1982/08 五月会だより No.13 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


秋山さん 江田さん 大いに語る

秋山ちえ子さんが岡山においでになった機会をとらえて編集部では江田五月氏との対談を企画しました。

鈴木内閣は神経衰弱ね 政治不信は野党に責任 秋山
政治は国民の共同作業 野党は今こそ結束を 江田

江田 今晩は! 今日は岡山までおいでいただきましてありがとうございます。ところで最近一ヶ月程、秋山さんはパリで生活なさってらしたそうですが、あちらの生活はいがでしたか?

秋山 生活というよりも、ちょっと面白いことがあったのよね。あるフランス人が私にね、日本語はむつかしい、イエスとノーは反対だし…って、同席してたアメリカ人もいうのよね。だから私、いってやったの「それはネ、日本人が優しいからなの」って。あなた達は自己主張が強いから、どんな聞き方をされても自分がしないなら「ノー」、するなら「イエス」、だけど日本人は聞いた人の対場に立って、聞いた人に会わせて答えるのよって。

江田 「同意します」というときは「イエス」で。

秋山 そう、そうなのよね。日本は狭い国土だから一番大切なことは人を傷つけないようにっていう優しさだから、ヨーロッパ社会のようにいつも実力のある者がトップにいるんじゃなく、何となくみんなの人望のある、優しさを持った人が上にいるっていう、そういう生活習慣があるんだっていったのよね。そしたら「そんな話初めて聞いた」ってびっくりした顔してたワ。日本人は何でも真似しちゃうでしょう。もっと日本の風俗習慣とかそういう物を主張することがあってもいいと思うのね。

江田 もっとも最近は、たとえば日本のコンセンサスシステムという、つまりみんなが自然に、ある一つのまとまりに意見の一致をみるという技術、こういったものを日本的なものとして見直そうと言う動きが外国の方にありますね。

秋山 だけどそれは外国が「あれもなかなかいい」と認めたわけでしょう、自分で主張したんじゃなくて。日本から、「これもいいんですよ」って。

江田 そうですね。そうそう。

秋山 一所懸命日本文化を自慢してきたのよ。私は。

江田 そういうと今の鈴木内閣というのもかなり日本的(笑)という、あれはどうですか、それは。

秋山 あれはね、やっぱりいらいらしてね。神経衰弱−ちょっと古い表現だわね−、ノイローゼになりそうなのね。それと鈴木さんがご自分の意思でね、そういうふうにおやりになるというのだったらいいけど、ありありとどなたかに目白の方角に左右されているというようなことが、一々思いあたるような。

江田 そうですね。

秋山 それから一番いらいらするのが国会答弁。

江田 そうそう。

秋山 もうね、ばかにしてますよ国民を。それで実のないあの話し方!

江田 その場だけで何とか収まればいいと。つまり、政治というのは国民の皆さんとの共同作業だっていうような気持はないんですね。

秋山 それは政治家みんなそうね。(笑)江田さんはちがうけど(笑)数人の心ある政治家を除いてはね。やっぱり自民党の派閥とか、国会内の駆け引きなんて見てると、自民党だけじゃなく、本気で国民の方を向いてんのかしらって感じちゃうのよね。

江田 いますね、沢山、そういう人は。

秋山 実のある討議をしてくださらなければね。

江田 この対談が紙面に出るころにロッキードの灰色高官の証人喚問がうまくいってるか、いないか、これが見どころですが、もしうまくいっていなければ、これはもう、何のための延長国会かということになりますね。

秋山 大体今日までずるずる引っ張ってんのがおかしいんでね、普通われわれの感覚だったら、あんなに上申書まで二階堂さんお出しになってシロって言ったんだから、どこへ行ったってシロですってはっきり言えばいいのよね。「検察はうそを言ってんです。」って。

江田 そうですよね、ちゃんと証言宣誓して、そこまで言えばいい。

秋山 そう、そうなのね。それ言わないと「あれ」なんてまた思っちゃう。ぐずぐず引き延ばしてると、やはり目白がかんでるなとか、また思っちゃうわけですよね。政治家に対する不信感というのが強まる一方。

