十日海の記念日は何の日かと聞かれると、それは今はいろいろ聞いて知っていますけれども、全然そんな実感も何もないので、実感がない我々が悪いのか、それとも実感がないのは当たり前なので、八月十五日に日本は生まれ変わったという方がいいのか。私は、生まれ変わったということであって、あえてそこを戦前とのつながりをつけて、この日は天皇がどうした日だからいけないとか、あるいはこの日は天皇がこうしたということを祝わないんだったらいけないとか、そういうふうにして言われますと、これは大変何かとまどいを感ずる。 そうでないと、私は十六年生まれですが、昭和十六年十二月八日生まれの人なんかは一体どうなるのかという感じもするんですね。あえてそういうことを殊さらに重箱の隅をほじるように出してきて、そして云々されるのは戦後の新生日本というものを誤解することになるんではないかと私は思っております。 ○会田長栄君 過去の歩んできた歴史をちょっと確かめたからこういう答弁が出たんだと思うけれども、私は別に重箱の隅ではないと思いますよ。それだけ、私の意見を申し上げておきます。それは重箱の隅ではないですよ。これほど重みのある事実はないです。 最後に、加藤理事さんにお伺いします。 祝日法が制定されようとしたときからの経過を考えると、どうも五月一日のメーデーと平和の記念日、こういったことについては当初から出ていたんですね。今回の場合は、それでは海の日とそういうものを関連させて一緒に祝日をふやそうかというような御意見はありませんでしたか。 ○衆議院議員(加藤卓二君) 会田委員のおっしゃられるとおり、メーデーの日に関しては当然祝日に関して話がございました。それから、八月十五日の問題点も当然論議の中に入ってまいりました。しかし、先ほど各委員からお話しのように、海の日は割合熟度が高いんだと、こういう解釈のもとに、メーデーを決して軽く見ているわけでもなく、また八月十五日を決して粗末にするわけではございませんが、今回は海の日をぜひひとつ、日本国民が海を忘れないようにしようじゃないかと、こういう気持ちを込めて海の日の制定をさせていただきましたので、御理解をいただきたいと思います。 ○会田長栄君 終わります。ありがとうございました。 ○木庭健太郎君 なぜ七月二十日なのかというのがいろいろ論議をされてお聞きしておったんですけれども、国民の皆さんに本当にわかっていただくには、もう少し御説明をいただいた方がいいかなと思います。 この日を決めるときに、例えばいろんな人の御意見では、勝海舟が成臨丸で米国に渡った日とか、南極観測船の「宗谷」ですか、あれが出航した日でもとか、さまざまな国民の御意見もあり、そういう御意見も聞いた上でした方がいいんではないかという話もあったと思います。そういうもろもろのことを検討した上での七月二十日なのだろうとは思いますけれども、これは来年から始まるわけですが、来年七月二十日というのが何曜日かというと土曜日なんですよね。せっかく始めても土曜日と。週休二日制の企業が多いと思うけれども、あれ、始まったけれども休みと重なってわからないとかいうこともあるかもしれません。 それから、祝日の考え方の中にいろんな、その日を規定するのか、それとも、もう一つの考え方として、例えば海の記念日があって、その一週間なりに海の記念行事というのが行われるわけですよね。そうすると、ある意味では、そういう祝日そのものを定めるのではなく、例えば第何週の何曜日とかいうような、新たな祝日を決めるのであればそういう方法も考えられるのではないかと思います。そんな面もきっと御検討されたんだろうと思います。そういった面を含めて、よりわかりやすく、なぜ七月二十日かという部分を御説明いただければ幸いだと思います。まずこれをお願いしたいと思います。 ○衆議院議員(山元勉君) 先ほど来七月二十日の意味についてはそれぞれ申し上げておりますけれども、やはり長い間、五十年余にわたって海の記念日ということで定着をしてきた。海の関係者の皆さんは、戦前、戦中、戦後を通じてずっと大きな行事をして海に感謝をする、あるいは海を大事にするというような行事をしてこられました。そういう運動の定着の問題もありますし、四十七都道府県の全部の議会あるいは六七%の市町村の議会が意見書を採択していらっしゃるということは、私どもはその七月二十日ということを重く見なきゃならぬというふうにもう一つは考えました。