補正予算に反対討論 1999/07/21

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本会議反対討論

民主党・新緑風会 江田 五月

 私は、民主党・新緑風会を代表して平成11年度補正予算二案につき、反対の立場から討論します。

 小渕総理は、本院での予算委員会質疑の中で、障害を持つ子のことに触れ、涙で声をつまらせられました。さすが「なごみ系」総理の面目躍如などと冷やかすのはやめましょう。私ども皆、涙腺の強さは違っても、総理と思いを共にしているのですから。

 しかし、政治家が流すのが涙だけであったら、この子も親も救われません。今、政府の無策・失政のために、失業者は4.6%、334万人。その内97万人が一家の支柱。自殺者が3万人を超えた。そんな時、なぜ政治家が、涙を流すだけでなく、もっと汗を流し知恵を出してくれないのかと、うらみやうめきの声が国民から挙がっているのです。「やるじゃない、やりすぎじゃない、小渕さん」との川柳に、総理は朱線を引かれたそうですが、その軽妙なしゃれにこめられた作者のやるせなさが総理にはわかりますか。

 今年1〜3月のGDPは、確かに6期ぶりのプラス成長となりました。ご満悦でしょう。しかし、あれだけ強引な公共事業バラマキやゼロ金利政策をやれば、重態の日本経済にも頬にべにがさしてくるのは当たり前。後世に残されたつけの重さを思うと、逆に身の毛がよだつ思いがします。

 景気回復の最終段階として、遅効指数である雇用の悪化に対応したと言われますが、本格的な経済構造改革もなし。行政改革や地方分権も「仏作って魂入れず」。この補正予算のように、その場しのぎのばらまき対策をいくら寄せ集めても、年度後半に再び景気が失速したらどうしますか。これは心配のしすぎですか。次の世代に、荒廃した経済や社会と、膨大な財政赤字を残す結果となるのが目に見えています。政府の経済・財政運営を、私たちは到底認めることはできません。

 

 以下、反対の主な理由を申し述べます。

 第一は、本補正予算が、当初予算作成後に生じた事由に基づくという財政法の要件に、本当に該当するのか、疑わしいことです。本予算執行からわずか3ヶ月。しかも景気は「下げ止まった」などと言いながら、本予算を審議したと同じこの通常国会会期に補正予算を提出したのは、本予算が「欠陥予算」であったことを政府自ら認めるものです。あるいは目くらましで、掲げられたものとは別のところに真の目的があり、補正予算は政局をあやつるための方便なのでしょうか。先見性も定見もないまま、国民の税金を使って政治をもて遊ぶのはいいかげんにして欲しい。

 第二は、本補正予算が雇用政策の名に値せず、単なる思いつきにすぎないということです。新規・成長15分野で15万人の雇用創出とのふれ込みですが、先行する試みが全く効果を上げていないことが論証されました。600億円を用意しながら、実際に使われたのは沖縄県の900万円余だけというものですね。「見せ金」です。もっと弾力的運用への知恵が必要です。緊急地域雇用特別交付金も、基準も期間も効果を期待させるものはなく、悪名高き「ふるさと創生」の二の舞になりかねません。教育やNPOの現場での痛切な願いを、一時的な雇用受け皿とするなど、思いつきとしてもたちが悪い。また、セイフティーネットと言われますが、使えないネットは「高嶺の花」です。

 都道府県や市町村を、これからの雇用政策の主体ときちんと位置づけ、この面でも権限と財源と人間を、地方自治体に思い切って移譲することが必要です。

 第三は、本補正予算に新事業やベンチャー企業育成のための施策が欠けていることです。米国では、不況だった80年代後半も含め、開業率が一貫して12%以上の高水準だと聞いていますが、日本では廃業率が開業率を上回る傾向が続いています。私たちも、資金と働き手を今ある場所に固定させて、援助だけすればよいという発想には反対です。国民にビジネスチャンスが十分に与えられ、無理なく新規事業を起こしうる社会を作ることが、新しい雇用を生み、経済に活力を与える道だと思います。しかし、資本や労働の移動を誘導するには、もっとしっかりした構造改革についての見識をもち、手法も骨太のものにしなければなりません。そのため民主党は、エンゼル税制の拡充、女性起業家の徹底支援、国立大学教員の兼業解禁などを盛り込んだ「起業家支援法案」を衆議院に提出しています。

 ところが政府は、一方で「99年度経済白書」で企業に対しリスクへの挑戦を促しながら、他方で「産業活力再生法案」を用意しています。これは、失業の安易な促進や、特定の産業や役所の既得権益の擁護のために、税金を使うものではないかとの批判が出ています。定見ないこと甚だしいと言わざるをえません。

 第四は、少子化対策に理念も哲学もなく、雇用対策としても的外れだということです。本補正予算の2000億円の交付金は、ハード面を優先する半面、保育士の増員・育成などソフト面はおざなりです。国が一方的に施設を乱造し、運営は地方に任せるのでは無責任です。この少子化対策が、雇用対策になるのだなどというのは牽強付会そのものです。「子どもだまし」はいけません。少子化対策はわが国の将来にとって緊急の課題ですが、これをやらねば年が越せないといった種類の緊急性ではありません。単年度限りの補正予算でなく、中・長期の展望をもった本格的な施策の推進こそが必要なのです。

 

 衆参を通じた予算審議で、官房長官と民主党の質疑者の間で、興味深いやりとりがありました。質疑者が官房長官の変節を追及したのに対し、官房長官は「あなたほどの変節ではない」と切り返し、「おのぞみならあなたについて申し上げることがたくさんある」と述べられました。私はこれは重大だと思います。同じ釜の飯を食った仲なのにとか、個人的にはいろいろあるでしょう。しかし、今や官房長官は官、つまりオカミ。質疑者は民、つまりタミです。タミがオカミを批判する。これは原則自由です。情報公開法もできた。しかし、オカミがタミの弱みを探り出し、あまつさえこれをもってタミの追及を押え込む。そのうえ「盗聴法」で、オカミがタミにプライバシーの公開を強要するのですか。それは民主主義ではありません。

 こう見てくると、小渕総理の涙とは逆に、政府は、国民の嘆きを解消し、国民の夢を実現するために、何の汗も流さず、知恵も出していないと言わざるをえません。「なごみ系」はうわべだけ。その向こうに権力政治の冷酷な本質が透けて見える。

 大変な難局です。奸智をこらすのはいいかげんにして欲しい。国民と共に叡智を探し出そうではありませんか。以上をもって反対討論とします。


1999/07/21

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