江田 今、政治不信ということを言われたんだけど 「うそをつく」というのが一つある。「金に汚い」と言うのがある。「国民の方を向いていない」ということがある。今の政治はたとえば、本当に世界に平和をつくろうという方向に向いているのだろうか。政府だけじゃなく野党も一緒にやってるんですから、そういう不信については野党にも責任がある。

秋山 でもさ、いま江田さん野党にも責任があるっておっしゃったけど、にもじゃなく野党に責任があります。

江田 そうですね。

秋山 もっと野党がちゃんとしていれば。特に社会党あたりがもうちょっとちゃんとしてくれれば……。

江田 ぼくはしょっちゅう言うんですがね。野党、特に社会党が功名争いで自分だけが前へ出ようとしたらだめなんだと。野党がいま、結束しないと自民党のロッキードのように汚れた政治はやまらないんだと。

秋山 そう、そうなのよね。

江田 ありがとうございました。今日はこのへんで、又次号でもよろしく。



 こんな暴挙が許されてはならない。参院全国区改革のの公職選挙法改正案をめぐる参院での自民党の強行採決だ。改正(改悪と呼ぶべきかもしれない)の内容については後述するとして、数をたのんでの強行採決は、議会制民主主義を破壊する行為でしかない。自民党はもちろんのこと、採決に事実上、同調した社会党も同罪といえる。

 今回の公選法改正案は、参院全国区に比例代表制を初めて導入しようという試み。自民党案による制度の仕組みはこうだ。まず、比例代表制は、従来の候補者に対する投票を、政党本位に切り替え、得票数に応じて政党が議席数を確保できるようにするもの。政党は候補者名簿を中央選管に届けておき、有権者は名簿を見て投票することになるが、名簿が提出できるのは (1)国会議員が五人以上 (2)衆院選か参院選での得票率が四%以上 (3)全国区、地方区をあわせた候補者が10 人以上─ のいずれかの要件を満たす政党に限られており、無所属の個人は立候補ができない。

 つまり、個人は参政権を奪われることになり、無常派層、少数会派は、参院全国区から締め出される訳だ。少数者の権利、意見を尊重することは、多数決の原理とは一体となった民主主義の基本である。これが今回の改正案では、全く否定されてしまう。単に少数会派に不利という党利レベルを超えた次元での問題だ。

 今回の改正は、選挙に金がかかる現在の体質を改めるには効果があるかもしれないが、まず、自民党が金権選挙をやめることだ先決だ。政治倫理を忘れた党には「馬の耳に念仏」だろうが。


ユーザー本位の車検を    江田議員が参院委で追及

 マイカーの車検を見直そうという声が、最近ずい分強くなってきました。日本の自動車は、世界に冠たる水準を誇るものになったのに、車検制度だけは昔のまま。二年ごとに分解整備をして車検を受け、その都度、税金、保険を含めてですが、十数万円払わなければなりません。それは、ユーザーにとって、無用の負担ではないか、というわけです。

 日本では、まず分解整備=手術をしてから、車検=健康診断を受けるのですが、この逆、つまりまず車検を受けて、悪いといわれたところだけ修理する制度をとっている国もあります。

 江田議員は、以前から、自動車についても「車検後整備」を主張しています。

 今や自動車は市民の足という時代です。車検はもち論、自動車のことは万事市民本位とすべきです。

(車検法に異議あり)
 こうして、運輸省は今の国会に、車検法の改正案を提案しました。その内容は、大きく二つに分けられます。一つは、乗用車の場合、新車の車検期間を三年に延ばすということ。これは時代の流れに沿ったもので、賛成。

 もう一つは、六ヵカ月ごとの定期点検を強化すること。そこまではよいのですが、これを十万円の過料(行政上の罰金)を課して強制しようとするので、この点に多くの人が異議を出しています。

 定期点検を受けていない車があると、点検を受けるよう指示を出します。指示を受けた者は、十日以内にどういう措置をとったか報告しなければなりません。これを怠ると十万円というわけです。