そして、曜日を祭日指定するというのは今まで論議は余りございませんでした。ですから、一面合理的な面もありますけれども、社会的なそういう合意ということでは大変難しいというふうに考えました。 そして、ちなみにそれはそれぞれ論議をしましたけれども、よく出ます勝海舟が成臨丸で米国に渡った日というのは万延時代ですけれども、一月十三日なんですね。一月十三日を海の日ということでは少し寒いということですし、お正月から十五日まで、十五日成人の日で祭日があるわけで余り適当ではない。 そして、「宗谷」が出航した日というのは十一月八日なんですね。そうすると、これも寒い季節で海になかなかなじめない。海辺へ行ってということにはならないですし、十一月は、御案内のように、三日が文化の日でございます。二十三日が勤労感謝の日でございますから、この月に三つ祝日をということにはならないということで、これは取り上げられないということで整理をいたしました。 ○木庭健太郎君 もう一つは、やっぱり先ほどおっしゃったみたいに六、七、八は休みがないですからね。そういった面も多分一番大きな検討の課題の中で、やはり祝日というものは国民に、よりある意味ではそのときにあった方が喜ばれるという方法もあるんでしょう。 もう一つは、私は戦前のこの日の問題、江田さんいろいろお話しされましたけれども、それもやっぱり、これは国民の間で海の記念日ということで本当に地方においてはいろんな行事が行われております。私もこの日を中心に参加していますし、私みたいな戦後世代にとってみれば、どうやって定められたか戦前のことは別として、本当に親しんできて、夏だからやるのだろうぐらいのことで思っていた日にちでもございます。そういった方面、とにかく理解していただくために、我々もこの七月二十日ということについて、国民の皆さんによりわかりやすく御説明できるように、そういうことだけはしておかなくちゃいけないなと、そう思っております。 今提案者の方から、祝日というのは、おっしゃるように、日を決めてということでやってきていると、そのことの御説明がありました。その問題等も含めて、総理府に一、二問お尋ねをしておきたいんです。 一つは、土曜日が祝日と重なった場合の問題でございます。 四十八年に法律を改正されまして、祝日が日曜日に当たる場合は翌日を休日にするように改められて、これは定着もし、国民の皆さんにも非常に喜んでいただいていると。それからもう一つは、日本人の働き過ぎの問題で諸外国からさまざま批判がございましたから、そういう意味でもこの振りかえというのは一つの対外的にも効果があったと思います。 これをさらに、まだ週休二日制の問題は完璧な形にはなっておりませんけれども、この土曜日というものと重なったとき、これをどう考えるか。例えば、振りかえるというような問題についてもそろそろ、学校の週休二日制の問題もようやく月二回ということになってまいりましたし、そういう方向を受けながら、この辺の問題についても検討する時期に入っているんではないかと思うんですけれども、その辺のお考えについてお聞きしておきたいと思います。 ○政府委員(藤井威君) お話がありましたように、四十八年のこの祝日法の改正によりまして、国民の祝日が日曜日に当たるときにはその翌日を休日とするということに法改正が行われました。これは議員提案の法改正でございました。 そのときの提案理由等を拝見いたしますと、もともと祝日は、国民こぞって祝い、感謝し、記念する日として定められているわけですが、それを休日としているのは、それぞれの祝日の意義を考え、平常の勤務を離れて、それにふさわしい一日を過ごし得るようにという趣旨であって、議員提案では、これが日曜日に当たるときには、祝日、日曜日ともに、平常勤務を離れた日として確保しようとするためと、こういうふうに説明されております。 それで、今委員がおっしゃいました土曜日に重なったときにどう考えるかという点でございますが、委員も御指摘がございましたけれども、やはりこれは週休二日制との関係を考えざるを得ないと。週休二日制が大企業あるいはそこそこの規模の企業ではだんだん普及いたしておりますけれども、日本国全体として見ますと、まだ必ずしも十分に普及していない、あるいはそう簡単に週休二日制を実現できないような状態の方々もたくさんいらっしゃる、こういうようなことを考えますと、もちろん検討の価値はあるでしょうけれども、やはり慎重な検討が必要なんじゃないかなというふうに思っております。 ○木庭健太郎君 もう一つですけれども、これは今アメリカでとられておりますいわゆる月曜日祝日法、アメリカではこれで今、年五日ですか、結局曜日指定するわけですから三連休をとれるような形になっております。 私がこの中でびっくりしたのは、初代大統領ワシントンの誕生日の二月二十三日ですか、これも何か二月の第三月曜日と、えらい大胆にやってしまうなと。日本でここまでやるのはなかなか難しいだろうけれども、例えば体育の日とか文化の日とか、そういうものについてはこういう曜日指定の問題ですね、三連休の問題、いろんな問題、私どもの石田前総務庁長官も御提案をなさっておったような経過もあり、検討すべきかどうかというところまで行ったように伺っておりますけれども、やはりこういう考え方も一つの大事な視点だと思っております。 こういうものについて、レジャーの問題、いろんな問題あります。それから、先ほどおっしゃったように週休二日制がなかなか難しい中で、土曜日というのが無理であるならば、逆に言うとこういうやり方で一つの定着を図っていくというやり方もあるのだろうと、こう考えますけれども、この点についても検討状況があるのかどうかお伺いしておきたいと思います。 ○政府委員(藤井威君) 委員ももう十分御承知のことでございますけれども、祝日法の体系が「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」ということで祝日を日で定めると。それぞれの日については、今、海の日で御議論をいただいているわけですが、社会的歴史的経緯、そういうものを踏まえて具体的な日を決める、こういう体系が基本になっておるわけでございます。 この国民の祝日の曜日指定化ということをやるためには、個々の祝日の意義について検討をすることはもちろん必要でございますし、さらに社会経済に対する影響とか、先ほどちょっと私申し上げましたけれども、今委員も触れておられましたが、必ずしも週休二日制もまだ未実施な分野の方々も多い、あるいは農業従事者の方々の状況、こんなことを考えますと、祝日法の体系の基本を変えて一般的に祝日を曜日指定の体系に変えていくということには、やはり慎重にならざるを得ない。 個々の祝日法の中でそういうことが可能な日はあるかどうかということは、個別には検討は続けておりますけれども、これもまた国民的合意の上に立った結論が必要で、やはり我々としては慎重に検討せざるを得ない問題というふうに考えております。 ○木庭健太郎君 こういうのは総理府じゃなくてこっちに聞かなくちゃいけない問題なんですよね、本来は。でも、きょうはちょっと質問通告しておりませんので。 ただ、やっぱり議員としてそういう一つの考え方を持っていかなくちゃいけないと思うし、もう一つ、新たな祝日をつくるというときの、何といいますか、原理原則のような問題も今回そちらで彼此検討されたと思います。祝日そのもの、日本を見ると確かにやや多目ぐらいですかね、世界の中から見ると。米国で十日、英国で八日、フランスで十一日、イタリアで十日、ドイツで十二日、韓国が十七日とちょっと多いんですけれども、日本が今十四日ですから少し多目になってきている。そして、さらに祝日という意味でいろんな日にちも挙がっているのも事実でございます。 じゃ、そういう中でどういうものを原則としていくかというのが、これから本当に、総理府あたりはどうも祝日をふやされるのは嫌らしいですからね、もうこれ以上一日もふやしたくないとか言っておるらしいし、そういう話もあるそうでございますのでも、それは我々議員が決めていく問題でございますから、そういう意味で原理原則というのをどのように、今回の御検討の中でも検討されたことがあるならば、それについて御答弁をいただきたいと思います。 ○衆議院議員(山元勉君) 祝日のあり方については、先ほどもありましたように、昭和二十三年に新しい祝日法をつくるときに、十の基準、選定基準というのがございました。私ども、今回ふやすことについていろいろ論議をしました。いわゆる歯どめというものについて論議をしておかなければいけないということでいたしました。そして、五つの項目でそういう確認をいたしました。 一つは、憲法の精神に合致し、文化国家にふさわしく、国民生活とのかかわりが深いこと。そういう日についてはふやす、新しくということについていいだろう。二番目には、国際関係に配慮すること。他の国が不快感を持つような祭日はだめだろう。それから三番目が、国民の幅広い要求があって国民的合意が得られること。四番目が、各月間の祝日の日数のバランスが著しく損なわれないこと。そして最後に、世界各国と比較して著しく多くならないこと。こういう五つの項目を立てまして、これからふやすときの一つの歯どめの考え方にしてはどうかということを確認いたしました。 そして、今外国の数字を挙げられましたけれども、私どもの持っている数字とは随分と違うんです。例えば、ドイツが十五日だとかあるいは韓国が十七日だとか、ベルギーが十四日だとか、多い国も世界各国ありまして、私どもは日本が突出するということにはならないという認識を持ちました。 以上です。 ○木庭健太郎君 終わります。 ○乾晴美君 新緑風会に所属しております民主改革連合の乾でございます。どうぞよろしくお願いいたします。 先ほどから七月二十日の海の日を祝日にするということでございます。そのときに、皆さんのお答えの中には、国民的に要望が高まっているとか、または熟度が高いとか、定着してきたというような中で七月二十日を決めさせていただくということです。 ちょっと先ほど江田提案者の方からは一千万人の署名をいただいたんだというように数字も挙げておっしゃっていましたけれども、私は、今回この質問があるということで、徳島のいろんな集会で海の日を知っていた人ということで相当たくさんいらっしゃる中でお聞きしましたら、もうほとんど知らないというのが現状でございました。お年寄りのところに行きましたら一人か二人の手が挙がりまして、ひよっとしたら七月二十日は海軍記念日だったかななんておっしゃる方がいらして、いやいやそれは五月二十日ですよなんという訂正もありましたりして、それぐらいの程度です。 今までも長いことやっておいでになったものですから、海事に従事している方々の表彰をなさったり、それから祭典とかいろいろイベントもやられたり、マリンスポーツ大会なんかもイベントとしてはやられていたんだと思いますけれども、ほとんどの方が知っていないという現実もあるわけです。一千万人ということになりましたら、国民の十人に一人の御意見は聞いたということになりますわけですから、私アンケートされた覚えないななんて思いながら、実はこの祝日が、今、木庭議員もおっしゃっていましたように、数が十三から十四になるということは、実は大変なことなんだろうなというように思うわけです。 それはメーデーを祝日化してくれということで、以前からずっとそういう論議があったと思います。メーデー祝日化法案の審議過程をちょっと振り返ってみましたら、第百二十回の国会で村山富市様外六名の方々が提案されているわけです。そして、それが継続審議ということで、九一年五月八日に継続審議になっているんです。その次に、百二十一国会でまた継続審議決定になる。また、百二十二国会でもなってくるということで、第百二十三国会で初めて衆議院の内閣委員会で趣旨説明だけがなされたというような経緯もありまして、その次の百二十四国会でまた出てくる。それから百二十五国会でも出てくるわけですが、結局第百二十六国会で継続手続をとらなかったために廃案になっているという、メーデーについてはそういう経緯があるわけです。 このように、皆さんが何としても五月一日のメーデーを祝日にということでやっていたんですけれども、そのときの内閣官房長官の河野洋平さんの答弁をちょっと読ませていただきますと、五月一日以外にも環境の日、家庭の日、海の日、障害者の日、こういった日が要望として出てきております。そうした中で、基本的に十三日という祝日の数をふやすことがいかがなものか論議をしなければなりませんということで、中小企業を初めとする方々の中から、なかなか休みをふやすということはできにくいと、これまたそちらの方に対しても聞いてみなければなりませんということです。 そして、根本的に我が国がさらに休日をふやしていくということをどうするかというのは大いに論議しなきゃならない。