 今までそんなことをしなくても、ユーザーは日ごろから自分の車をきちんと整備しているのです。

 それなのになぜ、罰金で定期点検を強制するのでしょうか。運輸省は、暴走族や違法改造車にだけ適用するといいますが、それでは、整備業界保護にさえなりません。もっとおかしいのは、指示を受けて、何もしなかったと報告すれば過料はとられないのに、指示どうり点検を受けたのに、報告だけ忘れたら、十万円とられるということ。そんなに、陸運局への報告というのが大切でしょうか。

 江田議員は、五月には運輸委員として、七月八日には交通安全特別委員として、この問題で政府を追求しました。

(業界への配慮のあり方)
 制度の急変により、業界が息の根を止められることは、防がなければなりません。しかし、罰金で脅すことにより仕事を作り出し、業界を保護するというのでは、業界の健全な発展はありません。

 江田議員は、以前から業界の自助努力を強く主張し、運輸省に正しい業界指導と助成を求めています。

(車検オンブズマン実現へ)
 車検のトラブルは、ユーザーが納得できないままあきらめるケースがほとんど。そこで、トラブルがある時に、簡便に第三者に判定してもらえるようになっていると、ユーザーも助かるし、業者もあらぬ疑いをかけられずにすみます。そこで、江田議員は、前からこのような裁定機関(車検オンブズマン)の設置を提案していました。又、せっかく車検をするのだから、その結果を、車種ごとに発表する「車検白書」を出してはどうかと提案してき一 七月の委員会で小坂運輸大臣は、「十月から、本省、東京、大阪、名古屋の陸運局で発足させます。白書も前向きに検討します。」と約束しました。


ロッキード事件 政治家被告は引退を!

 六月八日、ロッキード事件で初めての政治家被告に対する判決が出ました。ワイロ用の裏金三千万円は、起訴された橋本元運輸大臣、佐藤元運輸政務次官はもとより、うわさの灰色高官にも、すべて検察官主張のとおり分配されたというのです。

 その中には、二階堂自民党幹事長、加藤六月代議士も含まれています。田中角栄元総理の五億円ワイロ事件の判決も近づいています。

 地裁の判決だけで、罰を犯したと決めつけるのは、「無罪の推定」に反します。しかし、例えば裁判官が第一番で有罪判決を受け、なお人を裁いたとしたら、誰がその裁きに従うでしょうか。

 民主主義は、国民の信頼がなければ成り立ちません。この信頼の確保のため、「政治倫理」に従って身を処していくことは、政治家にとって「公の義務」であり、「個人のこと」ではないのです。

 第一審とはいえ裁判所で、職務を悪用してワイロをとったとして有罪の宣告を受けた者は、そのまま国民の付託を受けて公の職務をとり続けてはいけないのです。

 居座りは、民主主義に対する国民の信頼を崩すことになり、政治的には収賄以上の大罪。その極が田中角栄です。

 刑事被告人の黒い手に牛耳られた日本の政治。我慢の限界を越えています。金に汚れきった政治家は、みな即刻引退させなければなりません。

政治の仕組を変えよう!
 こんな政治家を選んだ国民の責任も重いし、政治の仕組自体にも問題があります。

 政治は、国民が納めた莫大な税金の使途を決めます。政治家がここに目をつけ、途方もない悪事を働きます。

 例えば、ちょっとした土木工事でも、かなりの額の公金が使われます。政治家が業者選定に介入してリベートをとれば、税金が政治家のポケットマネーに化けます。

 自民党は、大企業から何億という政治献金を受けます。私たちが物を買って払う代金が、献金に化けるわけです。

 アメリカでは、ウォーターゲート事件のあと、政治倫理についての厳しい法規を作りました。過ちが将来に生かされているのです。

政治倫理法制定を
 そこで私も、六・八判決後政府に対し「大臣や国会議員の資産を公開する制度を作れ」という質問趣意書を出しました。

 さらに日本でも、「政治倫理法」を作ろうと呼びかけています。

 権力は必ず腐敗します。それを防ぐには「政権交替」しかありません。政府が国民からソッポを向かれると、政権が代わるということになれば、政治家も真剣になります。

 政権を担いうる健全な野党の大結集を急がなければなりません。そのためならば、メンツは捨て、少々のことは腹に収めて、大胆な妥協をしてもよいと思います。

 日本の政治の大変革。必ずやります。ご支援のほどを。

 暑さきびしきおりから  ご自愛下さい。


軍縮に情熱 江田議員

 江田五月議員が、国際軍縮議員連盟の諸活動に参加するなど、積極的に軍縮運動を行っていることはよく知られています。地元岡山では「にんげんをかえせ」の上映運動を、東京では、昨年から、宇都宮徳馬、田英夫、河野洋平の各氏らとともに、街頭に出て、「軍縮キャンペーン」をくり広げています。