特に国会においてもこうした論議が活発に行われることが必要だと、非常に一日ふやすということに関していろんなところに配慮しなきゃいけないし、もう大変なことなんですよというようにお答えしています。 また、我が会派の笹野貞子さんの質問に対しましての宮澤総理大臣の答弁でも、時間短縮というだけで祝日を決めるのではなくて、「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」ということが祝日法の趣旨でございますので、また現在、祝日の中に勤労感謝の日が定められているという等々がございますので、それらのことを考えながら慎重に検討する必要があると思いますというふうなことで、どなたも非常に一日ふやすということに関して難色を示してきたわけなんです。 私は、海の日に対して、祝日にするのは反対ではありません。それは、やはり日本の国は四面が海に囲まれておりますし、特に私たちは、徳島県というのは四国で、また周りが海に囲まれているところでありますので、海に対しては非常に恩恵もこうむっていますし、海に対する関心もあります。しかし、海に対しては余りにも我々が知らなさ過ぎるということもあるだろうと思います。 例えば、地球から月までの距離でいえば三十八万キロメートルもあるというのにもかかわらず、自分たちが住んでいる海の底のことについては、やっと「しんかい六五〇〇」というのができて、この間一万メートルまで行こうかというのにあわやというところで届かなかったということで、自分の地球の中のたった一万メートルのところがわからない。しかし、宇宙の方はずんずんと研究開発が進んでいるということからいっても、海に対してもっと関心を持ち、海のことを勉強していくということはいいことだというように思っていますので、反対ではございません。 環境の問題でも、非常に海が汚れているという問題もありますから反対ではございませんが、今後、先ほどから問題になっていますように、平和の日だとかいろんなほかの、環境の日だとかといったような制定どこの祝日にした絡みといいましょうか、そこら辺の論議はどうだったかということを再度聞かせていただきたいと思います。 ○衆議院議員(江田五月君) 質問が多岐にわたっておられるわけですが、国民的コンセンサス、これは私は先ほど、長い行事の積み重ね、七〇%の地方議会の決議、意見書採択、それから一千万人を超える署名、その限度で国民的コンセンサスだと。しかし、知らない人もいっぱいいるし、海についての国民的認識がない、よってと、そういうことになるので、国民みんなが海の日というのを知っているという、そういうところまで至っていないのが事実だと思うんです。 そこで、衆議院の内閣委員会といたしましては、海事関係の皆さんの大変な御要望があって、そしてそういう皆さんの御要望にこたえて、関係の議員の皆さんから議員立法をしようじゃないかという問題提起がなされた。しかし、そのままですぐ議員提案の法律案が出されて、これを委員会で審査をして賛否を決めていくということでは足りないんじゃないか。そうではなくて、内閣委員会として、これは内閣委員会がこういう議題をつくる、そういうことが合意できるのかどうかという発想で考えてみたらどうだというので、鋭意理事間で協議をし、理事全員の一致で内閣委員会の祝日法改正案を取りまとめるという動議をつくろうと、そういう発議に基づいて内閣委員会で結諭を得、委員長提案として提案をさせていただいたと。 そういう経過になっておりますので、国民的コンセンサスというのは、国会、内閣委員会の中での国民的コンセンサスをそういう形でつくってきたということを御理解いただきたいんです。 今後のことですが、しかし、いつまでもふやしていくのではいけないよと。したがって、今後、例えば憲法の精神のことであるとか、国際関係とか、国民的合意とか、あるいは各月間の祝日の日数のバランスとか、各国との比較とか、そういうものを十分考えながらやっていかなきゃいけないという、そういう一定の歯どめ論といいますか、こういう議論をいたしました。 あわせて、歯どめとなって今回のこれで打ちどめと、こうなりますと、今までいろいろ議論をしている、例えば平和の日であるとかメーデーであるとか、その他いろいろありますが、これは一体どうなるのかということで、内閣委員会の理事の間では内々、平和の日については、これは各党とも一致でひとつ積極的に、祝日というわけにもちょっといかないでしょうが、八月十五日を休日とすることができるように努力をしていこう、こういうような合意ができておると、そういう経過でございます。 ○乾晴美君 時間のようですから終わります。 ○橋本敦君 続いて、私からも質問をさせていただきます。 最初に、総理府に念のために伺っておきたいと思うんですが、国際的には、アースデー四月二十二日、あるいは国連の世界環境デー、こういった国際的な祝日というのもあるようですが、海の日というのは国際的にはそういったことになっているのかどうか。 それからもう一つは、国民的コンセンサスということとの関係で念のために伺っておきたいんですが、総理府は各種の世論調査をこれまで行っておられました。例えば、祝日全般について調査をされたこともある、あるいは婦人の日とか家庭の日とか、こういったことで世諭調査をされたこともあるようですが、海の日については世論調査をされたことがあるのかどうか。 以上二点、いかがでしょうか。 ○政府委員(藤井威君) ほかの主要国でどんな祝日があるか、また国際的なそういう何とかの日というようなものについての調査は総理府でもやっております。ただ、海の日に該当する事例というのは承知しておりません。 それから、世論調査については広報室が来ておりますのでお答えいたします。 ○説明員(福井武弘君) 海に関する世論調査の実施をやったかどうかという御質問でございますけれども、私ども過去に五本ほど調査をやっておりますけれども、海の日に関してはこれまで実施しておりません。 ○橋本敦君 以上のような状況のようですが、私ども日本共産党としても、委員長から御提案がありましたような趣旨で、四面を海に囲まれた我が国にとって、海を大事にし、海の環境を保全し、あるいは海洋資源の開発を適正に進める、そういったことも含めて、海を大切にする心を国民の間に育てるという意味で海の日をつくること自体は、私どもは決して反対ではございません。賛成でございます。ただ、この七月二十日がなぜその日でなくてはならぬのかという点について、私どもとしてはやっぱり歴史的な経過もあり疑問を持たざるを得ないということです。 言うまでもありませんが、もともと海の記念日として七月二十日が制定されたのは、明治九年に明治天皇が東北を巡幸なさった後、汽船明治丸で函館を経て横浜に帰られた、その日だということが昭和十六年の海の記念日制定の一つの根拠になっておるわけです。 昭和十六年といえば、言うまでもありませんが、まさに戦争激化の年でありました。そのときにこの海の記念日ということをつくった当時の歴史的事情というのをもう一度振り返ってみますと、例えば昭和十六年七月一日号の「海運」という雑誌がございますが、ここで当時の逓信大臣の村田省蔵さんが次のように育っておられる。 「此の度「海の記念日」が制定せられたことは、此に依り広く国民の間に海事思想を普及し海洋精神を昂揚するは国より、肇国以来の大国是たる海洋立国の本義を直截簡明に宣明するものとしてその意義洵に深さ」ということをおっしゃった上で、「こゝに於て、徹底的なる総力戦態勢の確立を必要とし、この態勢確立のためには国より諸多の施策が実現されねばならないが、とりわけ一億国民がこぞって海洋に対する認識を深め、果敢なる海洋進出を試み、」「皇運を扶翼し大業を恢弘し、皇恩の万分の一に報い奉ることが何より最も肝要である。」。こういったことで「諸種の行事が取り行はれる筈である。」というふうにおっしゃっているわけですね。 これはまさに当時の歴史的事情ですね。ですから、そういう意味ではまさに今日の、先ほども江田先生がおっしゃった、新しく生まれ変わった日本という立場に立って、そして広く国民的コンセンサスを得て今日の日本にふさわしい海の日とするにはこの七月二十日ということでいいのだろうかという点は、やっぱり私は思い切って新しい観点で見直す必要があった問題ではないかというように思うんです。 先ほども御議論がありましたが、この祝日の基準の設定について昭和二十三年、私が今手元に持っております議事録によりますと、当時の参議院の文化委員会、今の文教委員会でございますが、その委員長報告で次のように書われております。 祝祭日改正の件に関しまして調査の経過並びに結果について御報告いたしますということで、その基準については、第一は新憲法の精神にのっとること、これを挙げておるわけであります。