 去る六月一日には、国連軍縮特別総会に向けて出発前の鈴木首相に(1)非核三原則の堅持 (2)米ソ核軍縮交渉を進展させるための努力 (3)核兵器全面撤廃のための国際協定の締結 (4)国際的軍縮キャンペーンの展開――などの諸点を強く要請しました。

 「中道四党と同盟」では、第二回国連軍縮特別総会に、矢野絢也、塚本三郎、山口敏夫、樽崎弥之助の各氏らを代表として派遣。代表団の出発を前に日比谷公会堂で「六・一東京集会」を開催しましたが、社民連を代表して挨拶にたった江田議員は「中道四党の書記長・幹事長と同盟のリーダーがそろって軍縮のために、このような形で一致して行動をとるのは画期的なこと。仲良くやって良いお土産を」と歓送の言葉をのべました。


江田氏 各会派に倫理法呼びかけ
“政治倫理法”の制定を!

 六・八ロッキード事件政治家有罪判決を受けて、国会の内外で政治倫理確立を求める声が高まっていますが、江田五月議員はいま、“政治倫理法”を制定すべきである、として案文の作成をすすめる一方、各会派に呼びかけを行っています。

 現在のところ参議院の新政クラブ(七名)、二院クラブ(三名)、一の会(三名)などの各議員に、議員立法提案に必要な十人以上の賛同を呼びかけると同時に、法案の骨子について協議を重ね、具体的な条文の作成作業に入っています。

 江田議員の構想による“政治倫理法”は (1)金権・腐敗体質を払拭するために政治倫理の確立をめざす (2)国会議員がその職務に関し、有罪判決を受けた場合には、懲罰の対象とする (3)国会議員は資産を公開する (4)地方自治体においてもその長及び議員に関し懲罰手続きを定める条例を制定することができる。――というもので、案文が出来次第、参議院に提出することにしています。


ドキュメント  強行採決

 参議院全国区制を改めようとする公選法改正案は、公選法改正特別委員会で審議されていました。しかし、去る7月9日、自民党は、八代英太委員らの予定されていた質問を打ち切り、単独で“採決”を強行しました。そして、16日には本会議を開いて強行に可決、成立させてしまいました。しかし、この一連の経過は、議会制民主主義のルールを踏みにじる極めて不当なものであり、江田議員は、自民党などの不当なゴリ押しに対して真っ向から闘いました。江田議員のこの間の動きをドキュメンタリーに綴ってみました。

7月8日
16時35分〜17時40分 強行採決を想定し、社民連の田英夫代表らと対策をねる。(1)新政クラブ、二院クラブ、一の会の三派の結束を軸に徹底抗戦 (2)自民党が実力で採決を強行する場合は、あらゆる手段で阻止する。(3)にも拘らず本会議に上程された揚合には野党各派に呼びかけて、多くの一致が得られたらボイコット戦術をとるなど確認。

17時40分〜18時50分 二院クの青島幸男議員、一の会の中山千夏議員とそれぞれ打合せ。

7月9日
10時〜 公選法特別委を傍聴。
12時 同委員会休憩。
13時 上田委員長衛士に囲まれ入場、着席。再会を宣し前島委員を指名。その時自民党委員の一人が質疑打ち切り動議、委員長は直ちに賛否を問い、居合せた自民党委員だけで賛成可決を宣言。
 参院各小合派、公明、共産など野党は、(1)再会委員議会は定数(13名)不足で不成立 (2)採決は無効 (3)前島委員の審議権を不当に踏みにじったなどにより「強行採決は認めらない」と主張。国会ストップ。