第二に、国民全体につながりのあるものを選ぶということをおっしゃっている。それから第三に、世論を尊重する、こういったことをおっしゃっていますが、特にここで山本委員長は、 第一の新憲法の精神に削るという条項は、すべての基準の中で最も重く考えたものでございます。今までの祝祭日は、王政復古思想の盛んでありました明治六年に太政官で判定したものでありますから、宮廷中心の祝祭日であります。併しながら今日では新憲法が公布され、主権が国民に移りましたる以上、祝祭日も亦国民の祝祭日でなければなりません。こういうようにおっしゃって、第一に新憲法の精神、そしてこれまでは皇室に関係があったことがとらえられたが、そうでない観点でということをおっしゃっていますね。私は、これはやっぱり非常に大事な観点だと思うんです。 そういう観点からしますと、いろいろ先ほど御説明ございました、ほかの日についてはどうこうございました。ございましたが、なおかつこの七月二十日、これを海の日とするということについては、さらにもっと慎重な、本当に新憲法の精神と国民的コンセンサスが得られるような日を選定するように一段の努力をすべきではなかったかという思いを私としては消し去ることができませんが、この点について御見解を重ねてお伺いしたいと思います。 ○衆議院議員(加藤卓二君) 橋本委員のおっしゃられることを委員会の中でも随分論議されました。もちろん、問題提起された先生も大変熱心にその御意見を述べられました。 私たちも随分耳を傾けて聞きながらも、海の日というのが戦後非常に長い間、皆さんの間でいろいろな行事をやってきているという一つの大きな実績、これを取り上げたいと。江田先生がおっしゃっているように、この問題は戦前と戦後と新しい憲法で、新しい考え方でやっていくということで御理解いただきたいと。こういう形で、委員間でいろいろな話がございましたが、その問題に関しては最後まで御了解はいただけなかったのかなと、こう思いましたので、再度申し上げたいのでございます。 この七月二十日というのはごく私たち海に関係した人たちにとっては大変な日でございまして、ヨットに乗る連中はやっぱりこの日は大事にしましたし、航海をする、日本の国を離れる船員にとっても大事なお祭りの日でございました。いろいろな形で海運業を中心とする皆さんたちが、そういう形で海の日を大事にしてきたというその認識をこの際ひとつ大事にして、もし海の日をお許しいただけるならばこの日でまとめさせていただきたい、こういう経過があったことを御報告しながら御理解いただきたいと、こう思います。 言葉が足りませんかもしれませんが、そういう経過で、国民が海を忘れては大変だと、こういう気持ちから出ておりましたので、よろしくお願いします。 ○橋本敦君 御趣旨は拝聴いたしました。 私としては、なお皆さんのおっしゃる新しい憲法のもとでの平和な日本の国の平和な海を願う日として、一層国民の皆さんの関心が高まることもそういう意味では期待しながら、質問の時間が来ましたので終わります。 反対討論のようなことを申し上げましたので、採決に当たっては討論いたしません。 ――――――――――――― ○委員長(松浦孝治君) この際、委員の異動について御報告いたします。 本日、会田長栄君が委員を辞任され、その補欠として喜岡淳君が選任されました。 ――――――――――――― ○委員長(松浦孝治君) 他に御発言もないようですから、質疑は終局したものと認めます。 これより討論に入ります。――別に御意見もないようですから、これより直ちに採決に入ります。 国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案に賛成の方の挙手を願います。 〔賛成者挙手〕 ○委員長(松浦孝治君) 多数と認めます。よって、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。 なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 ○委員長(松浦孝治君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後三時四十七分散会 |
1995/02/28 |