7月10日〜14日
 江田議員はこの間、岡山に帰り、街頭で、暴挙を訴える。

7月15日
14時 参議院議運委が招集さる。本会議開会迫る。
15時35分 議運委が休憩。公明党の藤原委員が報告に来る。事態は何ら改善されず。
14時5分  議運委再開。緊迫感の強まる中、議長に会見を求める。
16時30分 前島、中山議員等と共に徳永議長に会見、審議権の剥奪を訴えた「上申書」を提出。同時に議長が不当仲裁等行なわぬよう警告。
16時55分 院内食堂で、中山、前島、秦議員らと打ち合せ。

7月16日
9時30分 新政ク議員総会。
10時10分〜20分 自民党から 「いよいよ本会議を開くので挨拶に」来たが、江田国対委員長は「折角ですが了解するわけにはいかない」と返答。
10時20分〜45分 青島、中山、二宮の各議員と打ち合せ。かねての確認どうり、本会議ボイコットを確認し、本会議開会と同時に第三委員会室で「公選法強行採決、本会議強行開会に抗議する議員集会」の開催を確認。江田議員は、その事務局長、司会役に推される。
10時45分〜12時 中山千夏議員と共に社会、民社をそれぞれ訪れ、本会議出席の再検討を要請。
14時25分 本会議予鈴が鳴る。同時に前島、秦、中山議員等と共にかけつけ、議場に向う徳永議長に最後の抗議をする。
14時30分 約50名の議員と秘書、マスコミ関係者等で超満員の第3委員会室で、江田議員は、「良識を殺す参議院葬送の集まりが下(本会議場)で始まったようだが、民主々義と良識を守る議員の集まりを」と抗議集会の開会を宣言。今後は廃案に追い込むことを確認。16時前閉会。


エネルギッシュに県北各地を遊説
足と声とで県民と対話

 最近の江田五月議員の岡山での日程の大きな割合を占めるのは、やはり街頭演説です。

 毎週月曜日の「おはよう7:30」は、もう岡山駅前の名物となりましたが、岡山市を出て、郡部での訴えもまた大きな話題を呼んでいます。

 江田議員を中心とする遊説隊は、六月と七月は主に県北の各地を行脚しました。ロッキード事件判決の直後なので連日大きな声をはりあげ、声も少しかすれがちでしたが、そのためか、また一層の迫力が伝わる様でした。農村での朝の一声は、谷間に響き渡り、山に反射し、その村を包みこむ様です。また次の場所への移動は、山間部では、かなりの時間がかかります。ふと落ち着くひとときでもあります。深い緑は真夏の太陽を真っ向から受け、人々にエネルギーを与える様であり、冷やかな水流は連日の疲れを洗い流してくれる様です。勝田郡では話している宣伝カーの前を一匹の馬がゆっくりと歩いて行きました。英田郡では、地図をたよりに山越えをしようとしたら、トンネルが工事中でした。

 「演説」という言葉は、かたく響くでしょうか。政治家と国民を結びつける最も大きく有効で正当な方法でしょう。

 岡山一区という未完成のトンネルをくぐり抜けるため、江田五月議員は、南から北からまた街頭演説に走りまわります。


在岡の弁護士 江田五月を激励する

 六月五日、入梅間近かな土曜日の夕、岡山弁護土会の四〇人の弁護士が岡山プラザホテルに集まった。
 江田五月君を励ます弁護士の集いに出席のためである。岡山弁護土会の会員は五月十一日現在で一二一名。その三分の一が集まったわけである。しかも、在職四〇年、五〇年という会員から、今年入会の会員まで、幅広い。
 発起人を代表して重松弁護士が挨拶し、浅野弁護士の音音で乾杯。料理を食べ、ビール、日本酒、ウイスキーをのむ弁護士の間を、江田君が奥さんの京子さんと一緒に歩いて接触を深める。人と人、それは一ときの会話、一杯の酒、肌と肌のふれあいで知り合い、親しみ、友達となるのだ。そして、江田君の挨拶。連日の街頭演説による日焼けがたくましさを感じさせる。
 長老の田渕洋海弁護士の激励のことばが雰囲気をさらに盛り上げた。二時間。江田君の気持は参加者の全員にしみとおったと思う。高原弁護士設営の二次会に二〇名をこえる弁護士が集まった一事からもそのことが知れるであろう。さまざまな思想、さまざまな立場をもつ弁護士であっても、同志である江田君をなんとか応援したいと考えていることがしみじみと感じられる一夜であった。 (河原昭文)


街から

許せぬ強行採決    岡山市天瀬 薬局店主 森芙美
 先日参議院の委員会の様子をテレビで見ました。衛士に回りを守られた議長が、何やら聞きとれぬ事をいい、委員席で、誰れかが又、わけのわからめ事をいい、「キリツタスウ」で参議院全国区制の改悪案が事実上可決されました。あとで、テレビニュースや新聞で分ったことですが、今度の制度では、私たち国民は八代英太さんや中山千夏さん、青島さんなど、個人として私達の代表を選ぶことが出来ないということです。政党を選らべというのです。この政治不信の時代に選べる政党があるというのでしょうか。今度の採決では、最も影響のある八代、中山、青島さんなどの質問が残されていたのに、それさえ封じこめての強行採決だそうです。小数者の意見を封じてそれをよしとする政党を本気でえらべるでしょうか。みなさん怒りましょう。八代さんも中山さんも泣いていました。

小さな世界が変った    番町 山本美奈子
 江田五月さんは、もうこの一年四カ月の間、毎週月曜日朝七時半から、岡山駅の東口と西口で、ご自分の政治に対する考え方を皆さんに訴え続けています。私も途中からこの街頭演説のお手伝をはじめて一年近くがたちました。雨の日も風の日も休みなく続けることの大変さと、すばらしさを感じているところです。
 それに、今まで、政治には殆んど無関心であった私が、この頃では、新聞やテレビのニュースに目を向け、耳を傾ける様になって、自分でも驚いています。毎月曜日の朝、道ゆく人に「お早ようございます。よろしく」と五月会だよりを手渡しているのですから、当然といえば当然かもしれません。でも江田さんは、まちがいなく一人の人間を変えました。「政治は、誰がやっても変らない」ということをよく耳にします。私も今まで漠然と、そんな風に思っていました。でも、それはまちがいだと、今は、はっきり言えます。私という小さな世界が変ったのですから……。
 この目にもとまらない小さな変化をつみかさねて、明日の変革を信じつつ政治にたずさわる人たちは、何とすばらしいロマンチストたちなんだろうと、最近では、月曜の朝のビラ撒きが、少しは楽しみにさえなってきました。この途方もない作業に、私は、私なりの覚悟で最後まで見届けたいと思う昨今です。

次代のホープたれ    邑久都 岡崎 充子
 私は 江田さんにたいへん期待しています。というのは今の政治家の多くの方は、あまりにも年をとりすぎています。政界もぼつぼつ世代の交替時期だと感じます。江田さんは新しい時代のホープの一人にちがいありません。今は少さな政党で頑張っておられてご苦労も多いでしょうが、十年先のリーダーとなられることは間違いない方ですから、今は精一杯ご苦労なさって、明日のリーダーとしての栄養を蓄えて下さい。お手伝します。


大好評! 講演とバザー

 七月六日、総合福祉会館に秋山ちえ子さんをお迎えして講演会とチャリティバザールを行いました。

 「女性の力でなんとか。」と任されたものの、初めての大きな企画。どこまでやれるのか正直なところ心配でした。けれどおかげ様で会場は補助椅子を含めて満席。秋山先生の説得力あるお話はもちろん、傍らで力のこもった手話通訳をして下さった松田さんの姿に感動を覚えた人も多かったようです。みんなの汗の結晶である手作り作品や思いがけず提供して頂いた品々、そして旭川荘やときわ学園の素敵な焼物と手芸品が好評で上々の売行きだったこと等、あれやこれや、沢山の方々のお力添え、助言の賜物と感謝の気持ちでいっぱいです。誌面をお借りして厚く御礼申し上げます。

 それぞれの立場でご活躍の秋山先生、旭川荘の江草先生との出会いで受けた新鮮な刺激はこれからの活動の糧となることでしょう。


夫を待ち‥‥たのしきごとし  光子さん歌集を発刊

 江田五月さんの母、光子さんがこのほど、歌集「炉の辺にひとり」を出版。記念パーティーも開かれ、盛会だった。光子さんは故江田三郎氏との生活の中で数多くの歌を作っており、三郎氏の急死から五年たったのを機に、初めて歌集を出した。激動の政治生活を送った三郎氏を想う心情にあふれた歌など六百四十首余りを収録している。

 光子さんは服部忠志主宰の「龍」同人。小学校五、六年のころから歌を作っていたそう。県立西大寺高女を卒業、昭和十年四月に三郎氏と結婚した。三郎氏は県議を経て戦後、社会党に入党。参院議員から衆院議員となり、委員長代行、書記長を務め、構造改革論、江田ビジョンを打ち出した。五十二年三月に離党した後、社会市民連合(社会民主連合の前身)を結成、同年七月の参院選全国区を目指したが、五月二十二日、急逝した。光子さんはこの間、夫の政治生活を助け、多くの貢献をした。

 歌集は三郎氏の命日にあたる五月二十二日付の発行。三郎氏が最後に自宅に帰った際の作「夫を待ち待ちつつ粗朶を折り焚けばたのしきごとし炉の辺にひとり」から歌集名取った。三郎氏が戦前に投獄された時を思い起こして作った「獄なりし夫を想ひつつ春の夜に足音に似る風と思ひき」赤ん坊だった五月さんを連れて中国へ渡った時の「夫のあとを追ひて幼き子背負ひわが行きし北京遠かりしかな」など、波乱にみちた人生の歩みを歌でつづっている。

 歌集は四六判、二百六十二頁、短歌新聞社刊。表装は、光子さんが染めた蓼藍(たであい)の草摺の帯を摸したもので、題字は五月さんの筆。光子さんは「夫が亡くなった直後は、忙しくて歌も作れませんでした。いずれはこれまでの歩みを文章にと考えています」と話している。


江田五月の生い立ち (2)少年期    湯浅文伍郎

 保守革新を問わず国会から地方に至るまで地元に馴染み深い議員から握手を求められて感じるのであるが、その時この人は赤ちゃんの手のように柔らかい手ざわりだなというのが多い。ところが五月君と握手した時はちがうんだな、彼の手は小柄に似合ずシッカリしていて、さすがにスポーツで鍛えられた青年議員だという好ましい印象を与えてくれた。議員のみならず誰でも握手を交わされる場合はスマートであってほしい(相手が迷惑する程、強く長く握りしめたりしなさんな)五月君と深く交き合う程に彼には青白きインテリ臭さがなくて健康的でさわやかな人柄だと人はいう。まして東大出のエリート意識や労働貴族などという感じが全然せず盆踊りに参加しても後片付まで町内の人々と共にする気軽な行動力が高く評価されている。その辺のところがヤングや女性にもててもてて困るということになり、只今人気上昇中といわれる所以ではなかろうか。

 ところでその五月君が少年時代おふくろ光子さんにせがんで買ってもらったバイオリン発表会の記念写真を見たことがある。五月君の幼な顔が東南アジアはマニラやバンコックあたりの街角で見かけるあちらの少年と瓜二つ、これぞまさしく庶民大衆そのものの親しみやすい顔であって、その時すぐハハーンと思い出したのが旭中や朝日高校時代の彼のことで毎年夏ともなればくる日もくる日も烏城近くの旭川で神伝流の水泳にのめり込んで、まるで河童の申し子のような泳ぎぶりで游泳会を取りしきっていた頃の陽やけしていた江田少年の人なつこい顔。

 さて五月君の少年期を語る場合、父三郎氏の存在を忘れてはならない。白髪の書記長として一世を風靡し度々マスコミに登場、テレビでもよく顔の売れていた三郎氏も生前国会議員となってからは東京での生活が長く、岡山を留守にしがちであった。然も戦後の半生を社会党建設にかけ全精力を傾けていたので子どものことを考えたりかまってやる時間は少なかったのであろう、そのおわびの印といってはなんだが、帰岡した際「さふろに行こう」と五月、拓也の兄弟を銭渇に誘っているが、物に動ぜぬ大物書記長も案外テレヤだったのか二人の息子の手などひこうとせず、まして弟の拓也君がつまづき転んでも手を貸さずじまいのマイペース、そのような環境の中で少年期を過したと五月君は述懐している。

 しかしながらウリの蔓にはナスビはならぬのたとえどおり政治家としての天与の素質は五月君の幼ない体の中に脈々と伝っていたようである。彼もまた子どものころから大の選挙好きで弘西小学校三年の当時がちょうど三木行治氏の知事選で桃太郎のようなのぼりをたてて「三木さんをよろしく」などと一人でやっていたというから血筋はあらそえないものである。

 五月君の人間的魅力の中で私がもっともひかれているのは世間でよくいわれている名門校、すなわち旭中、朝日高校、東大と学んでいながらそれを意に介さないところである。中学高校ともその学区内に住んでいたが故に当然入学し然も彼の成績が常にクラスで二番手であってトップでなかったこと。優等生の表彰式にはいつも傍らで拍手を送る側にいたこと、つまり心の奥底では「コンチクショウ」今に見ておれ様だってという向上心にもえ「ナニナニこれしきのことで負けてたまるかこれからがオレの出番だぜ」という秘めたる闘志が今日まで五月君の心の支えになってきたのではなかろうか。その彼に来たるべき日、大いにはばたいてもらいたいものである。
(次号は中学時代)


亀の恩返し 《 今浦島は女性 》

 岡山市は湊粒江に住む金谷一二三さんは、最近まことに不思議なことに出合いました。

 八月初旬の深夜、愛犬のチコが激しく吠えるのに目をさまされました。ご主人の勇さんは、地震がおきても目をさまさない程の熟睡ぶり、一二三さんは、しかたなく、ご自分で起きて懐中電燈を片手に庭に出てみました。ところが、あたりには何の気配もありません。愛犬に注意をして床にもどりました。ところが、チコがまた激しく吠えるのです。何かある、そう思った一二三さんは、今度は風呂場の窓から、ソッと外を窺いました。やはり何の気配もしません。と、その時カタカタというびんの鳴る昔が風呂場の窓の下にしました。一二三さんは再び、懐中電燈片手に庭に出て音の方を照らすと、何と長経45センチ、短経32センチもある大きな石亀が、ノッソノッソと光の輪の中で歩いているではありませんか。一二三さんは少しはびっくりしましたが、よくみると何故か、片方にだけ、真っ白の髭を生やしています。これはめずらしい。わざわざ私の家を尋ねてくれたんだ。そう思ってとりあげ、とりあえず風呂桶に入れてその晩はやすみました。

 翌朝、近所のお年寄と相談して飼う事に決め、大型のポリバケツを準備しましたが、底でつかえて動きがとれずにダメ、しかたなく、衣装箱を一つ空けて入れてみたが、立ち上がると、外にすぐ落ちてこれもダメ、色々思案したがすべてダメで結局飼うことをあきらめました。そこで甲羅についた長年のあかをきれいに洗い落し、お酒をふるまって、池の内の大池に放してやりました。ところが池から家に帰りついたとたんに、たてつづけに三件の、しかもいい仕事が入ってきました。

 金谷さんご夫妻は大のパチンコ好き。翌日パチンコ屋に行くと夫の勇さんをしりめに、四台をたてつづけにあけました。一二三さんには未だに幸運が続いているという本当のお話し。(て)


編集後記
 二ヵ月があっという間にすぎました。八月一日発行に間にあわせるため、岡山市の東の片隅でスタッフ一同鳩首会議をやっています。時計の針は午前二時を廻わっています。この二ヵ月間の政治の大きな話題は、ロッキード判決で橋本、佐藤両被告に有罪、二階堂自民党幹事長とわが岡山二区の加藤六月氏が灰色と認定された事、それに参議院全国区制の大改悪が、良識の府で強行採決されたことです。わが江田五月氏はこれ等を訴えて今日も街に出ます。


1982/08 五月会だより No.13 ホーム主張目次たより目次前へ次へ